武蔵野航海記

京都を散策しながら感じたことを書いていきます。

This is it 7

2010年02月07日 23時05分12秒 | Weblog
10回以上、マイケルのDVDを見て気がついたことを今まで書いてきました。

マイケルは周囲のスタッフに対して、プロとしての技能よりなにかへの「ひたむきさ」を要求するのです。

個々の技能より全体がかもし出す「ひたむき」という雰囲気の方が大事だと思っていて、そういう雰囲気を派手な動きのダンス等によって、観客に強烈に印象付けようとしたようです。

その「ひたむきさ」はLOVEに対するひたむきさだと私は感じました。

皆が愛し合い、人種差別をなくし更には地球を愛そうというのです。

単にみんなに心地よいテーマを意図的に選んだという感じでもありません。

彼自身が本当にそう考えていて、このテーマを「ひたむき」に追いかけていたようです。

このテーマが単に営業用だけのものだったら、彼の人気があんなに長く続くはずもなかったと思います。

こういうマイケルのひたむきさが周囲のスタッフをまた感動させるという循環を作り上げたのです。

つまり、マイケルは「マイケル・ジャクソン教」の教祖で、周囲のスタッフは熱烈な信者なのです。

マイケルと周囲のスタッフがかもし出すLOVEの雰囲気に観客も魅せられたのです。

DVDの中でマイケルと一緒に仕事をした連中が、みな「彼は謙虚で一生懸命で、人に優しかった」というのは、本当だったのだろうと思います。

マイケルがこういう性格だったからと言って、誰でも彼の信者になるというわけではないでしょう。

彼と一緒に仕事をしていたスタッフにWASPはいないようでした。

WASPというのは White Anglo Saxon Protestantのことでイギリス直系の白人でプロテスタント信者、すなわちアメリカの中核層のことです。

マイケル自身も黒人だし、周囲も黒人や白人でもヒスパニックです。

こういうむしろ差別された階層の中でひたむきに差別をなくそうと考えているものたちがマイケル教の信者になったと考えて良いようです。

別に白人と対決しようというのではなく、白人と仲良くしたいという考え方です。

マイケル自身も白人になろうと整形手術をしたり、皮膚を漂白したりしています。

「そういうお前はマイケルジャクソン教の信者か?」と聞かれれば、私は「違う」と答えます。

彼の音楽も面白いけれど、わざわざお金を出して買うほどでもありません。私はショパンやモーッアルトの方が好きです.

また、彼のいうLOVEというのも少し非現実的だなとも考えます。

This is it 終わり

This is it 6

2010年02月05日 09時09分32秒 | Weblog
マイケルは必ずしも専門能力でスタッフを選ばないということが、分かってきた段階でもう一度DVDを見ました。

そうして分かってきたのは、舞台装置担当、振り付け・衣装、コーラス、楽器などの担当者たちがみな「良い連中」なのです。

マイケルの発言に非常に忠実で、自分の意見を主張するということがないのです。

要するに意見を持ったプロなのではなく、マイケルの忠実な手足なのです。

集団に大きな力を発揮させるリーダーには、個々の才能を引き出して全体としてレベルを上げていくというやりかたを採る者が多いですが、マイケルは違うようです。

私は「がんこ寿司」を思い出しました。

関西にある寿司のチェーンで、安い価格で旨い寿司を提供するというので非常に流行っています。

この社長がテレビに出ていました。

がんこ寿司は寿司職人としての経験のある者は雇わないそうです。

自分流の寿司の作り方を主張されては、がんこが考えている寿司を実現できないから、という理由です。

マイケルも同じで、自分の考えた「音楽」を実現しようと努力し、周囲に細かく注文をつけるというやり方です。

だからプロを自認するものはマイケルとは共に仕事ができないだろうと思います。

こういうようにマイケルのやり方が分かってきました。

This is it 5

2010年02月04日 10時50分44秒 | Weblog
マイケルのロンドン公演のリハーサルを編集したDVDは、ダンサーのオーディションに世界中から集まった若いダンサーへのインタビューから始まります。

彼等・彼女等の人生最大の目標はマイケルと一緒に踊ることなのです。

彼は「あこがれ」そのものでした。

マイケルと一緒に仕事をしたスタッフたちはみな、マイケルは優しくて謙虚で、しかも音楽の天才で努力を惜しまなかったと賞賛しています。

「マイケルは純真だった。しかし世間知らずではなかった。世間知らずと純真は違う」といったマネージャーもいました。

マイケルの周辺にいた連中は、皆マイケルを常人ではなく、何百年に一度出現する天才だと思っています。

マイケルに批判的な者は一人もいませんでした。

彼らがあながち、死者に対する礼儀からお世辞を言っているとも思えません。多少は誇張されているかもしれませんが。

ヘタクソな歌手と能力不明のギタリストに共通しているものがあります。

「一途(いちず)」ということです。

若い彼女たちに成熟した大人のプロの風格はありません。

確固たる自信があるのではなく、色々なことに対する批判能力があるのでもなく、一途さがあるのです。

マイケルの周囲にいたプロたちもマイケルに批判的な者はいないようでした。

彼等はみなマイケルを天才だと思い、彼を信頼して団結し、一つのファミリーを作っていたと言っていいでしょう。

マイケル自身も周囲に対してものすごく気を使っていました。

「僕は怒っているんじゃないよ」、「ありがとう」

更には、いい年のおじさんに対して"I love you"とも言っていました。


This is it 4

2010年02月03日 11時20分45秒 | Weblog
マイケルとデュエットした女性歌手が決して上手くないということは昨日書きました。

オーストラリアから来た女性のエレキギター奏者がいるのですが、彼女は舞台でソロを演じるのでマイケルが非常に気に入っていたということは分かります。

彼女の実力がどの程度のものかを判断する能力は私にはありませんが、その表情を見る限りではプロの頑固さというのが感じられません。

どうやらマイケルは歌手とギタリストには、高度な専門性を要求していないようです。

その一方で、ダンサーについてはプロ根性を求めていたようで、オーディションを大々的に行って6000人の中から上手いのを選んでいます。

確かにマイケルのセールスポイントはダンスです。

ムーンウォークなど難しいステップをキビキビと踊るところに観客は夢中になるわけです。

マイケルは、ダンスだけは上手くなくてはダメだと知っていたのでしょう。

マイケルの舞台は、3D影像やクレーン・吹き出るエアー・花火など派手な装置が盛りだくさんです。

こういう特殊な装置をこなせるスタッフも彼は抱えていますが、彼らもどうやらプロのようです。

電子楽器やドラムといった楽器奏者たちも年季の入ったプロのようでした。

つまりマイケルは、ダンスと特殊装置・楽器にはプロを起用し、歌手とギタリストとして舞台でマイケルとデュエットするのは素人というように、使い分けていたみたいなのです。

This is it 3

2010年02月02日 08時07分45秒 | Weblog
「マイケル・ジャクソンはプロの言うことを聞かないんじゃないか?」と気がついたのは、リハーサルのDVDを見ている時でした。

彼がジュディスという女性歌手と "can't stop loving you" をデュエットするのですが、彼女がヘタクソなのです。

調子はずれで、要するに音痴です。

マイケルの公演のダンサーを募集したら6000人がオーディションを受けに来たということです。その中から11人が選ばれました。

だからマイケルとデュエットする歌手もちゃんとした者はいくらでもいたはずです。

私のような素人でも「ひどい」と思うような歌手を選んだというのはマイケルの意向だとしか考えられません。

おそらくマイケルとしては、自分とのフィーリングを最優先したということでしょうが、歌手の選択をオルテガなどのマネージャーに任せれば絶対に選ばれなかったはずです。

このように、「マイケルは仕事の上でも、私生活でもプロに任せる」ということが出来ない男なのではないか」と思い至り、そういう眼でDVDを見ると様々な場面で納得がいったのです。

This is it 2

2010年02月01日 10時08分50秒 | Weblog
マイケル・ジャクソンは、プロの助言をあまり聞かず自分で判断する性格ではないか、と思いました。

プロが狭い分野で積んだ経験を信用せず、それよりも自分の直観を信用するのです。

こういうタイプはえてして大衆の熱狂的な支持を獲得します。

例えば、ヒットラーです。

第一次世界大戦での敗戦とその後のアメリカから波及した大恐慌によってドイツがひどい不況に陥った時、ヒットラーはアウトバーンの建設など大規模な公共投資を行いました。

このとき首相だったヒットラーに対し、経済の専門家はこぞって反対しました。

「借金をしてこんな莫大な投資をしたら、ドイツは破産してしまう」というのです。

しかしヒットラーは自分の直観を信用して、公共事業を行い、大規模な需要の創出によって見事にドイツ経済を立て直しました。

これによってドイツの国民はヒットラーを完全に信用しました。

当時、世界中はドイツの経済復興に眼を見張り、イギリスやアメリカでも「今世紀最大の指導者だ」と賞賛したのです。

今の経済学では不況時の公共事業による需要の喚起策を、アメリカのルーズベルト大統領の創案だということになっていますが、これはすっかり悪党になってしまったヒットラーを有能な政治家だと認めたくないからです。

またドイツが戦争を始めるに当たり、プロの将軍たちは昔ながらの歩兵と大砲による進撃を進言しました。

しかしここでもヒットラーは自分の直観を信用し、航空機による空からの攻撃を行いました。

これが「電撃作戦」で大成功し、フランスなどはあっさり降伏してしまいました。

自分の直観を信用しプロの進言に従わないということは、当然ながら初歩的なミスを犯すことにもつながります。

何年か前にマイケル・ジャクソンは、ネバーランドに遊びに来た少年にわいせつ行為をしたとして訴えられました。

そのとき彼は、20億円以上の金を少年に払い和解しました。

この当時私は、整形し漂白して奇怪な顔になったマイケルをただのチンピラとしか思わず、少年へのわいせつ行為をやりかねないと思いました。

大部分のアメリカ人もそう思ったでしょう。

ところが、彼の死後、色々な報道を見聞きしているうちに、彼はそんなに変な男では無いのではないか、と思うようになりました。

彼の発言や態度が意外とまともなのです。

この件に関し、マイケルは一貫して犯行を否定していますが、和解金を払ったことについてはこう説明しています。

「このいやな事件に時間を浪費したくなかった。私には他にやるべきことがあった。だから和解金を払ったがこれは失敗だった」

「彼が実際に猥褻行為を行ったから20億円もの大金を払ったに違いない。無実ならそんな金を払うはずが無い」と誰でもが思います。

こんな初歩中の初歩はどんなアホーな弁護士でも当然進言します。

マイケル・ジャクソンはプロの進言を無視して、ミスをしたのです。

彼がわいせつ行為をしたかどうか本当のところは、私には分かりません。

しかし今の私には、彼がそんなに変な男だったとは思えません。

This is it

2010年01月31日 10時36分30秒 | Weblog
マイケル・ジャクソンが昨年夏ロンドンでする予定だった公演の練習風景を編集したThis is it のDVDを見ました。

これについて書こうと思います。

「そんなことより、この半年以上お前何していたんだ?」というご質問もおありでしょう。

私は学問をしていました。

ごく初期の仏教から始まって、小乗仏教や様々な流派の大乗仏教、さらにはインドの哲学やサンスクリット語、ギリシャ哲学などの書物を読んでいました。

なんでギリシャ哲学など読むのかって?

釈迦が死んでから100年ぐらい後に、アレクサンドロス大王がインドに侵入したのです。

彼が中東で客死した後も、家来のギリシャ人はインド北部を支配していたのです。

だから仏教にはギリシャ哲学が大きな影響を与えているのです。小乗仏教の最大の流派だった説一切有部の教説は、プラトン哲学のコピーだという研究もあります。

こんなわけで、「夢中」という感じで書物を読み漁っていました。

まだ分からないことが多いのですが、仏教に対するイメージが少しずつ出来てきています。

仏教と言うのは、ツギハジだらけのバランスの取れていない思想だと私は思うようになりました。

釈迦の言った事を初期の段階で弟子たちが誤解し、辻褄が合わなくなって、いろんな思い付きでツギをあてた結果、なんとも奇妙なものが出来上がったようです。

大学院の若い友人たちも「仏教は、時代が下がるにつれて変になっている」と思っているフシがあります。

彼等は宗派の中で僧侶として相応の地位を確保したいと願ったり、仏教学者としてやっていこうとしたりと生活がかかっていますので、あまり露骨なことは言いませんが、日頃感じている疑問は隠しきれないようです。

ただ、私はまだ仏教に対する考えが整理できていません。これにはまだかなり時間がかかりそうです。

さてマイケル・ジャクソンの話に戻ります。

最近まで彼のことなど関心がありませんでした。

「スリラー」のレコード(ずっと昔のことだから当時はCDはなかったのです)ぐらいは持っていましたが、それだけでした。

ところが昨年6月に死んだ後の一連のMJ騒動を見て、「彼は何でこんなに人気があるのだろう」と考えたのです。

これが気になってとうとうDVDを買ってしまったというわけです。

結論は「MJは才能の豊かな芸人で、ショーを楽しくするために努力を惜しまなかった。それが可能だったのは、彼はこういうことが心底好きだったからだ」ということです。

明恵上人 5

2009年06月27日 20時47分19秒 | Weblog
今、日本では出生率が1.2ぐらいまで下がって人口はこれから減少し始めます。

これにはいろいろの原因がありますが、良く聞くのは「もっと生みたいが経済的な余裕が無い」という理由です。

子供は手間とお金が派手にかかるものなのです。

特に高等教育費(塾の費用含む)が大変で、これも出生率低下の大きな要因です。

日本以上に子供を大学に行かせる風潮が強い朝鮮や香港では日本より出生率が低いのです。

しかし少し昔を振り返ってください。

日本には「貧乏人の子沢山」ということわざがあります。

以前は経済力の無い家庭ほど子供が多かったのです。

今、私の手元に「日本二千年の人口史」という本があります。

鬼頭宏が1983年に書いた少し古い本ですが、なかなか面白いです。

彼は日本の総人口の推移を推計していますが、縄文時代は20万人、奈良時代は550万人、

平安末期で700万人、1600年の関が原の時が1200万人となっていて、着実に増えています。

それが120年後の1721年には3100万人と2.5倍になっています。

その後伸びが止まり、120年後の1846年には3200万人です。

幕末からまた増え始め、1875年(明治7年)3600万人、1920年5600万人、

1950年8400万人、1980年11700万人となりまた停滞が始まりました。

日本の人口が停滞して増えなくなった時期は、江戸時代の120年と最近30年だけで、2000年間のうち9割以上の間は、子供をたくさん生んで人口も着実に増えていたのです。

つまり、我々現代日本人の親子関係というのは、長い歴史のうちで極めて特殊なものだということです。

日本人は長い間、貧乏人が子供をたくさん作り人口を増やしてきたのです。

明恵上人 4

2009年06月25日 22時02分30秒 | Weblog
共産主義は人間の本性を変えようとしました。

しかも宗教に反対し、哲学的な考察で人間の心を変えようととんでもないことに挑戦したのです。

世の中には一生延命働いて多くの収入を得、それを他人のために潔く使う人が極たまにいますが、そういう人は自分のためにはお金を使いません。

こういう奇特な人は、自分が豊かな生活をしようとか、普通の人が持てない様なブランド品を身につけて他人と差をつけるために一生懸命働くのではありません。

一生懸命働くのが自分の使命だと思っているのです。

キリスト教では、こういう人は「自分は神様からこの仕事を授けられたのだから一生懸命はたらかなければならない」と考えます。

日本人であれば、これを「修行」と考えたり「仏行」と考えたりします。

いずれにしても宗教的な動機から働くのです。

こういう研究を百年ぐらい前のマックスウェーバーというドイツの学者がしているので、興味がある人は読んでください。

楽をしようとか贅沢をしようと考える人間はここまで純粋に働くことが出来ないのです。

19世紀に産業革命を通過し急速に豊かに強大になっていった民族はこういう宗教心を持っていました。

ところが共産主義はこういうことに気がつかなかったのです。

「疎外」を解消すれば、皆喜んで働くと考えたのです。

自分が主体性をなくし生活のために仕事をさせられているから「疎外」を感じるというのです。

私は未だにこの考え方が分かりません。

単純な作業を朝から晩までやって入れば、どんな理屈をつけようと嫌になってしまうのは当然なのです。

実際共産主義体制のロシア人も支那人も仕事が嫌で、仕事をサボっていました。

資本主義生産の基本というのは、マルクス経済学では「土地」「資本」「労働」だといいます。

これは間違っているのです。この三要素は大昔からありました。

それでも資本主義というのは長い間起りませんでした。

人間の長い歴史で資本主義がおきたのはつい300年ほど前のことなのですが、これは「一生懸命に働くことが神の命令なのだ」という非常に真面目な宗教がおきたためです。

そうです。宗教改革の結果なのです。日本はキリスト教ではありませんが、同じように労働が尊いという教えが普及したからです。

結局、豊かな社会に必要なのは、一生懸命働くという精神であり、それは宗教によって養われたのです。

それを共産主義は分からず「宗教はアヘンだ」と考えて禁止し、「哲学」で人間を働かせることが出来ると勘違いしたわけです。

それから共産主義は私有財産も廃止しようとしました。これも人間の本性に反するやり方です。

次回はこの私有財産について書こうと思います。

明恵上人 3

2009年06月17日 09時12分59秒 | Weblog
共産主義というのは、はるか昔から貧富の差が無い社会ということで、人間の理想社会の一つになっていました。

19世紀になって産業革命が起き労働者と資本家という従来無かった階級が突然発生した時も共産主義が流行りだしました。

産業革命以前に存在したのは、商人と職人でした。

職人はいわば自営業であって賃金労働者ではありません。また職人のトップであるマイスターは社会的地位が高かったのです。

ドイツではいまでも、マイスターは企業の課長クラスより高い収入を得ています。

そういう古きよき時代が去り、不熟練賃金労働者が発生し、彼らを雇う資本家が登場したわけです。

産業革命が起きてこういう状態になったわけですから、その問題を解決しようとする共産主義も、産業革命が現に起りつつある先進国で流行ったのです。

イギリス・フランス・ドイツなどで共産主義思想が起りました。

しかしこれらの先進国は問題の深刻さをよく理解し、その対策を講じました。

一番熱心だったのがドイツの鉄血宰相ビスマルクで、労働時間を制限したり最低賃金を設定したり、未成年者の労働を制限したりと、労働者の地位向上に努めました。

こうしないと労働者が共産主義にいってしまうからです。

日本を始め世界中の今の社会政策は、ビスマルクの政策を真似したものです。

こういう事情もあって、共産主義は先進国では勢力を伸ばせませんでした。

そして今ではこれらの先進国では、純粋の共産主義はほとんど絶滅しています。

ところが後進国のロシアは、こういう労働者保護の政策をとる精神的余裕が無かったので、革命が起きてしまいました。

支那は労働者などという気の利いたものはいなかったので、百姓が革命を起こしました。

支那の場合は、実態は共産主義革命ではなく伝統的な農民反乱で、それを毛沢東が「共産主義革命」と名前を付けただけです。

共産主義を実現させる社会的基盤が無いので、革命騒ぎが収まった後に出来た政権は共産主義ではありません。

ただそう称しているだけでした。

このように共産主義は、その思想が出来た本場では絶滅し、辺境でその名をかたってそのまがいものが栄えました。

仏教も同じで、本場であるインドでは絶滅してしまい、東南アジアや日本という辺境で残っています。

日本などは仏教が起きた社会的基盤が欠けているので、その仏教もまがいものです。

もう一つ共産主義と仏教で似ている点があります。

「人間の本性を変えようとした」ということです。