想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

この頃の事など

2024-04-10 18:31:56 | Weblog
九段下駅から地上に出ると雨が降っていた。
近くのカフェで待つことにしたが店内は
昼時とあって混み合っている。
雨にあたらないテラス席に二人分席を取り
通りを眺めた。
この三ヶ月間、編集そして校正に費やした。
濡れた街を行き交う人や車の音が消え
私のなかは静かだった。やっと、どうにか。

印刷会社の担当部長は遅れてきた。
桜見物で渋滞したからだと息荒くして言う。
遅くなったから社に行きましょうかと言う。
桜見ましたか、とか、言う。

地下鉄で移動し、急ぎ目的地へ歩くので
桜は見なかった。
言われて見渡すと、すぐそばにも桜はあった。
ああ、咲いていますね、たくさん。
いやあ、これじゃなくてあっち、と指さす。

この人はいつも明るい顔をしている。
あのね、丸坊主ではないけど坊主頭が
似合いそうで目がまん丸、
で、顔もまん丸なの、なんとなく
両手で挟みたくなる感じ。
そう説明したら、ああ、わかるわ、ああ。
知人はうんうんと肯く。

担当部長とは何回も仕事をした理由は
他のなんでもない、まあるい顔と眼である。
安房宮源宗先生の新刊の印刷も依頼した。
聖徳太子 三法を説く 先代旧事本紀大成経伝(六)。
4月19日発行にどうにか間に合いそうだ。



エー・ティー・オフィス

400ページの校正はきつかったが丸い部長が
へーきな口調で、戻しは明日ですよね、
だいじょうぶですよねと急がせる。
神経症のようになって校正をし続け、
修正ミスに気づき、ああああと慌てる、
そういう夢を日々見続けた。
緊張の日々であったが、もう桜が咲いている。

印刷会社を出ると人が流れる方へ歩いた。
北の丸公園の方だ。
しばし歩き、歩いている場合じゃあないと
気づいて引き返し地下鉄に乗って事務所へ戻った。

地下鉄といえば先日、ちょっとした出来事に遭遇した。
乗車口の扉のそばに女性が背中を丸くして
立っていた。発車して間もなく泣き声がした。
声はすぐに大きく激しくなり、号泣であった。
声の主は小柄なその女人のようだ。
電車はそこそこ混んでいて背中しか見えない。

次の駅に停車している間、声は小さくなり
息を継ぎ、鼻をかみ、再び泣いた。
ターミナル駅に着くまでの数駅、泣き声は
止まず、周囲の人はみなその声を聴き続けた。
項垂れている人、片手で耳を押さえる人、
だが誰も怒らなかった。
声を揚げる人はいなかった。
赤ん坊の泣き声にいらだつ人はいるけれど
大人の女人の哭泣にはひたすら堪えていた。

降りるとその人のそばに行った。
小さな背中。手をおき、小声でたずねた。
どうかしましたか、だいじょうぶですか、と。
改札口へ急がず立ち止まっている人が数人、
何事かと見つめていた。

うつむいているが若い人だとわかった。
かすれた声が途切れ途切れに言った。
勤めにいかなくちゃならないのに涙が止まらない。
いかなくちゃならないのに。

その人の背中を抱いたまま少しずつ歩いて
改札を出た。
改めてだいじょうぶかと尋ねるとようやく
顔を上げ涙を拭いてうなずいた。
だいじょうぶそうではないなと思った。
周りにいた人はすでにそれぞれ去っていた。
名刺を渡し、何かあれば電話してと言い別れた。



コンコースを歩いているときだった。
脇をさっと追い越した人がいた。
ふとみると、さっきの女性だ。
わたしの倍くらいの速度で先へ歩いていく。
髪をうなじの上にきっちりまとめ、
着物の裾を濡れないように上げた足元が見えた。
私がさっきまで触れていた背中の柔らかさは
あの絹の着物コートだったのか。
まっすぐに背を伸ばして歩く後姿を見ながら
拍子抜けの安堵感にちょっと笑った。

しかし、だ。
笑えない理由も思い当たるのだった。
突然悲しみにとらわれて涙が止まらない、
歩きながら泣く、立ち止まっても泣く、
どうしようもない、理由などない涙。
若い頃、幾度も経験した。
理由を知ったあともそれは続き、私は学んだ。

泣くという行為だけでなく、怒るという人も
いるだろう。止まらない怒りや暴力、暴言。
自分なのか、誰なのか、理由を思う余裕もなく
押し寄せてくる激しい感情に捕らわれる。
憑依が原因であると知れば逃れられるわけではない。
さまざまな形で表れ、翻弄される。

私は電車の中で泣き声を聞きながら、
その人に安らぎをどうかお与えくださいと祈った。
それで叶うほど容易くないことはよく解っているが願い、
祈り続けるしかなかった。



さて森は最後の雪が三月に降り、今年はそのまま春へ
向かっているようです。
ふきのとうはもう薹が立ちはじめ、
水仙が咲きはじめました。












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鬱の友がいて

2024-02-13 23:22:18 | Weblog
点滅社@tenmetssyaの好評新刊「鬱の本」を
まだ手にしていない。
編集の屋良さんは元気だったり、出なかったり、
で、なんとかどうにか生きていよう、と
呟いている

そして、私の数少ない友人で大事な人が
連絡してきた。
ぼくはいまうつ病ですと。

久々に届いた手紙を開いたら、いつもの
小さなリトグラフが入っていた。
ずっと待っていたからすごく喜んだ。
急に盛り上がっている自分が可笑しかった。
そして折り畳まれた薄い便箋を開いた。
近況が綴られていた。

ぼくはパソコンも開けない、
メールもできないです、とあった。

どう答えていいか、ずっと考えていて
すぐに返事が書けなかった。
遠いところの友、いつも近くに感じる友、
こんなとき、想うということが何のたしに
なるかわからないけれども
おもうことしかできずにいた。

とても若い頃、わたしを助けてくれた人だ。
助けるなんて思いもしないで助けてくれた。
一万円を借りて、返しに行くと笑った。
まさかあ、返すとは思わんかったー、
返してくれるとは思わんかったー、
と彼の姉さんと二人でわたしをからかう。
それがとても嬉しかった。
なんども冗談にしてその時のことを言う。
この人はマジメだよー、と先に言って、
そこにいる人がほおお、と私を見ると
あのね、とその話をするのだった。

それだけじゃない、ほかにも暗いわたしを
元気づけてくれたことが何度もあった。
年下の私を気さくに相手にして話してくれた。
明るくて、やさしくて、ねばり強かった。

その人がどうしていま鬱なのか。
2020年、彼の本を作る予定が流れ、
コロナ旋風で会えなくなった。
2021、同じ。2022、同じ。
2023、連絡取れず。
この頃、彼は立ちすくんでいたということ。
メールも見れなかったのはそういうこと。



手紙の最後のほうに、
でも個展のために準備している、とあった。
それが実現しますようにと祈っている。

返事を書けなかった間、鬱々としていた。
ああ、思うことができないというのは
こうしてなるのかと思ったりした。
抗って、ふつうに生活しようとした。
ふつうが遠くにいかないようにと自分を
引きあげようとしていた。
読みかけてすぐやめるから積ん読本が
テーブルに散らかっている。
買ったことを忘れてへーっと思ったりする。
人の書いた文を読むのが面倒だった。
人の思いに触れるから。

いつのまにか独り言を言うようになった。
自分を叱る、詰る、詰る、ハッパかける、
つもりなんだなあともうひとりの私が思う。
はーいと返事する。

そうこうしながら仕事をしつつ、
二月も半ばになった。

独り言が引っ込んできたので頭の中の
整理をしている。
自分のバカさを詰るのはやめよう。
そんなに言うてもなあ、と。
恥ずかしくなく生きるというのは
誰に対して恥ずかしいのか、
自己嫌悪はなぜ嫌悪するのか、
なにを許せないのか、
愚かなのはそもそもであるということだと
気づけばほかに何もない。
一番大事なことを忘れないのが大事。

明日また、と言えるのはありがたい。
友に、彼らにあの子に明日がありますように、と心から祈る。



















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緊張と弛緩

2024-01-09 20:26:47 | Weblog
正月休みでした。
おだやかすぎて、トウキョーに戻って
頭がはたらくのか心配するほど
伸び切っていました。



上の方ほどではないけれど
例年降るはずの雪が降らないのが
よかったのです。

降った時に備えて色々と準備していました。



これはユンボ、バックホーですね、
これで敷地内は除雪するのですが、
操作できなかったので特訓してもらいました。
操作レバーが左右にあって十字に動かして
いろいろやれるのですが、頭がとろくて
なかなかうまくいきません。
毎日30分ずつ3日やって、なんとか
車庫入れができるようになり、
いよいよ年末を迎えました。

で、毎日エンジンをかけて、
車の近くに置いて、バッテリー上がりには
繋げるケーブルも用意して、と。
自力でしのぐぞ、と頑張って、
がんばりすぎて神経がトンガって
三が日は眠れませんでした。
おかげで天井裏でナニカがガサガサ
しているのに気づきました。
ずっといたのか不明だけど
気づいたら毎晩一定時刻にガサガサする。

緊張してたのに粉雪が降っただけで、
5日からさらに晴れていい天気。



夕焼けに染まった空の色が刻々と変わり
スマホのカメラではうまく撮れなくて
あきらめて眺めてました。

ニュースを見ると諦めはつかないことばかり、
忍耐している人々がどんだけいるのかと
晴れた空に重い鳩尾、
やるせないのは古代も今如も同じ。
易経を読んで過ごした。
鼎は吉。玉鉉がついていたら大吉なり。
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自分では気づかない傷み

2023-12-04 20:37:48 | Weblog
夢のなかで某有名俳優に似た男が父
ということであれこれと話が進む。
進むんだが、進まなくなったところで
目が覚め、あるいは話の衝撃で目覚めたり、
話がぐるぐる回って進まないので、
これは夢と気づいて終わる。

でも何かおかしい感じがするのだった。
あれは父さんじゃない、誰?
父さん役をしているのは誰だろう?
わたしが父だと思って話したり見たり
しているんだが、顔が違うのだ。
夢の中では気づかないが。
目覚めてしばし考えて、気づく。
そのようなことが二度あって、今朝は三度目。

三度目はさらに進んた。
父らしき人が母を見守っている。
看病している。
母さんがわたしに何か言った。
父さんは母さんに話しかけていた。
わたしは母さんの声で目が覚めた。

目が覚め、父らしき人の顔を思い出すと
それは某俳優の顔であった。
三度も夢に出演したその俳優が
父と似ていることにそのとき初めて気づいた。
なるほど‥似てるわ、でも違うわ、ぜんぜん。

母の言葉に胸を打たれてわかったことがあった。
物語(夢)のなぞがいっぺんに解けていった。
その俳優が演じた父に重なる人が
もうひとり別にいることにも気づいた。
微妙に似ていて似ていないけれども。

母がなんと言ったか。
その声は少しも母さんらしくなく、
少女のようにたよりなかった。
父はついぞ見たことがないやさしい態度で、
母を見守っていた。

見たことも体験したこともないことばかり、
でも父と母とわたしの話であった。
脳みそは面倒臭いことをしてくれたものだ。

おそらく、とうぶんは父の夢はみないだろう。
見てもあの顔でなく、わたしのよく覚えている
葬式で使った写真の顔や、幼ない頃に
そばで仕事している横顔で出てきてほしい。

今と
今あることを大事にしようと思った。






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オリーブの木を思う

2023-11-29 17:11:12 | Weblog
いつもなら12月初旬に降り始める雪が
今年は11月24日深夜から朝にかけて降った。


早朝、裏庭からの景色。
クマザサが雪で覆われている。
陽が昇ると消えてしまうから
ガウンを羽織ってサンダルで庭に出た。
写真を撮る。
だって初雪だもの。



秋が終わりひんやりとした初冬の空気。
数日前、雪粒が飛んでいた。早いな、
秋はまだいるのに、と思ったが‥降った。

では、いつもどおりに秋が過ぎた証を。




先週は都内でパレスチナ人を支援し
イスラエルに抗議する集会のチラシを受け取った。
労働組合の団体幾つかが共同主催になっていた。
週末は行けないけれども署名とカンパをし、
少し話をした。

オリーブの木を燃やしたらしいね、
根っこに薬剤を入れて枯らすんだ。
侵入して土地を奪うっていうのが今時
許されるってのがね、
暴力だね、暴力がのさばって止まんない。
オリーブは収穫時期なんだよ。

日本なら田んぼを盗られるってことよね、
稲が実ってるのを、踏みつけて。
火を放って燃やされる、同じ人間同士で
言葉じゃなくて武器を使って。



ペンで闘う人がいなくなったのか。
サイード、マフムード・ダルウィーシュが
生きていたらと思う。

「ホロコーストを利用するのを止めてほしい
とイスラエルのユダヤ人に願うのであれば
私たち(パレスチナ人)もまたホロコースト
などなかったとか、非難し敵視する愚昧な
状態を脱しなければならない。

どのような社会にも公正と不正の抗争、
無知と知識の抗争、
自由と圧政の抗争があるのだ。
単に教えられたからといって片方の側に
つくべきではなく、その状況のすべての
側面について、なにが正しいのか、
なにが正当なのかを注意深く選択し
判断を下すべきである。

自分自身のために批判的に思考する仕方を
学ぶこと、そして自分自身のために、
ものごとの意味を理解する仕方を学ぶこと。」

サイードのこれら言葉はピアニストで指揮者の
バレンホイムがヴァーグナーの曲を指揮した
ことに関して、簡単にいえば芸術作品を人格の
善し悪しで色分けしたり線引きする短絡と
危うさを述べることでパレスチナとイスラエル
の相互理解への糸口を提示したものだ。

当然、サイードはバレンホイムの真意を
理解しているが、メディアや大衆の多くは
罵詈雑言と当惑で受け止めた。それは、
反ユダヤ主義のヴァーグナーは演奏しては
ならないという合意を前提にしている。
果たしてそうかと考える人がいたにしても
密かに自分の胸のうちに留めおくのが
無難、そこから踏み出せない社会だ。



ハマスの拠点だから爆撃したとイスラエルが
主張するシファ病院は、新生児が数十名いた。
ガザだけでなく、オリーブ畑も家も兵士ではない
イスラエルの一般人が暴徒化し、襲っている。
その陰に欧米列強、帝国主義の悪の沼が見える。

「時の前に歴史は決して止まったままでいることはない。
歴史のなかではなに一つ変化をまぬがれず、
歴史のなかではなに一つ理性を超えることはなく、
また理解や検討や影響の対象になり得ないものも
ないのである」とサイードはいう。
この言葉を真実にするにはどうしなければならないか。

サイードの言葉をもう一度書いておこう。
知ること、批判的に思考し考えること。
理解する仕方を学べ、という。
人が並ぶところに集まり、人が指さす方を見て
人が言うことを後追いして言い、最後に
「知らんけど」と笑ってごまかし考えない。
大阪人のシャレでは済まされないいまや全国的。
こんなのは軽薄なTVの中だけでいい。
現実世界は、悪を悪とも思わない人間が
頂点に立ち、救いを待つ人々を見下し、
多くの人が希望を、自分の魂をなくしかけている。


今年のさいごのバラが寒空のした咲いていた。
一重のカクテル。

******************
近ごろ、ちょっとうれしかったこと。
「神文伝」先代旧事本紀大成経伝(五)
また注文が増えていますよと取次から連絡。
半年過ぎると返本の嵐とは出版社あるある
なのだがいまのところ嵐には遇わずに
済んでいての連絡だったから。

神文伝の四七文字の最後は
悪・攻・絶、そして欲・我・削(あせえほれけ)
人間が生み為す貪欲と悪事を攻め、絶てとある。
言葉巧みに隠された我欲、貪欲、放埒の三毒を
見抜き、絶てと教える。
これが平和への道だ。
千三百年遡ろうとも悪の原因は今と同じである。














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忘れる

2023-10-24 20:22:43 | Weblog
(シュウメイギクが満開なので摘んできた、なぜに夜写すのか?な。)

年配の知人がよく話しているのを聞いてはいたけれども‥
忘れる、思い出せない、、、突然思い出す。
これが今日のわたくし。

数日前はオートマ車と○○車の○○がとんと
思い浮かばず、翌朝ストレッチしている時に
あああ、マニュアルだあ、と記憶が蘇った。
たったそれだけのことだが、この思い出せない
ことへのなんというか、残念感と思い出した時の
さらにがっかり感。思い出したからといって
うれしくはないのである。

人の名前はどんどん忘れている。
たまに思い出すと、あ、そうか、そうだった、
くらいだが、別のをまた忘れる。
こうして忘れることを味わっている。


(洗ってぴかぴかになったよ、りんご)

みんな覚えていて一つも忘れないことの方が
よほど辛い。忘れてしまいたいことがあっても
私は酒を飲まないので、忘れられるならそれで
いいのである。
仕事上で必要なことはどうにかして調べたり
尋ねたりできるから今のところ不便はない。
ノートもたくさんとってあるし。


(伐り倒したどんぐりの木の根っこを掘る作業、根が深く広くて大穴が開いた)

忘れることは老化ではなく、これまた成熟か。
キレッキレの早口のわたくしはとうの昔のこと。
1日3ページほど進めばよく出来た!と
パソコンを閉じる。
今やトロトロになり、ダラダラしている。

一日が早く感じる今日、
先が短くなってきているのだけは、忘れない。
やらねばならないことがまだまだあって
手の指にマッサージクリームを塗りながら
他のことはほぼ捨ててしまい一つの事だけを
やっている。

そういうことでブログの更新まで
気が回らないというか、追いつかないのでありました。

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ドラマ「VIVANT」 と書経

2023-09-20 18:56:49 | Weblog
ナツハゼという名は夏のうちに
一番に紅葉が始まるところから
つけられたそうだ。今年の実は
暑さのせいで熟するのが早い。
超酸っぱいジャムの元。

ところで、TVドラマのVIVANTを観たが
主人公乃木が告げるように言った言葉に
注目している多くの人と同じく私もオオッ
皇天ていうか、と盛り上がった最終回。

皇天親なく惟徳を是輔く

台詞でも考察後追いの記事でも惟をタダと
訓んでいるが、次の徳につけた強調詞で
コレというのではなかろうか。
ともあれ、いい台詞!

息子といい、父ベキといい、
彼らが語る日本人かくあるものという
言葉は戦後久しく聞かない。
今では何のこっちゃといわれるくらいだろうから
とても新鮮であった。出典や根拠を知らないと
偏った思想だと勘違いするかもしれないし。
それほどに逆に斬新、またベキの言葉は
原型をかみ砕いて、よく通るわかりやすい
今の日本語表現だったから異論はないだろう。
それが皇天‥とつながっていることを知る
人は少なくても別にかまわない。
結果オーライ、如何に行動するかだ。
アッラーも天照大神も仏陀も真髄は同じ、
その心を知らず言葉だけ知っていても意味はない。


(シュウメイギク)

儒学経典は五経、八経とも五世紀に半島
諸国から調貢として伝わり、それを東儒と
合わせ聖徳太子が官学として定着させた。
太子が著した五憲法、宗徳経、神教経では
儒学と神道、仏法を加えさらに昇華された。
七世紀初頭に聖徳太子が唱えた三法の精神、
民族と宗教を超えて和と成して善へ向かう
という志は、今なかなか通じないので、
脚本に拍手を送りたい。


(濃緑の朴ノ木の葉っぱ)

先代旧事本紀大成経伝(一)(二)(三)
同(四)(五


未熟な仕事ですが、手に取っていただけるとうれしいです。
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おいしい無農薬・野菜たち

2023-08-17 16:40:32 | Weblog
暦では日曜から一昨日までがお盆だったが、
お盆休みというより先週末の3連休を山で過ごし
Uターンラッシュを避け早めに東京に戻った。
お盆を都内で過ごすのは久しぶりだった。
しかし、、暑い。日差しがきつい。

何するわけでなし、、、出かけず仕事した。


森庭はいつもの夏。暑いけれど気持ちよい。
昨年中、伸びすぎた樹木の枝下ろしをしたので
木漏れ日が芝生に挿してきれいだった。
風もよく通る。

小鳥は合唱大会。
どさくさに紛れて烏もくるが「カーっ」と
地主に一喝されて隣地の高木へ逃げ去り
負け惜しみなのか、カーと一声二声鳴く。
制空権は君ではなく地上にあるんだよん、ここだけのはなし。

犬がいないと外で過ごす時間は花木の手入れ
くらいしかない。
プランターに何も植えないまま、もう夏、遅い。
することといえば水まきくらい。
何かしよう何かしようとする貧乏性が抜けない。




ある日、栽培者の氏名を印刷したシールと手書きメモが
一緒に入った無農薬栽培野菜をイオンスーパーでみつけた。
一軒の農家さんが卸していた。
その見栄えの悪いキュウリ、ピーマン、茄子を試しに
食べてみた。‥‥まいうー!(うまいの表現はむずかしい)
こんなに違うのー!?甘いというか味があるというか。
成城石井の野菜を買って持ってきていたが、それより
上品な、けれどはっきりした味なのだ。
ということでイオンに行くようになったのだが残念なことに
いつもあるわけではないようだ。

原発事故から12年経ったが、福島は農業県だったのに
東北他県や関東のが売場のほとんどを占めてきた。
地元野菜は長いあいだ売れなかった。
ようやくこの1〜2年、少しずつ地元の野菜コーナーが
充実してきた。けれども私は手を出すのに勇気がいった。



2011からずっと食品残留放射性物質の検査データを
見続けてきた。測定所が閉鎖して減ってからも
役所のHPにある放射性物質検査データもみてきた。
放射能性物質がゼロになるには長い歳月がかかる。
周辺の放射能測定ポイントの数値がゼロになるのは
私が死後、数十年から百年近くかかるだろう。否、
百年経っても残る核種もある。
役所は半減期の短いセシウムしか検査していないけれども。

海洋放出などもってのほかだ。
全身全霊で反対し続けなければならない、と思っている。
誰も責任を取らない国、罪を償わない国だが、
被害を被っているのは人だけではない。
大地、海、生き物すべて。
国とは何かと考えざるをえない心境にもなる。

だがその思考はそもそも間違っている。
悪をみて善を見失うの図に陥ってはいけないんである。
善、正しさを忘れてはならない。
奴らは悪を悪でないように屁理屈をこね誤魔化し騙しているわけだ。
けれども自らを正しいとは決して言っていない。
しかたがない、という。
悪は攻めて絶えさせねばならん、というのがまっとうな道理。
不安になっている場合ではない。
悪を断つということは人の責任である。

と、森庭で息巻いている。。。。。
(ほんね、無農薬野菜をいつも食べたい。)

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間道をゆく

2023-07-03 21:25:28 | Weblog
そこだけ雲は薄くなって光が零れ差して
明るくなった。

夏は草刈り、小川に溜まった落ち葉掃除、
水の通り道を作り、大雨に備える。

バラは病気にならないように先月から
ニームや無農薬系の消毒液を噴霧した。

小さな小さな虫が蕾を食べにくるのは
止められない。見つけたら払いのけ、
どうにか去年よりたくさん蕾が開いた。
自然と笑みもこぼれる。




間道はかんとう、かんどうとも読む。
ぬけみち、わきみちのこと。
また名物裂に太子間道というのもある。
法隆寺伝来の経絣の紋様で太子の衣で
あったという伝承からの名である。

紋様は古くは自然や祈りや祝祭、崇敬を
形に表している。間道は縞であり道であり
それも大通りではない脇道である。
抜け道であるが裏道ではない。
どこを通るか。いや、どの道にも理由が
あって、なりゆきがある。
道ゆきも。

どう道を選ぶかをいつもいつも選ばされて
生きていくようだ。みんなそうだろう。
選ぶのは自由なのに。



間道をゆく。
間道を着て、いく筋もの間を抜けて
風を感じながら
その時々に聞こえる声に応じながら
通り抜けるところまで
間道をゆく。
六月の庭先で。

「たかまるために間道を行く。」
(細田傳造・みちゆき/2019.5「間道を行く」)
ふっと読みたくなって開いたところ)



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土を喰らう

2023-06-15 20:01:53 | 
水上勉「土を喰う日々」が映画になり、
ジュリー(沢田研二です)が水上役で主演した。
映画はまだみていないけれども原作は
典座の僧が書いたものに水上勉がさらに滋味を
重ねたようで、とてもよかった。

同じ精進料理でも人生の辛みを悟った作家は
ちょっと甘みを足す。けれども酒は使わない。
小僧時代にもったいなくて酒は使わなかった
経験と、野菜本来の甘みや苦味を引き出して
作る。品のある食事である。

穀物や野菜を通じて土からいただく滋養で
命をつないでいく。
聖俗に関わりなくこうした方法が暮らしの
中心にあった時代、人は土を大事にした。

ところで、神文伝の四十七言のなかにある
男田畠耕(おたはく)は農耕の役目を男性の
務めと教え、女蚕績織(めかうを)に衣服を
調え快適な暮らしの元を支える女性の役目
を説いている。
これを男女の違い(差別ではなく)と狭義に
読まないよう留意がいる。陰陽のはたらきが
事となって顕れるとこうなるという一形態だ。
そして、古代から生活の基本がほぼ変わらない、
その本質を読み取ると興味深い。
男女に分けた両方の仕事が、生きるために
不可欠な衣食住を成り立たせる。
人の暮らしの基本を表している。

しかし千年数百年かけてそれらの意味を
人の世は変えてきた。
いまや土を耕すことが生活から切り離され
土も虫たちも生命を亡くしつつある。
自然も額縁の中の絵のように扱っている。



道元「典座教訓」にある細やかな決まりは
表現は異なるが宗徳経の教えにも重なるので
すんなりと入ってくる。
むずかしいことではなくあたりまえのこと。
そうしたほうがどれほどよい結果を生むかと
いうことをこうしてじっとしている時間には
なおさらわかる。

典座教訓は食事のみならず、人が命の原点を
思い出す方法を教えたものともいえる。
それがなければ祖霊供養も神仏祭祀もまた
意味をなさないのである。
典座は僧堂の役目の一つで食事と湯茶の仕事を
担う。大勢の僧侶の命を養う大事な係である。

典座の務めの困難はまずは一日たりとも休みが
ないこと、一日どころか四六時中、離れていい
ということはない。それを難儀に思わずにする
にはなぜそこにいるのかを思い定めていること
かと思う。

求道心がないのに地味で質素で面倒な料理を
他者のために作り続けることはできない。
他者に喜んで食してもらうことを喜びとする
利他心が自然に備わって料理という小さな仕事に
大宇宙を感得するようになる。

さと芋の皮を薄く剥くというのはあたりまえのこと
だと思っていたが、テレビに出ている料理家が
器用に包丁を使うけれどもずいぶんと分厚く
芋の形が残らないくらいに剥いてザルに投げ
入れていくのに驚いたことがあった。
さと芋に触れるとそれを思いだすことがある。

料理ほど心が表れやすい仕事はないと思う。
見栄えよくおいしくできるのがいいという
のではない。典座の仕事から教えられるのは
心からそれを扱い生かし、拵えているか
ということの大事さだ。
だから集中しなくてはできない。
考え事やよそ見をしていては失敗する。
食べる人のことを思って作らず自分の為すこと
に没頭してもだめである。
落ち着き、よく頭をめぐらし、ていねいに
行う。なにより清潔でなくてはならない。

朝食が終われば昼を、昼が終われば夕食を
そして明日のことを備えておく。
こういうことを惓ことなく何年も何十年も
やるのだから、悟りの域に達しもしようと
思う。
また途中投げ出しても、また戻ってやる
ということができればそうすればいい。
許されればありがたい事だが、山門を追われ
戻る道などまあ実際にはない。



山中のわが家のそばには道場があって週末には
人が訪れる。
食事をする台所もある。
そこで三食を拵えて食し森庭仕事などをして
我が身と我が身を置いた空間を観る。
利害と我欲から離れることは難しいので
あえて自然のなかで、見て見ず、触れて触れず
という時間を過ごすのである。
無心になってといっても‥‥作為的にならず、
そこに在るだけということ。
それがとても難しい。

先生は道場でいくらしくじっても怠けても
教えている先生のほうがそれらをぜんぶ
受け止めておられるようだ。
俗世の濁りや醜さの類はニュートリノみたいに
通過させ何をも滞留させない。
私の身体はその反対に、醜悪さと憎悪を
受け止め満身創痍といったところか。
あのギリギリとした痛みが走った時、
自分が何に対して怒るのかを思い知った。
それがとても悲しいのだった。

人は怒ることも悲しむこともある。
理不尽にも遭遇する。
それをどう乗り越えようかと思い
自分をなだめながらの帰り道だった。

自分自身を許すことが一番難しい。
できない分、何ごとにも感謝する。
それで折り合っていくかと思った。
母を思うと母はずっとそうしてきたのでは
なかったろうかと思った。



病はようやく癒えたけれども自分が
負った傷の深さに気づいた。
器が小さく、ただただ未熟なのである。

森は樹々の緑が日々濃くなっていく。
もう梅雨に入った。
バラも咲き、芍薬も大輪をつけ、
甘くて優美な香りを放っている。

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桜待ちしていたあいだに、

2023-04-27 09:37:14 | Weblog
山の桜も全国並に10日ほど早く開花した。

山桜の淡い色が山肌を明るく染めている。
家へ向かう道路は太陽光発電のダンプカー
が行き交い広大な範囲で牧場や雑木林が
工事現場化して風情はなくなった。
ぽつぽつと背を高く伸ばし山桜が見える。
それだけで殺伐とした気持ちが少しだけ
明るくなる。ああ、さくら、さくらだと。

三月半ばころから身体が重だるかったが
四月に入ってそれははっきりと形になって
顕れてきた。
そしてある日の夕刻、体の脇から背中にかけ
ギリギリと痛みが走った。若い頃から腰痛に
慣れているのでああきたかと思い、そのまま
きりのいいところまでと仕事を続けた。

根をつめているつもりはないけれども‥‥
と、あとから悔いてもしかたがないが
腰痛ではなく別の病名だった。
「ストレスが原因」と医師に断定された。
はっきり言いますけどと眼鏡の女医は
笑いながら告げ、あきらめて休んで、
と笑いかけた。
痛みで体を動かすのも辛いので従順に
頷いた。薬局の待ち時間が途方もなく
長く感じられ、早く横になりたかった。

それでも翌日の予定を考えているわけで
あきらめるしかないのだよと自分に言い
聞かせた。
数日経って仕事場へ行き、身体が無理だ
と訴えているのか教えているのか実感し
早々と帰宅した。
それからも何度かよたよたと出かけるが
そのたびに限界を思い知った。
日薬という医師や先生の言葉をかみしめる。



こんなに何もしなくていいのだろうかと
思いが湧き上がるのをなだめながら
空を見たり庭の花を見たり植木鉢に水を
やったりゆるゆるのろのろとしている。
薬を日に三度飲むために食事を取らねばならないが
調理する力はほぼない。

三日くらい前から読書をする元気が出てきた。
「正法眼蔵」と「宗徳経」「典座教訓」を
取り出して拾い読みする。
そこにひたっていると元気をもらえる。

つづきはまた。
今日はここまで。









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神文伝 人これをさとらざるも‥‥

2023-02-23 18:49:20 | 
先代旧事本紀大成経伝(五)は神文伝。
発売中です。
師、安房宮源宗先生の解説を本にする
お手伝いを致しました。

昨年のほとんどをこの本に費やした、
というと分厚い大著のようだけれども
厚さ1センチ96ページのサイズです。
片手で持つことができバッグに収まる
ことを考えて作ってあります。

そして表紙カバーをあえてつけていません。
この本の用途は神文を唱えることです。
カバーがめくれたり外れたりする面倒が
ないようにしました。
カバー本来の目的は本の問屋や書店が
商品が傷むのを防ぐためです。
帯の幅を広めにとり本を扱うときに
そこを持ってもらうと表紙に汚れが
つくのを防げます。
これ、実は知人の編集者のアイデアです。
なくてもいいよ〜、と実際にカバー無し
の本を持ってきて教えてくれました。
すっきりしててよかったのです。



この本にとっては「すっきり」は大事です。
神文は四十七文字で表されているのですが
そこに人生まるごと表現されています。
実にすっきりとしていて、単純明快でした。
それを理解できたのは本が出来上がる頃、
編集中は深い霧のなか、頭も靄っていて
あああああ、もうだめだと声に出して
言っていたほどでした。

入稿寸前の校正のための読み合わせの時、
ふっと視界が明るくなって、ああそうかと
四十七文字がくっきりと見えてきたのです。
先生に、これって意外と単純ですね、と
電話で話すと、そう、単純ではないけど
明解ね、と言われました。
それで余計なもの、色をつけないでと
言われた意味もわかり、猫の手のような
仕事をしていた私も元気になりました。

元気になってからは校正が重なり入稿が
ずれていってもへいちゃら、いつもならば
イライラするのだけれど粘りました。



聖徳太子が当時も謎だった神文を解読し
人々に意味がわかるようにされたという
ことなのですが、太子が尊い方であるのは
いうまでもないですが‥実は私のアイドルは
そばに仕えた秦河勝なんですぅ・・・・。

河勝の文が好きで大成経の序伝の伝の文
といい、この神文に添えた神文伝という
文も熱いのです。熱すぎて泣けるほど。
(本のタイトルの神文伝は河勝のこの序文
を指すのではありません)

河勝が太子から賜った弥勒菩薩像が本尊の
広隆寺(京都)はよく知られていますが
聖皇本紀には秦氏一族の庄を太子が訪れた
日のことが書かれていて現在の広隆寺辺り
とおぼしき地名が出てきます。

そして秦河勝を祀った神社は大避神社です。
神職憲法に人を祀らないとありますから、
ここは後世に里の人々が創建した社ですね。
秦氏と赤穂市坂越のつながりは瀬戸内海を
挟んだ対岸の土地も含めて六世紀前後の
古い時代からあったと思われます。
その地を歩くことでまた何か感じられる
ことがあればという淡い期待を持って、
春になったら旅に出て赤穂市の海辺に
寄り道してみようと思います。



河勝といい儒学者の学哿といい太子に仕えた
人がどのようであったかを大成経各巻の
行間に読み取り、その熱情とまっさらな
忠信にいつも心打たれています。

神文伝の12ページにある秦河勝の文、
「その言(ことば)には数あって数の実に
理を含みこの理は玄(おく)にあって
人これを知(さと)らざるも、
これ先天(たかあまはら)の伝なり」
とあります。

人これをさとらざるも‥‥と人である河勝が
書く、それがとても大事なのです。
聖人である大王、太子は訓と解きを成した
という次の行の前にそれがすんなり書かれた
それが河勝その人を語っているようで。

河勝は太子にすべてを教わり、順じた人
でした。素直さと私心のなさ、そして
そうあることができる聡明な知性が
備わっていた人なのでしょう。

四十七文字の人含道(ひふみ)祝詞は
神職者でも唱える人は少なく(皆無かも)
一般書籍にしたのには源宗先生なりの
お考えあってのことかと思います。
私自身は三十数年来つねに手元にあり、
その重みも知っていました。
秘書ともいうべきこの文が書棚に並ぶ日が
くるとは思いもよらないことでしたが、
今だから必要ということかと思います。

吉と出るか凶と出るかという踏み絵のような神文を口誦する。
人生の節目を作ることになるかもしれない。
そんな本です。

現在アマゾンよりもhonto が早く配送します。
または最寄り書店か版元でお問い合わせください。

ISBN978-4-908665-07-3
書店に注文するときは、これをプリントしていくといいです。





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ひとつづきの空の下で

2023-01-01 16:30:07 | Weblog
謹賀新年。
おめでとうございます。
おだやかな元旦です。新年を迎えられる
慶びを本年は格別に感じます。
いくつかのよいことがあって、
とても静かな年越しとなりました。

「新しい戦前」という言葉通り爆撃のニュースは
元日とて絶えることがありません。
ゼレンスキーが人でなしと訴える声も虚しく
聞こえます。

例年に比べて降雪も少なく晴れ間の見える空に
ひとつづきの空の下に、今凍えている人が確かに
いることを思わざるをえません。ましてや
今の幸福に何の、誰の保証もない国のありさまですから。



わが定番のグールドからしばらく離れていました。
クリスマスの頃、twtの友人がアップしていたCD
ジャケットをみてそうだなあと聴きたくなりました。
グレン・グールドともう一枚はチェロのゴルドベルグでした。






そして元旦はAnd Serenity 瞑想するG.グールド
というアルバムを聴いています。
休みではあるけれど年始早々に印刷所へ戻す
校正紙を抱えて、緊張しっぱなしなので
気持ちをしずめるのにとても合っています。

晩年のグールドのピアノはやわらかな響きで
若い頃の録音より、今の自分には心地よく感じます。
グールドの小さなハミングがかすかに聴こえます。


(クリスマスに降った雪です)

皆さま、美き年となりますように。





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雪虫が飛んだ、紅葉も最後の日

2022-11-16 00:30:27 | Weblog
更新しない日々に秋は過ぎていき
例年にもまして樹々は彩あざやかでした。

撮っておいた写真をいくつか上げます。



上の樹は事情があって枝を短く伐った。
切り口から出ていた新しい葉が紅葉して
元気ですよ、またまた伸びますよ、と
さやさやさやと秋風の中で歌うさま。
小川の向こう岸にたっている。

先月半ばだったか雨が降り続いた夜、
裏庭沿いに流れている小川は水嵩を増した。
裏山へ続く私道に水は溢れ、
土管を埋めて作った小道は壊れた。
あの道を通ってぷーちゃんとふたりで
いつも裏山の奥のほうまで歩いた。
冒険はふたりだったからできた。
今はしない。
熊に遭ってもたぶん逃げられなくて
困ったことになるだろうと思うから。
で、その道を私が直す理由もなくなった。



20数年かけて背丈が伸びた森庭の樹は
枝葉も大いに茂り、夏の陽を遮り
空があまり見えなくなっていた。
真夏、木陰は涼しくてよかったが‥‥。
そろそろ手入れ時であるということで
この秋は伐採作業をすることになった。
紅葉の美しい木を残した。



M氏とS君が先だって先生の指揮のもと
大活躍した。
もちろん猫の手以下のあたいはみていた。

M氏が玄人が使う木登りの道具を買い
長梯子が届かない高いところまで登った。
チェーンソーを持っているのでハラハラする。
わたしは下から凝視していた。心配でも
余計なことは言わない方がいい、気が散るから。

倒れた木がほかの樹々に当たらないよう
倒れる方角を計算して伐る、言うは易く
行いは難し、どんぐりの木も硬い。
下で見ていた時より木は大きく長かった。
音を立て、どーっと倒れる。
茂った枝葉を切り分けるのも大仕事だ。
二ヶ月近くかけ週末ごとに片づけた。



広い敷地に倒した木と切った丸太が散乱し、
落ち葉も積もる。
ふかふかの地面は一面黄色とうす茶色。
いい匂いがしている。
枯れ草の匂い、ぷーちゃんの匂い、
ああ、懐かしい匂いだ。



燃料高騰の折、有効活用したいものだが
とりあえずは焚き火で減量する。
雪が降りだし埋もれる前にかたづけたい。



こむらさきしきぶ、今は葉が落ちて
茶色の細い枝に濃い紫の実が生った
一枝を手折りガラスの花瓶に挿した。
この庭の美しさは、森に手を入れて
作ってきたものだが、もとよりの自然が
あってのことだ。
歳とるごとに美しさをより深く感じている。

若い頃からこの世に未練はない早死がいいと
思っていた。
だからこの世を去り難い気にするものに
出会うとは、なんという幸福だろう。
この場所の美しさ。
愛するものと過ごした時間。

昼過ぎの明るい光の中、雪虫が飛んでいた。
じきに霜柱が立って冬が降りてくる。










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泣く効果

2022-10-06 23:27:41 | Weblog
台風がいくつか来て、家の周りでは
倒木や、裏の沢が氾濫し山の小径が
崩壊したり、それらしく夏が過ぎ去り
もう秋の真ん中だ。




このところ、もう何日もだが
夜ごと泪があふれ、
時には声を出して泣き、
泣き終えて 眠ろうと努める。

言葉にしないことが泪になって
こぼれだしているのだ。
誰も見ていないところだし
心配して身体を寄せてくる者も
いないから 泣いていられる



ページをめくり幾篇かの詩を読み
他人の言葉を深く吸い込んだから
今夜は泣かないはずだった
ほんの数秒置いて、落ち着いて
泪はこぼれてきた
納得したようにしずかに泣けてくる
どうしても泣くのか……

わたしのことではないのだけれど
詩のなかの そのことにしみじみと
悲しみが湧いてきたようだ
しかたがない 詩のせいだ
凄腕の抒情詩人なのだから

悲しみは、奥深くに沈んでいる悲しみは
底までたどり着くと同じ色なのか
ああ、怒るより悲しむほうがいい
呪うより、恨むより、ずっといい
けれども一番底にあって
自分でも見えなかったりする
ほんとうのきもち
夜叉ヶ池の水のように深く
体内に滲み、潜むのだ

母をそばで看ていられないことが
とても辛い。
そういう境遇を選んできたことを
いいわけもできないことだから。
そのことを思い続けて
できることといえば祈ることしかない
というていたらく
祈りが尊いのではなく
尊い方へ祈るしかないだけだから

どのような境遇に身を置いたとしても
その魂が安らかであるように
その心がおだやかで明るく照らされて
あるようにと
かつて母がわたしにそうしてくれたように
祈る、それだけにすがりついて

涙はせきとめないほうがいい
氾濫しないように
しずかな場所でひとり泣くといい










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