超芸術と摩損

さまざまな社会問題について発言していくブログです。

聖カタリナ学園高野球部暴行問題 夢と引き換え「人権侵害」 加害元部員も被害 閉鎖環境 弁護士指摘

2023-12-31 03:22:58 | 新聞から
 聖カタリナ学園高校(松山市)の野球部寮で集団暴行が相次いで発覚し、被害者と加害者双方の元部員がそれぞれ学校法人などを訴える異例の事態となっている。2022年5月の集団暴行の加害者として自主退学を余儀なくされた元1年生部員7人の代理人弁護士と保護者の1人は「学校は暴力がまん延する事態を把握しながら、誠実に向き合わなかった」と批判。弁護士は問題の背景に、甲子園という夢を追いかける若者が閉鎖的で特殊な環境にいたことがあるとし、ジャニーズ事務所の性加害や宝塚歌劇団の俳優急死との共通点を指摘する。(戸田丘人)

 聖カタリナ学園高校野球部寮の暴行問題 2022年5月に寮則違反した1年生を1、2年生が集団暴行し、学校側は6月に9人を退学勧告処分とし、第三者委員会を設置。同年11月にいじめ防止対策推進法の「重大事態」として県に報告し、ほかにも21年11月にも1、2年生4人から1年生に対する別の集団暴行があったと明らかにした。9人から暴行を受けた元生徒は22年12月、適切な対応を取らず安全配慮義務を怠ったとして学校法人や指導者らを相手に損害賠償を求め松山地裁に提訴した。今年7月には、加害者側の元生徒7人も調査や処分内容に問題があるとして学校法人を提訴。10月には別の1年生も2年生から22年5月に暴行や嫌がらせを受けていたことが発覚し、保護者が「学校側が内容や経緯を矮小(わいしょう)化した」と法的処分を検討する意向を明らかにした。

 代理人の弁護士は、22年5月の集団暴行で加害者とされた元1年生部員のうち6人も日常的に上級生から暴行を受け、別の元1年生部員も一緒に耐えていたとし「暴力を容認し正当化せざるをえない環境に、より苦しめられていた」と心情を察する。
 訴状などによると、7人は入部間もなくトップチームに入るなどし、上級生と親しくなった。当初は軽くこづかれる程度だったが、暴行は次第にエスカレート。目撃したほかの部員やわが子の体のあざに気付いた保護者も「甲子園のため」と口外しなかったとされる。
 高校野球では、部員が違法行為などをした際、日本学生野球協会から出場停止などの処分が下されるケースがある。21、22年の集団暴行などを調査した学校第三者委員会は報告で、部内ではこうした連帯責任を回避しようと「ルール違反させないため、また外部に発覚しないよう口止めするため暴行を加えることもあった」と認定。弁護士は原告らも部内で立場を失うことを恐れ、3年生や親に迷惑や心配をかけたくない思いがあり、被害を訴えることをためらったとみる。
 21年の事案発覚後約半年間でまた部員間の暴行が起きたことに「十分な調査や対策をしていれば防げた」と学校側の姿勢を疑問視。22年6月上旬に学校が行った原告らへの聞き取りにも不審点があるとする。
 ある聞き取りでは保護者も出席し、学校側と双方が録音し記録を残すことで合意した。音声データではコーチがほかの部員の目撃情報として、原告に「グラウンド整備を忘れて、3年生2名から寮の部屋の方でバットのグリップエンドでたたかれた。覚えているかな?」と確認。ほかの1年生から「僕らの中でも叱られ役で、上級生から何かあるときに怒られたり暴力を受けたりするような立場だった」と証言があったとも説明した。
 学年主任の教諭も「周りのみんなも日常的に殴られる光景は見ている?」と質問し、原告は「はい。部屋とかではなく廊下とか食堂で(受けていた)」と答えている。弁護士は、学校側が関係する1、2年生の名前を必ず確認するのに、加害者に含まれるとされる3年生の名前には触れていないと指摘。特定を避け3年生を約1カ月後に迫った夏の県大会に出場させる思惑だった疑いががあるとし「被害を詳細に知っていたのは明らかだ」と強調する。
 加害者として自主退学を迫られた原告らは、学校側に自分たちの被害も再調査するよう求めたが「被害事実は認められない」と回答され、提訴に踏み切った。弁護士は提訴前、原告や保護者に「加害者のくせにどの口が言うのかと批判される可能性もある」などとリスクを説明。実際にインターネットのニュースサイトに掲載された記事に「退学処分は当然だ」といった批判的なコメントも投稿されていたという。
 弁護士は、上級生からの暴力は野球部寮に入り2日目に始まり、1年生同士の暴力は1カ月半後に起きたとし「わずかな期間で、普段仲のいい同学年の部員への暴力になぜ加わらざるをえなかったのか。当時の部の雰囲気や被害の重大さを明らかにしたい」とする。
 上下関係や労働実態などの問題が表面化した宝塚歌劇団でも、幼い頃から舞台に立つことを夢見てきた俳優が10代で寮生活を送っていた。弁護士はジャニーズ事務所の性加害問題も踏まえ「団体の目標達成のために規律を重んじることで、個人の人格が傷つけられても夢と引き換えに容認してしまう。野球部員も甲子園の夢を失うのを恐れ、当初は正確に被害申告できなかった」と類似性を指摘。「学校は未熟な生徒の心理に配慮し、暴力をなくすため十分な聞き取りや対策を講じるべきだった」と強調した。

聖カタリナ学園高校を集団暴行で自主退学した後、転校して野球を続ける生徒=11月中旬

暴力まん延 学校向き合わず 保護者憤り

 2022年5月にあった暴行の加害者として自主退学を余儀なくされたある元部員の父親は、息子自身も上級生から日常的に暴力を受けていたのに学校側は向き合わず、幕引きを図ったと訴える。「臭い物にふただ。子どもを犠牲にして何を守りたかったのか、教育機関として人の人生をどう考えているのか」と不信感を隠さない。
 父親は息子から、2年生の命令を拒否すると自分に危害が及ぶと感じて被害者の太ももを1回蹴ったが、2年生から「お前の蹴りは弱いから代われ」と言われ、後は手を出さなかったと聞いたという。親子で何度も話し合い「脅されていても、1回手を出したら加害者だ」と伝えたとし「親として言い訳せず、隠さず認めたい。被害者に謝りたい」と吐露する。
 一方で21年にあった別の集団暴行は、より悪質な行為だったが加害者の処分は停学にとどまっていた。学校で正式に自主退学を勧告された際、父親は不公平さや息子自身の被害を訴え、学校側も再審議に応じたが結論は変わらなかった。
 父親は学校からの被害聞き取りについて「部に残れた場合のことを考え、説明を思いとどまった部分がある」と明かす。学校側は息子を暴行した3年生の名前を確認しようとせず、父親も調査を求めなかった。学校はその後間もなく、3年生のみで全国高校野球選手権愛媛大会に出場すると決定。父親は「都合よく利用された」と疑念を抱く。
 問題発覚から1カ月以上たち、実家に戻り一歩も外に出ない生活を送っていた息子は「高校に行きたくない。野球もやめて働こうかな」とつぶやいた。「無気力な表情で、毎日スマートフォンを見て寝るだけ。入学式の希望に満ちた顔はなかった」と父親。そんな中で同様に退学を勧告された友人が「野球もう一回頑張るぞ」と救いの手を差し伸べてくれた。転校先で野球を楽しむ姿に「表情が生き生きして、高校生らしい生活を送っている」と安堵(あんど)している。
 学校での聞き取りの際、父親は初めて被害の深刻さを知り「私も体育会系で多少の暴力はあると考えていたが、ショックで泣いてしまった」と振り返る。一方で息子は「僕の中ではかわいがってもらっているっていうぐらいだった。ちょっと感覚がバグっていた」と説明。父親はその後「ほかの1年生の身代わりで暴力を受けていた際も周囲は笑って見ていた」とも聞いた。
 転校先で暴力はなく、息子は「(一緒に転校した)友達と『これが普通なんだな』と言い合っている。以前が異常だったと気付いた」と話しているという。父親は「暴力がまん延しても誰も止めない、おかしな雰囲気だったんだと思う」と推し量り「15歳の子どもにとって二度とない大事な時間を返して」と、学校への憤りをあらわにした。

愛媛新聞 2023年11月26日
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患者を生きる 4601 - 4605 知らぬ間に薬に依存

2023-12-26 22:26:51 | 新聞から
1 耳鳴り 何とかしたくて

 不快な耳鳴りが続いていた。家に帰って、ほっとひと息つくと「ピー」。布団に潜り込むと「ピー」。
 そういえば、姉はずいぶんと長く耳鳴りに苦しんでいた。「早めに診てもらって、悪くならないうちに治そう」
 耳鳴り治療の「名医」をネットで探して、都内の耳鼻科の診療所を受診した。聴力や鼓膜の検査を受けたが、異常はなかった。
 診察した医師からは「気にしない方がいい」と言われ、血流をよくするビタミン剤と漢方を処方された。
 だが、耳鳴りは一向におさまらない。
 「一生治らないのかも」。不安が膨らむと、無機質な響きが余計に気になる。眠れない、眠れない……。
 2週間後、再び受診して「何とかして欲しい」と頼んだ。すると、「一日中効いて、耳鳴りが気にならなくなりますよ」と言われ、抗不安薬を処方された。眠れないときに使う睡眠導入薬も出してくれた。
 睡眠薬? 少しどきっとした。「睡眠導入薬だから大丈夫」。医師がそう言うのを聞いて、安心した。ようやくこれで何とかなる。
 東京都の50代の女性は、10年ほど前のこの出来事をときどき思い返す。
 「気分が安定する」「リラックスができますよ」。医師はこんな説明をしたが、あのとき知っておきたかったのは、もっと違うことだった。
 処方された抗不安薬は「メイラックス(一般名ロフラゼプ酸エチル)」、睡眠導入薬は「レンドルミン(同ブロチゾラム)」。どちらも「ベンゾジアゼピン系」と呼ばれる向精神薬だ。脳のベンゾジアゼピン受容体に作用し、不安を抑え、眠気をもたらす。ただ、使い続けると、薬物依存の状態になり、薬をやめた際に不快な症状が現れる「離脱」が生じうる。
 女性は耳鳴りがおさまった後も、この薬を使い続けた。やめられなかった、と言うほうが正確かもしれない。いつの間にか「薬をやめられない体」になっていた。(阿部彰芳)

女性が使っていたベンゾジアゼピン系の睡眠導入薬


2 服用やめたとたん 眠れず

 10年ほど前、耳鳴りが続いた東京都の50代女性は、耳鼻科の診療所で、ベンゾジアゼピン系の抗不安薬と睡眠導入薬を処方された。
 半年ほどたって受診した際に、「薬はずっと飲んでいていいんですか?」と医師に尋ねたことがあった。
 薬を使うと、不快な音は気にならなくなった。月に数回使っていた睡眠導入薬もよく効いた。ただ、同じ薬を長く飲み続けたことがなく、気になった。「これは全然大丈夫。眠れなかったり、不安になったりする方が体によくないから」と言われた。
 最初に受診した耳鼻科は遠かったため、近所の耳鼻科で同じ薬を出してもらった。特に何も聞かれなかった。耳に問題はないこともあり、その後、かかりつけを近くの心療内科の診療所に変えた。
 薬を使い始めて4年ほど。耳鳴りはいつの間に消えていた。一方で、薬のせいか、昼間に眠くなり、習っていたダンスの振り付けもなかなか覚えられないことがあった。
 「抗不安薬はやめよう」と思った。心療内科の医師は「気になるなら、やめたらいい」とうなずいた。
 だが、やめたとたん、眠れなくなった。眠くて布団に入ったはずなのに目がさえてくる。1、2時間たってようやく眠りに入っても、30分ほどで目が覚め、眠るまでにまた1、2時間かかる。
 一晩で合わせて1、2時間しか眠れない日もざらだった。睡眠不足なのに昼間は眠くならない。頭が痛くなるばかりだ。結局、たまに使っていた睡眠導入薬を毎日飲むようになった。
 医師に相談すると、「その睡眠導入薬を飲めばいい」と説明された。だが、薬を飲み続けることに不安があったから抗不安薬をやめたのに、睡眠導入薬を毎日飲み続けることになるならば、「元も子もない」と思った。
 医師に頼み、ベンゾジアゼピン系ではない別のタイプの睡眠薬を処方してもらった。しかし、全く効かない。
 結局、ベンゾジアゼピン系の抗不安薬を再開することになった。(阿部彰芳)

女性は今、ベンゾジアゼピン系薬の影響とみられる強いまぶしさに苦しみ、横の光も遮るサングラスが手放せなくなっている


3 眼瞼けいれん 原因は

 10年ほど前に耳鳴りでベンゾジアゼピン系の抗不安薬と睡眠導入薬を処方された東京の50代女性は何度か薬をやめようとした。だが、やめるたびに激しい不眠に襲われ、やめられなかった。
 2022年9月、目がゴロゴロする異物感が現れた。「最近、パソコンを使いすぎていたからかな」。だが、目を休ませても、よくならない。むしろ、同じものを見続けると目の奥だけでなく、頭まで痛くなってくる。
 目をかわきにくくするドライアイの治療を受け、少し楽になった気がしたが、それもつかの間。朝はまだ楽だが、光がどんどん入ってくると、目の表面、目の奥、頭という順に痛みが増す。「光がジワジワと脳にしみこむような不快さ」だった。
 ネットで「これだ」と思う情報を見つけた。「薬剤性眼瞼(がんけん)けいれん」。眼瞼けいれんは、まぶたがなめらかに動かなくなる運動障害や、まぶしさや痛みといった目の感覚過敏が生じる。ベンゾジアゼピン系薬が原因になりうることがあるという。
 この薬による薬剤性眼瞼けいれんは、東京・お茶の水の井上眼科病院の名誉院長、若倉雅登さん(74)が最初に提唱した。眼瞼けいれんの診療の中で、ベンゾジアゼピン系薬を使っている患者が少なくないことに気づき、調査研究を専門誌で発表してきた。
 23年1月、女性は若倉さんの診察を受けた。若倉さんは眼瞼けいれんと診断し、「ベンゾジアゼピン系薬に問題がある」と伝えた。これまでのデータから、薬の使用期間が長いほど、目の症状も治りにくい傾向があった。眼瞼けいれんの根治治療は今のところない。悪化を抑えるには、薬はやめた方がいいと考えた。
 「主治医と相談して、自分に合ったペースでやめてみてはどうでしょうか」
 女性はまず、睡眠導入薬からやめた。かかりつけの心療内科医は、ベンゾジアゼピン系ではない不眠症治療薬を処方してくれたが、やはり効かない。それでも、元の薬に戻るわけにはいかない、と思った。(阿部彰芳)

東京・お茶の水にある井上眼科病院


4 徐々に飲むのをやめると

 ベンゾジアゼピン系薬の抗不安薬と睡眠導入薬を使っていた東京都の50代女性は昨秋から、光がまぶしいと強く感じるようになり、帽子と色の濃いサングラスが手放せなくなった。「眼瞼(がんけん)けいれん」と診断されていた。
 今年2月、駅のエレベーターで居合わせた20代ぐらい(ママ)女性が、「ぎゃー」と叫んだ。「びっくりさせてすみません」と謝った。この日はマスクもつけていた。怖がられても無理はない。それ以来、外出が怖くなった。
 特に照明のような人工的な光がきつい。スーパーでは、賞味期限や分量も確認せず、ササッと買って出る。家族の夕食をつくると、自分だけ先に食べて2階の暗い部屋にこもる。「明るいところにいられないことはこんなにも孤独なのか」とがくぜんとした。
 睡眠導入薬をやめることにしたが、眠れずに苦しんだ。受診した心療内科では、「これは悪い薬じゃない。何で嫌がるの」と言われた。精神科医にも相談したが「薬を最初に処方した医師が対応するべきです」と突き放された。
 眠れない日があっても仕方ない。次は抗不安薬。夜に眠れるように早起きして体を動かすことを心がけ、徐々に飲む量と頻度を減らした。最後は1錠を8等分に切り、ひとかけらを3日に1度ほど。5カ月かかった。
 まぶしさで目を明けていられない不自由さやまぶたの動かしづらさは続く。薬が原因だという確証はないが、「もし、耳鳴りがおさまった段階で薬をやめていたら」という思いに駆られることがある。
 薬をやめて症状は少し落ち着いた。幼少時に習っていたピアノを弾くようになった。指はちゃんと覚えていた。もしかしたら、家族と食事を分ける必要はないのかも。工夫次第でできることはたくさんあるのかもしれない。
 10月末、眼瞼けいれんの患者会に初めて参加した。言葉を交わした人はみな、症状だけでなく、周囲から理解されない孤独感に苦しんでいた。「私も同じだ」。今の自分は「つながり」が一番必要だと感じている。(阿部彰芳)

女性の自宅にあるピアノ=本人提供


5 情報編 使い始めで「出口」考える

 神経の興奮を抑える「ベンゾジアゼピン系薬(BZ薬)」は、抗不安薬や睡眠薬として非常によく使われてきた。抗不安薬、睡眠薬は医療機関を受診した患者の数%に処方されているとの推計もある。
 だが、長く使うとやめづらくなる危険もある。大きな原因が依存だ。依存には薬を使いたいと強く感じる精神依存と、身体依存があり、BZ薬では後者が主に問題になる。身体依存の状態になると、薬を減量や中止した際、薬を飲む前よりも強い不安や不眠に襲われたり、けいれんや発汗、吐き気といった症状があらわれたりすることがある。
 記事で紹介した50代女性も、身体依存によって薬をやめられなかった。使い始めて4年ほどたって、抗不安薬をやめようとしたが、強い不眠に苦しみ、断念した。
 昨秋以降は強いまぶしさや光への不快感に苦しみ、「眼瞼(がんけん)けいれん」と診断された。原因がわかっているわけではないが、この女性を診た井上眼科病院名誉院長の若倉雅登さんは「BZ薬が原因の可能性がある」と指摘する。
 女性がいま疑問に思うことは、若倉医師の診療を受けるまで、女性を診た医師の誰もが身体依存のリスクを説明してくれなかったことだ。
 1980年代にはすでに、治療で使う量でも長く使えば身体依存が生じうると報告されていた。だが、厚生労働省が製薬会社に「薬物依存を生じることがあるので、漫然とした継続投与による長期使用を避けること」と添付文書に書くよう求めたのは2017年のことだ。BZ薬はそれ以前の薬よりも安全でよく効き、患者の満足度が高かったことなどが背景にある。
 BZ薬の適正使用に詳しい高江洲義和・琉球大准教授(睡眠医学)は「問題があるとわかっている薬を医療者が使いこなせていないところに問題がある」と指摘。大切なのは「入り口から始める出口戦略」だという。「使い始めの段階で医療者と患者が薬をやめる『出口』を話し合っておけば、後になってやめられないと慌てることは少ない」と話す。(阿部彰芳)

睡眠薬・抗不安薬の減薬・中止を試みた際の困りごと

患者が減薬・中止を嫌がるためできなかった 82%
症状が再燃・悪化したためできなかった 52
離脱症状のためできなかった 15
特に困ったことはない 3

2021年度厚生労働省研究班の報告書から。
総合診療を担うプライマリ・ケア医251人が回答(複数回答)

朝日新聞 2023年11月24日、27日-30日
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聖カタリナ学園高野球部暴行 加害元1年部員も被害 学校と校長 損賠提訴 「上級生から日常的」

2023-11-09 04:52:40 | 新聞から
 2022年5月に聖カタリナ学園高校野球部寮で起きた集団暴行で、加害者とされた元1年生部員7人が、暴行は上級生の命令で自分たちも日常的に被害に遭っていたなどとして、学校法人と校長に損害賠償を求め提訴したことが26日、分かった。元部員側は「学校は背景を把握しながら十分調査せず、大会出場に影響が及ばないようトカゲの尻尾切りで収束を図った」と主張している。

 同校は愛媛新聞の取材に「裁判に関することでお答えできない」としている。
 原告代理人の弁護士によると、提訴したのは同校が設置した第三者委員会の調査で加害者とされた1、2年生計9人のうち7人で、1人は上級生らから暴行を受けていない。7月に大阪地裁に提訴し、学校側の申し立てで別の民事訴訟が係争中の松山地裁移送が決まった。弁護士は「原告は暴行を心から反省している」とした上で、提訴理由を「自分たちがされ、傷つけられたことに学校が向き合ってくれず理不尽という思いや怒りがある。野球部の実態や原告らが被害者でもあったことを、はっきりさせたい」と説明している。
 訴状によると、寮では日常的に暴力行為が行われており、原告6人は同年4月に入学して約2カ月間、上級生らから繰り返し暴力を受け、ほかの1年生が校則や寮則に違反すると身代わりにされることもあった。グラウンド整備ができていないとして原告を含む1年生3人が3年生から約2時間にわたりバットのグリップエンドで計60回殴られたこともあり、この暴行は学年主任の教諭も把握していた。殴る回数はスマートフォンのルーレットアプリで決められるなどしていた。
 暴力加害者として処分を受けた経緯について、同年5月18日に1年生部員の校則違反について当時の部監督から相互に注意を促すよう指示があり、スクールバス内で上級生から「ルール違反したからやっとけよ」と暴行を命令されたと主張。原告らは寮の部屋で校則違反した部員を暴行し、別の問題を理由にほかの部員にも暴行した。さらに寮則違反をした別の部員を注意している際、部屋に来た2年生に「お前がやらなければお前らをやる」などと言われ、一緒に暴行した。
 寮則違反の生徒は病院で肩打撲などと診断され、学校側は緊急保護者会を開催。同月末、学校側は原告らの保護者に来校を求め、口頭で退学を勧告した。原告らは撤回を求めたが転校を余儀なくされた。
 原告側は、原告を暴行した3年生は退学勧告を受けず、21年11月にあった別の暴行事案の加害部員は停学にとどまっているとし「原告らへの処分は公平性を欠く」としている。
 学校が第三者委調査結果を受けて同年11月にいじめ防止対策推進法に基づく「重大事態」として県に報告したことに関し、原告側は自分たちの被害についても同委設置を要求したが「学校側は暴行事実は確認できなかったとして応じなかった」と指摘している。
 22年5月の集団暴行では、寮則違反を理由に暴行された被害部員は、後遺症で野球を断念せざるをえなくなったなどとして学校や部関係者、暴行に関与した元部員6人を相手に、損害賠償請求訴訟を松山地裁に起こしている。

3年生の暴行 学校把握か 原告側 指摘

 聖カタリナ学園高校野球部の2022年5月の集団暴行について、同校は同年6月に「3年生はトラブルに一切関与していない」と日本高野連に報告し、3年生のみで全国高校野球選手権愛媛大会に出場した。大阪地裁に提訴した原告側は、学校はその時点で3年生による暴行の可能性を知っていたとし「把握している事案はすべて報告すべきだったのに、大会出場を優先するため3年生の事案を伏せたのでは」と指摘する。
 同校は愛媛新聞の取材に「野球部での暴行については全て高野連に報告している」と隠蔽(いんぺい)を否定した。
 訴状によると、同校は原告らの事情聴取で3年生らの暴行を把握しており、原告の1人は同年6月1日に退学勧告を受けた際、学年主任教諭に上半身あざだらけの原告の写真を示し「3年生から殴られた」と訴えた。学校が設置した第三者委員会の調査に協力した保護者は、同年8月に行われたリモート面談で、上級生らからの被害を訴えようとしたが「調査対象ではない」として説明を遮られたなどとしている。


上級生らから暴行を受け多数のあざができたとする原告の1人の胸部(2022年5月に本人が撮影)


訴えで原告らが受けたとする暴行

 【原告A】
 2年生①から日常的に寮やスクールバスで胸などをつねられ、あざだらけだった。
 2年生②から、ほうきで何度も殴打された。
 【原告B】
 3年生①から寮の風呂で拳骨で殴打された。
 2年生③から日常的に寮内や学校で、すれ違いざまに腕や胸をつねられた。
 2年生①から寮則に違反した1年生の身代わりとして拳骨やバットのグリップエンド、スマートフォン、ゴムチューブなどで殴打された。
 【原告C】
 1年生①から2022年5月初旬、寮で胸を10発程度殴られた。
 土下座した状態で後頭部を3年生②にバットで殴打された。
 【原告D】
 原告Eと共に、1年生の叱られ役として日常的に暴力を受けていた。
 4月後半、外野グラウンドの整備ができていなかったことを理由に3年生2人から寮の部屋で2時間にわたり、原告Eとともに土下座した状態でバットのグリップエンドで頭部を殴打された。
 【原告E】
 入寮後2日目から2年生①から寮内で暴力被害を受けた。個々の暴行の時期を特定できないほど頻繁で、他の1年生のミスや気に入らないことがあれば3年生③らから暴行を受けていた。
 2年生①からつねられる、缶をくわえさせる、携帯電話の角で殴打される暴行を受けた。
 3年生③からバットのグリップエンドで殴打された。
 3年生④から胸などをあざができるほど強くつねられたり、理由もなく殴打されたりした。
 【原告F】
 2年生①から、5月初旬から校内で複数回つねられ、あざができた。室内練習場でふざけていたことを注意され、太ももを複数回蹴られてしばらく歩くのが困難になった。ほかの1年生が朝の点呼に来ないことを責められ、頭をげんこつで強く殴打されたことが2回あった。
 2年生②から5月初旬以降、校内で複数回にわたってつねられた。練習試合にスマホを持って行ったことを注意され、げんこつで頭を強く殴られた。

愛媛新聞 2023年10月27日
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聖カタリナ高野球部暴行 「学校が被害矮小化」 元1年部員 保護者 民事訴訟を検討

2023-11-04 03:12:24 | 新聞から
 聖カタリナ学園高校(松山市)が、2022年5月に野球部寮で起きた暴行を県高野連に1年以上報告していなかった問題で、被害者の元1年生部員と保護者=近畿在住=が「学校は聞き取りなどを十分せず、内容や経緯を矮小(わいしょう)化した」と訴えていることが2日までに分かった。保護者は愛媛新聞の取材に、特にひどい暴行や嫌がらせを受けたのは別の集団暴行で部活動が停止していた時期だったと明らかにし、学校の管理監督や対応が不十分だったなどとして民事訴訟を検討している。

 同校は取材に「保護者の申し出を受け、できる限りの調査をして確認した事実をお伝えした」とし、県高野連にも同様の内容を報告したと説明。事案の詳細や加害生徒への処分内容は「プライバシーに関わる」と明らかにしていない。
 野球部については、同年5月と21年11月に集団暴力があったと結論付ける学校の第三者委員会の報告書概要が22年11月に公表され「暴力行為が当たり前の空気感となり、罪の意識が希薄になっていた」と指摘された。今回問題となっているのはこの2件とは別の当時の2年生による暴力で、日本学生野球協会が今年10月中旬に野球部部長の教諭を、事実を把握しながら報告が遅れたとして3カ月の謹慎処分にして公になった。関係者によると、被害部員保護者から公にしないよう要望され、県高野連に報告していなかった。
 元部員の両親によると特にひどい暴行、嫌がらせがあったのは22年5〜6月で、元部員に知らされた母親が同6月17日、学校側に電話で相談。当時の部は暴行問題で全国高校野球選手権愛媛大会出場が危ぶまれていて、元部員が「3年生に迷惑をかけたくない」と考えていたこともあり、母親も「公にしないほうがいいと思う」と伝えた。学校から同日、3年生のみで出場すると保護者に一斉連絡があった。
 元部員は適応障害と診断され自宅で療養。同年8月に当時の副部長と担任の2教諭らが自宅に聞き取りに訪れた際、被害を伝えたが調査に関する連絡はなかった。元部員は寮に戻ったが学校にも通えなくなり、同年12月に自主退学。両親は今年8月下旬、学校に調査や関係者の処分をあらためて要望し、9月中旬に校長名の「ご連絡いただいた件について」と題した1枚の文書が郵送されてきた。
 文書では調査結果として当時の2年生2人に「元部員に頭をたたかれるなどしたので体をつねり、首も2〜3回絞めたがそんなに強く絞めたつもりはない」「元部員がちょっかいをかけてきたのでマスクにペンで線を引いた」などの事実が認められたと説明。それぞれ単独で計画性はなく、2人を厳重注意処分としたとしている。元部員に非があるともとれる内容に、両親は「先輩に手をあげられるわけがない」と反論。回数や強さが過小に認定され、ほかの上級生も関与していたと主張している。
 また在校時に副部長立ち会いの下、父親が加害部員2人や保護者と面談し「子どもが野球を辞めることになったら君たちも辞めてくれ。1人の野球人生を奪うことを受け止めて」と求め、2人も応じたが今年の大会に出場したと指摘。学校側は同文書で「当事者間のことで、本校として介入できない」と答えている。
 文科省の「いじめの重大事態の調査に関するガイドライン」では、被害生徒や保護者が公表を望まない場合でも、再発防止や新たな事実確認のため検証などをするよう義務づけている。

部活継続願い説得 自責 両親

 元部員の両親は、当初は学校側に問題公表を望まなかった理由を「何とか野球を続けられないのか、公になることで部への処分が重くなり、戻ったときに大会に出られないのではと思った」と語る。一方で母親は「息子の心は本当に壊れていた。どれほどもがき苦しんできたのか。どうすればよかったのかと毎日自問自答している」と自責の念にさいなまれている。
 両親によると2022年6月10日、初めて元部員から母親へのLINE(ライン)で2年生に暴力を受けていると明かされた。やりとりは毎日続き、17日午前2時ごろに電話中、息子が部屋で物に当たっているような気がして「ただ事ではない」と感じ、朝一番で学校に電話して当日のうちに寮を出るようにさせた。
 元部員は自宅で約2週間療養。寮に戻ろうとしたが電車内で動悸(どうき)と過呼吸でパニック状態になり、三つ手前の駅で歩いて寮まで行ったが4日後に再び自宅に戻り、適応障害と診断を受けた。
 それでも両親は学校に調査を求めず、自主退学を決めるまで約5カ月間、何度も「辞めたい」と言う元部員を思いとどまるよう説得した。母親は「やっぱり野球を続けてほしいと願っていた」と振り返り、部関係者の話で戦力として期待されていると感じ「乗り越えれば明るい未来が待っていると思った」と話す。
 学校を辞めた後、家庭では愛媛の話題はせず、学校側ときちんと話そうという気持ちも薄れていった。しかし3年生となった加害者が大会に出場していると知って今年8月、電話で学校側に問いただして調査を求めた。郵送された回答文書について両親は「加害者の一方的な言い分で、紙切れ1枚だけ。ばかにしているのかと思った」と憤る。
 元部員は今でもグローブを大事に手入れし、バットで素振りを続ける。「問題を起こした選手が表舞台に立ち、何もしていない選手が辞めさせられるなら、高校野球なんてつぶれてしまえばいい」とつぶやく父親。一方で「こういうことがどこの学校でも二度とないようにしてほしい。私たちが話すことがそのきっかけになれば」と力を込めた。


元部員が自宅療養から学校に戻った2022年7月上旬の母親とのLINEのやり取り(保護者提供)

      とりあえず普通に野球して普通に学校
      行ってみ
   既読
   0:33 誰も信用しなくていいよ

 信用出来ひんから学校も行かれへんね
 んて                0:33

 練習もしたくないし 0:34

 人に会いたくないねん 0:34
      
   既読 どっちにしても一回クリアしないと前
   0:35 には進まれへんよ

 クリアするまえに死んでまうわ 0:35
     
   既読 また同じようなことしてきたらその時
   0:35 は迎えに行くから

 するしないの問題じゃないんよ 0:36

 目合うだけで心臓バクバクなるし過呼
 吸なるしでこっちはしんどいねん   0:36

 そんなやつと練習出来るわけないやん 0:36


「死のうかとまで考えた」 甲子園 断たれた夢

 「楽しく野球をしている2人を見て、ばかにされていると思った。こっちは死のうかとまで考えたのに」―。2022年12月に自主退学を余儀なくされた元1年生部員は自殺を考えるまで追い込まれたと吐露し「野球を続けたかった。甲子園のためだけにやってきたんで」と涙をこらえる。
 元部員は中学時代、甲子園を夢見て野球漬けの日々を過ごした。21年春の甲子園に初出場した聖カタリナ学園高校に意気込んで進学。実力を認められて間もなくトップチームに入り、練習などを通じて上級生と話せる関係になった。用具片付け忘れなどがあるとバットのグリップエンドで頭を叩かれる「罰」を受けることもあったが「自分が悪いことをしたので。それが野球部という感じだった」と納得していた。
 ただ4月末の「罰」は違った。グラウンド整備をしなかったことでほかの1年生2人が寮の部屋で上級生5人の前で土下座させられ、グリップエンドで約2時間たたかれ続けた。元部員も偶然居合わせ「お前も受けて助けたれよ」とたたかれた。元部員は1年生の1人はトイレに駆け込んだとし「軽い脳振とうのような感じで吐いていたのに『お前大丈夫や』と言われ、連れ戻された。2人とも(暴行で)頭が真っ赤で、やり過ぎだと思った」と表情を曇らせる。
 元部員は3年生には、校則違反をしたときにかばってくれたこともあり「かわいがってもらっていた」と今も感謝している。一方で2年生には「何の理由もなくただ笑いながら、理不尽に暴行や嫌がらせをしてきた。絶対許せない」と語気を強める。
 寮の浴場では複数の2年生から熱湯をかけられたほか、数人がかりで溺れる寸前まで浴槽に沈められ「死ぬかと思った」と回顧。髪の一部をバリカンで刈られそのまま登校するよう強要されたこともあった。ほかにも日常的に胸を強くつねられる、肩を殴られる、飛び蹴りされるなどされ、何度も背後から首を絞められ失神しそうになり、スマートフォンの暗証番号を教えるよう脅されて個人情報を見られたとも証言する。
 元部員は、22年5月に別の集団暴行の加害者として退学勧告を受けた1年生のうち6人も、同様に2年生から暴行を受ける「的」だったと指摘。6人の転校後は自身に暴力が集中し「集団暴行で大会に出られるかどうかの時も『こいつやったら言わんから大丈夫や』と笑いながら言われた」。
 療養中、複数の1年生部員からLINE(ライン)で「自分が次されるんじゃないかと怖くて言えなかった、ごめん」などと謝罪されたという。親の「続けてほしい」という気持ちに応えようと寮に戻ったが気持ちの浮き沈みが大きく、練習や学校を休みがちに。食堂で同席した部員が別のテーブルに行くなど「避けられている」と感じるようになり、退学を決めた。
 「中学時代の友人からスタメンになったとか聞くと、自分も甲子園に出たら『おめでとう』と言われたのかなと考える」と漏らす元部員。「高校野球は戻ってこない。3年間でどれだけ成績や記憶を残せるか。自分には一番の華で、プロより魅力的なんです」


聖カタリナ学園高校を自主退学した元野球部員のバットとグローブ


愛媛新聞 2023年11月3日
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「やってない暴力行為まで息子のせいにされた」“イジメ冤罪事件”を引き起こした中学教師の「雑すぎる対応」とは

2023-09-18 02:41:08 | 週刊誌から
 いじめが起きた時に、学校がそれを「なかったこと」にする隠蔽問題はもちろん深刻である。その一方で、十分な事実確認をせず、やっていないいじめの罪を学校に着せられて、生徒が加害者に仕立てあげられてしまう「いじめ冤罪」とでも言うべき不適切な指導も存在する。

 発端は、2017年の5月に愛媛県新居浜市の市立中学校の2年生だったAくん(仮名)が日記にいじめについて書いたことだ。Aくんは日記の中で所属していたサッカー部内での「足を踏まれる」などの嫌がらせを訴え、それを担任である顧問が読んだことで問題が発覚した。

 当時の顧問の説明によると、放課後にサッカー部で部員たちに確認すると、3人の生徒が「心当たりがある」と名乗り出たという。

学校の説明がコロコロと変わる
 その3人のうちの1人、ツトムくん(仮名)の母親に話を聞くことができた。

「5月11日にサッカー部の顧問の先生から電話がかかってきて、ツトムがAくんを叩いたという話を聞きました。帰ってきたツトムに話を聞くと、部活が終わってグラウンド整備をしている時に、Aくんが立ったまま動かないことがあったそうです。それで『サッカーボールが飛んできても危ないと思って肩を叩いた』と話していました。たしかに肩を叩いたのは良くないですし、顧問の先生が『Aくんの保護者に電話で謝罪してください』と言われたので電話をして謝りました。それで話は終わると思っていたのですが……」

 いじめ防止対策推進法は、いじめの定義を「当該児童等と一定の人的関係にある他の児童等が行う心理的又は物理的な影響を与える行為(インターネットを通じて行われるものを含む。)であって、当該行為の対象となった児童等が心身の苦痛を感じているもの」と広く捉えている。

 ツトムくんもAくんに1度“肩パンチ”を加えたことを認めており、これが「いじめ加害」として指導の対象になったこと自体には、一定の理由がある。

 しかし、事態はそれに留まらなかった。

「もう一度顧問から電話があり、『被害生徒の保護者が、対面で謝ってもらわないと許せないと言っている』と伝えられました。学校へ行き、謝罪をしました。このときも、被害生徒側の訴えの確認が取れていなかったのですが、謝罪しました。そして7月に、Aくんの保護者から内容証明の書類が届いたんです」(同前)

 内容証明には、ツトムくんを含む加害生徒3人がAくんに対して、足を踏む、殴る、蹴る、砂を投げるなどの暴行をほぼ毎日続けたという主張が書かれていた。Aくんは通院を余儀なくされ、強いストレスを感じているとも書かれていた。

「内容証明を受け取って驚きました。ツトムに聞いても、『1度だけ肩パンしたことはあるけど、蹴ったり砂を投げたりしたことはない』と言います。しかしそれを伝えても話は平行線でした。ただ2018年からAくん側がツトムたち3人を訴えて始まった裁判は和解になり、『ツトムはAくんに肩パンチをしたことについては謝罪するが、継続的な暴行には全く関与していないこと』が認められたんです」(同前)

「やっていないいじめまでツトムのせいにされてはたまりません」
 一体なぜこんなすれ違いが起きたのだろうか。ツトムくんの母親は、学校の対応が最初からおかしかったと主張する。

「Aくんの日記には、いじめた生徒の名前は書いてなかったそうです。もちろんツトムのことも書いていません。そして、学校側の説明が、毎回違うんです。『Aくんが日記に書いたいじめの内容を読み上げたら加害者3人が名乗り出た』ということもあれば、Aくんがツトムの名前を言ったということもあった。結局、まともな事実認定もしないでツトムがいじめの加害者だと決めつけたんです。

 ツトム自身もAくんに肩パンチをしたことは反省していました。確かにそれは良くないことなので親の私も謝罪しましたし、ツトムにも謝らせました。でも、やっていないいじめまでツトムのせいにされてはたまりません」

 2018年9月には今度はツトムくんと保護者が新居浜市に対して、サッカー部の顧問の言動で名誉を毀損され、精神的苦痛を受けたとして裁判を起こした。

 2022年3月に成立した和解では「ツトムくんが被害生徒に対して肩パンチだけをしたこと」「ツトムくんが肩パンチ以外のいじめをしたかのような印象を周囲に与えかねない状況が生じたこと」「その精神的な苦痛によって訴えを提起するに至ったこと」などについて学校側が真摯に受け止めるように求めている。つまり、ツトムくんのいじめ行為は事実認定されなかったことになる。

 この裁判の中で、ツトムくん本人が弁護士に伝えたメモがある。

<以前に、顧問のボールが被害生徒に当たったことがあるので、危ないと思ったので、どいてもらいました。なぐる、けるという暴行を行ったかを聞かれたことはありません。そして、していません。お友達として肩パンチなどをしてすみませんでした、と言いました>

 ツトムくん本人に今の気持ちを聞くと、「顧問が僕の名前を出してしまって、後にひけなくなったのやろうと思います。1度肩を叩いてしまったことは申し訳なかったと今でも思っています。Aくんから僕の名前が出たかどうか、本当のところを知りたいです」と話した。

「息子は自分がやっていないいじめ行為まで責められて、傷ついたと思います。学校にはなんとか行けていましたが、周囲の目が気になっていたはずです。親ですから子供のことを守ってあげたいけれど、学校側がこんな様子では信頼できるはずがありません。学校側と何度も話し合いましたが、一言の謝罪もありませんでした。犯人扱いをしてしまって申し訳ないという意識はないのでしょうか」(ツトムくんの母親)

Aくんが自殺未遂を起こし、半年のあいだ不登校に
 問題の解決が長引いた影響もあったのか、Aくんは2017年10月から不登校になり、11月には学年主任の教員との間で起きた修学旅行についてのトラブルをきっかけに自殺未遂事件に及んでいる。一命は取りとめたものの、翌年の4月までほぼ登校することができない状態になってしまっていた。

 いじめの訴えに端を発した出来事が中学生の自殺未遂・不登校にまで至ってしまった事件だが、学校や新居浜市の教育委員会は「いじめ防止対策推進法」による「重大事態」の認定をせず、第三者委員会も設置されていない。このずさんな対応は読売新聞やNHKに報じられて大きな話題になった。ツトムくんの母親と連絡をとっていた中で、この報道がツトムくんの件だということを教えてもらった。

 それを受けて新居浜市の高橋良光教育長に取材を申し込むと「報道の内容(ずさんな対応)自体は事実だが、事案を公表していないので、それがAくんが被害にあったケースかどうかはお答えできない」「(Aくんのケースについては)6年前のことですから時間をかけて精査していきたい。いろいろな対応をしていくことが必要」と回答した。

 いじめ冤罪のケースでは、加害者と疑われた生徒が自殺に追い込まれたケースもある。調査をすると決まったら、いじめ被害の内容だけでなく、いじめ冤罪という不適切な指導もきちんと調査すべきだ。

渋井 哲也

文春オンライン
9/12(火) 8:12配信
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ALTが驚いた 日本の体罰 生徒突き飛ばし 肩わしづかみ 怒号・威圧―― 「暴力的でなく 会話で考えさせるのが教育」

2023-09-04 16:55:58 | 新聞から
 中学校の職員室で男性教師が生徒を腕で突き飛ばした。肩をわしづかみにして大声で怒る。
 愛媛県新居浜市内の中学校で外国語指導助手(ALT)をしていた米国人男性は、衝撃的な光景だったと訴える。7月にALTの任期を終えたが、「このような体罰はなくなってほしい」と朝日新聞の取材に語った。
 米国人男性は2018年に来日。市内の中学校でALTとして勤務し始めた。「事件」は3年目にあった。
 男性教師が職員室の出入り口の扉近くに男子生徒たちを立たせ、そのうちの一人を壁際に突き飛ばした。さらに別の生徒の学生服をつかみ、低い声で脅していた。
 日本語が詳しく理解できず、何に怒っているのかは分からなかったが、「生徒はうつむいて怖がっている。教師に殴りかかろうとしているわけでもない。ひどい」。近くにいた他の教師たちが止めようとしなかったことにも驚いた。
 携帯電話のカメラで一部始終を撮影した。日本で働くALT仲間に動画を見てもらうと、「ここまでの体罰は見たことがない」と言われた。さらに、自分やこの男性教師、被害生徒らが異動や卒業で学校を去った昨年末、米国人や英国人が大半のSNSのフォロワーにも意見を聞こうと、動画を公開し、反応を探った。
 その後、市教育委員会にも知られ、呼び出しを受けた。「動画の削除要請を受け、どうして当時報告をしなかったのかと逆に問い詰められた」と市教委への不信感も示した。
 朝日新聞もその動画を確認し、市教委もALTとのやりとりなど事実関係を認めた。
 新居浜市の高橋良光教育長は「(男性教師に)指導して二度としないと約束し、他の学校も含めてこういうことがないように約束できたら動画削除は可能か(ALTに)尋ねた。消せと指示したわけではない」と釈明した。県教委にも報告し、男性教師は処分を受けたが、懲戒処分ではなく、公表はしていないという。
 ALTは米国で6年間ほど、高校教師をしていた。世界的に評価されている日本の教育制度を学びたくて、ALTに応募した。
 今回のようなことが出身の米国の州で起これば、すぐに何が起こったのか校長や警察に報告が求められる。「過度な力の行使」があった疑いがあれば、教師は一時的に他の学校に移されることもありえる。
 「教師が行為を認めたり動画などの証拠があったりすれば、解雇や資格剥奪となる。被害生徒の両親や自治体が教師を提訴することもありえる」
 その後もALTとして日本の文化や慣習に接し、この男性教師は、教育の一環として怒ったふりをしながら体罰をしたのかもしれない、と思うこともあった。「しかし、生徒がどんなに悪いことをしたとしても、暴力的な態度に出ていないなら、教師も暴力的ではない姿勢で応じるべきだ。生徒の行動がなぜいけないのか、体罰ではなく会話によって考えさせるのが教育だと強く思う」と話す。
 関係者に配慮したいと、ALTは匿名を希望している。この件が報じられれば、自分に報復のようなことがあるかもしれない、とも感じた。しかし、「そうした怒りは私に向かうべきものではない。この教師や体罰そのものに対して向けられるべきだ」と考えている。(神谷毅)

本田由紀・東大大学院教育学研究科教授
余裕ない現場 投資必要

 「体罰」は暴力行為であり、怒号や恫喝はパワハラである。教育現場には威圧があふれている。
 大人数の生徒や児童を日々相手にする教員は、暴力やパワハラによって圧倒しないと「しめし」がつかず、秩序が守れなくなるという脅威を感じている。加えて教員自身に多忙と疲労によるストレスがあり、行動に表れがちである。
 これは生徒間の関係にも波及する。不登校や自殺が増加している背景には、余裕なくすさんだ教育現場の実情があると推測される。
 さらに学校のみならず、政治でも、企業でも、家庭でも、SNSでも、店舗でも、「マウンティング(優位性の誇示)」や「アグレッション(攻撃)」がありふれた行動になっている。
 このALTのように、「それではだめなのだ」という感覚と行動を取り戻してゆかなければ、「すさみ」は果てしなく進行してしまう。
 結局、根源をたどれば「すさみ」を広げているのは教育政策だ。教員を増やして少人数学級にし、ゆとりを生み出すといった抜本的な対策を打とうとしていない。ごまかしの策では解決できない。教育現場への投資が必要だ。

朝日新聞2023年8月31日
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「入院ベッドはもういらない」精神科病院を町からなくしたら、患者が変わった。 アボカド栽培に挑戦、今では銀座の有名店に出荷

2023-04-12 01:43:12 | 新聞から
 日本は世界の中で「精神科病院大国」として知られる。先進38カ国にある精神科の入院ベッド数のうち、日本だけで4割近くを占める状況だ。全国で約26万人が入院していて、10年以上という患者も約4万6千人いる。国は何年も前から患者の退院や病床削減を進めようとしているが、うまくいっていない。そんな中、半世紀余り続いた精神科病院を廃止した町が四国にある。自ら病院を閉じた元院長と患者たちが始めたことの一つが、日本では珍しいアボカドの栽培だ。試行錯誤を重ね、東京の老舗果物専門店、銀座千疋屋に出荷するまでになった。(共同通信=市川亨)

 ▽「共生社会」を体現、国内外で評価

 愛媛県の南端に位置する愛南町。海と山に囲まれた高台にかつてあった2階建ての病院は、取り壊されて姿を消していた。1962年にできた町唯一の精神科病院「御荘病院」には、最大時で約150人が入院していた。最後の院長、長野敏宏さん(52)が愛南町にやってきたのは1997年のことだ。

 長野さんは愛媛県の旧川之江市(現四国中央市)で生まれた。愛媛大医学部を卒業し、「何となく」精神科を選択。大学病院に勤務の傍ら非常勤で時々来ていた御荘病院が肌に合い、赴任を決めた。

 当時の院長も、患者を退院させて地域に移行することを志向。病床削減の計画を立てていた。これに対し、長野さんは当初「入院は必要」と反対だった。ただ、「家に帰りたい」と言っていた入院患者が年を取り、帰宅できぬまま病院で亡くなり、死亡診断書を書くのはつらかった。

 「自分がされたくないことを患者にしている自己矛盾」に直面した。鍵のかかる部屋に患者を閉じ込める隔離や、身体拘束…。「おかしい」と感じることを一つ一つなくしていき、「入院ベッドがなくてもやっていけるんじゃないか」と思うようになった。

 33歳で院長に就任し、町のさまざまな役職を引き受けた。患者と一緒に地域の活動に参加し、病院の夏祭りには住民約千人が集まるようになった。病床削減や地域医療への配置転換には内部の反発もあったが、職員の世代交代や意識の変化を経て、2016年に病院を廃止。約20年かけてついに実現した。

 やがて、閉鎖病棟にいた患者たちの様子は変わった。生き生きとした表情になり、人間らしい暮らしを取り戻した。統合失調症で約10年入院していた60代の男性は今、アパートで1人暮らし。「カラオケに行くのが楽しみ。自由がいい」としみじみと話す。長野さんは「環境が変われば、こんなに変わるんだとびっくりした」。

 病院は現在、建物の一部を使った「御荘診療所」と、患者らが少人数で共同生活するグループホームなどに姿を変えている。長野さんの肩書は院長から診療所長に変わり、地域で暮らす患者を外来と訪問診療で支える。

 世界の精神医療の潮流は「患者を病院から地域へ」だが、入院治療に偏った日本の精神医療界では、長野さんは異色の存在だ。障害がある人もない人も共に暮らす「共生社会」を体現した町の取り組みは、国内外で評価されている。

 ▽「すれすれまで地域で粘る」

 日本の精神医療では指定医の診断と、家族らのうち誰かの同意があれば、強制的に患者を入院させることができる。事実上、医師1人の判断で決まると言ってもいい。

 だが、愛南町に入院できるベッドはもはやない。入院がどうしても必要な際は、隣の宇和島市にある病院に入れるが、長野さんは「なるべく入院させない」。

 統合失調症で言動が不安定になる患者、ごみ屋敷のような家で暮らす人…。以前であれば入院させていた人々にも、今は何かあれば長野さんや看護師、精神保健福祉士らが24時間駆け付ける。

 すぐに問題を解決しようとはしない。無理に治療しようとすれば、かえって心を閉ざしてしまう。家に引きこもり会ってくれなければ、何カ月も何年も通う。

 「第三者から見たらぐちゃぐちゃの生活でも、そこでその人が暮らしていることが大事。『人を殺したり自分で死んだりしなければ』というぐらい腹をくくって、すれすれまで地域で粘る」

 とはいえ、現実にはきれい事ばかりではない。患者がトラブルを起こすこともある。病院をなくすことに住民から不安の声はなかったのか。行政としても困るのではないか。そう考えて町役場に取材した。

 町保健福祉課の幸田(ゆきだ)栄子課長はこう答えた。「住民から特に反対はなかったです。町としても、病院がなくなったからといって、特に困っていることはありません」

 幸田課長も保健師として、長野さんら病院スタッフと地域活動に長年取り組んできた。「住民は患者さんたちといろんな機会に触れ合ってきたから、それほど不安はなかったのだと思います」

 ▽人口減の厳しい現実

 実は、長野さんが愛南町で携わる活動のうち、「医療」はごく一部に過ぎない。NPO法人の理事を務め、温泉宿泊施設の運営などにも関わる。事業家なのかと疑うほどだ。NPOは障害福祉サービスの事業者でもあるので、精神保健福祉士や作業療法士が患者と一緒にそこで働く。

 背景には、少子高齢化が進む愛南町の厳しい現実がある。人口はここ20年で3分の1減り、2万人を割った。高齢化率は46%。長野さんは言う。「困っているのは障害者だけじゃないし、働き手が圧倒的に足りない。産業をつくり、みんなが働かないと地域が立ちゆかない」 

 NPOはかんきつ類やシイタケの栽培、川魚のアマゴの養殖も手がける。さらに、温暖な気候を生かして新たな特産物にしようと、2009年から取り組んでいるのがアボカド栽培だ。若い女性を中心に人気があり、国内の消費量は増えているが、ほとんどが輸入品。国産品には希少価値がある。

 山を切り開き、約1200本のアボカドの木を栽培。銀座千疋屋に出荷するまでにこぎ着けた。安定的な生産に向け試行錯誤を重ねる。

 ▽「実際に会ってみたら、イメージと違った」

 もちろん、事業は一人ではできない。行政や地元企業の協力が必要だ。清掃会社社長でNPOの理事長を務める吉田良香さん(66)は、長野さんと知り合って約20年。「一緒に挑戦も失敗もたくさんした」という盟友のような間柄だ。

 「昔は精神障害者のことは避けていた。偏見があった」。吉田さんは率直に語る。「だけど、実際に会ってみたらイメージと全然違った。今は誰が障害者とか、もう関係ない」

 日本の精神医療は長期入院や患者の人権侵害が長年、問題視されてきた。改革の必要性が叫ばれながら、社会の偏見や、病院団体の反発などが複雑に絡み合い、なかなか変わらない。

 長野さんはこう話す。「誰かを悪者にしても何も解決しない。時間がかかっても、私たち一人一人が自分のこととして一歩ずつ進めていくしかない」

 昔の病院を思い出した長野さんはぽつりと言った。「ひどいところでした、ほんとに」

 ▽取材後記

 長野さんがたびたび口にする言葉がある。「覚悟」と「文化」だ。

 何か問題が起きたら、組織のトップで医師である自分が責任を取るという覚悟だが、そこには確固たる基盤がある。これまで築き上げてきた地域の資源や、町の関係者との信頼関係だ。そしてそれは同時に、精神障害を取り巻く地域の文化を変えた。

 「精神障害者は危ないから、入院させてほしい」ではなく、「むやみに入院させられることはないから、診てもらおう」という風に。「いない方がいい」から「いないと困る」に。

 それができたのは、長野さんや愛南町が特別だからだろうか。全ての精神科病院の医師や職員、そして私たちも問われているのだと思う。

取り壊される御荘病院時代の病棟=2016年、愛媛県愛南町(長野敏宏医師提供)(47NEWS)
「患者さんと対等な関係でいたい」と白衣は着ない(撮影のためマスクを外しています)=2022年11月10日、愛媛県愛南町(47NEWS)
御荘診療所。かつては奥に約150床の病棟があった=2022年11月11日、愛媛県愛南町(47NEWS)
御荘診療所が立つ高台から見える愛南町の風景=2022年11月11日(47NEWS)
精神障害がある人たちと長野敏宏医師がゼロから始めたアボカド栽培は、試行錯誤が続く。スタッフとの打ち合わせは欠かせない=2022年11月10日、愛媛県愛南町(撮影のためマスクを外しています)(47NEWS)
山のわき水を利用したアマゴの養殖。2年ものの出荷のため、1匹ずつ網で慎重に捕獲する=2022年11月10日、愛媛県愛南町(47NEWS)
木に実ったアボカド=2022年11月10日、愛媛県愛南町(47NEWS)
愛媛県愛南町のNPO法人が銀座千疋屋に出荷したアボカド=2020年(長野敏宏医師提供)(47NEWS)

2023年2月24日
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精神科病院なくした町(愛南) 共生社会 患者と地域へ かわる/かえる

2022-12-19 02:49:53 | 新聞から
 半世紀余り続いた2階建ての病院は取り壊され、姿を消していた。「ひどいところでした、ほんとに」。院長だった長野敏宏(51)は昔を思い出し、ぽつりと言った。
 愛媛県の南端に位置する愛南町。町唯一の精神科病院「御荘(みしょう)病院」は、海と山に囲まれた高台に立っていた。最大時には約150人が入院していたが、2016年に閉鎖。今は建物の一部を使った「御荘診療所」と、入院していた患者らが少人数で共同生活をするグループホームなどに姿を変えた。
 長野の肩書は院長から診療所長になり、町で暮らす患者を外来と訪問診療で支える。障害者を病院や施設から地域へ―。世界の潮流だが、日本の精神科は特に立ち遅れている。自ら病院を閉じた長野は異色の存在。誰もが違いを認め、共に暮らす「共生社会」を体現した町の取り組みは、国内外で評価されている。

矛 盾

 四国中央市で生まれた長野がこの町にやってきたのは1997年のことだ。愛媛大医学部卒で「何となく」精神科を選択。大学病院に勤務の傍ら非常勤で時々来ていた御荘病院が肌に合い、赴任を決めた。
 当時の院長が既に患者の地域移行を志向し、病床削減の計画を立てていたが、長野は「入院は必要だ」と反対だった。
 だが、「家に帰りたい」と言っていた患者が年を取って亡くなり、死亡診断書を書くのはつらかった。「自分がされたくないことを患者にしている自己矛盾」に直面した。
 鍵のかかる部屋に患者を閉じ込める隔離や、身体拘束。おかしいと感じることを徐々になくしていき、「入院ベッドなしでもやれるんじゃないか」と思うようになった。
 33歳で院長に就任し、町のさまざまな役職を引き受けた。患者と一緒に地域の活動に参加し、病院の夏祭りには住民約千人が集まるように。病床削減や地域医療への配置転換には内部の反発もあったが、職員の世代交代や意識の変化を経て、約20年かけ病院の廃止を実現した。
 統合失調症で約10年入院していた60代の男性は今、アパートで1人暮らし。「カラオケに行くのが楽しみ。自由がいい」としみじみと話す。

覚 悟

 精神科医療では、医師が「入院が必要」と診断し、家族らのうち誰かの同意があれば、強制的に患者を入院させることができる。事実上、医師1人の判断で決まると言っていい。
 しかし、愛南町に入院できる病院はもはやない。本当に必要な際は、隣の宇和島市で入院できるが、長野は「なるべく入院させない」。統合失調症で言動が不安定になる患者、ごみ屋敷のような家で暮らす人…。以前なら入院させていたが、今は何かあれば長野や看護師、精神保健福祉士らが24時間駆け付ける。
 すぐに問題を解決しようとはしない。無理に治療しようとすれば、かえって心を閉ざしてしまう。家に引きこもり会ってくれなければ、何年でも通う。「他人から見たらぐちゃぐちゃの生活でも、そこでその人が暮らしていることが大事。すれすれまで地域で粘る」。最後は医師である自分が責任を取る。そう覚悟を決めている。

働 く

 現在、長野が愛南町で携わる活動のうち「医療」はごく一部に過ぎない。むしろ事業家なのかと疑うほどだ。NPO法人の理事を務め、温泉宿泊施設の運営などにも関わる。NPOは障害福祉サービスの事業者でもあるので、精神保健福祉士や作業療法士が患者と一緒にそこで働く。
 背景には、少子高齢化が進む町の厳しい現実がある。人口はここ20年で3分の1減り、2万人を割った。高齢化率は46%。「困っているのは障害者だけじゃないし、働き手が圧倒的に足りない。産業をつくり、みんなが働かないと地域が立ちゆかない」と長野。
 山を切り開き、新たな特産物にしようと、NPOで2009年からアボカド栽培を開始。東京の有名店への出荷までこぎ着けた。かんきつ類やシイタケの栽培、川魚のアマゴの養殖も手がける。
 事業は行政や地元企業の協力がなければ成り立たない。清掃会社社長でNPOの理事長を務める吉田良香(66)は長野と知り合って約20年。「一緒に挑戦も失敗もたくさんした」という盟友のような間柄だ。
 「昔は精神障害者のことは避けていた。偏見があった」。吉田は率直に語る。「たけど、実際に会ってみたらイメージと全然違った。今は誰が障害者とか、もう関係ない」
 長期入院や患者の人権侵害が問題視される日本の精神科医療。改革の必要性が叫ばれながら社会の偏見や、病院団体の反発などが複雑に絡み合い、なかなか変わらない。
 長野は言う。「誰かを悪者にしても何も解決しない。時間がかかっても、私たち一人一人が自分のこととして一歩ずつ進めていくしかないんだと思う」
(敬称略、文・市川亨、写真・藤井保政)

山のわき水を利用したアマゴの養殖。2年ものの出荷のため、1匹ずつ網で慎重に捕獲する
=愛南町

入院26万人 進まぬ退院

 厚生労働省によると、精神障害のある人は2017年時点で全国に約419万人。精神科の入院ベッドは21年6月現在、全国に約31万床あり、約26万人が入院している。うち約6割は1年以上の長期入院。10年以上という患者も約4万6千人いる。
 日本は病床数、入院期間とも国際的に突出し、医療上は必要ない「社会的入院」が10万〜20万人ともいわれる。経営を優先する病院の意向や診療報酬の仕組み、精神障害者が地域で暮らしにくい環境などが背景にある。
 国は20年ほど前から「地域移行」「退院促進」を掲げているが、ベッド数、入院患者とも狙い通りには減っていない。

2022年12月10日
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論考2022 磯野 真穂

2022-05-30 06:47:52 | 新聞から
狭められていく正常 資本主義と医学 手結ぶ

 米国留学中の2000年に、私は摂食障害の研究を始めた。摂食障害は当時、大きく二つに分けられており、一つは太ることを恐れ、命を脅かすほどの低体重になることもある「拒食症」。もう一つは標準体重ではあるが、過食と嘔吐などの代償行動を繰り返す「過食症」である。

学者の業績

 程なくして私はあることに気付く。それは、摂食障害の種類がどんどん増えてゆくことだ。まず知ったのは、かつて男性版摂食障害と呼ばれ、今は身体醜形障害の一つに分類される「muscle dysmorphia」。自分の体が十分にたくましくないと感じ、過剰なトレーニングに走る症状である。
 これだけではない。過食はあるが代償行動の伴わない「過食性障害」、夜だけ過食をしてしまう「夜食症候群」など、新しい症状が次々と発見され、名が与えられていく。
 この傾向は今も続く。最新の摂食障害は「オルトレキシア」。これは健康的な食べ物の摂取に執着してしまう症状のことだ。
 大学院生だった私はこれを不思議に感じ、その理由を心理学の教授に聞いてみた。すると、次のような答えが返ってきた。
 「新しい疾患を確立すると、それが学者の業績になるから」
 これには虚をつかれたが、その後の研究者人生で目にするあれこれが、教授の言葉の的確さを裏付けてゆく。
 例えば新疾患の第一人者になると、論文の引用回数が増える。学会の基調講演などに招かれやすくなり、学問の世界での存在感は増す。それらは大学でのより良いポジションに彼らを導く。
 ではこのとき、学問の外では何が起こるのか。新しい疾患は「自分の状態に病名が与えられ、ようやく肩の荷が下りた」といった具合に市井の人々におおむね歓迎される。理解を深めるためのキャンペーンが行われることもある。

不気味さも

 さて、ここまで読んだ皆さんはどう思われただろうか。新疾患の確立は、不幸になる人を誰もつくらない、八方良しの学問的営みであると感じただろうか。
 実は私はこの状況に、むしろ不気味さを覚えている。「あるべき状態」から外れている人たちを発見し、その人たちに病名を与え、治療の枠組みを確立することは、「正常」の範囲を狭めてゆく作業に他ならないからだ。
 そのいい例が近年日本でも急速にその数を増やす注意欠陥多動性障害(ADHD)である。これは人の話を最後まで聞いたり、一つのことに集中できなかったりといった、過度に落ち着きのない状態を指す障害だ。
 米国のジャーナリストであるアラン・シュワルツの「ADHD大国アメリカ つくられた流行病」(黒田章史・市毛裕子訳、誠信書房)によると、米国の子どもたちの15%がADHDと診断され、その大半が投薬を受けている。男児に限ると診断率は20%にまで上昇する。
 シュワルツはこの統計の背後に、製薬会社の多額の投資、子どもを薬物で鎮め、願わくば学力向上を図りたい大人の思惑、不明瞭な診断基準があると指摘する。
 落ち着きがないのが子ども、という考えはもう古い。最新の知見に従えば、それは治療できるのだ。 
 また摂食障害と同様に、ここでも新しい障害が誕生しかけている。その名は「SCT=緩慢な認知」。これはADHDとは「ちょっと違う」障害だ。SCTの子どもたちは、大人が期待するよりゆっくり動く。物思いにふけって目の前の課題に集中できない。米国内で潜在的なSCTの子どもは300万人ほどいると述べる者もいる。

新しい市場

 分類と名付けは、世界に秩序を与える人間の知性である。その知性は、世界はこうあるべきだという価値とともにある。
 「見えない障害」に気付くことが、多様性に配慮した、優しい社会であるという、反対し難い声の裏でうごめく価値は何か。
 それは、新しい市場を発掘し、消費を喚起することが善であるという資本主義のそれである。資本主義と医学は、無縁どころか、互いにしっかり手を結ぶ。
 しかしこのような批判は、「それで助かる人がいる」という反論の前に力を失う。こうして人はどこまでも細分化されてゆくのだ。
(人類学者)

2022年5月28日
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入試英語国語社会 伝説の漏洩 1980

2017-09-03 22:59:47 | 新聞から
早大で入試問題漏れる 「事前に解答作った」 学生"通報" 商学部の三教科分

 早稲田大学(東京都新宿区西早稲田、清水司総長)で二月二十四日に行われた商学部の入学試験の問題が事前に漏れていた疑いが五日出てきた。大学当局によると、同学部の試験の直後に数人の学生が「試験日の十二日ほど前に同じ問題の模範解答を都内の進学ゼミナールに頼まれて作った」と、模範解答を作った問題のコピーを携えて届け出た。コピーを検討したところ、入試問題と酷似しており、事態を重視した同学部教授会は、直ちに本格的な調査に乗り出した。

会社員→進学塾→学生

 大学当局によると、商学部の入学試験が行われた二十四日、大学本部に学生数人が訪れ、入試問題のコピーを持って「事情は知らなかったが、十数日前にこの問題の模範解答を書いた。問題が同じなので事前に入試問題が漏れたとしか考えられない」と申し出た。
 同本部が問題のコピーと同日の社会科の問題全部と照合した結果、一字違わずぴったり一致したため、事前に入試問題が漏れた疑いが濃いと判断、コピーを持ち込んだ学生から事情を聴いた。この結果、二月十三日ごろ都内のA進学ゼミナールの責任者からコピーの模範解答を求められ一日がかりで正解を書き、謝礼として現金十数万円を受け取ったという。
 模範解答を寄せた学生は、早大商学部のほか、都内の有名私立大学の学生も加わっていることがわかった。これまでの調査で学生たちは「事情を知らずに正解をつくったが、これが早大商学部の入試問題とは知らなかった」といっているという。
 同本部は、入試問題が事前に漏れたことに大きな衝撃を受けたが、商学部では、採点などでわかる外形上の範囲で不正入学をチェック、入試判定を進めた。同本部は「どんなルートで漏れたかはっきりつかめていないが、今後学生や進学ゼミナールから、さらに詳しい事情を聴き、真相究明を続ける」と語っている。
 同学部の入試は、英、国の二教科二科目と日本史、地理Bなどの社会科や、数学のうちから二科目選択で、合計四科目。学生たちは「英、国、社の五科目の問題の模範解答を作った」と語っている。同学部は、定員千百人に対し、二万三千人もの受験者があり、六日に合格発表が行われるが、早大始まって以来の不祥事に発展する可能性もある。
 一方、学生たちに模範解答を依頼したAゼミナールの話では、神奈川県に住む顔見知りの会社員、Bさんから二月十二日ごろ「解答速報を作ってくれないか」と頼まれた。同ゼミでは、早稲田大学の学生十四、五人に国語、社会、英語の問題などをコピーし、それぞれの学生が手分けして解答を出した。同ゼミはその日のうちに解答と問題を回収、翌十三日の午前中にBさんに渡した。
 Aゼミでは、Bさんから五科目六十万円で問題解答を依頼され、学生にはアルバイト料として三十万円を支払った。学生はこのうち十万円をAゼミに返したという。
 Aゼミの責任者は「問題の速報解答は、どこの塾でもやっている。速報解答を引き受けた時は、どこの大学のものか全く知らなかった。アルバイトの学生や大学当局者から指摘を受けてビックリした」といっている。
 早大の宇野政雄理事(商学部出身)によると、商学部の入試は、田中喜助学部長と教務主任の小林太三郎教授(広告論)塩原一郎教授(簿記)教務副主任の小林基教授(英語)嶋村紘輝助教授(独語経済学)の五人で構成する入試委員会が中心に作成したという。
 小林太三郎教授は「いつつくったかなどは言えないが、試験問題はあるところの金庫に厳重に保管してあった」と語っている。

大学が真相究明へ

 西原春夫・早大理事の話 入試問題が漏れた疑いは極めて濃厚だ。しかし、どんな形で漏れたのか、まったく不透明で、何かキツネにつままれたような感じだ。真相究明には時間がかかりそうだ。ただ、模範解答を作った当大学の学生が事件にからんでいないことだけはいえる。
 小林太三郎・早大商学部教授(教務主任)の話 どこでどうもれたのか、私たちができる範囲でチェックを始めた段階だ。現段階で詳細はわからない。六日の合格発表は社会的責任もあり、予定どおり行うことにしたが、もし合格者の中に漏えいに関係した学生がいることがはっきりすれば、教授会に処置を決めてもらう。

毎日新聞 1980年3月6日
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