"社会教育(公民館)の経験は、農業やるきっかけにあるよ。深いところで"
ご縁が重なり合って、遠野の多田自然農場をおじゃました。多田克彦さん、混迷する農業界にあって明確な方向性をうちだしていることもあり、「反骨の農業イノベーター」と東洋経済2015.1.24号でも大きく紹介された。酪農と広大な畑をベースに数多くの加工品が「多田克彦」ブランドで世にでている。
多田自然農場はいまや社員三十数人を抱え海外ともやりとりし、貿易自由化も見越す構えを持つ会社。それでも「農あるくらしに学ぶ旅」の延長上でおたずねしたつもりだった。が、いってみたら、「地域をいかに学ぶか」という私の関心にどまんなかな方で、びっくり。
経済界は注目しないけれど、それは彼の"前史"に秘められている。10年間遠野市役所職員、うち5年間は公民館職員だったというのだ。コミュニティ紙を発刊したり地域の資源をほりおこす。さらに、役所最後のところで仲間たちと一市民としてかの「遠野常民大学」をたちあげ、2年間事務局を担っている。
「歴史観なくして構想はつくれない。」「使命感、問題意識があるから学ぶんだ」ということばが印象的。歴史観とマクロな視点がないと、目の前の風景から物語をよみとることができない。同時に何のためかの視点も大事。常民大学も遠野のまちの核をつくりたかったから。それは単なる解釈学・研究志向に陥りかねない地域学への明快な批判だ。
彼のそのまなざしは、農業に転身してからもかわらない。農業自由化の波をまともにかぶったり、借金をかかえ、幾度も絶望の渕にたたされながらはいあがってきた。そのはいあがりの手法の根幹にあるのはやはり、農業史を学び、風土にあった方法を試行錯誤することから。「自由化なんていまにはじまったことではないよ。戦後農業史をみれば自由化の歴史だよ。」問題は戦後農業は考えない・依存型の農業者をつくってしまったこと。農業者も自立し、自らの手仕事や風土を他者に語る努力が必要だというのだ。彼の事業は、社員を進んで海外研修に出し、国際展示場ではその国の言葉で海外バイヤーと直接やりとりする。海外の力・有能なIターン層とのコラボが生まれ、「異」なるものとの交流が新たな気付きを蓄積しながら熟成されていく。その結果が、今の状況だ。
"いまこそ、地元に、本質に迫る学びを"…彼の生きざまはそういうメッセージをはなっていると思った。
ご縁が重なり合って、遠野の多田自然農場をおじゃました。多田克彦さん、混迷する農業界にあって明確な方向性をうちだしていることもあり、「反骨の農業イノベーター」と東洋経済2015.1.24号でも大きく紹介された。酪農と広大な畑をベースに数多くの加工品が「多田克彦」ブランドで世にでている。
多田自然農場はいまや社員三十数人を抱え海外ともやりとりし、貿易自由化も見越す構えを持つ会社。それでも「農あるくらしに学ぶ旅」の延長上でおたずねしたつもりだった。が、いってみたら、「地域をいかに学ぶか」という私の関心にどまんなかな方で、びっくり。
経済界は注目しないけれど、それは彼の"前史"に秘められている。10年間遠野市役所職員、うち5年間は公民館職員だったというのだ。コミュニティ紙を発刊したり地域の資源をほりおこす。さらに、役所最後のところで仲間たちと一市民としてかの「遠野常民大学」をたちあげ、2年間事務局を担っている。
「歴史観なくして構想はつくれない。」「使命感、問題意識があるから学ぶんだ」ということばが印象的。歴史観とマクロな視点がないと、目の前の風景から物語をよみとることができない。同時に何のためかの視点も大事。常民大学も遠野のまちの核をつくりたかったから。それは単なる解釈学・研究志向に陥りかねない地域学への明快な批判だ。
彼のそのまなざしは、農業に転身してからもかわらない。農業自由化の波をまともにかぶったり、借金をかかえ、幾度も絶望の渕にたたされながらはいあがってきた。そのはいあがりの手法の根幹にあるのはやはり、農業史を学び、風土にあった方法を試行錯誤することから。「自由化なんていまにはじまったことではないよ。戦後農業史をみれば自由化の歴史だよ。」問題は戦後農業は考えない・依存型の農業者をつくってしまったこと。農業者も自立し、自らの手仕事や風土を他者に語る努力が必要だというのだ。彼の事業は、社員を進んで海外研修に出し、国際展示場ではその国の言葉で海外バイヤーと直接やりとりする。海外の力・有能なIターン層とのコラボが生まれ、「異」なるものとの交流が新たな気付きを蓄積しながら熟成されていく。その結果が、今の状況だ。
"いまこそ、地元に、本質に迫る学びを"…彼の生きざまはそういうメッセージをはなっていると思った。