日本基督教団 七尾教会

能登半島にたてられた七尾教会の日々です

一つの正解ではなく

2024年03月27日 | 2024能登半島地震

今朝、学童のYくんに「なんで地震の日に幼稚園にきたの?」と聞いてみる。Yくんは1日の夜、たくさんの人に混じって幼稚園に来た一人。「大津波警報が出たから小丸山公園に上がって、すごく寒くて」「誰かが七尾幼稚園には入れる」「七尾幼稚園に行こう」って言ってたから、家族でついていった」

最近になってようやくそれぞれがあの日どうだったかよく語り合う。

午前中、災害時の行動について調べる目的でいらした方と話をする。なぜ臨時の避難所ができ、なぜ比較的早く園が開けられたのかと言う問い。いろいろ話をしたがどうもしっくりこない。その時にはうまい言葉が見つからなかったけれど、結局、自分たちは、この園のことをよく知っていたからと言うことに尽きる。園の建物の事、園にあるもの、園の設備、そして園の教師たちや子どもたちのこと。だから避難してきた人がいれば対応できたし、避難所を終わって幼稚園の再開するのも難しくない。

午後は七尾市内でも大きい規模の避難所でまとめ役の一人だった人と立ち話。大きい避難所は本当に大変だった。

とにかく誰も、元日の大地震なんて想定していない。マニュアルだとか避難訓練だとか言っても、元日を想定して作ったやつはたぶんない。その中でそれぞれできる事をした。今回、計画通りできたとかマニュアル通りやったという人は嘘っぽい。というか現場にいなかった人だなと思う。

夜ニュースを見たら、避難所のトイレのことが国会で質疑されていた。これも正解はない。断水中をどう潜り抜けたかはそれぞれ違う。一つの正解ではなく、幾つもの選択肢が用意できる社会であってほしいと願っている。

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98.7

2024年03月26日 | 2024能登半島地震

七尾市の水道、通水済が98.7%になりました。

園児の家庭は皆通水済み。ところが残念ながら職員一人がまだ断水中。

「もう最後の一人を目指します」と笑う。もう笑うしかないのです。3月中といことなので、あと3、4日。

 

和倉温泉の総湯が再開するなど、いろいろなお店の再会情報が流れる七尾市。

ただ一方で、まだ再開していない店はもう廃業してしまうのかと言うウワサが流れてきます。再開するのかしないのか、何らかの意思表示が求められる局面にきています。

昨日からの雨で幼稚園は今日も雨漏りです。

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⒊25→1.1

2024年03月25日 | 2024能登半島地震

今日は3月25日。2007年の能登半島地震が起きた日である。あの日は日曜日。教会学校の生徒と一緒にいる時に地震が来た。

 

今日の新聞にはいくつか2007年によく話題になった人々のその後が出ていた。2007年に妻を亡くした方は、今度は家が半壊。他にも2007年の地震後、修理した家が全壊と言う方もいた。

地震の後にもう一度同じような地震が起こるとは考えたくない。余震が少なくなったら、これでいいかと修理して終わる人の方が多い。

2007年の時、七尾教会が建て直しの決断ができたのは、ちゃんと設計士さんに診断してもらったからだ。

建物がブロック造で、盛り土の上に立っていること。もしももう一度強い余震かあれば崩れる。

自分はあの時、礼拝堂を次の世代に残すためには今建て直さなくてはいけない、と教会員に語りかけた。もしもの時はあるかもしれない。ないかもしれない。60代以上の教会員にとってはけっこう大変だった。

中越地震の後、同じような所でもう一度中越沖地震があったことで、地震はいつどこにあるかわからないと言う思いが強くなった。自分は中越沖地震が起こった瞬間がいちばん恐ろしかった。

 

2024年1月1日。もしものまさかは、2007年よりはるかに大きな地震だった。気象庁も地震学者もこんな事予想していなかった。教会の周りのブロック塀はみな倒壊。ブロック造らしい建物の壁は落ちていた。もし、2007年の時にもしもはないと思っていたら、今回は全倒壊しただろう。

 

それでも今回もまたそれなりの修理をしなくてはいけない。もう工事は嫌だなと正直思うが、やらなきゃいけないんだろうな。

 

七尾の人たちが今思っていること。3月25日には過去の地震を振り返る番組はあったけど、来年の1月1日にはお笑い番組しか流れないんだろうなということ。

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一人一人との会話から

2024年03月24日 | 2024能登半島地震

昨日は幼稚園卒業式で、職員は一応礼服を着る。私も昨日の朝、久しぶりに礼服を出したが、そこで気づいたのは礼服用の下着や靴下は倒れたままのタンスの中だということだった。まあいいやと手に届くところにあるので間に合わせることに。

と言うことは、半壊の家の職員はどうしたんだろう聞くと、偶然年末に法事があって、親族の家に置いてあったという。でもコサージュとかは家のどこにいったのかまだわからないという。ほかの職員も、あれが取れないこれがまだどこにあるかわからないと会話が続いた。少しずつ整頓しながらの片付けるなので人に頼めず時間がかかる。

 

さて教会員の一人は全壊の家の片付けをしようとボランティアをお願いしたそうだが、危険度判定で赤だったので、家の中に入ることはできないと断られたそうだ。 七尾では片付け中にブロック塀に挟まれて死亡すると言う事故があってから慎重になっている。

ニュースではボランティアさんためのテント村七尾できたと報じている。本当にしてほしい事をうまくしてもらえると先に進めるのだが、それが難しい。

 

七尾では水道の復旧が進み、あと3%なった。たぶん明日最後まで断水だった職員におめでとうと言えるだろう。水が出るたびに、おめでとうよかったねと喜び合う日々がようやく終わる。ただ通水しても家の中の配管が壊れてて、水が使えないと言う人も多いからちょっとしんぱい。

 

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神共にいまして

2024年03月24日 | 2024能登半島地震

進学のため七尾を離れるOくん。小学生頃から教会学校に来ていた。弟が七尾幼稚園に入園してしばらくしてから、お母さんが実はクリスチャンなんですとカミングアウト。転入会。そして兄弟で教会学校へ。去年のクリスマスに受洗。そして進学。

 

今日は、あえて かみともにいましてを歌わなかった。

 

何人の若者を送り出したことだろう。小さな教会にとっては一人一人との関係は特別である。でも大都会にいくとそうはいかない。なかなか教会に結びついていかない。

数年後七尾に戻ってももう教会には戻ってこないと言う場合が多い。

またいちばん多いのは、そのまま都会に住むと言う選択だ。都会の教会に繋がってくれればいいが、それは稀である。

ただ数十年後に教会につながると言う人もいるから、神様のご計画はわからない。

 

送り出したうち、2人が戻って、現在長老になっている。一人が会計長老の仕事をしている。今年度の会計をどう締めるか、頭を悩ませている。

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3月24日 主日礼拝

2024年03月24日 | 2024能登半島地震

10名の出席でした。

礼拝後、進学のため七尾を離れる兄弟が、今週出発することが報告されました。

 

最近恒例になっているのが、見舞いにいただいたお菓子を少しずつ教会のみなさんに配ること。今日は長野の「雷鳥の里」と言うお菓子。どこの地方のお菓子かわかると、遠くの兄弟姉妹とつながっている感じがして、祈られていることが伝わって、心があたたまります。

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3月24日 教会学校

2024年03月24日 | 2024能登半島地震

小学生1名、中学生1名の出席でした。

 

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第108回 修了証書授与式

2024年03月23日 | 2024能登半島地震

卒業式、正式には、第108回修了証書授与式である。

七尾幼稚園は1916年10月10日に正式に幼稚園として認可された。

そこから108回。くだらない質問をする人は、何人卒業したのですかと言う。そんな数字はどうでもいい。青山学院に何人卒業生いるんですか?と聞くかな?人数で評価されたくはない。108回、ここ能登の地で続いている事を評価してほしい。というのは、自分がみてきたこの40年弱でも少なくないキリスト教保育の園が閉園されたからだ。

さて、今年も親子二代の卒業生がいた。この子のお母さんにも修了証書を渡したな…と思う。30年以上前。

地域に根ざす、とはこんな時間がかかる。5、6年で人が変わっては顔も覚えてももらえない。人の入れ替わりがあるのが当たり前の東京とは違う。

 

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明日は卒業式

2024年03月22日 | 2024能登半島地震

明日は、七尾幼稚園第108回修了証書授与式です。

1月1日から事を思うと、明日この卒業式ができることがただ嬉しい。

他の多くの能登の学校と同じように、準備はバタバタだったけど。

1月から一緒に頑張ってきた年長さんとは同志のような存在だ。できる限りのことを先生たちと一緒に準備してきた。ふだんなら一週間前に終わっている事を今日やっていたりと大騒ぎの一日だった。

 

新聞では、集団避難していた輪島や珠洲の中学生も地元に戻った事を伝えている。また小中学生の転校も多い。3月末には多くの子が能登を出てしまうかもしれない。

 

七尾幼稚園の子どもたちがどうなっていくか…卒業式の聖書の箇所は、光の子として歩みなさい。讃美歌は、主我を愛す、である。

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近県だからこそ

2024年03月21日 | 2024能登半島地震

午後、富山のある教会の教会員が志賀町でもボランティアの帰りだと教会に寄ってくれた。

でもしばらくはなしていると、やっぱりまた違和感を覚えた。あの日、富山もそこそこ揺れたので、その延長線で考える。あの揺れのひどいのが能登に起きたという考え方。

でも、ちょっと違うんだ。前に他の富山の教会の人にも説明したんだが。うまく言葉にできないけれど。

壊れた建物が多いから地元の建築業者が潤うでしょうという言葉には、悲しくなった。確かに工事依頼はいっぱいだ。1月から大忙しだ。でも苦悩している。本当はこれだけかかるけど、それをよく知っている人に言えるか。工事の順番待ちも激しい。すぐなんとかしてあげたいと思っても、仕事が多すぎる。

でも説明しても理解できなそうだったので、やめておいた。所詮、県庁所在地の人にはわからないと思う。

そこに関係園の園児募集の話をされても…(どうして北陸部会の園関係者はこんな時にそんな話をするんだ、3人目)

明後日卒業式。まだできてない仕事が山なので、今日は夜中までしごとしないと。

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