夜明けの曳航

銀行総合職一期生、外交官配偶者等を経て大学の法学教員(ニューヨーク州弁護士でもある)に。古都の暮らしをエンジョイ中。

笙野頼子・金毘羅

2005年01月02日 | 読書
書評等で話題になっている「金毘羅」を読んだ。
話題になっているからでなく、今生きている作家の中で一番好きで、著作は全て読んでいるので、最新作を読んだということなのだが、今までの彼女の集大成というべき傑作だった。
ついでにいうと、三島賞に続き、芥川賞受賞コメントで「文学の神様に感謝したい」と言っていた意味が、この作品でよくわかった。

純文学論争もよかった(現存日本人作家の中で純文学を背負ってたっているのは彼女だと思う)が、フェミニスト文学者としても一流だと思う。
「水晶内制度」は「ジェンダーと法」で課題図書の一冊に選んだ。

「金毘羅」でも、以下のようなくだりに、眼からうろこが落ちた。

「「本当は男」である女はさまざまな課題を課せられるだけではない。現実の差別社会の矛盾を全て引き受けながら、その矛盾から一切眼を背けていなければならない。つまり、魂が壊れていなければ成立しないのです」

実は2000年11月25日に地下鉄で彼女に会ったことがある。トレンチコートを着て立っていた。
偶然にも私は九段会館で行われた憂国忌に行く途中だった。
彼女は後述するように佐倉からめったに遠出しないようなので、本当にすごくラッキーだ。
三島由紀夫に次いで好きだと思う私の気持ちが通じたのだろうか。
「笙野頼子さんですよね」と話しかけたら、ものすごく意外そうに「よくわかりましたね」といっていた。新宿で詩人の人たちと座談会があるとのこと。「手紙はどこに書いたらいいでしょうか」ときいて、その出版社にすぐ手紙を書いたのだけれど、もちろん返事はなかった。

地方の大学に赴任し、昨年音羽に引っ越した後は、雑司が谷から佐倉に引っ越した彼女にますます親近感をもった。彼女は雑司が谷のマンションの駐車場で、他の住人が気まぐれに餌をやっていたために集まっていた野良猫を、その住人が飽きて放置したあと、近隣と戦いながら保護し、ついにはその猫たち(5匹)のために、佐倉に一戸建てを購入して引っ越したのである。
雑司が谷のそばを通るたびに「ここは笙野さんも通った道かしら」なんて思ったりしている。

毎年のように参加している山中湖三島由紀夫文学館の三島由紀夫文学セミナーで、一昨年、加藤典洋、大塚英志、清水良典という顔ぶれだったのも面白かった。
純文学論争で笙野さんの天敵が大塚氏、そして、笙野さんの伝記「虚空の戦士」を書き、彼女から「武士は己を知る者のために死す」とまで信頼されているのが清水氏だからだ。
シンポジウムはもちろん面白かった(文学の話が記号論に及ぶと大塚氏が「もう帰りたくなってきた」といったのにはちょっとびっくりしたが)し、清水氏から笙野さんの話がたくさん聞けたのもうれしかった。

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