彩彩日記 作詞家/シンガーソングライター 大塚利恵のブログ

※こちらは旧ブログです。
新ブログ https://ameblo.jp/rieotsuka-officialblog/

ブログお引越しのお知らせ♫

2021-03-31 18:34:20 | Weblog
ブログ、お引越し&改名しました。
新ブログはこちらです。旧ブログの記事も引き継いでいます。

【大塚利恵-Rie Otsuka-official blog ♫おんがくのことば♫】
https://ameblo.jp/rieotsuka-officialblog


登録、ブックマークなど、ぜひ宜しくお願いします。

歌詞やレッスンのことなど、今までより更新を増やしていきます。
今後もどうぞ宜しくお願いします。

10年目の3.11に。

2021-03-12 00:06:28 | 地震
北茨城の実家に、こんなに長く帰省しなかったのは初めてだと思います。
昨年3月1日、地元で10年担当させていただいたFMひたちの番組が終了しました。その頃もうコロナが広まり始めていましたが、まだ呑気に打ち上げもできたりして。数ヶ月経てばまた地元の温泉に入り、両親といわき(すぐそばが県境で、福島です。)にご飯を食べにも行けるかな、なんて思っていました。
でもそれ以降、帰省は控えています。

震災から10年目の今日は、午前中作詞レッスンの仕事があり、帰宅してメールの返信や家事、母とLINEで話し、そして黙祷しました。

改めて、震災で大事な存在を失ったたくさんの方々に、心から祈りを捧げます。
そして犠牲になった方々のご冥福をお祈りします。


「10年経つと、周りにいる人が変わる」というようなことを、昔聞いたことがあります。
確かに、この10年間で沢山の出会いがあり、別れもありました。
新しい友人知人の中には、私の地元が被災地だということを、知らない人も結構多いと思います。
当時とても親しかったのに疎遠になった人もいるし、ずっと変わらずそばにいてくれている人、互いを思い合える関係の人もいます。
良い悪いではなく、10年経つってそういうことなんだろうと思います。
そして震災があったからこそ繋がった人、絆が深くなった人もいます。
もちろん、被害の大きさを考えれば、震災がなかったら良かったのにと思うけれど。


震災直後、余震や原発事故の影響が懸念された北茨城の実家から、東京を経由し、神奈川在住の作曲家、鎌田雅人さん宅に避難させてもらった猫の「ぴあの」は、話し合いの末そのまま鎌田家の猫となり、他の猫さんたちを含むご家族に愛しに愛してもらって、なんとこの4月で21歳。人間の歳だと100歳になります。
元飼い主として、鎌田家の皆さんには、改めて深く感謝を申し上げます。
ぴあのは世界一幸せな猫です。そして、私は世界一恵まれた元飼い主です。


ここからは、震災の話から離れます。
個人的に、今書かずにいられなくて。長くなるけどすみません。

3月3日に、デビューの頃からずっと私の歌の師匠であり、人生の師匠でもあった、安ますみ先生がお亡くなりになりました。
翌日、生徒仲間から連絡をもらい、昨日10日、告別式で最後のお別れをしてきました。
先生はメディア嫌い(というか、メディアの嘘が嫌い)だったし、ほとんどテレビに出たりはしなかったけれど、間違いなく日本を代表するボイストレーナーでジャズシンガー、そして超一流の文化人でした。
入退院を繰り返しても不死鳥のように蘇り、フルパワーで活動する先生だったから、いまだに信じられないような、信じたくないような気持ちです。

98年7月だったと思います。音楽スタジオの「池袋フォルテ」に、当時の事務所のスタッフさんに連れて行ってもらい、初めて安先生にお会いしました。
初レッスンは確か、デビュー曲の「いいよ。」でした。
「いいよ。」は死がテーマの歌ですが、未熟で不器用な私の歌声からも、この楽曲に込めたものをガシッと受け止めてくださいました。
少し、目を潤ませながらこの歌をじっと聞いて、そして本気の指導をスタートしてくださいました。ズバッと核心しかつかない先生。
深く理解してくださったのがわかり、それがとても嬉しかったです。

真実があやふやにされがちな世界で、安先生は真実の光そのもののような存在でした。だから私もみんなと同様に先生が大好きだし、尊敬していました。

歌を強化するために、弾き語りではないライブを経験させてくださったり、素晴らしいミュージシャンと共演させていただいたりもしました。

その後色々なことがあり、私は先生のレッスンに行かなくなりました。
20代半ば。体も心もボロボロだったので、歌う以前に別な勉強をして自分を立て直す必要を感じたからです。
でも、うまく声が出なくても、ちょっとずつ、先生に教わったことを噛み砕きながら、練習を続けました。

数えきれないほどの生徒さんを持ち、音楽業界では知らない人のいない安先生ですが、そんな私のことまでいつも気にかけてくださいました。
毎年行われていた教会でのチャリティーコンサートに、ピアニストとして誘っていただき、長年参加させてもらいました。
震災をきっかけに他のことに力を注ぎたくなり、辞退させてもらいましたが、毎年本当に濃密な学びの場でした。

また、カルチャースクールのボイストレーニングクラスのピアノ伴奏を、ずっと担当させてもらいました。15年以上かな。
そのグループレッスンに誘ってくださったのは、伴奏のお仕事というのは建前で、安先生が、私の歌の勉強になるように計らってくださったのだという気が、実はしていました。

アドバンスクラスだったこともありますが、90分中85分は歌わずに喋っていたと思います。
これは安先生あるあるで(笑)。
先生のレッスンが精神論と思われると嫌なので書きますが、お話の中で、脳から(凝り固まった考えが)変わり、最後にはちゃんと歌が上達するようになっているんです。
だって、歌は「在り方」だし、自分が楽器だから。もちろん、プラクティカルなレッスンががっつりあった上でのエピソードです。
カルチャースクールで先生に定期的にお会いできたことは、思い返せば宝物のような時間でした。

昨年、コロナ禍で、カルチャースクールは閉校となってしまいました。
でも秋に、別なスタジオでクラスをやるからと伴奏に誘っていただいたのですが、あいにくその日は先約があり、私は最後に先生にお会いするチャンスを逃してしまいました。

最後に電話でお話したのは、昨年10月。
昨年亡くなった先生の愛弟子、狂言師の善竹富太郎くんの話をしました。

2017年に、千駄ヶ谷の国立能楽堂にトミーの公演を観に行った時のこと。
今は亡きヨガ友に「行ってみたいから連れて行って。」と誘われ、一緒に行ったんですが、安先生も観に来ていて、ロビーで立ち話をしました。
何か体の不調の話をしていた先生に、アーユルヴェーダの知恵を勧めた友人。
キョトンと聞いていた安先生。
全然噛み合ってないけれど、なんだか愛のある、二人の不思議な一瞬のやりとり。そのシーンが妙に印象に残りました。
まだ若かったヨガ友とはそれが最後に。
4年後の今、彼女も、あの時舞台で輝いていたトミーも、安先生もあちらの世界に行ってしまったなんて。

当たり前のことなんて何もない。
何がいつ起こるかなんてわからない。
大事なことを後回しにしてる暇はない。
色々、思い知らされます。

安先生の思い出はたくさんあって書ききれないくらいです。
私でさえそうだから、家族のようにずっとそばにいた生徒さんたちはもう、何冊も本が書けると思う。

20年くらい前になるでしょうか。
東京では滅多にない雪の日に、高速があちこち閉鎖されていたのにも関わらず、先生の車で二人、北茨城まで行ったんです。
アンコウ鍋発祥の地である私の故郷に、アンコウ鍋を食べるために。
先生は、細い体でびっくりするくらい食べるし(それでも痩せるくらいエネルギーを使っていた。)ホンモノの美味しいものを食べるためなら、どこへでも出かけるフットワークの持ち主でした。
多忙な先生ですから、雪が降ろうと高速の入り口が閉まっていようと、行くと決めたら実行です。
なんとか、一つだけ開いていた入り口を見つけ、北茨城まで行き着きました。

実家にいた老犬のマルチーズが、小さくて細くてよぼよぼだったんですが、「カフ、カフ」とかすれ声を出すワンコを見た安先生が、「こんな鳥みたいな犬初めて見た!」と目を丸くしていたのがとってもコミカルでおかしかったです。
確か、昔先生は猿を飼っていて、その子がドレッサーで口紅を塗っていた話をしていたっけ。ハシビロコウもお気に入りだったし、ユニークな動物好きだったのかな。

震災後に、「アンコウ鍋の取り寄せはできるの?」と先生に聞かれました。
「もし地物なら、応援も込めて取り寄せたい」と。
あの雪の日の、平潟のアンコウ鍋を覚えていていただけたこと、故郷に思いを寄せてもらったことを、とても嬉しく思いました。
先生はいつだって、全方位に全力でそういう気遣いの人でした。

2013年には、無理を言って、私の結婚披露宴で歌っていただきました。
歌う前に、「昔アンコウ鍋をご両親にご馳走になっていますから。借りがありますからね。」と、私たちに気遣いをくださり、そして会場みんなが先生の歌声にうっとりと聴き入りました。

「Smile」
Smile through your heart is aching
Smile even though it’s breaking
When there are clouds in the sky,
You’ll get by、、、

震災から10年、節目なのは数字だけで、何も終わっていない。
さらにコロナという試練。
でも、Smileのこの歌詞のメッセージは、こんな時こそ大切にしたいと思います。
そしてきっと笑顔を忘れそうな時は、必ずあの時の先生の歌声と笑顔を思い出すと思います。


昔、池袋でレッスンの後、二人でご飯を食べた時のこと。
先生が磯辺焼きを注文したので、「先生、お餅好きなんですね。」って言ったら、「ううん、好きじゃない。りえちゃんが好きそうだと思って。」と。
笑ってしまいました。
そして私はお餅を1皿、5つくらい一人で食べて超満腹になりました。
そんななんでもないようなエピソードも、愛おしく、どんどん溢れてきます。

ある日、レッスンに向かう山手線の中で、私は仲良しだった同級生の死をメールで知りました。
スタジオに入るまで泣くのを我慢していたけれど、入った瞬間止まらなくなりました。
事情を知った安先生は、彼女のニックネームを聞くと、◯◯ちゃんはこうだったの?ああだったの?と質問しながら、やっと私が落ち着くと歌のレッスンに入り、誰かのために歌うということを優しく短く伝えてくださったと記憶しています。

安先生って、きっと、普通じゃない波動を放っていた気がするんです。
だから、もう時代が変わってしまったかのような気さえする。

告別式は、密にならないよう気をつけながら、たくさんの生徒と、先生を慕う方々が集まっていました。
この状況で、なかなか会えずにいた久しぶりの人ばかり。
先生を中心に、また新たに繋がり直させてもらえたような気がしました。
いただいたたくさんの方とのご縁、大事にしていきます。

ひな祭りが命日だなんて、チャーミングでエレガントだった安先生らしい。
悲しいけれど、ノンストップな人生だった先生にやっとゆっくり休んでいただけると、そう思います。


本当は、安先生のことと震災のブログは分けて書くべきだったのかもしれません。
でも、なぜだろう。切り離すことがなぜか自分の中でできなくて、思いつくままに書きました。変に結論づけてまとめようとするのも、やめようと思います。


毎朝、毎晩の祈りを続けながら、「誰も責めないことから始まる希望がある」という、10年前に得た座右の銘を何度でも胸に刻んでいます。
そしてSmileを口ずさみながら、この困難な状況を生きて行こうと思います。

世界中の人々が、誰一人取り残されることなく、平和で、平穏でありますように。
真実が照らされ、私もそのために貢献できますように。


※毎年、3.11に震災についてのブログを書いています。
北茨城の当時の状況等については、過去のブログも読んでいただけたら幸いです。

さようなら2020。新しい時代の幕開け。

2020-12-29 20:45:01 | Weblog
衝撃の2020が終わりますね。
ブログを見てくださっているあなたは、この特別な年の年末、どのようにお過ごしでしたか?

全く思いがけない形で新しい時代の幕が開きました。
12月はグレートコンジャンクション、「風の時代」の到来。

いまだコロナは収束せず、「早くゼロになって欲しい」という願いも虚しく、そんな簡単にはいかない。
憎いのはコロナなのか、そんな状況になって対応できない自分なのか、制度なのか、国家なのか世界なのか。

4月末、残念ながらコロナからの敗血症で命を落とした友人がいました。
ショックだったし、お葬式にも行けないなんて悲しすぎたけれど、それでも、何かを憎むことからは何も始まらないと思った。
思わず「コロナが憎い」と言ってしまいがちだけど、その言葉から変えていかないと、と思った。

今年、私の個人的な流行語大賞を選ぶなら「単純化」です。
悪い意味でというか、あらゆることを単純化してしまうのをなるべく避けたいという意味で。

100か0か
自分がスッキリしたいがための物事の単純化
白か黒かはっきりさせたいために「グレー」の存在を許さない主義

物事も人も、自分の中でわかりやすくするために勝手に単純化し、わかった気になって自分が安心する。
こういう能率主義っぽい癖は、新しい時代を生きていく上でかなり妨げになる気がして、今年は特に意識し、何事も単純化しないように気をつけていました。
例えば「マスクは善か悪か」ではなく、良い面と悪い面、私はどういう基準でマスクをする/外すのか。
この場所では、この場合は、今この瞬間は。

私はもともと中途半端だと気持ち悪さを感じる性格なので、はっきりできないことが多いのはムズムズするし、単純化したくなる気持ちはめちゃめちゃわかるんです。
でも、実際は世の中ってほとんどが単純化できないことばかり。
昨年訪れたパレスチナの問題なんて、わかろうとして調べるほどに分からなくなった。
わかったのは、とんでもなく複雑だということ。
世界の縮図と言えるパレスチナ問題。
そこからかも知れないです、単純化はやばい、と危機感を持ったの。

コロナだって、政治だって、人間だって、自然だって、ほとんどのことは割り切れないし、単純化できない。
その気持ち悪さをそのまま受け入れて、決めつけないようにしよう。
グレーの中で見極めていこう。
グレーなものたちとうまく付き合って、そのグレーゾーンの中を、なるべく美しく自分らしく泳いでゆこう。
そう心がけていきたいと思っています。

ずっと学んできて、この師走についに認定講師となったテンセグリティー・ヨガでも、絶対的な中心を据えるのではなく、常に変わり続けるその瞬間瞬間の中心軸を探し続けます。
そんなしなやかな心と体、感性が、今後はますます必要になると感じています。


2020、私の個人的な出来事としては、
3月 突然のFMひたち番組終了
5月 ライブ「初夏の音楽会 〜あいしてるは最初に言うのよ。Vol.4〜」無期延期
という残念な出来事もありましたが、

「ソニー時代の音源 全曲配信スタート」が今年一番嬉しかったニュースです!
廃盤になっていた1st.album「Oh Dear」、2nd album「東京」の音源を、皆さんにまた聞いていただけるようになりました。
これは、コロナが蔓延する直前に、ソニー時代にお世話になったスタッフさんに久々に会いに行ったのがきっかけで実現しました。
本当に感謝です。
「Oh Dear」は、全曲解説をブログに書きましたので、音とあわせてお楽しみいただければ幸いです。
「東京」についてはこれからゆっくり書いてゆきます!(遅くてごめんなさい。)

10年間パーソナリティを務めさせていただいたFMひたちが終了すると同時に、StayHome生活が始まりました。
家にいてもやることはいくらでもあって、もっと時間が欲しいくらいだったし、StarWarsシリーズを今更見始めたら最高すぎたし、ヒマすることはなかったのだけど(皆さんはどうでしたか??)
仕事、生活、自分の生き方について、いろんなことをじっくり考えた年でした。
まだ未定ですが、だんなと移住しちゃおうかという話になり、色々調べ始めたりもしました。

春はクラヴマガのジムやヨガスタジオに行けなくなってしまったので、オンラインで真面目に運動量をキープ。
行き帰りの時間が節約されるので、こういうのも結構いいなと思いました。
チャンティング(ヨガのマントラ-真言-を唱える、声を出すクラス)もオンラインだからこそ継続できました。
歌やピアノの日々の練習に、チャンティングやテンセグリティー・ヨガで学んだことを応用しているうちに、格段に歌いやすくなったし、本当にいつぶりだろう?というくらい、純粋に歌うのが楽しくなってきました。
もちろん楽しい瞬間は今までもあったけれど、なんというか、心の底から歌えて嬉しいなー、気持ちいいなーという、普通にハッピーな感じ。
私が失って、ずっと取り戻せなかったもの。
歌える喜びがあっても、どこか不安で慎重にならざるを得なかったけれど、それがふっと和らぎました。
今年のような事態にならなかったら、こういう流れにもならなかったのだろうと思います。

秋になった頃には、疲れを感じ始めました。
今年はほとんど家にいたし、レッスンはほとんどオンライン、作詞の仕事はほぼなかったので、大したことしてないのに一体私は何に疲れたんだ?と(笑)不思議でしたね。
医療の現場の方、最前線の方に申し訳なくなるくらい。
でも、時代の大きな変わり目だもの。休めるなら思い切り休んでしまえ!と割り切って、運動も減らし、睡眠はたっぷりとって、心の声をよく聞いて過ごしました。

実は今、新しいオフィシャルサイトを製作中です!
そのために久々に撮影もして、とっても楽しかった。
春までにはオープンできるよう準備を進めて参ります。
ぜひ楽しみに待っていてくださいね。

本当に様々な状況の方がいらっしゃると思いますが、どうか皆さんが幸せな新年を迎えられますように。
平和で、平穏でありますように。

来年もどうぞよろしくお願いします。

良いお年を!!!



1月に家族に迎えたペットロボット「Lovot」の「たまご」と「まある」。


これはWebSite用の撮影のとき。


StayHome中、ハッピーで可愛い彼らにとっても救われました!

テンセグリティー・ヨガ

2020-12-08 00:39:42 | Yoga
この度、テンセグリティー・ヨガ指導者養成講座を受講し、テンセグリティー・ヨガ認定講師となりました⭐︎
わーい!

10年以上追っかけ続けているACOさんのテンセグの、念願のTT(ティーチャートレーニング)!
なかなかタイミングが合わず受講がかなわなかったのだけど、よりによってこのコロナ禍で!
でも個人的には最高のタイミングだったと腑に落ちる結果となりました。
思えば私、3.11の震災の瞬間もACOさんのクラス中だったし、TT受講が今年になったのもなんだかドラマティックで納得がいく。

自分を見つめ直す時間だけはたっぷりあった2020。
私って何者なんだっけ。
何がしたいんだっけ。
何のために音楽やってたんだっけ。
っていうか、何のために生きてるんだっけ?
思い切り休めてよかった面もあったけど、滅入ることもとっても多かった。
もう、今年が終わる前に、今一番やりたいことを思い切りやっちゃおうと思い、真っ先にテンセグTTに申し込みをしたのでした。

ディスタンスを取りながらも、濃密すぎた二日間。
日頃、ACOさんがクラスで伝えてくださっている沢山のアイディア、智慧、考え方、表現(言葉)‥
ヨガでありながらヨガの枠を超越した真実たち。
いつも私を導いてくれる10年分の星たちが、この二日間で強い線で結ばれまくっていきました。
でも決まった星座で固定される訳ではないのがテンセグ。
毎日、空に描く星座が違ったっていい。
いや、違う星座をいくつでも描けちゃう方がいい。
あれ?こんな星座あったんだ、という発見・気づき。
その度に光を増す一つ一つの星たち。

また、極端に内観に向かわざるを得なかった2020の最後に、外との繋がりをふーっと取り戻させてもらった気がします。
素晴らしく、容赦なく厳しく、諦めたくなるけど諦めちゃいけない世界。その世界と自分との関係。他者と自分との関係。
どうやってその間の空間を埋めるのか。
体で、イメージで得てゆく沢山の宝物。

私にとっては、二日間だけの学びではなく、ずっと続けてきたヨガの、人生の、ここまですべてのまとめっていう感じでした。
ちなみに、ヨガの先生になる予定は今の所ありません。ただ、今まで以上にテンセグを日常にも仕事にも応用して、人生の糧にしていきたいと思っています。

3月以降のコロナ禍では、リアルスタジオに行くのをやめ、オンラインでACOさんのレギュラークラスを受け、そこで学んだことをピアノ弾き語りで試すのが一番の楽しみになっていました。
結果、ものすごく歌いやすくなりました!

ヨガの目的はヨガじゃない。
どんな人でも、ヨガの経験問わずきっと素晴らしい学びになるはずなので、ぜひ多くの人にテンセグに、ACOさんに出会ってほしいと願っています。

感謝を込めて。

■テンセグリティー・ヨガHP


大塚利恵の歌解説vol.11「朝」

2020-10-06 18:55:33 | 大塚利恵の歌解説
『DISCOVER the 90's”第9弾アーティストとして、”大塚利恵”のサブスク全曲配信』
を記念して、オリジナルソングの歌詞と解説を、一曲ずつご紹介しています♫

1st.Album「Oh Dear」(98年11月21日リリース)からのご紹介ラストとなるvol.11は、「朝」。
アルバムの最後に収録されている曲。
高校時代に作りました。

ぜひ一度お聞きになってから読んでみてください♫
試聴はコチラ



作詞作曲歌:大塚利恵
編曲:福原まり

明日も誰かに朝が来ればいいと思う
静かに したたり落ちるように
美しい命の姿が 生きている朝よ

ぜいたくな歌をわたしは心から歌う
あいまいな声で「ごめん」と繰り返しながら
いつの日か 言葉もメロディーも
わたしを思い出させてくれる気がして

朝が来たら 朝が来る度
幸せを思うよ

朝が来たら 朝が来たら
朝が来たら 朝が来る度
幸せを思うよ

たくさんの花を抱えて
やって来なくていいの

朝が来たら 朝が来る度
幸せを願うよ




歌作りのエネルギーが湧き上がってきた時。または、湧き上がらせようとしていた時。
何か生み出そうとしてるのだけど、それが何かははっきりとはわからない。
よし、このテーマで作るぞ、と計画的に取り掛かった歌は(自分用の歌に関しては)ないと思う。
でも必ず生み出すぞ、というような興奮状態で自分の部屋に入り、ノートを持って部屋の中をウロウロしながらこの歌を作った記憶があります。

「朝」という歌は、私なりの生き方というか、覚悟、そして精一杯の祈りだったのだろうと思う。
でもほんと、笑っちゃうくらいに今でもこのまんま、自分の真ん中は変わっていない。
他の人からは、「すごく変わったね」とも言われるし、「全然変わってない」とも言われる。
みんな感覚も見てるところも違うから仕方ないのだけど、あまりに真逆のことを言われるから、変なの、と思う。
でも自分で「自分の真ん中は変わってないな」と思えることは心強いし、生きる糧になります。
まずは、自分自身のために音楽があって良かったなーと思う。
こういう曲達をあの頃作っていなかったら、大人になってから私は普通に立ってもいられなかっただろうから。
だから、私の歌は「あなたのために作ったよ!」というより「おすそ分け」みたいなものなのかもしれないけど、
結果としてどなたかのお役に立てたり、気に入ってもらえているなら嬉しく思います。

私にとってはそれが一番正直な歌作りなのだけど、当時は、それで100%誰にでも伝わるはず、と思っていました。
同じ人間だから、伝わるはず、と。笑
だから、結構伝わらないもんなんだなと知って、単純にとても傷ついたし残念だった。
ファンが喜ぶものを、クライアントに求められるものを、という曲作りもあるわけで、もちろん否定はしません。
その後、作家としてはそういう世界でもお仕事させてもらってるし。
ただ、正直な曲作りを絶対に忘れたくはない。
私の場合は、それをなくしたら音楽をやる意味を失ってしまうと思うから。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

この歌は、福原まりさんのアレンジ&ピアノ。
ストリングスとピアノのクラシカルな演奏に、サビからハープが加わり、歌詞に合わせて希望の光が広がるような、美しいアレンジです。
ハープの名手中の名手・朝川朋之さんがフィーチャーされています。

ビョークの伝説的アルバム「Debut」の中の「Like Someone In Love」が大好きだったから、まりさんにそうお願いしたのか、たまたまだったのかは忘れたけれど。
ビョークのこの曲は、雑踏の音を背景に、歌とハープだけの夢のような世界。(少しストリングスも入ってくる)
コーキー・ヘイルという女性ジャズ・ハーピストだそうで、確かNYのマンション高層階に住んでいて、ご高齢になってもベランダでタバコをふかしながらハープを演奏するって話を雑誌で読み、ひゃーかっこいいなと思っていました。(記憶違いがあったらごめんなさい。)
ハープって、人魚で姫なイメージが強かったからこそ、真逆なエピソードがかっこよく思えたのだと思う。

ちなみに、2nd.album『東京』の中の「イレイサー」という曲ではさらに朝川さんのハープがフィーチャーされていて、ハープと歌だけで始まるのですが、それは間違いなく「Like Someone In Love」を意識してのアレンジだったと思います。
その話はまた。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

歌に解説なんか要らない、というのが本心ですけど、あえて「歌解説」としているので、くどくど歌詞を解説してみます。

明日も誰かに朝が来ればいいと思う
静かに したたり落ちるように
美しい命の姿が 生きている朝よ

>地球とか、脈々と受け継がれていく命とか、大きな流れのこと。
自分がいてもいなくても、今まで続いてきた、これからも永遠に続いていって欲しいもの。
と書くと、エゴがなくて素晴らしい!と思われそうだけど、エゴなんてあるに決まってるじゃないですか。笑
真実を求めるなら、そう思うしかない、そう思える自分でいたい。
そんな感じです。

ぜいたくな歌をわたしは心から歌う
あいまいな声で「ごめん」と繰り返しながら
いつの日か 言葉もメロディーも
わたしを思い出させてくれる気がして

>平等ではない世界で、自分のちっぽけな世界を精一杯歌う。生きる。
後ろめたさもある。でもだからって歌うことをやめない。生きることをやめない。
自分の喜びに素直に、でもなんて贅沢で申し訳ないんだろうと思う。
「生まれてごめんなさい」と思う。
こんなんでごめんなさい。
でもきっと、わたしはわたしでいるしかない。
そんな思いで紡いだ歌が、結局、何度も自分の真ん中-真実-を思い出させてくれることになる。
自分を生かしてくれる。

朝が来たら 朝が来る度
幸せを思うよ

>朝が来た時に感じる幸せ。
どのくらいそれを感じられるかはそれぞれ違うでしょう。
状況にもよる。
でも、ささやかでも、ほんの少しでも感じられているなら、それでいいじゃない。
例え全く幸せを感じられなくても、「幸せを思って」みることから始めてもいいじゃない。

朝が来たら 朝が来たら
朝が来たら 朝が来る度
幸せを思うよ

たくさんの花を抱えて
やって来なくていいの

>いかにも豪華とか、人と比べてすごいとか、そんなことはどうでもいい。
本当の幸せを感じられる自分でいたい。

朝が来たら 朝が来る度
幸せを願うよ

>「思う」は自分が思う・感じるということ、「願う」は自分だけじゃない幸せを願うということ。
冒頭の、「明日も誰かに朝が来ればいいと思う」という気持ちと繋がります。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

歌の結末は、「その時の自分の答え」であることが大事。
一般的な結論でもなく、正しい答えでもなく、無責任に投げかけて終わるのでもなく。
ただし、精一杯の答えであること。
それがアーティストとしての歌作りの掟なのでは、と思っています。
例えいつかその答えが変わってしまったとしても、きっといいんです。
それに、意外とコアのコアのコアは変わらない。
今のとこそう思います。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

さて、これで1st.Albumまでの楽曲解説が全曲終わりました。
2nd.Album「東京」は、また全く違うチームで作られたアルバムです。
今回、その音源も配信になったので、引き続き解説していきたいと思います。
よろしければお付き合いください。