らじかのよかん

ふっ急になんかわかんないんですけど↑

色川武大・阿佐田哲也の世界―没後十年記念展 1998年9月4日(金)→8日(火)

2024年03月26日 | 書籍
1998年9月3日(木)こーゆーのを見つけた。


おう。
明日9月4日に、有楽町交通会館に行く用事があるから帰りに寄ろう。

日替わりトークショウ間に合えばいいが、それが何時からなのかが書いてないぞ。
見たい順 (後日見たか/場所又は感想)
・井上陽水 (見てない/非常に残念)
・伊集院静 (見てない/残念)
・和田誠  (見た/青戸なんとかホール)
・永六輔  (見た/成城なんとかホール)

それどころか、開場が何時から何時までも書いてないや。
夕方頃着となろうが、夕方ならやってるだろ。

入場無料なのか。
タダだぜ。

9月4日(金)
当時の手帳出てきた。
2023.09.18手帳の記載
 中古市、銀座と同じ様
ははぁ、中古カメラ市であったか

午後5時~6頃に着いた。
タダだぜ。
2023.09.18手帳の記載
 4:20→色川阿佐田の世界見る
 本売れないんだって
 カタログを買う

受付にはきれいなおねえさんが二人ゐた。
が、大勢の客が雪崩のように出てくるところであった。
うわっ、トークショウ終わったな。
受付で止められることなく、
雪崩をかき分けかき分け、高座方面へ。

わっわっこの直前まで
色川孝子氏・矢崎泰久氏
の対談だったのかぁあぁーー。

チラシ

チラシによると毎日午後3時にショウがある。(敬称略)
9月4日(金) 夏堀正元・筑紫哲也
  5日(土) 畑正憲・矢崎泰久
  6日(日) 和田誠・矢崎泰久 
  7日(月) 永六輔・マルセ太郎
  8日(火) 伊集院静・井上陽水
(この他にもゲスト出演者を予定しています)

あと5分早ければ、孝子氏のご尊顔を拝せたのだが。
きっと、たっちゃんが恥ずかしがりチラシに名前載せたくないとかで、
(この他にもゲスト出演者を予定しています)
になったのではないかな。

会場の一角にH30cm程度の高座があって、会場の床に100程度の椅子が並んでいる。

ショウ終わったわさわさした会場内。
矢崎泰久氏が立ち話で関係者とおぼしき人に、
「あの奥さんがまたデ○ラメな人でさあ」と云っていた、はずなんだがなあ。
今の今まで対談してたのにそんなこと云っちゃって奥さんなのにまだその壁の奥にいるぞとおもった。

孝子氏は
 ↓つべにもあったんだよな
1999年頃かな「驚き桃の木20世紀 無頼 阿佐田哲也の虚と実」色川主役
 これ見て、孝子氏はこんな感じの人なんだなとおもった。デタ○メには見えない

2002~03年頃番組名不詳教育テレビ孝子氏主役
 色川孝子著「宿六・色川武大」1990年をベースにし、特に一関でのことについて
 冒頭でお墓参りをし「そっちはどうですか」と話しかける
に出ていた。
テープあるはずなんだが。

翌9月5日(土)はムツゴロウ氏か。
また来よう。
タダだぜ。
明日来ることを決意したので、会社帰り客も増えてきたし、
ざっと見て帰ろう。
2023.09.18手帳の記載
 6:00き○ら売出し 大変混んでいる
また中古カメラ市に舞い戻ったようだ

9月5日(土)
1330頃だったか。
2023.09.18手帳の記載
 1:25自行車で有楽町へ →2:00色川

タダだぜ。

入場し、昨日なにも云われなかったので受付素通りしたら、
おねえさん多少あわてた様子で
「ご記帳を…」
「あの一般の読者なんですけど…」
「記念ですから」
著名な方のご芳名とか、達筆なご芳名とか。
のたくり文字は非常に恥ずかしかった。
なるほど。
入場者全員記帳することになっているのだが、
昨日は雪崩でそうもいかなかっただけなのね。

展示は余裕のある綺麗な配置。
一つずつ丁寧にみせるような。

圧巻は「狂人日記」の冒頭部の原稿。
鉛筆書き。
前掲「驚き桃の木20世紀 無頼 阿佐田哲也の虚と実」では、
色川武大「狂人日記」の原稿と、阿佐田哲也「京王閣記念実戦記」とを対比させている。
番組見て、別人の如く筆跡も違えてたのかとおもいおどろいたので、この記念展では阿佐田哲也の原稿は展示していなかったのであろう。
こんなことしていたらそれだけで、長生きできないとおもう。

(もしかしたら記憶違いで、前後関係が逆であり先に驚き桃の木を見ていて、記念展でこれが実物かとおもったのかもしれない。
しかし、記念展で色川と阿佐田の原稿比較出来なかったのはたしかだ)

よしS取った。
最前列中央席おもひだした。上手側の最前列だ。
ムツゴロウ氏(63)まで2m3m程度。
90分85分の対談。

2023.09.18手帳の記載
けっこう人が座って待っている

記憶している内容
・1978年  色川武大「離婚」で第79回直木賞受賞。
その日、色川氏の懐には、副賞の50万円(源泉引かれて45万円かな)の現金がある。
みんなよってたかって
「阿佐田さん、やりましょう」
三日三晩後
「あの賞金は、全部おれが取った」
・「乗馬はこうやるんだ」と椅子の前で騎馬の形を作る。
腕の筋肉が怒張し目がぎらぎらと光っていた。
・ふたりで「本が売れない」とぼやいていた。
などなど。
迫力がすげかった。

動物と仲の良いムツゴロウ氏自身もまた、ケダモノであった。
よって、ムツゴロウの動物王国は、ケダモノのけだもの王国である。

この「ケダモノ」は、大藪の「野獣」とも違うナニかである。

2023.09.18手帳の記載
 3:00~4:25 畑さん悪い人だなー
 直木賞の賞金は畑さんにいったんだって
 時間オーバーで話しました
 終わって少しいてフォーラムをうろうろ

「本が売れない」そうなので、入場無料だし会場費設営費印刷費きれいなおねえさん費等みな高そうだし、何か買うものないかとみまわしたところ、
でかいパンフレットだけ売ってた。
受付のきれいなおねえさんに云って買うのだ。
1,000円
竹書房のでかい封筒に入れてくれた。
2023.09.18追記
パンフレットは前日に買っていた。
「本売れない」は、前日にも気づいていたし、
ムツゴロウ氏矢崎氏も云っていたな。

そして、前掲チラシ,新聞記事切り抜き,このでかいパンフレットは、
一式で竹書房のでかい封筒に入り保存されていた。

たぶん
9月6日の記事

客が200人居たかどうかは不明だが、
「耳を傾けた」つーかコワカッタから、客はカエルだったぞ。

9月8日(火) 伊集院静・井上陽水
行けばよかったなあ。
いまさらザンネンである。
コメント
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エッセイ集に死す_大藪春彦エッセイ集等一覧完全版_簡単な内容及び入手容易性と参考古本価格/付録ジャンル別分類,『大藪春彦の世界』について,大藪ハード・カヴァー,必読等書それぞれ一覧

2024年01月26日 | 切削工具等大藪関係・大藪春彦GUN研究・倶楽部
2023.09.18
来るぞぉーーー

2023.09.20
きた。ついにきた

二年半かかった。


----------大藪春彦エッセイ集等一覧---刊行順-↓------------
拳銃解説書だの対談集だのクルマ(4WD)解説書だの、大藪著作で小説以外のやつ+研究書だの含む。

大藪春彦著作リスト
1996年『問題小説 八月号増刊 蘇る野獣―追悼特集大藪春彦の世界』
1999年『蘇る野獣―大藪春彦の世界』
にある、◇マーク(小説以外)はこれで全部。

(他に、大藪監修拳銃本とか、『全開(フル・スロットル)で飛ばせ』のレコード(おねえさんがナゼかあんあん云うやつね)のライナー・ノーツ的エッセイとかもあるんだけど)

左上~右下へ刊行順

2023.09.28追加↓



・『GUN教室』 桃源社 1965年10月30日 定価290円 273p ソフト・カヴァー

 1961年01月号~1962年12月号「ヒッチコックマガジン」連載『GUN相談室』(大藪口述)をまとめたもの。
 全国射場案内つき。
 文庫無し。
 なぜか、古本ちょろちょろある。2~3kであろう。これにあまり金出しても意味ないわよ。
 めちゃくちゃな大藪口述を、「ヒッチコックマガジン」編集長小林信彦/当時の中原弓彦がどうにもしなかったのがフシギ。

・『狼はしなやかに跳ぶ 大藪春彦の世界1』 徳間書店 1972年08月15日 定価700円 255p ハード・カヴァー


小説以外の
全てを網羅
野獣のごとき大胆さと
強烈な感覚で創りあげ
られてきた大藪春彦の
ハードボイルドな世界
は、エッセイや対談の
なかでその全貌を現わ


『狼はしなやかに跳ぶ 大藪春彦の世界1』目次
 入手困難だからな
 他の本は買えば買えるので、買って読んだらよいであろう。



 初のエッセイ集。
 よく探せばある。2~4k位か。
 文庫無し。

 ここに掲載されたエッセイ,対談はおおむね他の本
 ・1976年『別冊新評 大藪春彦の世界』新評社
 ・1979年『荒野からの銃火 大藪春彦マインド』角川文庫
 ・1979年『男たちよ闘いの荒野に死ね 大藪春彦語る』角川文庫
 ・1996年『蘇る野獣 追悼特集大藪春彦の世界』徳間書店
 にも掲載されている。
 『狼はしなやかに跳ぶ 大藪春彦の世界1』にしかないのは
 ・10・21ハードボイルド報告
 ・マンネリを破る悪徳行動学入門(聞き書き)
 ・対談〈若尾文子〉女性はスリルを求めてる
 ・対談〈深沢七郎〉ラブミー牧場と文学
 ・ショートショート(短編集のどこかにあった気がするのだが)
 ・高校時代の作品(ナニが書いてあるのかよくわからん)
 ・あとがき
である。

あとがき---引用
「出版社とて営利企業であるから、これまであまり売れそうにない僕のエッセイ集を出してくれるところがなかったが、このたび徳間書店が採算を無視して出してくれることになった。
 この本には、僕の高校時代の作品、昔の対談や、エッセイ、それにショート・ショートなどが収められている。」
 大江健三郎との対談の掲載を拒否された。大江がライフルを握っている写真があるのがお気に召さないのではないか、と怒っている。
「次巻は僕の若き日の履歴書とでもいうべき「野獣の青春」を中心に、銃や射撃競技や狩猟、二輪や四輪のモーター・スポーツなど盛り沢山の小品や対談や座談会記録を大量に詰めこむことになっている。ご期待ください。
昭和四十七年(引用註1972年)七月十三日 大藪春彦」

・『野獣の青春 大藪春彦の世界2』 徳間書店 1972年11月15日 定価800円 301p ハード・カヴァー


GUN&CAR
○○○の○○をはじめ○や車、レー
サー○など、わが○ハードボイルド
作家の第一人○である○○○全○○
を解き明かすファン必読の書

『野獣の青春 大藪春彦の世界2』目次
 入手著しく困難だからな
 他の本は買えば買えるので、買って読んだらよいであろう。

 注目ポイント
 1969年04月号「Men's Club」 『大藪春彦氏へのインタビュー』
 1966年05月31日号「話のタネ本」 『死神に愛された春』



 注目ポイント 
 1969年11月11日号「東京スポーツ」『私の車』 

 探してない 文庫もない あとがきなんにもない
 ---
 2023.09.30
 とおもったら、
 本文最後、改ページした301頁に
 ■後記■
 ってのがあった。
 他のエッセイの後記は本文→初出→の後に改ページなしで
 ■後記■ または 〈後記〉
 だ。
 あまりにも「大量に詰めこ」んだため、頁がなくなっちゃったのであろう。
 なるほど、あとがきにしては短い。
 --- 
 インタビュー,拳銃ライフルエッセイ特に逮捕翌年1966年がよい,世界の名銃百科,クルマエッセイ,レーサー座談会,日本G・Pルポ,名車へのラブレターなど。
 特にGUN関係エッセイは、他のエッセイ集等に未掲載が多い。
 もし発見したら価格にかかわらずすぐに買うこと(たぶん安い1~3k。読むヤツがゐないのであろう)。
 『狼はしなやかに跳ぶ 大藪春彦の世界1』と『野獣の青春 大藪春彦の世界2』のセットで売られている場合もある(たぶん安い2~5k。読むヤツがゐないのであろう)。

 『野獣の青春 大藪春彦の世界2』はヱントリを改め、
 解説を大量に詰めこむことになっている。ご期待ください。


 こうなるには、二年半かかるであろう。

・『別冊新評 大藪春彦の世界』 新評社 1976年04月10日 定価650円 250p 雑誌
 別冊新評 好評作家シリーズ

 研究書
 こーゆーのはグラビア頁とか雑誌のほうが情報量が多い。写真もキレイ。大藪と直接関係ない広告もおもしろい。
 古本よく売ってる。2~4k位か。
 ---
参考1
『別冊新評 筒井康隆の世界』 新評社 1976年07月10日 定価650円 234p 雑誌 と、
『筒井康隆の世界』 新評社 1979年02月20日 定価980円 204p ソフト・カヴァー
両方を持っている。
単行本には筒井のものの掲載がなく、他人のエッセイが5本追加されているだけである。
写真も少ししかないし、インタビューも載っていない。

 参考2
『別冊新評 星新一の世界』 新評社 1976年12月10日 定価650円 234p 雑誌
234pの自社広告

 --

・『野獣を撃つ――わが血闘の記録 書下ろし(上・下)』 カッパブックス(光文社)1976年08月10日 定価不明円 上217p 下不明p 新書

 初の海外狩猟である
 1972年09月 アラスカ から
 1973年05~06月 ニュージーランド~オーストラリア
 1975年09~10月 アフリカ(ザンビア)を収録
 未所有
 1976年『野獣を撃つ(上・下)』新書→増補版_1979年『ザ・ビッグ・ゲ一ム』ハード・カヴァー→1991年『ザ・ビッグ・ゲ一ム(上・下)』文庫

・『ザ・ビッグ・ゲ一ム』 集英社 1979年11月25日 定価1300円 421p ハード・カヴァー

 1976年『野獣を撃つ(上・下)』に、
 1977年07月 モンゴール
 1977年09~11月? カナダ ブリティッシュ・コロンビア・ロッキー~アメリカ モンタナ・ロッキー
 を収録した増補版
 カラー写真を含む多数の写真も載っている
 5kかあ。
「なお、本書の出版後『ザ・ビッグ・ゲ一ム』の写真集を企画しており、併せて読んでいただけると幸甚です」
 うわー、併せて読みてえなぁー

・『荒野からの銃火 大藪春彦マインド』 角川文庫 1979年07月20日 定価300円 242p 文庫

 エッセイ集
 古本よく売ってる。安い0.3kとかだぜ。

・『男たちよ闘いの荒野に死ね 大藪春彦語る』 角川文庫 1979年07月20日 定価340円 286p 文庫

 対談集
 ここにしか掲載ない対談が多いんだよね。↓間違ってたらごめん
 三浦雄一郎,西丸震哉,小池一雄,佐藤修,谷恒生,篠田正浩,久保継成,大藪インタビュー→井口民樹,大下英治,平岡正明,あとがき
 高い1~4k位が売ってる。

・『大藪春彦の世界』 新評社 1979年 定価980円 不明p たぶんソフト・カヴァー


大藪ハードボイルド入門決定版
不滅のヒーロー伊達邦彦を世に送り出
して22年、ますます磨きのかかる大藪
作品の魅力の原点を徹底的に分析!

 1976年『別冊新評 大藪春彦の世界』の単行本
 研究書
 未所有 
 古本あるが、雑誌にしなさいね。
 もしかすると、前述の筒井の例のように大藪のエッセイ等が未掲載かもしれない。

・『大藪春彦のワイルド・ドライビング』 講談社 1980年07月10日 定価800円 225p ソフト・カヴァー

 赤バッジシリーズ。
 闘志でぶつかるサーヴァイヴァル・アドベンチャーの章にはイノシシもOKくくりワナのつくりかたが書いてある。
 古本あるけど7kと高いなあ。
 これの文庫あるにはあるんだけどさあ。詳細後述。

・『灼熱のサファリ』 徳間書店 1983年11月30日 定価1500円 322p ハード・カヴァー

 1980年08月~10月 アフリカ 南ア~ボツアナサファリの記録。
 この後は、なんとか条約で野獣捕っても剥製の輸入できなくなった。
 御大も病気になったしね。
 文庫無し。
 古本9k位。高いぜ。

・『4WDワイルド・ドライビング』 光文社文庫 1985年11月20日 定価360円 230p 文庫

 1980年『大藪春彦のワイルド・ドライビング』の文庫版だが内容が大きく異なる。
 これはぜひとも赤バッジシリーズで読んでほしい。リンク記事参照。



・『ザ・ビッグ・ゲ一ム(上・下)』 徳間文庫 1991年10月15日 定価上下巻共520円(本体505円) 上346p 下342p 文庫

 1979年『ザ・ビッグ・ゲ一ム』集英社 の文庫。



・『問題小説 八月号増刊 蘇る野獣―追悼特集大藪春彦の世界』 徳間書店 1996年08月20日 定価980円(本体951円) 406p 雑誌

 研究書
 古本よくある。2~4k位か?

・『蘇る野獣―大藪春彦の世界』 徳間書店(単行本) 1999年02月01日 定価本体2400円+税 397p ハード・カヴァー


非情の死と破壊と略奪……
甘いセンチメンタリズムを拒否し、
ストイシズムを追い求めた
巨人作家の足跡を、
棋界の実力者が縦横に論じる!

 1996年『問題小説 八月号増刊 蘇る野獣―追悼特集大藪春彦の世界』の単行本。
 研究書
 2~3kであろう。
 未所有→ぽちしておくか→2023.09.28追加
 フツウなら雑誌のがいいのではないか。

 1996年『問題小説 八月号増刊 蘇る野獣―追悼特集大藪春彦の世界』雑誌になく
 1999年『蘇る野獣―大藪春彦の世界』(単行本)にのみ掲載↓
・巻頭グラビア写真
モノクロ 新婚当初とおぼしき大藪龍子さんとの2カット
カラー 絵画 大藪春彦画 「無題」(1955年頃)油彩・キャンバス 53×43.5cm 1997年春発見
カラー 軽井沢の別荘の机
・対談『本物の条件』花村萬月&馳星周
・『伊達邦彦は一人きり』佐藤大輔
・『ビートルズと太宰治』大藪春彦
・『中年バイク党』大藪春彦
・『大藪春彦作品評』江戸川乱歩
・『乱歩先生の想い出』大藪春彦
・大藪春彦著作リスト 山前謙編 の、1997年分

 奥さんとの写真と乱歩先生関係が読みたくてぽちにおよんだ。
 美品がきた。
 『江戸川乱歩全集月報12』1970年03月『乱歩先生の想い出』大藪春彦は、インフォマーチブだ。
 トタン屋一階の下宿の近くで、トーフと玉子を喰っていたおでん屋“さざえ”が、
 “たにし”だったとはなあ。
 “たにし”でお茶割りショーチューを飲んでいたのだ。

・『孤高の狙撃手(スナイパー)』 光文社文庫 2004年06月20日 定価(本体571円+税) 326p 文庫

 今まで『孤高の狙撃手』だとおもひこんでいた。
 海外ハンティングのまとめ(書下ろし)+『銃は我が分身』1980~1984年+『素晴らしきアメリカ射撃旅行』1982~1983年
 『銃は我が分身』1980~1984年は→『問題小説 八月号増刊 蘇る野獣―追悼特集大藪春彦の世界』ここにも掲載。

-------付録-------------------------------------
----------ジャンル別↓-----------

●エッセイ集(対談なども含む)
・『狼はしなやかに跳ぶ 大藪春彦の世界1』 徳間書店 1972年08月15日 定価700円 255p ハード・カヴァー

 高校時代の作品,昔の対談,エッセイ,ショート・ショート

・『野獣の青春 大藪春彦の世界2』 徳間書店 1972年11月15日 定価800円 301p ハード・カヴァー

 インタビュー,銃とクルマのエッセイなど

・『荒野からの銃火 大藪春彦マインド』 角川文庫 1979年07月20日 定価300円 242p 文庫

 エッセイ

・『孤高の狙撃手(スナイパー)』 光文社文庫 2004年06月20日 定価(本体571円+税) 326p 文庫

 海外ハンティングのまとめ+『銃は我が分身』1980~1984年+『素晴らしきアメリカ射撃旅行』1982~1983年

●対談集
・『男たちよ闘いの荒野に死ね 大藪春彦語る』 角川文庫 1979年07月20日 定価340円 286p 文庫


●拳銃本
・『GUN教室』 桃源社 1965年10月30日 定価290円 273p ソフト・カヴァー

 1961年01月号~1962年12月号「ヒッチコックマガジン」連載『GUN相談室』(大藪口述)をまとめたもの。

●ハンティング
・『野獣を撃つ――わが血闘の記録 書下ろし(上・下)』 カッパブックス(光文社)1976年08月10日 定価不明円 上217p 下不明p 新書

 初の海外狩猟である
 1972年09月 アラスカ から
 1973年05~06月 ニュージーランド~オーストラリア
 1975年09~10月 アフリカ(ザンビア)を収録

 1976年『野獣を撃つ(上・下)』新書→増補版_1979年『ザ・ビッグ・ゲ一ム』ハード・カヴァー→1991年『ザ・ビッグ・ゲ一ム(上・下)』文庫

・『ザ・ビッグ・ゲ一ム』 集英社 1979年11月25日 定価1300円 421p ハード・カヴァー

 1976年『野獣を撃つ(上・下)』カッパブックス(光文社)に、
 1977年07月 モンゴール
 1977年09~11月? カナダ ブリティッシュ・コロンビア・ロッキー~アメリカ モンタナ・ロッキー
 を収録した増補版

・『ザ・ビッグ・ゲ一ム(上・下)』 徳間文庫 1991年10月15日 定価上下巻共520円(本体505円) 上346p 下342p 文庫

 1979年『ザ・ビッグ・ゲ一ム』集英社 の文庫。

・『灼熱のサファリ』 徳間書店 1983年11月30日 定価1500円 322p ハード・カヴァー

 1980年08月~10月 アフリカ 南ア~ボツアナサファリの記録

●クルマ(4WD)
・『大藪春彦のワイルド・ドライビング』 講談社 1980年07月10日 定価800円 225p ソフト・カヴァー


・『4WDワイルド・ドライビング』 光文社文庫 1985年11月20日 定価360円 230p 文庫

 1980年『大藪春彦のワイルド・ドライビング』の文庫版だが内容が大きく異なる。

●研究書
・『別冊新評 大藪春彦の世界』 新評社 1976年04月10日 定価650円 250p 雑誌


・『大藪春彦の世界』 新評社 1979年 定価980円 不明p たぶんソフト・カヴァー

 1976年『別冊新評 大藪春彦の世界』の単行本

・『問題小説 八月号増刊 蘇る野獣―追悼特集大藪春彦の世界』 徳間書店 1996年08月20日 定価980円(本体951円) 406p 雑誌


・『蘇る野獣―大藪春彦の世界』 徳間書店(単行本) 1999年02月01日 定価本体2400円+税 397p ハード・カヴァー

 1996年『問題小説 八月号増刊 蘇る野獣―追悼特集大藪春彦の世界』徳間書店の単行本


-------『大藪春彦の世界』↓について----
『大藪春彦の世界』つー本は、都合6冊(実質4冊)ある。

・『狼はしなやかに跳ぶ 大藪春彦の世界1』 徳間書店 1972年08月15日 定価700円 255p ハード・カヴァー

 高校時代の作品,昔の対談,エッセイ,ショート・ショート

・『野獣の青春 大藪春彦の世界2』 徳間書店 1972年11月15日 定価800円 301p ハード・カヴァー

 インタビュー,銃とクルマのエッセイなど

・『別冊新評 大藪春彦の世界』 新評社 1976年04月10日 定価650円 250p 雑誌

 研究書

・『大藪春彦の世界』 新評社 1979年 定価980円 不明p たぶんソフト・カヴァー

 1976年『別冊新評 大藪春彦の世界』の単行本
 研究書

・『問題小説 八月号増刊 蘇る野獣―追悼特集大藪春彦の世界』 徳間書店 1996年08月20日 定価980円(本体951円) 406p 雑誌

 研究書

・『蘇る野獣―大藪春彦の世界』 徳間書店(単行本) 1999年02月01日 定価本体2400円+税 397p ハード・カヴァー

 1996年『問題小説 八月号増刊 蘇る野獣―追悼特集大藪春彦の世界』徳間書店の単行本+いろいろあり〼
 研究書

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つかれたのでガッツ・ワンとぴぴんHと抗生物質を規定の倍量と胃薬も規定の倍量飲もう。


--------ハード・カヴァー↓------------------
もしかすると、大藪の本のハード・カヴァーは、

・『狼はしなやかに跳ぶ 大藪春彦の世界1』 徳間書店 1972年08月15日 定価700円 255p ハード・カヴァー


・『野獣の青春 大藪春彦の世界2』 徳間書店 1972年11月15日 定価800円 301p ハード・カヴァー


・『ザ・ビッグ・ゲ一ム』 集英社 1979年11月25日 定価1300円 421p ハード・カヴァー


・『灼熱のサファリ』 徳間書店 1983年11月30日 定価1500円 322p ハード・カヴァー


2023.09.28 ↓これがあった。
・『暴力租界』 徳間書店 1996年05月31日 定価本体2000円(本体1942円) 594p ハード・カヴァー


日本ハードボイルドを開拓した
孤高の巨人、最後の長編。
堂々の1300枚
 未完/絶筆である。
 巻頭に著者近影1994年04月14日撮影カラー1葉1ページ
 巻末に
・『「暴力租界」の行方』鏡明
・『蘇れ、ローンウルフ』森村誠一
・『さらば、孤独な情念の戦士』船戸与一
 収録
 原稿はリンク参照

・『蘇る野獣―大藪春彦の世界』 徳間書店(単行本) 1999年02月01日 定価本体2400円+税 397p ハード・カヴァー


だから大藪のハード・カヴァーは、たぶん都合6冊だ。
小説は絶筆のみハード・カヴァーなのか。

 
-----必読書等一覧↓----------------
●必読の部
タマも沢山だし、故に価格も安いし
・1976年『別冊新評 大藪春彦の世界』新評社 2~4k位

 研究書

・1979年『荒野からの銃火 大藪春彦マインド』角川文庫 0.3kとか

 エッセイ集

・1996年『問題小説 八月号増刊 蘇る野獣―追悼特集大藪春彦の世界』徳間書店 2~4k位

 研究書

・2004年『孤高の狙撃手(スナイパー)』光文社文庫←新品あるかな?

 エッセイ集

 は買って読みましょう。
 個人売買よりも、古本屋のほうがモノがキレイとおもいます。
 個人売買のヤツは、カビていることもおおいにあり得る。
 処理がほんとに大変なのです。

●次に読む 
少し高いがまあ売っている
・1979年『男たちよ闘いの荒野に死ね 大藪春彦語る』角川文庫 1~4k位

 対談集

●売っているから、金と気持ちあれば買おう
1979年『ザ・ビッグ・ゲ一ム』集英社 5k

 1976年『野獣を撃つ(上・下)』に、
 1977年07月 モンゴール
 1977年09~11月? カナダ ブリティッシュ・コロンビア・ロッキー~アメリカ モンタナ・ロッキー
 を収録した増補版

・1980年『大藪春彦のワイルド・ドライビング』講談社 7k

 4WD
 第3章 これがオフ口ード・トレイルだ
 第4章 闘志でぶつかるサーヴァイヴァルアドベンチャー

・1983年『灼熱のサファリ』徳間書店 9k

 1980年08月~10月 アフリカ 南ア~ボツアナサファリの記録

・1999年『蘇る野獣―大藪春彦の世界』徳間書店(単行本) 2~3k

 1996年『問題小説 八月号増刊 蘇る野獣―追悼特集大藪春彦の世界』徳間書店の単行本+いろいろあり〼
 研究書

●2~3ヶ月で入手できるであろう
・1972年『狼はしなやかに跳ぶ 大藪春彦の世界1』徳間書店 2~4k位

 高校時代の作品,昔の対談,エッセイ,ショート・ショート

●3年かかるぞ/どうせ安いから、みつけたらすぐに買おう!
・1972年『野獣の青春 大藪春彦の世界2』徳間書店 1~3k

 インタビュー,銃とクルマのエッセイなど
 中身は非常におもしろい

・1972年『狼はしなやかに跳ぶ 大藪春彦の世界1』徳間書店 と
・1972年『野獣の青春 大藪春彦の世界2』徳間書店 のセット 2~5k

 こーゆーのは1の方が売れるから、1と2の発行部数には相当な開きがあって、それが古本のタマ数に反映しているとおもわれる。

●どっちでもよい
・1965年『GUN教室』桃源社 2~3k

 1961年01月号~1962年12月号「ヒッチコックマガジン」連載『GUN相談室』大藪口述を編集したもの。
 めちゃくちゃな大藪口述を「ヒッチコックマガジン」編集長小林信彦/当時の中原弓彦がどうにもしなかったのがフシギ

・1985年『4WDワイルド・ドライビング』光文社文庫

 1980年『大藪春彦のワイルド・ドライビング』講談社の文庫。内容かなり異なる

・1991年『ザ・ビッグ・ゲ一ム(上・下)』徳間文庫

 1979年『ザ・ビッグ・ゲ一ム』集英社 の文庫

●他に収録あるから、たぶんいらない(と判断して未所有だけどね)
・1976年『野獣を撃つ――わが血闘の記録 書下ろし(上・下)』カッパブックス(光文社)

 初の海外狩猟である
 1972年09月 アラスカ から
 1973年05~06月 ニュージーランド~オーストラリア
 1975年09~10月 アフリカ(ザンビア)を収録
 1976年『野獣を撃つ(上・下)』新書→増補版_1979年『ザ・ビッグ・ゲ一ム』ハード・カヴァー→1991年『ザ・ビッグ・ゲ一ム(上・下)』文庫

・1979年『大藪春彦の世界』新評社

 1976年『別冊新評 大藪春彦の世界』の単行本

高い方の価格積み上げると送料除く50kくらいかあ。
送料が0.5k/件として、
まあ合計60k凸凹。
既所有分は買わないから、
たぶん、30k程度でいけるよ。
もたもたして年数が経過すると、価格が上がるぞ。
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「大好きニキせやな神それな主義リアル無理ゲーはよ案件じわるww」おはようやらかし論みたいで草みだしざまあwしたしワンチャンダイナミックメシウマわスゴすぎた理由のリアルされるべきワケがとは末路まで?

2023年09月14日 | 学術・芸術
ぶっちゃけ悪用厳禁なのですがこの際ハッキリ言いますがこれはわりと盲点なんですが隠しておこうと思ったのですが気づいてしまった残酷かもしれませんが
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どれーん

2023年09月01日 | 学術・芸術
壁に垂れていったおまえが残していったものといえば
おそらく誰も拭きそうにない
安い壁のクロスがお部屋にひとつと

みんなたぶん一晩で忘れたいとおもうエアコンのどれーん
どこにもおまえからあふれたと
外に出せないおまえが流すスライム

どどどいどどどどーど どどどいどどーどどどどどどどーどどどい
どどーどどい どどどぃどどどどどどどい
どどどいどどどどどどどどどいどどどい

みんなおまえを忘れて忘れようとして一晩流れて
突然なにも知らぬ家人が
壁紙の表になにかをみつける

それはおまえが生まれたどれーんホースにも詰めこんだスライム
その時口をきかぬおまえの邪悪さが
突然あたしにも聞こえる

どーいどーいどーいどーい どーどーどーどーどーどーどー
どどっーいどーいどーいどい どーどーどーどーどーどーどーどー#どーどーどーどーどどーどーどーどーどーどどぅ

どれぃーん 抜いていてもいいですかと誰も問いたい
どれぃーん その答えを誰もが知ってるぅから誰も問わないぃーーーーーーー


流れてくるシズクはどれもみんなホントのことかもしれない
おまえはたちの悪いシズクで
垂れていってよかったヤツかもしれない

けれどどんなシズクより
けれどおまえのどんな黒いシズクより あたしは
垂れずにはいられないスライムだけは真実だったとおもう

今夜お部屋は暑い
行く先もなしにおまえがいつまでも
灯りのこうこうと灯った蒸し暑い壁を
ひとつづつ垂れている

今夜お部屋は暑い

どれぃーん 抜いていーてもぉーーいいですぅかと誰も問いたい
どれぃーん その答えをーぅ誰もが知ってるぅから誰も問ぉーわぁーない


どれぃーん 抜いていぃーてもぉーーーーいいですぅかと誰も問いたい
どれぇー↑ええーーーん そのこぉーたぁーえを∨誰もがぁ知ってるぅ↓から∨誰も問ぉーわぁーないぃーーーーーーーーー

どーいどーいどーいどーい どーどーどーどーどーどーどーどどっ
どどーいどーいどーいどい どーどーどーどーどーどーどーどー#どーどーどーどーどどーどーどーどーどーどどぅ
どーどーどーどどぅ

どどどいどどどどーど どどどいどどーどどどどどどどーどどどい
どどーどどい どどどぃどどどどどどどい
どどどいどどどどどどどどどいどどどい
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大藪春彦 うまい具合に 5『枕にベレッタ 四畳半に抜き撃ち』 その5/堪えたようなタッチで血まみれの大藪春彦結論的年表

2023年08月15日 | 切削工具等大藪関係・大藪春彦GUN研究・倶楽部
本シリーズの総まとめ的なものだな。

ナニが起っていたのか一目瞭然
●堪えたようなタッチで血まみれの大藪春彦結論的年表
有リ〼
本章のみ読んだだけで、【ペルナンディけん銃】と【ベレッタが三万円】についてよくわかる仕組みにしたから。

2002年03月09日の小林信彦の証言↓ 初めに読むがいい。
大藪春彦 うまい具合に『枕にベレッタ 四畳半に抜き撃ち』 その1/小林信彦血まみれの証言の部
【ベレッタが三万円】【ベレッタをね、枕の下に入れて】…

大藪春彦年表はこちら↓二番目に読むがいい。
大藪春彦年表 
【趣味で持っていた拳銃】とか【未届けのライフル銃】を中心に、
高松~上京~逮捕,猟銃所持再許可までの要部/本項敬称略
大藪春彦 うまい具合に『枕にベレッタ 四畳半に抜き撃ち』 その2/血まみれの大藪春彦年表の部_増補改訂版

-↓--大藪春彦年表の追補部分
・銃の規制現行法の抜粋
・【ペルナンディけん銃】詳細,
  1958年『血の罠』,1958~1959年『醜聞』,1958年『屍を越えて』,
1959年『その罠を噛み破れ』,1959年06月『次は誰だ』,1959年『夜に潜む』,1960年『みな殺しの歌』
  1987年『続・極道 もうひとつの家族の家長たち』【ペ】のナゾ
・【ベレッタが三万円】の妥当性,国家公務員の初任給の変遷など
・1960年末頃の猟銃一覧
以下【ベレッタが三万円】について
・1960年『凶銃ワルサーP38〈続みな殺しの歌〉』
・1962年連作短編『名のない男』
・1964年中編『ベトナム秘密指令』とベレッタM950
・エピローグ部分 など
『大藪春彦 うまい具合に『枕にベレッタ 四畳半に抜き撃ち』 その3/血まみれの凶銃_増補改訂版』

↓-1964年? 中編『ベトナム秘密指令』とベレッタM950-↓つづき
とエピローグの続きと当初はおもっていたのだが、本章も必要になった。
大藪春彦 うまい具合に 4『枕にベレッタ 四畳半に抜き撃ち』 その4/凶銃の血まみれのエピローグ続き_増設版
※その4章は文字数には余裕があるが、総まとめの本章は別章にした。

---------
そもそもナニ拳銃が欲しかったのか?

1963年03月発行 短編集「崩壊」
『銃は知っている』
---引用---
この作品は長編”血の罠”のプロトタイプ〈原型〉であって、書いてから五年ものあいだあいだ発表しなかったものです…
---引用終わり---
とある。

『血の罠』初出は、
1958年09月~1959年01月の号(掲載期間確定)「週刊アサヒ芸能」アサヒ芸能出版
デビュー作『野獣死すべし』が、
1958年07月号 「宝石」(宝石社)に転載、なので、
『銃は知っている』は、『野獣死すべし』と『血の罠』の間に書かれている。

だから『銃は知っている』は、
1958年07月~08月に書かれたものだ。

『血の罠』には、
推定1958年10月末号から11月頭号掲載
 第5回「殺気」
---引用---
スーツケースを開いて、そのポケットのジッパーを開き、鞣し革のホルスターに入った青色の小さな自動拳銃と弾薬の入った革サックを抜き出した。全長わずか十センチのイタリア製V・Bベービー二十五口径六連発オートマチックには初めから照星がついていない。全体が掌より小さいため、半月状型の引金の部分が大きく見える】。
---引用終わり---
と、【ペルナンディけん銃】が初めて出てくる。

『野獣死すべし』と『血の罠』の間に書かれた
『銃は知っている』には、ナニけん銃がでてくるのかな。
---引用---
上島は君彦にサイレンサー付きのルーガーP08自動拳銃をくれた。十四年式軍用拳銃のピストル・シルエットで、満点を記録した事もある君彦の、鋭いカンと感覚が蘇った。
君彦は、そのドイツ製ルーガーを自分の五本指のように、正確で自由自在にあやつるようになった。青黒く冷たい光を反射する手なれた銃器は、もはや一個の物体ではなく、意のままに死を送る君彦の分身であった。
左肩から吊ったホルスターは脇の下にぴったりおさまり、ズボン吊りと変らぬようになった。
---引用終わり---
おおっ。
まずはルーガーP08かあ。

さて、もっと小さいけん銃も出てくるかな?
---引用---
「……そうだ、脚につける小さな拳銃がまだ残っていたら、貸してくれないか?」
上島は蒼白な君彦の顔を見つめていたが、踵をかえすと奥の部屋に入り、鞣し革のホルスターに入った二十二口径のベレッタ・ジャガーと実包を一箱、それに札束を持って戻ってきた。

手錠をかけられた両手が、そろそろと下に垂れ、ズボンの下の右脚につけたベレッタに這っていった。

鋭く小さな銃声と共に、村井の握ったルーガーは後にすっ飛んだ。村井は言葉を呑んで、痺れてだらりと垂れた右手首を、失神した瞳で見つめた。
君彦はすっと立ち上がった。傷に脇腹がひきつった。その目はカサカサに乾いていた。
口の中にたまった血を吐きだすと、手錠のかかった両手の中の小さな黒いベレッタが、五度軽やかに踊り続けた。キラキラ光る小さな空薬莢が薄い煙を吐いて舞い上がった。
---引用終わり---
二十二口径のベレッタ・ジャガーが、ホントは欲しかったんだな。
しかもスネ拳銃。

なるほどねぇ。
実は小さな拳銃が欲しかったのであろう。

おそらくは米軍曹に
1958年10月頃
「作家になって金あるだろうから、これ買わないか?」と持ちかけられ、
よく知らないけども小さいから
【ペルナンディけん銃】.22LRを買い、
やっぱベレッタの小さいヤツが欲しいので、
且つ.22LRは意外にうるさかったので、
1960年09月11日頃
ベレッタ・ジャガー 改メ
ベレッタで一番小さい【ベレッタが三万円】ことベレッタM950Bジェット・ファイアー.25ACPホルスター付き
を猟友(ヤクザ)に予め注文しておいて、ローマオリンピック時に仕入れさせ、帰ってきてすぐ買った
のであろう。
んで、
1960年09月25日号「アサヒ芸能出版」週刊アサヒ芸能
『みな殺しの歌』『サディスト』の章
【ベレッタが三万円】初登場
その日の晩にうれしくてすぐ書いたのであろう。

米軍曹は誰でどこ所属なのかまったく不明。
作家になる以前からの、銃がらみ米軍がらみでの知り合いであろうことはおぼろげにわかる。
作家になって間もなく(たった3ヶ月程度)の1958年10月頃に【ペルナンディけん銃】を二万円で買っているからだ。
1958年で【ペルナンディけん銃】二万円(たぶんホルスター無し)はちょっと高かった気がする。

【ペルナンディけん銃】関係は、推定1958年10月末号から11月頭号「週刊アサヒ芸能」掲載『血の罠』第5回「殺気」と、1965年03月新聞記事と、1965年03月18日号「週刊現代」『”拳銃作家”大藪春彦と妻の5年間 暴発に泣いた竜子夫人のショックと誤算』と、『俺は再びガンを持てる!』に拠っている。

猟友(ヤクザ)も、誰なのかナニ組なのかまったく不明だ。
少なくとも猟友(ヤクザ)は、作家になる以前からの知り合いではない、であろうと推定されるのみ。
猟友であるから猟で会ったハズで、猟は作家になって現金がいっぱい出来た後に始めてるから。
1960年で【ベレッタが三万円】ホルスター付きが3万円は、まあそんなもんだろうな。

【ベレッタが三万円】関係は、小林信彦証言と、『みな殺しの歌』「サディスト」と、『俺は再びガンを持てる!』に拠っている。
2023.01.24 追加↓
小林信彦著『お伽草紙』 「新潮」1998年07月号

なお、
 1969年04月15日号「週刊プレイボーイ」掲載
『俺は再びガンを持てる!』エッセイ
---引用---
昔は銃砲取締りがあまり厳しくなかったので、僕はつい、ローマ・オリンピックから帰った銃砲ブローカーをしている猟友から拳銃を二丁ゆずってもらっていたのだ。
---引用終わり---
猟友から拳銃を二丁買ったと書いてある。
一丁が【ペルナンディけん銃】であることは捜査で判明。
もう一丁は【ベレッタが三万円】で、小林信彦が目撃している。
捜査により【ペルナンディけん銃】は米軍曹から2万円で買ったと確定。
1958年10月頃買ったことは、『血の罠』第5回「殺気」に出てくる【ペルナンディけん銃】から判明している。
つまり【ペルナンディけん銃】は1958年10月頃米軍曹から2万円で買った。
狩猟は1958年08月以降、『野獣死すべし』の映画化権料とか原稿料とか印税とか入り、現金が手元に来てから始めた。
そして、この【ペルナンディけん銃】買った1958年10月当時は、猟を初めて日が経っていない故、
会ったばかりの猟友からあえてけん銃を買おうとはおもわないハズだ。
故に誤記である。

2023.01.24 追記 【小さな拳銃】事件
小林信彦著『お伽草紙』
初出
1998年07月号 「新潮」
2004年04月30日第1刷発行 朝日新聞社
「定年なし、打つ手なし」に収録
※大藪は1996年02月26日死去なので、大藪没後に書かれたもの。
---引用---【】は引用註
後年、新人時代の大藪春彦と知り合ったら、これが大変な太宰ファンで、『晩年』の初版本だったら、
【ベレッタと交換してもいいのに、と小さな拳銃を見せてくれた。】
そのころは二十代の後半にさしかかっていて、もう太宰でもあるまいという気分だったが、大藪とだけは太宰の話をした。大藪は外見に似ず、
【小心、自虐的、恨みがましい人物】で、それが一転すると、何十人も殺しまくる小説になる。
---引用終わり---
【ベレッタが三万円】がベレッタM950Bジェット・ファイアーだ、つーのは状況証拠しかなかった。
これで
【ベレッタが三万円】=【ベレッタ】の【小さな拳銃】=ベレッタで一番小さい ベレッタM950Bジェット・ファイアー
とほぼ確定した。
口径が.25ACPなのは状況証拠から。
ベレッタM950の口径.25ACPモデルの米国での愛称がジェット・ファイアー。
口径.22shortモデルの米国での愛称がミンクスで、
【ベレッタが三万円】買った直後の
1960年09月25日号「アサヒ芸能出版」週刊アサヒ芸能
『みな殺しの歌』●
「サディスト」
に出てくる。
拳銃買った直後、それを小説に出すときには、
口径を違える
つー規則が観られる。
この規則の理由が不明であったところ、小林信彦『お伽草紙』により
【小心、自虐的、恨みがましい人物】
のうち、特に【小心】故とわかった。
なお、わざわざ小説などを書くニンゲンは、皆多かれ少なかれ【小心、自虐的、恨みがましい人物】だとおもふぞ。
自分で好ましくないとおもっている点が自分と同じだと気になるのでもあろう。

【小さな拳銃】=【ベレッタが三万円】と交換してもよいつーのは、
大藪最上級の欲しい、だな。
ここで【ペルナンディけん銃】と交換でないことに注目しよう。

なお、この【小さな拳銃】事件は
1960年09月11日頃~アパート一階四畳半【ベレッタが三万円】購入
1960年11月頃~同アパート二階四畳半と六畳が空いたので引っ越し
1961年02月結婚までの間のできごとである。
大藪春彦二十五歳 1958年春デビューなので丸二年半
小林信彦二十七~二十八歳。
---
新人時代の大藪春彦
そのころは二十代の後半にさしかかっていて
---
いつもの如く小林信彦の記憶力は正確無比なのだ。
小林信彦氏御年九十歳。更に長生きしてください。

また、小林信彦が【ベレッタが三万円】について書いたり語ったりしたのは、これ『お伽草紙』1998年07月号「新潮」が最初ではないかな。
生前には云わない方針なので。
2002年03月09日放送 大瀧詠一のスピーチバルーン 
小林信彦&大瀧詠一対談 「小林旭の世界」
も、このあとね。
じゃあ生前にナニするかというと、
『いちご色の鎮魂歌』
初出
1983年09月号 「小説新潮」
1984年05月05日第1刷発行 新潮社
「発語訓練」に収録
---引用---
愛用の自転車ボレロBL-242のカバーを外した。スタート時にふらつかず、坂道も、長い距離も軽く走れるシーソーマチック3というやつだ。
---引用終わり---
添削その1
ボレロBL-二四二の帆布製カヴァーを外した。スタート時にふらつかず、坂道も長い距離も軽く走れるシーソー・マチック三というやつだ。
添削その2
流れる初夏の霧をナショナルの沃素ヘッド・ランプで切り裂き、木暮直美の運転する右ハンドルのボレロBL-二四二のラリー・ヴァージョンは、靖国通りで最もカーヴの多い淡路町の山中を、平均時速三十七キロほどで楽々と飛ばしていた。

いやはや、いろいろわかって佳かったよかった。

-------------------------------
小説に出てくる高松市と、
高松一高同窓→四国のヤクザであるAAAAについて

高松市が出てくる小説は発見されたかぎり二話

初出誌不明
『兇銃』
1960年08月「鉛の腕」荒地出版社
単純に高松市が舞台というだけな感じだ。
---引用---
筆者註

また一万円札が発行されたのは、この作品が発表された数年後であり、当時としては四百万円が、いかに大金であったか想像がつくと思います。
---引用終わり---
とある。
一万円札は1958年12月に発行開始だ。
ということは、この『兇銃』は
1958年08月~1958年11月の間に書かれたものであろう。

---
もうひとつあるのだ。
1962年07月27日 「漫画ストーリー」双葉社
『腐った罠』
1962年07月頭に書かれたとおもう
に、
四国K県T市
坂田組
(実在の坂○組と一字違い)
坂田組長 四十七、八の赤銅色に黒光りする肌の精力的な男
(坂○組二代目組長BBの氏と一字違い)
坂田の片腕と云われている大幹部平木
(坂○組員CCCC/【ペルナンディけん銃】最終所持者の氏と一字違い)
が出てくる。
当時の四国K県T市の状況が事細かに書いてある。
AAAAに話を聞いて書いたこと一目瞭然。

【ペルナンディけん銃】は
1962年08~10月頃/詐取(手交)→AAAA(28)
である。

「週刊プレイボーイ」1969年04月15日号掲載『俺は再びガンを持てる!』より↓
---
昭和三十七年(1962年)頃に僕は梅ヶ丘に住んでいた。Aは家の近くのタクシーの営業所に勤めていた。Aは何回か僕の家に遊びにくるうち、
つい僕が見せた拳銃のうちの一丁を、一晩だけ抱いて寝たいからと持っていき、そのまま逃げてしまったのだ。
---
なるほど。

いきさつはたぶんこうだな↓
AAAA(28)が
1962年大藪家に数回遊びに来る内、
AAAAの所属する坂○組をモデルにして短編を書くことになった。
その小説『腐った罠』発表後
1962年08月~10月頃に
つい僕が見せた拳銃(【ペルナンディけん銃】と【ベレッタが三万円】)のうちの一丁(【ペルナンディけん銃】)を「一晩だけ抱いて寝たい」と粘られ、断り切れなかったために、
結局詐取された
のであろう。

●--------------
では、
●---堪えたようなタッチで血まみれの大藪春彦結論的年表---●
 デビュー~【ペルナンディけん銃】購入~【ベレッタが三万円】購入~
 【ペルナンディけん銃】AAAAに詐取さる~大藪が捕まったあたり---
 (年齢)は1965年03月当時
□2023.07.09 参考情報として大藪春彦デビュー前後の『宝石』関係にもふれておこう。

おそらく未成年の頃
1955年頃まで推定
【拳銃の不法所持で挙げられたこともあって】
1960年08月号「中央公論」
『テロのムード』エッセイ
---引用---
事件というと大袈裟だが、今度イタリーから来た自動散弾銃の所持許可申請に所轄署に行ったところ、さる週刊誌が特集した「首相を暗殺した小説」という記事のなかに、たまたま僕の作品も入っていて、しかも僕がわれながら威勢のいいことをしゃべっているのに保安課長が目をつけたことからはじまる。
【拳銃の不法所持で挙げられたこともあって】、こんな奴に銃砲所持許可を出すことは出来ない。いままで許可してたのも調べ直せ、ということになった。
---引用終わり---
1960年08月に【拳銃の不法所持で挙げられたこともあって】とあるから、
たぶん未成年時にけん銃不法所持で挙げられていたハズだ。
こーゆーのを隠さないのが大藪らしくてよい。

小林信彦証言
---
小林「で、大藪春彦がまた「中央公論」にあの、警官、の拳銃をですね」
大瀧「なるほど」
小林「いざとなったら警官の拳銃を奪って、撃つ。普通撃てませんからね」
大瀧「うん」
小林「あんなの取ったって」
大瀧「うん」
小林「撃つときの、方法をねっ」
大瀧「ふっふっふっふっ」
小林「そんなもの「中央公論」に書くなっていうんだけど」
---
このエッセイが『テロのムード』だな。

□1957年05月30日
星親一『セキストラ』脱稿

□1957年06月25日
「宇宙塵」第二号 星新一『セキストラ』掲載
矢野徹驚愕し、日本探偵作家クラブのサーカス見物の際、
江戸川乱歩に「先生、ついに天才がひとり出ました」と耳打ち。

□1957年07月27日
星親一 自宅玄関で記者会見
「年内いっぱいで星製薬取締役辞任
1958年01月の株主総会で認められれば会社の経営から一切手を引く」
取材していた日経社会部矢崎泰久驚く。

□1957年07~09月頃か 
「宇宙塵」第三号 星新一『落語・智慧の実』
「宇宙塵」第六号第七号 星新一『火星航路』

□1957年10月01日
星親一→星新一 江戸川乱歩にあいさつ 乱歩邸
 大藪春彦がいびきかいた例の土蔵だな。
 星新一 一〇〇一話をつくった人 最相葉月著 のごとくの本が
 大藪にもあればなあ。

1957年10月
ワセダ・ミステリ・クラブ(←命名江戸川乱歩)発足。
大藪春彦入部。
顧問江戸川乱歩。
入会希望者は女学生五名を含む五十数名。
学生会館での発足式に大藪春彦参加。
星新一も婚約者を伴い参加。

□1957年11月号「宝石」
江戸川乱歩『セキストラ』を「宝石」に転載 ルーブリックで絶讃
 星展でルーブリック原稿みたぞ。
 だから、世田谷文学館で『大藪春彦展』をしたらいいのだ。
 【ベレッタが三万円】も展示しよう。

□1958年02月号「宝石」
星新一『殉教』持込

□1958年05月号「宝石」
星新一『ボッコちゃん』持込

1958年05月
同人誌「青炎」に、『野獣死すべし』掲載

1958年07月号
江戸川乱歩『野獣死すべし』を「宝石」に転載

1958年06月19日号 「毎日新聞」
『痛快無類の探偵小説 早大生の作「野獣死すべし」』つー紹介記事掲載

1958年07月~08月(『血の罠』のプロトタイプ)
『銃は知っている』執筆
大変に欲しかった二十二口径のベレッタ・ジャガーがスネ拳銃で出てくる。
ベレッタ・ジャガーなのは、
たぶんベレッタ・ミンクス/ジェットファイアを知らず、
一番小さいベレッタがベレッタ・ジャガーとおもっていたのであろう。

1958年08月~10月頃推定
東宝で『野獣死すべし』映画化。
映画化権料五〇万円(2022年の価値にして700万円位か)もらいつつ月二千円(2022年の価値にして3万円位か)の奨学金を受けていると「スター千一夜」でしゃべって怒られた。
うわー見たいなー。
さっそく狩猟免許交付。ウィンチェスターM52(口径22)を初め、次々に買う。まずカモ猟から始めた。
更に当然と云えば当然だが【ペルナンディけん銃】なども次々に買うのだ。

1958年08月~1958年11月 初出誌不明
『兇銃』短編
1960年08月「鉛の腕」荒地出版社
高松市が舞台というだけな感じだが。

1958年09月~1959年01月の号(掲載期間確定)「週刊アサヒ芸能」アサヒ芸能出版
『血の罠』連載

□1958年10月号「宝石」
以下順不同
星新一『おーい でてこーい』
松本清張『零の焦点』(後『ゼロの焦点』に改題)
横溝正史『悪魔の手鞠歌』
佐野洋『銅婚式』
山田風太郎『首』
鮎川哲也『二ノ宮心中』
高田高『深い海深い霧』
鹿島考『東洋の神秘』

1958年10月頃
米人軍曹から2万円(2022年の価値にして30万円位か)で【ペルナンディけん銃】たぶんホルスター無しと(+使用弾薬と),見本用の弾薬数種少量づつ,スプリングライフルなどを買う

推定1958年10月末号から11月頭号「週刊アサヒ芸能」掲載
『血の罠』
 第5回「殺気」
---引用---
スーツケースを開いて、そのポケットのジッパーを開き、鞣し革のホルスターに入った青色の小さな自動拳銃と弾薬の入った革サックを抜き出した。全長わずか十センチのイタリア製V・Bベービー二十五口径六連発オートマチックには初めから照星がついていない。全体が掌より小さいため、半月状型の引金の部分が大きく見える。
ベークライト製の銃把と引金の間の安全止を押しさげた田島は、銃把の左後ろについた蛇の目模様のボタンを圧して遊底被を引き、薬室にウインチェスターのセンター・ファイア弾を一発装填し、スライドをもとに戻した。撃針がスライドの後に突き出して撃発装置になっているのを示している。安全止を押し上げて、銃把の弾倉室から弾倉を引き抜き、五発装填して弾倉室に戻す。
拳銃をホルスターに収めた田島は、ズボンの右裾をまくって、脚に革帯で括りつけた。
---引用終わり---
註:【ペルナンディけん銃】1回目
表記 【V・Bベービー】/【ヴェルナルディリV・Bのオートマチック】
隠し場所 右スネ

1958年10月~1959年推定 初出誌不明
『醜聞』短編●
1961年05月「野獣死すべし」浪速書房
---引用---

スーツケースのポケットは二重底になっていた。安達はそこからヴェルナディリV・Bの拳銃を引きだした。掌にすっぽり入るほど小さな二十五口径六連発自動拳銃だ。丸い蛇の目模様の安全止めがついている。…
安達はズボンをまくり上げ、右足に細ヒモでくくりつけた。
---引用終わり---
註:【ペルナンディけん銃】2回目
表記【ヴェルナディリV・B】
隠し場所 右スネ

1958年07月から12月頃までの間 初出誌不明
『屍を越えて』短編●
1961年01月「縄張り」浪速書房
---引用---
服の裏のネームでは、その男は高木といった。明は高木の左右の尻ポケットから、平べったいベルナルデイリ〇・二五の超小型拳銃と、ブラック・ジャックを奪った。

サッと隠し戸がひきあけられた。大滝は尻のポケットから拳銃を抜きだしながら身を沈めた。明の小さな拳銃と用心棒の巨砲が同時に火を吹いた。ラムのビンが微塵に飛びちった。用心棒が拳銃を投げだし、右肩をおさえて転げまわった。
明は大滝の方に銃口をむけた。
大滝は素早く由美子の肩を左手でつかみ、その腰部に安全止めを外した七・六五ミリのブローニング自動拳銃をおしつけていた。
明と由美子の悲痛な目が空中でからみあった。明の右手は力なくたれさがった。ガシャンと音をたてて拳銃が落ちた。
------
註:【ペルナンディけん銃】3回目
表記【ベルナルデイリ〇・二五の超小型拳銃】
隠し場所 手に持ったまま

1958年末頃推定
東京でAAAAと再開。
『野獣の青春』エッセイ AAAAについての記載
---引用---
一昨年(1958年)東京で再会した。立派なヤクザになっていた。今度親分の命令で背中いっぱいに入墨を彫るのだと威張っていた。高校時代の面影はどこにも見当たらなかった。
---引用終わり---
大藪が有名になったから、AAAAから接近してきたのであろう。

1959年02月号 「面白倶楽部」光文社 2021.12.15確定
『その罠を噛み破れ』中編●
1959年08月「明日を消せ」光書房
---引用---
戦後しばらくは旧日本軍の拳銃がはばをきかせ、しばらくして岩国のベースから広島へ米軍の制式拳銃の分解品が流れ、神戸を伝わって都内にもぐりこんできた。しかし、このところそれは精巧なコルト・スーパー・38、ブローニングFN-32、モーゼルM-32、ルーガーP08などに変ってきた。
掌に入るように小さなイタリア製V・Bベービーや、
消音装置つきのまで現れた。一九四四年ヒトラーがナチス親衛隊のためにチェッコで作らせた無音拳銃までが日本に密輸され、国内には百種類を超す拳銃がひしめいている。
-------
註:【ペルナンディけん銃】4回目
表記【V・Bベービー】
隠し場所 無し(拳銃名の羅列だけ)

1959年06月号「小説倶楽部」桃園書房
『次は誰だ!』中編●
1959年08月「明日を消せ」光書房
---引用---
そして今……。俺は呼びよせた高級パン助の来るのを待っていた。奴らと寝るごとに俺は荒れた。ひっぱたいて前歯をへし折った時もある。
島津の情婦の美智子の冷ややかなまなざしを想いうかべて、無性に腹がたつのだ。
それでも、女は来た。俺の悪名に憧れるのか、あるいは寝る時も脚につけている、超小型ヴェルナルディリの自動拳銃を離さぬ俺にスリルを感じるのか。

俺は一瞬にして事態をさとった。サッと膝をついて足につけた自動拳銃に手をのばした。…
---引用終わり---
註:【ペルナンディけん銃】5回目
表記 【超小型ヴェルナルディリ】
隠し場所 スネ

1959年推定 初出誌不明
『夜に潜む』●
1961年01月「縄張り」浪速書房
---引用---
…その造花の束を捨てて花ビンをひっくり返すと、青光りした小型の拳銃が転がり出た。そのあとから、かさばった重い油布が続いた。
拳銃はイタリア製ヴェルナルディリ。口径〇・二五インチ、全長わずか四・1/8インチの六連発自動拳銃だ。全体がひどく小さいので引金の部分がずいぶん大きく見える。銃把はベークライトだ。
江原は油布をひろげた。その中にはレミントンの実包が五十発ほどとスピンドル・オイルの小さな罐が入っていた。
江原は拳銃の遊底被(スライド)を左手で引いた。銃身と遊底の主要部が露出した。江原は銃把の左後ろのボタンを右の親指で圧(お)しつけておいて、スライドを上にポツンと外した。遊底部分や引金の爪にオイルを注ぐ。再びスライドを銃にはめこみ、後にひいた。手をはなすと、バネの力でスライドは前に戻り撃発状態になった。引金をひくと、軽やかに撃針は空をうつ。
江原は再びスライドを引き、スライド・ストップの掛金をかけ、遊底を開いたままにした。銃身の後ろの薬室に実包をつめようとして考えなおした。安全止めはあっても、暴発のおそれがある。掛金を外してスライドをもとに戻し、銃把の弾倉室から弾倉をひきぬく。
挿弾子の上端から〇・二五の被甲弾を一発ずつ五発つめる。弾倉を弾倉室にカチンと戻して、チュッと銃把に接吻した。
卓子の抽出しから幅の広いゴムのバンドを出し、右のズボンの裾をまくって、臑にはめる。皮膚とバンドの間に自動拳銃を差し込む。ピチッと固定した。

江原は素早く行動を開始した。両手首をしばられた手を右膝に走らせ、ズボンの裾をまくりあげて臑につけたヴェルナルディリ小型自動拳銃をひきぬいた。
超小型自動拳銃のスライドを歯でくわえて引いた。歯をはなすと、スライドは弾倉の弾をひっかけて薬室におくりこんだ。ピチッと音がした。
金属音を聞きつけた達は、懐中電灯の光をサーッと江原に投げた。罵声を発して懐中電灯をすてた。甲高い音をたててレンズが砕け、一瞬にして闇が襲ってきた。

江原は達のポケットから自分の財布を奪いかえした。ライターが焦げるように熱くなってきた。江原はライターをポケットに落とし、奪ったS・Wを右手に、左手にヴェルナルディリを構えてガレージからとびだした。

ワイシャツの下の腹には、目だたぬようにヴェルナルディリ小型自動拳銃を差してある。全弾装填してある。

江原の右手は蛇のようにマットの下にのびた。隠してあったヴェルナルディリを抜き出し、素早く安全止めを外しながら引金を絞る。振りむきかけた社長の手からブローニングが快音を発してふッ飛んだ。
社長は痺れた右手をおさえて茫然と突っ立っていた。
江原は左手に持ちかえた拳銃の銃口で社長を威嚇しながら、床に落ちた空薬莢を拾ってポケットに入れた。
---引用終わり---
註:【ペルナンディけん銃】6回目
表記【イタリア製ヴェルナルディリ】
隠し場所 右スネ

1959年10月21日
『小林信彦60年代日記 1959~1970』
(「引用するな」とのことなので、おこった事実のみ書く)
による↓
---
大藪のアパート
狭い
布団の中で革ジャンパー着たまま執筆
ライフルで新聞紙のつまったミカン箱を撃つ。
隣人の文句はないのかと問うと
「慣れている」
名刺の肩書が
<早大大学院英文科、作家>であった。
---

1959年後半頃推定
AAAAフケる。
『野獣の青春』エッセイ AAAAについての記載
---引用---
しばらくして(1959年?)また訪ねてきて、ヤバイことがおこったから逃亡(フケ)ると言い、遊びにきていた女の子の財布を無断借用して消えた。
---引用終わり---

1960年01月17日号~1960年12月25日号「アサヒ芸能出版」週刊アサヒ芸能
『みな殺しの歌』●
『凶銃ワルサーP38《続みな殺しの歌》』●
1961年06月「みな殺しの歌」アサヒ芸能出版
内の
1960年04月17日号掲載『生への渇望』
---引用---
衣川は銃身で中尉の耳をひっぱたいておき、グローブ・コンパートメントの中を手探りした。掌に入るほど小さいヴェルナルディリ〇・二二口径六連発自動装填式拳銃が隠されてあった。
1960年04月24日号『巣』
「便利なものを持っているじゃないか」
衣川は、左手でグローブ・コンパートメントから引っぱりだした〇・二二口径ヴェルナルディリの超小型自動拳銃を見つめた。
そのイタリア製拳銃は、小さいだけでなく非常に軽かった。銃把はベークライトでできており、銃身も極端に短かった。…
衣川は左手でヴェルナルディリ小型自動拳銃を引っぱり出してみた。遊底の後に撃発を示す示針が突き出していないところを見ると、薬室は空になっている。
銃把の弾倉室から、弾倉を抜いて調べてみると、〇・二二ロング・ライフル・ハイ・スピードの実猟用ホロー・ポイント弾が六発詰まっていた。護身用には十分役立つだろう。
弾倉を弾倉室に戻した衣川は、掌より小さいその超小型自動拳銃をどこに隠そうかと迷った。
ズボンの裾をまくりあげて臑にくくりつけるのもいい。しかし、衣川はソフトを脱ぎ、それをひっくりかえして裏地の縫い目を少しはがした。そこからソフトに小さな自動拳銃をさしこんだ。
ソフトをかぶり直してみた。
頭上の小さな自動拳銃の重みは、慣れるとほとんど感じないほどになった。…
衣川は小型拳銃をひそめたソフトを目深にかぶり、茶褐色のサン・グラスをかけていた。…
---
註:【ペルナンディけん銃】7回目
表記【ヴェルナルディリ〇・二二口径六連発自動装填式拳銃】
隠し場所 ソフト裏地の縫い目内
ここから
 1960年09月上旬号まで【ペルナンディけん銃】が出てくる。
 1960年09月中旬/1960年09月25日号〆切より前に【ベレッタが三万円】買って以降、【ペルナンディけん銃】は出てこなくなるのだ。

1960年03月
「他殺クラブ」に入会

1960年06月頃
AAAA自衛隊にいる。
『野獣の青春』エッセイ
---引用---
いま(1960年06月頃)は名前をかえて自衛隊にいるらしい。
ヤクザの世界では、闇に消された人間の戸籍を買えるのだ。
---引用終わり---

1960年08月発行 短編集「鉛の腕」収録
『雨の露地で』AAAAがモデルとおもわれる
出生名と、闇戸籍名を使う主人公がでてくる。
登場人物
堪えたようなタッチで、暗い青春の傷口を書く売り出し中の新進作家小牧純一郎24歳(椎名町の寒々としたアパート二十五号室在住)と、
小牧の高校の同級生でヤクザとなり現在は天城一郎と名乗っている主人公菊池義男
「堪えたようなタッチ」つのがたまらないですな。

1960年07月号「婦人公論」
『野獣の青春』エッセイ AAAAについての記載部分まとめ
---引用---
(高松一高のグループに親の家や商品を抵当に入れて金回りのよい男。自殺を5回やったが身体が丈夫すぎて失敗)
この男には、
一昨年(1958年)東京で再会した。立派なヤクザになっていた。今度親分の命令で背中いっぱいに入墨を彫るのだと威張っていた。高校時代の面影はどこにも見当たらなかった。
しばらくして(1959年?)また訪ねてきて、ヤバイことがおこったから逃亡(フケ)ると言い、遊びにきていた女の子の財布を無断借用して消えた。
いま(1960年06月頃)は名前をかえて自衛隊にいるらしい。
ヤクザの世界では、闇に消された人間の戸籍を買えるのだ。
---引用終わり---
AAAAは、大藪とこへ始終来ていたとわかる。

□1960年08月号「宝石」
江戸川乱歩 筒井康隆『お助け』を「NULL」創刊号から転載

1960年09月中旬/1960年09月25日号〆切より前
ローマ・オリンピック帰りの猟友(ヤクザ)から
作家になる前からすんげえ欲しかった、
予約しておいた一番小さいベレッタである【ベレッタが三万円】M950Bジェット・ファイアー.25ACPホルスター付きを3万円(2022年の価値にして40万円位か)で購入所持。
 1969年04月15日号「週刊プレイボーイ」掲載
『俺は再びガンを持てる!』より↓
---引用---
昔は銃砲取締りがあまり厳しくなかったので、僕はつい、ローマ・オリンピックから帰った銃砲ブローカーをしている猟友から拳銃を二丁ゆずってもらっていたのだ。
---引用終わり---
ローマ・オリンピックは
1960年8月25日から1960年9月11日まで
【ベレッタが三万円】初登場は
1960年09月25日号「アサヒ芸能出版」週刊アサヒ芸能
『みな殺しの歌』『サディスト』の章
発売日は一週間前として
1960年09月18日
〆切がその一週間前として
1960年09月11日
ピッタリです。
買った夜、一気呵成に一晩で書いたのであろう。

小林信彦証言
---
小林「それでねえ」
大瀧「ああ」
小林「安かったすよね」
大瀧「はあー↓」
小林「だかあのー。例えば給料が、まあ一万五千円、僕の給料が一万五千円ぐらいかな」
大瀧「はぁい」
小林「そうすっと、僕の、僕はその、ぎっ人の家を、の二階借りてたからそこへは来ませんけどね。家構えてると、拳銃ブーム、で好きそうな人のところ来たすよ」
大瀧「売りに来た」
小林「お金がないから向こうが」
大瀧「はあああ」
小林「すとねえ。だいたい僕の記憶じゃ、【ベレッタが三万円】ですよ」
大瀧「おっおー、そんなもんで手に入ったんですか」
小林「僕は、大藪、春彦の家で見たから」
大瀧「あっふ」
---

1960年09月25日号「アサヒ芸能出版」週刊アサヒ芸能
『みな殺しの歌』●
「サディスト」
【ベレッタが三万円】買っちゃったから、ベレッタ・ミンクスなどが出てくる。
---引用---
…と、ポケットから、イタリー製ベレッタ・ミンクスと、ウィンチェスターの子会社であるウエスターン製〇・二二ショートの五十発入り弾箱を出し、卓子の上にドスンと置いた。

田辺は、ベレッタ・ミンクス自動拳銃の銃把の弾倉止めを圧し、弾倉室から弾倉を引き抜いた。
その弾倉のバネをサイド・レヴァーで圧縮しておき、ニッケルの薬莢に包まれた可愛らしいほど小さな実包を、次々に八発落していった。
(「八発」は、.25ACPが弾倉に8発なので同じとおもったため誤記。.22ショートは弾倉6発つー情報と7発つー情報がある)
銃把の弾倉室に、装填した弾倉を叩きこんだ。遊底を引き、手を放して遊底を閉じさせ、弾倉上端の実包を一発、薬室におくりこんだ。
---引用終わり---
【ベレッタが三万円】1回目初登場
隠し場所 無し
※これ以前に【ベレッタが三万円】的なものの記載あっても、まあいっぱいあるのだが、
買っちゃった【ベレッタが三万円】に係る記述ではないから、
【ベレッタが三万円】の記載とはならぬ。

1959年10月21日←『小林信彦60年代日記 1959~1970』による 
から
1960年末頃まで
小林信彦証言
小林「すとねえ。だいたい僕の記憶じゃ、【ベレッタが三万円】ですよ」
大瀧「おっおー、そんなもんで手に入ったんですか」
小林「僕は、大藪、春彦の家で見たから」
大瀧「あっふ」
小林「ベレッタをね、枕の下に入れてんですよ」
大瀧「ふっふっふっ」
小林「007じゃないっつんだよ」
大瀧「子供じゃないんでしょ、それ」

小林「それであのー、出るときにねえ。あのー、
ショルダーホルスターへね、あの背広の下へね、入れてね、こ鏡向かって」
大瀧「こぉれがねええええ」
小林「「これ、わかんないだろう、これだと」ってゆう。わかんないとおもって、捕まったら」

小林「それでかっ壁にね穴がいっくらもあるんすよ」
大瀧「あっぶねぇー」
小林「これなんだ? って云ったらね、柱に」
大瀧「それで撃ってんの」
小林「したら、いや、ピストルですよ、抜き撃ちを」
大瀧「(大声)部屋の中で!」
小林「抜き撃ちの練習してんすよ」
大瀧「えっふっふっふっふっふ」
小林「それでねー。それでーそのーねぇ」
大瀧「早撃ち、何秒、何秒かって(うれしそう)」
小林「そうそうそう。で、柱もう一杯になちゃったんでねー」
大瀧「うん」
小林「そいでこのーねえ。(安土として)みかん箱にね新聞紙を縦に入れんすよ」
大瀧「はい」
小林「であれ、突き抜けないんですよ」
大瀧「ほぉー」
小林「そうすっと、それに向かって、こう撃っ、撃ってるうちにね。まっ手元が狂って、隣の部屋に撃ってね、隣のおやじが酒飲んでるとこ、パァーン。物凄いおこっ怒られたという」
大瀧「ギャグじゃないですかそれ」

小林「そいで。んのうち二階が空いてね、二階が六畳と四畳半かな、そこが空いたんですよ」
大瀧「ううん」
小林「それまで
四畳半一間で撃ってんですからねー」
大瀧「うふふっ」
小林「そいで六畳、と四畳半とこ入って。で六畳の方にガンケースがあって」

小林「あんのー窓んとこへ、やっぱざあ本当に1960年んすよ。
窓んとこ行ってね。「ふろ風呂屋の煙突見てろ」っつ云うんですよ」
大瀧「ふふ」
小林「そいで僕に双眼鏡渡してね、見てろって言うんで見てるとねー。
彼が、あのーあれですよ、ええとあのー、撃つ撃つわけですよ」
大瀧「はい」
小林「そうするっとねー、煙突の上の方に黒い煙がパーッと上がるんですよ」
---

大藪本人の弁
---引用--『俺は再びガンを持てる!』---
僕は車でもそうだが、メカニズムが好きで、分解組み立てして一人で楽しんでいたのだ。
---引用終わり---

1961年02月「梅ヶ丘時代」一軒家,駐車場なし
担当編集者だった静竜子と結婚。媒酌人佐賀潜(弁護士松下幸徳)
世田谷区梅ヶ丘に転居。
 つーことは大藪の結婚式披露宴には、星新一も必ずや参列していたハズだ。

1961年03月11日
大藪、日活国際ホテルで行われた
星新一の結婚披露宴に参列。
司会:前田武彦
参列:大下宇陀児,渡辺啓助,今日泊亜蘭,城昌幸,
(他殺クラブ)佐野洋,多岐川恭,新章文子,大藪春彦,水上勉,河野典正
「宇宙塵」関係者
(編集者)大坪直行,小林信彦,福島正美,石川光男
仁賀克雄,永六輔
小松バレー団バレリーナのみなさん
など。
なお、「他殺クラブ」は↓
 日活1959年05月26日公開 映画『街が眠る時』の原作である、
 1958年「講談倶楽部」講談社 掲載『街が眠る時』の盗作疑惑
 1960年『火制地帯』の盗作疑惑により、
 1960年03月入会した「他殺クラブ」を、1960年08月脱会。
脱会していたんだけどね。

1962年07月27日号「漫画ストーリー」双葉社
『腐った罠』AAAAに取材、高松市坂○組がモデル

1962年08月~10月頃
大藪がAAAAに【ペルナンディけん銃】を「一晩だけ抱いて寝たい」といわれ、詐取さる
---引用--『俺は再びガンを持てる!』---
昭和三十七年(1962年)頃に僕は梅ヶ丘に住んでいた。Aは家の近くのタクシーの営業所に勤めていた。Aは何回か僕の家に遊びにくるうち、
つい僕が見せた拳銃のうちの一丁を、一晩だけ抱いて寝たいからと持っていき、そのまま逃げてしまったのだ。
---引用終わり---

1962年10月号~1963年09月号まで12回連載「推理ストーリー」
大藪 連作短編『名のない男』第1回『剥かれた街』
主人公「私」の愛銃↓
【小型自動拳銃ベレッタ〇・二五口径モデル九五〇】
---引用---
…脇の下からホルスターをはずし、小型で非常に軽量のベレッタ〇・二五口径自動拳銃モデル九五〇を、ズボンの裾をまくって臑にくくりつけていおいた。
…私のズボンの下に拳銃が隠されていると気づいた者は一人もいないであろう。二五口径のベレッタ・モデル九五〇は掌にスッポリとおさまるほど小さくて軽いのだ。
…いつもは、それを臑にくくりつけたホルスターに隠しているのだ。
…ズボンに隠された臑に、それだけを私が頼りにしている小型自動拳銃ベレッタ〇・二五口径を括りつけてあるのだ。
…いきなり枕を蹴とばされた。私が枕の下に隠してあった小型自動拳銃ベレッタが、鞣し革のホルスターに入ったまま部屋の隅に飛んだ。
---
【ベレッタが三万円】2回目
隠し場所 スネとマクラ
※【ペルナンディけん銃】と違って、【ベレッタが三万円】は小説にはあまり登場しないのだ。

1962年11月~1964年末頃か推定
AAAAが坂○組長BBBB(不明)に、
【ペルナンディけん銃】を7万円で売却←組員TT(25)が目撃

●---AAAAの経歴一覧
1937年生まれ

1953年~1956年 高松一高
大藪と同窓
在籍中
親の家や商品を抵当に入れて金回りがよい。
自殺5回するも身体丈夫すぎて失敗。

1958年 高松市坂○組
大藪と再開。立派なヤクザとなった。おそらくは高松市坂○組員。
親分の命令で背中いっぱいに入墨を彫るのだと威張る。
高校時代の面影はどこにも見当たらぬ。

1959年 フケる
大藪再訪。ヤバイことがおこったから逃亡(フケ)ると言い、遊びにきていた女の子の財布を無断借用して消える。

1960年06月頃 自衛隊
名前をかえて自衛隊にいるらしい。
ヤクザの世界では、闇に消された人間の戸籍を買える。

大藪
 1960年08月発行 短編集「鉛の腕」収録
 AAAAがモデル『雨の露地で』短編
 1960年07月号「婦人公論」
 AAAAについても記載『野獣の青春』エッセイ

1962年06月~07月頃 梅ヶ丘近くのタクシーの営業所勤務
大藪の住所梅ヶ丘近くのタクシーの営業所に勤める。
何回か大藪の家に遊びにくる。

大藪↓ AAAAに取材し
 1962年07月27日号「漫画ストーリー」双葉社
 高松市坂○組がモデル『腐った罠』短編

1962年08月~10月頃 けん銃手交→詐取
大藪がAAAAについうっかり拳銃を二丁(【ペルナンディけん銃】,【ベレッタが三万円】)見せる。(前から見せていたとおもふが)
そのうちの一丁【ペルナンディけん銃】を、一晩だけ抱いて寝たいからと持っていき、そのまま逃げる。
『腐った罠』書いたのがまずかった。
「教えてやったぢやん」と云われるから。

1962年11月~1964年末頃推定 高松市会社員?
AAAAが坂○組長BBBBに、【ペルナンディけん銃】を7万円で売却
このとき、たぶん住所も高松市であろう。

1965年02月末頃 香川県高松市××××会社員
AAAA(28)逮捕 
友人の香川県高松市××××、会社員AAAA(二八)にイタリア製ピス
トル「ペルナンディ」一丁と実弾十二発をプレゼントした疑い。
であり、住所が香川県高松市××××、会社員となっている。

大藪
 1969年04月15日号「週刊プレイボーイ」掲載
 『俺は再びガンを持てる!』エッセイ
 逮捕のいきさつ。AAAAについても記載(この後、AAAAの事は書いていないハズ)

---AAAAの経歴一覧おわり---
なーるほど。
いかにもAAAAのことを小説にしたりエッセイに書きたくなるなあ。

時期不明/原因不明
坂○組長BBBBから坂○組員CCCC(31)へ、【ペルナンディけん銃】譲渡

1964年 初出不明
中編『ベトナム秘密指令』
※1965年01月01日単行本初版なのでこの時期と推定。
全編「ベレッタ・ジェットファイア」が、スネ拳銃として大活躍。
主人公「水野洋治」の愛銃(官給品)
【ベレッタ・ジェットファイアの二十五口径】
---引用---
(任務に行く準備中)
…磯部は言い、今度は百ドル札の束と小さな自動拳銃を出してテーブルに置いた。拳銃はベレッタ・ジェットファイアの口径二十五。それも銃身わずか二インチ、全長四・七インチ、重量は三百グラムちょっとしかない。それが鞣し革のケース(ホルスター)にひっそりと入っている。ホルスターは肩掛け式や腰吊り式でなく、環式の短いバンドがついていた。
水野は弾倉を抜いて、そのなかに六発の実包がつまっているのを確かめた。
(「六発の実包」は誤記とおもふよ。.25ACPは弾倉に8発。.22ショートは弾倉6発つー情報と7発つー情報がある)
磯部は、
「君も知っているようにむこうに行けば弾薬はいくらでも手に入る。もっと威力のある銃もな。だから、この拳銃は純然たる護身用だ。
【足首にでもつけていたら便利だろう。】…

(任務地その1タイに着いた)
左の足首の内側の膝寄りにつけているベレッタ・ジェットファイアの小型自動拳銃を外してベッドに突っ込んだ。…
枕の下に拳銃を突っ込み、催眠剤を飲んでベッドにもぐりこんだ。

水野は左足につけたベレッタ・ジェットファイアの超小型自動拳銃をズボンの裾の上からそっと触れてみた。ホテルを出る前に、薬室にも装填してある。

足首から外したベレッタ・ジェットファイアを水野が乾草のベッドに突っ込むのをサリーに気づかれずに済んだ。

水野は弓なりに反ったサリーの体を抜けて自分の胸にくいこむ弾の与える衝撃と苦痛に耐えながら、ベレッタの引金を目にもとまらぬ早さで四回絞った。小さな二十五口径の弾薬でも銃身が短いためにかなりの音をたてる。…
素早くズボンをはき、その左右の尻ポケットにホルスターに入ったままのルーガー拳銃とグリース・ガンのもう一本の予備弾倉を突っこんだ。ベレッタ拳銃は脚につける。

(任務地その2ベトナム着)
水野が脇の下に吊ったルーガーと足につけたベレッタの弾倉には、すでに昨夜補弾してある。

水野は血のめぐりをよくするかのように両手を振った。次の瞬間、足首に隠したベレッタを引き、チャンの心臓を射ち抜いた。倒れかかるチャンの手から火炎放射器のノズルを引ったくり、調節バルブを最大に廻してノズルを左右に払った。
---
【ベレッタが三万円】3回目
隠し場所 左スネ,ベッド

1965年02月14日
【ペルナンディけん銃】拳銃押収/CCCC(31)逮捕か,坂○組長BBBB(不明)逮捕か

1965年02月末頃まで 高松北署にピストル不法所持の疑いで逮捕
高松一同窓AAAA(28)逮捕 【ペルナンディけん銃】を大藪からプレゼントされたと主張

1965年03月01日午後01時45分
大藪春彦(30)逮捕
香川県警捜査二課と高松北署,警視庁組織暴力犯罪取締本部
香川県警本部暴力特別取り締まり班ともある
ピストル不法所持の疑いで自宅で逮捕
東京駅発の「ひかり十七号」で高松北署へ腰縄付きで護送
名古屋駅で記者に囲まれ、新幹線3分間遅延
記者団が、東京駅出発には間に合わなかったのであろう。

1965年03月18日 「週刊現代」
『”拳銃作家”大藪春彦と妻の5年間 暴発に泣いた竜子夫人のショックと誤算』
---引用---
捜査の後、刑事が春彦に会って任意同行を求めると、
「今は依頼された原稿もあるので、応じられない」
と、拒否した。そこで捜索令状は直ちに逮捕令状に書き換えられた。
------
なので、うぃき記載の自首は誤り。

小林信彦証言
---
小林「んんだから大藪春彦が、捕まったのはね。四国のヤクザが吐いたんですからね」
大瀧「あ、そうですか。へぇーえ」
小林「ええ。でえー」
大瀧「入手ルートはそこだったんですか」
小林「入手ルートは、大藪春彦だったうっふっふ」
大瀧「うっふふふっ」
小林「それで、いやあのねえ、売りに来たんですよ」
大瀧「売ってたんだ」
小林「拳銃を」
大瀧「ほぉー」
---

1965年03月18日 「週刊現代」
『”拳銃作家”大藪春彦と妻の5年間 暴発に泣いた竜子夫人のショックと誤算』
---引用---
「高松で暴力団の拳銃摘発をやったところ、押収したイタリア製のベルナンディ・ブローニングがあなたの手から流れていることがわかりった。あなたが銃をわたしたAAAAはすでに逮捕ずみだが、彼が暴力団に売りわたしたたものだ。家宅捜索させてほしい」
刑事の言葉に、春彦はさすがに身を固くしたようだった。
一行七人の家宅捜索の結果、許可証のないスプリングライフル一丁と、ライフル銃弾千発、48口径、45口径などの実弾六発、そのほか短刀、散弾などが発見され、いずれも押収された。

「大藪春彦の事件でわかっていることといえば、大藪がAAという男に拳銃を手わたし、AAがそれを高松の暴力団坂○組の組長(引用註:坂○組二代目組長BBBB)に七万円で売ったという事実ぐらいだ。大藪はその拳銃を米人軍曹から二万円で買ったといっているが、まだ、その軍曹の正体もわからない。大藪の裁定についてはなんともいえぬ」
(警視庁組織暴力取締本部)
------

1965年03月02日(火)新聞記事
---引用---
作家の大藪春彦を逮捕
香川 友人にピストルをおくる
香川県警捜査二課と高松北署は警
視庁組織暴力犯罪取締本部の協力
で一日午後一時四十五分、東京都
世田谷区松原町×××××、作家
大藪春彦(三〇)をピストル不法所持
の疑いで自宅で逮捕した。自宅を
捜索した結果、無届けのライフル
銃一丁、実弾一千発、カービン銃
用実弾一千発も押収した。大藪の
身柄は同三時、東京駅発の「ひか
り十七号」で高松北署へ護送し
た。
調べによると、大藪は三十七年八
月ごろから十月ごろまでの間に友
人の香川県高松市××××、会社
員AAAA(二八)にイタリア製ピス
トル「ペルナンディ」一丁と実弾
十二発をプレゼントした疑い。A
Aは大藪とは高松市の高校時代の
友人で、すでに高松北署にピスト
ル不法所持の疑いで逮捕されてい
る。
------

1965年03月01日夕刊又は1965年03月02日朝刊
---引用---
大藪春彦を逮捕
ピストル不法所持の疑い
写真キャプション 大藪春彦
【高松発】
香川県警本
部暴力特別
取り締まり
班は一日午
後一時十分○東京都世田谷区松
○○○○×××、ハードボイルド作
家大藪春彦○○○○○○○○○
○○○○○○、○○○○○○○
○○○○の疑いで逮捕した。大藪
は○○○○十○○○○○○○○○
十一月一○○○○○○○○○○
ペルナンディけん銃一丁を不法に
に○っていた疑い。また家宅捜索
の結果、未届けのライフル銃一丁、
実包千発、カービン銃の実包千発
を押収した。
○取り締まり班○○○○○○○
る一四日高松市内暴力団四○○
手入れしたとき、同市××××○
坂×組員CCCC(31)方から○○
のけん銃を押収。追求したとこ○
これが大藪から流れてきたも○○
わかり大藪の○○となった。
------

1965年03月中旬推定
【ベレッタが三万円】警察に提出
---引用--『俺は再びガンを持てる!』---
ともかく、僕は残っていたもう一丁(【ベレッタが三万円】)も警察に提出、裁判で有罪判決を受けた。…
---引用終わり---

1965年03月22日
高松北署に21日間拘留後釈放

1965年秋頃推定
高松地方裁判所の審理で、懲役1年執行猶予3年判決。
この事件のため仕事激減。ハンターのガイドまでやった。
1970年1月号「AUTO SPORT」インタビュー記事『トップドライバーの恋人は? 契約金は?』
---引用---
北野「だから、大藪さんなんかも下がればスパッとですね」
大藪「パクられたときにそうでした。それで、クソッとおもったんです。「それじゃ、そんなところに書かない」と言って不貞腐れったら、それでまた三倍にパッと上がった(笑)」
------

1965年03月逮捕~判決~1966年03月行政処分の間は、
猟銃の所持許可はそのままだった。

1966年03月
大藪 東京都公安委員会から、猟銃の所持許可を取り消され、以後3年間(1969年03月まで)猟銃を所持できず。
註:行政処分。
「週刊プレイボーイ」1969年04月15日号掲載『俺は再びガンを持てる!』より↓
---
そして四十一年(1966年)三月。前年の事件のせいで、僕は公安委員会に猟銃の所持許可を取り消された。
(註:1966年03月迄は猟銃を所持できてたんだな)
取り消されると、三年間猟銃を持てない。そのショックで茫然としていた僕は階段から落ちて腰を痛め、さらに悪い事は重なって、チリーまで盗まれてしまった。
僕は発狂しそうになった。身から出たサビとはいえ、なつかしい冬枯れの猟場にも、六十秒十発の速射の号令を待ってライフルを腰だめにして待つ米軍大口径射場へもお別れか……。
僕を発狂から救ったのは仕事であり、モーター・スポーツであった。四十一年(1966年)は網や罠の甲種狩猟免許を受けると共に、所持許可のいらないボウガンで猟場にも出てみたが、自分がみじめでやめてしまった。
…執行猶予期間はとっくに過ぎているし、この(1969年)四月で法的には再び猟銃が持てる筈だ。これからも権力に身を売る積もりはないが、公安委員のかたがか、ぜひとも僕が再び猟銃を持つ許可をおろしてもらいたい。…
---

1969年04月15日号「週刊プレイボーイ」掲載
『俺は再びガンを持てる!』AAAAについても記載
よかったですな。
この後は、AAAAのこと書いていないとおもわれる。

1973年09月 TOKYO BOOKS
『沈黙の刺客』
「捕える」
---引用---
…そして、ジャガーの向こう側に、四つのソフト帽の一部が見えた。

両肘と両膝を射ち砕かれて倒れた男は悲鳴をあげ続けていた。近くに転がった
【ソフトのなかに、小型のヴェルナディリ拳銃がテープで留めて】あった。
信原が近づいたとき、油断を見すまして、その拳銃で射とうと考えていたのであろう。
---引用終わり---
註:【ペルナンディけん銃】8回目でたぶん最後の登場 
表記【ヴェルナルディリ〇・二二口径六連発自動装填式拳銃】
隠し場所 ソフト内側テープ止め

そして、たぶん大藪最後の【ソフト拳銃】。
1973年といえば、1965年03月01日逮捕から8年。
1969年04月01日猟銃再許可からも4年経過している。
もうソフトかむる人も居なくなっている頃だ。
たぶん「四つのソフト帽の一部が見えた」と書いてしまい、
「ソフト帽」→【ソフト拳銃】→【ヴェルナディリ拳銃】と連想したのであろう。
【ソフト拳銃】であるから、【ペルナンディけん銃】V.B. ○○でキマリだ。
この【ヴェルナディリ拳銃】は拾われも、壊されも、遠くに投げられもせずに、上記の描写だけでおしまいである。

●---堪えたようなタッチで血まみれの大藪春彦結論的年表---おしまい---●
-----------------
いろいろわかって気持ちが良い。

拳銃の隠し場所探求

【ペルナンディけん銃】の作品内での隠し場所
右スネ,右スネ,手に持ったまま,無し(拳銃名の羅列だけ),スネ,右スネ,ソフト,ソフト
【ベレッタが三万円】の作品内での隠し場所
無し,スネとマクラ,左スネとベッド
【ペルナンディけん銃】の大藪本人の隠し場所
不明
【ベレッタが三万円】の大藪本人の隠し場所
小林「ベレッタをね、枕の下に入れてんですよ」
小林「それであのー、出るときにねえ。あのー、
ショルダーホルスターへね、あの背広の下へね、入れてね、こ鏡向かって」
大瀧「こぉれがねええええ」
小林「「これ、わかんないだろう、これだと」ってゆう。わかんないとおもって、捕まったら」
 ↓よって
作品内では
スネ拳銃は【ペルナンディけん銃】と【ベレッタが三万円】の両方
ソフト拳銃は【ペルナンディけん銃】だけ
マクラ拳銃/ベッド拳銃は【ベレッタが三万円】のみ
実銃では
【ベレッタが三万円】マクラ下とセビロ下のショルダーホルスター
【ペルナンディけん銃】実銃の隠し場所は不明だが、まっスネとソフトでしょ。あとマクラか。
であった。

2023.01.12 追記
【ペルナンディけん銃】はショルダー・ホルスターがなかったので
「セビロの下に隠すが」したいのにできなかった故、
【ベレッタが三万円】では、予めショルダー・ホルスター付きを注文していり、
ショルダー・ホルスター有りとなり、
うれしくてセビロに下に隠したついでに、
来る編集者来る編集者にみせびらかし、
あまりのうれしさに、
そのうちの一人で非常に確かな記憶力を持った上詳細な日記をつけていた
小林信彦にみせたから、
小林「それであのー、
【出るときに】ねえ。あのー、
【ショルダーホルスターへね、あの背広の下へね、入れてね、こ鏡向かって】」
と、こうなってしまい、
あげく、
この大藪春彦GUN研究に至る、
のであろう。
まっ、【これ、わかんないだろう、これだと】をみせなくても、
小林「それで
【かっ壁にね穴がいっくらもあるんすよ】」
大瀧「あっぶねぇー」
小林「これなんだ? って云ったらね、柱に」
大瀧「それで撃ってんの」
小林「したら、いや、
【ピストルですよ、抜き撃ちを】」
大瀧「(大声)部屋の中で!」
小林「【抜き撃ちの練習】してんすよ」
弾痕だらけの壁じゃあすぐわかるか。

----------
・初期短編にはちょくちょく
【ラーマ拳銃】つーの
(主に安物としても記載/一人だけうれしくて心臓をどきどきさせたけどね/スペイン製)
【ベアード拳銃】つーのが出てくる。
中期以降(逮捕以降~病気する1982年頃までを便宜的に中期とする)には出てこないんだよね。

----------
筒井康隆著
2013年01月号~10月号 「群像」
『創作の極意と掟』
2014年02月28日発行 講談社
大藪春彦について二箇所記載がある。
『迫力』
---引用---
この場合、いっそのこと主人公を悪にしてしまう方法があり、これだと文学にもなり得るわけで、「罪と罰」がそうだし「赤と黒」もそうだろう。昔のミステリーでいうなら大藪春彦の諸作、最近のエンターテインメントで言うなら週刊文春や「このミス」で一位、山田風太郎賞受賞の貴志祐介「悪の教典」が「えげつない」ど迫力で大評判である。
---引用終わり---

もう一箇所ある。
『細部』
フローベルの『ボヴァリー夫人』を引用した後、
---引用---
蟻のくだりはつい笑ってしまう。大藪春彦がその作品の中で、処女が野外で強姦される場面に「血だまりの中で蟻が溺れていた」と書き、その描写を気に入ったらしい彼が、他の作品で何度も使っていたことを思い出したからだ。面白い細部は読者が覚えているのだから、他の作品で何度も使ってはいけない。
---引用終わり---
とある。

そんなところあったかなとおもっていたところ。
あったあった。

2023.05.17 追記
たぶん最も早いのみつけたわよ
初出誌不明
『揉め事は俺に任せろ』短編●
1958年10月15日「野獣死すべし」講談社
※大藪初の単行本。
『野獣死すべし』,『揉め事は俺に任せろ』,『街が眠る時』つーすてきなラインナップ。
2023.08.15 追記
---引用 全体の真ん中へん---
キャメルのトップコートを着た先補の男が、ぐしゃぐしゃに叩き潰された後頭部をさらけ出して、血溜まりのコンクリート床に向こうむきになって倒れ、赤蟻が長い行列を作ってせわし気に行き来していた。…
津村は口笛を吹くような形に唇を尖らせたが、音は出なかった。赤蟻を乱暴に踏みにじると「慎重に迅速にか」とせせら笑い、靴先で男の顔を横向けて見た。
--引用終わり---
なーるほど。
死後の時間経過を特に強調しようとしたんだな。
んで、アリが気に入って↓
2023.05.17 追記
---引用 ラスト付近---
近づいて万年筆型の懐中電燈で照らすと、柴田は後頭部と背に弾を受けていた。熱い弾丸は左背から入って心臓に抜けていく時、焼火箸を当てたように小穴をジャンパーの皮にあけていた。頭からひっきりなしに血が流れ、土と朽ち葉の間に滲んでいく血溜まりの中で、逃げ遅れた森蟻が溺れていた。
---引用終わり---
殺害直後とわかる仕組みだ。
柴田で後頭部である。

初出誌不明
『テロリストの歌』短編●←『白い夏』よりこっちが先であろう
1960年08月「鉛の腕」荒地出版社
---引用---
警官は仰向けに地面に叩きつけられたまま即死していた。西瓜を潰したように割れた後頭部の射出口から流れる血が、蟻の行列を溺死させた。
---引用終わり---
警官で後頭部である。

初出誌不明
『白い夏』短編●
1960年10月「殺す者殺される者」浪速書房
---引用---
登志夫は、永い時間をかけて女の体を楽しんだ、女は初めてらしかった。
登志夫あと、健と有二は乱暴なやりかたで終わった。
女は目を開き、仰向けになったまま身じろぎもしなかった。真夏の太陽が白い裸身を照らし続け、女の瞳は不透明なガラス玉のように鈍く光っていた。血の池で、蟻が溺れていた。
---引用終わり---
処女で股である。

あはは。
しかも、後の二作。
短編集「復讐は俺の血で」初期短編集1
1982年11月20日 角川文庫 角川書店
の巻頭と二番目。
処女で股が巻頭、警官で後頭部が二番目。
なので処女で股によって蟻溺れと初めて出合う仕組みだ。
筒井は1982年当時、おそらくこの短編集読んで蟻のくだりが気になったのであろう。

---------------
なお、
往時の大藪春彦は影響力多大であった。
実社会にも多大な影響を与えている。
例:1965年07月29日少年ライフル魔事件(犯人の少年が大藪ファン,もっと殺せばよかったとか云っている)
 :1968年12月10日三億円事件(『血まみれの野獣』初出1968年01月が事件のモデルになったと言われた/大藪も事情聴取さる)
 :1979年01月26日三菱銀行人質事件(犯人が大藪ファン/犯行にガーバー・サカイ・シルバ一ナイト・シリーズ250A-P(2.5インチ,パールの柄)使用)
にも関わらず係る論文が無い。
こーゆーのは学者が論文書いて、タダで読めるようにしてもらいたい。
申請・採択式「科研費」などというイマワシイものなかった時代に書かれてもよかったハズだ。
(金出したのを恩に着せ「科研費」などと書かせるつーのもセコすぎる)
したら時間経っていないからより正確詳細にわかったのに。
ナニをしておるのか。
大藪が純文学でないが故に書かないは、金は盗むは人は殺すはの前記実社会への影響で否定されるゾ。
論文書いてあればそれを読むだけで済んだのよね。

--------
この章は数千文字でおさまるとおもっていたが、すでに17000文字。
とおもったら、たちまち24500文字かあ。

大藪春彦 うまい具合に 『枕にベレッタ 四畳半に抜き撃ち』 血まみれのシリーズ

大藪春彦 うまい具合に 1『枕にベレッタ 四畳半に抜き撃ち』 その1/小林信彦血まみれの証言の部
その1    7000文字
大藪春彦 うまい具合に 2『枕にベレッタ 四畳半に抜き撃ち』 その2/血まみれの大藪春彦年表の部_増補改訂版
その2    29000文字
大藪春彦 うまい具合に 3『枕にベレッタ 四畳半に抜き撃ち』 その3/血まみれの凶銃_増補改訂版
その3   29000文字
大藪春彦 うまい具合に 4『枕にベレッタ 四畳半に抜き撃ち』 その4/凶銃の血まみれのエピローグ続き_増設版
その4    4500文字
大藪春彦 うまい具合に 5『枕にベレッタ 四畳半に抜き撃ち』 その5/堪えたようなタッチで血まみれの大藪春彦結論的年表
本項その5  28500文字
  ----------------------
合計    98000文字≒250枚相当かあ。

いやー、ここまでわかるのに二年五ヶ月かかったゾ。
長かった。
もうじき大藪春彦入手できる限りは読了するんだな。
あと一冊がなあ。
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プレストレス導入によるA7075ぺらぺらねじ強化法

2023年07月15日 | 落車倶楽部
六角穴が無ければ、そっくり製作したらいいのだが。

おれさまが考えてやった。
分解図


組立図


・A7075は既設というか購買品
・円筒ねじは製作する
・極低頭キャップB 桃太郎
・特寸W ドブ 桃太郎
でそろう。

A7075の破断する隅部にプレストレスかけるつーのがミソ。
諸注意は図中に記載がある。
コメント (6)
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連作アクション感想文『おはなし! コウペンちゃん きみに会いにきたよ』深山くのえ著 小学館ジュニア文庫 発行所小学館 2018年10月03日初版第1刷 2019年03月31日第3刷 700円+税

2022年09月22日 | 書籍
五編入り短編集である。


コウペンちゃんはペンギンの小さいのでどうかするとピンク色だ。
その他コウテイペンギンだのシロクマ(正しくはホッキョクグマ)だの小鳥だのが、主人公が一人のとき又は隣室の婦女子と二人だけのとき、やおら出てきて、口をきいたり飯喰ったりする。
体長は文庫本~新書版程度であろう。

二編読了後に、
コウペンちゃん等はもしかしたら主人公ががんばっているとき出てくるのではないか、とおもいカヴァーをよく見ると
---引用
…コウペンちゃんが「えらい!」とほめにきてくれて!? がんばっているすべての人におくる、かわいくて泣ける5つの癒やしの物語。
---引用終わり
やっぱり。

更に、コウペンちゃん等が出てきたとき、主人公がおどろかない。
こんな感じである。
---第1話 私の、色 引用
気がついたら、文庫本タワーの陰から、小さくて丸っこい動物が、顔を出していた。
「……え?」
何これ? ペンギン?
短い足でちょこまか歩いて、灰色の羽をぱたぱた動かして。
文庫本タワーのあいだを、行ったり来たり。
それが、一匹、二匹、三匹――
「えっ? …え? え?」
びっくりして目をこすってる間に、どんどん増えていく。七匹、八匹、九匹。
---引用終わり
この手のものを見た場合、アル中の幻覚が真っ先に浮かぶハズであり、酒を飲まない本作品主人公達の場合には心当たりがないので、これはもう発狂したと考え戦慄しなければならん。
ピンクだし。
「丸っこい動物」つのすげえな。
こーゆーの見たら、まずは物とおもうのでないかい。
びっくりして目をコスルかね。
びっくり→アドレナリン上昇→瞳孔散大→だから「目を見開く」ですな。
後述の、のび太も参照

ここで、いきなり変なのが出てくる話として、
東アジア諸国で大人気、
『ドラえもん』藤子不二雄著をみてみよう。
ピンクのコウペンちゃんも青いドラえもんも、飯をよく喰うからね。
同じようなもんだ。

ご存じのごとく、のび太は「がんばらない」のが特長であり、ドラえもんの道具は主にナマケルために使い、座敷に寝転がりマンガ読むのが趣味と云えば趣味だが、これとてすぐにあきてしまい昼寝になる。
なお、ドラえもんが四次元ポケットから出す道具はタダではなく、月末になると未来デパートから請求書が来る。
「もう、のび太君がイロイロ出させるから……」と短い腕で頭を抱えるのである。

『ドラえもん』初回は1970年01月号だから正月号だな。
小学館発行『よいこ』『幼稚園』『小学一年生』~『小学四年生』の6誌に発表されている。
それぞれみてゆく。

『よいこ』読者は保育園かな 1970年01月号小学館発行
のび太が部屋に居るとやおら机の引出しが開き、のび太の孫のセワシが
セワシ「あけましておめでとう」と云いながら、

ドラえもんはニコニコしながら出てくる。
のび太は反射的に引出しに背を向け、両腕を伸ばして逃げだそうとする。
セワシ「おとしだまに どらえもんを あげる」
のび太「いらないよ そんな へんなの」
ドラえもん「ともだちに なろうよ」
のび太「ひきだしから でてくるなんて きもちわるいや」
部屋を脱出して一階のテレビの間へ。
のび太「そばへ くるなっ」

『幼稚園』1970年01月号小学館発行
机の前の椅子に腰掛けていると、引出しから
セワシ「こんにちは」と云いつつ、ドラえもんと共にでてくる。

のび太は腰掛けたママのけぞるから、椅子が後へ倒れそうだ。
セワシ「この どらえもんを あげる」
のび太「いらないよ、そんな もの」
              ↑「人をナンダとおもっているんだっ」って怒りそうだな

『小学一年生』1970年01月号小学館発行
椅子に座っていたのび太を押しのけるように引出しが開き、
セワシ「もっとしっかりしなきゃ、こまるな」
ドラえもん「ほんとだよ、のびたくん」

椅子を放りだして腰を抜かし、引出しの二名を指差しながら
のび太「な、なんだきみたちは」
全身震えている。
セワシ「ぼくはセワシ」
ドラえもん「ぼくドラえもん」
        ↑答えになっていない。

『小学二年生』1970年01月号小学館発行
引出しを開けると半球状のものが出てきて
のび太「?」
半球状はドラえもんの頭部で、
ドラえもんとセワシは手を挙げてあいさつしつつ
セワシ「あけましておめでとう」
のび太「アッ!!」

のび太は椅子を放りだし驚愕している。

『小学三年生』1970年01月号小学館発行
机に背を向けたとき、やおらドラえもんが出てきて
ドラえもん「オッス」
びくっとするのび太。
ドラえもん「きみがのび太か。ぼくドラえもん」

と、のび太の肩を叩く。
恐怖のあまり絶句するのび太。
ドラえもんの「オッス」と「きみがのび太か」から、
この時には未だドラえもん≠親戚のおばさん、とわかる。
後に、ドラえもん=親戚のおばさんとなる。
これが東アジアで人気の核だ。

『小学四年生』1970年01月号小学館発行
引出しを開けてやおら出てくるドラえもん。
ドラえもん「ぼくだけど。気にさわったかしら」
のび太「ワッ」
飛び上がるのび太。

のび太「だっだれだっ!? どこからきたんだ。なにしに」
完全に錯乱している。

『よいこ』と『幼稚園』ではドラえもんを「もの」と認識し、
『小学四年生』で「誰」と認識するのも面白い。

また『小学一年生』では、
セワシ「もっとしっかりしなきゃ、こまるな」
ドラえもん「ほんとだよ、のびたくん」
と、叱責しているのもいいね。
親戚のおばさんであるドラえもんは、小言も云うが世話も焼いてくれるのだ。
温泉旅行に行ったときには、ドラえもんがのび太の背中を流してたっけ。

このように、急にへんなのが出てきたら
・恐怖に震え
・あげると云われても「いらない」と云う
のがまあフツウであろう。
この辺コウペンちゃんは一考の要有り。
ドラえもんで明らかなように、かわいいから/小さいから→おどろかない、ということにはならない。
古来アル中の幻覚では、小さな大名行列だの、小さなピンクの象だの、アリに代表される蟲の行列のたぐいを見ると云われる。
真偽の程は不明だが。

再度になるが、
主人公が「がんばっている」前提もいかがなものか。
中学生~古くはBG後OL又はヤングな勤め人であるから、読者もその辺の想定であろうが、
読者は必ずしもがんばっている人又はがんばっている自覚の人ばかりではあるまい。
本例の如く「がんばっているすべての人におくる」に注意を払わずうっかり本編を読んでしまうと、いやーな感じがするのだ。

更に、話を春で始めて都合五編なのだから
春,夏,秋,冬,春 にしたほうがよい。
    主人公 季節  所感
第1話 中一 GW前後 水羊羹が出てきたので、てっきり夏だとおもった
第2話 BG又はOL 不明 アップルパイに固執してるのでなんとなく秋の感じ
 主任さんが主人公にハラハラを行っているようにみえる
第3話 小五 08月31日~09月01日 もう少し夏の終わり感が欲しいなぁ
 夏の終わりで、夏休み終わりで、転校で、あいさつの満貫だからな
第4話 高二か? 不明 遠足だから春か秋か? 冬の感じはせんとくん
第5話 勤め人 春 もうすぐGWと云っている
うーん。

季節感描写の一例↓
『連作アクション小説 東名高速に死す』第1話『腐肉獣(ハイエナ)の狩人』大藪春彦著 光文社 1970年11月10日初版発行 380円

書き出し部
---引用
流れる初夏の霧をシビエ四五の沃素フォッグ・ランプで切り裂き、西城秀夫の運転する右ハンドルのB・M・W(ベー・エム・ヴェー)二〇〇二TIのラリー・ヴァージョンは、高名高速道路中で最もカーヴの多い箱根の山中を、平均時速百七十キロほどで楽々と飛ばしていた。
---引用終わり
『処刑軍団』大藪春彦著 1978年03月光文社 1983年08月15日徳間文庫 徳間書店 380円

書き出し部
---引用
赤坂の高台に威容を誇るホテル・マジャスチックは、地下にも広大な駐車場を持っているが、出入りの車は二千坪を超す、前庭の無料駐車場のあいだを通るようになっている。
異常乾燥の寒さに加えて風が吹きすさぶその夜、ホテル・マジャスチックの無料駐車場に、一台のスカイラインGTと、もう一台のトヨタ・カリーナが、ときどきエンジンを回して、ラジエーターの冷えを防いでいた。
---引用終わり
イロイロ云われるが、大藪春彦の設定,描写は実にすばらしい。

結局コウペンちゃん、
急に出てきて、ぶつぶつ云い、飯を喰うだけで、
ドラえもんの如く手伝ってくれたり道具出してくれたりしないんだよねぇ。
ならばネコと同じではないかなどと云ったらいけません。
ネコは飯喰うだけで、四の五の云わないのよね。

あっ。
コウペンちゃんの「コウペン」は、コウテイペンギンのことだな。
連作アクション感想文書くまで気がつかなかったゾ。

おしまい

追記
コウペンちゃんはすんげえ有名らしい。
エが先で、軽小説は後。
コウペン電車もある。
コウペンはコウテイペンギンで、肯定ペンギンを含意、だそうな。
まったく気づかなかった。
本作品が軽小説であることも、今知った。
もしかすると「おはなし!」というのが、軽小説を表すのかもね。

ヒペンちゃんシリーズというのがつくれるな。
一人の時にやおら出てきて、いちいち否定的なことを云うの。
例示
「貶しに来た」
「余計な手出しするな」
「片付け程度が自慢なのか」
「泣いてもどーにもならない」
「リンゴケーキ喰いたいくせに、ええカッコしいでコドモにゆずっただろ」
アブナイあぶない。

追記その2
コウペンちゃんは、マンマ
『妖精配給会社』星新一著 の「妖精」ではないか。

だからイヤーな感じがしたのだ。
『妖精配給会社』の妖精の場合は当人ががんばっているか否かを問わず、その自覚も問わず、甘言を弄するわけだが。
むしろこーゆーのは、
客観的には違っていても、
「不明な原因で、がんばっていると自覚している人」により大きな効果を奏するハズだ。
例示:「専門家」つーのがいて、口からでまかせを言い続けハヤ二年半。
そいつらにはコーペンちゃん出てくるが故、まったく減力しないのだ。
「せんもんかでエラーイ!」
「断言して、えらーい!」
「そのままのキミでいいんだよ!」
「カガクのこと考えてあげられて、えらいんだよ!」
「えらーい!」
SSN等も、まあ妖精ですな。
すると脳外か。

幇間ならよかったのに。
こっちは有料だから勘違いしなくて済む。

外見などを比較しよう。
コウペンちゃん
・体長 10~15cm位
・おおむねペンギンぽい
・白と黒と灰色 一匹はピンク
・主に「エラーイ!」と褒める
(SSNの妖精たちはこの程度だな)
・かなり飯を喰う(ドラえもん並)
妖精
・体長 リス程度
・体毛 地味な灰色 ミンクの毛皮に似た感触
・翼が有り少しだけ飛べる
・雌雄の別無し 単為生殖
・卵生
・宇宙から来たカプセルに卵が入っていた
・人の言葉を少しだけ話す
・エサはニンゲンの食べ残し(残飯以外は食べない)
・肉は食えるがマズイ
・毛皮も弱すぎで価値無し
・一切労働はできないし放っておくとナニもしない
・捻ると即死する
・卵を産むなと云うと産まない
・ペットとして最高(ねこも太刀打ちできず)
・つねに人のきげんをうかがっている目つき
・耳の奥をくすぐるような声
・たえず単純明快なほめ言葉を発する
(といっても、比較的長文を話すんだけどね)
・言葉はしゃべるが頭はからっぽ
・持ち主に逆らうこと無し
 中略
・たとえ妖精が出現しなかったとしても、どうせ、これに似た世の中になって行くのだ。

惨憺たる結論になった。

------------
以上約3000文字(追記除く)。
引くところを短くすると、400字×5枚=2000文字程度になろう。
所要1時間45分。
ドラえもんで盛り上がらなければ、およそ1時間であろう。

と一時はおもったが、たちまち全部で5600文字なので、連作アクション感想文部分が4500文字くらいか。
ドラえもんと大藪の引いたとこを除き、追記無しでだいたい2000文字である。
わーぴろだのコンピュータだのを用いて下書きし、らくちん編集したのち、要部のみ原稿用紙に手書きしたらよろしい。

妖精配給会社との類似に気づき追記その2書いたら
7300文字になった。
主たる論点を『ドラえもん』でなく『妖精配給会社』にし、
大藪春彦の例も削除し、
2000文字に収めると、迫力ある連作アクション感想文になるゾ。
早速書こう。
「書けてエラーイ!」

これから
大藪春彦著『処刑軍団』1978年光文社 1982年徳間文庫

を読むのだ。
初っぱなから
世界キリス卜教幸福追求協会と教祖天聖君と国際統合連合と、全国公営賭博福祉協会と終身會長の葉山と、福本首相と沖山派政治家と、親韓派の福本政権になって息を吹き返した関東連盟と、L28をボア・アップして三・二リッターにスケール・アップしボッシュの燃料噴射装置と排気圧利用のターボ機構を組み込み無論排気ガス浄化装置は取り外した特殊チューンのスカGと、十八R-GUを二・四リッターにボア・アップしたD・O・H・C(ダブル・オーヴァ・ヘッド・カム)のエンジンにボッシュの燃料噴射装置と排気圧利用のターボ機構を組み込み無論排気ガス浄化装置は取り外したカリーナGTと、AR十八自動ライフルと、
が出てくる。
後に、天下統一会と統和相互経済研究所と會長兼所長の山内も出て来て札束を積み上げ天下統一会の宗教法人化を願い、新世界コンツェルンが韓国の工場で生産している五十口径――口径〇・五〇インチ――ブラウニングの水冷重機の改造型
も出てくる。
『処刑軍団』の連作アクション感想文は、めんどくさいから書かないわ。

追記その2によって
星新一の作品集Ⅴ『おせっかいな神々 妖精配給会社』星新一著 新潮社 1974年10月25日発行 2刷1975年12月20日 800円

もあわてて読まないと。
『おせっかいな神々 妖精配給会社』の連作アクション感想文は、めんどくさいから書かないわ。

もちろん
『連作アクション小説 東名高速に死す』第1話『腐肉獣(ハイエナ)の狩人』大藪春彦著 光文社 1970年11月10日初版発行 380円

も読むのだ。
『連作アクション小説 東名高速に死す』の連作アクション感想文は、めんどくさいから書かないわ。
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大藪春彦 うまい具合に 4『枕にベレッタ 四畳半に抜き撃ち』 その4/凶銃の血まみれのエピローグ続き_増設版

2022年04月24日 | 切削工具等大藪関係・大藪春彦GUN研究・倶楽部
どひぇ。
ついに
『大藪春彦 うまい具合に『枕にベレッタ 四畳半に抜き撃ち』 その3/血まみれの凶銃_増補改訂版』が、
文字数満タンになってしまった。
1964年? 中編『ベトナム秘密指令』とベレッタM950 のつづきと、
ホントのエピローグ部分以下を、ここに分離独立させよう。

小林信彦の証言はこちら↓ 初めに読むがいい。
 大藪春彦 うまい具合に『枕にベレッタ 四畳半に抜き撃ち』 その1/小林信彦血まみれの証言の部
【ベレッタが三万円】【ベレッタをね、枕の下に入れて】…

大藪春彦年表はこちら↓二番目に読むがいい。
大藪春彦 うまい具合に『枕にベレッタ 四畳半に抜き撃ち』 その2/血まみれの大藪春彦年表の部_増補改訂版

さらに総まとめ的に
大藪春彦 うまい具合に 5『枕にベレッタ 四畳半に抜き撃ち』 その5/堪えたようなタッチで血まみれの結論的年表
いったいゼンタイ、なにがどーして結局逮捕に至ったのか、わかるわよ。

-----------↓-1964年? 中編『ベトナム秘密指令』とベレッタM950-↓つづき-----------
ベレッタM950の1968年以前のモデルにはセーフティが無いのに、どーやって使うのかつーと。
1)弾倉を入れる
※)ここでスライドを引くと、弾倉一番上の実包が薬室に移動すると同時に、
撃鉄がコックされ撃発準備位置まで後退してしまう。
撃鉄が前進したら撃発である。
※この状態で引金を固定するのが通常のセーフティ。
そこで、
2)グリップ左のリーヴァーを押しさげ、
銃身を先端付近を支点に後側を持ち上げる。

3)この状態で銃身後端の薬室に、手で実包を一発入れる。
4)銃身を下げる。
5)スネ拳銃とかにして隠し持つ。
なるほどねえ。
こうすれば薬室に装填されているものの、
撃鉄はコックされてないから、引金引いても撃発しないわけね。
撃鉄から地面に落したりしなければ、まあ大丈夫なのであろう。
しかも、.25ACPだと弾倉に8発+薬室1発=9発 と、撃てる弾が増える。
弾倉をとっかえひっかえする拳銃でないので、この1発は大きいな。

だめだ。ツカレトール10錠を胃に流し込む。

発射はどーするのかつーと。
6)ヒミツの隠し場所例えばスネから取出す。
7)撃鉄を親指でコックし撃発準備位置まで後退さす。
(シングルアクション/撃鉄露出式だからね)
8)初弾発射

9)ブローバックで排莢→同時に撃鉄コック→次弾装填
弾倉上端の実包を薬室に送りこむつーやつだ。
10)次弾発射

米印くりかえし、というわけだ。

1968年以降のモデルには
・撃鉄のハーフコックと
・グリップ左側の上後方(スライド直下)に通常のセイフティ・リーヴァー
を有するようになった。
ハーフコックはいいよね。
撃鉄から地面に落した場合にも安全度が増す。
発射の際には親指で
・撃鉄起こす
・セィフティ解除
・親指グリップ握る
(ここまで親指の運動方向が揃っている)
・人差し指引金にかけて、絞る
でよろしい。
------------よーやく『ベトナム秘密指令』の項終わり------------

------------エピローグ------------

莫大な文献資料代を要して
【ペルナンディけん銃】の【ペ】のナゾが解明された、
この後(2021.07.21)に及んで未だ不明な点
▲1958年10月頃【ペルナンディけん銃二万円】を売った米軍軍曹は誰でどこ所属か
△【ペルナンディけん銃】二万円にはホルスターは有ったのか
(たぶん、無しとおもわれる)
▲1960年09月頃【ベレッタが三万円】を売りに来たヤクザXは誰でナニ組だったのか
▲1962年【ペルナンディけん銃】を詐取した、エッセイ,小説ではヤクザである友人AAは、ナニ組だったのか
△【スプリングライフル】とは何か
(たぶん未スポーター改造の、スプリングフィールドM1903小銃とおもうが)
なお、詐取友人AA,二代目親分BB,組員CCのフルネームは判明している。
出さないけども。

大藪先生のこと 徳間書店 岩淵徹さん談 1998年頃
---
さびしがりやの先生だっただろうと、おもう時がありました。
「おまえは大藪春彦、に対してアミーゴとして付き合ってない、ではないか」と。
大藪春彦にとって友という友情というんですか、
あのーー言葉が持つ意味,イメージというのは、
相当深い、大藪春彦のその、心の奥底からスタートしているような言葉、
だと理解しています。
---

大藪先生のこと 光文社 濱井武さん談 1998年頃
---
ともかく大食漢でしたよね。
ものすごく食べる。
それと肉類。
伊達邦彦だったら、こういうものを食べるだろうなってゆうような物を、
が好きなん。
ですからウイスキーの、えー水割りっか。
水割りってもね、ご段々酔ってくると、
水割りんんストレートに近くこがぼがぼって入れるんですよね。
だんだん。
それがいいいいかげんになってきて自分で。
だからー、こぉーれはちょっと身体壊すよなーとおもってましたけどねぇ。
---

大藪先生のこと 角川書店 宍戸健司さん談 1998年頃
---
もちろんご病気のことがあってですねえ、
食べたいものも我慢しなくちゃいけない。
飲みたいお酒も我慢しなくちゃいけない。
ってゆうことはありましたけれども。
それは、えー家族の中、自分の欲望と家族の家族と居るという、
のを比べたときにですねえ。
そりゃ我慢してでも家族と一緒に居よう、ってゆうふうに、
先生おもわれたんじゃないかなというふうに、
まあ僕らは感じてました。
---

=============大藪春彦年表ここまで=============

しれっと書いてあるが、
◆【過去にも拳銃で挙げられてた】のかよ。

1958年推定には、
【未届けのライフル銃一丁】【スプリングライフル一丁】→たぶんスプリングフィールドM1903小銃も持っていたのだ。

主な登場人物
●1958年10月頃 大藪に【ペルナンディけん銃二万円】を売った米軍軍曹と、
●1960年09月【ベレッタが三万円】を売りに来たヤクザX氏と、
●1962年08月~10月頃【ペルナンディけん銃+実弾十二発】を【持ち逃げ】した、【高松一高の同窓のA】【四国のヤクザ】と、
●同窓のA氏から七万円で【ペルナンディけん銃+実弾十二発】を買った四国のヤクザの二代目親分B氏(親爺)と、
●ヤクザの二代目親分Bから【ペルナンディけん銃】を渡された四国のヤクザの子分C氏と、
●1987年にインタビュー受けた四国のヤクザの三代目組長T氏
それぞれ別人だヨ。

拳銃等の所持等の年月一覧と主なできごと
-----
1954年03月? 高松一高時代 未成年(毎年三月は不吉なことばかり起る)
 1回目のけん銃不法所持検挙
1958年10月頃「椎名町時代」アパート一階四畳半
 【青色のペルナンディけん銃一丁二万円】推定 Bernardelli Baby Model (V.B.) .22 Long (ホルスター有無不明)
 【スプリングライフル】
 弾薬各種 を米軍人から購入所持

1960年09月中旬
 【ベレッタが三万円】推定.25ACP ベレッタM950ジェット・ファイアー/ショルダー・ホルスター付き
 を、ヤクザXから購入所持

 【実包千発】等は随時補充
1960年09月中旬以降 主に【ベレッタが三万円】で
 マクラ拳銃,抜き撃ち,隣のおやじが酒飲んでるとこパァーン
1958年?~1960年11月頃 「椎名町時代」アパート二階四畳半と六畳
 ウィンチェスターM52などで、.22LRマッチ・ターゲット実包使い、
 風呂屋の煙突/表紙の山本富士子狙撃
 【おまけに発射音は小さいので、車の往来の激しい騒音の街で射ったのでは、二十メーターも離れれば発射音は気づかれないであろう。】
【パトカーがやってきたことは一度もない】
1962年08月頃から10月頃 結婚後「松原時代」
 推定【青色のペルナンディけん銃一丁二万円】を、抵当男【四国のヤクザ】高松一高の同窓のAに【持ち逃げ】される
1965年03月01日(毎年三月は不吉なことばかり起る)
 2回目のけん銃等不法所持検挙
1965年夏から秋頃
 高松地方裁判所判決 懲役1年執行猶予3年
1966年03月(毎年三月は不吉なことばかり起る)
 東京都公安委員会、猟銃の所持許可取消
1969年04月01日
 猟銃所持再許可下りる
-----

イロイロ出て来すぎて、つかれた上、
未成年の時の事とかが判明して、しんみりしてしまった。
くわえて、
書き始めの頃は卜ヨ卜ミの電気ストーブ――遠赤外線ヒー夕ー300W三連装――にあたりつつコブ茶乃至ホージ茶をすすっていたのに、
今は、凍りそうに冷えたトーフ三キロにショーユ半リッターをかけたものを胃に流し込むようになってしまった。

いやあん。
文献資料代もかさんできたわ。

よし。
最後は小林信彦さんの言葉で締めてもらおう。
【彼はだけどこー。ああーなんかこう楽しいんですね】
なんだよね。
佳きかな、佳き哉。
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きょーふバクチン第參囘

2022年02月23日 | こべっと19関係倶楽部
連續サスペンス實話
きょーふバクチン 第參囘

どーんどーんどーんどーん
ちゃきん
どーんどーんどーんどーん
ちゃきん
ちゃんちゃんちゃんちゃーーん

キミは 打ったか打たか打ったか
右肩に飛び込んでくる
あのー きょーふバクチンを
明日キミの身に迫る
アルファを デルタを オミカブのせて
きょーふのきょーふのきょーふのバクチーーン
打つたびに イノチが佰曰ちーぢぃむぅー

2022.02.20
1345 
メモリ強で行く

1350頃 着
うわ、混んでる
36.4℃

1420 
きょーふバクチン第參囘 ファイザ打つ
待機
1435 
券の入れ物もらって帰る
1450頃 


1535 
少し寒い気がする
1540 36.5℃
しかもぐったりしている
1550~
ニンニク施灸手足35箇所

1645 
著しい睡魔→寝るわ
フツーに生きていても一日で寿命が一日ちぢむ

1805 
おきる
納豆海苔定食
あぢのもと系がとてもえぐぐ感じる

1845 
左肩が痛くなってきた
1930 
灸左右手15箇所追加

2130 
くさっていないみかんがくさった味
2215 
左肩付近がかゆい
右耳の穴の奥もかゆい
2400
寝る

體重計に片足だけ載せるダイエット

すると、大本營發表の法則と勝手に呼んでいるものが發動してる
をぢさん「こんなこと書いたら負けてるのがバレるじゃあないか」
ウソ書く→読む
をぢさん「勝ってるぢやん」

2022.02.21
具合がわるい
1455 37.3℃
寝る
1830 起きる
1900 37.5℃ SpO2 97% P107
バイタル的な吸うヤツを飲む
横になろう

1回目<2回目<3回目なのだなあ。


1962年07月27日 「漫画ストーリー」双葉社
『腐った罠』
1962年07月頭に書かれたとおもう
に、
四国K県T市
坂田組
(実在の坂○組と一字違い)
坂田組長 四十七、八の赤銅色に黒光りする肌の精力的な男
(坂○組二代目組長BBの氏と一字違い)
坂田の片腕と云われている大幹部平木
(AAの氏と一字違い)
が出てくる。

【ペルナンディけん銃】は
1962年08~10月頃/詐取(手交)→AAAA(28)
である。

「週刊プレイボーイ」1969年04月15日号掲載『俺は再びガンを持てる!』より↓
---
昭和三十七年(1962年)頃に僕は梅ヶ丘に住んでいた。Aは家の近くのタクシーの営業所に勤めていた。Aは何回か僕の家に遊びにくるうち、
【つい僕が見せた拳銃のうちの一丁】を、一晩だけ抱いて寝たいからと持っていき、そのまま逃げてしまったのだ。
---
なるほど。

AAAA(28)が
1962年春頃から大藪家に数回遊びに来る内、
AAAAの所属する坂○組をモデルにして短編を書くことになった。
『腐った罠』発表後の
1962年08月~10月頃に
「一晩だけ抱いて寝たい」が断り切れなかったのであろう。

AAAAが出てくる作品
1959年の作品
 1960年08月発行 短編集「鉛の腕」収録
『雨の露地で』

1960年07月号「婦人公論」
『野獣の青春』エッセイ

1962年07月27日号「漫画ストーリー」双葉社
『腐った罠』

1969年04月15日号「週刊プレイボーイ」
『俺は再びガンを持てる!』エッセイ

の4箇所に出てくる。
他、対談とか新聞記事などにも出てくる。

2200 
ベーコン巻定食
施灸手足30箇所

2300
37.5℃

2022.02.22
1400頃
パン定食

1530
36.8℃
SpO2 97~96%

1800
36.4℃
ゆで卵定食

2100
施灸首手足30箇所


2022.02.23
1500
36.3℃

2300
36.5℃
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大藪春彦 (上巻)血まみれの初期作品初出一覧(エッセイと対談は全期間書いた上、中短編作品集名も入れたあげく、映画原作全部付き)+欲しかった拳銃についての記載時系列一覧

2022年02月16日 | 切削工具等大藪関係・大藪春彦GUN研究・倶楽部
1958年~1965年02月末まで
特に【ペルナンディけん銃】が出てくる可能性のある
1958年~1960年09月を、重点的に洗い出すぞ。

2021.11.20
文字数満タン近い。
記事を上下巻に分離する。
本稿(上巻)は、
1953年12月24日から
1965年02月末日分をのせよう。
大藪春彦 (下巻)血まみれの初期作品初出一覧(エッセイと対談は全期間書いた上、中短編作品集名も入れたあげく、映画原作全部付き)+欲しかった拳銃についての記載時系列一覧
には
1965年03月01日から
1996年02月26日までをのせる。

編集まかせだったらしいが、短編のタイトルが特にいいかげんで、ナニとナニを読んだのかわからなくなったからでもある。
中,短編集のタイトルだけど
『東名高速に死す』単行本1970年光文社 とか
『ヘッド・ハンター』単行本1982年角川書店 とかみたく、びたっとくるタイトルだとよかったなあ。
あっ、
これを忘れちゃいけない↓
『みな殺しの歌』初出1960年01月10日号~1960年12月25日号まで51回連載 週刊アサヒ芸能 アサヒ芸能出版 ほんとにみな殺しなんだよな
『ウィンチェスターM70』初出1960年04月29日号~ 週刊スリラー 森脇文庫
などはいいよねえ。

凡例
初出年月日「掲載誌」出版社
(初出不明等の場合は、単行本の発行日から初出日を類推して並べてある)
『タイトル』
おれ既読作品には『タイトル』の後に●マークを、未読作品には◆マークを付す。
単行本 初版発行年月「単行本タイトル」出版社
発行年月「単行本タイトル」出版社
映画原作には、映画制作会社 公開年月日 『映画タイトル』監督,主演
註:その作品内で、欲しかった拳銃
 1958年10月頃購入【ペルナンディけん銃】,
 1960年09月上旬購入【ベレッタが三万円】,
 結局買わなかったが欲しかった【ベアード拳銃】
についての記載あれば、ここに註記。
【ペルナンディけん銃】の場合は、作品内での表記も書く。

大藪春彦単行本著作リストは、

『別冊新評 大藪春彦の世界』 新評社 1976年

『蘇る野獣 追悼特集大藪春彦の世界』 徳間書店 1996年
の巻末にある。

2021.10.24
徐々に書き進めるので、いつ完成するか不明

2021.11.14
註:【ベレッタが三万円】初登場!
1959年10月号~1959年12月号 週刊新潮 新潮社
『野獣死すべし(復讐篇) 』
ヤクザから奪い、さっそく【マクラ拳銃】にするだけで、後には出てこないのよね。
実は欲しかった【ベアード拳銃】も登場ス。
【ベアード拳銃】はいろいろな短編にでてくる。
当て馬として【ラーマ拳銃】つーのもあり、これまたいろいろな短編にでてくる。
ついでに、
映画原作のものは、ざっと全期間分書いておこう。
大藪原作映画はまったく見てなかったのだが、
近年『蘇る金狼』1979年見てびっくりし、以後も見ていない。
風吹ジュンにやられちゃーなあ。

2021.11.17
もしかしたら論文 あるかなぁとおもったのだが、引き上げ的なのがあったのみで、めぼしいのはなーんにも無かった。
念のため星新一 で検索するといっぱい出てくる。
谷山浩子 、いくつがそれらしいのがある。
なんだかなあ。

さらに
利便性を高めるため、
短,中,長編の別と、
中短編は収録された、なるべく新しい「作品集のタイトル」等も書き込む。
全部ではないとおもふが、なるべく。

2021.11.18
エッセイとか対談も全期間分入れよう!
文字数アブナイかも。
よし。「荒野からの銃火」と「…荒野に死ね」以外は書いた。
18200文字

2021.11.20
ドライビングとかハンティング本も入れる。
『蘇る野獣 追悼特集大藪春彦の世界』 徳間書店 1996年 の著作リストには、
掲載されていないのよね。
また、
一記事28000文字程度で満タンなので、後日上下に分割せねばならん。
現在19000文字。
1965年02月末で分割にすんかね。
川柳川柳師追悼
訃報が新聞にのったのだから、出世したのだなあ。
よし。「荒野からの銃火」と「…荒野に死ね」も書いた。
つかれた。
23000文字

2021.12.15
『その罠を噛み破れ』中編●初出誌確定 1959年02月号 「面白倶楽部」光文社 

------
2022.02.15
02月調達分迄で、
現在判明している未読は以下のとおりとなった。
(本文にはおおむね未反映)
またこれらの多額な費用かかった文献の研究によって判明したわよ↓
【ペルナンディけん銃】を米軍人から買った1958年10月から、
猟友というヤクザから【ベレッタが三万円】を買った1960年09月までの作品に、
【ペルナンディけん銃】をいい者の拳銃として登場させることができれば、
これはもう必ず登場してるのよね。
---小説未読↓---

1958年07月から09月までの間 講談倶楽部 講談社
『街が眠る時』◆
単行本 1958年10月発行 「野獣死すべし」 講談社

1959年07月号 少年クラブ 講談社
『昌夫少年探偵シリーズ(第一話) 深夜の銃声』◆
単行本 2006年02月発行 「挑戦者」 徳間書店

1959年09月号~12月号 おもしろブック 集英社
『冒険科学小説 怪竜ナトン』◆ 第3回の一部●
大藪春彦・文 深尾徹哉・え
単行本未収録 

1959年10月号 少年クラブ 講談社
『昌夫少年探偵シリーズ(第二話) 港の銃声』◆
単行本 2006年02月発行 「挑戦者」 徳間書店

1959年11月号  中学生の友 小学館
読み切り長編小説 『落岩』◆
単行本未収録
※この辺から【ペルナンディけん銃】出てくるハズだ↓

1958年07月から1959年12月頃までの間 初出誌不明
『ある決闘』◆
単行本 1960年04月発行 「歯には歯を」 荒地出版社

1960年01月号 中学コース 学習研究社
『鋼鉄はこうしてきたえられた』◆
単行本未収録

1960年02月 平凡 平凡出版
『銃弾を奴にぶち込め』◆
単行本未収録

1960年03月~07月号 週刊漫画TIMES 芳文社
『火制地帯』◆
単行本 1960年06月発行 「火制地帯」 浪速書房(以後再刊無し)

初出不明
『死をいそぐ者』◆
『兇銃の最後』◆
単行本 1962年08月発行 「死をいそぐ者」 浪速書房

初出不明
『ある決闘』◆
単行本 1963年02月発行 「歯には歯を」 路書房

初出不明
『破局への道』◆ 
『戻ってきたレーサー』◆ 
『怒れる獣のさけび』◆
単行本 1969年06月発行 「狂った報復者」 TOKYO BOOKS

初出不明
『破滅への道』◆
単行本 1973年07月発行 「黄色い魔手」 サンポウ・ノベルズ

---エッセイ未読↓---

1959年12月号 別冊週刊サンケイ サンケイ新聞出版局
『アベコベ合作 6話 ペーとガンスモーク』◆
単行本未収録

1960年04月春の別冊 アサヒ芸能読物特集号
『ビート族講座 殺しの花形”銃の魅力”』◆(エッセイ?)

1960年05月号 ヒッチコックマガジン 宝石社
『勝手にしやがれ!』◆(エッセイ?)

1960年08月号 宝石 宝石社
『ぼくらの推理小説』◆(エッセイ?)

1960年(10月頃か) 別冊週刊サンケイ サンケイ新聞出版局
『話の市 一寸一言』◆(エッセイ?)
単行本未収録

1960年(11月頃か) 別冊週刊サンケイ サンケイ新聞出版局
『くたばれ! トップ屋』◆(エッセイ?)
単行本未収録

1960年 ヒッチコックマガジン 宝石社
『特集: GUNのすべて 初猟記』◆
単行本未収録とおもふ、が
単行本? 1972年『野獣の青春 大藪春彦の世界2』 徳間書店
 「次巻は僕の若き日の履歴書とでもいうべき「野獣の青春」を中心に、銃や射撃競技や狩猟、二輪や四輪のモーター・スポーツなど盛り沢山の小品や対談や座談会記録を大量に詰めこむことになっている。ご期待ください。」
なので載っているかも。
うわー読みてえなぁー

1961年01月号 宝石 宝石社
『食べある記晩酌のツマミ 』◆(エッセイ?)

1963年04月臨時増刊号 宝石 宝石社
『下宿の片隅から』◆ (エッセイ?)

1963年12月号 宝石 宝石社
『ハードボイルドであろうがなかろうが』◆(エッセイ?)
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---↓大藪春彦初期作品初出一覧↓-------------

1951年
香川県立木田高校入学
脊椎カリエスで休学

1952年
高松第一高等学校に転校

1953年12月24日号「高松一高新聞」高松第一高等学校
『音楽雑言』●
1972年08月「狼はしなやかに跳ぶ~大藪春彦の世界1~」●

1954年04月01日号「ひとで」第八号 高松第一高等学校文芸部誌
『〈ノート〉ドストイェフスキー』●
1972年08月「狼はしなやかに跳ぶ~大藪春彦の世界1~」●
※なにがなんだかわからない作品

1954年11月03日号「ひとで」第九号 高松第一高等学校文芸部誌
『〈ノート〉イエス・キリスト』●
1972年08月「狼はしなやかに跳ぶ~大藪春彦の世界1~」●
※なにがなんだかわからない作品

1955年
東京外語大スベル
四国クリスチャン・カレッジ入学
年末に中退

1956年04月
早稲田大学入学

1956年09月20日「未完成(創刊号)」トルウソウ文学界(高松の同人誌)
『太宰治について―虚構―』一部のみ● エッセイ
単行本未収録
※この同人誌の巻頭を飾っているのだ

1957年
ワセダ・ミステリ・クラブ入部

1958年02月から03月
『野獣死すべし』ノートブックに叩きつけて書いたハズだ。

1958年05月号「青炎」早稲田大学同人誌
『野獣死すべし』中編●
1958年07月号転載「宝石」宝石社
1958年10月講談社「野獣死すべし」
1961年05月「野獣死すべし」浪速書房
1965年02月「野獣死すべし」オーヤブ・ホットノベル・シリーズ(徳間書店)
1972年08月「野獣死すべし」新潮文庫
1979年06月「野獣死すべし」●角川文庫
東宝1959年06月09日公開 映画『野獣死すべし』監督:須川栄三 主演:仲代達矢 の原作/力メオ出演有り↓

 予告編の「藪」の字が「薮」になってる。
 予告編は助監督がつくるから、助監督がわるい。
東映1980年10月04日公開 映画『野獣死すべし』監督:村川透 主演:松田優作 の原作
大映1997年03月08日公開 映画『野獣死すべし』監督:廣西眞人 主演:木村一八 の原作

1958年07月から09月頃までの間 初出誌不明
『揉め事は俺に任せろ』短編●
1958年10月「野獣死すべし」講談社 
1961年05月「野獣死すべし」浪速書房
1967年03月「男の誇り」TOKYO BOOKS
1971年12月「汚れたパトカー」●オーヤブ・ホットノベル・シリーズ(徳間書店)
1985年10月「ザ・復讐者」徳間文庫
1986年10月「血と背徳の街」角川文庫

1958年07月から09月までの間「講談倶楽部」講談社
『街が眠る時』短編◆
1958年10月「野獣死すべし」講談社
日活1959年05月26日公開 映画『街が眠る時』監督:野口博志 主演:長門裕之 の原作
註:後に盗作疑惑でる。
 1960年08月28日号 週刊アサヒ芸能 アサヒ芸能出版
『野獣は死なず――’盗作者’という中傷について――』
で反論している。

1958年08月号「宝石」宝石社
『チャンドラー以降のハードボイルド』◆(エッセイ?)

1958年09月~1959年01月の号(掲載期間確定)「週刊アサヒ芸能」アサヒ芸能出版
『血の罠』長編●
1959年03月「血の罠」アサヒ芸能出版
1963年08月「血の罠」ポピュラー・ブックス(桃源社)
1965年04月「血の罠」東京文藝社
1966年07月「血の罠」ポピュラー・ブックス
1967年10月「血の罠」ポピュラー・ブックス
1968年04月「血の罠」オーヤブ・ホットノベル・シリーズ(徳間書店)
1976年11月「血の罠」大藪春彦活劇選集(徳間書店)
1977年11月「血の罠」双葉新書(双葉社)
1981年11月「血の罠」新潮文庫
1987年06月「血の罠」トクマ・ノベルズ(徳間書店)
1991年05月「血の罠」徳間文庫
2009年11月「血の罠」●光文社文庫
東宝 1960年01月03日公開 映画『暗黒街の対決』監督:岡本喜八 主演:三船敏郎 の原作
註:【ペルナンディけん銃】1回目
表記 【V・Bベービー】/【ヴェルナルディリV・Bのオートマチック】
 推定1958年10月末号から11月頭号掲載
 第5回「殺気」
---引用---
スーツケースを開いて、そのポケットのジッパーを開き、
【鞣し革のホルスター】に入った
【青色の小さな自動拳銃】と弾薬の入った革サックを抜き出した。
【全長わずか十センチのイタリア製V・Bベービー二十五口径六連発オートマチック】には初めから照星がついていない。全体が掌より小さいため、
【半月状型の引金の部分が大きく見える】。
---引用終わり---
どーでもいいところまで精密に描写するのは買った後だから。
実銃買った直後の小説には、同じモデルの口径違いが出てくる。
しばらくすると、所有している口径で出てくる。
 1958年10月頃に買った【ペルナンディけん銃】は.22LRなので、
ここでは【イタリア製V・Bベービー二十五口径六連発】が出てくる。

1958年10月~1959年推定 初出誌不明
(【ヴェルナディリV・B】を買った1958年10月頃より後であろう)
『醜聞』短編●
1961年05月「野獣死すべし」浪速書房
1967年03月「男の誇り」TOKYO BOOKS
1971年12月「汚れたパトカー」●オーヤブ・ホットノベル・シリーズ(徳間書店)
1980年09月「殺しは俺の稼業」●角川文庫
1987年06月「ザ・狙撃者」徳間文庫
註:【ペルナンディけん銃】2回目
表記【ヴェルナディリV・B】
---引用---

スーツケースのポケットは二重底になっていた。安達はそこからヴェルナディリV・Bの拳銃を引きだした。掌にすっぽり入るほど小さな二十五口径六連発自動拳銃だ。【丸い蛇の目模様の安全止め】がついている。…
安達はズボンをまくり上げ、右足に細ヒモでくくりつけた。
---引用終わり---
【ペルナンディけん銃】の .25ACPは弾倉5連発。
どーでもいいところまで精密に描写するのは買った後だから。
実銃買った直後の小説には、同じモデルの口径違いが出てくる。
しばらくすると、所有している口径で出てくる。
 1958年10月頃に買った【ペルナンディけん銃】は.22LRだから、
 1958年10月~1959年推定の本作品では.25ACPが出てくるわけだ。

1958年07月から12月頃までの間 初出誌不明
『屍を越えて』短編●
1961年01月「縄張り」浪速書房
1962年06月「縄張り」浪速書房
1964年12月「縄張り」ナニワ・ブックス
1966年03月「縄張り」浪速書房
1966年08月「最後の銃声」オーヤブ・ホットノベル・シリーズ
1966年03月「復讐は俺の血で」ポピュラー・ブックス
1969年01月「復讐は俺の血で」ポピュラー・ブックス
1970年12月「復讐は俺の血で」ポピュラー・ブックス
1975年12月「最後の銃声」大藪春彦活劇選集
1982年11月「復讐は俺の血で 初期短編集1」●角川文庫
1984年04月「最後の銃声」徳間文庫●
1991年04月「最後の銃声」トクマ・ノベルズ
註:【ペルナンディけん銃】3回目
表記【ベルナルデイリ〇・二五の超小型拳銃】
---引用---
服の裏のネームでは、その男は高木といった。明は高木の左右の尻ポケットから、平べったいベルナルデイリ〇・二五の超小型拳銃と、ブラック・ジャックを奪った。

サッと隠し戸がひきあけられた。大滝は尻のポケットから拳銃を抜きだしながら身を沈めた。明の小さな拳銃と用心棒の巨砲が同時に火を吹いた。ラムのビンが微塵に飛びちった。用心棒が拳銃を投げだし、右肩をおさえて転げまわった。
明は大滝の方に銃口をむけた。
大滝は素早く由美子の肩を左手でつかみ、その腰部に安全止めを外した七・六五ミリのブローニング自動拳銃をおしつけていた。
明と由美子の悲痛な目が空中でからみあった。明の右手は力なくたれさがった。ガシャンと音をたてて拳銃が落ちた。
------

1959年02月号 「面白倶楽部」光文社 2021.12.15確定
『その罠を噛み破れ』中編●
1959年08月「明日を消せ」光書房
1961年01月「縄張り」浪速書房
1966年09月「恥知らずの街」オーヤブ・ホットノベル・シリーズ(徳間書店)
1969年04月「拳銃天使」サンデー・ノベルズ
1976年06月「死はわが友」●角川文庫
1986年10月「ザ・殺戮者」徳間文庫
註:【ペルナンディけん銃】4回目
表記【V・Bベービー】
---引用---
戦後しばらくは旧日本軍の拳銃がはばをきかせ、しばらくして岩国のベースから広島へ米軍の制式拳銃の分解品が流れ、神戸を伝わって都内にもぐりこんできた。しかし、このところそれは精巧なコルト・スーパー・38、ブローニングFN-32、モーゼルM-32、ルーガーP08などに変ってきた。
【掌に入るように小さなイタリア製V・Bベービー】や、
消音装置つきのまで現れた。
---引用終わり---

1959年02月号「宝石」宝石社
『雨の露地で』短編●
1960年08月「鉛の腕」荒地出版社
1963年02月「黒革の手帳」青樹社
1966年05月「黒革の手帳」青樹社
1966年09月「恥知らずの街」オーヤブ・ホットノベル・シリーズ
1967年09月「囮の末路」TOKYO BOOKS
1969年01月「暁の自爆」ナニワ・ブックス
1971年07月「暁の自爆」TOKYO BOOKS
1971年07月「囮の末路」TOKYO BOOKS
1972年12月「囮の末路」TOKYO BOOKS
1975年06月「囮の末路」TOKYO BOOKS
1976年03月「黒革の手帳」ビック・ブックス(青樹社)
1976年07月「恥知らずの街」大藪春彦活劇選集
1977年08月「黒革の手帳」ビック・ブックス
1982年11月「復讐は俺の血で」●角川文庫
1988年07月「ザ・一匹狼」徳間文庫
1992年07月「囮の末路」廣済堂文庫

1959年06月号「小説倶楽部」桃園書房
『次は誰だ!』中編●
1959年08月「明日を消せ」光書房
1961年03月「明日を消せ」同人社
1960年10月「殺す者殺される者」浪速書房
1964年10月「殺す者殺される者」ナニワ・ブックス
1966年11月「けものの真夜中」オーヤブ・ホットノベル・シリーズ
1975年12月「けものの真夜中」大藪春彦活劇選集
1980年09月「殺しは俺の稼業」●角川文庫
1988年01月「ザ・戦闘者」徳間文庫
註:【ペルナンディけん銃】5回目
表記 【超小型ヴェルナルディリ】
ラスト近くで唐突に出てくる
---引用---
そして今……。俺は呼びよせた高級パン助の来るのを待っていた。奴らと寝るごとに俺は荒れた。ひっぱたいて前歯をへし折った時もある。
島津の情婦の美智子の冷ややかなまなざしを想いうかべて、無性に腹がたつのだ。
それでも、女は来た。俺の悪名に憧れるのか、あるいは
【寝る時も脚につけている、超小型ヴェルナルディリの自動拳銃】を離さぬ俺にスリルを感じるのか。
---引用終わり---
無理と【ペルナンディけん銃】が出てくる感じだ。
買った後だからな。
ああっ!
これは【ペルナンディけん銃】で【就寝時スネ拳銃】をやったな。
小林信彦にも【スネ拳銃】みせたとおもふけどなあ。
 2003年だかに、
小林信彦が大藪春彦の文学以外のおもひでを語る会
的なものをやったとどこかで読んだ。
 2002年03月09日放送の
大瀧詠一との対談で大藪の逸話を急におもいだし、且つうけたので、こんな会をしたのであろう。
GUNとトタン屋経営の下宿と酒の話に決まってる。
うわぁ聞きてえなぁ。

1958年07月から1959年06月頃までの間 初出誌不明
『破局』短編●
1959年08月「明日を消せ」光書房
1961年03月「明日を消せ」同人社
1960年10月「殺す者殺される者」浪速書房
1964年10月「殺す者殺される者」ナニワ・ブックス
1965年03月「無法街の死」オーヤブ・ホットノベル・シリーズ
1975年06月「無法街の死」大藪春彦活劇選集
1969年06月「狂った報復者」TOKYO BOOKS
1971年06月「狂った報復者」TOKYO BOOKS
1972年09月「狂った報復者」TOKYO BOOKS
1980年11月「狂った報復者」TOKYO BOOKS
1982年11月「復讐は俺の血で」角川文庫
1988年01月「ザ・血闘者」●徳間文庫
1993年11月「現金強奪」飛天文庫

1958年07月から1959年06月頃までの間 初出誌不明
『殺意』短編●
1959年08月「明日を消せ」光書房
1961年03月同「明日を消せ」人社
※1961年10月号 小説倶楽部 桃園書房にも同名小説『殺意』あるらしい。
 以下『殺意』つータイトルの作品を含む短編集。どっちがどっちだかわからん。
1960年10月「殺す者殺される者」浪速書房
1964年10月「殺す者殺される者」ナニワ・ブックス
1966年10月「静かなる殺し屋」オーヤブ・ホットノベル・シリーズ
1970年11月「静かなる殺し屋」大藪春彦活劇選集
1973年07月「黄色い魔手」サンポウ・ノベルズ(産報)
1980年10月「極限の狩人」●角川文庫
1987年06月「ザ・狙撃者」徳間文庫

----------◆2021.11.17 今日はここ↓まで。なんでこんなデタラメ収録なんだか-------------

1959年07月号「宝石」宝石社
『最後の銃声』●
1959年08月「明日を消せ」光書房
※1961年12月臨時増刊号 小説倶楽部 桃園書房 にも同名小説『最後の銃声』有り
タイトルは編集任せだった由
おそらく短編集などに収録されている『最後の銃声』は、
 1959年07月号宝石掲載→単行本1959年08月『明日を消せ』光書房のものとおもわれる


1959年07月号「少年クラブ」講談社
『昌夫少年探偵シリーズ(第一話) 深夜の銃声』◆
単行本未収録


1959年09月号~12月号「おもしろブック」集英社
『冒険科学小説 怪竜ナトン』◆ 第3回の一部●
大藪春彦・文 深尾徹哉・え
---引用 11月号(第3回)---
怪竜ナトンは、ついに日本に上陸し、まっしぐらに東京めざしてすすんでくる。ナトンは、空をとび、海をおよぎ、地下にももぐる凶悪な怪獣である。空母も、戦車も、ジェット機も、ナトンにははがたたない科学者の一部と弟の次郎少年は、なんとかナトンの攻げきをくいとめようと、新型ミサイルをひっしに研究する。(前号まで)
キャプション
一郎の新型誘導弾はまだか!?
ナトンは地中を東京にすすんでくる!
本文
…面にむかっていた。そのスピードはごくおそかった。
【腹一杯につめこんだ肉の消化をたのしんでいる】のだろう。ナトンのふかさは地下五、六十メートルらしい。その動きは、気象観測所のじしん計で、たしかめることができる。
コバンザメのエキス
八戸市で怪竜ナトンの暴威をみた一郎、次郎の兄弟は、愛機「サンダー・ライト」の機首をめぐらせて東京にもどっていた。
「次郎、政府もいよいよかくごをきめたらしい。このままでは日本はぜんめつだ。いくらでも予算をあたえるから、ナトンをやっつける新兵器を、発明してくれっていうんだ」
---引用終わり---


1959年10月号~1959年12月号「週刊新潮」新潮社
『野獣死すべし(復讐篇) 』●
1960年03月「野獣死すべし(復讐編)」新潮社
東宝1974年06月15日公開 映画『野獣死すべし 復讐のメカニック』監督:須川栄三 主演:藤岡弘 の原作
大映1997年05月17日公開 映画『野獣死すべし/復讐篇』監督:廣西眞人 主演:木村一八 の原作
註:【ベレッタが三万円】初登場!
光洋丸襲撃のとき↓
例によって拳銃を拾って歩く邦彦。
---引用---
「お客さん、出歩かれては困り……」
と言いかけ、邦彦の様子に気づいた。ハッと息をのんで尻の拳銃に手を廻す。
邦彦は右手に握った短機関銃の銃口で、その男の頬を一撃した。低い悲鳴をあげて煙突に倒れかかるのを、靴先で力一杯、胃のあたりを蹴り上げた。男は身を折って崩れ落ちた。今度は顎を蹴り砕く。
邦彦はその男のポケットから
【ベレッタ〇・二十五口径七連発の小さな拳銃】を奪って、自分のズボンのポケットに落した。
……
(お家に帰ってから)
尻のポケットにベレッタ自動拳銃を入れたままなのに気づいて取り出す。銃把の弾倉室からマガジンを抜き、銃の安全止めを外し、スライドを引いて薬室の実包を抜く。それを
【ベッドの枕の下につっこむ。】
---引用終わり---
いきなり【ベレッタが三万円のマクラ拳銃】きました!!
この頃の描写は飛ぶことが多く、読んでいて少し混乱するのだ。
ここでも弾倉を戻し忘れたのであろう。
んで、このベレッタは、この後一度も登場しないのよね。
ただただ、欲しかったのであろう。
一年後に実物で【マクラ拳銃】できてよかったですな。
【ベレッタが三万円】は、
ベレッタM950 0.250ACP/ベレッタ・ジェットファイアで、弾倉に8発だそうだ。
ベレッタM950 .22ショート/ベレッタ・ミンクスは弾倉6発つー情報と7発つー情報がある。
まだ買っていないので、後に購入することになる口径.25ACPのまま小説に出てくる。

実は、
もう一つ欲しかった【ベアード六連発】も出てくる。
↓正田君に屋敷に踏み込まれたところ。
---引用---
果たしてベルが鳴った。邦彦はクッションの下につっこんであった
【ベルギー製ベアード六連発をポケットに移した。〇・三八〇口径自動運拳銃のうちで最も小さい。】

穏やかな邦彦の口調は変らなかったが、右手が閃くと、黒光りする小さなベアードが魔法のように正田の胸を狙っていた。

邦彦は不敵に笑って拳銃をポケットにしまった。
---引用終わり---
直後に着替えたとき、ルーガーにしてしまうから、肝心の警官隊に囲まれた際には、ベアードは持っていなかった。
なお、
【ベアードがほしい】つーのは、
 1960年06月12日号「アサヒ芸能」
『みな殺しの歌』の『待ち射ち』で
直前の章『虐殺の原』でヤクザ大森のベアード自動拳銃を闇の中に蹴りこんだ後に、
---引用---
ソフトを脱いだ。ソフトの裏地に小さな【ベアード拳銃】が隠されてあった。それを引っぱり出した衣川は、ハンティング・コートの脇のポケットにしまった。…
---引用終わり---
と、【ソフト拳銃】にしていた【ペルナンディけん銃】を、瞬間的に【ベアード拳銃】に間違えたことからわかる。

1959年10月号「少年クラブ」講談社
『昌夫少年探偵シリーズ(第二話) 港の銃声』◆
単行本未収録

1959年10月号「面白倶楽部」光文社
『流れ者』●(初出タイトル『流れ者は殺せ』)
1960年04月「歯には歯を」荒地出版社

1959年11月号「小説倶楽部」桃園書房
『けものの棲む夜』◆
1960年04月「歯には歯を」荒地出版社

1959年11月号「中学生の友」小学館
読み切り長編小説 『落岩』◆
単行本未収録

1959年12月号「宝石臨時増刊」宝石社
『歯には歯を』●
1960年04月「歯には歯を」荒地出版社

1959年12月号「別冊週刊サンケイ」サンケイ新聞出版局
『アベコベ合作 6話 ペーとガンスモーク』◆
単行本未収録



1958年07月から1959年12月頃までの間 初出誌不明
『暗い春』●
1960年04月「歯には歯を」荒地出版社

1958年07月から1959年12月頃までの間 初出誌不明
『影の影』●
1960年04月「歯には歯を」荒地出版社

1958年07月から1959年12月頃までの間 初出誌不明
『野獣の街』◆
1960年04月「歯には歯を」荒地出版社

1958年07月から1959年12月頃までの間 初出誌不明
『誤算』●
1960年03月「野獣死すべし(復讐編)」新潮社

1958年07月から1959年12月頃までの間 初出誌不明
『ある決闘』◆
1960年04月「歯には歯を」荒地出版社

1959年推定 初出誌不明
『夜に潜む』●
1961年01月「縄張り」浪速書房
註:【ペルナンディけん銃】6回目
表記【イタリア製ヴェルナルディリ】
表記から「V・B」が消えてるし、一万円札(1958年12月01日発行開始)が自然に出てくるから、『醜聞(スキャンダル)』より後で、且つ1958年12月01日以降で、たぶん1959年の作品である。
---引用---
…その造花の束を捨てて花ビンをひっくり返すと、【青光りした】小型の拳銃が転がり出た。そのあとから、かさばった重い油布が続いた。
拳銃は【イタリア製ヴェルナルディリ】。口径〇・二五インチ、全長わずか四・1/8インチの六連発自動拳銃だ。全体がひどく小さいので【引金の部分がずいぶん大きく見える】。【銃把はベークライト】だ。
江原は油布をひろげた。その中にはレミントンの実包が五十発ほどとスピンドル・オイルの小さな罐が入っていた。
---引用終わり---

1960年01月号「中学コース」学習研究社
『鋼鉄はこうしてきたえられた』◆
単行本未収録

1960年01月17日号~1960年12月25日号「アサヒ芸能出版」週刊アサヒ芸能
『みな殺しの歌』●
『凶銃ワルサーP38《続みな殺しの歌》』●
1961年06月「みな殺しの歌」アサヒ芸能出版
東宝1960年11月29日公開 映画『みな殺しの歌より 拳銃よさらば』監督:須川栄三 主演:水原弘 の原作
註:【ペルナンディけん銃】7回目
表記【ヴェルナルディリ〇・二二口径六連発自動装填式拳銃】
 1960年04月17日号『生への渇望』のラスト一行
---
衣川は銃身で中尉の耳をひっぱたいておき、グローブ・コンパートメントの中を手探りした。掌に入るほど小さいヴェルナルディリ〇・二二口径六連発自動装填式拳銃が隠されてあった。
---引用終わり---
実銃買った直後の小説には、同じモデルの口径違いが出てくる。
しばらくすると、所有している口径で出てくる。
【ペルナンディけん銃】.22LRを、
 1958年10月頃 米人軍曹から二万円で買っているから、
 1960年の本作品では.22LRのまま出てくるのだ。

1960年02月「平凡」平凡出版
『銃弾を奴にぶち込め』◆
単行本未収録

1960年03月号「若い女性」実業之日本社
『女性はスリルを求めている』若尾文子との対談●
1972年08月「狼はしなやかに跳ぶ~大藪春彦の世界1~」●
※「狼はしなやかに…」のあとがきで、大江健三郎との対談もあったのに、掲載を断ってきたと怒っている。


1960年03月「ヒッチコックマガジン」宝石社
『野獣死すべし 渡米編』◆
1960年04月「歯には歯を」荒地出版社
註:小林信彦の助言でアメリカもののパロディにしたハズ。

1960年03月~07月号「週刊漫画TIMES」芳文社
『火制地帯』◆
1960年06月「火制地帯」浪速書房(以後再刊無し)
東宝1961年04月16日公開 映画『顔役暁に死す』監督:岡本喜八 主演:加山雄三 の原作
 1958年『街が眠る時』に引き続き、本作も盗作疑惑あり。

1960年04月 単行本「歯には歯を」のあとがき 荒地出版社 に収録
『ハードボイルドについて』エッセイ●
1976年04月別冊新評「大藪春彦の世界」●新評社
1979年「大藪春彦の世界』新評社
1979年07月「荒野からの銃火」●角川文庫

1960年04月春の別冊「アサヒ芸能読物特集号」
『ビート族講座 殺しの花形”銃の魅力”』◆(エッセイ?)

1960年04月29日号~「週刊スリラー」森脇文庫
『ウィンチェスターM70』●
1960年08月「ウィンチェスターM70」新潮社
日活1964年02月01日公開 映画『拳銃残酷物語』監督:古川卓巳 主演:宍戸錠 の原作

1960年05月号「ヒッチコックマガジン」宝石社
『勝手にしやがれ!』◆(エッセイ?)

1960年06月号「宝石」宝石社
『夜明けまで』●
1960年08月「鉛の腕」荒地出版社

1960年06月~(号か月かは不明)「週刊新潮」新潮社
(1960年11月猥褻文書の疑いで中断。「出会い」の章あたりでか?)
『血の来訪者(伊達邦彦シリーズ長編第1作)』●
(中断後200枚加筆→年が改まった。で始まる「真紅の花」の章からであろう)
1961年02月「血の来訪者(野獣死すべし 第三部)」新潮社

1960年07月号「婦人公論」中央公論社
『野獣の青春』●エッセイ
1979年07月20日「荒野からの銃火」●角川文庫

1960年08月号「宝石」宝石社
『ぼくらの推理小説』◆(エッセイ?)

1960年08月号「中央公論」中央公論社
『テロのムード』●超重要エッセイ
1972年08月「狼はしなやかに跳ぶ~大藪春彦の世界1~」●
1979年07月「荒野からの銃火」●角川文庫
1996年08月「蘇る野獣 追悼特集大藪春彦の世界」●徳間書店
1999年02月「蘇る野獣―大藪春彦の世界」徳間書店
※小林信彦「そんなもの「中央公論」に書くなっていうんだけど」
※【拳銃の不法所持で挙げられたこともあって】



1960年08月28日号「週刊アサヒ芸能」アサヒ芸能出版
『野獣は死なず――’盗作者’という中傷について――』
 日活1959年05月26日公開 映画『街が眠る時』の原作である、
 1958年「講談倶楽部」講談社 掲載
『街が眠る時』の盗作疑惑への反論)
 これと、1960年『火制地帯』の盗作疑惑により、
 1960年03月入会した「他殺クラブ」を、1960年08月脱会。

1960年(10月頃か)「別冊週刊サンケイ」サンケイ新聞出版局
『話の市 一寸一言』◆(エッセイ?)
単行本未収録

1960年10月号「講談倶楽部」講談社
『怒りの航跡』 
1960年10月「殺す者殺される者」浪速書房
1960年10月「殺す者殺される者」ナニワ・ブックス
1966年08月「最後の銃声」オーヤブ・ホットノベル・シリーズ
1975年12月「最後の銃声」大藪春彦活劇選集
1982年11月「復讐は俺の血で 初期短編集1」角川文庫
1984年04月「最後の銃声」徳間文庫
1991年04月「最後の銃声」トクマ・ノベルズ

1960年(11月頃か)「別冊週刊サンケイ」サンケイ新聞出版局
『くたばれ! トップ屋』◆(エッセイ?)
単行本未収録

1960年12月号「ヒッチコックマガジン」宝石社
『特集 ガン・ダイジェスト 弾道講義』●かな?
1966年10月「GUN研究」桃源社 に収録とおもふ

1960年「ヒッチコックマガジン」宝石社
『特集: GUNのすべて 初猟記』◆
単行本未収録とおもふ
註:こーゆーのは、
 1972年『野獣の青春 大藪春彦の世界2』徳間書店 
 「次巻は僕の若き日の履歴書とでもいうべき「野獣の青春」を中心に、銃や射撃競技や狩猟、二輪や四輪のモーター・スポーツなど盛り沢山の小品や対談や座談会記録を大量に詰めこむことになっている。ご期待ください。」
 に収録されているのではないか?
 うわー読みてえなあ。

1961年01月01日号~1961年10月08日号「週刊アサヒ芸能」アサヒ芸能出版
『凶銃ルーガーP08』●
『戻り道はない(続 凶銃ルーガーP08)』
1961年08月「凶銃ルーガーP08(第一部)」アサヒ芸能出版
エクセレントフィルム1994年01月29日公開 映画『凶銃ルガーP08』監督:渡邉武 主演:阿部寛 の原作

1961年01月号~1962年10月号「ヒッチコックマガジン」宝石社
『新連載 GUN相談室(第1回~第22回)』
1966年10月「GUN研究室」●桃源社
 単行本は読んだぞ。

1961年01月号「宝石社」宝石
『食べある記晩酌のツマミ 』◆(エッセイ?)

1961年10月号「小説倶楽部」桃園書房
『殺意』短編●
※1958年07月から1959年06月頃までの間 初出誌不明に、同名小説『殺意』ある。
1959年08月「明日を消せ」光書房
1961年03月「明日を消せ」同人社
 以下『殺意』つータイトルの作品を含む短編集。どっちがどっちだかわからん。
1960年10月「殺す者殺される者」浪速書房
1964年10月「殺す者殺される者」ナニワ・ブックス
1966年10月「静かなる殺し屋」オーヤブ・ホットノベル・シリーズ
1970年11月「静かなる殺し屋」大藪春彦活劇選集
1973年07月「黄色い魔手」サンポウ・ノベルズ(産報)
1980年10月「極限の狩人」●角川文庫
1987年06月「ザ・狙撃者」徳間文庫


1961年10月15日号~「週刊アサヒ芸能」アサヒ芸能出版 
『野獣都市』●
1962年07月「野獣都市」アサヒ芸能出版
東宝 1970年05月23日公開 映画『野獣都市』監督:福田純 主演:黒沢年男 の原作
「事業家」の章に小口径のベレッタ・ジャガー自動装填式拳銃、競技用〇・二二スーパー・マッチ弾使用は出てくる。



1961年12月号「推理ストーリー」双葉社
『拳銃稼業』●
1962年05月「挫折」東京文藝社(1967年以降「邪魔者」) 

1961年12月臨時増刊号「小説倶楽部」桃園書房
『最後の銃声』●?◆
※1959年07月号「宝石」宝石社にも同名小説『最後の銃声』●有り

1962年01月号「小説倶楽部」桃園書房
『殺人請負います』●
1962年05月「挫折」東京文藝社(1967年以降「邪魔者」) 

1962年頃か? 初出誌不明
『人狩り』●
1962年10月「人狩り」新潮社ポケットライブラリー
日活1963年04月21日公開 映画『野獣の青春』監督:鈴木清順 主演:宍戸錠 の原作

1962年05月14日号~1962年10月29日号「週刊新潮」新潮社
1962年 - 新潮社(単行本)
『探偵事務所23』連作短編●
1962年12月「探偵事務所23」新潮社
日活1963年01月27日公開 映画『探偵事務所23 くたばれ悪党ども』監督:鈴木清順 主演:宍戸錠 の原作/第1話「都会の墓場」
日活1963年07月07日公開 映画『探偵事務所23 銭と女に弱い男』監督:鈴木清順 主演:宍戸錠 の原作/第2話「鼠退治」及び第3話「死の商人」


1962年~1964年「週刊アサヒ芸能」アサヒ芸能出版 
『蘇える金狼』●
1964年01月/1964年07月「蘇える金狼」 平和新書
東映1979年08月04日公開 映画『蘇える金狼』監督:村川透 主演:松田優作 の原作
オリジナルビデオ1998年 『蘇える金狼2 復活篇』監督:渡辺武  主演:真木蔵人 の原作


1963年04月臨時増刊号「宝石」宝石社
『下宿の片隅から』◆ (エッセイ?)


1963年11月号「宝石」宝石社
『廃銃』●
1964年06月「廃銃」浪速書房

1963年12月号「月刊Gun(創刊号)」国際出版
『独り狼』●
1963年07月「独り狼」東京文藝社

1963年12月号「宝石」宝石社
『ハードボイルドであろうがなかろうが』● エッセイ
1976年04月 別冊新評「大藪春彦の世界」●新評社
1979年「大藪春彦の世界』新評社
1979年07月「荒野からの銃火」●角川文庫

1964年04月18日号,1964年06月06日号他「週刊漫画TIMES 」芳文社
『孤剣』●角川文庫版『赤い手裏剣』
1964年09月「孤剣」 桃源社
大映1965年02月20日公開 映画『赤い手裏剣』監督:田中徳三 主演:市川雷蔵 の原作


1964年05月号「宝石」宝石社
『五輪の陰で』◆
1964年06月「廃銃」 浪速書房



1964年08月08日号~1965年01月24日号「アサヒ芸能」アサヒ芸能出版
『伊達邦彦地球を駆ける―モナコ王国危機一発』(のち『諜報局破壊班員』◆)
1965年01月「諜報局破壊班員」オーヤブ・ホットノベル・シリーズ1

1965年02月~1965年03月の号「週刊アサヒ芸能」アサヒ芸能出版
『伊達邦彦地球を駆ける―ハーレムより愛をこめて』◆
1965年03月01日大藪が拳銃不法所持で逮捕されたため中断

1965年より前 初出誌不明 ショートショート(少なくとも16編はある)
(1965年01月オーヤブ・ホットノベル・シリーズに少しずつ収録されている)
ショートショートのタイトのみ書いておく。
『水路』『自滅』『心臓に二発』『道楽』『鹿山』『リンチ』『悪運』『逆襲』『魔のカーブ』『暴発』『揉め事』『罠』『サロン・ハンター』『お客様』『目撃者』『ブルー・クリスマス』全部●
1972年08月「狼はしなやかに跳ぶ~大藪春彦の世界1~」●
1965年01月~オーヤブ・ホットノベル・シリーズ

--------------1965年03月01日以後はここにあり----------

大藪春彦 血まみれの初期作品初出一覧(エッセイと対談は全期間書いた上、中短編作品集名も入れたあげく、映画原作全部付き)+欲しかった拳銃についての記載時系列一覧(下)


しばらくの間は、
1965年03月01日以降↓ものせたままにしよう。


時期不詳 初出誌不明
『破壊指令No.1』●
1966年10月「破壊指令No.1」光文社 
日活1967年10月02日公開 映画『爆破3秒前』 監督:井田探 主演:小林旭 の原作

1966年10月18日号「話のタネ本」日本文芸社
『美食と大食』●エッセイ
1979年07月「荒野からの銃火」●角川文庫

1966年11月01日号「話のタネ本」日本文芸社
『タバコのけむり』●エッセイ
1979年07月「荒野からの銃火」●角川文庫

1966年11月号「二〇世紀」出版社不明(めんどくさくなったぞ)
『市民武装論』●エッセイ
1972年08月「狼はしなやかに跳ぶ~大藪春彦の世界1~」●
1976年04月 別冊新評「大藪春彦の世界」●新評社
1979年「大藪春彦の世界』新評社
1979年07月「荒野からの銃火」●角川文庫

1966年11月29日号「話のタネ本」日本文芸社
『名犬と芸術と』●エッセイ
1979年07月「荒野からの銃火」●角川文庫

1966年~1969年「週刊アサヒ芸能」徳間書店 
『汚れた英雄』●
1967年05月「汚れた英雄(野望篇)」徳間書店
1968年01月「汚れた英雄(雌伏篇)」徳間書店
1968年07月「汚れた英雄(黄金篇)」徳間書店
1969年06月「汚れた英雄(完結編)」徳間書店
東映1982年12月18日公開 映画『汚れた英雄』監督:角川春樹 主演:草刈正雄 の原作

1967年02月07日号「話のタネ本」日本文芸社
『僕のハードボイルド』●エッセイ
1976年04月 別冊新評「大藪春彦の世界」●新評社
1979年「大藪春彦の世界』新評社
1979年07月「荒野からの銃火」●角川文庫

1967年05月30日号「話のタネ本」日本文芸社
『ヨッヘン・リント』●エッセイ
1979年07月「荒野からの銃火」●角川文庫

1967年06月号「AUTO SPORT」三栄書房
『非常のサラブレッド生沢徹』●エッセイ
1979年07月「荒野からの銃火」●角川文庫

1967年07月01日号「新刊ニュース」東京出版販売
『ラブミー農場と文学』深沢七郎との対談●
1972年08月「狼はしなやかに跳ぶ~大藪春彦の世界1~」●
1976年04月 別冊新評「大藪春彦の世界」●新評社
1979年「大藪春彦の世界』新評社

1968年01月09日号「週刊プレイボーイ」集英社
『武器の快楽』三島由紀夫との対談●
1972年08月「狼はしなやかに跳ぶ~大藪春彦の世界1~」●
1976年04月 別冊新評「大藪春彦の世界」●新評社
1979年「大藪春彦の世界』新評社
1996年08月「蘇る野獣 追悼特集大藪春彦の世界」●徳間書店
1999年02月「蘇る野獣―大藪春彦の世界」徳間書店

1968年08月号「CARトップ」交通タイムス社
『傷だらけのレーサー』●エッセイ
1979年07月「荒野からの銃火」●角川文庫

1969年04月15日号「週刊プレイボーイ」集英社
『俺は再びガンを持てる!』●エッセイ
1979年07月「荒野からの銃火」●角川文庫

1969年04月17日号「週刊アサヒ芸能」徳間書店
『原体験となった”傷だらけの青春”』吉行淳之介との対談●
1972年08月「狼はしなやかに跳ぶ~大藪春彦の世界1~」●
1976年04月 別冊新評「大藪春彦の世界」●新評社
1979年「大藪春彦の世界』新評社
1979年07月20日「男たちよ闘いの荒野に死ね」●角川文庫
1996年08月「蘇る野獣 追悼特集大藪春彦の世界」●徳間書店
1999年02月「蘇る野獣―大藪春彦の世界」徳間書店

1969年11月11日号「週刊プレイボーイ」集英社
『10・21ハードボイルド報告』●エッセイ/70年安保デモのルポルタージュ
1972年08月「狼はしなやかに跳ぶ~大藪春彦の世界1~」●

1969年「勝利」勝利出版
『幻の高速車』●エッセイ
1979年07月「荒野からの銃火」●角川文庫

1970年01月号「AUTO SPORT」三栄書房
『トップ・ドライバーの恋人は? 契約金は? テクニックは?』●座談会
司会
 大藪春彦・藤本彰「AUTO SPORT」編集長
出席者
 高橋国光・北野元・黒沢元治(ニッサン・チーム)
 鮒子田寛・川合稔・久木留博之(チーム・トヨタ)
 浅岡重輝(チーム・いすゞ)
 《誌上参加》加藤爽平(三菱・チーム)
1979年07月20日「男たちよ闘いの荒野に死ね」●角川文庫

1970年05月号「推理界」浪速書房
『レーシング・ドライバーの死』●エッセイ
1979年07月20日「荒野からの銃火」角川文庫

1971年01月号「月刊現代」講談社
『マンネリを破る悪徳行動学入門』●聞き書きエッセイ
1972年08月「狼はしなやかに跳ぶ~大藪春彦の世界1~」●

1971年10月号「AUTO SPORT」三栄書房
『ケンさんは不滅の勝負師として生きる』●エッセイ
1979年07月「荒野からの銃火」●角川文庫

1972年01月号「ホリデー・オート」モーターマガジン社
『これが俺たちのスピードの世界だ』●座談会
聞き手
 大藪春彦
出席者
 生沢徹・北野元・黒沢元治・鮒子田寛・米山二郎
1979年07月20日「男たちよ闘いの荒野に死ね」●角川文庫

1972年05月号「いんなあとりっぷ」佛乃世界社
『虚像と実像』●エッセイ
1979年07月20日「荒野からの銃火」角川文庫

1972年09月号~全12回「いんなあとりっぷ」佛乃世界社
『敗戦の頃 “衝撃の戦争体験”』●エッセイ
1979年07月20日「荒野からの銃火」角川文庫

1972年12月号「潮」潮出版社
『わが野獣の青春期――死にたくなったら俺を見よ――』●談話をまとめたもの
1976年04月 別冊新評「大藪春彦の世界」●新評社
1979年「大藪春彦の世界」新評社
1979年07月「荒野からの銃火」●『痛めつけられた青春の果てに』と改題 角川文庫

1974年秋季増刊号「PHP」PHP研究所
『ビッグ・ゲーム・ハンティング』●エッセイ
1979年07月「荒野からの銃火」●角川文庫

1975年「野生時代」角川書店
『我が尊敬するマルコポーロ・シープ殿』●エッセイ
1979年07月「荒野からの銃火」●角川文庫

1975年04月号「いんなあとりっぷ」佛乃世界社
『絶望の果てに見つけた人の情け 久保継成との対談』●
1979年07月20日「男たちよ闘いの荒野に死ね」●角川文庫

1976年04月10日号 別冊新評「大藪春彦の世界」新評社
『体験の風化と怒りの持続――権力を恐怖する心といかに戦うか――』五木寛之との対談●
1976年04月 別冊新評「大藪春彦の世界」●新評社
1979年「大藪春彦の世界』新評社
1979年07月20日「男たちよ闘いの荒野に死ね」●角川文庫
1996年08月「蘇る野獣 追悼特集大藪春彦の世界」●徳間書店
1999年02月「蘇る野獣―大藪春彦の世界」徳間書店

1976年04月10日号 別冊新評「大藪春彦の世界」新評社
『四十一歳の伊達邦彦は何をめざすか インタビューアー大下英治』●インタビュー記事
1979年07月20日「男たちよ闘いの荒野に死ね」●角川文庫『伊達邦彦の生みの親は何をめざすか!』に改題

1976年05月03日号「平凡パンチ」平凡出版
『われら大学・早稲田大学 篠田正浩との対談』
1979年07月20日「男たちよ闘いの荒野に死ね」●角川文庫『人類滅びて、ワセダが残る』と改題

1976年06月号「酒」出版社不明
『野生の味』●エッセイ
1979年07月「荒野からの銃火」●角川文庫

1976年08月10日 書き下ろし カッパブックス ‎ 光文社
『わが血闘の記録 野獣を撃つ(上下巻)』海外ハンティングのエッセイ
1979年11月25日『ザ・ビッグ・ゲーム』●集英社

 『わが血闘の記録 野獣を撃つ』+モンゴール,カナダおよびモンタナロッキー加筆
1991年10月25日『ザ・ビッグ・ゲーム(上下巻)』●徳間文庫


初出日及び初出誌不明 とりあえずここに置いておく
『射撃人にとっては暗黒時代です 小池一雄との対談』●
1979年07月20日「男たちよ闘いの荒野に死ね」●角川文庫

1977年02月号「平凡パンチOH」平凡出版
『青春・夢・冒険・野生 西丸震哉との対談』●
1979年07月20日「男たちよ闘いの荒野に死ね」●角川文庫

1977年04月01日号「週刊小説」実業之日本社
『グレート・アドベンチャーに賭ける 三浦雄一郎との対談』●
1979年07月20日「男たちよ闘いの荒野に死ね」●角川文庫

1977年09月09日号「週刊小説」実業之日本社
『僕の銃歴』●エッセイ
1979年07月「荒野からの銃火」●角川文庫

1978年04月号「シューティング・ライフ」ライフ出版
『ビッグ・ハンティングの魅力 佐藤修との対談』●
1979年07月20日「男たちよ闘いの荒野に死ね」●角川文庫

1978年04月01日号「月刊小説」出版社不明(めんどくさいぞ)
『戦士の美酒・苦い酒 インタビューアー井口民樹』●インタビュー記事
1979年07月20日「男たちよ闘いの荒野に死ね」●角川文庫

1978年06月08日号「週刊文春」文藝春秋社
『大藪春彦の入れ込み書評『アフリカの雇い兵』』●書評
1979年07月「荒野からの銃火」●角川文庫

1978年10月号「青春と読書」集英社
『ぼくたちの体験、ぼくたちの小説 谷恒生との対談』●
1979年07月20日「男たちよ闘いの荒野に死ね」●角川文庫

1978年12月号「アイ」主婦の友社
『男の中の男だったハンティング・ガイド』●談話をまとめたもの
1979年07月「荒野からの銃火」●角川文庫

1978年12月号「ギャラントメン」メール・オーダー
『ビートルズを撃て!』●談話をまとめたもの
1979年07月「荒野からの銃火」●角川文庫

1979年05月28日号「平凡パンチ」平凡出版
『書斎にあってハンティングを想い、獲物を追って書斎を思う インタビューアー平岡正明』●インタビュー記事
1979年07月20日「男たちよ闘いの荒野に死ね」●角川文庫

1979年07月「荒野からの銃火」●角川文庫
『あとがき』●1979年06月記す

1979年07月20日「男たちよ闘いの荒野に死ね」●角川文庫
『あとがき』●

1979年08月23日号「週刊アサヒ芸能」徳間書店
『二輪最大の祭典』●エッセイ
1996年08月「蘇る野獣 追悼特集大藪春彦の世界」●徳間書店
1999年02月「蘇る野獣―大藪春彦の世界」徳間書店

1980年06月号~1984年06月号「コンバット・マガジン」ワールドフォトプレス
『俺とGUN』●エッセイ
1996年08月「蘇る野獣 追悼特集大藪春彦の世界」●徳間書店
1999年02月「蘇る野獣―大藪春彦の世界」徳間書店
2004年06月「孤高の狙撃手」●光文社『銃は我が分身』と改題

1980年07月10日発行(書き下ろしとおもふ)「別冊ベストカー」堅省堂/講談社
大藪春彦のワイルド・ドライビング』●赤バッジスリーズ

1985年11月20日全面的に加筆「4WDワイルド・ドライビング」光文社文庫
 削除「第3章 これがオフ口ード・トレイルだ」
   「第4章 闘志でぶつかるサーヴァイヴァルアドベンチャー」
   「第6章 ちょっと手ごわい全国オフロードガイド」
 加筆 アウデイ・クワト口のこととか

1982年04月22日号~1983年10月27日号「スコラ」スコラ社
『素晴らしきアメリカ射撃旅行』●エッセイ
2004年06月「孤高の狙撃手」●光文社

1983年03月03日月刊コンバットマガジン3月号臨時増刊「ナイフ大図鑑」KKワールドフォトプレス
『大藪春彦ナイフを語る 野獣の爪のように機能美を備えたナイフがいい。』●巻頭インタビュー記事10頁


1983年11月号「翼」航空新聞社
『拳銃』●エッセイ
1996年08月「蘇る野獣 追悼特集大藪春彦の世界」●徳間書店
1999年02月「蘇る野獣―大藪春彦の世界」徳間書店

1983年11月30日 書き下ろし 徳間書店
灼熱のサファリ』●1980年08月~10月南ア,ボツワナでのビック・ゲーム・ハンティング・サファリの記録エッセイ

(たしか文庫化されていないハズ)

時期不詳1985年頃か? 初出誌不明
『地獄からの生還 ザ・サヴァイヴァル』◆
1986年12月「地獄からの生還 ザ・サヴァイヴァル」光文社
オリジナルビデオ1995年 『野獣 地獄からの生還』監督:吉田使憲  主演:高嶋政宏 の原作

1993年03月号「酒」出版社不明
『ハンターと酒』●エッセイ
1996年08月「蘇る野獣 追悼特集大藪春彦の世界」●徳間書店 
1999年02月「蘇る野獣―大藪春彦の世界」徳間書店

1993年03月号「新潮45」新潮社
『死んでしまった野獣たちへ』●エッセイ
1996年08月「蘇る野獣 追悼特集大藪春彦の世界」●徳間書店
1999年02月「蘇る野獣―大藪春彦の世界」徳間書店

1994年?「Talk talk」いんなあとりっぷ社
『《聞き語り》私の終戦前後』●エッセイ
1996年08月「蘇る野獣 追悼特集大藪春彦の世界」●徳間書店
1999年02月「蘇る野獣―大藪春彦の世界」徳間書店

1995年01月号「wan」緑書房
『名犬か、迷犬か? 愛犬チリー』●エッセイ
1996年08月「蘇る野獣 追悼特集大藪春彦の世界」●徳間書店 
1999年02月「蘇る野獣―大藪春彦の世界」徳間書店

1995年04月刊行「復讐のシナリオ」に掲載予定だった
『ハードボイルドの原風景』●海外ハンティングについてのエッセイ
2004年06月「孤高の狙撃手」●光文社

時期不明 最後の短編 自費出版「小説アイヌ犬」
『アイヌ犬の咆哮』●
1996年08月「蘇る野獣 追悼特集大藪春彦の世界」●徳間書店 
1999年02月「蘇る野獣―大藪春彦の世界」徳間書店

1996年02月26日
死去
死因は肺線維症、肝臓線維症による自然死
コメント
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