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マダムnihaoのフレッシュ搾りたてブログ。お気軽にお立ち寄りください。

寺山食堂

2014-07-08 08:00:00 | グルメ
        

                       [寺山食堂]

寺山食堂とは青森県三沢市観光協会が主催する食のイベント名です。
かって三沢市の駅前にあり子どもだった修司がよく通ったのが寺山食堂(伯父が経営)
市内5店舗が参加、修司の逸話や好物と地域の特産物を組み合わせたスペシャルメニューを考案しています。
↑こちらは三沢シティホテル内の松喜食堂のカレーライスです。

寺山修司はコーラといっしょにカレーを食べるのが大好物だったそうです。
香りとコクの深いカレーに冷たいコーラは確かによく合っていました。
お肉が口の中で溶けてしまうほどの柔らかさで、しかもステーキ2枚分はありそうな量、ライスも大盛りでした。

三沢市の食による町おこしにはとても興味深いものがあります。
12月から3月までの期間は、市内30店舗以上の食堂が各店オリジナルのホッキ丼を提供しています。

    
             


生あり煮たり揚げたり炒めたのありと実にバリエーション豊富です。
各店舗で競い合っているせいか、どこのホッキ丼も大変美味です。
三沢市は温泉の宝庫でもあり、この近辺にはよく遊びに来るので一昨年は3カ所、昨年は5カ所のホッキ丼を戴きました。

そしてこの度の異才・寺山修司と食をコラボした寺山食堂の再現。
カレーの他にも、競馬に行くときに必ず食べたという「蕎麦とカツ丼セット」とか
海外遠征で劇団員と共にパスタで作って食べたという「天井桟敷ラーメン」とかのメニューがあるそうです。
大食漢として知られる寺山修司。
寺山修司記念館を見学した後は、頭上遥かな米軍戦闘機の轟音を聞きながら基地のある街を散策し寺山食堂を探す・・・
彼の才能と偉業と人となりをより身近なものとして学び感じることができるイベントです。


 昭和十年十二月十日に 
 ぼくは不完全な死体として生まれ 
 何十年かかって 
 完全な死体となるのである

                   by寺山修司「懐かしの我が家」

カレーを食べながら、ふとこの詩編を思い出しました。

比喩と言える詩句はないのに、なんと深く研ぎすまされた感性なのかと驚かされます。
生まれながらにしてネフローゼ症候群という持病があり、常に死と隣り合わせで向き合って来た人生。
自らの生を不完全な死体と自覚することで、より強くよりいさぎよく生きていくことができたのでしょう。
大食漢であったこともまた限りない生への渇望と執着であったのかもしれません。
十代で歌壇へのデビューを果たし、その後生き急ぐかのように詩、小説、演劇、映画とマルチな才能を発揮して時代を駆け抜け47歳で壮絶なる生涯を閉じました。

寺山食堂というこの発想の意外性。寺山ビジネスなどと言うなかれ。
食を通して誰もがごく自然に寺山修司を感じとることに大きな意味があると思います。



              ★         ★         ★



無理矢理というか、ついでに『孫にも衣装』の報告も。


         


 今回はともしびちゃん(孫・仮名)の夏のワンピースを4着作りました。
これだけあれば今年の真夏のワードローブは完璧!
こんなにも楽しく夢のある時間を与えてくれるともしびちゃんに感謝です。

            





存続の危機

2014-06-19 09:00:00 | 中国語




盛岡市中央公民館の睡蓮がきれいです。
梅雨のぐずついた気分を一掃してくれる気持ちのよい景色。
この日本庭園は、移り行く季節ごとに様々な表情 を見せて楽しませてくれます。
私にとっても10年以上慣れ親しんだ場所ですが、これからは訪れる機会も少なくなるかもしれません。

ついに我らが中国語倶楽部も存続の危機にさらされています。
それぞれの会員たちやその家族の体調の変化、健康面の不安が表面化してきました。
転びやすくなったり、耳が遠くなったり、風邪をひいても治りにくくなったり、記憶力が衰えたり、老老介護が始まったり・・・
忍び寄る高齢化の脅威が止まりません。
このような現象は、なぜか一気に伝染・流行する不思議な力を持っています。
最近では若手御三家(自分たちで勝手に名付けているだけ)以外は全員欠席の日が目立っています。

日中関係の悪化とともに民間の中国語熱も急速に冷えている傾向にありますが、政治と文化(言語)は別問題と頑張ってきました。
でも望むと望まざるに拘らず、いよいよ我が倶楽部も終息の時期を迎えつつあります。
来し方行く末に思いを巡らすととても複雑な気分です。

ひところは市内にもたくさんの中国語倶楽部がありました。
あちこちで中国人や中国語学習者による研究発表会や交流会などが開催され大変賑わっていた時期もありましたが、数年前からピタッと音沙汰がなくなりました。
中国人留学生さんの減少も目立っていましたが、ところが最近また確実に増えはじめてきているのです。

「日本人に中国語を教えたいのですが」
時々私のところにも留学生さんたちからの問い合わせがあります。
世界各地に星の数ほどもある大学の中から岩手の大学で学ぶことを選択して来日した留学生さんたち。
きっと中国語を通して自国の歴史や文化や習慣への理解を広めていきたいと考えているに違いありません。
「盛岡には今は中国語を学ぶ団体はありません」
と言わなければならないのはあまりにも残念です。

せめて我が倶楽部だけでも中国語の灯を消さないようにと努力してきましたが、しかしもう限界か。
現在の講師が9月に卒業して帰国するので、それまでに存続か廃止かをじっくり考えて結論を出そうと考えています。



誠に恐縮ですが話題は突然変わりまして・・・

             


山菜の代表格のワラビですが、最近売られているのは畑で栽培されているものばかり。
山菜というよりは太さも長さも規格揃いの野菜になってしまいました。
その分苦みも少なくなって食べやすくなってはいるのですが。

ところでワラビにはきれいな緑色と黒っぽいのとの二種類↑があることに最近気がつきました。
私はいつも料理の彩りを考えて、きれいな緑色の方を選んで買い求めていたのですが
「なぜ色が違うのか。どちらの方が美味しいのか」
ついに気になって産直の店員さんに教えを請いました。
すると驚きの答が返ってきたので(私が無知だっただけか?)、皆様もなにかの参考になさってくださいませ。

 「日向のワラビは緑色が濃く日陰のワラビは黒っぽい。味は日陰のワラビの方が断然美味しい!」


            

                 nihao家のワラビ定食です
         (ワラビご飯・ワラビの甘酢漬け・ワラビと生姜と人参の麺つゆ和え)






ともしびちゃんが来た!

2014-06-04 09:00:00 | Weblog
先週の月曜日、早朝
「今日これから、ともしび(孫・仮名)と新幹線で帰るから!」
と娘から電話がありました。

すわ一大事! 結婚以来一度もひとりで帰省したことのない娘です。
夫婦喧嘩でもしたのかと心配しましたが、仕事の打ち合わせが盛岡であるとのこと安堵いたしました。
2・3日の滞在予定が、気がついたら1週間の長逗留。
ともしびちゃんとたっぷり遊ぶことができました。嬉しい誤算です。
突然の予想外の孫との対面に、婿殿のご両親もご満悦でした。

さて、ともしびちゃんを温泉好きの子どもにしようと目論んだオットー。
毎日夕食後はみんなで近くの温泉に出かけて過ごしました。
神妙な顔でお湯に浸かっていたともしびちゃん、果たして気に入ってくれたでしょうか?
「おじいちゃん、温泉に連れていって!」
もう少し経ってそんな愛らしいことを呟いたなら、オットーも大いに相好を崩すことでしょう。


実は私には、娘たち夫婦の帰郷の度に悩んでしまう問題がひとつあります。
それは・・・滞在期間中の実家・婚家への宿泊日数の配分で、これが結構な難問なのです。

(1)両家に公平に配分すべきか?
(2)婚家の方の配分を多くすべきか?
(3)妻の実家の方の配分を多くすべきか?
(4)せっかく帰ってきたのだから全部実家に配分すべきか?


子どもたちの意思を尊重して好きなようにさせるとよいのでしょうが、結婚後、このスタートラインを間違えて不仲になった嫁、姑はたくさんいます。
最近では夫の実家のことを義実家などと呼び訪問を嫌がる嫁が増えているそうですが、この程度のストレスを道連れに結婚生活を送れないようでは大人の女性にはなれません。
各家庭によって抱えている事情は異なりますが、縁あって親戚になった婿殿の実家とは不要なトラブルを抱えたくはありません。
ここは嫁の実家が婚家を気遣い、適切な判断をしてうまくまとめるべき問題ではないかと思うのですが、私も理性と感情の狭間で揺れることが多々あり、正解が見つからないのが現状です。

「結婚した息子が嫁の実家の近所に住み、嫁の母親に孫の面倒を全部任せ、実家には全然顔を見せない。」
と嘆いている母親たちが私の周囲にもたくさんいます。
嫁の実家だけがこのような特典(かどうかはすこぶる疑問)を与えられてよいわけはありません。
一体ベストな方法はどれなのでしょう。

今回は婿殿不在だったので、娘は婚家には遠慮して宿泊しませんでした。
当人はきわめて自然流に振る舞って時々婚家に顔を出してはいましたが、あちらのご両親はもっと孫と一緒の時間が欲しかったのではないか、はたしてこれでよかったのかどうかはちょっと気になりました。

ともしびちゃんが誕生する前の娘たち夫婦は、帰省の折には日中はそれぞれの実家を行き来して過ごし、夜になったら別々に別れて自分の家でリラックスするという画期的(?)な方法を編み出しました。
そんなやり方があったのかと、我ら古き親世代を驚かせたものですが、慣れてみれば確かにこれは大変合理的な方法でした。
今まではそれでよかったけれど、しかし今後は両家においてともしびちゃん争奪戦が勃発するかもしれません。

一体どうすればよいのでしょう?
何かよい考えはないかとそれとなく訊ねてみたら、娘はいとも簡単に言ってのけました。

「私たちはそれぞれの実家に。ともしびだけ交互に両家を移動したらどうかしら?」

ああっ! これはまたなんと斬新なアイディアでしょう。
我ら古き親世代には絶対に思いつかない方法です。
現代の若者たちのライフスタイルはかくもクールであります。





           


               [盛岡市動物公園に行きました]






岩牡蠣に苦しむ

2014-05-22 09:20:00 | グルメ

          



我が家の食卓に岩牡蠣が上る季節となりました。
と書くと、なんだかいつも食べているような誤解を与えてしまいますが、実は初めてです。
面倒なことになるとは予測もつかず、安かったのでつい買い求めてしまいました。
震災以後やっと市場にも三陸の貝類がたくさん出回るようになりました。
ホッキ貝ホヤも安くなり嬉しい限りです。

冬に食べる牡蠣をマガキ、夏に食べる牡蠣をイワガキと言います。
牡蠣は「一旦岩などに付着すると、一生ほとんど動かないため、筋肉が退化し内蔵がほとんどを占めている(by Wiki)」らしいのです。
ああ、岩牡蠣は私の人生(暮らしと習慣)になんと似ていることでしょう。
そこはかとなく親近感を覚えます(いや、それではアカンのですが)

電子レンジでチンして、シンプルにポン酢で頂くことにしました。
磯の香りいっぱいのふっくら、つるんとした大ぶりの乳白色の身を想像すると甚だしく食欲が増してきます。
ところが熱を加えればホタテのようにパカンと殻が開きすぐ食べられると思ったのに、牡蠣は相変わらず固く口を閉ざしたままなのです。
さてどうしたらよいのでしょう。
私はホッキ貝もお店で処理をしてもらうほどで、自分ではやったことがありません。
小刀は持ったものの、どこに差し込んだらよいのか見当もつきません。
これは男の仕事です!

短気で不器用なオットーに任せたのが間違いでした。
思えば若い頃、彼のどさ回りの地は山間部ばかり。
海辺の町では暮らしたことがないので、魚介類に関する知恵も知識も全くありません。
空腹マックスの男はだんだん不機嫌になり
なぜか小刀をドライバーに持ち替えて貝の殻を叩き始め、その破片は台所の床一面に散らばり、
岩牡蠣は蓋を開けるどころかますます意固地になり、エキスは霧散し、挙げ句無惨な姿に・・・
とっておきのワインも開けるつもりだったのに、精魂使い果たし疲れきった我らです。

私はふと、古い映画の有名な一節を思い出しました。

 …どうしても生まれ代わらなければならないのなら、私は貝になりたい……

もし生まれ変われるのなら一切の人間関係のしがらみを遠ざけ、戦争も徴兵もない深い海の底で静かに生きたいという、無実の罪で囚われて戦犯となり死刑宣告された主人公が最後に到達した境地です【私は貝になりたい
なんと寂しく強く哀しい思いでありましょう。
岩牡蠣もまた、何者をも寄せ付けない強靭な魂の持ち主と見ました。

オットーからは「二度と殻付きの牡蠣は買ってくるな!」と、理不尽な約束をさせられました。
また一歩グルメの食卓から遠のいた我が家です。



さて『孫にも衣装』シリーズのご紹介。
ともしびちゃん(孫・仮名)のことを忘れて別世界旅行をしていたことを反省しながら作った夏用キュロットスカート二点です。
右側のフリルいっぱいのスカートは難しくて、完成までかなり頭を悩ませました。


     





60日間世界一周旅行

2014-05-10 09:40:00 | Weblog
長い間無断でcafeの方休業しておりました。
さては病気か?入院か?死んでしまったのか?」とメールをくださった方もおり、
実はそのメールもPCの不調で読めなかったりと、あちこちに大変ご迷惑をおかけして申し訳ございませんでした。

皆さまがたには内緒にしておりましたが、この間nihaoは世界一周旅行に出かけて留守をしておりました。
「またいつもの冗談に決まっている!」「もう絶対に騙されないぞ!」「そんな金あんのか?」
かまびすしい皆様方の声が聞こえて参りますが・・・いや、これは事実なんです。嘘でも夢の話でもありません。
以前から計画していた訳ではないけれど、突然格安の『60日間世界一周旅行』のお誘いがあり、体調もよかったので元気なうちに参加しようと急遽決心した次第です。

格安ツアーだったので貯金をかき集めれば夫婦揃って行くことは出来たのですが
オレはいい。おまえひとりで行ってこい!
珍しくオットーが遠慮してくれました。ホッ。
私にとっては、心地よい孤独感と開放感を満喫する最高の旅となりました。


実のところ今年度不運にも我が家には、17年に一度の自治会班長の当番という大厄、じゃなかった大役が回ってきました。
市の広報の配布、自治会費や共同募金の集金、回覧板の回収とかなかなか忙しく、60日間も家を留守にすることは絶対的に無理でした。
そこで今回はオットーの犠牲的精神に甘えることにいたしました。
この機会を逃したら、二度と世界一周旅行など出来ません。
人生には思い切った決断が必要なのです。

友人たちは、老いた夫を二ヶ月間もひとりにして平気で遊び歩く私に呆れ顔でした。
留守中オットーの体調が急激に変化することも考えられます。
私とて決して心たいらかなる旅立ちなどではないのです。
皆さ~ん、オットーをどうかよろしくお願いします!
涙まじりの声で頭を下げてお願いはしたものの、友人たちの反応は冷ややかでした。
しかしすぐにオットーのことはきれいさっぱり忘れてしまいました。
それほど楽しくスリリングな魅力に溢れたツアーだったのであります。

今回の格安世界一周旅行では、もれなく五大陸を回りましたが、ヨーロッパやアメリカ合衆国には寄りませんでした。
普通の旅行であるならば決して行かないオーグリードプクランドウェナエルトナドワチャッカなどの神秘と謎に満ちた地域を訪ねるのがこのツアーの一番の売りだったのです。
どうでしょう。これらの国の名前をお聞きになったことがありますか?
世界の秘境と言われている地ばかりなので、飛行機や豪華客船を利用するわけにはいきません。
筏(いかだ)に乗せられたり砂漠やジャングルの中を長時間歩かされたりしたこともありました(だから格安?)
外的危険には自分で対処しなければならないので、胸には常に護身用の短剣を忍ばせておりました。

ああ、しかし、かの地の風景のなんと息を呑む美しさだったことか。
動物園にはいないような鳥や獣たち、植物図鑑にも載っていないような珍しい花や樹木もたくさん見ました。
今まで一度もテレビでは報道されたことのない不思議な種族とも交流を持ちました。
その中には屈強な肉体を持ち、いまだに闘いを好み力を尊ぶ民族(オーガ)もいれば、歌と恋に生きるエレガントで感受性豊かな民族(ウェナ)もおりました。
世界には私の知らないことがまだまだたくさんあるのです。

私は毎日、疲れも知らずどん欲にこの旅を楽しみました。
朝は早くに目が覚めて、夜はぐっすり眠れました。
正直こちらに戻って来るのが嫌になり、このままオーグリードかエルトナに永住してもよいと真剣に考えたほどです。
でも結局帰ってきました。後ろ髪引かれる思いでした。

さて以上がnihaoの60日間世界一周・・・ん? も、もとい 60日間世界一周旅行ドラゴンクエストX・目覚めし五つの種族】の顛末記です。
年甲斐もなくオンラインゲームの別世界に夢中になり正気に戻るのに時間がかかってしまいました。
ご心配おかけしてごめんなさい。











一日三善

2014-03-12 16:45:00 | Weblog
普段から人様の為になる善行よりも、ご心配やご迷惑をかけるような愚行はしないようにと心がけて暮らしております。
しかし何が善行で何が愚行であるかを判断するのは大変難しいことです。
 (反対語辞典では善行の反対語は悪行ですが、どう考えても悪行とは無縁。ここでは愚行という言葉を使います)

善行は人様のためにするよりは、自分が幸せになるためにすることであるのは確かです。
ちょっと前のことですが、私、何だか一日中気分の良い日がありまして・・・
考えてみましたらその日どうやら、一日三膳、じゃなかった一日三善の徳を積んでいたらしいのです。


 【其の壱
いつも行く近場の温泉の脱衣所でのこと、年配のご婦人が裸のまま有料ロッカーの前で悪戦苦闘中でした。
 「どうしました?」と私。
 「このロッカー、百円玉を入れなければ鍵がかからないのでしょうか?頑張ればかかるかもしれませんね」と彼女。
今時、そんな無駄な努力をするお馬鹿な人が存在することにビックリしました。
なにやら百円玉を一枚も持っていないと言うので、ちょっと迷った末に恵んであげました。
迷ったのは百円が惜しかったのではなく、私なら固辞するだろうと考えたからです。
私の行為はお節介ではないだろうか、失礼ではないだろうかと心配でしたが案外素直に受け取ってくれました。 
 「いつか私のこと見かけたら返してくださいね
 「はいはい、ありがとうございます
と笑い合って別れた時、やっと気分が晴れ晴れとしました。


 【其の弐
温泉からあがるとマッサージチェアーを利用しながらオットーを待ちます。
ところがこの日老眼鏡を忘れ、コインを投入したもののリモコンの文字が全然見えません。
新型機器だから取り扱いも複雑で闇雲にボタンを押す訳にもいかないのです。
困り果てていたところ、隣のチェアーに若いご婦人が座りました。
 「すみません。眼鏡を忘れてしまってどのボタンを押したらよいのか全く判りません
思い切ってお願いしたところ大変親切に対応してくださいました。
適当でいいですから」と私が言っても、懇切丁寧に説明しながら設定してくださいました。
もしかしたら、迷惑をかけてひと様の親切心を仰ぐのも善行ではないかと思ってちょっと嬉しくなりました。


 【其の参
家に帰ってしばらくしたら、某新聞社記者が震災後の県民の意識調査のために訪ねてきました。
この日は外気温マイナス6度という大変寒い日で、玄関先の冷気も震え上がるほどでした。
10分くらいかかるけれど是非協力してください」と記者さんに熱心にお願いされ
風邪をひきたくないので「どうぞどうぞ」と暖かい部屋の中に案内しました。
記者さん曰く「あちこちお邪魔しましたが部屋の中にまで入れて頂いたのは初めてです
とても喜んでくださったので私も嬉しくなりましたが・・・しまった!お茶を差し上げるのを忘れてしまったのが心残りです。


さて上記の三つの事柄のうち、本当に善行と言えるものはどれでしょうか?
もしかしたらとんでもない愚行が含まれてはいないでしょうか?
なんだか自信が持てないのです。

私は前回の記事『遠野町家の雛祭り』の中で、遠野駅前の河童像のことを話題にしました。
お気に入りの河童たちに久しぶりに会えると思って喜んで駅に行ったら、河童たちは皆派手なマフラーをさせられていてすっかり雰囲気が変わっておりました。
あれ以来ずっと、河童像にマフラーをすることは善行であるか愚行であるか考え続けております。

例えばどんなに寒いからと言って、またどんなに恥ずかしいからと言って、ミロのヴィーナス像にショールをかけたりダビデ像にパンツを穿かせる行為は許されません。
それと同じようなことが遠野の河童にも言えるのではないかと思ったり・・・
いや、そこまで深刻に考えることもないだろうと思ったり・・・


               

          (ミロのヴィーナス像)         (ダビデ像)










遠野町家の雛祭り

2014-03-03 09:00:00 | Weblog
        
       

 民話の里・遠野市で開催されている町家のお雛様にでかけてきました。

 これは江戸時代中期のお人形。
お内裏さまの位置が逆なのは京風の影響を受けているからです。
お雛様は女の子の固有の持ち物ではなく、代々受け継がれて来た家の財産だそうです。
一切の管理を任される女たちにとっても、それは大変誇らしい仕事であったろうと思います。
またしばし、嫁、姑の深刻な確執の種となるほどの重要な仕事でもあったようです。
以上のことは、お雛様にも負けないほどの美しい語り手である商家の奥様からお聞きしました。

 古さを全く感じさせないみやびな姿は、長い歴史の中で大切に保存されてきたからです。
幾多の政変も飢饉も戦争も震災も、一族の幸も不幸もすべて承知のお人形たち。
どんなことがあっても永遠に変わらぬ雛の微笑みをじっと見ていると、私はちょっと・・・

 ごめんなさい。ああ、なんだかそこはかとなく怖くなってしまいました。
お雛様って時々、薄笑いを浮かべながらまっすぐにこちらを凝視してくることがあるのです。
いえ、そんなことを考えるのは、よこしまで穏やかならざる私の心持ちのせいに他ならないのですが。
そういえば今年もまた埃をかぶった段ボールの中で横たわっている我が家のお雛様。
来年こそは日の目を見せてあげることにいたします。
 


          



 遠野市には至るところに河童伝説が息づいています。
誰もが見たことも捕まえたこともないけれど、どこかにいそうな気がする未確認動物・河童。

 驚いたことに遠野駅前の河童たちは皆、色違いの温かそうな毛糸のマフラーをかけてもらっていました。
県内でも有数の厳寒地である遠野市。
毎年冬になるとマフラーをするそうですが
 「河童がどうか風邪などひきませんように
きっとどこかの親切な方が用意してくださったのでしょう。
私の写真では不鮮明なのでこちらを参考にしてください→マフラーを巻いた遠野駅前の河童



 ここの河童は、遠野市内によくあるいたずら好きの愛らしいマスコットキャラクターの雰囲気はありません。
スリムだけれど力強く、どちらかというと不可思議な力を持つ物の怪とか妖怪のような非日常的存在のイメージの河童です。
初めて遠野駅に降り立った旅人はみな、この異様な河童群像に驚嘆の声をあげるのではないかと思います。
それぞれが抱いていた河童のイメージを大きく変える力があり、民話という摩訶不思議な世界に踏み込む期待が膨らみます。
風刺が効いた立派な芸術作品で、私も個人的に大好きです。


              


 マフラーをしていない時はこんな感じ。
言わなくてもよい(言わない方がよい?)見解かもしれませんが、ここの河童たちに色鮮やかな化繊のマフラーは・・・
ごめんなさい。全然似合わないような感じがしました。

 私の意見は遠野市の心優しいどなたかを傷つけることになるかもしれません。
もしかしたらなんらかの理由や事情があるのかもしれません。

 でももし私がこのカッパ群像の制作者であったなら
そのようなご親切はどうかお構いなく!
と固辞すると思います。

 傘地蔵のお話には感動した私ですが、襟巻き河童のお話にはちょっと違和感が・・・ 
マフラーが目立ちすぎて作品の世界観をだいなしにしてはいないでしょうか?
それにたぶん河童という種族は遠野の寒さなんか屁の河童さ!と言っていると思います。



 




いざ、かまくら

2014-02-20 09:00:00 | Weblog
      


 ソチ五輪も佳境に入りました。
そこで冬期オリンピックを記念して、温かいロシアのスープ、ボルシチを作りました。
たっぷり二日間は間に合うだけの量を作り、炊事を怠けて男子フィギュア(話題としてはちょっと古い?)の応援観戦をしました。


 この真っ赤なスープの色は、赤ワインとトマトジュースとビーツ(赤かぶ)の色素によって染め上げられています。
日本ではフレッシュ・ビーツはなかなか手に入らないので、輸入缶詰を使います。
赤いけれど辛くはなく、ビート(甜菜)なのでほんのりとした甘味があります。

 ボルシチは世界三大スープ(フカヒレスープ、トムヤムクン、ボルシチ)と言われています。
これには諸説異論もありそうですが、nihao家の三大スープ(芋の子汁、三平汁、ボルシチ)であることに間違いはありません。
特に寒い冬にはこの赤いスープが元気の素となります。
ビーツの缶詰さえ手に入ればカレーと同じように簡単な料理です。
フランスパンを浸して食べるととても美味ですよ。

 ところで羽生結弦君って名前も姿もうっとりするほど美しく、いつまで眺めていても飽きないです。
何もできないって感じていたが、金メダリストになれたからこそ、ここからがスタートだと思う
という彼の言葉は被災地復興への道のりに希望の灯りを照らしてくれました。
古里の再生に貢献したいと願いながら、異国で厳しい練習を重ねていた19歳の胸中を推し量ると心が打たれます。
これは金メダリストにしか言えない決意のこもった言葉だと思いました。 



 さて私は、雪の鎌倉・・・いやかまくらに行って遊んできました。
もちろんお隣の秋田県横手市のかまくらです。

 古い歴史と文化のたたずまいを残す落ち着いた町並みながらも、温泉はたくさんあるし、B級グルメ(横手やきそば)でグランプリを獲得するなどという活気溢れる横手市。
『山と川のある町』など、石坂洋次郎の多くの作品の舞台となった町でも知られていて、私の憧憬度No.1の地方小都市なのですが・・・
自宅から2時間ぐらいなので夏にはしょっちゅうお邪魔していますが、日本有数の豪雪地帯なのでさすがに冬期は行きづらい。
折しも全国的に記録的な大雪の被害が発生していたので「いざ、かまくら!」とかなり緊張気味の出陣でした。
途中で孤立しても困らないように、車には当然のことながらスコップや毛布や飲み物や食料品を用意しましたが、結局は全く必要なかったのです。



    
 
        横手城とかまくら                かまくらの中

 かまくらは水神様を祀る小正月行事です。
市内にはあちこちに3mもある雪洞が百基以上作られていて、中には神棚と七輪が置かれています。
夜になるとゆらゆらと灯がともり、綿入れ半纏を着た地元の子どもたちが
 「入ってたんせ」「拝んでたんせ」
などと言いながら、焼き餅や甘酒で道行く人々をもてなしてくれる幻想的な伝統行事です。
夕闇の中に浮かぶ白いかまくらの姿は大変美しくおとぎ話の世界に引き込まれたような感じがします。
私も子どもたちに「入ってたんせ」と誘われたのですが、あいにくこの日はすごく厚着して着膨れしていて・・・

 機敏に座ったり立ったりできなかったらどうしよう?
 足がしびれて狭いかまくらのなかで転んで七輪を蹴飛ばしてしまったらどうしよう?


 などと、いろいろつまらないことで悩んでしまって遠慮してしまいました(たぶん正解)
お賽銭は、神様のためではなくスポーツ少年団などの振興のために使われると聞いていたので気持ちよくお供えさせていただきました。










トイレの紙さま

2014-02-03 10:45:00 | Weblog
 冬だから当たり前なのですがあまりに寒い。室内が全然暖かくなりません。
それもそのはず。ヒーターが故障寸前の青息吐息でした。いえついに壊れてしまいました。
この期に及んで一体何ということでしょう。ああ、ヒーターのいらない土地に住んでみたい。

 避暑の対義語は避寒?
避暑も避寒も、現実の厳しい状況に逆らって快適を求めている訳ですから我がままで贅沢な欲求です。
でも暖かいところに行きたいな、行きたいな、行きたいな・・・そうだ、思い切って南の島に行こう!
 「盛岡より南の島なら福島か?
こんな声が聞こえてきますが、いえ、本当に南の島に行ってきました。


            


           (椰子の木)             (バナナの木)

 植物園で撮った写真ではありません。
急に台湾行きの話が持ち上がり即決断を迫られたので、心もお金も調査(目的地の)もすべて準備不足のまま、気がついたら機上の人となっておりました。
でも台湾もこの時期は一年で一番寒い季節らしく、思ったほど暖かくはありませんでした。 
しかも台湾には暖房という観念が全くなく、ホテルや自動車には冷房設備しかないのです。
民族大移動の春節(お正月)の直前に行ったので、どこも大混雑でした。


         

         故宮博物院              蓮池潭

 
 日本と韓国、中国との緊張関係は一向に改善されませんが、台湾が親日の国であるというのは本当でした。
たどたどしい中国語で道を訊ねると必ず日本語で返事が返ってくるし、困っていると手を差し伸べてくれる人がたくさんいます。
マンゴージュースもお料理も大変美味しかったです。
コンビニもあちこちにたくさんあって、全部セブンイレブンかファミリーマートでした。
故宮博物院も素晴らしい! ぜひもう一度ゆっくり見学してみたい場所です。

 50年間の植民地統治時代があったのに台湾が日本を恨むことがなかったのは、鉄道や水利や発電などのインフラの建設をしたことが感謝されていると言われています。
でもきっと第二次世界大戦後、大陸からやってきた国民党の支配があまりにひどかったから日本びいきとなったのではないのでしょうか。
日本人と知ると、誰もが笑顔になってくれる国なので、心はホカホカ暖まりました。

 それにしても台湾に旅行した友人知人はたくさんいるのに、誰からも教えられなかったことがひとつだけありました。
それは台湾では、トイレで使用した紙を絶対に水で流してはいけないということです。
空港でもホテルでも観光地でも免税店のトイレでも、便器の横にはゴミ箱(蓋もついていない!)が用意されていて、大量のちり紙が投げ捨てられていました。
不潔というか恥ずかしいというか・・・これは私の常識には存在しない習慣だったので、ものすごいカルチャーショックでした。

 なにやら台湾のトイレットペーパーの質が悪すぎ、流すと詰まりやすいのが一番の理由だそうですが、水流や水圧の関係もあるのかもしれません。
オリンピック前の中国のトイレ事情も劣悪だったけれど、まさか台湾の衛生観念もまだこのように遅れているなんて・・・
なぜトイレットペーパーの質の向上の研究をしないのか大変不思議です。
いや、そもそもが排泄という行為に対する考え方に、日本人とは大きな相違があるのかもしれません。

 しかし郷に入っては郷に従えです。
トイレに行く度にちょっと憂鬱な気分にはなりましたが、深刻なお国の事情であるなら協力しない訳にはいきません。
五日間もいるうちにはすっかり慣れてしまって、仙台空港のトイレでもついゴミ箱を探してしまったほどです。
もしこれから台湾旅行をされるなら、日本から高品質なトイレットペーパーを幾つか持参した方がよいかもしれませんね。










スタバ・レッスン

2014-01-21 11:35:00 | Weblog
 20年ほど前のこと、友人との待ち合わせまでの時間がたくさんあったので、ひとりで街なかのカフェに入りました。
これが大きな間違いのもとでした。
店員はいるのに、そして何度も私と視線を合わせるのに、席について10分以上経っても注文を取りに来ないのです。
頭に来た私はついに
ねぇ、ちょっと! 一体いつになったら私はコーヒーが飲めるのよ!!
立ち上がって大きな声で叫びました。みんなびっくりしてシーンとなりました。

 店員さんは格別に驚きもせずしら~っとした顔で言いました。
お客様、当店はセルフサービスでございます。入り口でお好きなものをご注文して戴いてからお座りください
えっ、喫茶店なのに、なんで自分でやらなければならないの?
純喫茶世代の私は、カフェという新時代のコーヒーショップの情報に全く無知だったのです。
私の怒りは矛先を失い、ただ赤っ恥をかいただけ。脱兎のごとくその場を去ったのは言うまでもありません。

 以来カフェが大嫌いになりましたが、今思えば、私のような客への対応のマニュアルもなかったところをみると、カフェの方もまだ発展途上。客もお店も未成熟な時代ではありました。
今はもうどこのカフェも、サービスやマナーの完璧を目指して徹底しています。

 先日ショッピングモールに出かけた時
スタバ・レッスンも兼ねて、コーヒーでも飲むことにするか。
珍しくオットーが言いました。
彼もまた純喫茶世代。私と同じくカフェが苦手な人種です。
お金を払っているのに立ったまま待たされ、自分で後片付けまでしなければならないシステムには多いに疑問を抱いています。
しかし時代の波に乗るためには、それもまた必要であるとどこかで身をもって知ったのかもしれません。

 レジでみんなに迷惑をかけないために、先ず注文するコーヒーを決めてから並ぼうと、少し離れた場所でメニューを読み上げていたのですが、全部舌を噛みそうな名前ばっかりです。
普通のコーヒーはどこにあるの?」 
お洒落な名前の飲み物ばかりで、普通のコーヒーを探すことも出来ません。

 すると店員さんがやってきて、実にさりげなく上手に私たちを誘導してくれました。
おそらく新人高齢者対象のマニュアルのようなものがあるのだと思います。
ちょっと特別待遇。おかげで苦労せずに美味しいコーヒーを戴くことが出来ました。

       

 飲み終わって帰ろうとした時も店員さんがすぐやってきて、食器やゴミの片付けを手伝ってくれました。
セルフサービスを謳ってはいても例外があることは認められているようです(我らは例外だった?)

 列を乱さず粛粛と順番を待ち、難しい横文字の商品名をスラスラと言い、訊かれる前に店内で飲むことやホットであるかアイスであるかやサイズや容器を指示し・・・と、本当は私たち、全部自分たちだけでスタバ・レッスンをやりたかったのですが。
でもご親切、身に染みてありがたかったです。

 マクドナルドのお店にもまだ行ったことがありません。
美味しいのかしら?
味に疑問と偏見がありますが、マクドナルド・レッスンもしなければならないと思っています。
何のためにって?
それはおひとりさまの老後を生き抜くためです。
今後すべての飲食店がセルフサービスになるかもしれませんもの。
どのようなシステムにも対応出来る柔軟な精神を養っておかなければならないと考えているわけです。

 ところで中国語仲間の超熟マダムのひとりが言っていたことなのですが・・・
何を注文したら良いか判らない時は『本日のオススメは何ですか?』と訊けばよいそうです。
なるほど、これはよいことを教わりました。