難船北馬

きっと明日もいい日です。

カンボジアとアレ

2007-09-05 02:58:37 | Weblog
翌日、板尾の嫁の夢から覚めカンボジア行きのバスに乗る。
飛行機で行こうかと考えたのだが高すぎて断念。

タイからカンボジアを陸路で進むこのルート実は4年前、初めて東南アジアを
旅したときも使っている。
そのときはあまりの悪路ゆえ飛行機でいかなかった自分を呪おうかと
思ったほどだったが今回は少し道がよくなっているらしいので少し期待して
バスに乗り込む。
いつもならアジアの旅行会社に期待などしないのだが、
バスの値段は4年前の17倍(90円から1500円、4年前はタイからカンボジアまで90円で行けた)
なのでま、いいかなと。

カンボジアの国境までは非常に快適に飛ばす。
これは前回と同じ。
カンボジア側の悪路が前回問題だったのだ。
・・・・少しでも期待したのが馬鹿だった。
バスの値段がいくら高くなろうが道は相変わらずガタガタ。
4年前と違うのはそのような道になれた意識だけだった・・・。

結局出発して14時間後にアンコールワットの街シェムリアップに到着。

何もしないまま一日が過ぎる。
そんな、誕生日。

板尾の嫁がいっぱい

2007-09-05 02:40:54 | Weblog
二日目、けだるい感じで起きる。
しばらくだらだら過ごす。
思ったより体が疲れているらしい。

しばらくして宿の溜まり場に顔を出す。
泊まったきづいたけど、宿に大学生がめちゃくちゃ多い。
めちゃくちゃ時間があって他愛ない話で盛り上がれる学生時代ってやっぱり楽しかったんだなーなどと考えていると、彼らの話は他愛ない、というか、シモネタだった。
スタイルがよくて美しいタイのかたをいかにリーズナブルに落すかで盛り上がっているようだ。
ソレ目的でタイに来る人も多いことは知っていたが大学生もか・・・・
その辺の経験値は全くないが、大人の社会科見学ということで
ゴーゴーバーなるものに同行させていただく運びとなる。

パッポンやナアナアといったアジア有数の歓楽街はカオスだった・・。

皆さんぐるんぐるんに腰を振ってらっしゃる。
セクシーにガムを噛んでらっしゃる・・・。

どうこうしようという気のない自分には、全部板尾の嫁に見えて(かなりかわいい子もいたが)かなり笑わせてもらった
みんな「どんだけぇー」っていいすぎ。誰が教えるのだろう・・・・

板尾の嫁が踊ってる夢を見つつ明日にはカンボジアです。

4年ぶり「聖地」

2007-09-05 02:20:07 | Weblog
前回の旅からほぼほったらかしのバックパックを背負って家を出る。
格安航空券ゆえ6時過ぎには出ないと間に合わない=寝たら起きられないので
徹夜である。
今回の旅は8日で、はっきりいって短いのだが悲しいかなこれが社会人になってしまった現実だ。
疲れてる体を引きずり起こして旅になんて出る必要もない、と思っていた。が、
やはり旅に出てしまった。
自分のことを誰も知らず、携帯の電波も届かずひたすら意味のない(そこがすばらしい)日々は社会人になった今だからこそ貴重だと思う。

2時間かけて成田到着・
事故ランキングNO1の耕航空会社の中華航空ということでびびっていたが、何のことはない、座席も満席。めしもうまい。パイレーツ3が機内で放映されてうれしい。
乗り継ぎも含め7時間ほどかけてタイ到着。
空港が新しくなっている。きれいだけどそれだけ。

ちゃんと給料もらってるのだから空港バス(ちょっと高い)をつかって市街に出ればいいものを悲しいサガからローカルバスにしたため、2時間かかって目的地に着く。
タイといえば「聖地」がある。
聖地というのはカオサンという街のことだ。今はそうでもないが、かつてタイ発の航空券は安いことで有名で世界のどこを旅するにもとりあえずカオサンに来てから、という人が多かったのだ。
外国人旅行者とその需要によって形成されたカオサンは便利で雑多だ。
(正直もうかなり健全な街であまり魅力はない)
旅人の疲れを癒すマッサージ屋も充実しているので奮発して本家本元タイマッサージの2時間コースを受ける。日本なら1万以上かかるがここでは1千円もいかない。

・・・・なぜか一時間半でマッサージは打ち切られたが怒らず。笑顔で応対。
そんなヒヨッタ自分に少しへこみながら就寝。

ともかく旅は始まった。





悪魔の実、若しくは優しい爆弾

2007-09-01 05:53:04 | Weblog
完成・・・!
ワレラノザッシ「HB」
http://d.hatena.ne.jp/hbd/about
営業だらけの日々だがこいつに参画してるおかげで
結構楽しい。
結構本気で好評発売中!
神保町の東京堂には確実にあるでよ。
真面目ぶった旅の話を書きました。

かってね!
・・・・頼むから・・・・

ちょっと復活

2007-09-01 05:49:03 | Weblog
お久しぶりです、ご無沙汰してます。
ひょっこりお休みがもらえたのでタイ、カンボジアで原点復帰。
タイムリーな話題をおとどけしている中華航空で!!!!!

7時間前は仕事してて、3時間前はパスポート探してて、1時間前に見つかって
あと4時間ちょっとすればちょっともすれば空の上。

南船北馬はやめられない。
・・・・・パスポートは定位置に置いておきましょう。




イスラエルのこと

2007-04-28 15:03:15 | Weblog
ミュンヘンって映画見て思い出してしまった。
人と人が完全に分かり合えることなんてない。
隣の奴は異邦人。
どんな風に何を考えているか分からない。
だから、分かろうとしなきゃあな。十全のこころで、努力して。

昔書いた文章



私はジョン・レノンの「イマジン」が嫌いだった。すべてを手に入れた男が世界平和をはかなげにうたう事に偽善を感じたからだ。
 七時間の入国審査を経て、ようやく私はエルサレムの街にたどりついた。
ユダヤ人とアラブ人の対立は激しいようだ。
少し街を歩いただけでも、各々の居住区では貧富の差や街のにおいまで全く違う。

自警団が黒光りしたマシンガンを肩に歩いている。
体験したことのない雰囲気に私は背筋をのばした。

アラブ人街を歩いていると、八百屋の露店を見つけた。
店主のバアは商品が売れるとうれしそうにわらう。
買った客もわらう。その光景は日本と変わらない、ほほえましいものだった。

その場を立ち去ろうとしたとき、三人のイスラエル兵がバアの前に現れた。
十代にも見える若い兵士たちは、高圧的になにやらまくしたてる。
バアが悲痛な顔で何か言い返す。
イスラエル兵は短く罵倒のようなものを吐くと、バアの野菜をおもいきり踏み潰した。
他の兵士も加わり野菜はどんどん潰れてゆく。
バアが泣き叫ぶ。
野菜がなくなると、兵士たちは去っていった。


私は一歩もその場を動けなかった。
周りの人々がバアをなぐさめている。
コブシを握りしめたアラブ人の若者がいつまでもイスラエル兵をにらみつけていた。
 胸がはりさけそうだった。
目の前でひとが暴行されているのに何もできない。
兵士の持った銃に完全に萎縮していた。
重い足取りで宿に帰り、アラブ人の宿主に見てきたことを話した。
宿主のはなしは、さらに私を驚かせた。
イスラエル兵は一日三人のアラブ人の逮捕を命令されているという。
罪びとが見つからない場合、バアにしたようないやがらせをしてアラブ人を怒らせ、突っかかってきた者を逮捕する。
そしてそれはアラブ人が一ヶ月前におこしたテロが原因らしい。
憎しみの連鎖に頭がおかしくなりそうだった。

 宗教間の対立は根深い。
誰も望んではいないのにかなしみはうまれ続ける。
私にはいのることしかできなかった。
いのってもバアは泣き止まないし、テロで亡くなった人は生き返らない。
戦争は無くならない。
ひと、ひとりはあまりに無力だ。

あきらめに似た冷笑が聞こえてくる。
思考を止めるのは簡単だ。
偽善じゃないか、と自問する。
わからない、と答える。
それでも私はいのり続けよう。

考え続け、忘れまい。
自分が生きている瞬間、ばくだんが破裂していることを。

少しだけ好きになった「イマジン」をimageできるひとが世界中にいる限り。


帰国しました

2007-03-29 22:40:48 | Weblog
メキシコから三時間、日本ではあまり見かけないレベルのポッチャリさんがめちゃくちゃいるアメリカはアトランタの空港で一泊した後、アトランタから十四時間かけてかえる。
英語の映画の聞き取りはまだ無理。
でも五本見た。
日本に帰ってきてもいつものようなほっとする感じはあまりない。
これからはひたすら現実。
仕事である。新卒一年目である。
とりあえず新卒用に髪を切りそろえる。旅行から帰るといつもレゲエなヘアで周囲のウケをとってから髪を切るのだが、今回そんな余裕はない。
海外で携帯を盗られたことを思い出して機種変更する。
電話帳のコピーしてない・・・。
もうガク割もつかえない・・・。

ああ眠い。完全に時差が逆だ。
そんな訳で懲りずにワタシメとこれからも連絡を取っていただける方、番号をメールしてください!
お願いします。
電話帳、かあちゃんだけだよ・・・。

おしまい

2007-03-27 13:53:56 | Weblog
もう旅も終わる。
今日はメキシコシテイ最後の日だと言うのに課長島耕作をずっと読んでいた。
卒業式すらさぼって旅の期間を増やしたというのに何だか情けない。
何の意味も無く、それゆえ楽しかった旅の日々ももう終わってしまう。
本当に終わってしまう・・・。

この旅で感じたことのフィードバックは帰国後にしようと思う。
時差の関係と飛行機に乗る時間の関係で、成田に着くのは
29の昼です。

ではまた。

コンドルの贈り物

2007-03-20 13:15:17 | Weblog
30k歩いた翌朝、四時半に一度起きる。
フィッツロイの朝焼けを見るためだ。残念ながら外は雨。
二度寝で目覚めると八時。合計で十時間程の睡眠をとる。
筋肉痛だ。
体中が重い。
引きずる様に体を動かしてパタゴニア観測所を目指す。
ここ一週間の天気が良ければフィッツロイが見れるまで待ってみようと思ったのだ。
・・無常にもここ一週間天気は悪いらしい。
山に厚い雲のかかっている今日がいちばん可能性が高いらしい。

こればっかりは縁なので諦めるしかないだろう。

昼になると少しづつ雲が晴れてきた。
これはもしかすると・・・と思うのだが期待しすぎてろくなことがないのが
我が愛すべき人生なので期待はしない。

今日はハードなトレッキングは無理なので歩いて一時間ほどのコンドルが見えるという丘に行く。
コンドルの本場はアンデス山脈なのだが。まいいです。
丘の上に登るうちに更に雲が晴れてゆく。
期待しない期待しない・・・。

一時間半後、本当に帰る一時間前、コンドルが頭の上を威風堂々
飛んで行った後、男前はようやくその顔を見せてくれた。

ああ、確かにあんたカッコイイよ。はるばる見に来てよかったよ・・。

その後、男前はすぐに顔をかくしてしまったけれど、あんなに厚かった雲が晴れたのはきっとコンドルのお陰なのだ。
・・・・そう思った方がネタにしやすいし。タイトル、コンドルの贈り物だし。

さて、これからバスに60時間ほど乗りチリのサンチアゴに着くと長く、と言うよりすごく短く感じた世界一周の旅も殆ど終わりを告げる。

まだもう少しだけ続く旅の一日一日をかみ締め様と思う。


恥ずかしがりやの男前

2007-03-19 22:56:52 | Weblog
男前は気分屋でなかなかその姿を見せない。
わざわざ地球の裏側から会いにきたというのに、その自慢の顔はすっぽりと
雲で隠されたままだ。
まあ、しょうがねい、ということで早朝7時からトレッキング開始。
今日は12時間、30kの行程である。
そんなに歩くの好きなわけじゃあないんだけどせっかくパタゴニアにいるのだし
おどらにゃソンである。
マチュピチュで27k歩いた道よりずっと歩きすい道を、快調なペースで登ってゆく。
今考えても砕石の上というのはかなりダメージの溜まる道だったわけだ。

朝日が昇ってきて山肌が真っ赤に染まる。
パタゴニアの朝日は本当に燃えるような赤でそれが山々を照らし、世界が赤一色になる様はココでしか見ることが出来ない。
ちなみに夕陽は淡いオレンジで太陽のさす角度のせいか非常にまぶしい。

三時間ほど歩いた所で雨が降ってくる・・。
またか・・。
今回はたいした降りではなかったが、男前の顔はどんどん見えにくくなるばかりである。
スタートから六時間、橋の通っていない川を、カラビナにロープを付けて渡ると、目の前は氷河一色になる。
そう、今日の裏メインは氷河の上を歩くことである。
生まれて初めてアイゼンなるものをつける。
昔みた、セヴンズイヤー・インチベットという映画で主人公がアイゼンで足を怪我したシーンを思い出し、ちょっとビビる。
普通のスニーカーでトレッキングに臨んでしまったので足にアイゼンの金具が食い込み、痛い。
まあとにかく氷河の上を歩く。
感触はそのまんま氷、というよりは石の上に氷を置き、その上を歩いている感じでかなり固い。強めにキックしないとアイゼンが氷河に食い込まないので一歩一歩必死である。
ガニマタで歩くのが一番バランスが取れていいのだが普段使わない筋肉を使い、へばる。
天気が良かったらもうちょっと楽しめたのであろうがまあ今回は氷河は二時間のみ。
それでもかなりへばった。
来た道をひたすら戻る。山は下りのほうがダルい。滑りやすいのだ。
雨が降ったせいでフィッツロイはみれなかったが虹が出た。
氷河、雪山、虹というなんとも豪華な組み合わせである。
更によかったのはごくごく薄い雲が太陽をおおいかぶせると、天国への道のように
薄い光の道が目の前に出来ているような状態になったことだ。

さすがに12時間はしんどかったし、足もガクガクになったけれどその日は幸せな気分で眠ることが出来た。

翌朝は男前は顔を見せてくれるだろうか。