Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

止めている薬用石鹸

2024-05-22 | 雑感
身体がなぜか締まってきた。痩せた訳ではなく、若干食事量を増やして顔つきをマシにしようと思っているぐらいだ。原因は眼の下の隈で、これは薬用石鹸を止めたことで若干改善している。眼の下がカサカサにならないようになって来た。眼の疲れとは直接関係がないかもしれないが、突っ張る感じは減って来た。

胸の脂肪が取れて、あんこ型が改善されてきたのはジョギングで腕の振りが強くなってきたことがあると思う。それも十年ほど走り続けたことで、先ずは腹から、そして下半身からすっきりしてきたが、漸くここにきて上の方へと変化が表れて来た。筋肉さえ若干強化すればスポーツに使いものになるのではないかとなってきた。

昔から米国映画などでアンチエイジングを試みている様子が映されることが多いが、確かに脂肪を落とすとともに筋肉は何ごとにも最も重要である。脂肪は心配しないでも食べたいだけ食べ飲みたいだけ飲めば増える。

雨が上がったところで一走りした。聖霊降臨祭に合わせたのか森の立て看板が完成していた。きっと地元の政治家を集めてお披露目式があったのだろう。石切り場の見晴らし場へと10枚ほどの内容だった。詳しくは鳥の名前などを調べて行かないと分からないが、珍しい鳥が生息している事だけは分かった。確かに鳴き声が可也豊かなのは年間を通じして知っている。玄武岩の石切り場があって砂岩なので、その植生に準拠するものらしい。

次の音楽会はバーゼルのシムフォニエッタで女性の新曲ばかりの会であって、かなり話題になると思う。指揮者のエンゲルと最初にあった時もカザフスタンかの女性の作曲家の曲を初演していた。ということで我々にとっては何一つ驚きはないのだが、それでも女性の作曲家だけとなるとやはり話題になって、男性のそれだけとなると全くお話しにもならない。

女性と言えば来年一月に再びリディア・シュタイヤーとティテュス・エンゲルが共同制作でタッグを組む。シュトックハウゼンの「木曜日」の制作で表彰された二人である。今回は新曲で昨秋もルールトリエンナーレで新曲を披露したヴェルトミュラーの新作オペラ「ミュンヘンのイスラエル」の初演をハノーヴァーで行う。そこの歌劇場ではコロナ期間中のマーラーの第七番を指揮して話題となっていたのだが、なぜそこの劇場と活動するようになったかの経過は知らない。

ヴェルトミュラーに関しては先日のインタヴューでもリズミカルな創作として言及していたので再び初演することは気が付いていたがオペラとは思わなかった。台本はなんと東京の新国立劇場の為に「アンウントアウス」を創作したシムメルペニッヒで、マンハイムでドイツ初演を観劇した。フクシマ禍を扱った作品であったが、それ以上にいい本が出来ているのを期待する。抑々作曲家自体が一筋縄ではいかない。そこのこれまた癖おもののシュタイヤーが舞台を作るとなるととてもエキサイティングな音楽劇場となる筈だ。

エンゲルはなぜか新シーズンはその新制作と来年六月のフランクフルトでの「ジャンヌダルク」の再演ぐらいしか発表されていない。余程その他に興味深い催し物があるのかどうか。



参照:
「世界十傑の美しさ」の街 2024-01-30 | アウトドーア・環境
挙動不審者たちの巣窟 2023-10-03 | 歴史・時事
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帰納的に破局を語る

2024-05-21 | 文化一般
日曜日の演奏会の感想だけでも書き留める。SWRがカメラを入れて生中継して本放送も月末にあるので詳細は改めるとして、会場の反応自体も見ものだった。

なによりも、聴衆も期待半ばで出かけて来ていた筈で、通常の地元放送交響楽団の聴衆というのではまたなかった。なるほどそこのロシアの指揮者との比較とかそういう興味から、後任のロート氏を知っている聴衆など、ブーレーズのお誕生日会に来ていた聴衆も少なくなかったであろう。

シネマ交響楽のタイトルの通り、真面な曲は精々リヒャルト・シュトラウス作曲「ツァラストラはかく語りき」程度でしかないと思っても態々出かけてきたのは今最も注目されているスター指揮者とされるタルモ・ペルトコスキ―を一度生で聴きたいという聴衆が多かったろうか。

その意味からすると一曲目の映画音楽組曲は腕試し程度にしか受け留められいなかったかもしれない。「ヴァルキューレ」と「トリスタン」に引用が使われているとしてもそのヒッチコックのサンフランシスコの映像の様には印象に残らない。その映画をもとにヴィーンモデルンで大成功した指揮者エンゲルが同曲を振っていたならば映像を更に創造させるような表情を読み起こしていたかもしれないが、この若い指揮者にはそうした音楽劇場の経験もなく、ハリウッド映画音楽以上のものではなかった。実際にインタヴューで、そうした音楽が交響曲演奏会で演奏されることは敷居を下げることになるので推進するべきだとする一方、その限度はジョン・ウイリアムスと名指ししていたことで、映画鑑賞をホビーとするこの指揮者が考えている事の軽さというものが表されていた。

お待ちかねの「かく語りき」の演奏は、この指揮者が如何ほどに楽譜を読んでいたかが知れるもので、譜面は使っているようだが、全く音楽が入っていなかった。若い指揮者が急に大管弦楽団での仕事が入ると、その客演での練習時間などの限界が明らかだった。指揮以前の問題で、あの天才ペトレンコでも40歳過ぎにしてそのコンサートレパートリーの少なさが心配された事を思い出して欲しい。流石に会場は静まり返って、指揮者への反応も冷たく楽団が座って待っていても予定の返礼も出来ない程だった。

同じ会場で経験した今迄の最低の生演奏であったブロムシュテット指揮ヴィーナーフィルハーモニカー程ではなかったのだが、やはり同じ会場で経験した浮いたエッシェンバッハ指揮の同楽団を振ったシュトラウスプログラムよりも酷かった。

このような演奏で誤魔化そうと思っても真面な聴衆が集う限り不可能であり、来年の復活祭でも売れているがあまりにも才能の無いマケラ指揮の演奏会からその翌年からのマケラ指揮のコンセルトヘボ管弦楽団との復活祭の失敗が予想されたような出来事だった。斜め前の列に座っていた支配の顔を見る気にもならなかったが、少なくともこちらの対応だけはしっかりと見て貰った。

首を洗っておけであった。昨年初めてこの指揮者を経験した時も一緒であったが、ここから帰納的に復活祭の今後のカタストロフが予想されることになる。破局と帰納では辻褄が合わないのだが、先が見えたと本人も感じたのではないか。

一体その「かく語りき」で何が語られたのか。(続く)



参照:
全てを食う赤い奴 2024-05-20 | 料理
なんじゃらほい交響楽 2024-05-19 | 音
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全てを食う赤い奴

2024-05-20 | 料理
連休である。久しぶりに時間が出来る。休み明けに片付けておくことを見通しておきたい。

バーデンバーデンに出かけたので、食料は確保できてよかった。19時ごろまでスーパーが開いているので、国境を越えて多くのドイツからの買い物客である。いつも同じようなもの買うので、おばさんも覚えてしまうかもしれないが、流石に連休前の土曜日で人が多くて売り子やレジも知らない人が結構いた。

しかし危惧していたように並ぶ人は平日よりも少ないぐらいで、流石にプファルツにも近いと言ってもフランス語で買い物する人が少ないからだと思う。売り子も少々のドイツ語は出来るのだがお互い様である。

少しづつでも新しいものを物色している。今回はリレットの知らないものを購入した。普通はシュトラスブルク風と称して地元でもカモのものは買える。しかしデュマンというのがあった、調べるとあの24時間耐久自動車レースで有名なルマン風らしい。中世の街テュールの名産が、ルマンでは豚煮込みから作られるようになったもののようである。レストランなどでは出たことがあるのかもしれないが、カモのものと比較して全然安くなかった。

早速朝食にそこで購入したバケットにつけて食してみる。ドイツのそれのように塩が強くてあくが強くなく、やはりフランスの味である。脂気が多いのもフランスらしい。もう一種類廉いのがあったが、考えられるのは鶏か?

魚類ではホタテ貝を三つほど購入した。一つ1,30ユーロ程なので質は良さそうで、どうして食すか。調べると、赤い部分を剥がして、貝柱と別に焼いて食するのが一番手早く美味そうである。オードブルに三つも食せればよい。

メインはヌードルやパエリアにはエビが大き過ぎるので、これまた大きい方から半分ぐらいを炒めようかと思う。串刺しグリルもした事があるのが、それ程今迄上手く行ったためしがない。直火のバーベキューでないとかさかさしてしまうからだろう。夕方でもそれだけ残っていたのはやはり大き過ぎると料理の仕方が限られるからだろう。

今回は30分ほどの短い時間で済ましたので、ワインは見なかった。それにチーズとキシュ類で十分な収穫があった。次回はバーゼルから復路なので三週間後である。但し、宿泊がただの部屋で冷蔵庫がないので余り生ものは買えない。そこからワイン街道まで30分以上は掛かる。

帰路も明るく尚且つ交通量も少なかったので久しぶりに飛ばした。しかし、やはりもう車輛の限界である。

「突撃服」も徐々に着こなせるようになってきていると思う。あれだけ目立つ服は先ずは自身が小恥ずかしいので、あまり平素は気にしない身嗜みには気を遣うようになる。手洗いなどでちらっと見ても大分慣れて来て、次はバーゼルのブッシュ四重奏団などが活躍した最も伝統的で保守的なホールにそれで行く勇気が生じて来た。指揮者が一番、どうしたのだろうと思うだろうが、決して場違いにはならないであろう。それでも帰宅して鏡に写ると自ら驚く。やはり自宅でどんな大スターでもああいう格好をしている人はいまい。




参照:
11月の古い鎮魂歌 2022-11-23 | 暦
吟味すべきCPは如何? 2024-04-02 | ワイン
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なんじゃらほい交響楽

2024-05-19 | 
ざっとシネマプログラムをみた。ヴォーンウイリアムスの曲は全く分からない。あれだけグリーンスリーヴスとか書いている作曲家なのに、なにか可笑しな節回しで、五度、四度が強調されつまり五音階となって、まるで中国雑技団である。交響曲として使われると笑うしかなくその展開も当然のことながら違ったものになる。

お勉強にプレヴィン指揮のものを聴いたのだが全然曲を掴んでおらず、このような曲なら演奏するに及ばない。タルモがどのように指揮するのかは分からないが、作曲家がラヴェルとのところに学んだとする偽印象派風にも響かない。とても中途半端な印象だ。この曲をプログラミングした真相は体験してみないと分からない。

作曲的にも最初の映画音楽組曲「眩暈」の方が優れているぐらいで、これはまた問題だ。明らかに名演を期待したいのは「ツァラストラはかく語りき」の演奏で、映画に使われた云々を別にして立派な演奏を期待した。

手元にあった音源はEMI録音で大成功したルドルフ・ケムペ指揮シュターツカペレドレスデンの演奏で、それに針を下ろしてみた。第二部からB面になるもので、音響的には古い東独の楽団録音として成功している。選集のように売っていたのだが、その中から2枚だけ購入していた。なによりもがっかりしたのは拍子感が危うくなる指揮で、地元生まれのオーボイストでゲヴァントハウスでも1929年から吹いていたようだが、その音響は身についてはいても真面な指揮の下で演奏していなかっただろうと思わせる。要するに和声の流れの中で適当にメロディーラインを移していくだけの指揮で一流指揮者のものではない。

あまりにも酷い演奏なので耳直しにメータ指揮の堂座付き楽団のライヴ演奏を聴くと超一流の指揮だった。この座付き楽団では管弦楽的には名演を聴けることはないのだが、これは素晴らしい。嘗て1930年代にベームが世界トップクラスのブルックナーの録音を残しているのだが、流石にその老指揮者からニキシュ指輪を継承されたように、そうした歴史的な演奏を指揮している。

声部の扱い方が自由自在で、その楽譜からなるべき音を全て分かっている指揮で、その和声の響き以上にその音の繋がりが明白に読みだされている。成程メータは若いころからロスでもこの曲を録音していて、現在これに匹敵するだけの指揮をする人は殆どいないかもしれないが、映画音楽に使われようがどうであろうとも、なるべき音を鳴らしているのはスヴァロフスキー門下として音を各拍ごとに腑分けする習慣をつけているからで、そこから初めて必要な音がどの声部から響いて来るかを拍ごとに認識しているからに過ぎない。指揮者の基本の基本とも思える準備をして指揮台にあがっていたという事である。

たかがそれだけでもある。さて今回指揮のタルモはそれが指揮の技術を越えてすんなりとその通りに演奏させることが出来るかどうか。始めて客演する放送交響楽団でどこまで振り尽くせるかである。シベリウスを参考にして演奏するのかな?



参照:
生中継留守録音の心得 2024-05-16 | テクニック
最後にシネマ交響楽 2024-03-01 | 雑感
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「愛の宣誓」の口籠り

2024-05-18 | 
久しぶりにギドン・クレメルの演奏を聴いた。四半世紀以上ぶりだ。30年前にフライブルクで聴いて以来かもしれない。ピアニストとのアファナシスとの共演で、音を出さない所の音を聴かせるシューベルトで、こういう演奏があるのかと思った。それ以来アンサムブルを形成してとかで殆どソリストとそては引退同然だったと思う。

若い時のシニトケのショスタコーヴィッチが亡くなって暫くしてのその演奏が今でも記憶に残っている。そして今回もアカデミーのアンサムブルをどのように率いるかがとても楽しみだった。結果的には完全にアンサムブルに乗っかって遊ぶような演奏だった。

一曲目のブルックナーの五重奏もよりそのアンサムブルとの乖離は激しかったのだが、マーラーのアダージョはその音楽の対位法的な特性からより興味深い演奏となっていた。その弦楽は全く若い時から変わりなかったことを改めて確認した。よりそれが力が抜けた形での演奏で、このアダージョでの音の抜け方に最適で、こういう弦楽合奏が大交響楽団で出来たら理想的な演奏だと思った。

当晩のプログラムには、この音楽会のタイトルであった「愛の宣誓」の意味が妻のアルマが既に建築家のグロピウスのところに走っていたことを説明していた。するとこうした音楽の構成もよく分かる演奏で、なにも全ての音を同じようにはっきり発音すべきではないという楽曲とその演奏の典型で、ソヴィエトでオイストラフの弟子として紹介されていたがそもそものリガの家庭環境があまりに違い過ぎて、母方の祖父はスェーデンの弦楽の教祖みたいな人らしい。兎に角、音楽の語り口があまりにも堂に入り過ぎていてあのような演奏に合わせられる人はそこいらの素人ではいまい。

休憩後は下りたので私の前の席に座ったのだが、私を見て目を丸くしていた。演奏中から気が付いていたとは思うのだが、山本耀司を着るという彼のよれよれの衣装よりも私の衣装が派手ということだろう。聴衆の一人が「どこで買ったんか」と尋ねた。また入り口で休憩後に入る時に時々検査していたお姉さんに見せると、アイリメンバーと言われ、なにを覚えているんだよと返したくなる。

ここ暫くで、靴も適当なものを新調したので、選挙候補者ではないが演奏家の衣装よりも目立つで突しようかと思っている。例えばクレメルの横に座っていたおばさんはアカデミーの講師でもあるアンティア・ヴァイトハース女史だったようでブロンド乍立ち振る舞いやクレメルとの話しかたもとても地味な人だ。調べると私の友人の仲間だったようで共通の知り合いがいたのだった。

そして後半のブラームスの演奏を聴いていて、最後のチャルダッシュのようなところで真後ろからこうした世界の頂点の人の拍子取りを見ていてとても興味深かった。女史の方もやはり分かったがやはり拍子感がちとまた違う。良く目の前に座ったりする作曲家はこちらが認識するほどには身体を動かすようなことはないのだが、やはり演奏家違うのだ。

アカデミーの生徒たちはこうした大名人に目を振れない様にアンサムブルを作っていた。例え一緒に演奏してもそういうこともあり得るのかと思った。それでいうとやはりプロのアンサムブルの演奏者は自らが細かくリズムを取って合わせている。こうしたアカデミーはソリスト志向が多いからであろうが、こうした機会があってもその程度しか活かせないのかと意外であった。



参照:
プファルツの森から挨拶 2024-05-17 | 女
重要なその視座と視点 2024-05-12 | 文化一般
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プファルツの森から挨拶

2024-05-17 | 
満を持してインスタグラムでチャットパートナーに連絡した。どうも間髪を入れずに既読になっていたようだ。以前はリストのところでチェックして、時間をおいて既読にしていた感じだった。長い時は三週間以上後になっていた。内容によっては中抜きで上手くパスしていた形跡もある。

その頃はファンレターも多かったのだろうが、減ったのかどうか。二週間も時間をおいた今となると流石に僕の立場でも普通に女性に何かを書く時と変わらない位に気を遣うようになる。とはいっても恋文をペンで認める時とはやはり違って、それでもリラックスした感じはある。

兎も角、「仕事関係」はなくなって仕舞って、以前の関係もお楽しみになって、いつも携帯しているスマートフォンを覗き込むようになっているのだろう。お返事はまだないからそれぐらいにしか分からない。少なくとも悪い気はしていないに違いない。

それどころか少し間が開いたのでまだかまだかという感じはあったかもしれない。先ずは今後のベースとなるコンタクトが出来たので良かった。正直なところそれはそれでこちらは余り迂闊なことも書けず、今迄の関係を発展させるような声掛けはそれ程容易ではなかった。

つまり、一年間以上ののそれなりのお付き合いがあるので、気心が知れるところはやはり見ず知らずの他人とは違って共通のミームみたいなものがあるので、そこを突くしかなかった。お互いにそこで笑えれば心が通じると思った。

あまり、プレッシャーも掛けたくなく、こちらも今すぐに何かが出来る訳でもないので、SNSのその形態に相応しく写真もつけておいた。近況を写真にしてでも公にしてくれればと書いたのだ。まだまだストーカー対策もあって戸外の写真などを頻繁に載せることは難しいかもしれないが、写真クラブの腕前を見せて欲しい。

こちらは今年撮った森の中の看板の写真を付けておいた。そんな立派な写真がある訳ではないので、さして意味はないのだが、プファルツの森の雰囲気が分かる看板である。いざそこに書いてあるそのサイトに行ってみると、とても内容があって一挙に見れない。こういうのはジグソーパズルにして欲しい。一度時間を掛けて一通り捲ってみないと始まらない。

それでも右上の方言めいたものの下に「細心の注意」をと書いてあったので、その意味が分かった。UFFBASSE!である。これは書き言葉ではAufpassen!である。要するに森の中での注意事項が事細かに書いてある。

何故この写真を付けたか?先方は旧ヴァルシャヴァパックの首都に住んでいるので、恐らくこうしたドイツの森の感じがよく掴めないだろうと思ったからだ。何が違うかというと徹底的に隅々まで手が入れられていて経済化されているところだろう。そこに描かれているようなアーモンドの開花写真も送ってあげたのでより俯瞰図が分かるだろうか。



参照:
僕のインテルメッツォ 2024-05-08 | 女
異議申し立てを提出 2024-02-16 | アウトドーア・環境
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生中継留守録音の心得

2024-05-16 | テクニック
週末の準備が必要だ。三曲とも実演では聴いたことがない可能性がある。「ツァラストラスはこう語りき」はあまり演奏されない。一曲目のヒッチコック「眩暈」の音楽はその関連で若干お勉強したので、分かってもいて、更に楽譜付きで映像があるので、一寸見ておけば十分だ。最後のヴォーンウイリアムスのロンドン交響楽というもので、バンクを描いた小節に喚起されているというが、ビッグベンの鐘からその風景を伝えているようだ。この映画音楽とタイトルが付けられている演奏会で特になにか映画を観ておく必要もなさそうである。ツェルシー風景は先々月の「ブラックメール」で堪能した。

昨夜もベルリンでの実況中継録音が放送されていたが指揮者のタルモはやはり抜群の才能で、ショスタコーヴィッチ交響曲10番でのああいう緊張感の作り方などは努力して学べるものではないだろう。その意味から今回のリヒャルトシュトラウスも指揮するのに向いている作品に違いない。前回は室内交響楽団でアスミクの歌うショスタコーヴィッチ交響曲14番だったが、今回は始めて大編成での指揮を聴く。

燃料も入れておかないといけないが、往復で200kmなので20リットルだからそれ程の差にはならないが、それでも安い時に入れておきたい。最近はエンジンオイルもガレージの床が汚れる傾向もあり、100km走ると100mlつまり1ユーロ近くの経費が掛かる。燃料代に5%程加算されるようなものだ。それでもまだ走ってくれる限りは廉くつく。因みに先日のクロンベルク往復は寄り道をしたので260km程走った。

日曜日のプラハからの生中継の音質が悪かったという苦情を目にした。個人的にはMP3の256kbpsも録音していたので、通常の放送の録音はあまり聴いていなかった。確かにそれは東欧の特徴でもあるぼったりしたAAC圧縮のようで、それはまたSWR2のそれとは異なる。恐らく32kbpsなのでお話しにならない。それならばとオンデマンドをダウンロードすると256kbpsのMP3なので同じであった。そこで、生とオンデマンドの差異は修整の有る無しでしかないだろう。

今回もクロンベルクに出かけていたので、両方の可能性をもって留守録音をしていた。結果的に両方とも成功していたが、MP3の音質が好きではないのだが直接圧縮信号波m3uをVLCプレーヤーを使ってFLACに変換して記録するので、8時間ほど回し続けていても433MB程にしかならなかった。勿論それでは使いにくいので切断する。切断もAudacityで開いて行えることが分かったので損失無しに行える。様々に試した結果、放送其の儘のMP3でアップサムプリングなどもせずにただFLACで圧縮するだけでとても小さくなるので実用的になると理解した。今後中に録音するときもこれしかないと理解した。

なによりも放送を回しておくのは一番放送が中断しない方法として優れていて、PCなどの機器環境に左右されにくい録音や録画が可能になることだ。VLCでの変換と記録の感じはあまり慣れにくいものなのだが、専用のソフトでないから仕方がないのだろう。但しLINXでも問題なく使えるようなので助かる。



参照:
芸術内容の迫真性 2024-02-28 | 文化一般
最後にシネマ交響楽 2024-03-01 | 雑感
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北京からの公報の数々

2024-05-15 | 文化一般
北京での音楽祭初日の最終公演の報告が各紙から出ている。共産党紙も四川に迄伝えているところ見れば如何に重要な音楽芸術の意味を其処に見出しているかが分かる。ベルリナーフィルハーモニカーによる上海での興行はここまで扱われるだけの根拠はないだろう。

殆どコピーアンドペーストのような類似紙面であるが、やはりその意味を深読みする。この楽団が中共との関係を持つきっかけになったのは2015年以来の上海での楽員の公演にあって、昨年のハース作「1100のピアノ」北京とヴィーンの音楽祭での公演によって、そして今回の楽団ムジークフォールムの中共初公演となったとある。

上の企画がどのように進んだのかは分からないのだが、大変大掛かりな催し物で、中共向きだったのは間違いない。今回の三曲に一曲アペルギース作曲24の演奏家の為の「音楽的友好の状況」という作品は演奏家が歩き回りながら聴衆とコンタクトを取るというもののようで今回の中共の聴衆た為の作品だとも書いている。

一曲目のフュラーの1986年作「君のところに」ピアノトリオで始まり、ご当地の叶小網による「中華ストローフィ」という曲では何時も知っているその風ではなかったが高度な演奏と書かれている。よほどの中華風の節回しなのだろうか、指揮者エンゲルは世界中の作曲家の新曲を初演していて十分にその独自性に留意している筈なのだが、余程のものなのだろうか。

公式の写真素材を見ると、叶らしき作曲家が練習で指示してのエンゲル指揮の様子が窺える。指揮棒を持っていないのは結構珍しいのでよほどニュアンス付けに工夫をしているのだろうかと感じた。

中共はやはり共産党がしっかりしていて、そのイデオロギーは文化芸術面をもしっかり支配している。それゆえに経済やその他のエンタテーメントの良いことは皆取り入れようとするそれとはまた別に、科学技術などとと同様にこうした新しい波を受け入れて消化しようとする努力もなされている。

選ばれた聴衆にも好評のようで、この楽団にどんどんと紹介して貰いたいという書き込みもある。一番の問題は広い聴衆とその社会が欠損しているのだろうが、音楽芸術的な企画は寧ろ日本などよりも中共などでの方が受け入れられる素地があるのではなかろうか。

エンゲル指揮のムジークフォルムヴィーンの演奏が、そうした様式などを但しく弾き別けていて、より深い理解が為されて演奏されたとある。ピアノトリオを含む僅か三曲の公演であったようだが、シアターピースのような作品も含めて紹介できたのはそれなりの価値があったのは間違いないであろう。

そうした明らかな芸術的な成果がこうした公報によって、証明されていると思われる。



参照:
维也纳现代声音乐团登台,2024北京现代音乐节闭幕, 澎湃新闻记者 高丹 2024-05-14 澎湃新闻
维也纳现代声音乐团全团成员首次集体亮相中国舞台为2024北京现代音乐节闭幕  北京青年报官网 13.5.2024
震撼させる浪漫歌劇指揮 2024-05-04 | 文化一般
時代の耳への観想 2024-04-20 | 音
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クロムベルクからの帰路

2024-05-14 | アウトドーア・環境
クロムベルクから返ってきて疲れた。理由は定かでないが、例えば帰路のアウトバーンがダルムシュタットから閉鎖されていて、ハイデルベルク方面へとアウトバーンを遠回りに繋ぐことになって、走り難かったこともある。そして車もガタガタするようになって来ている。早く乗り換えたい。

クロムベルクのアカデミーの建造物は完成していて、地下駐車場もそこへの連絡通路も分かった。最大の問題点は支払い機が一機しかなくて、行列となることだ。20分以上時間を費やしたので、出庫は22時10分になった。19時45分始まりの室内楽音楽演奏会としてはなぜか長丁場になった。

フランクフルト周辺に住んでいる人でも日曜日の夜中に帰宅は辛いだろう。その多くは年金生活者としても月曜日が辛い。

また、ホールの戸外バルコンも完成していてそこで休めるようになっている。これも前回は完成していなかった。そこからは終着駅の線路止めが見える。一寸独特な雰囲気は、上の幹線道路の横のベルリナ―プラッツの駐車場に停めた時には分からない感じである。また谷なので水が側溝を勢いよく流れている。

因みにその手前にドイツェバンクがあって現金を下ろした。今は郊外の支店が閉鎖になって行っているのだが、流石に本拠地に近いだけに、恐らくまだジレットブラウン社などがあるので十分な流動資金が動くのだろう。

フランクフルトのインターチェンジまではアウトバーンはななく信号も四つほどあるのだが、あれがなければ飛ばせる筈だったのだ。ワイン街道とは所要時間80分近くはみておかないといけない。

車は四時間以上駐車したので10ユーロ徴収された。ミュンヘン並みである。但し連絡通路があるので、天候が悪くても足を濡らさずに構内を座席まで行ける。今後ちょくちょく出かけたいと思っているので、これらはとても重要である。当方がガレージからスクエアーを歩かないけないので濡れるのだが、それは仕方がない。

また駅までの間にヴィーナーハウスというホテルがありそことも地下で繋がっている。地階にはカフェテリアもあって、使いやすいと思う。もう少しスクエアーの植林が大きくなれば夏も気持ちよくなるだろう。

細かなことを言えばまだまだ改善していくことはあるのだが、先ずはアカデミーを越えて特にここを本拠地とする欧州室内管弦楽団の定期などで有料の稼働率を上げて行けばホールとしてもよくなるのではなかろうか。

車まで通うことを考えればアクセスの道の信号待ち数が減ってくれればと思う。ドイツとしては余りにも多すぎる。



参照:
基礎となるのは環境 2022-10-04 | アウトドーア・環境
ピアノ付きの演奏会アリア 2022-10-07 | 女
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肯定的な世代交代の意味

2024-05-13 | 文化一般
15年ぶりにキリル・ペトレンコが金曜日に記者会見をしたらしい。独通信社からその内容が伝えられている。因みにこの間も日本旅行などに際して会見をしていたことは知られているがそれ以外では行っていない。

ベルリンの楽団などに関して、その世代交代が質問されたようで、世界の代表的な楽団でのそれを個人的にはただただ肯定的にしか見ていないと答えている。これは現場の実態を知っている者ならば話すまでもないことであるのだが、評論家や音楽ジャーナリストなどは現場を知らないということに過ぎないだろう。

具体的に、楽団に長きに亘って齎した経験と若い人のやる気を合わせることは豊かにするからだとしている。そこにおいて、歳を重ねた楽員は直ぐにはもしやすると同意してくれないような彼自身のアイデアをも若い人は受け入れてくれるとしている。

ペトレンコは、楽団の民主的な組織運営に関して言及して、楽員を自ら選び自らを律しのあり方はとても素晴らしいと絶賛。意見を求められばそれをするが、決断は楽団自らに委ねられるようにしている。今迄はそれで上手く行っている、楽団は、ベストのみならず則ったものを受け入れて、それが芸術的だけでなく人間的にもその様であることで、彼らを信用している。

昨今の中東紛争が激しくなってきて以来も、インターナショナルな楽団内ではお互いに批判的な論争もなされている。そこで、お互いの視線から客観的で公平な見方が為されるべきだとウクライナ系ロシア人でイスラエルに親族もいるペトレンコは語る。双方からのお互いに敬意を持った対話は続けられなくてはならず、そこでの嫌悪の発言やヘイトは受け入れられない。

管弦楽団は音楽の効果に依る。音楽には力があり、橋を架ける、そういう特別な立場に我々はいる。音楽の対話には建設的な効果があり得る。

新シーズンは8月にブルックナー交響曲五番で開幕する。ベルリンのみならず遣り甲斐のあるプログラムで、多くの若い作品も入れて市場で演奏会を為してきた。ペトレンコは、如何なるプログラムにおいても聴衆の強い支持を感じているという。

客演でもただ単に人気でプログラミングしていないと、我々ベルリナーフィルハーモニカーが勇気を示すことが責任であると、祝祭の聴衆にもそれを求める。8月、9月のツアーでは、ザルツブルク音楽祭、ルツェルン音楽祭そしてBBCのプロムスでペトレンコ指揮ベルリナーフィルハーモニカーを体験できる。それ以外に11月にはアメリカツアーで、復活祭ではバーデンバーデンで、続いて5月にはアムステルダム、ブリュッセル、ケルン、エッセンでそしてクンツェルザウでと続く。



参照;
重要なその視座と視点 2024-05-12 | 文化一般
ペトレンコの日本への真意 2023-10-21 | マスメディア批評
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重要なその視座と視点

2024-05-12 | 文化一般
ブラームスのピアノ四重奏曲は専らシェーンベルクの編曲で馴染んでいて、嘗て言われたように「もう四重奏としては聴けない」の立場に近かった。しかし今回昨年からのブラームスの旅で、ブラームスの視座を漸くえることが出来ていて、そしてこの作曲をシェーンベルクがどのように読み解いたかは手に取るように分かるようになって来た。

なるほど最初の主題が、自分のものでなくて残念と語ったというのもそのもので、ブラームスがそうした目で以って民謡的なものを採取してきたその心眼を表現している。まさしくブラームスの音楽を評価する時のその目である。それはハイデルベルクのレクチャーでも語られていた、ヴィーンの人がそのジプシー的な音楽をどのように受け入れているかの鷲掴みにする音楽文化的な視野である。

それがリズム的にはもはやミニマルとしか考えられないような掴み取りや様々なデフォルメとしても作用していて、音楽伝統をそこに積み重ねていく。全く同じことがシェーンベルク創造であったのと重なり合っている。

日曜日はこれをギドン・クレメルがどのように表現するのか指導しているのかが注目点である。その前に殆ど習作的なインテルメッツェとトリオとまさしくブラームスのそれと重ね合わされていて、こうしたプログラミングを見るにつけクレメルは音を出さなくなっても素晴らしい音楽家だなと思わせる。

そしてマーラーのアダージョにおいての音の選び方と綴り方と、後期ロマン派の作曲家の音楽がここに一つの視座から導かれている。それをアカデミーの若い人たちに身を以て体験させるという教育的な意志とその実践を現場で確認してくるということになりそうだ。

ワインも試飲してきた。いつものように例年通りであるが、2022年の特徴は夏の日照りで養分が足りなくなって、醸造の時のアルコール化で若干の塩化作用を起こしたということだろうか。葡萄の使い方でそれが顕著に表れているものがあって、亜硫酸臭のようなものを皆が感じたようである。勿論それは批判的な官能判断となるのだが、現実にはなんらケミカルが余分に使われた訳でも葡萄が腐っていた訳でもない。

秋にも試飲するのでその時の印象が重要になる。基本的には酸が弱ければそれだけミネラル成分が表に出てくるので苦みや所謂土壌の味を楽しむことになる。だから酸がしっかりしていることがワインの場合には重要で、特にリースリングの様にミネラル風味と酸の配合で楽しむ天然の配合こそが神の雫となる。糖を残さない辛口の醸造をしてこその醍醐味が試される。要するに上の塩化とミネラル風味というのは関係がある。ワインにおいての酸の重要性はそこにあって、それがグラスの中での色合いとなる。

こうした知識で以っ本年のワインの試飲においては注意点になったり、その葡萄の状況をそのミクロクリマの差異から察したりすることになる。言えばこれだけの情報を持っているだけで、どこの試飲会に行ってもズバッと栽培と醸造の奥の領域までに深く入って話しを聞く機会が増えるのである。なにもワインを上手い不味いで語ることが玄人でないのは、音楽などでも全く同じで、傷があったかどうかなどは全く重要な話題にもならないという事だ。



参照:
僕のインテルメッツォ 2024-05-08 | 女
清々するセンスのなさ 2024-02-17 | 文化一般
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自己最高額の普段履き

2024-05-11 | 生活
靴を購入した。何が買えるか分からなかった。ざっと見ると、今履いているよりいい靴は見つからなかった。諦めて内履きを物色した。こちらの方は生地を張っているスペイン産が廉めで、如何にものモヘアになっているようなものよりもお得そうだった。初夏に冬物を買うのであるから置いておくだけなのだが、寒くても余りふかふかしたものは汚れもあり、足が不快になるので買わない。30ユーロ以下で綿のものとなれば、毎回右親指の肉球に穴が開く現在使っているものを買いたくなかったので幸いだった。そして靴下さえ履けば暖かそうだ。なので何時も大きめを購入する。それでも痛むのだから仕方がなかった。サイズとして41から44迄あったが展示品しかなかった43を購入した。25ユーロ以下だった。

さて、探し回っても普段靴のいいものが見つからなかった。今履いているサラマンダー社のはそこの店では扱わなくなったようでブガッティと称するヴェストファーレンの靴が多く並んでいた。明らかに安いのである。今の靴を履く前には70ユーロぐらいで狙っていたのでそこから選ぶことになったと思うのだが、何かデザインがどれもこれも定まらず、何よりも廉いのは内側が皮革でなくておかしなゴムのような素材が使われていた。耐久性以前に不快だと思ったので、手が伸びなくなった。

そうなるとネットで購入するか向かい側の対抗店を覘こうかと思った。そこで最後に五割引迄の靴棚売りを見ると、119ユーロで使えそうなものがある。既に足を入れようと思って簡単に入りそうになかったので断念したのだった。しかし他に可能性がないとなると入れてみるしかない。英国サイズ7は履いたことがあっても小さくて痛むのが早く、足も最初から痛い。入れてみると意外にすんなりと入って長さが余った。これなら使えると思って反対側を探すしてもないので、調べて貰うと、隣にある赤札159ユーロがもう片一方だというのだ。これが119ユーロになるなら買うといってPCを調べて貰うとOKだった。

実際に足を入れてみるとすんなり履けて歩ける。そして正価を見ると260ユーロ、ネットで調べると300ユーロの定価。成程材質も靴の仕上げ自体も悪くはない、今履いている靴よりも明らかに上等である。前回の時も110ユーロの価格の割には出来がいいなと思っていたら、やはり小さめのサイズ42で長い距離を歩けないことは最初から承知だった。

今まで購入した靴で山靴や盛装用以外では最高額の靴である。オランダの老舗のモード靴メーカーのようでドイツ進出は比較的最近らしくデザイン性は良いが高価ではなかなか売れない。売れ残り展示現物処分品である。この靴と同じような黒い英国製の紳士靴は以前使っていたのだが、同じサイズでも小さく足が痛くて無理して使っているうちに底の皮革に穴が開いた。雨の日の替えがなかった。これは茶色であるが、天気が悪くてもジャケットやジーンズの時にこれを履いて劇場にも出かけられるだろう。

新車が入るぐらいまでは現在のものをスーパーなど買い物に使えれば、お出かけの時に今回の靴をちょこちょこ使って、一張羅の靴を休ませることが可能となる。それが一番いい使い方ではないか。まさか今時119ユーロで真面な作りの靴が買えるとは思っていなかった。場所が場所で山の中だからこれが売れ残っていたのだろう。ワイン街道から40分以上掛けて買いに行く理由である。

踝が当たったり硬質だったりして、履き心地が似ているのはそのスリットや繋ぎの入れ方など構造が同じだからだろう。あの靴よりは大分楽なので履いているうちに足に馴染んでくると思う。



参照:
玄人が足元を見ると 2019-09-07 | 雑感
茶色のファッション靴 2013-06-25 | 生活
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虻蜂取らずになる活動

2024-05-10 | 
承前)シュヴェツィンゲン音楽祭、アンサムブルレシエクレに関しては若干否定的に言及した。しかしその興行的な価値だけでなく創立者指揮者ロートとの活動の芸術的な価値に関しては改めて考えないといけない。

今回の二夜に亘るプログラムにおいてもいリゲティとモーツァルトを対照的において、この楽団が得意とする時代ごとに使用楽器とピッチを変えての演奏の価値である。因みにモーツァルトは430Hzが採用されていてハムマークラヴィーアが使われた。リゲティは442Hzで近代的な楽器が使われた。

その音色的な差は、特にモーツァルトということでそれ程感じさせなく、その奏法に関してもこれといった効果は示せていなかった。現在の演奏会において近代的な楽団がモーツァルトの交響曲などを演奏するのは特殊であって、それが成功する例も少ない。そしてそうした専門の楽団でもないので、取り分け音響的な期待に応えることもなく、ハフナー交響曲においてペトレンコ指揮ベルリナーフィルハーモニカー演奏と比較してなんら本来の音楽を奏でるものではなかった。

特に今回の様に青年のモーツァルトがここで学んだそれを考えれば、今回の演奏はヴァイオリン協奏曲ト長調も含めて寧ろ現代風で当時鳴り響いた音響ではないことがひしひしと感じられた。なるほどソリスツのファウストの試みで楽団もそれなりの音を創造していたのだが、まだまだ遠いという感じが否めなかった。

それはよりリゲティの作品において、その演奏法の洗練などに至らないと言及した。そして指揮者ロートの活動はここに大きく拠っている。客演で大きな楽団を振ったり、または常任としての活動もここでやるほど徹底できないということでもあろう。来年の聖霊降臨祭のプログラムも発表されていて就任するSWRを振るのだが、ブーレーズからラヴェル迄を生誕百年の「ノタシオン」を軸に形成している。二つ目のプログラムはブーレーズとブルックナーを組み合わせていて、それでツアーにも出かけるようだが、若干上のプログラミングにも似ている。

それらから予想すると2025年3月のブーレーズ生誕百年演奏会はロート氏が振るのではなくて、ベルリナーフィルハーモニカー関係者が何かを行うのだろうか。春の復活祭のブーレーズカフェーの最初を聴き逃したので不明である。

演奏会前のレクチャーで、リゲティのことも話していたのだが、嘗てのレートナイトなどでの話しの様にそれ程まとまった印象を受けない。ドイツ語があまり出来ないことがその理由かと思っていたのだが、どうもそうではなさそうで、フランス語でのそれも聞いてみないと判断できないのだが、若干の不明瞭さが付きまとう。

まさしくこの指揮者がブーレーズのその任の跡を継ぎたいと思ってもそのようには指揮出来ないのはなにもあのリズムの精密さや明瞭さの技術的な問題だけでなくて、音楽的な思考に準拠するものだと理解した。こちらもほぼ面が割れて仕舞って、評価に注目されるとなるとその活動にもより慎重にしかし重要な点を指摘していかないといけないと思っている。



参照:
主役を担うのは歌える歌手 2022-12-22 | 文化一般
マフィア連中の試み 2021-04-06 | マスメディア批評
コメント (2)
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発注システムのバグ探し

2024-05-09 | テクニック
休日前に片付けておくことはある。休日後の予定も立てておかないと動けない。金曜日の試飲会前に靴屋に行けるのかどうか。購入するのは冬の内履きと平素の靴である。前回購入したのは2019年9月で110ユーロ払っている。コロナ期間を挟みながらも五年履いたので、年当たり22ユーロで決して悪くはない。現在もそれ程は傷んではいないのだが、何時駄目になってもおかしくはないので、買えれば買っておきたい。靴だけはネットでは中々買いにくい。

冬の内履きを最後に何時入手したかの記憶がないのだが、いつも傷むのは右足の肉球のところで、左右が代われば合わせてまだ使える。一度穴が開いてしまうと靴下も痛みそうで引き続き使いにくい。20ユーロ少々なら良しとするしかないだろう。爪先が冷えないだけでも助かる。

醸造所から更に谷を詰めておくに行くのでそれだけ余分に出かけることはないから考慮しなければいけない。

先週末就寝前に血圧が上がったのは、新車の発注のコンフィギュレーションサイトでそこのシステムのエラーを発見したからだ。それを見つけたのもここ暫く調べていた防音ガラスの問題からで、PDF価格表も見つけて、明らかに支店の説明とは異なる発注が可能だったことを発見したからである。ここ暫く調べていたのは、なぜ防音ガラスがオプションになっていなかった組み合わせにおけるコンセプトだった。恐らくそうしたものは存在しておらず、製造上の経済性が理由であることもあまりないだろうとなっていた。

要するにそこにシステムエラーが絡んでいた可能性を発見した。すると発注の修正を迫られることになる。そのことを週末に纏めて支店の担当者に知らせる必要があった。

そしてやっと火曜日の夕刻になって回答が戻って来た。システムエラーを認めた。これは総会前に小株主として動議書を出していたら株価に反映するほどの影響力があったと思う。システムエラーを見つけていた人は少なかったようで、容易に修正出来ないのは当然で、私への回答も来週初めへと伸ばされるのは当然だと思う。

ドイツ指折りの大企業の発注システムでのエラーは可也の大ごとで、現時点ではネットでは扱われていない。一時的なものでないのはその設定などで誤りがあるからで、復帰させるまでどの程度の時間が掛かるかである。上の件では二月以上正確でなかったとすると完全なバグだったとなる。

これだけ大きなシステムのエラーを見つけたのだからやはり血圧が上がる。完全に停止していないので知らなければ其の儘になるのだろうが、そのシステムの不具合をどのように後処理するかが企業としての危機管理の在り方で、一つ二つを適当に捌くという事ではないので、しっかりとした対応をしなければ大事になる。

自動運転で大事故が起こるほどではないのだが、プログラミング上でのバグというのは同じようにそこでも起きるので、超巨大企業がひっくり返るほどの事故にもなる。エアバスでも最初の頃は墜落したことがあった。



参照:
眼を開けていられない日々 2024-05-06 | アウトドーア・環境
新モデルの車を試乗 2024-01-11 | 雑感
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僕のインテルメッツォ

2024-05-08 | 
週末はワイン試飲会とクロンベルクでの音楽会だ。前者と後者で350km程走るだろうか。燃料もそれなりに30リットル以上給油しておかないといけない。高騰していているので廉い内に入れておきたい。

音楽会は、馴染みの深いクレメルがリードするもので、そのソロは四半世紀前に聴いた時に既に音を出さない音楽をすることが分かったのでその後は行かないようにしていた、実質上ソリストとしては引退状態だった。それでもコンツェルトマイスターとしてどのような演奏をするのか楽しみである。

ブルックナーの「インテルメッツォ」、マーラー交響曲10番アダージョ、ブラームスピアノ四重奏曲ト短調Op.25で、アレンジを含めて初めてなのでお勉強の必要がある。

久しぶりにチャットパ―トナーの話題だ。実は復学をしてからちょこちょこと出ていたのだ。授業が薄いならば顔を見せて貰っている方が小遣い銭も投げれるのでそれもよいかと思っていた。それでもあれでは勉強できないだろうとも感じていた。しかし、第二クールを始めてから一年後にきっぱりと足を洗ったようで、殆ど更新の無い上に改めて整理もされたインスタグラム以外からはほぼ消えた。第2セメスターの後半が始まったのだろう。もしかするとまだ獣医学科にいるのかもしれない。全部で10セメスターぐらいあるようなので、徐々に実験などもはじまるのかもしれない。兎に角最初からきっちりと計画は立てていた節がある。医学のベチャラー資格のその後はどうなるのかもしらないが、先ずはそこだろう。

最後のクールでは学校の先生指向のような心理学専攻女学生と再びペアーを組んでいたので、安心はしていたのだが、やはりそれでもスタディオ関係のおかしな連中とは距離を置いた方がいいと思っていたので、完全に手が切れるといいと思う。ヴィデオとかその手のものは全てネットに残っているのだが、いずれ黒歴史と思うようになっても、それは本人の今後次第ではなかろうか。

あの年代での一年間を少しを思い起こすとアッというような間でもあり乍らそれはそれなりの期間があった。それは自分自身がそれ程明白に将来から逆算して動いているような人でなければ、不透明で先が見えないような霧が掛かっているような状態だったかもしれない。実際にそういう表情をいつも見ていた。想像するに医学部にでも入っていたのなら其の儘キャリアを歩んでいたのかもしれないが、長い階段の一つの踊り場のような状況にいたのだろうと思う。

ここで何をか声をかけるようにメッセージを書こうかと思う。既に一年経過の時に「新たな出発」と書いたので、それを繰り返す必要はない。さしていうならば、時々SNSで元気な近況でも上げてくれということぐらいだろうか。「先生」との野外でのスナップ写真なんかでも、ティーンの女学生として敢えて番組向きの化粧などをしているのだが、本当に真面すぎる感じで、今時と思わせる純な感じがとてもいい。西欧ならどこかひねたところが必ずあると思うが、最初に見た時にあまりに素朴過ぎと感じたのと全く同じ印象をもった。社会環境が異なると言っても大変貴重だと思う。身だしなみを見ていても決して派手ではないが田舎臭いわけではなくて、それなりに首都らしい洗練さもあって麗しいかぎりである。新しい楽器を始めたりお絵かきなど余裕があれば優雅な限りのご様子 — 鍵盤も習っていたようで真面に音が取れるのも立派。



参照:
事件の真相は現場にも無し 2024-02-24 | 雑感
清々するセンスのなさ 2024-02-17 | 文化一般
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