2月3日の東京公演をもって、岡山での全てのオーケストラ活動を卒業しました。
アカデミーは現役の7月(過去の日記を見ると2001/7/16)から参加していまして、
今回で何と6回目の参加でした。近しい世代のOBより長く参加しています。
振り返れば色々勉強させてもらったし、考えさせられました。
アカデミーは100%岡大OBで構成されたオケなので、ポリシーは岡大の延長線にあり、
表現力は岡大よりも遥かに豊かなのが特長です。
自分はこのアカデミーから、岡大で目指す響きの実物を感じ取ってきました。
4回生の頃はそれをいかに現役にフィードバックしていくか、を考えたものです。
しかし、参加した始めの頃、面白さの何倍も辛かったのも事実です。
OBのオケ、うまいオケ、人数合わせのためにいる自分。
音を出さなければいけないにも関わらず、出す音全てがNGとされ、
当時の自分は逃げることしか考えていませんでした。
本当なら最高に楽しいはずのブラ3やエロイカも、自分にとっては針のムシロでした。
初めて正パートとして乗った懐想譜も、ぐちゃぐちゃだったに違いありません。
キャシーさんや窪田さんには多大なる心配をおかけしました。
2年間の牟田の姿を見て、恐らくアカデミーの皆さんはそれ以降の参加要請を躊躇したと思います。
大学に入ってからの2年間は全く成長しない2年間でしたし。
3回生になり、アカデミーはフランスプログラムに挑戦ていました。
ラヴェルやドビュッシーが並び、とてもうらうやましく思っていました。
幸か不幸か、ファゴットの人材不足は再びアカデミーへの参加をかなえてくれました。
練習期間は3ヶ月程度しかなく、ほとんど曲を理解できないまま本番を迎えてしまいました。
当時の録音には自分の響きは聞き取れません。楽器を鳴らすことができていなかった時期です。
この頃、現役で火の鳥を演奏し、何かに気付き始めた時期でもあります。
4回生の東京公演にも声をかけられました。現役で全乗+セクションリーダー、学校では教育実習、アカデミーも全乗りという非常にハードな生活になりました。
自分では一生懸命やっている、つもりでした。しかし、アカデミーの方の期待に応えれるような演奏はできませんでした。
メンバーの方からも「君の音は何のこだわりも感じられない」と本当に厳しい言葉をかけられました。
院試や卒業演奏での独奏をきっかけに、たくさんのことに気付かされました。
表現の難しさ、音作りの難しさ。
リードも完全に自作に移行したことで、表現の幅がつくようになった時、
アカデミーで、自身初のシンフォニーに挑戦することになりました。
そして初めて後輩とアカデミーに乗ることになったこと、本当にOBとして
参加していることから、とても前向きな気持ちで参加するようになりました。
内容としても、それまでよりは少し納得のいくものになりましたし、
アカデミーの一員としての実感も沸いた演奏会だったと思います。
OB2回生ではメンデルスゾーンと古典交響曲に挑戦しました。
秋頃までは1年前と同じ感覚で演奏していました。しかし、愛媛大学での
演奏経験が大きなきっかけとなって、アンサンブルや楽器の鳴らし方に
大きな変化があったと思います。最後の練習でそれに気付いたのは
遅かったのか、早かったのか。いずれにせよたくさんの方から
「うまくなった」という言葉を頂いたのも、多くはこのことによると思います。
この言葉は「うまい」ということではなく、自分を上手いと誇るつもりはありません。
しかし、この言葉は以前の自分から成長できたことを証明してくれる言葉です。
明日、今日よりもうまくなってればいい、という感覚で続けてきましたが、
そうやって認めていただけるのはこの上ない喜びです。
実際に録音を聴くと色々問題がありますが、この妙な音色のファゴット奏者の演奏は
何となく面白いですね。好きじゃないですけど嫌いでもないです。自分は。
こうやって少しずつ色々なことに気付き、自由に吹けるようになってきているのですから、
もっとたくさんの人と色々な芝居をやってみたい、と思っていますが、
オーケストラ生活もこれでおしまいのようです。
自分はブラスで生まれ、オケに育った音楽家ですから、
人と合わせない音楽だけで楽しめるような人間ではありません。
今までをこれからにどう活かし、どう楽しんでいくか。
それが単純ながらも大きな問題のような気がします。
無駄に長い思い出日記になりました。
アカデミーの皆さん、今まで本当にありがとうございました。
アカデミーは現役の7月(過去の日記を見ると2001/7/16)から参加していまして、
今回で何と6回目の参加でした。近しい世代のOBより長く参加しています。
振り返れば色々勉強させてもらったし、考えさせられました。
アカデミーは100%岡大OBで構成されたオケなので、ポリシーは岡大の延長線にあり、
表現力は岡大よりも遥かに豊かなのが特長です。
自分はこのアカデミーから、岡大で目指す響きの実物を感じ取ってきました。
4回生の頃はそれをいかに現役にフィードバックしていくか、を考えたものです。
しかし、参加した始めの頃、面白さの何倍も辛かったのも事実です。
OBのオケ、うまいオケ、人数合わせのためにいる自分。
音を出さなければいけないにも関わらず、出す音全てがNGとされ、
当時の自分は逃げることしか考えていませんでした。
本当なら最高に楽しいはずのブラ3やエロイカも、自分にとっては針のムシロでした。
初めて正パートとして乗った懐想譜も、ぐちゃぐちゃだったに違いありません。
キャシーさんや窪田さんには多大なる心配をおかけしました。
2年間の牟田の姿を見て、恐らくアカデミーの皆さんはそれ以降の参加要請を躊躇したと思います。
大学に入ってからの2年間は全く成長しない2年間でしたし。
3回生になり、アカデミーはフランスプログラムに挑戦ていました。
ラヴェルやドビュッシーが並び、とてもうらうやましく思っていました。
幸か不幸か、ファゴットの人材不足は再びアカデミーへの参加をかなえてくれました。
練習期間は3ヶ月程度しかなく、ほとんど曲を理解できないまま本番を迎えてしまいました。
当時の録音には自分の響きは聞き取れません。楽器を鳴らすことができていなかった時期です。
この頃、現役で火の鳥を演奏し、何かに気付き始めた時期でもあります。
4回生の東京公演にも声をかけられました。現役で全乗+セクションリーダー、学校では教育実習、アカデミーも全乗りという非常にハードな生活になりました。
自分では一生懸命やっている、つもりでした。しかし、アカデミーの方の期待に応えれるような演奏はできませんでした。
メンバーの方からも「君の音は何のこだわりも感じられない」と本当に厳しい言葉をかけられました。
院試や卒業演奏での独奏をきっかけに、たくさんのことに気付かされました。
表現の難しさ、音作りの難しさ。
リードも完全に自作に移行したことで、表現の幅がつくようになった時、
アカデミーで、自身初のシンフォニーに挑戦することになりました。
そして初めて後輩とアカデミーに乗ることになったこと、本当にOBとして
参加していることから、とても前向きな気持ちで参加するようになりました。
内容としても、それまでよりは少し納得のいくものになりましたし、
アカデミーの一員としての実感も沸いた演奏会だったと思います。
OB2回生ではメンデルスゾーンと古典交響曲に挑戦しました。
秋頃までは1年前と同じ感覚で演奏していました。しかし、愛媛大学での
演奏経験が大きなきっかけとなって、アンサンブルや楽器の鳴らし方に
大きな変化があったと思います。最後の練習でそれに気付いたのは
遅かったのか、早かったのか。いずれにせよたくさんの方から
「うまくなった」という言葉を頂いたのも、多くはこのことによると思います。
この言葉は「うまい」ということではなく、自分を上手いと誇るつもりはありません。
しかし、この言葉は以前の自分から成長できたことを証明してくれる言葉です。
明日、今日よりもうまくなってればいい、という感覚で続けてきましたが、
そうやって認めていただけるのはこの上ない喜びです。
実際に録音を聴くと色々問題がありますが、この妙な音色のファゴット奏者の演奏は
何となく面白いですね。好きじゃないですけど嫌いでもないです。自分は。
こうやって少しずつ色々なことに気付き、自由に吹けるようになってきているのですから、
もっとたくさんの人と色々な芝居をやってみたい、と思っていますが、
オーケストラ生活もこれでおしまいのようです。
自分はブラスで生まれ、オケに育った音楽家ですから、
人と合わせない音楽だけで楽しめるような人間ではありません。
今までをこれからにどう活かし、どう楽しんでいくか。
それが単純ながらも大きな問題のような気がします。
無駄に長い思い出日記になりました。
アカデミーの皆さん、今まで本当にありがとうございました。