渋沢峠の鉱山跡
去年の9月に20年振りに訪れた渋沢鉱山跡。山に一歩踏み込んだ瞬間から蚊の大群に集られ這う這うの体で逃げ出した。今日はそのリベンジ。園芸用金属スコップと選鉱用の植木鉢皿を携えロードバイクで出撃。大山ルートと同じく厚木経由でR246をひたすら走る。鶴巻温泉辺りから新善波隧道までの約2kmの登り区間がしんどい。ロードバイク野郎の聖地”ヤビツ峠”入口の名古木(ながぬき)交差点を過ぎ5kmほど走ればオバQ渋沢駅。駅から秦野大井線を南に渋沢峠の激坂を登りトンネルを抜ければ小さな集落に出る。
駅から路線バスが出ている
虫との格闘が始まる
集落を抜け山への入り口にバイクを停める。4月というのに既に虫が寄ってくる。倒木などで荒れた林道を300mほど進むと鉱山跡。毒々しいオレンジ色のオオスズメバチが目の前を飛ぶ。重低音の羽音が迫力満点。坑口から小川に降りて露頭している黄鉄鉱の粘土層を確認。スコップで少し掘るも硬くて刃が立たない。20年前は重い粘土ながら苦労せず堀り出せた。この年月で粘土は洗い流され採掘者にとことん掘り出されてしまったようだ。小さな白いカケラを苦労して掘り出し比重選鉱してみるも砂のような黄鉄鉱が薄く残るだけだった。
白い石膏の露頭部分に黄鉄鉱の粒が確認できる
比重選鉱するも砂のような黄鉄鉱しか残らない
20年前の成果
苦労して来てみたけれど20年前のような成果は見込めなくなった。もうここに来ることもないだろう。本日の走行距離 79.09km ロードバイク積算 20,504km
春を待ちわび 夏に出会い
桜の季節が終わるころ月日の過ぎる早さを実感する。小学生の頃に感じた1年の長さと還暦間近となった一年ではかくも違うものか。一説によると一年の長さは人生の長さとの対比になるらしい。10歳の時は人生10年という長さに対する1年で1年/10年の体感。50歳では1年/50年の体感。10歳の時に感じた1年に比べ50歳では5倍の早さで過ぎ去る計算。なんとなく納得。
トランザムの「季節」という曲にある「坂道の絵」。国内、海外の美術館をめぐるたびにこの「坂道の絵」を探してしまう。一生かけて自分なりの「坂道の絵」を見つけ、そしてその坂の先にある風景に辿り着きたいと思う。
ミツマタ大群生地
先月遠征した大山の参道で見かけたミツマタの花。ちょっと興味をそそり調べてみた。丹沢山系にはミツマタの群生地域があり大山の麓、清川村から林道を進んだ場所にあるらしい。既に花の時期は過ぎてしまったが一度訪れてみたくなった。鶴間から中央林間、座間を通り相模川を渡ってR412号へ。台湾料理 福萬園で”どさん娘ラーメン”上位互換の台湾味噌ラーメンとコマ焼き定食で腹ごしらえ。
安定のボリュームと美味しさ
高取山のすそ野を南に走り清川村へ。県道64号を下って七沢から約4.5kmの林道ヒルクライムが始まる。山神隧道、一の橋を越え谷太郎川に沿って登っていけば不動尻キャンプ場跡の広場に出る。
延々と林道を登っていく
水汲み目的の人も多く訪れるようだ
滝なども多い マイナスイオンたっぷり
余裕があれば三脚でスローシャッター撮影したい気分
不動尻キャンプ場跡広場と不動の滝に行く途中にミツマタ大群生地はある。花は既に枯れ始めていたが野生のミツマタが斜面に茂る。表現は変だがマタンゴに囲まれたような気分になる。
花の時期が過ぎていて残念
ついでに不動の滝を観ようとしたが小川を越えていかねばならず濡れるのが嫌で手前で諦める。復路は愛甲石田まで下ってR246で厚木から海老名に抜ける。
本日の走行距離64km(サイコン一時計測不良) クロスバイク積算12,256km
大山参道のミツマタ
市中在庫があるうちは安泰
先日ES8191の内臓バッテリーを交換した。 次なるメンテは切れ味が落ちてきたので外刃と内刃を交換した。刃を交換してメーカー品のオイルを注して空拭き。動作音が静かに戻る。交換した内刃に触れてみると刃物の鋭利さは無くなっていた。最近流行りの5枚刃の上代はいかほどなのだろう。安いシェーバーなら2-3個買えるのではないかしら。安直に刃数を増やすなんて企画の放棄、製品開発の観点から言えば怠慢に他ならない。このラムダッシュの先代にあたるリニアスムーサーを購入したのは画期的な駆動方式の発明があったからこそ。次なるエポックメイクな進化が無いのであれば買い替えはなさそう。今のうちにジャンクの修理交換用基板でも仕入れておくかな。
開けるのが面堂終太郎
妻の美容器具のACアダプターが故障。DC出力側のプラグ根本とアダプター出口の2か所で屈曲断線。7.5V/300mAの定格。長津田ハードオフでコンテナ3個を漁り7.5V/500mAのアダプター(330円)を掘り出す。断線故障したDCプラグはセンターがマイナス極。そこで仕入れたACアダプターのセンタープラスのコードを一旦切断して切り替える。切断箇所は熱収縮チューブで絶縁保護。これにて一件落着だがついでに故障したアダプターも修理してみる。タミヤの“カッターのこ”で溶着されたアダプター本体を切り開く。回路はスイッチングではなくオーソドックスなものだった。トランスで降圧してブリッジで整流、電解コンデンサで平滑。安全担保のヒューズなどは仕組まれていなかった。小机のサトー電気で購入した外形φ5.5mm、内径φ2.1mmのDCプラグに付け替えてアダプター出口の断線部を切り捨てハンドドリルで穴あけしてコードを通し引っ張り対策として内部で1回結んでおく。切り開けた本体はエポキシで接着。念のため2か所をタイラップで強く縛る。テスターで極性と電圧を測定し作業完了。使えるACアダプターが2個になった。これで当分大丈夫でしょう。ちゅうか嵌め殺しのACアダプター修理なんてしたくないのが本音。
ブリッジダイオードが4発。最低限の回路構成
春爛漫
曇り空の週末。毎年の桜撮影を行うべくクロスバイクで家を出る。リュックにはデジタル一眼と望遠ズーム、標準マクロ。フジのミラーレスには魚眼。ついでにステレオデジカメを押し込む。これで雨に降られたら悲惨だなとぼんやり考える。撮影場所は大和市引地川。天気がすぐれないからか見物客はいつもの半分程度。シートを広げてピクニックの人も多い。禁止されている火を使ったBBQ一家も一組いた。
和菓子屋さんには行列 花より団子
両岸の桜が綺麗な1kmの区間を往復。まだ満開とはいかず7-8分咲き。期待した日差しはなくプラス補正で撮影するもいまひとつ。満開の晴天なら水面に映る桜とかネタは広がるのだけれど。毎年思うのは人生で桜を観られるのはあと10回、それとも20回?そう思うとこの瞬間も愛おしい。お天気も怪しいので撮影もほどほどに切り上げる。復路は大和駅周辺の町中華開拓。駅から北へ500mほど行った広東料理「品珍酒家」を選ぶ。
やさしい味付け 960円
街中華というより宴会メインのお店といった雰囲気。1Fはテーブルが並び定食屋のレイアウト。定食メニューは700-1000円以下で種類も豊富。味付けも日本人向けで美味しい。いつもの台湾料理とは違うが満足のお店だった。本日の走行距離 25.22km クロスバイク積算 12,172km
自棄のやんぱち日焼けの茄
初夏の陽気となった土曜日、久しぶりにクロスバイクで大山を目指す。今日の目的は「もち麩」の買い出し。一度ヨドバシカメラの通販サイトで別メーカーのものを買ってみた。軽すぎてスカスカで好みではなかった。清川村の道の駅に電話で在庫を問い合わせるも2か月前から売り切れは続く。もしかしたらもう入荷は見込めないのかもしれない。そこで大山こま参道まで買い出しツアーに出かけた次第。ルートは素直に鶴間から国道246を辿り、下今泉から厚木へショートカット。相模大橋で相模川を渡り国道129・246で伊勢原へ。右折して相模原大磯線から大山バイパス、大山板戸線と渡り大山観光案内所まで。ここから徒歩でこま参道を登る。価格調査してみるとこま参道入口近くのお店でもち麩は一袋が500円から700円に値上げされていた。参道を登りつめた”塚本みやげ店”では550円だった。このお店で買うことを決め、先に大山阿夫利神社を参拝することにした。ケーブルカーを使わない場合、登山は男坂と女坂を選べる。登りは女坂を選ぶ。花見シーズンだからか花粉のせいか登山客(参拝客)は少なかった。神社をお参りしてボトルに水を汲ませてもらう。
女坂の途中で寄り道”阿夫利隧道”
阿夫利神社
眺めは最高! 苦労して登った甲斐がある
大山名物「ルーメソ」
境内ではスマホが通信速度の遅いフリーWi-Fiを拾ってしまい処理が重い。Wi-Fiを切って速度が回復するも走行記録アプリのReliveが終了してしまった。5分ほどベンチで休憩し男坂で下山。女坂は比較的緩やかな勾配ではあるが段差歩幅がまちまち。男坂は傾斜45度程度の石段が続くがテンポよく歩める。その代わり急な階段両脇に手すりもなく踏み外せば高所から転げ落ち頭を打って一巻の終わり。
画像ではそれほどに見えないが無茶苦茶急な階段 両側にガードなし!
下山してコマ参道で「もちころちゃん」を4袋の自棄買い。来た道を引き返す。本日の走行距離 65.06km クロスバイク積算 12,147km 自転車積算 32,562km
参道には美しいミツマタの花
春が一気に訪れた
そのうち瓶ビールも無くなったりして
森永乳業は銭湯などに卸しているガラス瓶飲料をこの3月末でペットボトルに切り替えるとのアナウンス。これも時代の流れか。うちでも週に一度ヨーグルトの配達を頼んでいる。明治の宅配商品には瓶牛乳も残っている。瓶は洗って回収されるのだけれどこの瓶牛乳もいつまで続くかわからない。ちょっと残念なのが今どきの瓶牛乳はキャップがポリエチレン製。昔は紙キャップで日付がスタンプされていた。給食の牛乳も瓶に紙キャップ。このキャップを水洗いして平たく乾かしてメンコにして遊んだものだ。学校帰りに牛乳店の外に積まれた空き瓶を漁っては紙キャップを拾い集めた。たまに大口のヨーグルト瓶用で大径のキャップを見つけてはコーフンした。銭湯の冷蔵庫の横には紙キャップを開ける専用千枚通しが吊るされていた。針部分はリング状の樹脂でガードされたもの。しかし、銭湯で湯上りに飲むマミーやヤクルトはどうしてあんなにも美味しかったのだろう。平時に飲むそれとは風味が違うのだ。思い残すは「ドリプシ」を一度でいいから飲んでみたかった。小学生の頃、関西では盛んにTVCMが流れていた。そしてついにドリプシの場所を特定!コーカサス(カフカス地方)のグルジア王国(ジョージア国に改名)にあるアブハジア自治共和国。その山岳部にドリプシ村はある。
中華街で一番好きな通り”香港路”
久しぶりに映画「砂の上の植物群」を観て山下公園に行きたくなった。日曜出勤の代休だったので午前中に用事を済ませて昼からクロスバイクで出撃。R16を南下して関内経由で山下公園へ。映画ロケ地の撮影ポイントを探す。山下公園で海に面した半円状の展望所は二か所。一か所は氷川丸に近すぎることから海に向かって左手側展望所が映画の撮影ポイント。映画では意図的にか氷川丸はフレームに納まっていない。因みに氷川丸は昭和35年に山下公園に係留され映画は昭和39年。現在ではベイブリッジが存在感を示す。次に主人公の伊木(仲谷昇)が腰掛けたベンチは半円展望所左角辺り。半円形部分はベンチの並びが途切れ広場がある。映画撮影のスタッフ待機や脚を立てるのに好都合だったのかもしれない。
国土地理院
制作/著作:日活
映画ではフレームの奥に特徴的な丸屋根の“インド水塔”(昭和14年建造)が見える。現在もインド水塔はあるが松に遮られ見通しは悪い。遠景も現在では大桟橋国際ターミナルやみなとみらいの建物群が立ち並ぶ景色になってしまった。
インド水塔
ベンチ位置から振り向くとマリンタワー、氷川丸が見える位置関係
山下公園の取材を終えて中華街で昼食。中華街は表通りより路地のお店に当たりが多い。お勧めのお店紹介。香港路にある四川料理 景徳鎮というお店。四川料理を謳っているがランチメニューは辛くなくてたいへん安い。少し濃いめの味付けで700円でお腹いっぱい。本場の味を求めるなら麻婆豆腐がよろし。観光客狙いの「食べ放題」など派手な看板などは出ていないのが本物の証。関帝廟通りで江戸清と煙草屋に挟まれた路地が香港路。入って左手3軒目あたり。本日の走行距離 40.55km クロスバイク積算 12,077km 自転車積算 32,481km。
他店のハデハデ看板に比べ控えめ
お値段もリーズナブル
鶏唐揚げの黒酢ソース炒め(700円税込み)
復路、花に誘われ上川井の神明神社をお参り
若い頃の趣味嗜好はかわらず
日活映画「砂の上の植物群」(1964)DVDを入手した。この映画の初見は大学生の頃、関西地上波の深夜枠で放送された。白黒映画ながら象徴的なシーンにカラーフィルムを差し込む手法。表現主義、キュビスム、シュルレアリスム画家、パウル・クレーの作品を絡めながらストーリーは展開する。映画は官能的で実験的要素が強い。主人公には34歳で他界した父の影がつきまとう。クレーの絵画作品タイトル(テーマ)が暗示的に紹介される。この映画の冒頭シーン、夕景人気のない山下公園や夜のマリンタワーにひとり佇む紅いルージュをひいた少女、そしてクレーの作品で映画(小説)のタイトルになった「砂の上の植物群」や「まだその場所にいる黒」に強いインスピレーションを受けた。
夕暮れの山下公園
(制作/著作:日活)
夜のマリンタワー展望台
(制作/著作:日活)
要所要所に差し込まれるカラーパート
(制作/著作:日活)
映画を観た後、原作となる吉行淳之介の同名小説も読んだ。80年代にはサブカル雑誌「ふゅーじょんぷろだくと」にルージュの少女イラストを投稿し掲載された。90年代後半、開設したウェブサイトのサブコンテンツタイトルを「砂の上の植物群」とした。50歳の頃、小説を再読していて主人公が37歳となり父の歳没を越えたことに気づき戸惑うシーン。自分の年齢がそれをはるかに上回ってしまった事実にショックを覚えた。映画を観ていた学生の頃、37歳という年齢は壮年のオヤジという受け止めだった。久しぶりに映画を観返して姉に復讐する高校生を演じた西尾三枝子の悪戯っぽい表情は筧美和子に似ていると思った。主人公の父と懇意だった山田理髪店店主の信欣三は安部公房原作 映画「燃えつきた地図」ではコーヒー店「つばき」の主人を演じていた。
(制作/著作:日活)
西尾三枝子
映画のロケ地になるバー「鉄の槌」はまだあるのかしら?