ぽんたの日記

日記だけど週1回ぐらい更新できれば上出来かと・・

地震その8

2011-05-11 | できごと
3/16~17

普通に仕事。
一人暮らしになったので、食事がますます質素に。
ご飯とふりかけとか。
お昼は会社でお味噌汁とちょっとしたおかずの配給があり、ご飯
持参で会社に行っていました。
新潟や東京の事業所から食料や燃料が届きました。
18日に盛岡に仕事で行くことになり段取りをしてました。
仙台よりは復旧しているとはいえ、ホテルもシャワーが出ないとか
朝食の品数が少ないとか。
17日に水道が復旧しました。これでバケツを持って階段を往復しな
くてよくなりました。


3/18~19
朝早く仙台を出発しました。
燃料不足のため、1台に5人乗り込み、作業用荷物を詰め込んでギュ
ウギュウ。
会社の車は震災調査用の緊急車両登録をしていたので高速を通れま
した。高速だとガソリンも20Lまで入れられました。
高速はいたるところに段差があり、地震の影響の大きさを実感しま
した。
で、今回の盛岡出張の目的は3つです。
・仕事をすること
・大浴場のあるホテルで風呂に入ること
・物資調達
18日の夕方まで仕事をこなし、ホテルで久々にゆったりして、翌日
食料などを調達して帰ることにしていました。
仕事を終えてホテルに到着すると、大浴場は燃料不足の影響で時間
制限があり、この日は21時~1時まで入浴ができるとのこと。
また、燃料不足で客室のシャワーのお湯は出ないとのことでした。
まだ18時だったので夕飯を食べに行くことに。
居酒屋を見つけ、久々の生ビールや温かい食べ物にテンション上が
りまくりの5人。次々においしいものを食べまくりました。
散々食べて、21時になったので宿に戻りました。
まだお風呂は込んでいるだろうと思い、テレビを見ながら22時くら
いまで待つことにしました。

ZZZ・・

気づいたら2時でした。
1週間ぶりのお風呂に入りそこないました。
あまりのショックでその後寝付けず、悔しいので水シャワーでシャ
ンプーして5時頃ふて寝しました。
翌日確認するとお風呂に入り損ねた人がもう一名いて安心しました。

9時開店のスーパーに行きました。
仙台では考えられないくらい人が少なく、品揃えは豊富でした。
20品限定でしたがいろいろ買えました。
この時点でみんなが共通して喜んだものは以下のとおり。
肉・たまご・野菜・ガスコンロのボンベ

私も20品を厳選して買いました。
肉4種類・たまご・インスタントラーメン・カップラーメン・野菜いろ
いろ・いちご・会社から頼まれた米など
ただでさえいっぱいだった車がさらに窮屈になりました。

仙台に戻ってダイエーの前を通ったらものすごい行列ができていました。

地震その7

2011-04-21 | できごと
3/15
午前中は会社で仕事をしていました。
年度末〆切りの仕事をどうするか、当面の仕事をどうするか、動いてる交通機関は
あるのか、問題がいろいろ出てきます。

ちーとようたんが新潟経由で米子へ帰ることにしていたのですが、偶然新潟に車で
戻る友人がいたため、同乗させてもらうことにしました。
午後家に帰って、まずバスのキャンセルに仙台駅まで行きました。
バスの予約をしたい人で長蛇の列で、数日先まで予約でいっぱいとのことでした。

午後3時前に友人の車が到着。ちーとようたんを乗せて走り去っていきました。
帰り際、余っているからとガスコンロ用のボンベとペットボトル麦茶をいただきま
した。
りんぞーさんありがとうございまいた。
アウェー新潟戦で会えること楽しみにしています。

一人になったのでとりあえず自分の居住空間だけ掃除をしました。
それから、今後仕事が忙しくなりそうなので、買出しに出かけました。
食料はまだまだ手に入りにくいし、お店の営業時間が夕方までで仕事帰りではどこ
も開いていません。
休日に買出ししておかないと、危機的状況に陥ります。
で、いろいろ回った結果、お菓子を4袋・牛乳2本・白菜4分の1・ねぎ1束・アンコウ
(笑)の切り身をゲットしたので、一人鍋をしました。

夜、新潟についたと連絡がありました。
ちーとようたんは久しぶりのお風呂と外食を楽しんだようです。
私も負けまいと濡れタオルで全身を拭きました。



地震その6

2011-04-05 | できごと
3/14
朝9時に出勤しました。
今後しばらくは9時に朝礼、18時に終礼をするとのこと。
手に届くところにヘルメットを置くよう指示がありました。
地震後から上履きではなく土足で過ごしています。

会社は朝から電気が復旧したようで、パソコンが使えました。
ネットは10時過ぎに復旧しました。
電話はまだかからないことが多く、関係各所への電話も繋がったり、
繋がらなかったりではかどりません。
地震の話から始まるので、1件あたりの通話時間も長くなります。
そして、時折余震ががあります。
結局、ほとんど仕事が進まないまま1日が終わりました。

手のあいてる若手は、食料の買出しやガソリンの買出しを優先して
行っているようでした。
この頃はスーパーがオープンし始め、長時間並んで限られた商品を
買っている状況でした。
ガソリンは電気が復旧したところから開店していましたが長蛇の列
で、買えたとしても数量限定でした。

ちーとようたんが米子の実家に帰ることを決めました。

仙台は地震後しばらくは陸の孤島でした。
新幹線、在来線、高速はすべてストップ。
一般道もところどころ通行止めだし、そもそも移動するにもガソリ
ンがありませんでした。

地震のとき一緒に打ち合わせしていた人は、盛岡から仙台に戻る途中
でガソリンがなくなり、どうやって戻ったのか詳細はわかりませんが、
3日後の月曜日に会社に戻ったとか。
仕事で一関にいた神奈川在住のいとこは、何とか帰ろうとレンタカー
を借りたけど、白河でガソリンがなくなり、いろいろ乗り継いで日曜
にやっと戻ったとか。

そんななか、仙台~新潟のバスが予約制で1日数本動くという情報が
テレビの上だか横のテロップに流れたのをちーが見つけました。
新潟まで出れば、JRでも飛行機でも使って米子までいけます。
急いで電話して何とか翌日の夕方の便をおさえました。
ちょうど原発の状態も悪くなっていて、仙台にいることを心配されは
じめた頃でした。

会社を18時半に出ました。
家まで自転車で20分の道のりですが、まだ多くが停電していました。
ほんとに暗くて怖いくらいでした。

そう言えば、水道はまだ復旧していませんでしたが、マンションの貯
水槽に水が残っていて、貯水槽の横の蛇口から水を汲める状態でした。
地震翌日に気づいて、なん往復かしてお風呂に半分ためました。
バケツを持ってうろうろしていたので、他の住民も気づいたようでみ
んなでせっせと水汲みをしました。
この水は水道が復旧する17日まで残っていました。

地震その5

2011-04-02 | できごと
3/13 8:00~22:00
疲れていたのかたっぷり寝てしまいました。
余震で何度か起きましたが、ようたんは朝までぐっすりだった
のではないでしょうか。

朝ごはんを食べて、暖をとりテレビを見るため車に行くことに
しました。
家を出ようとしたとき、アパートの火災報知器が鳴りました。
どうせ外に出るつもりでしたので、そのまま予定通り車に行き
ました。
地震後ちょっとしたことでは動じないようになっていました。
アパートからたくさん方が出てきていました。人がたくさん
いることになんとなく安心感を覚えました。

しばらくして大家さんが報知器を止めていました。
この報知器、地震時に反応して電気が復旧したために鳴った
ものでした。
そうです。報知器が鳴った瞬間電気が復旧していたのです。

すぐに家に戻ってテレビをつけました。
ラジオではわからなかった映像としての情報が得られるように
なりました。
若林区沿岸部の映像もありました。
日頃遊びに行っていた公園も水没していました。
改めて今回の被害の大きさを実感しました。

部屋の片づけを少しして、会社と買出しに行くことにしました。
会社周辺はまだ電気は復旧していませんでした。
会社は翌日から通常勤務となるとのことでした。

買出しは会社の近くでお菓子を少し買えました。
その後少し遠くまで行ってみましたが、お店が開いていなくて
なにも買えませんでした。
途中田んぼの中の道を通りましたが、道路が陥没し、電柱が傾
いていました。

ようたんとちーを家に置いて、一人でもう一度買い物に行くこ
とにしました。
チェーン店の酒屋さんで、別のお店がやっているのを見ました。
うちの近くにもう一軒あったので行ってみました。
そこで最後の1箱の水を買うことができました。
途中、ようたんのお友達とお母さんに会いました。
電気はまだ復旧していないとのことでした。
家からちょっとしか離れていないのに・・・。
どうやら道一本隔てただけでも違うようです。

電気が復旧したことで生活が一変しました。
暖房が使えるようになり、ご飯が炊けるようになりました。
さっき会ったお友達の家族と一緒に夕飯を食べることにしました。
持ってきていただいたお肉で焼肉しちゃいました。
元気がでました。




地震その4

2011-03-27 | できごと
3/12 12:00~17:00
仕事で使っていたレンタカーで家に帰っていたので、車を戻すのと
事務所の状況を確認するために会社へ行きました。
会社にはすでに多くの人間が来ていて、午前中で片付けがほぼ終わった
とのことでした。
一人暮らしの若手社員ががんばってくれたようです。
一人だと会社にいるほうが安全で安心という面もあったのだと思います。
後から聞いたのですが、地震の日の夜は何人かで集まって過ごしたそう
です。
ただ、建物は窓が割れたり、内部の壁が落ちたりと若干傷んでいて、全
員ヘルメット着用で会社に入っていました。

しばらく情報交換(雑談)をし、家に帰ることにしました。
途中、業務用スーパー(普段から小売もしてる)の店頭で食品を売って
いたので、レトルトカレーと1ℓのパックコーヒーを購入しました。
さらに近所の八百屋さんでねぎとにら、お餅を購入できました。
帰りは少し回り道をしましたが、スーパーは大行列、渋滞していると思っ
たらガソリンスタンドの列だったり、道路が一部陥没してたり改めてい
ろいろな影響が出ていることを感じました。
家から見たとき雲に見えたものは、仙台港方面の火災の煙だと気づきまし
た。

家に帰るとちーとようたんがお昼ご飯の準備をしていました。
冷蔵庫にあったご飯と瓶詰めのはらこ飯のもと、レトルトスープ、さらに
私のいない間に近所を散歩して購入したとんかつ。
プロパンガスのあるお肉屋さんで揚げてくれていたそうです。

大型スーパーは店を閉めていたり、大行列だったりしましたが、近所の
商店街や小さな八百屋さんなどには意外と物があり、非常に助かりました。
翌日も近所のお米屋さんで精米したてのお米を買うことができました。

3/12 17:00~20:00
電気のない夜が近づいてきました。
早めに暖かいものを食べて布団に入ることにしました。
電池も大事にしなくてはいけないので、明かりはローソクを使いました。
余震を考慮し倒れにくいものを使用しました。
カセットコンロのガスにも限りがあるので、残りのご飯と火の通りやすい
野菜を使って雑炊にしました。
真っ暗になると怖いので小さなLEDのヘッドランプをひとつだけつけて
寝ました。
ラジオを聞きながら寝てしまいました。

つづく

地震その3

2011-03-27 | できごと
3/12 0:00~7:00
ちーとようたんが避難していた小学校には、多くの人が避難して
いました。グランドに車を止め、体育館で二人を見つけました。
ようたんはぐっすり寝ていました。
ちーと車に行き、地震時の様子や自宅の状況、今後の動きなどを
話しました。
そして、翌朝自宅に戻ることを決めました。

もう一度体育館に戻りましたが、私の寝るスペースはなさそうだ
ったので一人車で寝ることにしました。
しばらくはテレビやラジオをつけていましたが、燃料がもったい
ないような気がしてエンジンを止めて寝ました。
余震で何度も目を覚まし、常に揺れているような気もしました。
夜が明けて明るくなるとほっとしました。

3/12 7:00~12:00
体育館に行くと、徐々に人が起きはじめていました。
避難所は徐々に機能し始めているという印象でした。
体育館をいくつかのブロックにわけ、人数を把握し、リーダーを
決め、役割分担していました。

我々家族は自宅へ戻ることにしました。
途中、コンビニの公衆電話で実家に連絡し、無事合流できたこと
と自宅に戻ることを伝えました。

自宅の被害は思ったほどひどくありませんでした。
・リビング 食器棚から食器が飛び出し割れた
      水槽がひっくり返り、ネオンテトラ全滅、床浸水
      冷蔵庫・テレビ・パソコンなどは倒れずに横移動
・寝室   おもちゃ散乱
      あとは記憶なし
・物置部屋 本棚から本が散乱
・和室   たんすが倒れた
・電気   停電
・ガス   ストップ
・水道   断水
      マンションの貯水タンクに水が残っていたため、
      地震直後にちーが水を貯めてあった。
      ポリタンクとお風呂併せて100ℓくらい。
・食料   冷蔵庫の中のものはクーラーボックスへ移動
      アウトドア用ガスコンロ、カセットコンロで
      調理可能
      非常食の備蓄少々

いろいろ散乱しているので、全員上履きを履いて行動しました。
とりあえずの居住スペース作りのため、リビングと寝室の片づけ
からはじめました。
まず、すぐに終わりそうな寝室を片付け、ようたんには寝室で
遊んでいてもらうことにしました。
リビングは散乱している割れ物から片付け、最後に水槽と水を
吸い込んだラグなどを片付けました。

一段落して、暖を取るために車に行きました。
車なら暖房もあるし、テレビも見れるし、携帯の充電もできます。
一時間ほど車で休憩をしました。

つづく

地震その2

2011-03-27 | できごと
3/11 15:30~17:00
盛岡市内は停電で道路は大渋滞でした。
道には家から外に出て様子を伺う人、帰宅を急ぐ人、立ち話
する人などたくさんの人がいました。
支店は少し物が散乱した程度で大きな被害はなかったようで
した。支店も停電であまり情報収集できそうもなかったので、
とにかく仙台に戻ることにしました。
ちょうどあたりも暗くなり始め、雪も降り出しました。
コンビにはどこも閉まっていて、物を買い足すことができま
せんでした。

3/11 17:00~21:00
この時点で栗原で震度7、津波が来ているという情報を得てい
ました。
おそらく東北道は通行止めだろし、4号線は交通量も多く栗原
近くを通るとなると道路の損傷も気になります。
そこで、盛岡から秋田県側に出て、横手~新庄~天童を通って
仙台へ戻ることとしました。
これまでにつながった電話は、父の携帯1回、会社の友人(仙台)
2回でした。友人には自宅の様子を見に行ってもらうことができ
ました。
メールは1通。会社からの安否確認メールでした。
「自分の無事、家族の安否不明、仙台に戻る」と返信しました。

市内を抜けると道路は空いていました。
車の燃料は半分以上ありましたが、今後何があるか分からない
ので給油できる場所を探しながら走りました。
すると、雫石の手前で営業していそうなスタンドがありました。
手回しで10ℓだけ給油してもらえました。以降、開いているスタ
ンドはありませんでした。

あとはラジオを聞きながら、携帯を充電しながらひたすら仙台
を目指しました。
ラジオは沿岸部の津波の情報が中心で一番知りたいと思ってい
た仙台の情報はあまり入ってきませんでした。
数少ない情報から分かったことは、市内の建物の損傷は少ない・
火事が数箇所で発生している・仙台でも津波が確認されていると
いうことくらいでした。

なんとかして家族の無事と居場所を確認したかったので、定期的
に電話をしていたのですが直接はつながりませんでした。
メールも返信ありませんでした。
171はつながっても途中で切れたりしてうまくいきませんでした。
公衆電話を無料で使えるとラジオで聞いて、公衆電話を探しながら
走りましたがなかなか見つからず、道の駅でやっと見つけました。
私の実家(浜松)に連絡し、ちーから連絡がないか確認しましたが
なにもありませんでした。ちーの実家(米子)は留守電でつながらず。

盛岡から新庄までずっと雪でした。
信号は国道の大きな交差点3箇所くらいついていましたが、あとは
消えたままでした。
街灯も消え、トンネルの照明が消えているところもあり、運転には
とても気を使いました。

3/11 21:00~24:00
新庄市内で開いているコンビニをみつけました。
明かりはローソク、清算は計算機でした。
品物の値段を店員さんが覚えていない場合は、陳列棚の値段を確認
するという作業もあるため、かなり時間がかかりましたが、おせん
べいや飲み物を買うことができました。
停電の中、がんばってお店を開けてくれていたコンビニに感謝です。

この時点で、家族と連絡を取ることはほぼあきらめていました。
仙台に着いて、家に家族がいなかったら、まず近所の避難所となっ
ている中学校へ行き、その後ようたんの幼稚園に行こうと思って
いました。
地震の時間は普段ならようたんが帰りのバスに乗りこむ頃でした。
幼稚園にいればちーが迎えに行き、戻れれば家か中学校にいるだろ
うし、幼稚園の方が安全と判断すれば幼稚園に残るだろうと予想
していました。

村山の道の駅にいるときにちーから電話がありました。
たまたまつながったのです。
とりあえず、生きていることが確認できてほっとしました。
幼稚園のお友達家族とお友達の家の近くの小学校に避難していると
のことでした。
危なかったです。この電話が通じていなければ、ちーとようたんを
捜して市内をさまようところでした。

天童から作並に抜け仙台に戻りました。
市内も自家発電できるビルの明かりが少しあるくらいで、あとは
真っ暗でした。
上司を家に送り(家族はご自宅にいたそうです)、家族のいる小学
校へ急ぎました。

つづく

地震その1

2011-03-27 | できごと
超久しぶりに更新してみます。
今回の地震のことをいろいろ振り返ってみたいと思います。

3/11 14:46~15:00
地震の発生時、仕事で盛岡駅近くにいました。
(最近大きい地震のときに仙台にいないことが多いんです)
1件目の打合せが終わり、2件目をはじめようとしていたとところ、
ピーピーと電子音が鳴り響きました。
相手先の事務所の緊急地震速報でした。
同行の上司の携帯にも緊急地震速報が入りました。
(何故か私のは入りませんでしたが)
何の音だろうと思っていると、「地震だ」という声が聞こえ、その
直後小刻みな揺れが始まりました。
揺れは大きな横揺れに変わりました。
ほぼ同時に私の携帯が鳴りました。ちーからでした。

我が家では大きめの地震が来たと判断した時点で、携帯に電話する
ようにしています。地震後はつながりにくくなりますが、揺れている間
であればつながります。

しかし、電話に出でも返答がありませんでした。
揺れをこらえてるような息遣いと物が割れる音が聞こえ、そのうち
に切れてしまいました。
これで、仙台が相当揺れたことを認識するとともに、家族のことが
心配になりました。
あとでちーから聞いたのですが、繋がっているとは思ってなかった
ようです。

盛岡は震度5強だったようですが、電話していたことと、仙台が心配
になったことで、まったく揺れが気になりませんでした。
揺れがおさまるのを待たずに、情報を得ようと上司のパソコンを立ち
上げましたが、ネットは繋がりませんでした。

3/11 15:00~15:30
揺れがおさまると、打合せの中止が決まり、その日の夜間の仕事の中
止も決まりました。
このとき一度だけ大阪にいる父の携帯が繋がり、留守電に自分の無事
と居場所を伝えることができました。
上司と相談し、とりあえず盛岡の支店事務所に行くことにしました。
車を止めている駐車場に着くと問題発生。
停電のため清算もできないし、そもそも出入り口のバーが開きません。
まずは落ち着くために、車に乗りこみ、ナビをテレビに切り替え地震の
状況を確認しました。とにかく、すごい地震が来たことだけ認識でき
ました。
まもなく、駐車場の管理人がやってきて裏口から車を出させてもらいま
した。
道路に出ると信号が消えている影響で渋滞が始まっていました。
駅周辺から支店のある中心部に行く道はおそらく渋滞していると予想し
歩いていくことにしました。
車はロック方式(フラップがあがるタイプ)のところが1箇所空いていた
のでそこに止めました。
近くにコンビニがあったので、とりあえず食料や飲み物を買いました。
ここで買ったものが、今後数日とても役に立つことになりました。
ここのコンビには停電でも清算ができる電池式のバーコードリーダーを
使っていたので清算もスムーズでした。

つづく





岩木山

2010-03-04 | できごと
岩木山見ると「帰ってこいよ」歌いたくなります。

ちょっとくもっちゃった。残念。

スノーシューで

2010-03-04 | できごと
仕事してました。
山の中でうろうろするため、スノーシューで歩いてきました。

天気がよくて気持ちよかったです。