いしだのりこの 海苔弁当

日々、思うこと、見たこと、聞いたことをたらたらと・・・

忘れた頃にこんばんわ

2018年01月07日 | 日記
最後の更新はおぼんだったのですねー。
なんか忙しくて・・・仕事がのろくなったのに仕事量は減らないので、ブログなんて書いている暇がない、いやいやたまに暇があったら携帯ゲームや漫画にはまってしまって・・・ということで、お久しぶりにこんばんわ。

昨年11月23日、ちょっと心境の変化がありました。
この日、女子中高生向けシンポジウム「来たれ,リーガル女子!~女性の裁判官・検察官・弁護士の仕事と働き方って どんなんかな~」が大阪大学で開催されました。

この日は天気も良く,定員を超える223名の参加者で、大盛況でした。また、参加者からもとても好評で大成功でした。

私はこの企画の実行委員長だったのですが、近弁連の40期、50期、60期の中堅・若手の女性弁護士の皆さんが、それぞれが自分の担当部分の中心となって熱心かつ生き生きと取り組んでいただいて、おかげさまで私はぼーっとしていてよかったという大変楽なポジションでした。
で、当日、またもやぼーっとそれぞれの動きを眺めながら、ふと

「もう、頑張らんでもええんや・・・」

と思ったのです。

すぐさま「えっ?」と自分から突っ込みが入りました。
私は、自分はいつも自分の好きなことを好きなようにやり、できる事はするが、できないことはしないという行動様式の人間だと思っていたのに

えっ? えー? えっえっえーーーー? 私、実は頑張ってたん?」

そうかぁ・・わたし、がんばってたんや
もう女性弁護士もこれだけ増えて、しかもみんな責任感もって、きびきびとしている。頼もしい。そうかぁ、もう私、ええよなー いらんよなー ゆっくり前線からフェードアウトやなぁ。

と、嬉しい気分で、しみじみと引退気分に浸っていました。

あと1年、また一つ大事なお仕事引き受けてしまったので、もう1年は頑張りますが、私も今年は子機古希でございます。
これを終えたら、好きなことを好きなよーに・・・ン? 今までとあんまり変わらんような気もしないではない。ま、すきなようにするか。

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お盆ですねぇ

2017年08月15日 | 日記
夫が、末娘にお墓詣り行ったかと聞かれたと言う。

夫は、男兄弟五人で兄弟会をすると実家にはいったものの、めんどくさくなってお墓には詣ってないらしい。
私(╹◡╹)も、お墓詣りには基本行かない。
四男と次女。祀るべき仏壇も無い不信心者の夫婦である。

でも、ご先祖様には日々感謝してますよ。
今日まで、なんの努力もしていないのに、大病なく元気で生きてこれた健康、これはご先祖様のお陰です。細胞の一つ一つがご先祖様からいい細胞を貰ったということ。ご先祖様あっての私です。
その他諸々感謝してます。

なのに、私がお墓詣りに行かないのには理由がある。
お仏壇とかお墓とかは、言うなれば、テレビ電話の受話器と画像みたいなもので、そこで、もしもしがわりに南無阿弥陀と言えば、ご先祖様が何か用?と顔を出す装置だと思っている。

しかし、世の中、今や携帯電話の時代だよ。
私は、私の中にその装置を持っている。私が父や母のことを思い出し、語る限りは親はこの世に甦っている。
迎え火、送り火が無くとも、お線香もお花もなくとも、こんな時、あんなこと言うてたなぁと思い出すだけでいい。いつでもオーライだ。

自分の今を生きつくすこと、これに勝る先祖供養はない。

娘は、我々が死んだ後、お盆にお祀りするつもりだろうか?
いらないよ。お墓も仏壇も。思い出してくれたら、いつでもそこへはせ参じますから。

そう思えば、お盆もただの火曜日。





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こんな信号を発見

2017年07月18日 | 日記
本日、信号を渡ろうとして初めて気が付いた。

高齢者等感応信号機! ボタンを押すと青信号の時間が延びるようだ。

へー、前からあったのかなぁ。毎日通る信号だけど全然気づかなかった。
確かに、歳を取っていくと、歩く速度が遅くなり、青信号を渡り切れなくなるので、これは、超高齢社会のわが国には、事故防止のため、必要かもしれない。

4.50年前の私は、梅田地下街の雑踏の中、すいすいと足早に人をすり抜け追い越していくのが得意技だった。都会っ子だぜ、肩で風切って、あっという間に5人や10人抜き去るのは軽いものだった。
しかし、最近はどうも遅くなっている。歩幅が小さくなったのか、足が短くなったのか・・・でも、まだ速いほうだと思うけどなぁ‥
などと考えながら歩いていると、さっそく若い女性にすいと追い抜かれた。

な、なぬっ?

見れば中肉中背、足が長いわけでもない、足早にも見えない。な。なぜ抜かれた!!!
何故だと思うと、探求心の強い私は、原因を探ってみたくなる。歩幅を見るには横並びで歩かなければならないが、狭い歩道でそれは迷惑だから、足の運びというか、ピッチを一緒にしようと、彼女が右足を出すときは私も右足、左の時は左。
あれれれれ、いつもの自分よりいささか早い。そうかぁ、これかぁ。いーち、にぃーではなく、イッチ、ニッのリズムである。
私、知らない間にのーんびりと歩いていたのだ。

で、次の交差点で信号待ち。ぼーっと待っていると、あらららら、彼女はもう渡り切ろうとしている。
あ、信号青や。ここでも注意力が散漫になり反射が遅くなっていることに気付く。

ま、順調に歳を重ねているということで、この暑い中、無理せんとこ。
10分前に出かけるのを15分前にすればいいだけのこと。何か面白いものがあれば、立ち止まって眺めてもいい。
肩で風切ってすいすい急いで行く先もなし。
そやそや、明日から、この信号のボタンを押してやろ。何秒延びるのか興味津々。
しかし、この押しボタン式では、自分は高齢で足が遅いから延ばしてほしいと認識できる高齢者のみしか利益を甘受できない。
今の日本のロボット技術をもってすれば、高齢者が渡ろうとすれば瞬時にそれを検知し、自動的に青信号を長くするくらいのことはできるはずだ。車いすの感知、白い杖の感知。いくらでもできそうだ。ロボット開発の皆様、事故防止のためよろしく。
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小松島港と竹ちくわ

2017年05月03日 | 日記
小松島港といっても、それがどこにあるかわかる人はそう多くないのではないかと思う。

先日、仕事で徳島の裁判所に行った後、司法修習同期の友人にディナーをごちそうになった。徳島市内から車で1時間半の旧日和佐町にある知る人ぞ知るフランス料理店だ。
おいしい食事の後、また彼の車で徳島市内に戻る途中。

「小松島港って、徳島駅から遠いん?」
「いや、車やったら20分ほどでよ」
「ほな、今度、裁判所に来た時、ちょっと寄っていこかな」
「何しにいきよんぞ」
「ああ、そこ、私の父の遺体があがったとこやねん」

小松島港は、昔、和歌山港への連絡船が運航しており、モータリゼーションが発達し、明石海峡大橋ができる前は、大阪と徳島を往来する人に良く利用されていた航路だった。

私が小学校3年の時、寒い冬の日の17時半、南海丸という全長50メートル、定員400名ほどの船が、160ないし170名ほどの乗客と乗員を乗せて、小松島港から和歌山に向けて、雨の降る中、岸壁を離れた。
商用で徳島に行っていた父は、少し遅れたため、すでにタラップが半分ほどあげられていたところを、「待ってくれー」と走ってその船に乗り込んだと聞く。
南海丸は、それから1時間ほど後に、淡路島南の沼島沖で、SOS信号を出して、そのまま行方不明となり、その後、海底に沈没した船が発見された。乗客、乗員は全員死亡。

その報があっても、自分に降りかかったその事実を子供には受け止めがたく、弟に、「大丈夫や。海水浴行っても水平線まで泳いだお父ちゃんやで、どんな嵐でも泳いで、南の島まで漂流してるわ」と、話していた。

しかし、父は体格のいい人で重いだろうに、ありがたいことにかなり早く引き上げられて、小松島港に遺体が安置された。
そして、新聞記者が、遺体が帰ってきた遺族を記事にするためにインタビューに来た。
「この人たちは何をしに来たのだろう、お父ちゃんは南の島に泳ぎ着いているのに」と普通の顔をしている私と弟を含めた家族に、「故人をしのんで悲しそうな顔をしてアルバムを見てもらえませんか。」といって、「はい、いいですよ」とパシャリとシャッターを押した。
それが私の新聞デビュー。新聞のインタビューで、パシャリと写真を撮られるたびにその時を思い出す。
その時、新聞は必ずしも真実を正確に書くものでもないということを学んだ。
また、その頃、大相撲では初代若乃花が優勝し、賜杯を抱えた嬉しそうな姿がテレビに映っていた。それを見て、この世では、不幸な人も幸福な人も同時に存在しうることも学んだ。

小松島港。その地名は私の頭の中に刻み込まれた。
その後訪れることもなく、ふと行ってみようかなと思って口に出した言葉を、彼はキャッチして

「ほな、ちょっと寄ってみるで」と車を回して、日が落ちた小松島港に寄ってくれた。

今は廃された港で、閑散として、明かりも少ない寂しい街で、港はもっと寂しかった。
そうか、ここに居たのかと、遠く思いをはせてみる。

「僕が大学から帰省するときも、この航路使いよった。ここの名物が竹ちくわで、おいしかった」

竹ちくわ。思い出した。竹に魚肉を巻いてこんがりと焼きあげたちくわで、竹串を持ってかぶりついて、串から毟り取るように食べた。私も小さいとき、母がこの航路を利用して、徳島に帰っていた祖父母の家に里帰りするとき、汽車を待つ間、その竹ちくわを食べた記憶がある。また父のお土産に竹ちくわがあった。美味しかった。懐かしい竹ちくわ。私は徳島の名産としか記憶していなかったが、それはここ小松島の名産だったのだ。

バイバイ、小松島。また昼間、来てみるわ。
そして、次は大阪への帰路は、徳島港から和歌山のフェリーに乗って帰るわ。

センチメンタルジャーニー。



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地味ではあるが役に立つ・・憲法24条

2017年05月03日 | 日記

今日は憲法記念日です。!

ところで憲法24条、とにかく地味なんですわ・・・・

脚光を浴びる憲法の花形9条に比べて、24条は、ともすればオジサン族なんかは、「あ、女性のための条文ね。」と、僕たちには関係ない的な発言までされることもあるが、本当は深ーーーーい内容の、性別を超える大事な条文である。

時々思うに、24条の値打ちを正しく理解しているのは、本当は改憲勢力ではないかと。
実際、自民党改憲草案は、9条とともに24条の骨抜きを企てている。
彼らは言う。戦後、憲法24条の下で、伝統的家族観が破壊され、個人主義がはびこったため、ひどい社会となった。今後は、家族を社会の基礎的な単位として尊重しなければならない。
夫婦相和し、兄弟仲良く、親に孝行、君に忠を旨とする社会の戦前の家父長制の家族観をの復活をもくろんでいる。

現行憲法は、主権者である一人一人を尊重し、その個人の尊厳を守ることを大事にしている個人主義を守り抜くことを基本としている。そのことを明確に規定しているのが、まさに13条と24条である。

私は子供のころ、親と教師からよく「利己主義」と批判された。しかし、私は人より多くの利益や、自分が優先されることを求めたことはない、人から何かを奪い取ろうともしたこともない、なのになぜ利己主義といわれなければならないのかと、腹を立てていた。
しかし、自分はこうしたい、その制約はおかしい、私は私、私はこうすると、考えること、行動すること、発言することは、控えめで、上のものに従順であることを良しとした旧来の女性観に反し、それを利己主義とかわがまま、自分勝手と評されていたことが分かった。
そうであるならば、利己主義上等。
正しくは、それは個人主義である。私はこの個人主義を基本とする社会で、自由に生きてこられたと思う。

人間の尊厳を尊重する。守り続けたい言葉である。

と、いうわけで、5月13日午後1時から、大阪弁護士会は24条をテーマに下記の憲法記念行事のシンポをしますが、地味----な24条なので、9条テーマのシンポより、参加者がいささか心もとない。
皆さま、ぜひ一緒に、「正しい個人主義」とは何か考えてみませんか。お待ちしております。





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ブログ更新が間遠な訳

2017年03月11日 | 日記
いろんなところに行ったり、珍しいものを見たり、しんどいこと、楽しいこと、それなりにネタはあるのだけど、最近、人生楽しんでないな。

そろそろくしゃみが増えてきた。

さぁーーーーー、春だーーーーーーーー!

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朝から腹筋

2017年03月11日 | 日記
最近、朝から腹筋体操をしている。
と言っても大したことではない。

若いころ、眠くてしょうがない朝、寒くて布団からでたくない朝、景気づけに、全身伸びをした後、「とりゃあー!!」と、思い切り布団を足で蹴っ飛ばして跳ね起きた、そんな経験は多くの人にあるのではないかと思う。
一か月ほど前、ふっとそれを思い出して、跳ね起きてみた・・・・・が・・・・


ベッドの上にいるのは、ひっくり返されて手足をばたばたとのたうち回るがま蛙もどきが・・・

なんじゃ、こりゃーー?

もう一度!じたばたじたばた。10回やっても起き上がれない。布団が重いのかもと布団をのけても、やはりじたばたじたばた。

年を重ねると、昔なんでもなくできたことが一つ一つできなくなるが、

こんなんも、でけへんのー???

と、軽ーくショック。
そう、普段何も運動などしていないものだから、筋力が衰えておなかの筋肉がまるでなくなったのだ。

それから毎朝、腹筋回復のため、跳ね起きを試みているが、本日、めでたく布団なしで一回で体を起こせた。来週は布団を着たまま跳ね起きに挑戦だ!

いずれ豊かな脂肪の中から腹筋が現れる日を夢見てがんばろう。
いや、跳ね起き体操くらいでは、それは無理か。

それにしても、新発見が次々起きる老化は面白い。
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20歳の私へのメッセージ

2017年01月10日 | 日記
20歳に戻りたいか?

戻りたくない!
いろんなこと、辛いこと、悲しいこと、は迷いながら乗り越えて今日に至った。もちろん楽しいこともあったが、やり直しはしたくない。やり直しても、多分同じ結果だ。

20歳の私へのメッセージは、

そのままでいい。思うところを進めばいい。自分が選んだ道なら、失敗しても諦めつく。

20歳のあなたへのメッセージは、

まちごーたら、やり直したらええんや。なんぼでもやり直せるし。死ぬまでやり直せるし。ま、なるべく間違う回数は少なめにね。

若いって、めんどくさいけど、それに見合う楽しいこともある。

新成人の皆様、とりあえずおめでとーー

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毒飲まされても死なへんかも

2016年12月18日 | 日記
我が家では、夫が定年退職をしてからは比較的時間があるので、ほとんどの家事をしてくれている。
しかし、最近急須の茶渋の付き具合が目に余る。

「もうっ、これだから男の家事は細かいところに気が付かなくって、困るわ」と主婦魂を刺激され、キッチン泡ハイターをかけて、少ししてから洗おうとしばらく放置。
しかし、案の定、そのまますっかり忘れて寝てしまった。

朝食の用意も、朝に強い夫の仕事だが、食事中、夫がお茶を一口飲んで、「わっ!」と吐き出した。キッチン泡ハイターを流さないままお茶を入れて飲んでしまったようだ。そら、あかんわな。

と、言ってから気が付いた。
私はその前に、何の違和感も感じることなく湯呑を飲みほしていた。

夫からは「毒飲まされても、気が付かんと死なへんやろ」と呆れられ、食器洗いの中途半端さと報告不行き届きを責められた。

しかし、わが鈍感さはなかなかにちよっとしたものであるし、その後の体調も一切変化なし。
ふっふふーんとほくそ笑み、わが鈍感さと消化器系の強靭さに、独り乾杯!

鈍感さと強靭さというのは、生きていくうえで有利な要素だと思う。と、居直る。これも大事な要素だ。

ところで、先ほど、好奇心から「誤飲の影響」をネットで調べてみたところ、製造会社のHPに注意書きがあった。
http://www.kao.com/jp/soudan/aid/mouth_01.html

その中の「高齢者の誤飲・誤食を防ぐために」という記載。

高齢者が、洗剤・漂白剤を食品と間違えて、口にするケースが報告されています。特に、認知症の方は味やにおいを感じにくく、誤って飲んだり食べたりしてもご自身では気づかない場合があります。家族や介護者が、洗剤・漂白剤の保管方法などに気を配ることが大切です。

わ・わ・私が気付かなかったのは、鈍感ではなく…これかも・・・・

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おばあちゃん力UP

2016年12月11日 | 日記
自慢じゃないが、私は、小さな子どもに好かれることはない。
今までの長い人生の中で、「大好き」と抱きつかれた子どもはわずか3人。我が子だけだ。

孫がいるが、私が少し苦手みたい。
こんなに魅力的で、こんなにいい人を何で好きにならないの? 会える回数が少ないからかなあ…と、思ったこともあるが、同し立場にいるもう一人のおばあちゃんの孫への接し方を見て、あ、こらあかんな、勝てんなと納得した。

出会うと、笑顔で「○○ちゃーん」と、にこやかに小走りに駆け寄るおばあちゃんに対しては、子どもも走って行って抱きつく。それに比べて、「よっ!」と言うだけで、口を開けば憎たらしいことを言い、お相撲とっても手加減しないおばあちゃん・・・これは、仕方ない(でも、私が小走りに走っていけば笑いながら逃げられそうだからなぁ)。

私の母は子どもには厳しかったけど、孫には人気があった。よく怒りもしていたが、可愛がられている感を子どもに持たせるのがうまかったのだろう。外孫はオバーちゃんちに泊まりたがったし、私の次女などは、いつも私でなくおばあちゃんと寝たがった。私には何がかけているのだろう。
スキンシップが苦手、笑顔も苦手、甘えるのも、甘えられるのも苦手、一言でまとめると優しさを感じさせないのだろう。

もうすぐ三人目の孫が生まれる。

よーーーーっし!!!!!!
今度こそ、おばあちゃん力をUPして、おばあちゃんになつかせてみせるぞ――――

と、ただいま戦闘モードに入っております。

・・・この戦闘モードっちゅうのんがあかんねんやろね。


まずは、苦手の笑顔とハグから練習すっかぁ
笑顔は鏡で練習するとして、ハグは、ん❓ どうして練習する❓

皆様、もし私と出会って、いきなりハグしたら練習だと思ってご容赦ください。
って、できるか、そんなこと。

おばあちゃん力UPの道は険しい。
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西郷隆盛

2016年12月06日 | 日記
幕末の英傑・西郷隆盛。ぎょろっとした大きな眼で天下を見つめる巨漢。
最後は情に流され勝てる見込みのない西南の役で自害した。
2018年の大河ドラマの主人公でもある。
まあ、人気もあるし、私も、特に好きと言うわけではないが。嫌いではない。

し・か・し・・・だっ。

西郷さんに似ていると言われて喜ぶ女子はまぁ・・・いるまい!
女子にむかって、西郷さんに似ているねという男子もまぁ・・・いるまい!


しかし、いるんだなぁ、我が業界にはその手の人間が。

先日、とある先輩から、「あなたって西郷さんに似ていると思うよ。」と言われた。
『言い過ぎやろ――――――(怒)』と思いつつも、「体形がですか。でも、私、あんなにぱっちりとした目ではないですよ」とささやかに抵抗。


「いやいや、体型だけでなく(入るんかいっ!!!)、坂本龍馬が勝海舟に語った西郷の人物評だが『少しくたたけば少しく響き、大きくたたけば大きく響く。』というのがある。そこが似てるよ」

確かに・・・心当たりはある。さぼりだから少し叩かれたら少ししか動かない。大きくの部分は、限度があるが、全力をもって応える。

その先輩は、人の悪口なんか言わない立派な人だから、それが悪口やからかいではないとは、わかっているのだが・・・
やっぱ、西郷さんに似ていると言われて・・・・喜ぶ女子はいないよね。

私、一応ジョシ。
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死刑制度の廃止を含む刑罰制度全体の改革を求める宣言

2016年11月10日 | 日記
大阪弁護士会のブログ「弁護士の放課後 ほないこか~」への投稿記事である。

本年10月7日、日本弁護士連合会は福井市で開かれた人権擁護大会で上記宣言を賛成多数で採決し、今後死刑廃止に向けて取り組んでいくとの決意を表明した。

http://www.nichibenren.or.jp/library/ja/civil_liberties/data/2016_1007_03.pdf

会場では賛成派、反対派から多様な意見が熱く交わされた。死刑廃止をめぐっては、会内でも多様な意見がある。また、FNNの世論調査では死刑存続派が7割を超えている。

私は悩みつつ、賛成票を投じた。

私の娘が8歳の時、同じ歳の女の子が通学途上でいきなり若い男性に刺身包丁で刺殺されるとう事件が起こった。その事件を新聞で読んでまず思ったのは、『被害者が私の娘なら、相手も殺してやる。許さない』だった。多くの親は同じように考えるのではないだろうか。その後知人の紹介で、被害者のお母さんから相談を受けることになった。被害者は一人っ子の母子家庭で、お母さんはその子の成長だけを楽しみにしていた。
被害者の自宅に行き、仏前に手を合わせた後、打ち合わせをするのだが、お母さんは事件を思い出し、相手を殺してやりたい、死刑にしてほしいと号泣、その気持ちが痛いほどわかるこちらも涙が止まらず、お互い涙、涙の打ち合わせが続いた。
結局、加害者は心神喪失状態と言うことで不起訴。まだ、犯罪被害者の権利など言われてもいない時代だったが、被害者に対する検察官の誠意ある説明と配慮はありがたかった。
このような経験から、理想論としての死刑廃止には軽々に賛成とは言えなかった。人権擁護大会の会場内で死刑廃止への反対派の方々は、犯罪被害者の側に立って活動されている方が多かった。

一方で、私は、その後、誤ったDNA鑑定で無罪が明らかとなった足利事件の菅家さんをはじめとする冤罪被害者の方々と接する機会があった。菅家さんは無期懲役の判決だったから、長い時間はかかったが、冤罪を晴らすことができた。しかし、死刑判決だったら・・・・
心底恐ろしいと思ったのは、足利事件で検察庁がDNA事件の再鑑定を認めた同じ時期に、同じ方式のDNA鑑定を証拠として死刑判決を受けた飯塚事件の死刑執行がなされたことだった。菅家さんの再審に向けた動きの中、同じ時期に同じ霞が関の庁舎内で死刑執行への手続きが進み、その執行がされていた。取り返しはつかない。「冤罪で死刑執行になった人が何人いるのか、ほとんどいない」という説も聞くが、たとえ一人であっても、それは仕方のないことと片付けられるものではない。それが、まず死刑制度に疑問を持つようになったきっかけだった。
疑問を持ち出すと様々な疑問が次々と出てくる。

それにしても、私たちはあまりに死刑の実態について無知である。絞首刑だということはわかっている。私は、修習生時代に刑場を見たことがある(最近はないようだが)し、執行確認の立合検察官、誰がスイッチを入れたかわからないようにとの配慮からの複数の執行刑務官からのお話をかいま聞いたこともある。それが誰であれ、人を殺すということはやはり残虐だ。絞首刑は他の執行方法に比べて残虐でないとは到底言い切れない。
死刑は、何のためにあるのだろう。国家による被害者の応報感情の代理なのか。人権擁護大会の議論の中で、「遺族が望むのは極刑だ。今は死刑が極刑なので死刑を望むのだ。終身刑が極刑なら終身刑を望む』と言う言葉は説得的だった。あるいは死刑は矯正不能な危険な人物の社会からの排斥なのか。それなら死刑以外の方法はないのか。
私は、あれこれと思いだしながら、被害者の応報感情は十分に理解しながらも、国家制度としての死刑制度に問題はないのかと、悩みつつ、迷いつつ死刑廃止の宣言に賛成した。

諸外国には、死刑廃止を実現した国、廃止に向かいつつある国、制度はあるが執行がない国が数多くある。もっと、議論が必要だし、もっと実態を知ることが必要だ。
日弁連が廃止の宣言をしたからと言ってすぐさまそれが実現されるものではないことは十分認識しつつ、今後日弁連が廃止に向けて取り組んでいく、議論をしていくという姿勢に賛成した。

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華麗なる私

2016年08月20日 | 日記
最近、華麗なる自分を楽しんでいる。

「オーホッホホホ わたくし、白鳥麗子でございます!」のわけはない。

私が今楽しんでいるのは、「加齢なる私」である。ここ数カ月ほどで、何回この言葉を聞いただろう。

「最近、体がかゆいんですが、なんか皮膚病でしょうか」
「加齢で、乾燥してるんです」

「最近、目がぼやけるんですが」
「軽い白内障でしょう。加齢による自然な衰えですな」

「片方の甲状腺が萎縮ですか、理由は何でしょうか」
「加齢です」

「今年にはいって、顔にできものが・・・」
「加齢によるイボです」

「最近、心臓が・・・」
「加齢!」

加齢、加齢加齢----!

るっせーんだよっ!!!

しかし・・・確実に衰えていく自分を観察していくことは面白い。興味津々である。ああ、こうして人は歳を重ね、次第に衰え、やがては土にかえっていくのか、それもまたよし、人が生きる意味とは何か、命とは・・・と、哲学的思索にふけっていると、横の夫がうるさい。

「健康診断に行くたび、メタボ系に経過観察のイエローカードもろてきて、何とかしいや。ここ3年イエローカードが続いているくせ、生活を変えるつもりもないし、お医者さんにも行かず、検診料がもったいないわ」

いや、その結果報告の数値の変化を眺めていると、諸行無常、盛者必衰、もののあはれを感じる、そこがええねんというも、とんと理解されない・・・・あな、あわれなり・・・
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北京雑感

2016年08月06日 | 日記
北京ダックのアートでございます。美味でした。


日弁連の執行部は会長の2年の任期が終わった後、2年分の副会長、会長と同じく2年任期の事務総長、退任して間もない事務次長の面々で中国旅行をするらしいという話はかねてから聞いていた。
いわば「お疲れさんでした」と慰労する卒業旅行のようなものだろうと思っていたが、何故いつも中国なんだろうと不思議でもあった。
しかし、もともと旅行好きだし、30年前に家族旅行で、また20年前に国際婦人年北京会議で行った北京がその後どう変わったのかなという好奇心で参加し、7月上旬、東北地方と北京に行ってきた。

やがて、スケジュール、訪問先リストとその資料が送られてきたが、『この旅は、いったい何なんだ?!』と言うのが率直な印象だった。

訪問先は、中華全国律師協会(ACLA、)司法部(法務省)、最高人民法院(最高裁)、全人代法務工作委員会(内閣法制局的な?)、そして日本大使館。
法律関係メインのお堅いところばっかり!、スーツ着用のこととある。
どっさり送られてきた漢字だらけの訪問先の資料は、この旅が、のんびりと疲れを癒すただの卒業旅行などではないことを示していた。とりあえず資料は行きの飛行機で読もうとしまい込む。

行った結果も、印象どおりで、1台の大型バスに乗り、朝ご飯から晩ご飯迄、1日中、ハードなスケジュールが続き、ほとんど自由時間がない。とても、平均年齢60代の旅行とは思えない。合間に観光も入っているが、観光までもハードな準公式の旅だった。

各訪問先では丁重な対応で歓迎していただき、感謝のほかないが、その一方で、私がここで聞いたこと、学んだことは今後にどう生かせるのかと戸惑ってもいた。
既に役員の任期を終えた私が、この経験をどう会務に生かせるのか?ない。
渉外事件などとは縁のない一介のマチ弁に過ぎない私は、この名刺交換を今後の仕事に生かすことなどあるのか?ない。
ここよりほかに行きたいところがある。その話より聞きたい話がある。中国の人権状況。このような準公式訪問ではできないんだろうな。

そんなことをぼーっと考えながら、少し距離感をもって参加者の顔を眺めていて気が付いた。最高人民法院の裁判官は、前任地はどちらの地裁、高裁でしたかと言いたくなるような裁判官顔で、律師協会の律師たちは、「いますねえ、日本にもこんな弁護士」と言う顔だった。共通する職業顔ってあるんだ。

その外、この旅で大きく印象に残ったことは二つ。
1つは北京の変化。北京は3度目だが、30年前の北京は、黒っぽい人民服を着て、自転車に乗った労働者がウンカのごとく町中にあふれかえっており、トイレにはドアがなかった。そして今、車だらけで交通渋滞はひどいが、地下鉄もでき、新幹線もあり、街には高層ビル群が建ち並び、街を行く人の服はカラフルでおしゃれになっている。もちろんトイレもきれいだ。そして観光地は地方からの北京見物の観光客であふれかえっている。すさまじい経済発展を目の当たりにし、中国人のエネルギーをひしひしと感じた。
テレビやニュースでも見たことがあるのだろうが、現場に立っての皮膚感覚というのはやはり強烈に印象に残る。

もう1つは、私の出身事務所の弁護士が今JICAからの派遣で北京で法整備支援をしているが、今、中国が猛烈な勢いで法整備をしているという話を彼から聞いた。
DV法、消費者保護法等々様々の法律に日本の制度が生かされていること、そして現在は民法典の編纂に取り掛かっていて、来年には民法総則ができる話等々。
法整備支援の必要性とやりがいを語る彼は生き生きとしていた。
彼の話を是非若手弁護士に聞いてほしい、そして彼の後に続いて世界の法整備支援に取り組む若手が輩出してほしい、いや自分が若ければ行きたいと思った。
今後隣国同士の日中の経済交流はますます盛んになる。その時共通する法体系があることは重要である。
今現在、尖閣島をめぐっての日中間の緊迫した政治状況からの感情から、日本の法整備支援事業を滞らせることは国益にも反することだと強く認識した。

北京には、「法治」という言葉が入った政府方針を示す掲示物が多くあった。
その意味するものが共通になる日が早く来ることを祈りたい。

それにしても中国ではFACEBOOKはつながらない・・・


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さとにきたらええやん

2016年07月24日 | 日記
「さとにきたらええやん」の映画を見てきた。

 http://www.sato-eeyan.com/

「さと」とは、日雇い労働者の街、大阪の西成・釜ヶ崎にある、国籍や障害とは関係なくすべての0歳からの子どもを無料で受け入れてきた「子どもの里」である。

学校帰りに学童保育みたいな感じで来る子、一時あるいは長期に宿泊する子もいる。
この映画はドキュメンタリーなので、画面には、「さと」の子、その親、スタッフ、街の人たち等普通の人たちばかりがでてくるが、演技以上の良い笑顔を見せてくれる。

親のしんどさで子どももしんどいはずやなのに、へこたれず(時々はへこたれてるけど)、日々、前に向かって成長していく子供たちとそれを支えるスタッフ。

人間ってええなぁ、子どもってええなぁと感じる映画である。

同時に、自分は弁護士として40年、初めの気持ちを見失わずやってこれただろうかと反省もさせられた。弱い立場の人が損せんような、不当に人権踏みにじられんような、そんな社会に・・・と思っていたが、さてさて途中あたりからなんかいい加減にやって来たような気がしないでもない。
38年この事業を続けてきた「さと」の園長さんの強さと熱さに頭が下がる。「さと」を支えてきた人たちの優しさに頭が下がる。
私にはでけへん・・・しかし、まだあと数年あるんやから、もっぺん、自分なりに仕切り直すのもアリやでと思う。

ところで、この映画、数百円の割引があるお得な前売り券を買って行ったのだが、なんとーーー!
窓口で、「シニアで」とチケット買ってる人を見て気が付いた。

「しもたーーー  私もシニアやったーーーーー!  200万円も損したーーー! 」

はい、私、ほんまちっこい女でございます。
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