今朝、学童のYくんに「なんで地震の日に幼稚園にきたの?」と聞いてみる。Yくんは1日の夜、たくさんの人に混じって幼稚園に来た一人。「大津波警報が出たから小丸山公園に上がって、すごく寒くて」「誰かが七尾幼稚園には入れる」「七尾幼稚園に行こう」って言ってたから、家族でついていった」
最近になってようやくそれぞれがあの日どうだったかよく語り合う。
午前中、災害時の行動について調べる目的でいらした方と話をする。なぜ臨時の避難所ができ、なぜ比較的早く園が開けられたのかと言う問い。いろいろ話をしたがどうもしっくりこない。その時にはうまい言葉が見つからなかったけれど、結局、自分たちは、この園のことをよく知っていたからと言うことに尽きる。園の建物の事、園にあるもの、園の設備、そして園の教師たちや子どもたちのこと。だから避難してきた人がいれば対応できたし、避難所を終わって幼稚園の再開するのも難しくない。
午後は七尾市内でも大きい規模の避難所でまとめ役の一人だった人と立ち話。大きい避難所は本当に大変だった。
とにかく誰も、元日の大地震なんて想定していない。マニュアルだとか避難訓練だとか言っても、元日を想定して作ったやつはたぶんない。その中でそれぞれできる事をした。今回、計画通りできたとかマニュアル通りやったという人は嘘っぽい。というか現場にいなかった人だなと思う。
夜ニュースを見たら、避難所のトイレのことが国会で質疑されていた。これも正解はない。断水中をどう潜り抜けたかはそれぞれ違う。一つの正解ではなく、幾つもの選択肢が用意できる社会であってほしいと願っている。