ムルマンスク便り

-夏の完全白夜、冬のオーロラ- ロシア連邦北西部にあり北極圏最大都市ムルマンスク市(ムールマンスク)の現地情報をお届け。

ムルマンスク市 近況報告

2023-08-08 00:57:34 | ムルマンスク市・街の表情
先日作業中に在ロ日本大使館領事部のNさんから電話がありました。
Nさんには10年前に設置した渡辺大剛さん慰霊碑などの関連で大変お世話になったので、
「うわ~、懐かしいなあ」と思いながら応答。
6月下旬に領事部から「在留邦人実態調査へのご協力のお願い」のメールを受け、
変更無しだったので放置してましたら、再確認電話が・・・ということなのでしょう。

「いやぁ、もう大変なことになりましたよ~。」

と切り出され、私と子供の安否を確認してきました。
私も子供も無事であることを伝えました。

また帰国予定を聞かれ、
「帰国はしますが、またムルマンスクに戻ります。
と答えたら、一瞬天使が通ったような静寂な空気が流れた気がしました。
そして、
余程のことがない限り、永久帰国はしません。
と伝えたら、また一瞬天使が通った・・・ていうか、
「え?今ソノ『余程』の時じゃないんかーい!
と突っ込み入れられている気がした・・・いや気のせいか

そんな大変温度差がある回答を返したので、
「ムルマンスクは本当に大丈夫なんですか!?
と驚きを持ってNさんに訊かれる始末。

まあ、そりゃそっか
大使館があるモスクワではよくドローンが飛来し建造物を爆発損傷させたり、
テロリストらが徘徊していて、
連日安否確認に追われる日々。
最近あった露国防省近くのモスクワシティでのテロ事件ではその数百メートル先に、
日本からの留学生も通う国立バレエ学校がありますから。
戦争が始まってから、労働時間爆上がりでしょう

ムルマンスクは本当に、何事も無く本当に本当に本当に平穏なんですよね。
例年の如くこの季節は多くのムルマンチャーネがバカンスしに南下しています。
多くはウクライナ周辺を回避していますが、
割とそこから近いアナーパ(Анапа)という町で過ごす、
という強心臓の私の知り合いが1組います

それからムルマンスクは今年、+30度超えが1週間続く夏日が3回もあり、
ムルマンチャーネは遅くまで日光浴を楽しんでいます。

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ついでに残留組は何人いるのか、訊いてみました。
「ざっくり勘定で」という前置きで、
モスクワ 1300人→400人 に大減少
サンクト 既に100人切っている
と回答いただきました。
両都市共に千人を越える日本人がいたのに・・・。
残っているのは大使館関係、メディア関係、学校関係者、バレエ留学生ぐらいだとか・・・。

本当にウンザリしますね。

プーチン大統領 訪ムル

2023-07-21 22:21:01 | 北極海航路
7月20日にプーチン大統領(オリジナルか2号か3号かわかりませんががムルマンスク市を訪れました。
専用機でムルマンスク空港へ降り立ち、そのままヘリに乗り換えて、更に航行。
市郊外のベロカメンカ地域にある、世界初の浮体式ガス液化プラント用の巨大海洋プラットフォームに向かいました。

プーチン大統領訪ムルに関する報道はこちら(1TV)

▼▼▼以下はクレムリン公式サイトで発信されている情報です。▼▼

ノヴァテック社の大型海洋構造物建設センター(ЦСКМС)へ訪問
http://www.kremlin.ru/events/president/news/71709
GBS(重力プラットフォーム)上での液化天然ガス(LNG)の第2生産ラインの建設を視察。
ノヴァテック取締役会のミケルソン会長が大統領に説明を行い、北西連邦管区の大統領全権代表グサン氏とムルマンスク州知事のチビス氏も同行。
大統領はまた、重力プラットフォームに立ち、北極海航路経由でギダン半島(ヤマル・ネネツ自治区)のウトレンニェ油田まで牽引する最初のLNG列車(総重量60万トン以上)の初運転式典に参加した。
更に企業の敷地内で、ЦСКМСの搭載問題に関する会議を開催した。

ノヴァテック社の大型海洋構造物建設センターへへの積み込みに関する会議
http://www.kremlin.ru/events/president/news/71710
プーチン大統領は、ノヴァテック社の大型海洋構造物建設センターへの積み込みを議題とした会議に参加して開会の辞を述べた。

北極圏におけるZATO(軍事目的等で閉鎖された都市)およびその都市開発に関する会議
http://www.kremlin.ru/events/president/news/71711
大統領は北極圏における閉鎖している行政領域と入植地の開発に関する会議を開催した。
大統領は北極圏の戦略的重要性と、それに関連してムルマンスク市と周辺閉鎖地域の公共インフラや住宅ストックの深刻な劣化に対する改善の必要性を述べた。
1)閉鎖都市の住宅、エネルギー、社会インフラ、そして北極圏全体の居住地の開発のための行動計画の調整の完了。
2)集落の統合。
3)軍人の家族の雇用・社会的支援。
4)北極圏の拠点集落と入植地のリストの決定。
5)優遇金利が2% を超えない北極住宅ローンの採用と、 2030 年まで有効であることの提案。

ムルマンスク州知事チビス氏との会談
http://www.kremlin.ru/events/president/news/71712
ムルマンスク地域への出張を終えて、大統領はチビス知事と会談。

10周年追悼行事「渡辺大剛・あれから10年」開催報告④

2023-07-21 00:00:00 | 様々な話題
当記事が未完のまま(前記事をコピペして放置)アップロードされてしまいました。
スミマセン
只今6月中旬から浴衣7着製作しており、関連品含め8月中旬まで製作がかかりそうです
なぜ浴衣7着も製作しているのかは、後日ブログで報告します
まあ、このような状態で更新が滞っております。

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この記事は2月中旬に予告しました追悼行事「渡辺大剛・あれから10年」の詳細報告です。
これまでの記事は弊ブログの以下の記事をご一読ください。
Харухиса Ватанабэ - 10 лет (渡辺大剛・あれから10年)
故・渡辺大剛さんの慰霊碑の所在地とアクセス
10周年追悼行事「渡辺大剛・あれから10年」開催報告①
10周年追悼行事「渡辺大剛・あれから10年」開催報告②
10周年追悼行事「渡辺大剛・あれから10年」開催報告③

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10周年追悼企画「渡辺大剛・あれから10年」プロジェクトは、ムルマンスク州を縦断リレー式で開催されました。
中国・ウルムチ~ロシア・ムルマンスクの自転車の旅で、故・渡辺大剛さんが果たせなかった残り区間を走破するように。

最後に開催した場所はムルマンスク市です。ムルマンは北方の人々の意味を持つ「ノルマン」の音便、スクは町という意味。つまり「北方の人々の町」。


最後の地は筆者の居住地域なため、出張時のハプニングやアクシデントなどもなく、比較的楽に身軽に取り組めました。

開催場所は、いつもお世話になっている州立学術図書館です。図書館のイベントで演者として参加したり、こちらのイベント開催時も場所を提供してくださっています。5年前にあった、2ヶ国語(日・露)で製作された渡辺大剛さんの追悼サイト「Haruhisa Watanabe Expedition(http://www.haruhisawatanabe.com/)」のプレゼンテーションもここで開催しました。

より多くの方々に来てもらうために、「渡辺大剛・あれから10年」単体だけでなく、手工芸教室、ゲーム、着付け教室を盛り込んだ祭典「Сакура на Севере(北の桜)」の中の1イベントとして共催という形をとらせて頂きました。

広告もしっかりと。公共交通機関の中に掲示したポスターです。弊協会側が作成しました。


図書館側も作成しました。


催場入口には渡辺さんの等身大バナー広告を置き、ご来場の皆様をお迎え。
叶わなかった故人との写真撮影にと用意しました。


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13時になったので、写真展開催です。
ネットなどに出回っている写真だけでなく、生い立ちや旅の写真など未公開のものを展示。

初日に「Мечтатель за той горой(あの山の向こうの夢想家)」を公開しました。
渡辺さんの生い立ちと軌跡などを30分弱に編集した、ドキュメンタリービデオです。
多くの方に観て頂きました。

その後は、日本文化を体験してもらうため、手芸教室、書道教室、着物着付け教室を開催。

着付け教室はいつも人気です。協会メンバーが先ず着物の歴史や着方をレクチャーして、
その後は手分けして参加者に着付けました。
  


書道教室では、先ず歴史や毛筆運びのテクニックを軽くレクチャーしてから、書きました。
カンダラクシャ市とオレネゴルスク市では「旅」「山」など渡辺大剛さんをテーマに書きましたが、
ムルマンスク市では新年明けの開催ということもあり、
テーマは今年の干支である「卯」「うさぎ」を書きました。
 


手芸教室でも内容を少し変えました。
カンダラクシャ市とオレネゴルスク市では栞タイプの姉様人形を作りましたが、
ムルマンスク市では手毬作りにチャレンジ


さらに他市ではしなかったゲームもしました。
テーブルゲームでは、坊主めくりと囲碁将棋。
アクティブゲームでは、けん玉と「達磨さんが転んだ」をしました。
   


b-port他以下のサイトとSNS「フコンタクテ」で告知されました。
https://b-port.com/news/275838
https://www.murmansk.kp.ru/online/news/5078682/
https://ru24.net/murmansk/339424738/
https://nashsever51.ru/afisha/4131

結果報告も以下のサイトでされています。
https://b-port.com/news/276148
https://www.hibiny.ru/murmansk/news/item-v-murmanske-proshli-meropriyatiya-posvyashchnnye-pamyati-yaponskogo-puteshestvennika-haruhisa-vatanabe-281185/
http://www.mgounb.ru/news/4138-zavershilas-bolshaya-poznavatelnaya-programma-sakura-na-severe/
https://news.myseldon.com/ru/news/index/277786208
https://obshestvo51.ru/news/2122
https://mvpmk.gov-murman.ru/news/nat_pol/477892/

クレカ・デビカ・ご当地カード

2023-07-08 12:00:00 | 様々な話題
ロシアにもDC、JBC、AMERICAN EXPRESSなどの各種信販会社はあります。
侵攻開始後SWIFTが停止し、海外の買い物の際カード決済ができなくなって久しいですが、
国内での買い物の際は依然として機能しています。

右側の2つのカードはズベルバンク銀行のもので、シルバーの方は2022年12月が有効期限。
侵攻開始してから、別機関からの給与受取ができなくなったので別口座を開設し、
2027年11月が有効期限のグリーンのカードを貰いました。
(別口座開設までのトラブルについては、後日書きます。)
左側の2つのカードはVTB銀行のもので、上の方は2023年3月が有効期限、下のドル建ての方は2024年3月が有効期限。

左下以外のカードは、現在でも国内決済時に機能してます。
さらに有効期限を過ぎた上2つのカードも、現在でも国内決済時に機能してます。

何だか奇妙な感じです


カードといえば・・・・今年ぐらいからこんなカードが登場しました。
「Единая карта жителя Мурманской области(訳:ムルマンスク州民統一カード)」。
つまり、州民のみ(申請すれば)貰える、ご当地カードです

緑白色に輝くオーロラの下、山とトナカイのシルエットが何とも美しい・・・
ムルマンスク州のスローガン「На Севере - жить(北に生きる)」という戦略計画の一環として開発されたカード。

ロシアの決済システム「МИР(ミール)」を使い、以下のサービスが受けられます。
メリディアンホテルへの宿泊全室30%OFF
州内スキーリゾート利用の割引&迅速手配
図書館の有料サービスが割引or無料
公共交通機関運賃割引
キーロフ名称文化宮殿イベント5%OFF
などなど・・・

VTB銀行、ソブコムバンク銀行、郵便局で手続きすれば、15分で無料で貰えます。
ただ、対象者は14歳以上のロシア国籍を有するムルマンスク州民だけ。
日本国籍の私は、ムルマンスク市に16年住んでる州民ですが貰えません、残念


すでに1万人を越える州民に発行され、大活用されているらしい。
侵攻開始後、商機ダダ落ちしていただけに、ビジネスチャンスと捉え、参加する企業が今後も増えそうです。

==地元紙SeverPost.ruが報じたニュース==
ムルマンスク地域では、ご当地カードを利用したミール決済システムの効果により、2 か月間で旅行代金が 350 万ルーブル以上節約されました。
(中略)ムルマンスク地域の居住者が 1 枚のカードで支払う場合、乗客の特典は 11 ルーブルです。 結局のところ、ミールシステムによる割引はカードの料金に追加されます。
=====================

全露で都市経済「スマートシティ」のデジタル化の発展への貢献に対する、第1回全国コンペもあったとか。
全露51箇所200を超える応募機関があり、約100件の応募が最終審査に進み、
ムルマンスクのご当地カードが「デジタル住民カード」部門にノミネートし、銅賞を受賞したそうな。

まあ、おめでとう。

10周年追悼行事「渡辺大剛・あれから10年」開催報告③

2023-07-02 00:00:00 | 様々な話題
この記事は2月中旬に予告しました追悼行事「渡辺大剛・あれから10年」の詳細報告です。
これまでの記事は弊ブログの以下の記事をご一読ください。
Харухиса Ватанабэ - 10 лет (渡辺大剛・あれから10年)
故・渡辺大剛さんの慰霊碑の所在地とアクセス
10周年追悼行事「渡辺大剛・あれから10年」開催報告①
10周年追悼行事「渡辺大剛・あれから10年」開催報告②

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10周年追悼企画「渡辺大剛・あれから10年」プロジェクトは、ムルマンスク州を縦断リレー式で開催されました。
中国・ウルムチ~ロシア・ムルマンスクの自転車の旅で、故・渡辺大剛さんが果たせなかった残り区間を走破するように。

次に開催した場所はオレネゴルスク市という町です。オレネはロシア語でトナカイ、ゴルスクは町という意味。つまり「トナカイの町」。

11月25日。朝10時にムルマンスク駅を出発して、昼12時頃オレネゴルスク駅に到着。
カンダラクシャよりも近いので、少し楽です。

駅には、今回会場となる市立中央図書館職員のスヴェータさんが迎えに来てくださいました。
早速車に乗り込もうと移動したところ、突然のハプニング。
私達のところにが男性が1人来て、身分証提示を求めてきたのです。
最初少々パニクりましたが、これはオレネゴルスク市がガルニゾン(гарнизон。軍隊が駐屯している地)と呼ばれる地域であるためです。
市郊外にあるオレネゴルスクー3というところには戦闘機が待機していて、衛星写真でその様子がわかります。
男性曰く、軍事作戦開始後様々な国籍の人が北方へ来るため、警戒しているとのこと。

どこかへ連れて行かれることはなく、私達は市立中央図書館へ向かいました。
中央図書館がある市中心は、駅からちょっと遠くにあるので、車やバスなどの利用が必要です。

中央図書館では、館長のナージャさんらが満面の笑顔で出迎えてくれました。
オレネゴルスク滞在時は、エレーナさんが私の生活面をサポート。
そういえばオレネゴルスクでのイベント手配は、カンダラクシャのときと比べて格段に迅速&スムーズでした。
「ガルニゾンなのに不思議だな」と思い、エレーナさんに質問したところ、
館長は市議会議員もされていて、それで迅速&スムーズにできるんだ、と聞きました。
なるほど、どおりで

既に届いていた展示物を皆で手分けして配置。
図書館には専属の技師もいて、掲示もスムーズ、マイク調節もスムーズ、何もかも滞りありませんでした。

その後はエレーナさんと共に宿泊先へ。
市内唯一の宿泊施設「ゴルニャク(Горняк)」を予約してました。
この施設は2013年秋に追悼サイクリングを開催した際に、ご遺族が利用したところです。

ホテル外観はソ連時代を髣髴させるというか、10年前に利用したので懐かしかったです。
でも内装がガラリと変わってモダンになっていました。

コロナ以前は中国人観光客が押し寄せていたため、外国人客に対してはパニックなく手続き終了。
中国ではオーロラを見ると子宝に恵まれるという言い伝えがあり、特に女性客が多いと聞きました。
でもロビーの人曰く「有害電磁波で逆に子宝に良くないのにねぇ・・・

その晩は近くで夕飯を済ませ、就寝。
翌朝。パンなどで軽く朝食を済ませ、エレーナさんとロビーで待ち合わせ。
イベント開始まで時間が有ったので、図書館まで軽く市内観光をしました。

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さて14時になったので、写真展開催です。
初日と2日目にプレゼンテーションとして、「Мечтатель за той горой(あの山の向こうの夢想家)」を公開しました。
渡辺さんの生い立ちと軌跡などを30分弱に編集した、ドキュメンタリービデオです。
土日だったので、多くの方に来て頂きました。

その後は、日本文化を体験してもらうため、手芸教室、書道教室、着物着付け教室を開催。

手芸教室では、栞タイプの姉様人形を作りました。
30人以上子供達が会場に押しかけ(!)、その多さに戸惑いながらも一緒に作りました。
最後のクリスタルシールで髪飾り、やっぱりウキウキしてましたね

書道教室には、美術学校の生徒さんが挑みました。
絵は各自うちに帰ってから書くとして、毛筆運びのテクニックを一生懸命聞き、一生懸命書いていました。
途中、BGMにLisAの音楽を聞かせたら、リラックスして書けたようです。
こちらもで「鬼滅の刃」、人気のようでした。

着付け教室も多くの人が体験されました。
ナージャさんも着物体験を楽しみにしてくれていて、早速緑の浴衣を着てご満悦。

各種メディアはコムソモーリスカヤプラウダ
https://www.murmansk.kp.ru/online/news/5031112/
をはじめ、Подслушано в Оленегорске、Оленегорский центр социального обслуживания、Комсомольская правда - Мурманск. Новости региона、hibiny.com、Новости Мурманск | Мурманская область、Оленегорск - новости、Редакция газеты "Заполярная руда"が一斉に報道。
中央図書館もサイトで報告。
https://www.ol-cbs.ru/index.php/5152-yaponiya-stala-blizhe
他にオレネゴルスク市庁舎「Администрация города Оленегорска」も、その様子を取り上げてくれました。

10周年追悼行事「渡辺大剛・あれから10年」開催報告②

2023-06-24 12:00:00 | 様々な話題
この記事は2月中旬に予告しました追悼行事「渡辺大剛・あれから10年」の詳細報告です。
これまでの記事は弊ブログの以下の記事をご一読ください。
Харухиса Ватанабэ - 10 лет (渡辺大剛・あれから10年)
故・渡辺大剛さんの慰霊碑の所在地とアクセス
10周年追悼行事「渡辺大剛・あれから10年」開催報告①

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10周年追悼企画「渡辺大剛・あれから10年」プロジェクトは、ムルマンスク州を縦断リレー式で開催されました。
中国・ウルムチ~ロシア・ムルマンスクの自転車の旅で、故・渡辺大剛さんが果たせなかった残り区間を走破するように。
事故地点はカンダラクシャ地域郊外でしたので、そこから最も近い町カンダラクシャ市からスタートしました。
地名の由来は諸説あるようで、「カンダ川畔の町」とか、サーミ語の「«кант(荷袋)»と«лухт(湾)»」の合成語とかから来ているらしい。


11月2日。朝ムルマンスク駅を出発して、昼3時頃カンダラクシャ駅に到着。
250kmも離れているので、移動が大変です。
 


駅には、今回会場となる市立図書館第3分室の室長のカーチャさんが迎えに来てくださいました。
早速大荷物と共に第3分室へ。
数時間かけて全展示物を配置。
  

もうすぐ極夜ということもあり、完成した6時頃には辺りはすっかり暗くなってました。
その後はカーチャさんが宿泊手続きと中心地の案内をしてくださいました。
先ずはお宿。市内最安値の「ベロモリエ(Беломорье)」を予約してありましたので、入館。
ソ連時代を髣髴とさせる、ホテル外観とロビー
 

滅多に来ない外国人客にロビーは少々パニックになってました。
無事手続き終了し、自室へ。
   

  

中もやっぱりソ連感・・・・。ソビエト懐古趣味がおありの方々にとっては、ジワリくる内装でしょう。
その晩は近くで夕飯を済ませ、就寝。

翌朝。ホテルの朝食を摂りにレストランへ。
  

ソビエト懐古趣味の方々の期待を裏切らない「ソ食」でした・・・・(写真左から店内の様子、1日目、2日目の朝食)。

時間が有ったので、周辺を少し散歩しました。
ホテル前は大広場になっていて官公庁施設も有ります。
カンダラクシャ市は市創設から500年も経過しています。
ムルマンスク市より先輩です。
そして国家の肝いり現代化プロジェクト「Национальные проекты」が少しずつ入り、所々デザインアップされてますが、
室長のカーチャさん曰く「昔と全然変わってない」そうです。
   


中心地から少し離れると、このような感じです。
やはり「全然変わってない」?
たまに、プロジェクトの1つである壁画アートが見受けられます。
市近くにある白海はベルーガ(シロイルカ)の故郷とされているので、こんなかわいい壁画も登場。
   


市立図書館第3分室に移動し、まだ時間があったので、近くの海辺にも行ってみました。
  

水が透明です。この辺も、観光地にすべく海浜開発が進んでいます。

開始前の腹ごしらえ。分室近くのカフェで昼食。
  

シンプルでしたが、美味しかったです・・・・(写真左から店の外観、1日目、2日目の昼食)。

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さて14時になったので、写真展開催です。
初日と2日目にプレゼンテーションとして、「Мечтатель за той горой(あの山の向こうの夢想家)」を公開しました。
渡辺さんの生い立ちと軌跡などを30分弱に編集した、ドキュメンタリービデオです。
初日は平日なのにも拘らず、多くの方に来て頂きました。
 


その後は、日本文化を体験してもらうため、手芸教室、書道教室、着物着付け教室を開催。

手芸教室では、栞タイプの姉様人形を作りました。
特に子供達に受けて、最後のクリスタルシールで髪飾りするときが一番テンションが上がってました。

書道教室は、渡辺さんを表す漢字をいくつかピックアップし、毛筆を使って書きました。
ちょっと私の気合が入りすぎたようで、見本となる絵の背景画が凝ってしまいましたxxx。
でも皆さんも気合を入れて書いてくれました。

着付け教室も多くの人が体験されました。
いつも思いますが、ロシアの方は全てのサイズが大きく、特に手足が5~10cm長いです。
このため、日本の規格の着物を着せると、ツンツルテンの七分袖ぐらいになってしまいます
通常の和服だとそれじゃアウトですが、その点浴衣は多少短くても構わないのでいいですね。
ロシア人のための浴衣を今度協会メンバーと作りますので、その点をしっかり反映させなくては。
   


カンダラクシャ市は、前回は渡辺さんの追悼サイクリングで訪れ、今回で2回目となります。
いろいろな市民の方と交流できてとてもよかったです。
でも仕事で慌しかったので、今度訪れるときは私用で十分な時間を割いて、いろいろな所を見て廻りたいです。

10周年追悼行事「渡辺大剛・あれから10年」開催報告①

2023-06-17 12:00:00 | 様々な話題
この記事は2月中旬に予告しました追悼行事「渡辺大剛・あれから10年」の詳細報告です。
これまでの記事は弊ブログの以下の記事をご一読ください。
Харухиса Ватанабэ - 10 лет (渡辺大剛・あれから10年)
故・渡辺大剛さんの慰霊碑の所在地とアクセス

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10周年追悼企画「渡辺大剛・あれから10年」プロジェクトは、6月から開始しました。

プロジェクト内容は、以下の3つでした。
写真展(生い立ち、世界七大陸最高峰挑戦などの未公開写真を含む30点)
ドキュメンタリービデオ公開(写真、旅日記、追悼サイクリング、目撃者情報などを盛り込んだ30分ビデオ)
日本文化紹介(書道、手工芸などの普及)

開催地・日程については、以下の3都市でリレー開催
2022年11月3日~11月18日 カンダラクシャ市(ムルマンスク州の中で事故地点から最も近い都市)
2022年11月25日~12月9日 オレネゴルスク市(2013年に開催した追悼サイクリングイベントで宿泊した都市)
2023年1月14日~1月31日 ムルマンスク市(最期の旅の終着点だった都市)
彼の命日である12月26日の開催は、避けました。
こちらでは12月中旬から1月初旬まで新年&クリスマス期間のため、関心が薄くなる理由です。

露のSNS「フコンタクテ」にも特設ページを作り、同SNS上にあるサイクリング、山岳、旅行、日本関連コミュニティにrepostしてもらえるように依頼しました。地元紙の「コムソモリスカヤ・プラウダ」「b-port」や地元サイト「Hibiny.com」などでも告知をしてもらえました。
▼特設ページのTOP画像

▼各メディアの関連記事
道の走破者の最期の旅(ロシア語) https://dzen.ru/a/X6PUWkejSBLO1GGi
悲劇から10年 ムルマンスク州で事故死した「日本のフョードル・コニュホフ」とは(ロシア語)
https://www.murmansk.kp.ru/online/news/5078682/

またムルマンスク市内だけではありますが、イベントに顔出して告知させてもらったりもしました。
写真は、9月27日の「世界ツーリズムの日」に青少年図書館で開催されたイベント「旅行者の日記」での告知の様子です。
通常だったら掴みはいいのですが、昨今の世界情勢のせいで日本は「アウェイ」なので、
告知を聞いてくれた参加者の中には「坊主憎けりゃ袈裟まで」よろしく、筆者の方を明らかに睨んでいる方もいらっしゃいました。
おーこわ
政治と文化は分けましょうね。しかも追悼行事じゃないですか。静かに平和に迎えましょう。


次回はカンダラクシャ開催のときの様子を報告します

オレンジ色の街と雨上がりの虹

2023-06-10 17:58:41 | ムルマンスク市・街の表情
オレンジ色に染まった街に突如現れた、雨上がりの虹です。
素敵ですね、夕焼けに出てくる虹。
午後4~5時頃に撮影された・・・・とお思いでしょう。


実はこれ、現地時間6月10日午前0時に現れた虹です。
そう、真夜中です。
今ムルマンスクは白夜シーズン真っ最中で、夜でも太陽が地平線に隠れません。
更にこんな時間だから、人も車も往来がほぼ皆無。

何度見ても不思議な光景です。

写真: "Murmansk (vk)"

余談ですが、ソース元であるSNS「フコンタクテ」の紹介やリンクを上の付記に貼ろうと思ったのですが、
SNS「フコンタクテ」のURLを本文に挿入すると「本文に不正な書式が含まれています」と表示され、
アップロードができません。gooでは露のSNSは「ヤバいサイト」処理されるのかなwww?
なので上記のように超簡素に書きました。

ロシアの教育システム

2023-06-10 16:48:43 | 様々な話題
幼稚園生になる
生後2ヶ月から受け付けていますが、園によって通常3歳からが多いようです。
発育状況に応じ、8歳まで通えます。
幼稚園にいきなり押しかけても、引き受けてもらえません。
居住地区の役所に行き、申請してから入園となります。

幼稚園生→1年生に
日本のように「6歳児が必ず小学校入学へ」というわけではありません。
ロシアでは6歳半から8歳までの子供が学校入学し、1年生になります。
ロシアの学校は日本のように、小学校・中学校・高等学校と分かれていません。
でも能力別にこのように分かれています。
①11年一貫の進学校であるギムナジア(1~11年生)
②4年一貫の中堅学校であるプロギムナジア(1~4年生)
③5年生から入学できる7年制の中堅学校リセ(5~11年生)
④普通学校と呼ばれるシコーラ(11年制もあれば9年制もあり)
の3種類があります。
ロシアの学校は、12年制ではなく11年制です。
なので、昔は日本留学の際に募集資格でちょっと引っかかることも以前はあったようです。

それから、ギムナジア・プロギムナジア進学の際に、日本でいうところの内部推薦・進学、一般推薦、一般受験があります。
学校の極周辺に住んでいる又は学校の極近くの幼稚園に通っている子供は、「内部推薦・進学」のような扱いで、優先的に入学できます。
それから障碍を持つ子供も。
学校近くにない幼稚園からの推薦は、一般推薦(否案外コネかも)。
そうでなければ一般受験で合格しければなりません。

一般受験受付は8月頃に学校のHPで告知されます。
申請後はいよいよ受験ですが、日本のように一発試験・一発面接で合否を決めるのではありません。
9月から翌年1月までの5ヶ月間、週2回夕方に学校に通い1時間ぐらい授業に参加します。
月末には確認テストがあります。5ヶ月の期間中、素行問題がなく、成績優秀だった子供が合格できます。


1年生~4年生
この期間は、初等学年と言われています。
体育と英語以外は1人の先生がロシア語、算数、理科社会、音楽、図工などを教えます。


4年生→5年生に
ギムナジア・プロギムナジアの初等学年中に成績・素行の芳しくなかった生徒は、シコーラに移動となります。
プロギムナジアは4年生で修了なので、ギムナジアかリセ、シコーラに移動します。
ギムナジアかリセに転校の際は、勿論試験があります。


5年生~9年生
この期間は、中等学年と言われています。
いろいろな先生が各教科を教えます。
4~5年生→ロシア語、算数、生物、地理、歴史、音楽、美術、技術家庭、文学、英語、体育
7年生から→物理が追加。
8年生から→数学が「代数学」「幾何学」に変更。情報数理、化学、生活安全などが追加。
学校によっては、生徒の負担軽減のため、音楽や美術に転向も可。


9年生→10年生
9年生は在席時にОГЭ(Основной государственный экзамен)というテストを受験します。
日本で言うアテストだと思います。
その結果次第で希望する学校へ転校できます。
進学校にカテゴライズされているギムナジア、リセ、一部のシコーラは、10年次11年次にはПрофильные классы(プロフィリヌィエクラス)と呼ばれ、大学進学コースのようになります。
カレッジと呼ばれる専門学校へ行くコースもあります。
学生達はそれまでに、自分は文系か理系かなど、進路を決めなくてはなりません。
例えば、ムルマンスク市の学校では
ギムナジア第1学校(人文系、工学系)
ギムナジア第2学校(人文系、自然科学系)
ギムナジア第3学校(人文系、自然科学系)
ギムナジア第5学校(自然科学系*ロスネフチ特別コース、工学系、医学系)
ギムナジア第6学校(自然科学系、工学系、社会経済系)
ギムナジア第7学校(自然科学系、工学系、社会経済系、人文系)
ギムナジア第8学校(自然科学系、工学系*交通運輸特別コース、人文系)
ギムナジア第9学校(人文系)
ギムナジア第10学校(工学系、自然科学系、工学系*石油ガス特別コース)、社会経済系)
ムルマンスク国際リセ(自然科学系、工学系、人文系)
ムルマンスクアカデミーリセ(航空系、社会経済系)
ムルマンスク理工学リセ(工学系、医学系、社会経済系)
リセ第2学校(人文系*州調査機関士官候補生特別コース、社会経済系*税関特別クラス、社会経済系*州内務省士官候補生特別コース
カデツカヤ普通学校(防衛スポーツ系)
第5普通学校(医学系、防衛スポーツ系、人文系)
第36普通学校(医学系、工学系、社会経済系)
第57普通学校(工学系、自然科学系、人文系)

10~11年生
大学進学に向けての準備期間です。

11年生→大学生
11年生は5月下旬に卒業式を迎えます。
そして5月末から6月末までЕГЭ(Единый государственный экзамен)というテストを受験します。
日本で言う共通テストだと思います。
その結果次第で希望する学校へ転校できます。

戦勝記念日パレード・白夜期間開始・卒業式

2023-05-25 14:04:05 | ムルマンスク市・街の表情
大変ご無沙汰してます

5月9日にはムルマンスク市でも戦勝記念日セレモニーが開催されました。

最初に伝説的戦車T-34が登場しました。
その後、Т-80 БВМ戦車、超長距離地対空ミサイルС-400 «Триумф»、地対艦ミサイル «Бал»と«Бастион»、 装甲兵員輸送車、極地用技術車両など、計30台くらい。
45分程度の短いセレモニーで人員も軍用車両も少なかったようです。
ウクライナ戦で大分出払った感は、否めません。
個人的には、種類は忘れましたが、北極仕様の白い軍用車両(こんなの↓)がありませんでした。

近所で走行している姿を見て記憶に新しかったので、意外というか。
あーやっぱりニュースで言われてた通りウクライナ戦で即爆したのかな。
最後に市民による「不滅の連隊」行進はありました。
開催前まではオンライン開催でしたが、結局路上決行となり、規模は小さめでした。

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5月22日からムルマンスク市は白夜期間に突入しました。

6月22日に夏至、その1ヵ月後の7月22日まで、
昼間は明るく、真夜中でも夕暮れのような時間が続きます。
何年も住んでいますが、見ていて美しく、不思議な気持ちがします。
でも勿論そんな時間に人や交通機関が往来することは滅多にありませんので、
街中はゴーストタウンのようですが。

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今日5月23日は、Последний звонок(ポスレードヌィ・ズヴォノク)、9年生と11年生の卒業式です。
9年生は日本の学校でいうところの、高校1年生。
11年生は、日本の高校3年生です。
総勢約2000人の卒業生達は方にタスキをかけ、セレモニーに参加します。

9年生はこの後全国試験に臨み、結果次第で大学進学コースに進めます。
11年生はこの後統一試験に臨み、結果次第で大学へ入学できます。

教育システムの詳細については、後日