Luxemburgさんへの手紙

2012年06月03日 | Weblog
なんと、3年半ぶりの更新です。

私の敬愛するブロガーの Luxemburgさんが久々にUPされた記事を読み、なんとなく私も何かを書きたくなりました。うまくまとまるかわかりませんが・・・
生活保護の問題で一人の若手お笑い芸人を叩く現象はほんとに醜いと思います。また、それに関係して日本の最低賃金の低さや、民主党のマニフェストの中に最低賃金の見直しや、派遣労働法制の見直しなど 非正規労働に関する提言ががあったはずなのに捨象されています。その事の方が重要だと思うのですが。それどころか、今の生活保護の金額が高過ぎるという意見まででくる始末です。そうではなくて低賃金をかさ上げすることによって中流層の復活をはかるべきです。
大阪の橋下氏の公務員叩きや、教育文化行政に対する非情さも、それによって低、中流層が恩恵を受けることは殆どないと思いますが、氏が熱狂的に支持されるパラドックスに空恐ろしささえ覚えます。私は今、ドナルド・キーン先生の『白代の過客』を読んでいますが、3.11の東日本大震災後に日本人になることを決意した先生は、文楽等の古典芸能に対する橋下氏の対応をどう考えているでしょうか。私は同じ日本人として恥ずかしく思います。

昨年から国際的な関心事になっているユーロの財政危機にも同じ感覚を持ちます。メディアではやれ、ギリシャ人は怠け者だとか、納税意識が低いとか報道されていますが、ユーロの問題の本質は市場が国家を食い物にしようとしている事ではないでしょうか。新自由主義的政策で儲けを最大化しようとしている連中は、大陸ヨーロッパのこれまでの福祉政策や、労働法制、間接金融を中心とした金融システム、夏休みをきちんと取れることや文化芸術を大切にすること等が、自分たちが儲けるために邪魔だから破壊しようとしてるのではないでしょうか。
また、それに絡んで日本の金融当局は一昨年以来、急激な円高対策として、数度の為替介入を行いました。その総額は20兆とも30兆とも言われていますが、それは輸出型企業へのバラマキの他なりませんが、数兆円の子供手当をバラマキという人間はいても、為替介入をバラマキという人間はいません。普段、市場が大事だ。市場が神だ。という政治家や、エコノミストやメディアの人間こそ、そう言うべきだと思います。

先日、NHKでスイスのローザンヌ国際バレエコンクールの模様を視聴しました。一位になった日本の菅井 円加さんの伸びやかな演技に感動しました。それ以上に痛快だったのは、彼女が通学している和光学園高校の同級生のインタビューでした。私服で茶髪で自由な感じが横溢していました。

若者が大学3年生の時から就職活動しないと、非正規の仕事しかなく、それを自己責任だと叩き、生活保護者を叩き、そういう声ばかりが大きく、文化、教育をないがしろにして、この国はどこへ行こうとしているのでしょう。

私はすっかりくたびれた中年のおっさんになりましたが、若者が伸びやかに暮らし、社会的弱者が尊重される社会を何とか残したいと思います。しかし、最近は途方に暮れるばかりです。


どうぞ、スポンサーを降りてください

2008年11月12日 | Weblog
 政府の「厚生労働行政の在り方に関する懇談会」の奥田碩座長(トヨタ自動車相談役)は12日に首相官邸で開かれた会合で、厚労省に関するテレビなどの報道について、「朝から晩まで年金や保険のことで厚労省たたきをやっている。あれだけたたかれるのは異常な話。正直言ってマスコミに報復してやろうか。スポンサーでも降りてやろうかと」と発言した。
 奥田座長は「ああいう番組に出てくるスポンサーは大きな会社ではない。地方の中小とかパチンコとか」とも述べた。
 これに対して、委員の1人である浅野史郎前宮城県知事は「スポンサーを降りるぞとか言うのは言い過ぎ」ととりなした。(時事)

◆◆◆◆

筑紫哲也氏が亡くなって、いよいよ民放のニュース番組で視聴したい番組がなくなったなあ、と思っていた矢先、奥田碩のこの発言である。
どうぞ、スポンサーを降りてください。
そしたら、秋葉原で事件を犯した加藤被告がトヨタの関連企業である関東自動車で派遣労働者として、どういう扱いを受けていたのか、マスコミは詳細に調査報道をすればいい。スポンサーに気兼ねなんかしなくていいもんね。
あと、こういうニュースもマスコミでガンガン流しましょう。
このニュースもいいですね。
     ↓
トヨタ車体(本社・愛知県刈谷市)が、低賃金の派遣労働者を使いまわす「クーリング」を中止しました。「法の解釈にのっとり、よろしくない」と、違法性を認めました。日本共産党の志位和夫委員長が衆院予算委員会(10月7日)でこの問題を取り上げてから、1カ月もたたずに中止に追い込まれました。(赤旗HPより)

赤旗だけではなく、民放のニュースでも放送できますね。

奥田さん、どうぞスポンサーを降りてください。

ちなみに、私は最近通勤用の自家用車を買い替えましたが、もちろんトヨタ製ではありません。カメラもキヤノンは買わないよ。

 

贋作 泣いた赤おに

2008年07月06日 | Weblog
とある村に若い赤おにがたったひとりで、住まっておりました。
その赤おには、絵本にかいてあるようなおにとは形、顔つきが大変違っていました。むしろ人間にそっくりの姿をしていました。
ほんとうに、その赤おにはほかのおにとは違う気持ちを持っていました。
「私はおにだが、おにどものためになるなら出来るだけよいことをしたい。いや、そのうえにできることなら、人間たちの仲間になって仲良く暮らしていきたいな。」
そこである日、赤おには自分のアパートのドアに立て札を立てました。

「ココロノ ヤサシイ オニノウチデス。
 ドナタデモ オイデクダサイ。
 オイシイ オカシガ ゴザイマス。
 オチャモ ワカシテ ゴザイマス。」

しかし、人間はだれも相手にしてくれませんでした。途方にくれていると、仲間の青おにがやってきました。
「赤おにクン、きみは人間と仲良くなりたいのかい。それならいい手がある。普通の手段ではだめだ。ぼくが人間の世界でひとあばれするから、そこにひょっこりきみがあらわれて、ぼくのあたまをポカポカなぐる。そうすれば人間たちは、きみをほめたてる。ねえ、きっとそうなるだろう。そうなれば、しめたものだよ。安心してあそびにやってくるんだよ。」

「ふうん。うまいやり方だ。しかし、それではきみにたいしてすまないよ。」

「なあに、ちっとも。なにかひとつのめぼしいことをやりとげるにはきっとどこかで痛いおもいか、そんをしなくちゃならないさ。誰かが犠牲に、身代わりになるのでなくちゃできないさ。」
なんとなく、もの悲しげな目つきをみせて、青おにはそう言いました。

赤おには、考え込んでしまいました。犠牲という言葉にひっかかりました。
「青おにくん、だめだよ。誰も犠牲になったらいけないし、やはり人間の世界であばれるのよくないよ。」

赤おには青おにを説得し、その件はいったん沙汰止みになりました。

しかし、しばらくして青おにの姿はその村から消えてしまいました。心配した赤おには青おにのアパートをたずねてみました。ふと、気がつくとドアに張り紙がしてありました。

「赤オニクン ニンゲンタチトハ ドコマデモ ナカヨク マジメニ ツキアッテタノシク クラシテ イッテ クダサイ。シカシ ボクハ ニンゲンヲ シンヨウデキマセン。ソンナカンガエノ ボクト ナカヨクシテイタラ キミマデガ ウタガワレマス。 ダカラ ボクハ コノムラヲ ハナレマス。ソシテ ニンゲンノセカイデ ヒトアバレスルコトヲ ジッコウニウツシマス。 キミガ トメニハイレナイ トオクノ バショデ。」

その村では、正規労働者を『人間』と呼び、非正規労働者を『おに』と呼び差別していたのです。

赤おには、黙ってそれを読みました。二度も三度も読みました。ドアに手をかけて、顔をおしつけ、しくしくと涙を流して泣きました。

 胸にしみる空のかがやき
 今日も遠くながめ涙を流す
 悲しくて悲しくてとてもやりきれない
 このやるせないもやもやを誰かに告げようか

 白い雲は流れ流れて
 今日も夢はもつれわびしくゆれる
 悲しくて悲しくてとてもやりきれない
 この限りないむなしさの救いはないだろか

 深い森の緑に抱かれ
 今日も風の歌にしみじみ嘆く
 悲しくて悲しくてとてもやりきれない
 この燃えたぎる苦しさはあしたも続くのか

 『悲しくてやりきれない』 より

そして、涙も涸れ果て・・・、
以来、赤おには泣くことばかりでなく、笑うことも、怒ることもなく、感情のない能面のような人間でもないおにでもない一個のガランドウになりました。

シホンカやイセイシャにとって理想のガランドウになりました。

◆◆◆◆

 過去エントリー 『二つの死に方
         『はやくきてくたされ
          『内向と暴力

◆◆◆◆

 参照 労働者派遣法の歴史

1985年(中曾根康弘内閣)派遣法が立法される。
1986年(中曾根康弘内閣)
 派遣法の施行により、特定16業種の人材派遣が認められる。
1996年(橋本龍太郎内閣)
 新たに10種の業種について派遣業種に追加
 合計26業種が派遣の対象になる。
1999年(小渕恵三内閣)
 派遣業種の原則自由化(非派遣業種はあくまで例外となる)
2000年(森喜朗内閣)
 紹介予定派遣の解禁
2003年(小泉純一郎内閣) 
 例外扱いで禁止だった製造業への派遣解禁。
 専門的26業種は派遣期間が3年から無制限に。
 それ以外の業種では派遣期間の上限を1年から3年に緩和。
 但し、製造業は施行後3年間は1年が上限。
2004年(小泉純一郎内閣)
 紹介予定派遣の受け入れ期間最長6ヶ月、事前面接解禁
2007年(安部晋三内閣)
 製造業の派遣期間が3年へ
 

御手洗氏、参考人招致か!? 野党がんばれ

2007年09月05日 | Weblog
御手洗氏の参考人招致要求、野党方針
 民主、共産、社民、国民新の野党4党の国会対策委員長は4日昼の会談で、衆参の予算委員会で御手洗冨士夫キヤノン会長(日本経団連会長)の参考人招致を求めていく方針を決めた。実態は派遣労働なのに請負契約を装う「偽装請負」問題などを巡る実態解明が目的。時期については今後、協議する。
御手洗氏の参考人招致は民主などが先の通常国会でも求めていた。参院の与野党逆転で、実現の可能性が高まったことを背景に政府・与党に圧力をかける狙いだ。
 (日経 2007 9/5 17:02)

◆◆◆◆

ミートホープ社の牛肉の偽装や石屋製菓の賞味期限の偽装は厳しく、マスコミでも批判されたのだから、働かせ方の偽装も批判されるべき。事実関係が国会で明らかにされたら、事態を改善し、上記二社と同じように企業のトップ自ら責任を取るべきである。

  不祥事が起きた場合の対応
適時的確な情報開示、原因の究明、再発防止策の実施、ならびにトップ自らを含めた関係者の厳正な処分
 (経団連企業倫理徹底のお願いより)

自分で言っているのだから、御手洗氏もまたグッドウィルの折口(コイツも経団連の理事だった)も辞任せよ。

◆◆◆◆

  参照 労働者派遣法の歴史

1985年(中曾根康弘内閣)派遣法が立法される。
1986年(中曾根康弘内閣)
 派遣法の施行により、特定16業種の人材派遣が認められる。
1996年(橋本龍太郎内閣)
 新たに10種の業種について派遣業種に追加
 合計26業種が派遣の対象になる。
1999年(小渕恵三内閣)
 派遣業種の原則自由化(非派遣業種はあくまで例外となる)
2000年(森喜朗内閣)
 紹介予定派遣の解禁
2003年(小泉純一郎内閣) 
 例外扱いで禁止だった製造業への派遣解禁。
 専門的26業種は派遣期間が3年から無制限に。
 それ以外の業種では派遣期間の上限を1年から3年に緩和。
 但し、製造業は施行後3年間は1年が上限。
2004年(小泉純一郎内閣)
 紹介予定派遣の受け入れ期間最長6ヶ月、事前面接解禁
2007年(安部晋三内閣)
 製造業の派遣期間が3年へ



バラマキとは

2007年08月29日 | Weblog
ずーと更新をさぼってました。すみません。

安倍改造内閣が発足しましたが、特に感想もなく・・・。
個人的に最近気になるバラマキと言う言葉について。

最近、テレビの討論番組などで、また田原総一朗あたりが、民主党の子ども手当てや農業政策をバラマキだ、バラマキだ、と力説しています。私は政府の役割とは究極的には所得の再分配だと思っています。ですから、政府の仕事とはバラマキであると言ってもいいと思います。税収や保険料収入が不変であると仮定したら、どこに予算をかけるか、プライオリティの問題だと思います。本当の意味での無駄なバラマキとは以下のような事ではないでしょうか。
今回の参議院選挙で当選した議員には7月30~31日の2日分ではなく、丸々1月分の歳費がすでに支払れました。これをバラマキと言います。5人から2人になった首相補佐官のうち何の役にも立たない山谷えり子は留任が決まりました。まだ下らない教育再生会議とやらを継続するつもりでしょうか。これも税金のバラマキです。たった2ヶ月で辞任する防衛大臣が外遊しましたが、これもバラマキです。また、赤坂の在日アメリカ大使館は土地使用料の滞納を10年間続けていますし、在日米軍に対する「思いやり予算」なるものの莫大さは、バラマキどころか出血大サービスです。「思いやり予算」によって在日米軍人家庭は日本人より大きくて立派な家に住み、日本の小中学校でもまだ、実現していない少人数学級による教育が行われています。

民主党の政策そのままがいいかどうか、私にはわかりませんが農家や子育て中の家庭(得に所得の低い母子家庭など)にも「思いやり」を持ってバラマイてほしいものです。