音楽にこんがらがって

音楽制作を生業としている加茂啓太郎の日常

レジロスが好き

2020年04月26日 | ライブ
音楽ファンなら心底感動したライブというのはいくつかあると思います。

とりあえすベスト4をあげると

1982年のU2の渋谷公会堂でライブ。ボノが旗を振って「ノー、ウォー」と言った時は「やっぱノーウォーだな」と思いました。

何年か分からなくなってしまったのですがのカウントダウン・ジャパンの忌野清志郎のライブも感動しました。
RCサクセションも何度も見たことはあったのですが、この時は「愛と平和が一番大切」というようなメッセージが
天啓のように頭の中に落ちました。

1976の名古屋公会堂(多分)での遠藤賢司を見てライブというのは音楽は曲が良いとかどうかではなくアーティストの発するエネルギーを感じるものだというのが分かりました

そして、今から紹介するレジロス(実際はレヴィロスなんですがややこしいので後述します)の1994年5月の新宿アンティノックのライブです。

その理由は「ただ、ただ楽しかった」です。あんな理屈抜きに楽しかったライブは他にありません。

彼らはイギリスのエジンバラで1976年にアートカレッジに通う学生で結成されます。
メンバーの編成はサックス、コーラス、ギターのメンバーが居たり居なかったりして、ややこしいのですが基本的のは男女のツインボーカルにギター、ベース&ドラムの5人編成です。
76年結成、アルバムはスタジオ盤、1枚、ライブ盤1枚、シングル4枚をリリース。
78年には一旦解散してしまいます。

昨年、リリースされた音源全て集めた2枚組のCDが出たのでカルトな人気があるんでしょうね


ビジユアルはこんな感じです。



動画です


B急SF映画の登場人物的な感じです。
特撮映画で言えば円谷プロ、東宝ではなく日活、大映、ビープロ感が満載です。 要は絵に描いたようなB級センスなんです。


ちなみにボーカルのユージン・レイノルドが氣志團の早乙女ヒカルちゃんにそっくりなんです。
それだけの理由で、いつか氣志團万博で呼んで欲しいです。

ユージン
ヒカル 

話が外れました。

音楽的にはポップ・パンクになるかと思います。 テンポは早く、曲は短く、メロディーはひたすらキャッチーです。
印象としてパンクというには明るく能天気。
歌詞も「円盤が攻撃してくる」とか「運命の女神」「冷戦が始まる」とかB級SF的な事がテーマで政治的、思想的なメッセージなどはありません。

デイブ・クラーク・ファイブ、ビートルズ、スイートなどの曲を高速カバーで演奏します。
ティニー・ボッパー、グラム・ロック的な味わいも残っています。


彼らの最大の特徴は男女ツインボーカルです。
男性のユージンの声はダミ声。 酒焼けした北九州の鳶職の親父(あくまでイメージです)

女性のフェイ・ファイフィーは甲高くて野太い、下町の焼肉屋で大声で注文とってるお姉ちゃんみたいな感じです。

さらに例えると、この魅力は薬膳の火鍋で鍋でスープが赤いのと白いので2種類に分かれてるのあるじゃないですか、僕の音楽フード理論で例えるとぴったりです。

彼らは1977年インディーズからシングルをリリース、それがサイアー・レコードの目に留まり契約、
サイアーというのアメリカのレーベルでサイアーが初めて契約したイギリスのバンドになるそうです(次はないですが)

それが縁でサイアーのレーベルメイト、トーキング・ヘッズ、ラモーンズと同じトニー・ボンジョビのプロデュースでNYのパワーステーションでファースト・アルバム「キャント・スタンド・ザ・レジロス」を1978年7月にリリースされます



僕が持っているのはUKオリジナルとドイツ・オリジナル、UKテスト・プレス、最新の再発です。
イタリア盤、アメリカ盤、180G再発、日本盤(帯無し)なんかも持ってましたが音がイマイチなんで売りました。
テスト・プレスはレコード番号がない謎のブツで、それほど音は良くないですね。
最新の再発は音良いしオリジナル(¥4〜5000)より安いのでお薦めです。


注目すべきなのでエンジニアがボブ・クリアマウンテンなんです。
彼はその後デビット・ボウイ、ロキシー・ミュージック、ブルース・スプリングスティーン、ホール&オーツなど担当して80年代を代表するスター・エンジニアになりました。

彼の最初期の作品です。

なので音が当時の良いんです。例えれば高級な青魚、関サバのような感じかもしれません。


1977年に彼はデッド・ボーイズのファースト・アルバムのアシスタント・エンジニアだったのですが、アルバムをリリースした10数年後、「あのボブが作ったラフ・ミックスの方が音が良いんじゃね」という話になりカセット・マスター・バージョンで再発になりました。 いつか聴き比べようと思ってるレコード・リストに入ってます。

さらに余談ですがある日、タクシーに乗っていた甲斐よしひろがロキシー・ミュージックの「アバロン」を聞き、このサウンドが欲しいと思い、甲斐バンドのアルバム3枚をボブがミックスを担当しています。
結構すごい事だと思うのですが、誰も語らないですよね(ふくりゅうくんどうですか?)
ちなみに雑誌取材の際の原稿チェック、写真チェックというのは甲斐バンドが始めたそうです。

コレクターズの古市コータローさんもこのアルバムのファンで池袋交差点24時で「レジロス登場(邦題です)とばかりにね」という発言があり、いくら万単位の人が聞いている人気ポッドキャストでも
分かったのは僕とジェフとニコルくらいかと思います。

話が外れました。

それと、ベースのウィリアム・ミステリアスが上手いんです。
ルートのエイト・ビート弾きとランニングをうまく組み合わせるキャッチーな良く歌うフレーズと抜群のタイム感がグルーブを引っ張っています。
再発のライナーでJマスシスが「こんな熱いベースのプレイは聞いたことがない」と絶賛してます。

NW知られざる名ベーシストといえばジョー・ジャクソンのバックを務めたグラハム・マビーを思い出します。ジョー・ジャクソンはアルバムによって音楽性がコロコロ変わる人なんですがベースだけはずつと彼なんです。
ベーシストの方は一聴の価値があると思います。
土屋昌巳さんが絶賛してたのを思い出しました。

話が外れました。

アルバム発売と同日に代表曲「トップ・オブ・ザ・ポップス」をリテイクしてシングル・カットします。

謎なのは、このバージョンはテンポも落としてあって、前述の名ベーシストもなぜか脱退しているのでアルバム・バージョンより全然良くないんです。 

チャートは17位と健闘していますが、意味が分からないです。

調べるとサイアーがワーナに買収されたためリリース時期が遅れるトラブルがあったとあります。2月にレコーディングで7月リリースというのは、そんなに空いたとは思わないのですが、シングルは新しいベーシストのバージョンにしようというような忖度が働いたのかもしれません。

ナンバーガールは東芝EMIのハイクラスのスタジオで録ったバージョンを没にして地元福岡のスタジオで録り直して、それが吉と出たんですが、この場合は逆ですね。

ちなみこのシングルのエンジニアのイアン・テイラーはVOWWOWのレコーデイングの時にロンドンで会いました。
「ケイト・ブッシュはアナログ・テープの劣化した音が好きだから、何回も録音を繰り返させられて疲れた」という話はしたのですが、当時はレジロスを担当していたとは知らず内情が聞けたのにと思うと残念です。

このあたりからバンドには不穏な空気が立ちこめます。

シングルのレコーディングを前回の失敗を反省したのかスター・プロデューサーのマーティン・ラッシェントを迎えて「ディティネーション・ヴィーナス」リリース。
曲も音の出来はすごく良いのですが、ジャケットの撮影に5000ポンド使ってしまい大問題になったという事なのですが、今のレートで66万円なので、安くはないですが、とんでもない額でもないと思うのと、イギリスは撮影費用はアーティスト負担なんでしょうか? 見てもそんなにお金がかかったとは思えません。




ボーカルのフェイフィが喉のトラブルでツアーが延期。

シングルチャートは43位と下降。

ボーカルの2人はロマンティックな関係(直訳)になってしまい、後の3人と対立することが多くなり(バンドあるあるですね)

1978年9月22日に解散を決めたそうです(良く覚えてますよね)

解散コンサートを同年12月23日グラスゴーのアポロシアターで行います。

この模様はレコーデイングされて「ミッション・アコンプリッシュド、バット・ビート・ゴーズ・オン」としてライブ盤として翌年4月にリリースされます。


このアルバム、アナログではSEでテレビ番組のサンダーバードのテーマ曲が流れて1曲目に突入するところがカッコいいんですが、CDは削られてます。
70年代までバンドの出番の前はMCが煽るという一般的だったと思います。

バンドが出のSEをいつから使うようになったかもいつか検証考察したいのですが、ここでは話が外れすぎるのでやめておきます。

話を戻します。

ライブ・アルバムと同日に「コールド・ウォー」がシングルカットされるのですがライブ・バージョンなのにミックスが違うんです。

こんなケースは聞いたことがないですね。ちなみシングル・バージョンの方がドラムが遠くてギター大きいですが迫力に欠けます。何をやりたかったのかまるで分かりません。

ミックスの時に夫婦組と楽器隊で意見が対立して、では別々にリリースしようとなったのかもしれません。

話はまだ続きます。

カップル組の二人はレヴィロスというバンドを立ち上げ。79年にはデビュー。80年にはベースにウィリアムを再び迎えアルバム[レヴ・アップ」をリリースします(早っ!)

バンドのビジュアルやコンセプトは何も変わりません。


動画です。

強いていえば曲がイマイチになったという事でしょうか。

なぜならレジロス時代の曲はやめたギターのジョー・キャリスがほぼ全曲を書いていたんです。


ジョーはやめたメンバーとバンドを始めますが内容もセールスもパットしません。

ですが80年になんとテクノ・バンドのヒューマン・リーグにギターを置いてシンセサイザーとして参加(マネージメントが一緒だったらしいです)世界的大ヒット・アルバム(UK1位、USA3位)「デアー」では作曲でも貢献します(そこそこ儲かったと思います)

左端です(少し浮いてますよね)



そしてレヴィロスは85年に活動休止していたのですが日本のヴィニール・ジャパンの要請で94年に初来日をします。
この時のライブを僕は見たわけです。この日のライブは「日本炎上」というタイトルでリリースもされました




この後も彼らは不定期な活動を続けコンピレーション、ライブ盤、レア音源などを年に1枚程度リリースしているのですが、ジョーが参加している時はレジロス、いない時はレヴィロス名義のらしく2009年の2度目の来日ではジョーが参加しておりレジロス名義でした。

当時のツアー・パンフです。





ですが2015年の最新アルバムはジョーの名前はないですがレジロス名義になっています。
年もとったし細いことはもういいよという事にでもなったんでしょう。



そしてなんと2019年に初来日のライブ盤の完全盤がリリースされたんです!

たどたどしい日本語もMC「私は宇宙から来たモンスターです!」etcも好感が持てます。

ですがアンビエントと歓声は被せすぎですね。200人キャパの新宿アンティノックが1000人キャパくらいになってます。
打ち上げの写真です。

刺盛り¥480はかなり安めの所に連れて行かれてるようで切ないです。


そして2020年6月25、26日にレジロスが3度目の来日をします(新宿マーズ2デイズ!)



僕は喜び勇んでヴィニール・ジャパンにチケット買いに行きました。
店員さんに聞いたら「ジョーは来ないっぽい」(さすがヴィニール・ジャパン!)けれど名義はレジロスだそうです。

整理番号は1日目は19番、2日目は39番でした。


ですが、なんと延期になってしまいました(泣)中止にならないことを、このブログを読んだ方も願っていただければ幸いです。





















ガールズ・アット・アワ・ベストが好き

2020年04月11日 | 楽曲解説
ロック、ポップスの歴史の中で名盤を一枚だけしかリリース(ライブ盤は除く)しなかったアーティストがいます。

一番、有名なのはセックス・ピストルズですが、他にはデレク&ドミノス、ジェフ・バックリー、レジロス、ダフィー、レミー・シャンド、DMZ、アント・サリー、エックス・レイ・スペックス,乱魔堂、The La's、ヤング・マーブル・ジャイアンツなどが思い浮かびます。

解散後、ソロ、あるいは別のバンドで活躍したバンドが多いですが、何故か跡形もなく消えたバンドもあります。

今回はその一つガールズ・アット・アウア・ベスト(以下GAOB)について書いてみたいと思います。

彼ら(ボーカルは女性)1979年にイギリスのリーズで結成されて1982年には解散と短期間の活動でした。

公式にはアルバム1枚とシングル4枚と解散後にジョン・ピール・セッション(ラジオ番組の収録ですね)を1枚リリースしています。

彼らは2013年のギタリストのジェームスのインタビューを読むとSOS!というパンク・バンドをやっていたけど解散し、型にはまらない音楽をやりたいと思い、その時学校でボーカルのジュディ・エバンスで出会い、彼女はパンクには全く興味がないけれどキャラクターが面白いので誘って、全く楽器経験もないメンバー(後に脱退)も誘って結成したそうです。

ビジュアルはこんな感じです。



79年12月23日にレコード・レコーズという人を食った名前の自主レーベルかゲッテイング・ノーウェアー・ファーストというシングルをリリースします。



ジャケは女子が立ちションしてる後ろ姿の下手なモノクロのイラストという意味不明なもので、まさに自主制作という感じです。

ですが、いきなり当時権威があった(今でいうピッチフォークみたいなもの)NMEの今週のシングルに選ばれてインディー・ヒットになります。(5000枚売れたそうです)

まず耳に残るのは不安定なファルセットでママさんコーラスのように歌われるボーカルです。

50歳以上の人は浅田美代子、大場久美子、岡田奈々、森尾由美といったオートチューンをドラえもんにスタジオに届けて欲しいと思う、昭和の女性アイドルを思い起こす人もいるかもしれません。

ですがメロディーはキャッチー。
下手くそながらもビビッド演奏も心躍りますが、聞いていると妙な違和感を感じて来ます。

その理由は普通、ポップスやロックというのはAメロ、Bメロ、Cメロ(サビ)(Bメロはない場合もあります)&イントロ、間奏が、ある程度のルールを持って組み合わされるのですが、

この曲は「イントロ、A,A,間奏,A,間奏2、A' 後奏という掟破りな構成になっていて、1:58秒で突然カットアウトで終わります。

まさに型にはまらない音楽だと思います。

カップリグの「ワーム・ガール」はAメロから転調、予想がつかないBメロになり、さらに1Bと2Bの後半のメロディーは違います。
さらに転調してCメロというより、新たなAメロのようなパートが来て終わります。

ある意味、3分のプログレと言えるかもしれません。

その後2枚のシングルを出し、に81年に大傑作アルバム「プレジャー」をリリースします。

レーベルはセカンド・シングルから「ハッピー・バースデイ・レコード」という所なのですが他にはエレポップのシングルが何枚か出ているだけで良く分かりません。

前述のインタビューだとラフ・トレードとかにも行ったけれどジュディがデモを、その場で聞かせるだけで若気でいたりで置いて行かなかったと言っています。

契約出来る訳がありません。

「彼女は攻撃的なフェミニストだった」(直訳)と言っているので意識が高すぎて拗らせてたのかもしれません。(写真からも「なめんなよ」オーラを感じます)

ローレンス・ダイアナという人がプロデューサーなのですが他にはハッピーマンデイズののファーストのエンジニアくらいしか大した仕事はしていません。

特筆すべきなのはのちにU2,デペッシュ・モード、ニューオーダー、ナイン・インチ・ネイルズ、スマッシング・パンプキンズ、シガーロスなどの90年代のロック名盤の多くをプロデュースしたフラッドがエンジニアなんです!

このアルバムより2ヶ月遅れでリリースされたニューオーダーのファーストはアシスタント名義でクレジットされているので彼がメインでエンジニアを務めた最初の作品かと思われます。

なので音が当時のロウ・バジェットのインディー・ロックとは一線を画した、ハイファイではないですが例えれば高級鶏卵のようなコクのあるサウンドになっています。

このアルバムはギター、ベース&ドラムのシンプルな生演奏なのですが、全体にテクノ&エレポップのような印象を与えます。

これは多分、デビュー前のトーマス・ドルビーが何故かシンセサイザー参加しているのも理由でしょう。かなり良い味付けになっています。

今でこそあまり名前聞かないです(一時音楽業界から離れてたようです)が80年代中頃の彼は坂本龍一とユニットをやるなどテクノの最先端アーティストでした。

この坂本龍一と共作したフィールド・ワークのMVは坂本龍一が終戦を知らないまま戦後発見された日本兵(空手が得意、なぜかNYで犬と住んでいる)トーマス・ドルビーは
モヒカンのパンクなカメラマンという設定です。
詳しくは動画を見てもらえれば良いのですが、「戦メリ」と「タクシー・ドライバー」が合体した感じです。
監督は分からないですが日本人のセンスではない感じです。
撮影はNYで35mm。リップシンクもなくショート・ムービーです。
これは多分日本のMVで多分一番制作費がかかったものの一つだと思いますが、どうでしょうか。

話が外れました。

楽曲は掟破りな構成こそ、影を潜めますが、素っ頓狂なメロディー、繰り返される転調は相変わらずです。

クレジットはバンドのメンバー名義ですが2曲だけジュディのソロ名義になっています。

推察ですが曲作りは楽器も出来ず理論もわからない彼女が鼻歌で作ったメロディーのパーツを繋げて行ったのかもしれません。
なので転調が多用されるのでしょう。

これはももクロの「行くぜっ!怪盗少女」に代表されるヒャダインの曲作りに通じるものを感じました。ひょっとしたら彼に影響を与えているかもしれません。

転調があまりも多用されると小室哲哉の90年代後半の曲のようにバラバラのメロディーをつないだだけのように聞こえてしまうのですが、これを一つの曲に聞かせるのは
センスと技術が「怪盗少女」のようにセンスが必要なんです。

さらに特徴的なのはコーラス・アレンジです。

色々やっているのですが、多分感覚だけでやっていてラインもぶつかりまくりです。そもそもメインボーカルもピッチが悪いので気持ちが悪いです。

トッド・ラングレンは高野寛のレコーディングの時に「コーラスのラインは少しぶつけろ」とアドバイスしたそうですが、これを実践しているのかもしれませんが、やり過ぎですね。

ですが、これも聞いてると病みつきになるんです。

ギターの響きもどこか違和感があるので変則チューニングかもしれません(ただチューニングが悪いだけかもしれませんが)

歌詞の意味は僕の英語力とグーグルの力では何が言いたいのか分かりません。 


「ポリティックス」「ファッション」というような曲名から察するに世相を皮肉るみたいな感じなんでしょうか。

彼らは何に影響を受けたか謎すぎるのですが 「スパークスは好きだ」と言っている記事を見つけました。
確かに言われてみればメロディーの感じは近いです。

あいみょんのメロディーがスピッツに近いというのに似てるかもしれません。

B面は最後はドラムのパターンがループするカッティングで終わっていて、これはサンプリングで使えます。許諾も難しくないと思うのでお勧めします。
(再発のアナログはこれが再現されておらず残念です)

ジャケットは勘違いした中国イメージですね。 


リーズ出身のバンドといえばレッチリにも影響を与えたギャング・オブ・フォー(アンディ・ギル RIP)
を思い起こしますが、この名前の意味は中国の四人組の事なので、リーズで中国のイメージが流行ったのかもしれません。

YMOの「ソリッド・ステート・サバイバー」が79年なので、ここから影響を受けたのでないか?という推理も成り立ちます。

日本からの影響があるかもしれないと推察するのはメンバー全員、三島由紀夫のTシャツを着ています。



三島由紀は過激派右翼だと思うのですが、どこまで彼の思想を理解していたのかはよく分かりません。

(軍の基地に乗り込んで演説して切腹して死んだなんていうのはパンクと言えば最高にパンクですが)

ストラングラーズも同時期に三島由紀に捧げるみたいな曲があるので、当時イギリスで流行ったんでしょうか?
(去年の日本公演でやるかと思ったらやらなかったですね)

今、日本で三島由紀のTシャツ着てたら、危ない人だと思いますが、東大生のとの対談の映画が良かったので、ちょっと欲しい気もします。

ちなみに僕の母親は三島由紀夫とお見合いの話があったそうです。
もし母親が三島由紀夫と結婚してたら僕は半分だったわけでどういう人生を送ったか、下北沢駅前劇場での小劇団の演目になりそうですね。

話が外れました。

インタビューを読むと、ジュディのルックスを前面に打ち出してポップ路線で行くかサブカル路線で行くか悩んだみたいな事を言っているのですが、
可愛い系でもないし、アート系でもないし確かに微妙ですね。

ちなみにチャートは60位だったそうなので商業的には失敗ですね。

その後、アメリカ・ツアーに行ったけど、客はあまり居なくて、「サイン会をやってもスパイナル・タップみたいだった」と言っています。かなり悲惨だったのでしょう。

その後解散は理由ははっきりしませんが、要は売れなくて嫌になったのだと思います。

前述のインタビューでラフ・トレードと契約していたら違った状態になっていたかもしれないと言っているので、ジュディがデモをラフ・トレードにおいて行かなかった事をかなりに根に持ってるのだと思います。

ボーカルのジュディは地元で広告代理店に就職。
ギターのジェィムスはサイコビリー系のいくつかのバンドに参加しています。
トール・ボーイというバンドでミニ・アルバムをリリースしていますが、何にも面白くありません。
という事はGAOBの素晴らしさははボーカルのジュディの才能に起因していたのではないかと思います。

87年に82年にレコーディングされたジョンピール・セッションズがリリリースされました。

演奏はツアーを経ているのかアルバムよりタイトにまとまっています。

面白いのは自分たちの曲6曲をメドレーでやっているのですが、転調こそしますが、テンポとドラムのパターンが全く同じでDJミックスのようになっています。

つまり、このバンドは前述したように思いつきでジュディが作ったメロデイーを1曲にまとめるという曲作りをしていたので、こういうアレンジは得意だったのではないでしょうか。

このアルバム、存在は知っていたのです、それこそロンドンのレコ屋で探してもシングルが見つかっても、このアルバム見つからなかったのですが、下北沢のディスク・ユニオンで10年ほど前に偶然引き当てた時は本当に手が震えました。
こんな経験は後にも先にも一回だけです。


この原稿のために色々掘っていたら最近のジェームスのビジュアルを見つけてしまいました。

当時はブリクサ・バーケルトやロバート・デニーロのようなビターな感じのイケメンだったのですが、今やカブトムシのメスないしは島田洋七になってました。
これは偶然あっても絶対に本人と認識出来ないと思うと残念です。

当時


現在

















































僕はリアル・タイムで徳間ジャパンから出たラフ・トレードのコンピで82年頃に聞いて衝撃を受けたのですが、全く情報がなくアルバムの国内リリースもなく輸入盤も解散後の事なので入手は不可能でした。







その後、日本のビニール・ジャパンが1994年に初CD化、








キャプテン・ビヨンドが好き。

2020年04月07日 | ロック
なぜだが分かりませんが王道から少し外れたアーティストが王道のアーティスト同じくらいに好きなんです。

ロキシー・ミュージック、レジロス、ウルトラボックス!(初期)デフ・スクール、B52’S、バズコックス、オンリー・ワンズ、ムーン・ライダーズ、ザ・コレクターズ、モノクローム・セット、ファンカデリック、ムタンチスetc

その中ひとつに僕が偏愛して止まないバンドがキャプテン・ビヨンドというバンドがあります。

去年も新しい発掘音源がリリースされてました。
音質が最悪過ぎだからだと思うのですがレココレにも紹介されませんが、個人的に盛り上がったので、今、時間がある事もあり、数奇な運命(というほどでもないですが)彼らについて私見も含めて書いてみようと思います。

彼らはジャンルとしてはハードロックですね。
レッド・ツェッペリン、ディープ・パープル、ブラック・サバス、AC/DCも、もちろん好きですが個人的にはキャプテン・ビヨンド(ファーストだけで理由は後述します)
はそれらに勝ります。

プロフィールを紹介すると
1971年 元ディープ・パープルのボーカル、ロッド・エバンス(中央)、元アイアン・バタフライのベースのリー・ドーマン(左上)とギターのライノ(右)
元エドガー・ウィンター・グループのドラムスのボビー・コールドウェル(左)(後のAORシンガーとは別人)でロサンジェルスで結成。

当時、流行ったスーパーグループとして話題になりました。


オリジナル・アルバムは3枚ですが、トリビュート・アルバムがあったり、ここ最近、デモやライブ音源のリリースが相次ぎ、カルトな人気があるんだと思います。

僕のコレクションです。


ボビーの2013年のインタビューを読むと(英語なので事実と違ったらすいません) リーとライノがアイアン・バタフライが洞窟(直訳)に入るので一緒にやらないか、ボーカルはロッドに決まっていると加入の要請がボビーにあったようです。

ロッド・はディープ・パープルをクビになり(理由は力量不足だったとは言われますが、力量不足というよりロバート・プラント的なハイトーンでシャウトするのがロックのトレンドになってきたので、それに合わないと思われたのでしょう)

当時、ジミ・ベンドリックスしかり、シン・リジーのスコット・ゴーハム、スパークスのロン兄弟、プロデューサーのトニー・ヴィスコンティーなどアメリカからイギリスに活動の拠点を移すアーティストはいましたが逆のパターンは僕の知る限りいないです。

理由は謎ですが、デビュー当時、ディープパープルはイギリスのバンドでもあるにも関わらずアメリカのレーベル、テトラグラマトン・レコードとしか契約出来ずアメリカでしか発売されなかったので、そのツテを頼ったのか、女性関係ですかね(70年代の007シリーズで映画で中盤くらいで殺される悪者みたいなイケメンですから、モテたとは思います)

ボビーのインタビューではオールマン・ブラザースのデュアン・オールマンにたまたまデモを聞かせる機会があり、同席していたカプリコーン・レーベルのA&Rが気に入りデビューが決まったそうです、なのでクレジットに亡くなったデュアンの思い出に捧げるという名前があるかのと思います。

上記のインタビューで「自分たちはカプリコーンはサザン・ロックのレーベルでイメージは違うけれど冒険として面白いと思った」と言ってます。

ちなむにナンバーガールがテキサスのSXSWに出た時に、このカプリコーン・レーベルのA&Rが見に来て名刺交換をした記憶があります。
もし解散しなかったらレーベル・メイトになっていたかもしれません。

そして1972年に大傑作アルバム「キャプテン・ビヨンド」をリリースします。

A面は当時流行りプログレの組曲スタイル。

1曲目から5拍子のドラム・パターンなんですが、変拍子というのは聞いていて『あれなんか変じゃないか!?」と思って指折って数えて確認するののですが、
ドラムだけなのですぐ5拍子と分かるのですごく親切ですね。

演奏は上手いですが、ツェッペリンなどのA級バンドに比べると演奏が突っ込み気味でタメがないので貫禄と風格に欠け、キック、ベースといったロウがちゃんと録れていないので迫力ないのが残念です。

ボーカルはロックというよりラウンジ・シンガーみたいなのですが、良く言えばデビッド・ボウイですが、むしろ布施明に近いと思います。

特徴としては、この時代のバンドにしては歌も演奏も珍しくブルースっぽさが皆無なんです。

アイアン・バタフライもエドガー・ウィンター・グループもブルース・テイストはあるので、それが嫌でリー、ライノ、ボブの3名は辞めて、ブルース・フィーリングのない
ロッドを誘ったのでないかという推察出来ますね。

個人的にブルースは割と苦手なんです。

なのでクリーム(アルバム1枚も持ってないです)やフリー、曲によっては実はツェッペリンも、あまり好きで無かったりします。

なので、そこが僕にはツボなのかもしれません。

週刊文春の桑田佳祐さんのコラムを読んでいたら自分のルーツはエリック・クラプトンからのブルースだと書いてあったのですが、僕がサザン・オールスターズを好きになった事がないのは、そのせいかもしれません。

話が外れました。

70年代のハードロックはコーラスはあまりないのですが、彼らは「パラ〜パラ、パラ〜パラ」みたいな唐突なソフト・ロックのようなコーラスが入り、これがオリジナリティーにもなっていると思います。

歌詞は所謂、宇宙&SFみたいな雰囲気もの、さして意味はないのではないでしょうか。

ギターはジミヘンの影響が多いと思います(機材もストラトにマーシャル、カバーもしてます)
甘めで鼻が詰まったような歪みも独特なのですが、クリーン・トーンも良いんですよね。
チョーキングで溜めず、早いパッセージで攻めるのはアルビン・リーも思い起こします。
単音のリフの跳ねる感じはカントリーの素養もあったのかもしれません。

ドラムはミッチ・ミッチェルが近いです。ミッチ・ミッチェルが叩いていると言っても信じるかもしれません。

ベースは特にこれといった特徴はないです。強いて言えば動画見ると、テレキャスター・ベースを使っているのが珍しいという事くらいです。

プロデュースはバンド名義ですが、エンジニアは録りのエンジニアはウェイン・ディレイーという人でディスコッグス(便利過ぎ!)で調べたら矢野顕子の「ジャパニーズ・ガール」も担当していました。 そう言われれば音が近い気もします。

当時、矢野顕子はキャプテン・ビヨンドを多分知らなかったと思うと残念です。

ミックスは後にオールマン・ブラザース関係のアルバムを多く手がけるジョニー・サンドリン。
さすがサザン・ロックのエンジニア、全体に音が埃っぽいんですよね。

僕がデイレクターなら「ボーカル下げても良いから、もっとキックあげて」とミックスの時に頼んだと思います。

「スティーブ・ウィルソンにリミックスしてもらいたいクラッシック・アルバム」なんていうリクエストがあれば1日一票入れますね。

「後のラッシュ、ジャーニー(多分初期)のプロトタイプになった」と発掘音源のライナーにありますが当たらずとも遠からずです。

このアルバムの特筆すべき点は作詞作曲が全てドラマーのボビーなんです! (実際は他のメンバーも一部歌詞は書いてるようです)
Xですら全曲YOSHKI名義ではないので、こんなアルバムはないと思います。

ジャケットが3Dステッカーでアイコンである「キャプテン・ビヨンド」が立体的に見えるのですが、後にストラングラーズ、松任谷由実などが使いますが、多分レコード・ジャケットでは世界初ですね。よくこんな特殊仕様がデビュー・アルバムで通ったと思います。

バンドがアイコンでキャクターになるのも後にラモーンズ、アイアン・メイデン、ラブ&ロケット、ウルフルズなど思い出しますが、これも偶然だと思いますが、かなり早いアイデアかと思います。

ちなみに思いつきですが、このアルバムを寿司ネタに例えるとツェッペリンがマグロの赤身、サバスはハマチ、ディープ・パープルは雲丹だと、すると彼らはイカ、鯵といった感じでしょうか。

バンドを寿司ネタに例えるというのは、ちょっと面白いかもしれないですね。

アイドルならフィロソフィーのダンスはいくらの軍艦巻き、sora tob sakanaはエンガワ、大阪⭐︎春夏秋冬はみる貝というのはどうですか?

話がずれました。

彼らはこの後、オールマン・ブラザース、アリス・クーパーといったバンドとツアーに出るのですが、実質リーダーであるボビーがインタビューによると「個人的なエゴのため」脱退してしまいます。

バンドはドラム、ピアノ、パーカッションの新メンバーを入れてセカンド・アルバム「サフィシエントリー・ブレスレス(邦題「衝撃の極地」)を73年にリリースします。

このアルバムは、今度は何と、ベースのリーが全作詞作曲を担当しています。
ソングライターが抜けてしまったら、メンバー一丸になって頑張ろうというのが普通だと思うのですが、
不安になったメンバーに「ここは俺が頑張るから」とでも言ったのでしょうか。

涙ぐましいです

アルバムはサンタナに影響されたようなスペーシー・ラテン・ロックというようなかなり独特なアルバムになりました。
面白い部分もありますが全体的に詰めが甘い感じで、残念作という感じです。

ジャケットでメンバーがインディアン、ナポレオン、イギリスの王室の警備兵、バイカー、宇宙飛行士、(もう一人は何だか分からないです)のコスプレをしているのは73年という時期を考えると早いですね。
ビレッジ・ピープルに影響を与えたかもしれません。

それとデュアン・オールマンに続いてバイク事故で亡くなったオールマン・ブラザースのベリー・オークレイの思い出に捧げるとクレジットにあるのですが、2作続けて同じバンドで亡くなったメンバーの名前があるのは不吉です。

その後、何とセカンド・アルバム・リリース直後にボビーがバンドにやっぱり自分の曲はベイビーなので(直訳)自分でをやりたくなったという事で出戻り(ワガママか!)

首になったメンバーは気の毒ですよね。お察しします。

73年にはキング・クリムゾンとツアー(タイム・マシンがあれば2番目に行きます!1番は幕末の坂本龍馬暗殺が行われる直前の近江屋)をしてジョン・ウェットンやビル・ブラフォードと仲良くなったそうです。

良い感じなってきたので、74年に次回作を作る打ち合わせをしようと思ったらロッドがバンドをやめたい(理由は不明)と言い出したため解散したそうです。

出戻り後のライブ音源もリリースされているのですが、解散直前のバンドとは思えないテンションなので、これでトム・ダウト、エディ・クレイマー、アンディー・ジョーンズ
あたりをプロデューサーに迎えてアルバム作って欲しかったです。

ですが1977年、ハイ・トーンが出ないスティーブ・ペリーみたいなウィリー・ダーファン
というボーカリスト(その後ゲイリー・ムーアのG-Forceになぜか参加)を迎えサード・アルバム「ドーン・エクスプロージョン」を突然リリース。
理由は分からないですがメンバーの動向が聞こえなかったので、パンク、NWの時代になり食い扶持が欲しかったのだろうと思います。

当時、ファンなので期待したのですが、ジャケットを見てすでに嫌な予感。
聞くとセルフ・パロディーのような楽曲で、がっかりしたアルバム・チャート人生1位です。
(今聞くと珍品として面白かったりもしますが)

映画「ボヘミアン・ラプソディー」で「俺たちは同じフォーミュラはやらない」とフレディー・マーキュリーが言ったシーンを見せたいです。

当然、売れもせず解散したようです。

80年、ロッドは無断でイアン・ギランやリッチー・ブラックモアががいるかのような思わせる(ルックスが似てるメンバーを入れたそうです)偽ディープパープルを結成。
自分が参加していないディープパープルの時代の曲を歌い、ライブ途中でバレて(当たり前)客にビンなど投げられるという事件を起こしました。

ほぼバカですよね。

この事件でディープ・パープルの全ての印税の権利を剥奪されたそうです。

2016年、ディープ・パープルがロックの伝道入りした時にも彼はメンバーには入れてもらえず(ニック・シンパーはイアン・ギランを入れるために詰め腹切らされたんだから入れてあげれば良いのにと思いました) 生死すらも分からない(ボビーの話ではカルフォルニアで医療の仕事をしてるそうです)というのは、よほど遺恨があり黒歴史として葬り去りたいんでしょうね。


その後も彼らは結成、90年代から結成&解散を繰り返し2000年にはボビーとライノを中心にミニ・アルバム「Future is now」がリリースされました。
名盤のファーストは聴けないのに、これはサブスクで聴けますね(1曲目は日本のアニソンみたいです)

恐ろしい事に去年5月に300人キャパ程度の会場でツアーやってました(オリジナル・メンバーはボビーだけですが、ライノとリーは既に2012年に死去)
動画を見るとトなぜかリプル・ギターの5人編成であまり意味が分かりません。

個人的彼らに思い入れがあるのは高校生の頃、2階の六畳でファーストを「カッコイイ!」とのたうち回って聞いてたのですが、
大人になるにつけて聞かなくなってきました。
CD化された時に聞いて見たのですが、さして感動もなく「大人になると好みは変わるなぁ」と思ったのですが、
10年くらい前にアナログ・レコードが再発されて、期待もせずに聞いたら高校生の時の感覚が蘇ったんです!
これがきっかけで「CDよりレコードの方が良い』と気付かされ、そこから僕のレコード・リバイバルが始まりました。

彼らには、こういう恩義もあるわけです。


長くなりましたが最後に彼らの当時のライブ映像です。ベースのリーの意味不明のパンツ、手持ち無沙汰だから置いたとしか思えないパーカッションと、その適当なプレイも最高です。

Captain Beyond - Full Concert - Live in Montreux 1972 Remastered (1st Gen. Copy) Original Upload

Audio & Video Remastered by BrunoSamppa, 2015 (First & Origina...

YouTube

 

ライブ・アット・モントルー 1972

映画見てますか?

2020年03月28日 | 映画
皆様、外出自粛の中、いかがお過ごしですか。

時間があれば今までに増して映画館に通う日々です。


僕の基本的なクリエイティブのイマジネーションの源泉は映画館とレコード屋で、
色んなアイデアはなぜかライブを見ている時、それとジムのジャグジーでボーっとしている時に浮かびます。

ちなみにフィロソフィーのダンスというグループ名の由来はアレハンドロ・ホドロフスキーの映画タイトルとthe shaggsという世界初のカルト・ガールズ・バンドからです。

アルバム・タイトルの「ザ・ファウンダー」というのはマグドナルドの創設者の話の映画で、
「エクセルシオール」というのはマーベルの創設者スタン・リーのメッセージですね。

「シスター」のジャケは「ハウス・ジャック・ビルド」のパンフレットから閃きました。

グラマラス4・ツアーのイ全体のメージは「スタジオ54」という80年代のNYクラブを舞台にした映画をヒントにしてます。

最近のデュア・リパがスタジオ54感があるという事を音楽ジャーナリスト高橋芳朗さんが言っていて、我が意を得たりという感じです。

今年劇場見た映画です

ヘヴィー・トリップ

死霊の盆踊り

エクストリムーム・ジョブ

パラサイト(X2)

フォード VS フェラーリ

音楽

ジョジョ・ラビット

リチャード・ジュエル

ラスト・レター

ドンキホーテ

彼らは生きている

ナイブズ・アウト

ハスラーズ

スキャンダル

ミッドサマー

スイング・キッズ

初恋

地獄の黙次録(ファイナル・カット)

名もなき生涯

レ・ミザレブル

37セカンズ

1917

娘は戦場で生まれた

ジュディ

ムルゲ

ミッドサマー(ディレクターズカット版)

三島由紀VS東大生

人間の時間

ハーレイ・クインの華麗なる覚醒

ビッゲスト・リトル・ファーム

デット・ドント・ダイ

21世紀の資本

スノー・ピアサー


どんなジャンルが好きかと言われれば、食べ物と同じで美味しければなんでも良いという意味で映画も面白けれなんでも良いのですが、強いて言えば戦争映画が好きですね。

なぜなら宇多丸さんも言ってますが「絶対に会いたくない状態を 空調も効いた絶対安心、最高に快適な空間で疑似体験出来るというのが映画の醍醐味だと思います。

それとハードな戦争映画を見ると「こんな時代や場所に生まれず自分は生きてて良かった!」と思えるから戦争映画を見てしまうのかもしれません。

それと魅かれるののは監督の「でもやるんだよ」精神のある映画ですね。

なのでエド・ウッド、リドリー・スコット、キム・ギドグ、ギレルモ・デル・トロ、井口昇など、商業主義的な利益は2の次でも、自分の作りたいものを作りたいという監督の情念が、作品としてはイマイチでも伝わってくる作品には魅かれます。


話は変わりますが、映画というのは見てる時だけではなく、その映画について深く知る事で、その映画をより楽しめますよね。

映画ジャーナリズムというのは忖度して基本的に見てない人前提じゃないですか、それって片手落ちだと思うんですよね。
見てない人に向けてネタバレは良いとは思わないですが見た人に対しての映画評論もあるべきですよね。

だから町山智浩さんの有料の音声配信の「映画ムダ話」は最高に面白いですね。

最近だと「ジョジョ・ラビット」は僕の大好物の戦争&ナチスがテーマなんですが、面白くなくはなかったのですが何か腑に落ちないモヤモヤがあったのですが、この音声解説を効いて、その理由が分かりました。

韓国映画「コクソン」(パラサイトより、この作品の方が好きですね)
めちゃくちゃ面白いんですが、その理由を解こうと思い3回見たんですが、まだ理解できずにいたんですが、町山さんの映画解説を聞いて膝を打ちました。

宇多丸さんのムービ・ウォッチメンも大好きですが、内容は観てない人前提ですよね。
放課後ジャンクションで 毎回有料でも良いので観た人向けの別バージョンを聞きたいです。

ちなみに映画のパンフレットも基本的に観てない人前提で編集されてると思うのですが、今は感動した人しかパンフレット買わないと思うので、観た人前提にして良いと思います。

現時点のベストは色んな事を考えさせられたという意味で「娘は戦場で生まれた」です。

シリアの内戦についてのドキュメンタリーです。

ぼんやりは知っていましたが、この機会に調べたら、シリアは、こんな経緯でこんなひどい事(子供の死体)になったんですね。

自分の感動の基準の一つは目の前にある事象を解析するために脳がドライブするかどうかなのですが、この「映画は「なぜこんな事が起きたのか?するのか?どうすれば良いのか?」

ドライブしまくりでした。

次点は韓国映画の「スイング・キッズ」

これもよくある戦場友情物かと思いきや、途中から不穏な雰囲気が漂い始め、最後はまさかの展開。

僕の部下だった大熊なら涙出なくなるまで泣くと思います。(彼はメタル・バンドの傑作ドキュメンタリー「アンヴィル」で号泣、僕は爆笑してました)

ちなみに僕は映画好きなのに、劇場で泣いた事は人生で1回もないので泣ける人が羨ましいんですけどね。

韓国映画は本当に面白いです。日本で公開されるものだけでも全部見たいです。

パラサイトは言うまでもなく、韓国映画、6本見ましたが、「ムルゲ」はちょっと微妙でしたが、後は、どれも素晴らしいです。

キム・ギドグは大ファンですが、「人間の時間」は映画としてエド・ウッド並みに脚本、ディテール、辻褄が破綻してますが、鬼畜度がそれらを凌駕してすごい作品になってます。

チャン・グンソクのおばちゃんファンは上映後、言葉を失ってましたね。この悪意も最高です。

ラース・ファン・トリア(ハウス・ジャック・ビルト最高!)と並んで鬼畜監督の現代の2大巨頭ですね

邦画はバカ発言をすると字幕読まなくて良いので観てて楽なので観たいんですが、あまり惹かれるものがないですね。

アニメの「音楽」評判良いので期待したのですが、ヤンキーの設定とかステレオタイプで古くないですか?

良さが分からなかったですね。

ちなみにこれも昨年評判が良かった「殺さない彼と死なない彼女」も全然分からなかったです。

「37セカンヅ」は攻めてますね。
良い人しか出てこない映画はあまり好みではないのですが、何よりも障害者のセックスというタブーに挑戦してるのが素晴らしいです。

近田春夫さんのライム「本当のタブーに挑戦してみてよ、そしたら僕も応援するから」を思い出しました。


僕の野望がまだあるとしたら音楽映画のドキュメンタリーをプロデュースしたという事なんですが、チャンスがあれば頑張りたいです。

ちなみに僕の音楽ドキュメンタリーのフェイバリットはニューヨーク・ドールズのベーシストだったアーサー・ケーンのものです(意外過ぎる展開に、まさに衝撃のラスト!)

そういえがロキシー・ミュージックの初代ベースのグラハム・シンプソンのドキュメンタリーが公開されたらしいのですがネット・フリックスで公開して欲しいです。



リミックス・アルバム「SAPIOSEXUAL」について。

2020年03月06日 | 楽曲解説
今回のリミックス・アルバム「SAPIOSEXUAL」がリリースされたので、この作品について書いてみたいと思います。

そもそもリミックス・バージョンを出そうと思ったきっかけはエド・シーランやリル・ナズ X、ビリー・アイリッシュ等が様々な話題性のあるリミックスを出す事で、ロングテイルで曲をバズらせるという、宣伝戦略に影響されたという事があります。

後はアイドルでCDを積ませる文化は作詞家、作曲家には正直、収入源にはなるのですが、やはりこれは「音楽を売る」という意味では真っ当ではないのと廃れて行くと思います。
その際にサブスクでの印税を良き作品を作ってくれた作家にも還元したい思ったというのあります。(ライブ音源をリリースするのも同様の意味もあります)

リミックスというのは70年代後半のディスコ・ブームの時にクラブでDJが他の曲と繋いだりしやすいように、イントロ、アウトロを長くする、あるいはフロア対応用にキック、ベースのバランスをあげるというもので、もともと入っている音源のみで作るものだったのですが(70年代のレコードでは今でいうMIXをREMIXと表記してあるものもあります)
これが90年代に入り、元のトラックにない音源を使うように、2000年代以降は歌以外の音源は印象的なフレーズをのぞいてはほぼ使わないのがほとんどです。

こうなるとこれはリミックスというより実際はリアレンジと呼ぶべきものに発展したのですが、名前を変えるタイミングがないまま今に至っています(未だにデモ・テープという表記も見ますよね)

でも、これは一つの曲でゼロから録り直さなくても、同一曲のいくつもアレンジのバージョンが制作費もさほどかからず自分が頼みたいアレンジャーに頼んで作れるという事ですね。

ディレクターとして、こんな楽しい事はなくないですか?

リミキサーもメイン・アレンジにはならないのを承知しているので、一番自分の中で実験的、先鋭的な事をトライしてくれる事も多いので、これも面白いです。

リミックス・アルバムとしてまとめて出さずに月ごとにリリースしたのは、ネットでフリーで聞かれていた曲でもCDにすると売れたりしますよね。
こういうような状況に、リミックス・バージョンを小出しに出して、まとめてフィジカルでリリースする時にならないかと思ったからです。

では1曲ごとの解説したいと思います。

「スーパーヴィーニエンス」のNight Tempoのリミックスは彼の場合、パラデータが手に入らないため2ミックスから作ったであろう作品も多いのですが、これはパラデータからやってもらったので完成度は高いと
思います。
どの曲のリミックスをしたいかは、お任したのですが、一番80's度、シティー・ポップス度が高い、この曲を指定されたのには納得しました。

「イッツ・マイ・ターン」のT-Grooveのリミックスは86年にリリースされた曲を言っても、そのまま通じますね。
夜の首都高速で聞いていて気がついたら80年代にタイム・スリップしていそうです。

エレピ(エロピ?)とアウトロのAORな長尺のギター・ソロ もご機嫌です。

「夏のクオリア」のikkubaruのリミックスは山下達郎フリークである彼らならこの曲しかないだろうという感じで頼みました。
もう少し時間があれば生演奏でも出来たとの事なので次回は生演奏でお願いしたいです。

「アイム・アフター・タイム」のパソコン音楽クラブはヴェーパー・ウェイブな仕上がりですね。
ギター・リフ・メインのアレンジからシンセ・メインのアレンジなりコードが絶妙に変わってるのがキュンキュン来ます。

「ヒューリスティスック・シティ」のmabanuaのリミックスはJ Dilla以降のヒップホップのビートが最高です。
ラッパーがブレイク部分、サンプリングしてラップして欲しいです。

「ライク・ア・ゾンビ」のヒャダインのリリリリ⭐︎リミックスの画期的なところはメロディーを変えてしまったところですね。
メロディーはいじらないというのはリミックスの不文律なのですが、これをやられたのには驚きました。
トラックもこのリミックス集の中では一番の狂気も感じました。
配信ジャケも最高なのですが、このサイズのままではあまりに勿体なのでデラックス・エディションの特典Tシャツにもしました。

ちなみヒャダインさんには赤い公園の「絶対的関係」のリミックスをしたもらった事もあるのですが、これも最高なのでぜひ聴いてみてください(サブスク未解禁なのでi-tunesのストアで検索してください)


「アルゴリズムの海」のリミックスのヤマモトショウ君のリミックス
作詞作曲&リミックスが同一人物なんていうクレジットは世界中でも多分ないんじゃないですか。

オリジナルのラーガ風アレンジからトロピカル・ディスコに変わったのでもエスニック料理でも素材が同じでも使うスパイスが違うと味が全然変わるみたいな感じでしょうか。


ダンス・ファウンダーのFPMミックスは大御所に一人お願いしたいなぁと思ってたら、フィロソフィーのダンスと撮影のスタジオが同じで、偶然再会しました。

業界は偶然が運を呼ぶ事も良くあるので、これも何かの縁なのかと思いお願いしました。

原曲にはない風格が備わりました。

CDボーナス・トラックの「アイム・アフター・タイム」の宮野弦士君のリミックスはあまり記憶に定かではないのですが「カイリー・ミノーグみたいにしました」という話をしたような記憶があります。

同じく「アルゴリズムの海」のAIミックスはヤマモトショウ君から「AIにやらせてみましょう」という提案があったのですが、こちらのバージョンの方がオートチューン強めというのが、偶然ですがAIがやった感があって面白いですね。

「アイドル・フィロソフィー」のHave a Nice Day!の浅見さんのリミックスはLCD Sound Sytemを思わせるエレクトリック・ファンクになりました。

CDだけにボーナストラックを付けようと思ったのは80年代はCDだけにボートラがついてる事が多かったので、カセット、LP、CDを同時に出すなら、その当時のオマージュでCDだけにボートラを付けようと思ったのと
CDって今一番、機能的にもガジェット的にも一番魅力が無くて消えていく物で可愛そうじゃないですが、なので少しでも応援したいのと,今までお世話になったお礼の意味でつけてみました。


カセットも出した理由は
カセットはガジェツトしても可愛いし、音も絶妙コンプレッサーがかかる「テープの音」が味わい深いんですね。
レコードと違ってプレス用のスタンパーとか作らなくて良いので安く出来るのと、演歌のニーズがあり生産ラインもあるんです。

GUCCIもコラボ・ショップに選んだ中目黒のカセット・ショップ「 WALTZ」でもフィロソフィーのダンスというアイドルを扱って欲しいんです。

ヴィアナルは今、日本でプレスができる会社はソニー・ミュージックと東洋化成しかなかったのですが、最近、東洋レコーディング(名前似てますが完全に別会社です)という所でもプレスを始めました。
知り合いがいたので今回、初めて頼んだのですが、いまいち納得がいかずテスト・プレス2回お願いしてしまいました。

シングルでテスト・プレスで問題が出たことはなかったのですが、前回の「ファンキー・バット・シック」のアナログも東洋化成でしたが2回プレスやり直したので、アルバムに関してはまだ問題があるのかもしれないですね。
結果としてご機嫌なサウンドになったので、ぜひヴァイナルで聴いてみていただきたいです。


ビジュアルのヒントはFKAツィッグスのアーティスト写真のポーズが面白かったのと、あの最悪すぎて最高の映画ラース・フォン・トリア「ハウス・ジャック・ビルト」の映画パンフの出演者の撮り下ろしの写真にインスパイアされました、本当は、その写真みたいにやりたかったんですが、それはやりすぎなので断念しました。

僕のアイデアを受けて斜めの台を作ってその上にメンバーを立たせるというのはデザイナーの横山さんのアイデアですね。(斜めに立つ台が特注だったので高くついちゃいました)


メディア3形態で使う写真を変えたんですが、こんなことしてるジャケは多分世界初だと思います(自慢)
どうせなら配信のジャケも変えようと思いついたんですが締め切りが間に合いませんでした(残念)

アルバム・タイトルの「SAPIOSEXUAL」は映画評論家の町山智浩さんの週刊文春のコラムで紹介されていた言葉です。

「性的なものよりも知性に恋愛感情を覚える」という意味でマーク・ロンソンがテレビ番組で自分は、そうであると発言して炎上したというエピソードも面白いと思いました。

ヴァイナルとカセットのEpiphany SideとDelirious SideというのはただA面、B面にしても面白くないと思っただけなので正直いみはないです。ちなみにPrinceの曲名から取ってます。


これも小ネタですが、リマスタリングというほどでもないのでクレジットはしませんでしたが、先行配信バージョンとアルバム配信はバージョンは微妙にマスタリングが違う(夏のクオリアとアイム・アフタータイムは配信は同じですがCDのカップリングマスタリングは違います)ので確かめて見てください。


トラックの世界観がバラバラなのに意外と1枚のアルバムとして聞けてしまうのは声のキャラクターが立っているのと、歌詞とメロディーの世界観がぶれていないからだとも思いました。

我ながら面白いアルバムが出来たと自負しています。


皆様のお気に入りになる事を願っています。






















































2019年を振り返って

2020年01月01日 | 日記
あけましておめでとうございます。


2019年を月ごとに振り返ろうと思います。

1月
でんぱ組.incの夢眠ねむちゃんの卒業ライブ。見事な卒業公演と幕引きでした。
彼女が居なければ、寺嶋由芙ちゃんもフィロソフィーのダンスをやる事もなかったと思うので、そういう意味で
も感慨深いです。そして結婚おめでとうございます。

2月
日向ハルちゃんの「ザ・カラオケ・バトル」への出演。
この番組、当日、適当に得意の曲を歌うというのではなく、事前の準備、さらに特訓もかなりあるんです。
色々勉強になりました。

自分がオーナーのレストランCUMAの開店。

なぜ店をやる事になったのか経緯を説明すると育成してデビューしたKUMAMIというSSWが代官山のレストランでライブ演奏と接客のバイトをしていて、その店が
閉店するのでシェフと一緒に店をやりたいので援助してくれないか、と頼まれました。
二人は信用出来るので面白いと思ったのですが、弟も飲食業なので相談した所「飲食は物件が全て」と言われました。
不動産に出てる店は、はやらず潰れた店なのでダメだそうです。
予定よりかなり遅れたのですが、二人が頑張って未公開の物件を見つけて来ました。
なので、僕が確認したのは物件だけで、店のコンセプト、インテリアなどは全部お任せ。店名も決まってから聞かされました。
お陰様で評判も良く、年末は僕も入れないくらい流行っていたので、暫くは何とかなりそうですが、一度来てやってください。

ナンバーガールの再結成発表
今まで、再結成の話が出たことが無いわけでは無いのですが、今回僕は蚊帳の外でした。
発表前日に向井くんから電話があり「どうしたの?」と聞いたら「やりますよ」「何を?」『だから、やりますよ」というシンプルな電話がありました。
メンバーが現役のうちに出来た事が本当に良かったと思います。

3月
ブライアン・フェリーの来日公演。
東京、大阪行きました。
1977年の初来日も行きました。リアル・タイムにラジオで聞いた「ラブ・イズ・ドラッグ」のショックは僕の音楽観を形成したものの一つです。
のちにシックのナイル・ロジャースもこの曲を聴いてインテリジェントなダンス・ミュージックをやろうと思ったとの事なのですが、これはフィロソフィーのダンスのコンセプトにも繋がっているので我が意を得たりという感じです。
ライブは声の色艶の衰えは感じますが完成度の高いショー、オールタイム・ベストの選曲は最高ですね。
ギターが初来日と同じクリス・スペディングなのも泣きました。

フィロソフィーのダンス、サード・アルバム「エクセルシオール」発売。
30年間、何十枚もアルバム作って来ましたが、ジャケなども含め自己満足度が一番高い作品になりました。

4月
フィロソフィーのダンス 20代の3人編成のバンドを従えての東名阪ツアー。
若いミュージシャンはテクニックは劣っても、若さならではのフレッシュな演奏を聴かせてくれる時があります。
例えればボジョレー・ヌーボーみたいなもんですかね。

クリトリック・リスの日比谷野音ワンマン。
35歳から楽器も弾けないのに音楽を始めてステージに立ちサラリーマンを辞めて、14年後に日比谷野音でワンマンライブ。
どう考えても音楽史上に残る快挙だと思います。
これを取り上げない、ヒューマン・ドキュメンタリー系のテレビ番組はどうなってるんでしょうか。

「夢を諦めるな」「いくつになっても始めるのは遅くない」なんていう綺麗事は聞き飽きましたが、ここにそれを実現した人がここにいるわけです。

多分名前で引っかかってるとは思うんですが、言ってないですから、アナル・カント(そういうパンク・バンドがいます)では無いですから。
笑って、泣いて、感動させてもらいました。


5月
トッド・ラングレン来日公演
好きなアーティスト、ベスト5に入るのですがライブは初めて。
かっこいい、歌うまい、楽器うまい、良い曲書く、他人のプロデューサーでもヒットを作れる。
並ぶとしたらプリンスくらいでしょう。
でもこの人本当に自分が好きで、人から最高だ、大好きだ!と言われたくてしょうがないんでしょうね。

90年代高野寛のプロデュースで東芝EMIのスタジオにいるのを覗きに行って、ほぼ関係ないのにサヨナラ・パーティーに潜入した事を思い出しました。
また来てほしいです。

近田春夫さんのトーク・ライブにお邪魔する。舌鋒するどさ半端ないですね(すいません、ここには書けないです)
相当久しぶりにお会いしたのですが「おー、加茂くん来てたの」と言っていただき嬉しかったです。


6月〜7月
ベルリンにベルリン・フィル・オーケストラの野外コンサートを弟と母親と見に行く。
母親が見たいというので、弟付き添ったというか便乗した感じですね。
ベルリン・フィルは高級な寿司屋に行ったという感じでしょうか。

夜中に一人で道に迷い、スマホの電源も切れ、やっとの思いで、拾ったタクシーでドライバーがかけていたミニマル・テクノのラジオがベルリンの夜景に溶けて行ったのが忘れられない思い出です。

世界一と言われるチェコのプラハのビールも美味しゅうございました。


基本的には年に1個何かオーディオをグレードアップするのですが、秋葉原のヨドバシカメラに通いつめてメーカーからの回し者ではない純正のオーディオ・コーナーの社員(60代中盤)に取材し、試聴しまくってFYNE AUDIOのスピーカーを買いました。ご機嫌です。

フィロソフィーのダンス「ダンス・オア・ダンス」の制作。
今回はビジュアル・チームを一新しました。衣装も久しぶりのオリジナル。
音楽性もロカビリーという意外な音楽性ですが、制作チームが同じなので基本的は芯はブレないですが、メンバーの存在感が何をやってもフィロソフィーのダンスになるという強さ持つようになったと思います。

8月
ナンバーガールのライブを見に札幌ライジング・サン・ロック・フェスティバル。
前日で雨で中止。行くことにはしたのですがショックで具合が悪くなりました。

翌週に日比谷野音でワンマンライブ。

17年間何も変わっていないです。懐メロ・フィーリングも皆無。完全に今そこに居る必然があるバンドでした。
体が二つあれば会場外で音漏れを聞く客にも混じりたかったです。
会場内はたまたま当たった人もいるわけですが、入れなかった人は音漏れでも良いから聞きたいという熱狂的なファンですからね、その熱量を感じたかったです。

9月
同じく「ダンス・オア・ダンス」のMV 制作。
ビンテージなロック・バー、で親父のロカビリー・バンドで撮りたいというのは僕のアイデア。
場所、バンドの選定はやりました。
キャリア30年のOne Night Standsは当て振りなのにコピーまでしてくれていて有り難かったです。
キャラクターも最高で、マイペースで活動を続ける姿勢も素晴らしいです。

りんご音楽祭も初めてフィロソフィーのダンスで初参加しました。
噂通りの良いバイブスのフェスですね。大トリがクリトリック・リスというのも最高ですね。

10月
念願だったフィロソフィーのダンスとNONA REEVESの2マン・ライブ。
ジャンルを超えた音楽の共振が出来たと思います。

台風でフィロソフィーのダンスの大阪公演が中止。10年前ならやったと思うのですが、これも時代の流れで良い事だと思います。
フジロックの1回目は今なら1日目は中止。2日目は決行だと思うんですよね。

りんご音楽祭もフィロソフィーのダンスで初参加
良い意味で学園祭フィーリングで好感度高かったです。

11月
フィロソフィーのダンス「シスター」のレコーディング
歌詞のテーマは「ゆり」ですね。
日本人は歌舞伎、宝塚、ビジュアル系とジェンダーが捻れたものとエンタテインメントが共存していると思うのですが、歌詞のテーマではあまりないと思います。
ジェンダー問題は、これから大きなテーマになってくると思うので、また挑戦したいです。

振り付けはもちろん歌詞のテーマは反映されて居ます。 それを踏まえて見ていただければと思います。

アーティスト写真は「変なポーズ」がテーマ
FKA ツイッグスのアーティスト写真とジャック・ハウス・ビルドのパンフを見て思いつきました。
そのために立つ台を斜めにするというデザイナーの横山さんのアイデアはナイスでした。
衣装の赤の色調は衣装のしげたさんの渾身のこだわりです。

フィロソフィーのダンス  ツアーのリハーサルからのスタート。
ざっくりとしたコンセプトは「ゴージャスでグラマラス」
モチーフとしては映画やドキュメンタリー映画にもなった70年代から80年代、実際にNYにあったクラブSTUDIO54というのを色々モチーフにしています。


12月
ツアーの続き、そして名阪のバンド・セットのライブから新木場スタジオ・コーストでフル・バンド・セットのライブ。
去年のステラボールのフルバンドセットもやりきった感はあったのですが、それを演奏、演出共に超えましたね。
この仕事してて良かったと思える夜でした。

それと悲願だったメジャー・デビューも発表出来ました。

「フィロソフィーのダンスはソニーじゃないの?」と疑問を持つ方もいるかもしれませんがメジャーというのは所属レコード会社が日本レコード協会に入っているかどうかなので、フィロソフィーのダンスは「ソニー・ミュージック・レーベルズ」契約したので、晴れてメジャー・デビューという事になりました。

具体的には宣伝、営業がより大きな体制で動いてくれるという事になります。

欄外

去年観た映画は62本(プラス複数回観た映画もあるので劇場に行った回数は66回)
ライブは43本(フェスやオムニバス・ライブも含まれるので観たアーティスト数は更に多いです)舞台は5本でした。

ちなみにフィロソフィーのダンスはインストア・イベントなどをも含めると115本ライブやりました。

ベスト・ムービーは「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」ですね
ブルース・リーとのファイト、ブラピのトレーラ・ハウス・ライフ、子役とディカプリオの会話、ヒッピーとブラピの車内の会話、そして最後のあれ。
今思い出しても最高のシーンが多すぎです。
3回しか見てなくてすいません。

「ジョーカー」そしてその双子のような映画「東京アディオス」もセットで忘れ難いです。

「ジャック・ハウス・ビルト」最悪で最高の映画。リテラシーなんか関係ない自分の美学を進めるルース・フォン・トリア支持します。

「解放区」こんな映画も見た事ないです。「アイリッシュマン」まさに映画の王道、最高でした。

ライブは前述もしましたが、他にはストラングラーズ、ギャング・オブ・フォー、ザゼン・ボーイズ、山下達郎、Night Tempoも最高でしたが
なんとなく見に言ったZappが上手い、音楽性も高い、エンタメ性にも溢れていてびっくりでした。


音楽は新譜をCDで買う事は自分が関わったアーティスト以外ではもうないです(ビートルズBe Bop Deluxe等のデラックス・エディションは買ってます)
サブスクも新譜というより旧譜の発掘の方が正直楽しかったです。

アナログはTHIN LIZZYとPrinceを主に集めてました。

新しいデスクの女子と話したのですが好きなアーティストはアレキサンドロスだけと、最近はインスタで知ったキャンディーズにハマっているとの事でした。

これからは初めて知った日が、その人の新譜になる世の中になると薄々は感じていましたが実感しました。

ちなみに今年6曲配信したフィロソフィーのダンスのリミックスの件はアルバムが出た時にでもまとめて書こうと思います。



さて今年も色々ありそうですが、どうなるか楽しみに生きていこうと思います。
































































































































































ナンバーガールのライブを見て

2019年08月21日 | ライブ
日比谷の野外音楽堂でナンバーガールの再結成ライブを見てきました。


僕は1997年秋ナンバーガールの「スクールガール・バイバイ」を渋谷のHMVでジャケ買い(死語)して、「このバンドは何なんだ!」と衝撃を受け、彼らとコンタクトを取り、当時東芝EMIとの契約
アメリカ、テキサスSXSWでのライブ。デイブ・フリッドマンのプロデュース、宣伝の諸々などを解散までコーディネートしました。

2002年の解散ライブでは曲が終わるごとに、もう聴くことはないんだろうと、1曲が終わるごとにブラックホールに飲み込まれていくと様な感慨で見ていたのを思い出します。


解散後にメンバー全員各々がフロント・マンとなりボーカルまで担当するなんてビートルズくらいしか思いつかないです。
そこまでの才能と自己主張が強いメンバーが福岡というローカルでバンドを組んだ事が奇跡です。


そして、何度か向井君に再結成の打診した事もあったのですが、その時はつれなのふりや(byパンタ&HAL)だったのに、今回はまさかの再結成。
その知らせも情報公開前日に向井君からの電話で知りました。

嬉しかったですが、その反面不安もあったのは事実です。


17年ぶりに昔の彼女か子供に会う様なものですから。

古い話ですがセックス・ピストルズの再結成の様に、ただのノスタルジー・ショウになっていたり、音楽性が時代とずれているのを感じたら、どうしようという不安はライブが始まり、まさかの1曲目の「大当たりの季節」が始まった途端に吹き飛びました。
(リハの段階でメンバーをそれを感じたら今回の再結成はそもそもなかったと思いますが)

冷凍保存されたモンスターが蘇りました。

それはナンバーガールがすでに普遍的な時代を超える音楽性を持っていた事と、そもそも円熟や成熟とは無関係な音楽性を持っていた事なのかもしれません。

一番の驚き、興味深かったのは後期では、当時でも後期ではあまりやらなかった初期の曲を演奏した事です。

真意のほどはメンバーに聞かないと分からないですが、サービスとしてのヒット曲を演奏したのではなく、自分たちの作品の普遍性に自信が持てたのではないでしょうか。

ローリング・ストーンズが「サティスファクション」を、ポール・マッカートニーがビートルズ・ナンバーをてらいなく演奏する事にノスタルジーは感じません。

サブスクで音楽を聴くのがスタンダードになりジャンルも時系列も関係なくなりつつある今「出会った時が、その人にとっての新譜」という世の中になると思います。

そういう時代ではナンバーガールは永遠の新譜になるかもしれません。

後は彼らに影響された若いミュージシャンがさらに出てくる事を願います。










アルバム「エクセルシオール」について

2019年04月05日 | 音楽

フィロソフィーのダンスのサード・アルバム「エクセルシオール」が本日発売になりました。

プロデューサーとして僕がどんな気持ちでこのアルバムを作ったか書いてみたいと思います。


僕がディレクターとしてアルバム1枚を作ったのは ちわきまゆみというシンガーの「エンジェルWe-are beatiful」という作品で86年6月のリリースでもはや33年前なんですね

それからコンピや再発などを含めれば100枚以上は作ったと思います。

そして33年前には思いもつかなかった、故プリンスもコメントしたように「アルバム」という概念がなくなろうとしています。

そもそもアルバムというのは45分程度しか入らないアナログレコードのフィーマットから考えられた、まずは入れ物ありきのもので、

音楽は彫刻、絵画や小説のように、そのサイズを選べない芸術表現だったわけです。

レコーディングというのも1曲ごと録るのはロスが多いのでまとめて何曲が録る事しか出来ませんでした。

でもこれを逆手にとってビートルズ以降、45分の時間の中で表現するアーティストが多く登場し「名曲」ではなく「名盤」という概念が誕生しました。

CD時代はパッケージという部分では変わりませんが80分近く収録出来るようになりましたが、この時間量を生かして何かが変わったかというのは、あまりなかった気がします

むしろ本来なら捨て曲になるような作品まで収録出来てしまい、結果としては水増しされたアルバムも多いような印象すらあります。

アーティストも業界も従来のアナログレコードからの発想を切り替えられなかったんでしょう

(アメリカのパンクバンドのCDに同じアルバムが2回入ってるというのがあって、それは流石と思いました)

配信になるとシングルのカップリングやアルバム曲は名曲であっても埋もれる可能性があります

今はまだ、従来のシングル、アルバムという形で配信していますが、これからはそんな事をするのは無為無策、具の骨頂です。

前述のようにアナログからCDに移行した時に何も創意工夫をしなかった失敗をもう一度行わないようにすべきなのです。

チェインスモーカーズの最新アルバムは基本的には配信リリースした曲を集めただけですが、これが今のスタイルだと思いました。

今回の「エクセルシオール」も12曲中10曲は揮発曲で他の曲も先行配信出来たのですが、それでは流石にアルバムを買った時の楽しみがないと思いやめました。

での僕は10代からアルバムで音楽を聴いてきた人間です。

アルバムのリリースを楽しみに待つ、アーティストのインタビューでアルバムのコンセプトを読み、それを聴き解くながら聞く。

ライナーノートやクレジットを読みながらさらに情報を深読みする。

今でこそ謎が解けましたが、アルバムのマトリックス、これはなんなんだろうと思っていました。

英盤、米盤のジャケの紙質の違い、さらに盤の匂いの違いまで情報としてチェックしました。

過去のアーティストのアルバムをコレクションして悦にいる

アルバムの多面的な楽しみ方は配信では満たされないと思います


なのでこのアルバム「エクセルシオール」には失われていく「アルバム」という概念だけが持つ楽しみを出来るだけ詰め込んでみました。

ジャケットは今までも全てアルバムは紙ジャケですが、これはわかる人が見ればわかるのですが、コストが通常のプラスティックケースの倍はかかります

紙ジャケにしたからといって、それで売れるわけではないのでよほどの事がないとメジャーレコード会社ではOKは出ません

これがなぜ出来たかというのは企業秘密で内緒です。

邦楽ではまずつかないライナーもつけました

クレジットも極力詳細につけました。

もちろん宮野弦士君の協力を得てのエンジニアリング、マスタリングも最高のものだと思います。

あと何枚アルバムが作れるかは分からないですが、最後のつもりで作りました

ぜひ隅々まで味わいつくしていただければ幸いです。





























































フィロソフィーのダンス、初のワンマン・ツアーを終えて

2018年07月02日 | アイドル
フィロソフィーのダンス 初のワンマン・ツアー「GIRLS ARE BACK IN TOWN Vol1」無事に終わりました


感想や裏話など書いてみたいと思います

6月16日の恵比寿リキッド・ルームは 楽しいというよりも問題なくうまくいって欲しいという気持ちだけで見ていたので、1曲終わるごとに胸を撫で下ろしていたというのが正直な気持ちでした。


生のバンドで歌った事がない彼女たちはいきなりの大きなステージで パフォーマンスが出来るのか?

リハも全部で4回(メンバーが参加したのは後半の2回のみ)

腕利きのミュージシャン達ではありますが何が起きるかは分かりません。

結果としては全てオーライでした。 全ての演奏が終わっての安堵感は漂流した船員が陸を見つけた時のような気持ちかもしれません。


打ち上げでもメンバー全員が参加してくれて お世辞もあるかと思いますが、全員が次回も是非!と言っていただき、キーボードの福田さんは、これでアリーナ回れる
グループにしようとまで言ってくれて泣きそうでした。


23日渋谷WWWXはツアー全箇所が売り切れてしまったので、見れなかったお客さんにもバンドではないけれど見て欲しいと思い追加公演を行いました。
セトリはデザイナーの北谷君も良い意見出してくれてます。

これはオケでやるいつもの感じなので、心配なく見ていたのですが、 最初期の曲で今はライブでやる事もほぼない「好きだから好き」を見ていた時は

池袋の地下アイドルのイベントに出ていた日々を思い出し、感慨で胸が苦しくなりました。成功した芸術家が自分の不遇時代の過去の作品を偶然見つけてしまったような気持ちかもしれません。



6月30日の名古屋は転換の映像がライブ直前まで届かないというようなトラブルもあったのですが何んとかなりました

オケにパーカッションを生で入れるという編成は あるバンドがその時だけパーカッションを入れてやったライブを見たのですが 全体のグルーブがぐっと上がって
良い感じなっているのを見て思いつきました。

例えれば、うなぎに山椒をかけた感じかもしれません。

パーカッションを入れる効果は昨年のクアトロワンマンで、その効果は確認済みなので、今回はギター、キーボード 音楽用語で「ウワモノ」言われるものも生にしてみました。

宮野くんは、どの楽器も達者でびっくりしますが、そのリズムギターは特に素晴らしいと思います。

「すききらいアンチノミー」のイントロは聞くたびに鳥肌が立ちます。

オケだけの時で比べると 音が立体的になり、ボーカルとの絡みもオーガニックな感じがし、何より音楽的躍動感が違います
トラックもステム・データで出しているので PAの中野さんも曲ごとに微妙にサウンドを変えて良い仕事をしてくれました。

名古屋と大阪はセトリは宮野君が過去の大阪、名古屋でのセトリも踏まえて上で、さらに両方来てくれて人にも楽しめるセトリを作ってくれたのも感謝です。


あとはメンバーのボーカル力のアップも素晴らしいです。

ハルちゃん、マリリちゃんが要所要所でフェイクを入れて来ているのに気づいてもらいましたか?

ハルちゃんとリサ・フィッシャー、レイラ・ハザウェイ、マリリちゃんとコリーヌ・ベイリー・レイを宮野君と一緒に見に行った甲斐がありました

もちろん、あんぬちゃん、おとちゃんも 声の特徴を生かせるボーカリストになって来ました。

日本人はステーキ、ドーン!とかロブスター、ドーン! みたいなメインディッシュででかいの1個より、すし盛りや幕の内弁当的に美味しいものが少しづつ入ってる方が
好きだと思うので、グループ・アイドルの歌振りも好まれるかとも思ってます。

何曲かで宮野君、早藤さんにメンバーのダンスに合わせて踊っているのに気づいた人はいますか?

これはブルーノ・マーズを見て、ダンサーではなく、バックのメンバーガンガン踊るのを見て思いつきました
リハでは大受けだったのですが、本番ではまだまだ伝わらなかったですね。頑張ります(僕が踊るわけではないですが)

転換映像 出過ぎてすいません。 大阪のアンコールでマネージャーの初見がマリリちゃんのステージに引っ張りあげられたのは笑いました。


まだ3箇所だけのミニマムはツアーですが このグループが大きくなっても、2018年夏のツアーが「始まり」だったと きっと思い起こすと思います。


最後に このバンドを入れてのライブが実現できたのは、ひとえにクラウド・ファンディングで支援してくれた方達がいたおかげです。

目標を超えた金額でダンス・ファウンダーのMVをまずは作らせていただきました。

リターンの発送、イベントの開催はこれからですが、ご支援していただいた方々にはご満足いただけるように頑張ります

引き続き、フィロソフィーのダンスをよろしくお願いします


加茂啓太郎



























































フィロソフィーのダンス、サポート・ミュージシャンについて

2018年06月17日 | 音楽
フィロソフィーのダンスのワンマン・ライブ サポートのミュージシャンをどういった経緯で起用したか書いてみようと思います。

音楽業界にはインペグ屋という商売があり、予算とスケジュールを投げれば適当にミュージシャンを揃えてくれるという事も出来るのですが、それでどこか血が通わず納得が行かない物になるのは避けたいと思ったので今年の頭から手間をかけて自分で選んで行きました。


まずバンドマスターはキーボードのギターの宮野弦士君で行こうと思いました。

理由はほとんどすべての曲のアレンジを彼が担当している事。
フィロソフィーのダンスがアレンジャーを彼に固定しているのは 彼の才能がまずは一番ですが、音源の管理がしやすい、ライブ時の適時のアップデードも可能であるという理由もあります。(バンドならライブを重ねるうちに演奏のクオリティーが向上するというのはありますがオケの場合は、それは有りえないですが、このグループは可能にしたいんです)

アレンジャーが複数に渡る場合は同期の音をライブで使用する際の管理は煩雑になるので、それを避ける事も出来ます

それと彼は以前は宅録中心の活動でライブの場数が多いミュージシャンではなかったのですが、最近はSHE IS SUMMER、にゃんぞぬデシなどライブのサポートも増え、パフォーマンスのクオリティーも見ていて上がってきたのも安心出来るようになりました。


パーカッションの早藤寿美子さんは昨年から知人の紹介で参加してもらいましたが、本当に、このグループを気に入ってくれて前回からアレンジを細くスコアにしてくれたり、様々な提案をしてくれたので続投してもらいました。


キーボードの福田裕彦さんは20年くらい前に 大学の後輩から「同じマンションにミュージシャンが居て加茂さんと気が合いそうだから紹介したい」と連絡がありました。

それがきっかけで彼が音楽を手がけて僕も大ファン(片腕マシンガール!)の映画監督井口昇監督と一席を囲むなどさせていただく、など仲良くさせていただいていました。

またクリトリック・リスをいたく気に入っていただき、「バンドマンの女」 のトラックのブラッシュアップを頼みました。

それと寺嶋由芙ちゃんのマネージャーの飯島君が、理不尽な事情で辞める時に、お礼として彼が大ファンである浜田省吾(福田さんは長く浜田省吾のサポートを務めて居ます)の「君が人生の時...」のオケを作ってもらい寺嶋由芙ちゃんにサプライズで歌って貰いました。

業界のトップキーボーディストの一人なので正直難しかと思ったのですが「ちようど浜田省吾のツアーのリハの前で大丈夫!と快諾していただきました。


ギターの朝井泰生さんは 福田さんに相談したところ「僕が一番信用するギタリストのファーストコール」という事なので、これは間違いないとお誘いしました
お話ししたところ東芝EMIから1990年にDEFYERというバンドでデビューしたとの事。
なので色々共通な知り合いも多く、またその明るく気配りが出来る性格も最高です(これもサポート・ミュージシャンとして長くやっていくには大切!)
ちなみイエローモンキーの吉井和哉さんと同じデパートでバイトしていたそうです。

ドラムの城戸紘志君は彼が90年代前半10代の時にやっていたビリビリというバンドのデモを聞き、面白いと思い連絡して会いました。
その時に「ベンジーとGXXXTに誘われたんです」と言っていました

その後、フジファブリックのサポートをするというので再会。
彼が入って1回目のライブを新宿ロフトで見たのですが、その音のデカさにビビりました

その後時々「自分がギターのバンドを見にきて欲しい」など連絡を取ることはあったのですがドリカムから、いきものががり、HYDEなど、幅広い活動は気になっていました。

サウンドのクオリティーは、まずはドラマーで決まるとも思っていたので彼のOKが出で一安心しました

ベースの砂山淳一君は城戸君の紹介ですが、彼はフジファブリックの山内総一郎君(彼には湯川トーベンさんの紹介で出会いました)の同郷で 実は総君からも以前から友人で良いベースがいるので使って欲しいと言われていたので、これは何かの縁だと思いお願いしました。


最後にMCのデビッド・アイザック

これは実はオリジナルのMCをやってくれている某ミュージシャン(これはまだ内緒です)にここでネタバレさせようと頼んだんですがスケジュールの都合でNG!

芸能プロダクションに黒人MCと頼むと20万!とか言われたのでツテを頼って探しました。

仕事は日本のバンド(tricoとか)の海外ツアー、アメリカのバンドの日本ツアーのコーディネートという近いところにいる人でした

通訳できてくれたマイケルもグッドヴァイブスで良い出会いになりました。



このアルバム「Boys are Back in Town」というのがツアータイトルの元ネタですがエルレガーデンのツアータイトルにも使われましたね
Jailbreak (Deluxe Edition)
クリエーター情報なし
Mercury