本が好き!な、りなっこのダイアリーです。週末は旦那と食べ歩き。そちらの報告も。
本読みの日々つらつら
3月18日
金井美恵子『カストロの尻』を再読した。
堪能した。とりわけ好きなのは「呼び声、もしくはサンザシ」と「『胡同(フートン)の素馨(ジャスミン)』」「廃墟の旋律」、そして表題作。
岡上淑子のコラージュ・フォト作品に揺曳されたイメージの連なりに引きこまれる。まるで… “フランスの香水の小さなガラス瓶” ── “いわば香りのミイラが箱の中から微かにゆらいで立ちのぼる”。
白樺派の特権意識について書かれた、「小さな女の子のいっぱいになった膀胱について」も面白かった。小さな森茉莉(というか森娘!)とパッパもちらっと出てくる。
3月16日
昼ビール部です。中華食びにきた。 麻婆豆腐とかアサリ和えとか。
お昼ごめん。「台湾料理 新天地」にて、特製台湾ラーメン。 たぶん結構辛い(辛いの好きだからわからない)。
3月15日
アヴラム・デイヴィッドスン/池央耿訳『エステルハージ博士の事件簿』を再読した。
やはり面白くて隅々まで大好きだった。
ペダンティックではありつつどこか飄然とした作風が、エステルハージ博士その人の風変わりな魅力にも重なる。一筋縄ではいかない三重帝国の人々が織りなす、一筋縄ではいかない怪奇な事件とその謎の行方…。
お気に入りは「神聖伏魔伝」(なぜか皆“縫い取りのあるチョッキを掴んで…堆肥の山に倒れ込む”)、「イギリス人魔術師 ジョージ・ペンバートン・スミス卿」、「真珠の擬母」(オンディーヌ!)。
そして今回は、「夢幻抱影 その面差しは王に似て」の夢の一片を追うような儚さがあらためて沁みた。
3月13日
『片山廣子随筆集 ともしい日の記念』を読んだ。
アイルランド文学(特にケルトの幻想文学の印象が強い)の翻訳家として、そして歌人としての作品にはふれたことがあるが、随筆を読んだのは初めて。美しい文章が心地よかった。
“私がたのもしく思つても思はなくても北の星に何の感じがあらうか? それにしても、昔からきまつたあの位置に、とほく静かにまばたきもしないで、むしろ悲しさうな顔を見せてゐる星はすばらしいと思ふ。すべての正しいもののみなもとである神も、あの星のやうに悲しい冷たい静かなものであらうか? 私はさう信じたい。”
3月11日
ピラネージの装画のイメージも相俟っておどろおどろしい内容を期待したが、存外それほど満遍なく怪奇…という訳でもなく(ユドルフォ城は充分に不気味でよい)、非の打ちどころのないヒロイン・エミリーが恋をしたり非現実的な苦境を乗り越えていく展開は痛快だった。
とりわけ、何かと気絶してしまうエミリーが実は気骨ある女性で、己を利用しようとする輩に屈しないところが好きで感嘆した。当時このような女性を描いたということに、とても意義があったのではないか…と。
3月7日
アン・ラドクリフ/三馬志伸訳『ユドルフォ城の怪奇 上』を読んだ。
訳者解題にもあるけれど、マダム・シェロンの造形が忘れがたい。そして、「崇高と恐怖」というテーマ。
“しかし、このような心を期待で高揚させる「恐れ」とは純粋に崇高なものなのであり、一種の魅了作用によって、思わず縮みあがってしまうような事物にさえ、我々を引きつけてしまうものなのだ。”
3月6日
D・キッサン『神作家・紫式部のありえない日々』の4巻が届いたので、一気に読んでしまった。
こちらはこちらで「ありえない」んだけどw 楽しいw
去年3巻を読んでいた頃は、今年の大河で紫式部があんなことやこんなことになる(まだ序の口で)とは知らずにいたね…(´ー`)
3月4日
アンナ・カヴァンの作品群に魅了されて久しいので、Bの孤独もAの憂鬱も既に馴染みのようだった(例えばリジャイナがいてガーダがいて)。
硬く閉ざした心の強張りも、絡みつく不安の感触も、私の中でひりりと懐かしいままだ。
“一刻の猶予も許されない状況で、わたしは新しい夜の魔法の使いかたを編み出しました。夜の時間の魔法で、昼からの避難場所として頭のなかに小さな部屋を作ったのです。とはいえ、ときおり虎が羨ましく思えました。(略)そんなときは、深い傷から血が流れるように、気弱な愛が苦しいほどにこの身からあふれるのを感じたものです。”
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