4月22日

 ダンテ・アリギエリ/原基晶訳『神曲 天国篇』を読んだ。
 
 まず、行き届いた各歌解説が素晴らしかった。
 ダンテの抱いた神の真理に近付くことへの絶望の深さが、この作品を書かせたのかと思うと気が遠くなる。
 (神学的理論と哲学用語が頻出する詩…)

 以下、解説からの覚書。
 神がいる至高天は満たされているので静謐であり、原動天(天使の世界)は最も至高天に近いので神を最も欲し最速で回転する。その愛ゆえに天体は神と一体になろうとして回転する。
 自由意志は神から人類への「最大の贈り物」で、神との契約(誓願)は自由意志の放棄で成立する。
 神の本質は知性であり、その知性による認識から自由意志による神への愛がもたらされるとされ、その結果、天上と地上の愛の照応関係が成立する(ゆえに、教皇達が神の調和の表現である法を無視するのは駄目)。
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4月21日

 お昼はパンを食べて、デザートにニューヨークチーズケーキ(因島産はっさく)。美味…
 

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4月20日

 お昼ごはん。「なにわ料理 藤」にてミニ会席。 昼ビールと前菜 \(^-^)/
 

 

 

 お昼ごはんの続き。造り3種と煮物(鯛の桜蒸し)、ちょっと日本酒もいただき、八寸(鰆とか焼き筍とか)、デザート。
 どれも美味でした。
 
  
 
  
 
  
 
  
 

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4月16日

 金井美恵子『道化師の恋』を再々読。
 
 金井美恵子を読みだすと後を引く。
 主人公の善彦がナボコフの『青白い焔』を読んでいたので、私も読み返したくなってしまった。

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4月15日

 毬矢まりえ/森山恵『レディ・ムラサキのティーパーティ らせん訳「源氏物語」』を読んだ。
 
 とても素晴らしかった。 まず、〈らせん訳〉とは何ぞや…。それは、A・ウェイリーが成した『源氏物語』の英語版から日本語に訳す〈戻し訳〉が、多層的時間空間を巻き込んでらせん状になる(直線的な翻訳ではない)ことから名づけられた。
 例えば、光源氏の“光”がシャイニングという単語に置き換わったとき、光源氏のこの世を越えた神々しさが、いつか月に帰るかぐや姫と同様なものとして伝わってくる(だから彼の色好みはゼウスのそれに近い、とか)。
 源氏物語の重層性(和歌の本歌取りや歴史書への言及など)に共鳴させるように、A・ウェイリー版ではシェイクスピア詩の引用や聖書的語彙が使われている、という話。
 全12章のうちの2章が末摘花(サフラン姫)に割かれているのにも感嘆したし、内容も頗る興味深かった(末摘花はミス・ハヴィシャムで、眠りの森の美女で…)。
 他にもプルースト『失われた時を求めて』との時空を超えた響き合い…などなど。著者姉妹の話に胸を打たれ、面白くてわくわくする一冊だった。

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4月14日

 録画しておいた「アリバイ崩し承りますスペシャル」、観たわ。
 浜辺美波の時乃ちゃんが可愛くて(「時をかける少女」歌ってて可愛い、お風呂でコロッケぱくついて可愛い、お洋服も可愛い)、ふにゃふにゃになりました。
 続きがありそうな終わり方だったけど、どうなのかな。

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4月13日

 お昼ごめん。又来軒にて、四川酸辣麺。 予想以上に麻(マー)の痺れる辛さがビリビリ来た。
 
  
 

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4月11日

 角田光代訳『源氏物語 4』を読んだ。
 源氏物語は他の訳者で幾度か読んだが、角田源氏は初めて。
 
 今のタイミングで「蛍」の物語論を読むと、「光る君へ」のまひろの声で響いてくるような気がする。
 そして「藤裏葉」の大団円。おそらくここまでで紫式部は一旦筆を置いたのではないか、という話を聞いた。いよいよ次巻で「若菜」。
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4月10日

 金井美恵子『彼女(たち)について私の知っている二、三の事柄』を再読した。
 
 ──“そこに夢見るものなんか、何もないけれど”。
 『小春日和(インディアン・サマー)』からほぼ10年後の、桃子、花子、小説家のおばさんたちを描いた姉妹作。
 少し本整理をしようとして目に留まり、懐かしさについ読み耽ってしまった。(フローベール『紋切型辞典』が出てくるとにやにやしてしまう)
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4月8日

 ダンテ・アリギエリ/原基晶訳『神曲 煉獄篇』を読んだ。
 
 引き続き、素晴らしい各歌解説のお蔭でとても面白い。

 以下、解説からの覚書。
 ダンテは地獄のような世界を糾弾し、その報われない現実の中で人はいかに生きればよいのかを考察している。
 煉獄篇は〈友情篇〉という別名を持つ(友情をもとにした調和の世界の再構築)。
 第九歌から主題と表現が更に高度化し、読者にアレゴリー的解釈を呼びかけている。
 愛と自由意志との関係の前提に、タブラ・ラサ「白紙」理論がある(神がそこに“第一概念”を書き込む)。

 第21歌から第26歌までの主題は詩。
 可能的知性(事物の認識を可能にする能力としての知性)があって初めて人は神と対話できる。そしてダンテはその対話を〈愛〉と呼ぶ(〈愛〉の捉え方の違い→清新体派からの決別)。
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