ひとり海外演劇上演情報データベース

演劇を
即物的に
がつがつ
みようぜ

teatr akademia ruchu

2006年07月19日 04時37分02秒 | Weblog
おもろう度 ★★★★

teatr akademia ruchu "Wyraznie. W Milczeniu."(表現.無言の) 7月2日

「街頭国際芸術祭」の出展作品
http://www.sztukaulicy.pl/


「cypel czarnowejski 22:00 開演」と書いてある。
cypel czarnowejski(チャルノヴェイスキ岬)は、ワルシャワの中心を流れるヴィスワの中洲である。橋のたもとでバスを降り、地図を片手に車道に沿って歩いていく。小さな自動車修理工場みたいな門をくぐると藪にかこまれた砂利道に入る。明かりもない。看板もない。案内らしき人もいない。昨晩ワルシャワの旧市街で偶然遭遇した知人(邦人、70歳、なにわの女)を連れてきてしまった手前、多少プレッシャー。もしも何か危ない目にあっても誰も助けにきてくれなさそうだ。とはいえど地図上では間違っていないはずだし、他にあてもないのでひたすら進むしかない。足元を確認しながら歩く。白夜なのでこんな場所でもぼんやりと明るいが、細い道の傍らはヴィスワと中州に挟まれた沼のような小川の土手だから、危なっかしい。
 時折車が追い越していった。呼び止めてたずねようとしていた一台は、「芝居はここであるのか」と、私たちと同じ疑問を投げてきた。ワルシャワの人間が聞いてくるくらいだから、しょうがない。「なかったら散歩でもして帰りましょう」などと話しつつ、何台かのテールライトを追いながら15分ほど歩いたあたり、木の陰から黄色い明かりが見えてきた。やがて広い河岸に出て、ひとのかたまりが見えてくる。黄色い光は立方体で、ゆらりゆらりと草っぱらの上を移動している。目を凝らしてみると、白い衣装に身を包んだ役者たちがめいめいの両手いっぱいにそれを抱えているのがわかる。光が向かうのにしたがって、舞台が準備されているであろう地点へ行く。腕時計を見ると、もう22時を10分過ぎていた。
 たどり着いたのは、金属パイプで作ったプラットフォーム、背後に巨大なアンプがあり、ゴーウン・・・ゴーウン・・・と、たいそうな音量でうなっている。河の対岸にもいくつかの光のかたまりがある。細かい部分は見えないが、同じようなことをやっているのかもしれない。ただし、あちらの光は小舟の上でヴィスワ河を流れてき、岸に揚げられプラットフォームに運ばれていっているようだ。なにわのオバハンが、「灯篭流しヤ」と言ったので、そういうことにしておく。立方体は白っぽい和紙かスチロールでできており、光源は中の四隅に立てられたろうそくで、やわらかい黄色を放っている。
 役者だかスタッフだかわからない人々が着ている、白い衣装は、作業服風のものである。彼らはゆっくりとプラットフォームの上に光を並べていく。芝居を観るために集まってきた人々は手持ち無沙汰なのだが、アンプががなるなか立ち話もできずに、ぼんやりと土手に腰を下ろして作業を見守ったり、写真をとったり、連れてきた犬を撫でたりしている。
 そのうちプラットフォームのうえに、一枚の大きな光の板が完成するのだが、役者(もはやスタッフでなく、彼らが役者だろう)たちは今度は黙々と、そのうちの一部を黒い立方体と入れ替えていく。洗濯機みたいに規則的な騒音に、次第にゴボゴボと不審な水泡の立てるような音が混ざってくる。
 「ほら、思ったとおりヤ。文字ができた」と、なにわの女がフッフッと勝ちほこった笑みをもらすころ、そして、太陽の光が完全に消えてしまうころ、2つのプラットフォームはそれぞれに文字を表すようになっていた。「で、なんて意味なんヤ」

 あちらの側は、「pamietaj」(憶えていて)
 こちらの側は、「patrz」(見つめていて)

「今年はチェルノブイリの事故から20年ヤから、そのメモリアルとしてのコンセプチュアル・アート、ヤな」
オバハン、白い作業着と、途中からアンプの音に混入した水の泡立つ音とを関連付けはじめる。
「そすると、“憶えていて”はわかるけど、“見ていて”はわからんネえ」
何でもわかると思うなよ、と多少ムッとしながら、一緒になって首をひねる。
 観客として集まってきたわたしたちは、すでに「これ」を見ていた。見てきた。それでいて、「憶えていて」と「見つめていて」は、同時に浮かび上がったのである。「憶えていて」は、このパフォーマンスから喚起される何ものかを、もしくは、パフォーマンスそのものをメモリアルに凝固させる効力があるかもしれない。だが一方で、「見つめていて」がメッセージとしてパフォーマンスの中で機能するならば、作品の冒頭に掲げられるべきだろう。「作品を見つめていて」「作品の中で再現される事故を見つめていて」というように、観客を「作り出す」メッセージ。だが、アカデミア・ルフは、「見つめていて」を作品の最後に発した。この転倒に何を込めたのだろう。
 仮に、というか、オバハンの感性を疑っているわけではないので、本当に、これがチェルノブイリの事故をモチーフにしたものとしよう。事故が、この作品の動機になっているとするならば、作品は、終点としての事故を始点としている。すでに起こってしまった事故を始点にするとはどういうことか。事故に至る過程をシンボライズしながら語るだけのものであったら、パフォーマンスは事実の再現でしかないだろう。真実以上に事実に切迫できるはずもなく、ドキュメンタリーという形の映画に劣る。だが、アカデミア・ルフは、演劇のこの不可能性をパフォーマンス装置にかえた。すなわち、「見つめていて」を、作品そのものの終りに示すこと。そのようにして、「見つめる」→「記憶する」という、蓄積と凝固によって完結するはずの「見つめる」行為を、永遠に「見つめ続ける」ことをもって「記憶」とする運動そのものに変えた。現に、こちら側にある「見つめていて」を作る「現場」を、私たちは見ていた。そしてそれに呼応するように、対岸の「憶えていて」は、遠くに位置している。それらは、同じように、同じときに作られた。ただ、近くに見えるか遠くに見えるかの違いがあるだけだ。
 役者たちはというと、文字が完成すると、何事もなかったかのように、観客たちと同じように草に静かに座り込んで、談笑してるのもいる。アンプの音は、またもとの規則的なリズムに戻った。集めた観客の前で、「見つめていて」という言葉を発した瞬間に、見るべき対象(役者たちの作業)を放棄する彼ら。なにわのオバハンはまたも勝ち誇り、「ほら、これで終りヤ、帰ろうヤ」と、私の肘をつっつく。すでに妄想モードに入ってしまった哀れな私に、なおも言う。「もう何も起こらんて、終りですか、て、聞いてミい」・・・・思想信条の理由からそれはできませんと断り、もう少しこんな気持ちのいい場所でぼんやりしていたい気持ちを我慢しながら、オバハンと、今度は河岸沿いにバス停を探して、オバハンを無事バスに乗せ、ひと安心。橋の上のバス停からまだ「pamietaj」と「patrz」の光が見える。始点と終点のない、約束事としての役者と観客はいたものの、「見る」べきものの押し売りをされない、気持ちのいい宵を過ごした。













Jaunais Rigas Teatris(in ラトビア) ヴラジーミル・ソローキン"氷"

2006年05月05日 00時13分23秒 | Weblog
おもしろう度:★★★★★

上演主体:Jaunais Rigas Teatris(リガ in ラトビア)
上演情報:クラクフで4月6日から9日まで開催された国際演劇祭”Krakowskie  Reminiscencje teatralne”での一招聘作品。
劇団サイト:http://www.jrt.lv/
上演場所:クラクフ in ポーランド、Klub Lotunda

原作、Vladimir Sorokin
演出・舞台美術、Alvis Hermanis

短い生涯に観たなかのベスト5に入るほどおもしろかったので、Hermanisについてもっと知りたいとこですが、残念ながらラトビア語が読めません。
(エストニア語でいけるならタケムラ君、解説お願いします)

ポーランド語パンフレットには
「Alvis Hermanis/演出家、俳優、舞台美術家。独自の演劇のスタイルを確立した」とか「ポストドラマ的美学において創造する」とか、あってなきがこときことしか書かれてないので(これではまるでポストドラマということばが合格通知のようだ)Hermanisについてはひとまず諦め「氷」の舞台がどんなだったか書こうと思います。

・・・・・
 Hermanisは、役者でなく観客のために、居心地の悪い舞台を用意した。ホールの中心には白い円がおいてあり、観客はそれを囲んで坐っている。照明は消えず、観客同士がよく見える。スポーツの競技場のようだ。おもむろに入ってきた12人の役者たちが観客たちに分厚い冊子を配る。
 この冊子にはアメリカ風のコミックが描かれており、役者たちが説明するように見開き1ページが舞台の1シーンに対応している。コミックの展開に沿って舞台上でも同じ筋が展開する。ソローキンの『氷』は戯曲ではなく長編小説だが、役者たちは手もとの本に目を落として入れ替わりソローキンのテクスト全部を原作そのままに読んでいく。せりふだけではなく、戯曲ならばト書きであろう部分まですべて、ただし、ものすごい速さで。
 役者が頁をめくる。観客はコミックをめくる。その間舞台も進行している。コミックには陳腐なポルノと直接的な暴力が描かれている。観客にとってこれはまれに居合わせる奇妙なシチュエーションである。通常、このようなコミックは、むしろ部屋にひとりこもって眺めるもので(?)大勢と肩を並べて読むことはないし、まして劇場という場所ではなおさらだ。観客はまた、コミックと舞台を交互に見比べなくてはならない。舞台の1シーンがコミック見開きに対応しているので、観客はコミックを即座に読み終え舞台に目を戻す余裕がある。しかしここで私たちは、コミックと舞台のどちらを観るべきか戸惑う。
 同じテクストに基づきながら、コミックでは直接的な性描写と流血を繰り広げているのに対し、舞台上では舞台芸術らしい象徴的な表現がとられている。物語の冒頭、森の中男が暴漢に氷の槌で心臓を叩き割られる場面は、舞台上では男がうつぶせになっているテーブルを下から槌で音高く叩くこと、うめきで表現されている。襟からでた首の短い男の禿頭をなめる行為が、オーラルセックスを表現している。コミックと舞台を見比べれば見比べるほど、両者ともにテクストに対する再現の不完全さに気づくばかりで、観客は視線の所在を失う。
 それではHermanisの『氷』では一体なにが起こっているのだろうか。もとい、この居心地の悪さは何だろうか。誰かがリチャード・シェクナーを引用しながらこんなことを言っている。『ポストドラマ演劇はこの儀式という形式的で明白な要因を、注目を集めるためだけの機能から引き剥がし、さらにはすべての宗教的・祭祀的な参照項からも引き離して、それ自体のために美的な質として機能させる。ポストドラマ演劇はドラマの筋行動を、かつて、その始源にあってドラマ的・祭祀的な筋行動と分かちがたく結びついていた儀式に置き換えるのだ。』もしもHermanisの『氷』を(パンフレットのように)「ポストドラマ的」と評価できると考えるならば、観客の想像力を揺らしながら筋-儀式の関係を再度緊密に統合した点を当てはめることができるかもしれない。
 物語の終りに、役者たちはそれまで読んできた本をびりびりに引き裂き、それと同時に氷がばらまかれる(ロシア現代文学に詳しいT先輩の話では、『ロマン』での手法と同様に、テクストが人間を殺すという観点から、凶器としての氷=テクストが解けるのも同時に表象しているという、ありがたき場面のようです)。そこで私たちは、読まれたテクストに対して、いつしか自らの想像力でこの物語を再現・反応してきたことを自覚する。物語は、最後まで導かれる過程で儀式になっており、観客は、Hermanisの仕掛けた儀式を知らぬうちに通過してしまったというわけである。さもなくば、心臓を打たれた人々がやがて善人になり、抱擁し合い、新しい人生を誓う、そんな物語、そんなユートピア小説、それを噛み砕いて説明してくれるだけの3時間50分だったら、耐えられないでしょう?



ヴォイツェク

2006年04月17日 06時45分38秒 | Weblog
おもしろう度:★★★★

上演主体:カリシュ、ヴォイツェフ・ボグスワフスキ劇場
演出:マヤ・クレチェフスカ
観劇場所:カトヴィツェ、シロンスク・ヴィスピアインスキ劇場、演劇祭interpretacja最優秀賞。
サイト:http://www.teatry.art.pl/foto/f_woyzeck_kle4.htm

 開きっぱなしの幕。舞台左手にはウエディングドレスの並ぶサロン。右には床屋。ガラスと鏡を両側に使い、遠近法を用いて舞台空間を最大限に使った舞台。開始を知らせるベルが鳴る。観客たちが席に着き、静まる。いつもどおりの約束事でしつらえられた美しい箱。この場所に入場することが許されているのは役者だけである。しかし一瞬の暗転の後現れたのはショーの司会の男。もうひとりはマイクを握り、観客席の向こうをじっと見つめている。ヴォイツェクである。ふたりはひどく場にそぐわない。
 ゲオルク・ビュヒナー『ヴォイツェク』の筋は、クレチェフスカの演出のもと、暴力、クラブ、テレビのバラエティ・ショーなどキッチュな要素で現代風に味付けされ、舞台化されていく。しかし、マヤ・クレチェフスカの狙いは、これらのジャンクな要素を使いつつ、ヴォイツェクのテクスト中で表現されている「不道徳」の概念を現代風のシンボルで置き換えることの先にある。それは、登場人物たちの舞台上での身振りが、ときにばかげているほど不自然なことからも推測することができるかもしれない。クレチェフスカはこのフェスティバルでの受賞時に、その舞台装置・衣装の美しさをひときわ評価されていたが、筆者は、クレチェフスカの舞台において、舞台装置は人物への調和よりもむしろその人物行動を疎外しながら冷たく見守り、物語を終末まで運んでいく機能を負っていると感じた。
 物語の冒頭、ヴォイツェクの働く床屋にやってきた客、ホモ・セクシュアルの少佐は、かつら、女性用メイクでグロテスクに変装しながら道徳を説き、ヴォイツェクにせまる。ヴォイツェクの妻マリーは、互いに競争心をむき出しにしながら同僚の女とつかみ合い、ピン・ヒールの靴を履いた足、薄いピンク色のドレスを翻しながらものすごい速さで息が切れるまで廻り続ける。このような不自然な身振りを役者に要求しつつ、クレチェフスカは『ヴォイツェク』のテクストを複数のパフォーマンスに分解しながら、ひとつの物語を作り上げる。
 そのきっかけとなる「見世物小屋」のシーンは、テレビのバラエティ・ショー風に仕立て上げられている。ビュヒナーの原作では「道徳」と「畜生的理性」の概念解説にすぎなかったこのシーンは、クレチェフスカの演出によって明白な劇中劇として機能することになる。テレビ・ショー風の会場に、素人出演者を模した「猿」の着ぐるみをかぶった人間と「あほの」カールが登場する。「猿」と「カール」は本能的に恥を知るゆえにヴォイツェク以外の登場人物によって嘲笑の対象となる。ヴォイツェク以外の登場人物たちは、彼らをあざ笑いつつ、熱狂的に手を叩き囃し立てながらこのテレビ風ショーを眺めている。マリーはこの場に戸惑いながらも、やがて隣人の馬鹿騒ぎを真似る。嘲弄を逃れるためには、自らこの馬鹿騒ぎに加わらなくてはならないからであり、彼女はそれを選択するわけである。見世物の観察者たちは、自分たちが正真正銘の人間であり、道徳を持ち、理性を持っていると確信している。しかし、劇場建築によって確保された「安全な観客席」にいる私たちにとって、この欺瞞は明らかなところである。
 マヤ・クレチェフスカは、この「見世物」を起点として鮮やかにテクストを展開してみせる。やがて鼓手長の手におちるマリーにスポットを当てながら、見世物を反乱させていく。はじめにマリーを高価な贈り物で堕落させたのは鼓手長の方であるが、鼓手長を欲望の対象と受け入れたマリーは彼の視線をひきつけ続けようとする。冒頭での見世物小屋の場面と同様に、マリーはクラブで踊り、鼓手長のもとにはべる裸同然の女たちの輪に「加わる」ことを「選択」する。それは同時に、クレチェフスカのジャンクの一要素と化すことも意味する。
 一方、妻を寝取られるヴォイツェクの筋は、マリアとの不恰好な痴話げんか、鼓手長とその手下のチンピラとの乱闘という「見世物」として実現され、物語を終結に導く。
 物語の最後、ヴォイツェクとマリーが連れ立って森へ行くシーンで、舞台装置は観客にドラスティックなパースペクティヴの変化を呈示する。舞台中央の人工緑の舞台背景に、たわむれながら音をたてて張り付いたヴォイツェクとマリーは、一瞬にして、演劇ではめったに実現されない空からのパースペクティヴをもたらす。悪徳と混乱を極めてきた舞台での一瞬の休息。ただ「美しい」と形容するだけではもったいないので、多少飛躍しよう。空からの視点は、神の視点。神の視点は、小説における三人称の視点でもある。それまで視線の反乱によって生み出されてきた見世物の反乱はこの場面では、この超越的な視点によって収束を見せる。一旦始まった舞台は、終わらねばならない。クレチェフスカは、この舞台をパフォーマンスでなく散文として終わらせることにした。
 聖家族の画を背にした薄く水の張った小川、ここで水遊びをするかにみせかけながら、突如静かに殺意をむき出しにしてマリーを水に沈めるヴォイツェク。私たち観客は、舞台奥にかかった一枚の透明な幕を通してこの光景を眺める。まるで平坦な、絵を眺めるように。それに続く、乳母車に向かってつぶやく老女の、詩そのものの言葉。今はじめて、クレチェフスカは観客に向かってビュヒナーのテクストそのままに語りかける。

 『むかしむかし、それはかわいそうな子供がいたんだよ、お父っつあんもおっ母さんもいなくてね、みんな死んでたんだよ、この世にはもう誰もいなかったのさ。みんな死んでたんだよ、だからその子は出かけてって、夜も昼もさがしたのさ。だがね、この世にはもう誰もいなかったので、その子は天にのぼろうと思ったんだよ、するとお月さまがやさしく照らしてくださった、やっとその子がお月さまのところへ来てみるとね、それは腐った木のかけらだったのさ、こんどはお日さまのところへ行こうとした、その子がお日さまのとこまで来てみるとね、それは枯れたひまわりだったのさ、こんどはお星さまのとこまで来てみたら、それはちいちゃな金色の油虫だったのさ、まるでもずがすももの棘にさしとくように、串ざしになっていたんだよ、仕方がないのでまた地上に帰ってみるとね、それはひっくり返った壺だった、だからその子はほんとにひとりぼっちになって、そこに坐って、泣いたんだよ、いまでもその子はそこに坐って、ほんとにひとりぼっちでいるんだとさ。』

 クレチェフスカは、美しい舞台装置を用いて観客を劇場へと誘いながら、その空虚さでもって観客を裏切り、かわりに彼女の読み込んだ戯曲を誠実に物語ろうとする。

ひとり海外演劇上演情報データベース化着工に際しまして

2006年04月11日 17時03分38秒 | Weblog
日本にいると海外の演劇の情報集めるの大変だと思いませんか。
まあ、ちょっと寄ってく的な地理的・経済的条件が日本列島にないのでしょうがないですが。
国際的な演劇祭があっても、毎年かわらぬオーガナイザーの趣味でマンネリ化してたり、ひとつの演劇用語が翻訳の問題から難解な言説になってしまう日本の土壌(実験場としてはある意味おもしろいですけど、実地の上演と乖離した誤解をはぎとるの、大変ですねえ)に飽きた方、大歓迎です。

情報を集めること、お互いの耳目を肥やすことがさしあたっての目的です。いくらおもしろいってもひとりじゃ全て観きれませんよね。もし何かのお役に立てるのならばどんどん役立ててください。
ちなみに私は地域研究をしている人間ではありませんが、ポーランド演劇を研究するために今ここにいるため、ポーランドを中心に紹介していくことになります。でも欲張りなんで、他の土地や日本でどんなものをやっているのか、同時に知りたいです。金があったら日本に飛んでかえりたい。
おもしろいものみたら、箪笥のこやしにせず、がんがん書いてってもらえると本望です。

ちなみに、海外演劇上演情報データベース化というのは、私が以前バイトしていた某演劇博物館の業務名ですw
いつ誰が使ってくれるのかもわからないけれども貴重な資料を整理するというしぶい仕事を非常に気に入っていたため、タイトルに拝借しましたw
(帰ったらまたやりたいなあ・・・)

ではでは、何かご提言等ございましたら喜んで承ります。
以後よろしくお願いいたします。