錆色港町

熱しやすく冷めやすい趣味の話を、地元清水と絡めながら徒然と・・・

ふかし芋の看板

2024年01月16日 | 日記




清水駅前銀座をウロウロしていたら魚屋さんの前にこんな看板がありました。
ふかし芋なんて懐かしいなぁ。「焼き芋」じゃなく「ふかし芋」な所に惹かれました。
割とどこのスーパーでも「焼き芋」が売られている時代でもありますし、我が家では「ふかし芋」なんてまず作りません。

小さい頃は実家の食卓の上にふかし芋が置かれていて、おやつとしてよく食べていたのを思い出しました。

軽く塩をまぶして食べると美味しかったな。
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久しぶりの投稿

2024年01月03日 | 日記

二年ぶりくらいの投稿です。

旧ツイッターでつぶやくばかりで、ブログはサボってましたが、基本的に街歩きとか、サッカー観戦とか、模型弄りとかやってることは変わっていません。
色々ブログ上でやってみたい事はあれど、なかなかうまく表現できなかったので先延ばしにしていたらこの有り様でした。
やってみたい事って言っても基本的に清水の街のニッチなアピールなんですが、
難しいこと考えないでそれこそ“つぶやく”くらいの気軽さでやれたら良いなと思います。

ではまた。
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街の片隅で ~興津の地で名を遺す~

2022年03月30日 | 清水
今回も古い看板ネタでございます。

町中で見られる看板は、殆どがどこかしらの会社や組織なんかで維持・管理されています。
しかし、個人宅や個人所有の倉庫・塀に設置されたものの中には、時の流れから取り残されたまま存在している事があります。

そんな忘れ去られた看板見て、当時の街の雰囲気に想いを巡らすのが大好きなんですよ。


と言う訳で、今回は興津の民家に残された看板を紹介します。


現住所とスポンサー名が書かれている看板です。

経年による劣化は否めませんが、配色とフォントがアンティーク感たっぷりで目を引きます。
昭和レトロってやつですかね? そこはかとない懐かしさや美しさを感じます。

まず現住所表記についてですが、これから推察できる情報がなかなか多くて、
「県」の字が「縣」で旧字体を使うのがまだ当たり前だった頃で、興津が清水市に編入したのが1961年(昭和36年)なので、それ以降の物であると思われますし、
また現在のこの地域は「興津中町」と呼ばれているので、清水市編入後で興津町再編以前の物と言う事になるのかなぁ…と。

それから(寄贈)って書いてあるので、興津町が希望する各戸に配布したのかな?…とか、数字の部分は個別にマスキングして塗装したのだろうね。とか、
現住所の記載一つとってもこの看板が設置された当時の状況に思いを巡らす事ができます。


本題のスポンサー名の方ですが、「紳士服の伊藤 清水銀座三丁目」と書かれています。
やはり気になるのがこのお店が現存しているか否かと言う事になりまして、現地を調べてみました。



手っ取り早く住所を検索してみましたが、「清水銀座三丁目」という住所はそのままではヒットしませんでしたので、
「清水区 銀座3」と言う住所で検索しますと、画像中央の薄っすら赤い線で囲まれた場所がヒットしました。

波止場踏切の近くであり、清水銀行江尻支店のある一角ですね。
ま、この時点で、あー、こういう店は見たこと無いわぁ。と思いましたので望み薄でしたわ。


はい、それで現地の「ゆめのプロムナード」こと清水銀座です。
せっかく来たのに結局何も手がかりは見つけられませんでした。



それでも一応、銀座3の範囲を周ります。



甘寅の近くです。



空地も目立つのでそこに在ったのかもしれませんが。



今回も、探した店舗は無かったという結果になりました。

ちなみに電話番号についても、現在も何らかの商売をされているのならば、ヒットするかも?と淡い期待を抱きましたが何も無しでございました。
銀座と言う住所の範囲について絞り込みが甘かったかな?とも考えましたが、手掛かりが得られないのは仕方ありません。

思い返せば、昔は割とテーラー○○とか、○○洋品店とか洋服屋さんが身近に何店舗もありました。
そして微妙に品揃えが違っていて店同士で住み分けが出来ていたような気がします。

紳士服の伊藤は、そんな時代の中に在った店の一つなのかもね。



念のため、「映画ビーバップハイスクール 高校与太郎行進曲」の映像も確認してみたけど、手掛かり掴めず。

今回は以上でございます。

<2022.4.18追記>
ありがたいことに、コメントにて銀座3丁目の場所について教えていただきました。
どうやら紳士服の伊藤は、清水銀座のオシミ洋服店付近に在ったそうです。

※2014年撮影

お店は無くなってしまっても、あの看板は「紳士服の伊藤」の事を今なおアピールしています。
愚直に看板の職務を全うしていると思うと健気に思えてきます。

<追記終わり>

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街の片隅で ~山原の古看板~

2021年10月03日 | 清水
ブログ更新、すごく久しぶりでございます。

街歩きはずっとやってましたがツイッターでつぶやくばかりでした。

今回のネタは古い看板でございます。
毎度私の大好物である「なぜか残ってしまった物」系のネタであります。

看板なんてその時々で作り変えられていくものですが、たまに時代の流れから取り残された…というか忘れられてしまった物がありまして、
そんなのを見ながら当時に思いを馳せるも面白いものです。
この種の定番ともいえるのはボンカレーとかオロナミンCの物ですね。(さすがに最近はあまり見かけなくなりましたが)

街中の看板はそれなりに管理されていますので、古いものがいつまでも残るのは珍しいのですが、少し郊外に目を向けるとまだまだあるのです。



と言う訳で、今回尋ねてみたのはこちらの看板。
山原街道沿い、山原バス停の少し手前の倉庫?の壁に付けられています。

「リーステレビセンター ニック」という会社か店らしく、具体的にどんな商売なのか書かれていませんが、
単語から察するに、テレビやなどの大型の機械等を貸してくれる商売なのでしょう。
きっと今だと、レンタル機器○○とか、○○レンタリースみたいな名称なのかな?

ちなみに、カセットコーダー テープコーダーと書かれていますが、これは東京通信工業(現ソニー)がテープレコーダーに名付けた商品名の様です。
ビディオコーダーについてもビデオレコーダーの事なのだと思います。

それで、この会社は今なお現役か?という点が気になりまして、ここに書いてある場所を訪ねてみる事にしました。
清水市 宝町 柳町角 かぁ・・・宝町は分かったけど、柳町ってのは恐らく旧町名で、細かい番地まで書いて無いしどこだろ?



旧町名と検索とくればここ、小柴神社の前に在る例の看板です。
こう言うの、その時代を実際に過ごしていないと分からない事が多いので、助かりますね。




宝町の柳町角という書かれ方でしたので、おそらく宝町と柳町は接していたのだと推測しましたが・・・
おお、やはり近いですね。



見やすくするために色を付けました。
赤色の範囲が宝町で、緑の範囲が旧の柳町です。



宝町と柳町が接している付近に来ました。
この辺かぁ? この辺は何度も歩いたけどそれらしいものは見たこと無いな。



結論を申しますと、結局何の痕跡も見つけれらませんでした。電話番号検索もヒットせず。
恐らく、この自転車屋さんの交差点の付近から・・・



一つ隣のドラッグストアがあるこの交差点付近のどこかに存在していたのだと思います。

テレビや自販機などの重量物を扱うとなると道路沿いに店舗を構えるのが妥当ですからね。
やっぱり無かったかぁ…。



結局手掛かりは見つからなかったけど、地域の掲示板には旧町名が使われていてちょっと得した気分になりました。

ところで、「町」の読み方は「ちょう」と「まち」で明確な分けがあるのでしょうか?
こうやまち、えじりだいまち、なかはまちょう。・・・語感の良さかな?


<2021.10.13 追記>
コメントにて触れていただきましたが、紺屋町自治会の掲示板の背景はちょっとした広場になっています。元々は清水市医師会館の場所であったそうです。
入口の門に名残がありますので、画像で紹介いたします。






現在の清水医師会は、清水区渋川の清水保健福祉センター内にあります。
清水医師会のページ(沿革)

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映画 ビーバップハイスクールに見る清水の街 番外編

2020年09月06日 | ビーバップと清水の街

前回「映画 ビーバップハイスクールに見る清水の街 その33」の記事を書いてから4年ほど経ちましたが、
ありがたいことに、当ブログの「ビーバップと清水の街」カテゴリーは現在も多くの方にご覧頂いています。

作品の思い出話と言うよりも、背景に映し出される清水の街並みに焦点を当て現在との相違点を比較検証する企画でありました。



勝手知ったる清水の街と思っていましたが、作品の背景を求めて歩き回るうちに新しい視点の発見と言いますか、
いつもと違った角度から見た街の風景に新鮮さを覚え、清水の街に限らず街並みを歩く際は、視点による見え方の違いを意識するようになりました。



閑散とした商店街と古い看板に当時の面影を重ねる・・・と言うよりも思い出すことが出来たのは、ビーバップのお陰。

商店街のゲートに書かれた「ゆめのプロムナード」の事をうちの奥さんに説明したけど、感動が分かってもらえなかったです(苦笑)



当ブログを見て清水訪問のきっかけにして頂いた方もいるようで大変嬉しく思います。




そうそう、戸塚電車こと静鉄1000形は2024年までに新型車両のA3000形に置き換えることが決定していますので、
作中の静鉄の雰囲気を楽しみたい方はお時間のあるうちにどうぞ。



前置きが長くなりましたが、ここからが本題。「哀歌」に出て来た繁華街がどこか分からなくて清水や静岡では無いと結論付けたのですが、
後にブログのコメントで東京の府中であると教えていただきまして、2018年に所用の合間に訪れておりました。
なかなかブログにするタイミングが無かったのですが、ようやく今回紹介致します。



ほんのちょっとしか時間がとれなかったので、詳細な比較は出来ませんでしたが雰囲気だけでも味わっていただければ幸いです。
京王線の府中駅から西側に徒歩5分くらいの「宮西国際通り商店街」です。



道幅が丁度良いので間違いないですね。
ここも昔の方が若干賑やかだったのでしょうか? 昼間訪れたので夜の雰囲気は分かりませんでした。



関野屋ビルです。あーここですね、ノブオが走り去ったのは。
作中でも名前が出ているお店がありますね。



年月が経っているので、作中とは街灯の形が変わってますね。




と言う訳で、番外編として府中の宮西国際通り商店街を紹介いたしました。

とりとめのない内容でごめんなさい。
機会があればまたほかの場所でも紹介したいと思います。

このブログでは、作品で描かれている背景・風景等と現地との比較研究を目的として画像を引用しています。当該画像の著作権は全てそれぞれの著作物の権利者に帰属します。
コメント (10)
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