coffee and cigarette chocolate

小説家を目指す、歌喜の気ままな戯言ブログです。

文学フリマ宣伝とブログ引っ越しと

2011年10月27日 02時44分00秒 | 日記



ついにと言うか、ようやくと言うべきか。
自費出版ではございますが短編集が完成しました。

11月3日文化の日に開催される『第十三回文学フリマ』にて発行致します。
文学フリマURL:http://bunfree.net/

僕の販売スペースはF-10『コーヒー&シガレット・チョコレート』Eホール1F、端っこの壁際です。

僭越ながら以下に作品展紹介をさせて頂ければと。

--延藤 詩喜 短編集vol.1 --
『 幾つかの小綺麗なレストラン』




(画像は作成中のものです……)

・販売価格300円
・総ページ数234ページ
・収録作品

Memoir.01 幾つかの小綺麗なレストラン
Memoir.02 オープン・テラス
Memoir.03 旅立つ僕らを包むもの
Memoir.04 クラブ・ガール
Memoir.05 夜を歩く
Memoir.06 リセットの日
Memoir.07 cigarette chocolate
Memoir.08 やりとりのない部屋
Memoir.09 素敵な空想

以上です。

当日の販売スペースにて、
漫画家の野間ろっく先生の書き下ろしPOPと、
間に合えばイラストレーターの上野晴基のスライド・ショーを展示予定です。

また併せまして下記文芸サークル様の会誌にも作品を寄稿させて頂いております。
それぞれ下記ブースでも僕の短編集をお買い求め出来ます。

・販売スペースB-27
『新波小説団』団誌vol.5

・販売スペースE-23
『文芸創作サークル』lapis vol.5


当日来れないお客様につきましては
Twitter・mixi・Blogにてご連絡頂ければ販売致しますので、ご連絡頂けると幸いです。

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
またこ度、BlogサービスをgooBlogからBloggerにお引越し致しますので、
併せて宜しくお願い致します。

まあ、特に深い意味はないのですが。
FlickerとTwitter連動が簡単だったので……。


下記が引越し先のURLです。
http://coffee-and-cigarettechocolate.blogspot.com/
宜しくどうぞ
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

ボヤキ#001

2011年10月21日 13時07分15秒 | ボヤキ

どうしてか分からないのだけれど、新小岩役(僕の駅だ)から上一色への帰り道って奴は、
変な考えが頭にこびりついて離れなくなったりする。
帰ったらすぐ風呂入ろう、ホットサンド食べよう、とかリラックスしているからかしら。
そういうのをLogとして残しておくのも良いかもなとか毎回思うワケだけど、
そういう時に思いつくのは恐ろしくくだらない考えばかりだし、
ワザワザPCを立ち上げて打つような代物でもないから放置していたんだけれど、
iPadが手元にあるのでタイピング練習がてらボヤくことにします。

頭に#とか番号が振っているわけだけど特に意味はなく、
いつも通り不定期で。

【何かを頬張る女の子について思うこと】

僕は何かを食べている女の子が好きなワケで、
その理由は全然分からない。
けれど、何かにつけて女の子が側に居ると、つい食べ物を口に放り込みたくなってしまう。
モゴモゴ…モゴモゴ、と口に何かを頬張りながら笑う姿は素敵で可憐で可愛らしいものです。
僕的には。
猫じゃあるまいし餌付けしているワケじゃないんだけどね。

さっきみずほ銀行にお金を振込みに行ったら、
目の前の女性がイライラしながらキャッシュカードを出し入れしてるのね。
『どうしましたか?』と訊いても良かったのだけど、
僕は愛想が恐ろしく悪いし、銀行内だし辞めておいたの。
でも、どうやら後ろから眺めていると、
どう見ても女性突っ込んでいるのはキャッシュカードではなく、何処かクレジットカード。
何回かリトライ繰り返し、結局機械に文句を言って去ってしまった。
順番が回って着た僕がお金を振込んで銀行を出ると、
偶然その女性が満面の笑みで隣のミスタードナッツから袋を抱えて来るところだった。
そして僕と目が合った瞬間、
急に不機嫌そうな顔つくって袋からポンデ・リングを取り出して口に詰め込んで去ってしまった。
僕はその様子が何だか可笑しくって、アパートに帰るまで食べ物と女の子ことを考えていました。
きっとあの女性、顔はしかめっ面だけど、
頭の中は美味しさでスパークしてるんだろうな、とか考えていると、
食べ物を食べる姿の中に人間の愛しさのようなものが詰まっている気がしてならない。

まあ、その女性は女の子でも何でもなく、
辛子色のカーディガン羽織ったお婆さんだったんだけどね。






またいつかって・・・・・・いつなの?

2011年07月16日 11時59分34秒 | 日記

 

唐突な話だけれど、短編集を出すことに決めました。

 

二作の長編を脱稿した後、僕のちっぽけな頭には次回作の構想が殆ど無く、

早くもアイデアの欠落を感じていたのですが、

簡単なことから書いていこうと決心し短編を書き始めると、

徐々にではあるけれど再度長編への意欲めいたものが現れ始め、

「なんだ、案外まだ書けるじゃない?」とも思えるようになりました。

 

はっきり言って複数の作業を同時並行するのは結構辛い。

僕が今執筆している作業は、ボイスドラマ用の短編・短編集の執筆・小説サークルの会誌・次回長編のプロット出し。

どうも僕の頭にはコアがひとつしかないらしく、4つの作業を並行すると知恵熱で機能不全を起こすようです。

そのことに早くも気づいた僕は、「今期はもう短編だけでいいや」という気持ちになっており、

あるいは短編集を出さないことには全ての計画が遅れるとう危ない事態になりつつあります。

 

人生初の短編作品を書いたのが今年の3月、それから4ヵ月後の現在、

このBLOGにUPした作品を含めて全部で10編の作品が出来上がりました。

4ヵ月で10編。多分かなりの遅筆だろうけれど、

ある程度作品数が溜まれば自費出版という形で発表したいと思って思っております。

 

ざっとスケジュールを確認したところ、

どうも直近のアマチュア小説イベントは11月3日の「第十三回文芸フリマ」みたいです。

申し込み締め切りが7月24日。かなり直近で正直しんどいです。

入稿方法も表紙デザインの発注も全然分かっておりません・・・・・・。

 

 

正直納得出来る作品を入稿までに仕上げられるのか自信がないのですが、

来期は再度長編にチャレンジしたいので、なんとか間に合わせたいなぁと思う今日この頃で御座います。

 

ああ・・・・・・大丈夫かしら、本当。

 


短編小説「夜を歩く」

2011年07月16日 11時54分19秒 | 短編小説

 

 夜を歩く

オンライン作家同人サークル「#創作文芸:*.jp」 

会誌th14:テーマ「約束」素案

 

 1

 

 

 喫茶店で飲むコーヒーより旨いものはない。ああ、それは良くわかってるよ。薄暗くも温もりのある西日の白と内装の黒が織りなすコントラストは素晴らしいものだ。

店内に掛かる名曲だって素敵だ。ウエイトレスが美人だったら言うことはない。感情の伴わない幾ばくかの会話だってないよりはずっと良い。

それに僕には共にコーヒーを啜る仲間だっている。

 けれども夜勤明け、家に帰ってからゆっくりとミルを挽いて淹れるコーヒーだって悪くない。

12時間の肉体労働を癒す唯一の救いだ。冬の朝、張り詰めた街の帰り道、そんな光景を想像するのは楽しいものだ。

コーヒーを飲んだらどう過ごそうか? そんな呑気な日常が僕の毎日だ。

 

 はっきり言って夜勤労働を3年もこなせば自然と選択肢は知れてくる。

昼間の殆どを眠っているわけだから友人だって減ってくし、なにより勤務明けが朝の8時、勤務開始が夜の20時なのだ。

間に寝なきゃならないし、行くことの出来る場所だって限られてくる。渋谷の名画座、喫茶店でのモーニング・コーヒー、それからテレビ・ゲーム。

ここ3年の明け休みはだいたいこんなものだ。決して多くない友人の中、朝から飲み会を開いてくれる者が居るわけもなく、僕はだいたい一人きりで生活している。

そう――カメラマンを志した24歳の冬からずっと……。

 

 夜勤労働者の辛さの最もたることは、おそらくは休日だと思う。

休みともなれば次の勤務まで36時間もあるわけだが、これまた同じリズムで生活しなければ勤務に支障が出てくる。

休みに日勤者と遊びに行けば僕の貧弱な体内時計はいとも簡単に崩れていく。友人の活動時間に合わせて眠る生活は想像以上にずっと辛い。

けれども僕はそういう生き方を選んだのだ。本気でカメラマンになれると夢見ていた当時の僕の選択だ。その選択を27歳の僕が後悔しても今更である。

 そして、今日はその休日なのだ。

 

 

 2

 

 

 僕は缶コーヒーを殆ど飲まない。仕事の時には魔法瓶を持って行く。淹れることに慣れた今、香りもなく糖分の偏った缶コーヒーなど飲めやしない。

それでも週に1度か2度、缶コーヒーを飲む日がある。そしてそれは缶コーヒーでなきゃならない日なのだ。その日だけ、缶コーヒーは魔法の飲み物と化す。

 

 

 3

 

 

 20時ぴったりに僕は家を出る。尻ポケットに財布、肩にカメラを引っかけて。

 そう、今日は予定のない休日。たっぷり睡眠をとったばかりの夜。これから朝の8時までサイクルを維持する為の散歩に出かける。

外付けフラッシュを装着した古ぼけたOM-1をひっかけて。

 僕がカメラマンを志した当初、その頃は最新型のデジタル・一眼レフを持っていた。自称ではあったがカメラマンと記載した個人名刺も携帯していた。

それがどうしてだろう? デジタル・カメラは売り払われ、残ったのは古ぼけた中古カメラと、肩書きだけは立派な配ることのなかった大量の名刺。

 夜勤生活に慣れた僕は昔のような野心もなく、難しいこと(例えば具体的な将来とか)を考えられなくなっていた。

カメラマンに資格は要らない、そう考えた当時の自分を浅はかだと思う。けれども僕は未だにカメラを所有している。

 

 

 4

 

 

 夜を歩く――その行為は何かしらの背徳感を人に与える。誰も居ない場所を探し歩く行為は奇妙だけれど魅力的な瞬間だ。

幾つもの路地を抜け、光の当たらない場所を探し求める。そこにはきっと普段人が気づけない魅力的な光景が広がっている。

僕は今、その瞬間を切り取る為に歩いている。何度も諦めたカメラマンとしての自分を取り戻す為に。

 途中でいつもの自販機の前で立ち止まる。もちろん缶コーヒーを買う為に。僕が缶コーヒーを買うのは夜を歩く時だけだ。

特別甘ったるいカフェ・オレなんかをセレクトして持ち歩く。夜の巡回者にだけ、缶コーヒーは魔法をかけてくれる。僕はそう信じている。

 

 

 5

 

 

 休日の夜を散歩に充て始め始めたのはいつだっかのか、今ではもう思い出せない。けれども僕は毎週毎週、まるでひとつの習慣のように夜を歩く。

 同じ時間、同じ風景、同じ顔ぶれ……。

 夜の街はいつだって同じだ。季節以外に変わるものは殆どない。けれど、変わらない世界に住み続ける、変化を求める者達が僕は好きだ。

 バンドマン、ホステス、タクシー運転手、新聞配達員、警備員。

 彼らは常に変化を望む。現状への不満、将来への不安、自分が何者にもなれない恐怖。けれど彼らは、彼らの望む世界へ進む努力を惜しんだりしない。

例えその努力が報われなかったとしても、彼らはとても良い顔をする。僕はそんな彼らに声をかけ、カメラのシャッターを切る。

 

 

 6

 

 

 僕がカメラを持ち出したのはごく最近のことだ。はっきり言ってOM-1というカメラは最新のデジタル・カメラより重く、現像するだけでも結構な金額になってしまう。

それに外付けフラッシュを付けないことには夜を切り取ることが出来ない。それでも僕がOM-1に拘るのは多分、親父から譲ってもらったカメラだからだろう。

それに今の僕が撮る風景や人物は、以前とは違い、肩に力のこもらない気楽な写真なのだ。いささか手間の掛かる方が楽しみというものだ。

 

 南阿佐谷から青梅街道に出る途中、いつも通り巡回中の警備員に出会った。

「やあ、定線巡回かい?」僕は煙草に火を点け、彼に挨拶する。

「定線も乱線もないよ」と彼は言って、警帽を脱いだ。「だってこの施設、とても小さいんだ。いつも通りの暇潰しだよ」

 僕は彼の後ろにあるマンションを見上げてみた。彼が常駐するマンションは、周りの建物と比べれば一回り小さかったけれど、

それでも僕の住むアパートよりはずっと大きく、洗練されていた。僕は煌々と照らされたその建物に向かってフィルターを切った。

「なあ、そんな態度でどうするよ。結構な額貰ってるんだろ? 給料分は働きなよ」

 僕は呆れた口調でそう言った。

「言わなかったっけ? 俺、ここの施設月末で終わりなんだ。来月からはホテル勤務だとさ。ほら、浦和にあるパインズさ」

「ロイヤルパインズホテル? すごいね」

「まあね」と彼は言って、ポケットからハンカチを取り出し、頭を拭いてから警帽を被りなおした。「寂しくなるね。あんたと話せなくなると」

「仕方ないさ、僕も君もいつまでも同じ場所に留まるわけじゃないからね」

「――変化は必要?」

「そこに主体性さえあれば」

「そうだね……」

「気を落とすなよ。いつだって会えるさ。夜勤者同士だしね」

 

「あのさ、時々どうしようもなくたまらなくなるんだ」しばらくして彼は言った。

「夜勤に対して?」

「うん。それもある……いや、そうだね」

「何かあった?」僕はそう訊ねてみた。

「やりたいことが見つからないんだ。マンション警備の後、ホテル警備に移って……そしてまた月日が経てば他の現場に回される。

 そうしている内に、いつか取り返しのつかない程年老いていくんじゃないかってさ。ねえ、あんたは夢とかある? 

 どうしようもなく掴みたい夢さ。多分、俺に足りないのはそういう野心めいたものなんだよ」

「分からないね。夢があっても年老いていくし、それは日勤者だって同じだよ」

「そうだね」

 

「アーッ! 昨日キスした時、舌入れときゃ良かった!」

「突然何?」

「例えさ。こんな風にどんな物事にも後悔は付きまとっているんだよ。突然体が動かなくなったり、味覚がなくなったり……。可能性の話だけどね」

 彼は肯いた。

「だからさ、夢がなかったら食いたいもの、欲しいもの、口説きたい女、そんな小さなものから欲求を叶えていくべきなんじゃないかな? 

 夢がなくたってそういうことくらいならあるんだろう?」

「あんたは実践してるの? その、欲求の赴くままにってやつ」

「さあね」僕はそう言って、ポケットの中から一枚のパンフレットを取り出し彼に手渡した。

「休みが合えば来てみてよ」。

「ん……何さ、コレ」

「変化は必要だろ?」僕はそう言って、写真展のパンフレットを眺め続ける彼に手を振り別れた。

 

 

 7

 

 

 夜の散歩を繰り返すと、自然と顔見知りが増えてくる。阿佐ヶ谷から高円寺まで歩くと実に様々な人々とすれ違う。

1回しかすれ違わない奴もいれば、毎回すれ違う奴もいる。僕の個人的な見解ではあるが、3回も出会えばだいたい話し相手になってくれる。

警備員の彼もそうだが、これから会いに行くバンドマンもそうだ。

 僕は彼が演奏しているライブ・ハウスに着くまでにカメラのフィルムを替え、2本の缶コーヒーを購入してライブ・ハウスの中に入った。

 

 そのライブ・ハウスは神社とクリーニング屋に挟まれた雑居ビルの地下にあり、表向きはいささか怪しげなところではあるが、

中は日本家屋を改築したようなレトロな空間で僕は気に入っている。階段を下りる途中から大きなオルタナティブ・ミュージックが聞こえ出し、

一緒になって黄色い声が割って入る。ここでは毎日違うバンドが演奏する。

目当ての彼はスポットライトの当たらない小さなソファ席に座り、ポータブル・ビデオ・カメラで客席や演奏者を撮っていた。どうも出番は終わったらしい。

僕は見たことのないバンドが演奏を終えるのを待って彼に話しかけた。

「少し来るのが遅かったかい?」

「いや、そんなことないよ。俺のバンドは今夜出ない」彼はそう言って、ポータブル・ビデオ・カメラの電源を落とした。「出ようか、ここは少しうるさすぎる」

 彼の後を追ってライブ・ハウスを出、隣の神社にある腰掛けに共に座った。

「てっきり今夜は君のライブだと思ってたよ」僕はそう言って、一本の缶コーヒーを彼に手渡した。

「俺のバンドは明日さ。コーヒーさんきゅ」

「ああ。一応差し入れだったんだけれどな、まあいいや」

 僕と彼は笑ってプルタブを開けた。

 

 僕が彼と知り合ったのは散歩ではなく、阿佐ヶ谷ゴールデン街の一軒の沖縄料店だった。

一見の客として入った僕が驚いたことは、その店にはテーブルと椅子はひとつもなく、大きなちゃぶ台がひとつだけあることだった。

ちゃぶ台を囲った連中は年齢も性別も職業も関係なく、同じ皿に収まったゴーヤ・チャンプルーを突き合っていた。

僕はうんざりした気持ちで腰をつけ、授業員がメニューを持って来るのを待った。しかし、メニューは一向に来る気配がなく、代わりに彼がオリオン・ビールを僕の前に置いた。

「いつまで待ってもメニューは来ない。この店は全ておまかせなんだ」

「おまかせ?」僕は隣に腰掛けた彼にそう尋ねた。

「そう、お任せ。ママがつくったものを俺らが食べる」と言って彼は僕のライターで不味そうに煙草に火を点けた。

「ねえ、君はここの授業員なの?」

「違うさ。でも時々手伝うことにしてるんだ」

「何故?」

「ああ、それはね……」と言って、僕の後ろにあるギター・ケースを指差した。「自由に演奏させてくれるからね」

「随分と変わってるね」

「俺が? それとも店が?」

「両方さ」

 

 僕がその店に通い続けるのに、それ程時間は掛からなかった。彼の演奏は通い続けるに値する、何かしらの力があった。

以来僕は沖縄料理屋と彼のバンドが出演するライブ・ハウスに通うようになった。

 

「CDの売れ行きは順調?」

「悪くないよ。八丁堀と阿佐ヶ谷にしか置いてないけど、うまい具合に売れてる。ファースト・アルバムの売れ行きよりずっと良い。あんたの写真が良かったせいだね」

「そう? 嬉しいよ」

 彼の二枚目のアルバムには、僕が撮影した写真が使われている。飲み屋にカメラを持って行った時、

たまたま収めた写真だったがそれを気に入った彼が勝手にジャケットに仕立ててしまった。

「ねえ、この前貰った写真展のパンフレットだけどさ」と彼は言った。

「うん」

「あれは本気なの?」

「どういう意味さ」

「いや――タイトルのことさ。『昼夜の街で』って……馬鹿げてるよ」彼はそう言って頭を振った。「あんたは夜しか出歩かないじゃない?」

「そう。僕は夜しか出歩かない」

「だったらさ、昼の写真はどうするのさ」

「大丈夫。僕一人の個展じゃないさ。役割があるのさ。ちゃんと朝の担当だっているよ」

「そうなの? 初耳だぜ、そんなこと」

「当日を楽しみにしててよ」僕はそう言って煙草の煙で会話を閉じた。

 

 

 8

 

 

 カメラマンになる夢を、僕は諦めたわけではない。ただ、今は少し休憩している。昔みたいに最短距離で目指しているわけでもなく、

カメラマンに固執しているわけでもない。言うなれば、趣味の延長みたいなものだ。24歳で本気になり、26歳で諦め、27歳で趣味に戻った。ようはそういうことだ。

 

 

 9

 

 

 明け方4時過ぎに僕が必ず寄る場所がある。僕は横道に入り、路地裏にある一軒の軽食屋に入る。

その店は深夜から早朝までやっている少し変わった料理屋で、簡単な料理と酒を飲むことが出来た。僕は散歩の途中で軽く食事をとることにしている。

 

「いらっしゃい」

 ドアを開くと店主のやや疲れた声が聞こえた。ここの店の主人はいつも疲れている。おそらく彼も、長年の夜勤生活で体が参っているのだろう。

僕はカウンターの席に座り、ハムエッグ定食をオーダーしてから店内を軽く見渡した。隅の方に飲み過ぎたサラリーマンが二人、焼きおにぎりを前に眠っていた。

おそらくは始発が動くまで居座るつもりだろう。他にはおしんこと熱燗だけが置かれたテーブルがひとつ、客は見当たらなかった。

 僕は煙草に火を点け、乱雑に積まれた週刊誌の中から一冊を取って料理を待った。

 

「よぉ、そろそろ来る頃だと思ってな、先にトイレを済ませていた」

 そう言って声をかけて来たのは、近くのテナントのオーナーだった。彼はテーブルに置いたままの熱燗を持って隣に腰掛けた。

「何頼んだんだ?」

「ハムエッグ定食」

「またか。いつもそれだな、あんた」

「ワンコインが好きなんだ、無性にね」

「そうかい?」彼はそう言って僕に酒を勧めた。僕はそれを断り、出来上がったハムエッグに醤油を垂らした。

「俺の酒を断るもんじゃないぜ。あんたの個展、誰のおかげで開けると思ってるんだ?」

「酒は好きじゃないんだ。それに、金だって支払っただろ?」

「半分だけな。残りはどうした?」

「きっと給料前なんだ、少しは待ってやってくれ」

 僕は抑揚のない声でそう言って、ハムエッグを食べ始めた。

 

 僕の隣に座る親父は、今度開くことになった個展のスペースを所有している。

カメラを挫折した僕が個展だなんてなんだか馬鹿げているけれど、僕は来月個展を開くことになっている。

 個展を開くことに決めたのは、もちろん僕一人の決断ではなかったけれど、結局は開くことに決めた。

目的も持たず夜を歩き、茫漠な人生を送る毎日に少しでも変化を与えたかったのだ。そして僕は決意し、一週間の写真展を開くことになった。

 スペースを確保するには12万円が必要だった。僕が7万、もう一人が5万をそれぞれ負担することになっていたが、親父の話からどうやら僕しか支払いを終えていないようだった。

「話を持って来たのはあんただろう? 相方に即刻持ってくるように伝えてくれ。今回の個展が成功したら次からはもっと安くしてやるってな」

「成功って? 僕らはただ、純粋に写真を飾るだけさ。成功も失敗もない。それに――殆ど誰にも知らせてないんだ」

「俺を誰だと思ってやがる。招待状はとっくに出してるんだ」

「まさか? 一体誰に?」

「聞きたいか?」

「いや――やめておくよ。どうせ僕の知らない世界だ」

「ああ、そうだな。けどな、成功したら変わってくる。あんたの世界も開けるさ」

「期待してるよ」

「金さえ持ってくりゃあな」

 親父はそう言って、酒の勘定を払って店を出た。僕は一人、冷めきった定食を黙って食らった。

 

 

 10

 

 

 多くのものには目的地が設定されている。そして僕の散歩にも。

 食事を終えて店を出ると、ちょうど太陽が昇り始める。――朝だ。また今日も新しい一日が始まる。

僕は用済みになったカメラを後へ回して高円寺の駅前公園へと向かう。彼女はそこで待っている。そこが僕の目的地。

 

 写真展には二人のカメラマンがいる。夜の担当が僕で、朝の担当が彼女だ。僕の散歩の目的はカメラを持たない彼女の為に、カメラを渡す為でもある。

彼女は代わりにコーヒーをご馳走する。そういう約束だ。

 僕らはまるで太陽と月のように、朝と夜とを行き来する。

 

「おはようございます」

「おやすみなさい」

 

「おやすみなさい」

「おはようございます」

 

 僕と彼女は生きてる世界が違う。違う日常を見て、違う風景を歩いている。

 だから僕らが顔を合わすのは、ふたつの世界の接点であり、それは何処にも属さない、隠れた時間の中にある。

違う感性を持った二人。――多分、だから楽しいんだろう。

 

 駅前の公園には一匹の太った三毛猫がいる。僕と彼女はこいつに餌付けしている。

公園に彼女の姿はなく、僕はベンチにカメラを置いて三毛猫を抱き抱えた。その時、背後から聞き慣れたシャッター音が聞こえた。

 振り返った先、彼女はそこに居た。

「何してんのさ」

「ん……セルフ・ポートレイト?」彼女はそう言った。

 僕は肩をすくめてポケットから新しいフィルムを彼女に手渡した。

「スペース代、さっさと払いなよ。親父が君に伝えてくれってさ」

「給料が入ったらね」彼女はそう言って笑いかけた。

「まあ良いさ。それよりコーヒー飲みに行こうよ。そろそろ開店の時間だからね、今日もご馳走になるよ」

「うん。約束だからね」

 僕らは三毛猫に別れを告げて、光の中に身を投じた。

 僕らのセルフ・ポートレイトを撮るならば、今この瞬間の後ろ姿だろう、なんて風に僕は一人考えた。

 


『短編小説』 旅立つ僕らを包むもの 

2011年06月15日 19時07分46秒 | 短編小説

 旅立つ僕らを包むもの 



 突然のメロディー。それは繁華街からの無数の声だ。
 その声は時として私を手招き、何処か新たな場所へ連れ出してくれる。
 けれど、今聞こえてくるそのメロディーは決して私へ向けたメッセージではなかった。
それは煌びやかな者達に向けた声だ。深夜過ぎの新宿で薄汚れたコートの女になど誰も声をかけない。
もし逆の立場だったら私だってそんなことしたくない。私はスーパーで大量に積まれた賞味期限目前の牛乳パック。あるいは卵かもしれない。
 いや――よそう。私の方でも手招きを待っているわけではないのだから。

 また加速する声を背に私は歩き出す。
 此処に居てはいけない。何処か、少しでも落ち着ける場所に行こう。これ以上この場所に留まるのはあまりに惨めだ。
 歩き出した私に内側から声がかかる。
「ねえ、一体何処まで行けば気が済むの?」
「わからない」
「何処まで逃げたって同じことよ。その闇はあなたに内包されているのだから」
 私はその言葉に肯き、続きを静かに待つ。
「ねえ、じき二年よ。塞ぎ込むにしてはあまりに長いわ。このままだと手遅れになることは気づいてるんでしょう? 
  おばあちゃんに嘘までついて・・・・・・。ねえ、どうしたい?」
 私はその問いかけに答えないことにした。

 新宿の街はメロディーで覆い尽くされている。決して耳に届かない音に、私は足並みを合わせる。
こんなことしてみても意味なんてないと知りながら。

 少しだけ息を吸った、多分・・・・・・泣いていたんだろう。


 2


 目覚めはいつだって気が重い。一体いつからこんな風になってしまったのだろう。
通りから聞こえる廃品回収のアナウンスを耳に時計を眺める。
 ――午前9時。
 結局三時間しか寝ていない。それでも活動しようとするなんて案外私もいじらしい。
 私は眠い体をそのまま起こし、簡単な朝食をつくるとそれをコーヒーで胃に流し込んだ。
流しへ持って行きキッチン・ソープで入念に食器を洗うと、制服で身を包み病院へと向かった。


 3


 話せば長くなることだが、私は祖母と二人で暮らしている。祖母との暮らしは短くはなく、殆どずっと祖母と暮らしていたようなものだ。
幼い頃に両親を事故で亡くした私は、兄と祖母の三人で暮らして来た。けれど、今この家には私一人しかいない。
居なくなってしまった兄同様、祖母もまた三回目の糖尿生活の為に入院していた。
90歳を目前に控えての入院は、はっきり言って最後の入院と言ってもおかしくはなく、未だ何の合併症も引き起こしていないのは殆ど奇跡と言って良かった。


 4


「具合はどう?」
 そう声をかけようとしたがやめておいた。祖母はいつになく懸命にクロスワード・パズルに夢中だった。その姿は私に蟹を食べるラッコを連想させる。
「来てくれたんだね」
 しばらくたった後、静かに祖母はそう言った。随分前から私が居たことに気がついていたような口調だった。
「しびれの方は良くなった?」
「少しだけね。もう年だからあまり期待はしてないけど、少なくとも凛ちゃんが卒業するまでは生きていたいね」
「冗談はやめてよ。糖尿病じゃ死なないよ」
「そうかい?」と祖母は笑った。「凛ちゃん・・・・・・学校の方はどうしたんだい? 今日は平日だろうに」
 私は祖母の目を盗み見て気が重くなった。高校なんてとうの昔から行っていない。
それどころか出席日数が足らず、留年が確定していた。私が制服を着るのは病院に来る時だけだ。それを知らない祖母は尚も続ける。
「お金のことだったら心配しなくて良いんだよ。凛ちゃんを大学へ通わせるくらいの蓄えはあるんだからね」
「・・・・・・ありがとう」
 私は買って来たカット・フルーツを祖母に渡し、窓際に置かれた花瓶の水を取り替えるとタイミングを見計らって席を立った。
「行くのかい?」
「少なくとも午後からは出席しなくちゃね」
「がんばりな」
 未だ私が不登校と知らない祖母は、私の背中にそんなことを言った。

 病室を抜け、暇を持て余した私はラウンジへと向かう。アルバイトの時間までたっぷり四時間はあった。
ラウンジは実に様々な人達がいる。車椅子に乗ったまま煙草をふかす老人、パジャマ姿のツインテール、健康そうに見える大学生。
一体みんなどんな理由で病院へ集まるのだろう。
 午前中、待合室は外来患者で溢れかえる。ひとつの病院で同じ日に命が生まれ、その一方でひとつの命が散っていく。
患者達には一人一人異なった疾患の原因があり、その背景にはその数だけの人生がある。私はラウンジの椅子でコーヒーを啜り、そんな彼らの人生を想像する。
それぞれがそれぞれの選択の末にこの場所に集まっている。あるいはこの場所は人生の縮図かもしれない、そんなことをふと思った。


 5


 新宿南口にある、パチンコ屋とパン屋に挟まれた喫茶店は、私が半年前からバイトしている店だ。
少し歩いただけで、これほど静かな場所になることに私は違和感を覚える。
雑多で都会的、けれども快楽的な町。その店は町の片隅にあり、個性的とはほど遠く、まるで何世紀も前から存在していたような店だ。
 私の雇い主は見かけ以上に穏やかな人で、高校生だと言う私を簡単に雇ってくれた。もちろんそれは、この店の常連だった兄のおかげでもある。
 私がバイト先にこの店を選んだのは、ファミリー・レストランなどに材料を配達する仕事をしていた兄が、配達前に必ずここで食事をとると聞いたせいでもある。

 一時間前に出勤した私は黙ってカウンターに座り、クロックムッシュとホット・ミルクを頼んだ。
食事を済ませ、漫画雑誌を一通り読み終えた後、マスターが静かに言った。
「ずいぶんなご身分だな、凛。少なくとも大介ならこんな風になりはしないさ」と言って煙草を咥えた。
店は未だ一人の客もおらず、開店前の店内はBGMがかかっていないせいで、言葉は私の耳に少しの棘を運んで来た。
「ねえ、どういう意味?」
「意味なんてない。そのままだ」彼はそう言うと、煙草の灰をぎこちなく灰皿に落とし、「いや・・・・・・悪かった。忘れてくれ」と言った。
 私は少しだけ萎縮し、それから控え室へと着替えに向かった。


 6


 ――佐伯 大介。うん、私の兄の名だ。一昨年の暮れに亡くなった、たった一人の兄弟だ。
両親を亡くした時からずっと、彼はいつでも私の側に居てくれていた。

 兄の死の原因は交通事故であったが、その死を受ける相手は他に居たのだ。兄は赤信号の中、ヘッドフォンをつけて歩く中年男性を庇って死んだ。
自分の命を顧みず、見ず知らずの男を助けるような人だった。

 8歳歳上の兄は、両親を亡くした瞬間から私の兄であるのと同時に母と父の役割までも背負うことになった。
祖母の家に越して来た私達であったが、祖母はいつだって祖母であり、決して親代わりになる器は持ち合わせていなかった。
そのことに早くも気づいた兄は同年代の友人と遊ぶことより家庭環境の安定に力を注ぎ、顔つきは同世代と比べものにならないほど立派に成長した。
それは容易なことではなかっただろうと思う。兄には友人がたくさんいたが、私の記憶では友人達と連れだって遊びに行くことはなかったように思う。
いつも家に居て私の面倒や家庭の仕事をしていた。そんな兄に私が恋心を抱くまでに時間はかからなかった。
何も出来ない私と違い、いつだって彼は物事を自分で組み立て実行してきた。
恋心に気づいた時、それはもう自分ではどうしようも出来ない距離まで私の心を運んでいて、そこに残ったのは尊敬ではなく、愛情だった。


 7


「その店はいつだって人が少ないんだ。だからだろうね、時間がゆっくりと流れる。そういう場所が必要なのさ、特に俺のような仕事をしてるとね」
 兄がかつてそう言ったように、私の勤め先はとても穏やかに時間が流れる。
ランチタイムもしていないし、周りに競合店があるわけでもない。客の多くは近所に住んでいる人か、パチンコで金を使い果たした者達だけだ。
今日だって店にはまだ6人しか客は来ていなかった。4席あるカウンター席に客はなく、私はいつもマスターの懐具合を心配する。
「ねえ、経営は大丈夫なの? 私なんかを雇って」
 きっとそう言うと、マスターはにやけた顔で肯くだけだろう。いつだって肝心なことを言いやしないのだ。

 閉店30分前にいつものように薫さんが咥え煙草でやって来た。勤務中、一番気が重たくなる時間だ。彼女は来る度に説教をたれる。
今の私の生活で唯一説教してくれる存在ではあるが、彼女の言葉は私を腹立たしくし、同時に攻撃的にさせる。

「こんなところで油を売る暇があったら勉強しろよ。留年が決まったってことはそれだけ受験勉強の期間が増えたってことだ。
 だいたいバイトなんてしなくたって大介の慰謝料がたんまりあるだろうに」
 彼女はコーヒーを頼み終えると出し抜けにそんなことを言った。
 彼女の言葉はいつだって同じだ。勉強をしろ、学校に行け――。私にだってわかってる、いつまでもこんな生活をしてはならないってことが。
けれど、彼女に言われるとそんな前向きな気持ちがいとも簡単に萎えてしまう。
理由はただひとつ――、彼女が兄の恋人だったからだ。だから、そのせいで私はいつまで経っても彼女の言葉を素直に聞けない。

「なあ、慰謝料の総額は幾らだった?」
 黙り込む私に薫さんは続けた。
「・・・・・・2000万」
「2000万? 結構な額だな」
「あと、兄さんが助けた男性からも定期的にお金を振り込んで貰っています」
「そうか・・・・・・。もちろん金の問題じゃないのはわかるよ。けれど、十分生きていける額だ。少なくとも大学までならなんとかなる」
「何が言いたいの? 毎回毎回そんなことばっかり・・・・・・、私のことはほっといてよ。あなたに言われると癪に触るの。
 そんなことよりメガネの彼と遊びにでも行ったらどう? あの人ちょくちょく店に来てあなたのことを聞いてくわ」
「あんな奴、大介に比べれば屁でもないさ。もう、比べる必要もないことだけどね。でもね、凛。みんな遅かれ早かれどこかに引き上げていくんだ。
 こんな生活がいつまでも続くわけじゃないんだから」
「ねえ、凛って呼ぶのやめてくれます?」
私は唐突彼女に言った。多分、苛立っていたのだろう。
「ん・・・・・・、なんだいあんた、まさか私に佐伯って呼ばせたいのか? 冗談はよしてくれ!」
 彼女はそう言うと勘定を払って店を出て行ってしまった。
 私は彼女を傷つけただろうか? 本当、私は何をすれば良いのだろう? 彼女が私を心配してくれているのはわかってる。
彼女だって私と同じ境遇なのだから。だからだろう、こうして定期的に会いに来て様子を探っていく。
私みたいに意地を張っているわけでもなく、本気で私のことを心配してくれる。それは兄が居なくなって二年経った今でも続いている。

 兄さんさえ居てくれたら、私はあの人と仲良く出来たのだろうか?


 8


 ねえ、素晴らしい日々があったの。
それはいつまでも変わらずに続いていくはずだったの。
でもね、それはもう――記憶の中にある。幸せの瞬間は凝固され、私の頭で回想される。
それは高い空を目指す鳥のように、その想いは決して届きはしない。死んでしまった人は二度と戻らない。
何か、きっかけがないといつまでも前進出来ない。この冬が終われば、兄が死んでから二年経つことになる。
来年――例えば三年後、それはどんな思い出に変化しているのだろう?
 薫さんや祖母、みんな変わっていく。月日は確実に経っていく。時の流れが私達の心情や、信じているものや体を変えていく。
 兄は死んでしまった。だからもう何処にも居ない、二度と会えない。どうして私はこんな簡単なことがわからないのだろう。


 9


 高円寺の南口をそのまままっすぐ歩いた先に、小さなチェーン居酒屋がある。その二階、彼女が経営するダーツ・バーの前に私は居る。
当て字で書かれた大げさな看板にはごちゃごちゃと余計なイルミネーションが施され、私なんかを否応なく拒否しそうな雰囲気を漂わせている。
 けれども私はこの場所に居る。あれ以来店に来なくなった彼女の為じゃない、私の為に訪れたのだ。
 ――きっかけ。そう、きっかけを求めている。人は中々前には進めない。誰だって背中を押し、自分を肯定してくれる人を求めている。
許してくれるのかな・・・・・・。私は不安を胸に兄の彼女の勤める店のドアを開けた。

 彼女はカウンターの奥に居た。店内には多くの客が居たが、幸いカウンターに人はなく、みなプレーに集中していた。

「凛? あんたどうしてこんなところに――」と言って彼女は頭を振った、「いや、よそう。凛って呼び方はよして欲しいんだったな」
「・・・・・・凛で良いです。あの時はどうかしてました」
「そうかい?」
「はい」
 そう言ってしまうと、私達は押し黙った。私達は頻繁に顔を合わせてはいたが、いざ会話をしようとすると、殆ど今まで会話らしいことをしてこなかったように思う。
 おかしな話だ。兄さんが居た時は、この場所で一緒にダーツをしていたのに。

 しばらくて薫さんは綺麗な色を底に沈めたグラスを出してくれた。
「ペリエさ。こんなナリをしていても、高校生にアルコールを提供するほど非常識でもない。
 底に溜まってるのはアレだ、レモンシロップさ。炭酸が入ってるから混ぜちゃ駄目だぞ」そう言うと彼女は、自分の為にジントニックを用意した。
「落ち着かないだろ? この店。これでも頑張って雰囲気づくりをしてるんだけどな」
「いえ・・・・・・大丈夫です。はい」
 一体何が大丈夫なんだろう? 自分でもよくわからない。
「今日はどうしたんだ? こんなことは大介が死んでから以来じゃないか? 悩みでも抱えているのかい?」
 ひどいことを言った私に、彼女は優しく語りかける。うん・・・・・・、やはり兄さんが選んだ人だ。
口は悪いけれど、私が謝る機会を絶対に潰したりしない。優しい人なんだ。

「薫さん。――この前はひどいことを言ってごめんなさい。なんだか、私ばっかり被害者面して、いつもいつも私ばっかり、って態度でごめんなさい。
 それと、私のこといつも心配してくれてありがとう」
私はそこまで一気に言うと、一息でグラスを飲んだ。
「ん・・・・・・、なんだ、珍しいね。こんなに露骨に謝られると何て言って良いかわからないや」
 彼女は静かにそう言って、グラスの中身を少しだけ含んだ。「あんたが被害者だってことはわかってるつもりだよ。
  けれどね凛、いつまでも過去に縛られたって仕方ないんだ。大介はもう居ない。残された者は残された者だけでやって行くしかないんだ。
  私だって寂しいさ・・・・・・。けど、仕方ないことなんだ」
「忘れられないんです・・・・・・」
「ん?」
「兄さんのこと、忘れられないんです。記憶の隙間が、美しかった瞬間だけを繰り返すんです。
 そういった思いに包まれる度、私は何処にも行けなくなる。前を向いて歩きたいのに、どうしても駄目なんです」

「ねえ、本当に忘れたいのか? 美しかった瞬間の全てを」
 彼女は何かを測るような目でしばらく私を見ていた。そしてそれは、ひどく私をどぎまぎさせた。周囲には渦巻く煙草の煙の中で大声で話し合う若者達が居た。
「わからないです・・・・・・。忘れたい、忘れたくない。わからないんです、私」
「馬鹿だな、泣く奴があるか」
彼女はそう言って、おしぼりを私に手渡した。
「ひとつも要らない記憶なんてないよ」唄うような呟きで彼女は言った。
「忘れる必要なんてないんだ。私は大介のことを何ひとつ忘れちゃいない。大切な思い出を抱えながらだって生きていけるはずさ。忘れちゃいけない記憶だってある。
 なら、ずっと抱えて居たって誰も文句なんて言わない、いや――言わせないさ」
「本当に?」
「ああ」彼女は静かに肯いた。「出来るはずさ。旅立って行くんじゃない、一緒に行くんだ。これからも。
 私はこの二年間ずっとそうして来た。これからだって。だからね凛、一緒に連れてってやろう、一緒にだ」


 彼女はそう言って、歯を見せずに得意そうに笑った。


 10


 春がやって来た。私はと言えば、懲りもせずにもう一度高校二年生をやっている。
去年の冬は寒々しく、孤独で、楽しいことなんて何ひとつなかった。
薫さんは今でも私の世話を焼きたがる。それはまるで二番煎じの追憶のようだったけれど、
いつも心の在り方を心配する彼女の優しさが、今では悪くないと思える私が居る。

おかしなもので覚えていようとすればするほど、だんだんと兄の記憶は薄れていく。けれどそれは仕方のないことだ。
私は以前のように過去に縛られているわけではないのだから。
私の時間は当たり前のように毎日が流れていく。
嬉しいこと、悲しいこと、恥ずかしいこと、楽しいこと・・・・・・。

「受ける情報が前より多いんだもの、仕方ないよ。それは凛が前に進んでるって証でもあるんだからさ」薫さんは笑ってそう言う。


 今の私には、以前のような枯渇感はない。満たされている私が居る。
 このまま前に進もう。進めるんだから。
 俯かないように、兄の記憶が背中を押してくれる限り。

 そう――、進んで行こう。これからだって一緒なんだから。