ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




左:ワカツキ通商。台東区台東3-7
右:金美堂箔押所。台東3–10。2003(平成15)年10月23日

左写真は、末広会商店街(すえひろレンガ通り)の南の裏通りで、当ブログ前回の「N邸、M邸」のはす向かい。写真右のワカツキ通商の社名は「台東区近代洋風建築調査報告書[データ編]」(平成8年3月)から。銅板貼りの家と共に「Brilliage御徒町」(2022年1月築、4階建)というマンションに建て替わった。

右写真は「N邸、M邸」の西の街区で、写真中央の2軒と突き当たりの縞の日よけが「金美堂箔押所」。「ホットスタンプ金美堂」とガラス戸にある。写真右の路地との角の家も製本関係の工業所らしい。
金美堂の左の「黒木製作所」の看板建築が建て替わっただけで、景観は今もほとんど変わらない。

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N邸、M邸。台東区台東3-8
2003(平成15)年10月23日

末広会商店街(すえひろレンガ通り)の南の裏通り(間に路地がある)。
戦前築の3軒の家がならんで写っている。撮影時には写真右枠外にもう2軒、トタン貼りの看板建築がある。写真右に看板だけ写っている「石川自転車商店」は3階建の看板建築で、2014年頃正面が改装された。銅板張り看板建築の左の家はストリートビューを見ると、2010年にはすでになく、駐車場になっている。

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吉崎屋洋品店。台東区台東3-22。2008(平成20)年3月1日

当ブログ前回の「丸文、かつ美」と同じ末広会商店街の中程の四つ角から東方向を見た写真。煉瓦舗装が切れるところまでが末広会商店街で、その先の突き当たりが佐竹商店街。
現在は左から2軒目の家が2012年頃に3階建住宅に建て替わった他は、変わりない家並みである。商店が並んでいたのだろうが、1986年の地図ではそれと分る記載は無く、1966年の地図に、手前角の家が「吉崎屋洋品店」となっている。
末広会商店街は『YouTube>末広会商店街』によると、大正4年にすずらん通りとして誕生した。湯島・末広町から佐竹・小島町に抜ける唯一の通りだったため常に賑わっていた。昭和30年頃には通りに70軒くらいの店があったという。現在、ストリートビューで店といえるのを数えてみると10軒だった。

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丸文、かつ美。台東区台東3-8。1989(平成元)年1月29日

末広会商店街(すえひろレンガ通り)の松山寿しの向かいが台東3–8で、写真はその街区の西側の横丁から北方向を撮っている。写真右の床屋がすえひろレンガ通りに面した「内山理容店」。写真からは居酒屋と思われる「丸文」と「かつ美」が認められる。現在、レンガ通りとの角の家(内山理容店の向かい)とその左の家の半分が残っている。角の家は当ブログの『末広会商店街/台東3丁目』で、すえひろレンガ通りから撮った写真を載せている。
1966(昭和41)年の住宅地図では左から「丸文、西、バーみみずく、油藤商店」と「内山バーバー」という記載。

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杉本染物店。文京区根津1-21。2005(平成17)年4月2日

根津神社の表参道口の向かい側の家並み。撮影の数年後には、三軒長屋とその右の家は建替えられた。写真左の杉本染物店は「和服専門 三河屋号 杉本染物舗」の看板を出していて今も営業中。写真右の家は1986年の住宅地図に「フジイメタル」、1969年の地図に「藤井商店」、その左の家は「金城中島建設」。
三軒長屋は人が住んでいるようには見えないが、鉢植えが置いてあるから、屋根が壊れていない1軒に住人がいるのかもしれない。
建て替わった1軒は「ねこや工業 ごんげん前」で、招き猫なんかの店らしい。その右に3階建住宅で、1階に店が2軒。1軒は「Happy Koala」という「手造り小物とお洋服」の店。もう1軒は「ツバメブックス」という古書とアンティークな雑貨の店。本の数は多くないがあなどれない品揃えだという。

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竹浪運送店。文京区根津1-22。2007(平成19)年10月18日

建て替わってしまったが、山の湯のあったところから根津神社の方へいったすぐ先。戦前築の3軒長屋だ。端が1軒分空いているので、そこも長屋が続いていたのかもしれない。昔の航空写真を見ると、参道の両側とも、この長屋のような建物が隙間無く並んでいた様子だ。
竹浪運送店は、看板を掲げているから営業しているようでもあるがどうなのだろう。ストリートビューで見ているので、はっきりとは分らないのだが、板の看板には「東京陸運局免許 昭和三十年八月十八日付/55東陸自貨二才七六九号/一般区域貨自動車運送事業/本店営業所」と読める。
根津神社の祭礼では、神酒所になるようだ。

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ローズ美容室。文京区根津1-23
左:2000(平成12)年5月3日、右:1990(平成2)年5月6日

不忍通りの根津神社入口交差点を根津神社の方へ入ってすぐのところにあった看板建築の二軒長屋。ごく最近取り壊されて、2022年7月のストリートビューでは更地である。ローズ美容室は2019年に閉店した様子だ。日よけの文字は「ビューティサロン 梅沢稔の店」。1969年の住宅地図では「青木、うさぎやパン店」という記載。
右写真の左にわずかに写っているのは「林屋米店」。「グランドメゾン根津参道」(1996年7月築、12階建45戸)というマンションに建て替わっているが、その1階で今も営業中だ。

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山の湯。文京区根津1-22。2005(平成17)年4月2日

不忍通りの根津神社入口交差点を根津神社の方へ入ったところにあった銭湯。2011年の東日本大震災で煙突が破損して休業していたが、そのまま廃業になってしまったという。その後1・2年で住宅に建て替わってしまった。
建物は戦前築のように思えるのだが、開業時期などの情報はネットでは探せなかった。モルタル仕上げの正面は、戦後の改修のように思える。前面に増築したような外観だ。
内部の様子は、『~極楽の湯~温泉・東京銭湯>山の湯』や、『風呂屋の煙突>山の湯』などで紹介されている。


2008(平成20)年9月10日

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松山寿し。台東区台東3-20
2008(平成20)年3月1日

写真の街灯にあるように、「末広会商店街」のまん中辺りで、写真右端の家が最近建て替わったが、その左の四軒長屋は今も残っている。商店街の通りは「すえひろレンガ通り」という。2009年に台東区が命名したという。昭和通りの台東1交差点と台東3交差点の間のまん中当たりから東へ向かう通りで、330mの長さ。
「安心堂」から左が看板建築の四軒長屋で、左端は路地の角。白っぽい日よけが「松山寿し」で、かなりの老舗だという。安心堂は1966年の住宅地図では「安心堂ゴム靴店」、その左は「中華珍味」。『昭和の東京2台東区』(写真:加藤峯夫、出版:デコ、2013年、1800円+税)に4軒長屋が写っている昭和42年撮影の写真が載っている。長屋の左端の家の看板をむりやり読むと「家庭文化用品 エンゼル印発売元 株式会社東洋アルミ」だろうか。エンゼル印はたぶん魔法瓶。

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左:コーポ谷口。台東区台東3-38。1988(昭和63)年12月31日
右:看板建築の長屋。台東3-38。1992(平成4)年3月22日

当ブログ前回の坂井邸の南のブロックが台東3-38。西側は裏通りだが、それ以外の3面は路地である。1992年までは「竹の湯」という銭湯があった。
左写真の家はその街区の北側の真ん中あたりで、現存している。「コーポ谷口」の表札がかかっているからアパートなのだろう。現在は写真左の部分(「表千家茶道教授」の看板から左)が建て直されたか改装されている。
右写真の看板建築の長屋は台東3-38の街区の南東角。今も建物は残っているが、正面は改装されてきれいになり、見た感じがだいぶ違ってきている。

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