さくら便り~from India~

My next stage....India!!

Chennai

2009-11-29 | india
27時間、列車にガタゴト揺られてやってきました、チェンナイ↑
3年前の旅では、北インドしか回れなかったので、
せめてOUTはチェンナイから、とオープンジョーにしました。

久しぶりのインド列車旅。
車窓からの景色は相変わらず赤土色で煙っている。
田んぼや畑、沼、川、町、人、牛。
ゆっくりゆっくり流れていく。
インドは2期作?はたまた3期作だろうか?
一面にたわわに実った稲穂が広がったかと思うと、
一家総出の勢いで田植えにとりくむ姿をみかける。
この辺りになると近頃冷え込んできたコルカタとは異なり、
また夏のような暑さを感じるようになってきた。

ところでインドは26(?)の州から出来ていて、
ほぼそれぞれにそれぞれの言葉がある。
共通語としてはヒンディー語があるが、
町で見かける若い世代になるとインド人同士英語で話している姿も珍しくない。
特に列車の中ではいろいろな地方から人が集まるから、
インド人も私もごっちゃでいろいろ話しかけてくれる。
日本にはいくつの言葉があるの?他の民族はいないの?
こういうことって聞かれないと考えないくらい
単一民族国家になりすましてる日本。
チェンナイについて耳をすますと
確かにコルカタのベンガル語とは異なるタミル語が聞こえてくる。
文字なんかはあきらかに違う。面白い。

チェンナイは住み慣れた(笑)コルカタと比べると、
日本人はあまり見かけないし、もっと都市っぽい。
物価も南に行くと安くなるかと思いきや高いし、
なによりJapanese friendlyのネットカフェがない!
今、やっとこ巨大ショッピングセンターの中のネットカフェを見つけ出しました。
この巨大ショッピングセンター、館内エアコン完備で
KFCやSUBWAYのような外国のお店から
超お高い(覘く勇気もないけど予測)ブティックまで
何でもそろうというなんともインドっぽくない建物。
目の前の路上には物乞いする人がたくさんいるのに…。
やっぱりインドのこういうところがなかなか受け入れられない。
私はインドにいる時にはこういうところはできるだけ避けてしまう。
どうしてこういう建物を建てるお金があったら
もっと別のもっと必要なところに使えないのだろう…。
インドという国への謎は深まるばかり。
列車の中のインテリっぽいインド人に恐る恐る問いかけたら
「まだインドは独立したばかりだ。
そして今やっと経済大国になろうとしている。
まだまだこれから変わっていくんだ。」と返ってきた。
戦後の日本と単純には比べられないのだろうが…。
優先順位の違いだろうか。
何年後にか、またこの国を訪れる時には何かが変わっているのだろうか。



さて、そろそろこの後ろめたいショッピングセンターを抜け出して、
今日はこれから海を見に行きたいと思います。
今日明日明後日のんびりして水曜にはまた空の上です。
きっとこれ以降のアップは帰国後追々になりますが、
まだまだ書きたいことがいろいろ残っているので
talk to you later!

Linku

2009-11-25 | india
撮影許可がもらえた最終日たまたまマジシャンのパフォーマンスがありました↑
子ども達はお菓子やらおもちゃやらもらってマジックに見入って興奮気味

シシュババンの障害児の教室には
一応子ども達一人一人のポートフォリオがあって、
各自の障害の状態や必要な支援、リハビリ方法なんかが書かれているのだけど、
残念ながらその存在はボランティアにはあまり知られていなくて、
しかも実際にはあまり内容もアップデートされておらず、
子ども達一人一人のことを知るのはとても大変。
マーシー達とはあまり話が通じないので、
この頼りないポートフォリオを読んだり、
何より直接関わることで彼らのことを知っていくしかない。

私がここに通った2週間。
短すぎる時間だけど、後半でとても親しくなれた子がいた。
リンクという女の子だ。年は7~8歳くらいだろうか。
脳性マヒで反り返った手をヒラヒラさせて、
ずっと開いた口からのぞく出っ歯がチャームポイント。
大きく見開いた目は、周りの動きに対してなかなかに敏感だ。
恥ずかしいことに、私は最初の一週間くらい、彼女の能力を見くびっていた。
彼女は驚くほど表情が豊かでコミュニケーション能力に富んでいる。
そのことに彼女の反応を見ていくうちに気づき始めてから
彼女も私のことを覚えてくれたようで、
私が訪れると椅子に固定された体をバタバタさせて
歓声とともに迎え入れてくれた。

食事介助の時にこんな駆け引きがあった。
離乳食みたいにしたカレーが彼女の日々のご飯。
毎日味はちょっとずつ違うみたいだけれど、
ある日のご飯を彼女はあまりお気に召さないようだった。
頑固に拒む子を押さえつけて口につっこむマーシー流は
私にはとてもできない。やりたくない。
向けたスプーンを跳ね返されてはまた向け直して
諭しても歌っても何してもにっちもさっちもいかない状況。
その日はプーリーという、チャパティ(薄いナンみたいなの)
を揚げたみたいなのがついてて、
リンクには食後にひとつあげていいと言われていた。
硬直状態に疲れた私はとりあえずプーリーをとりに行った。
さぁ私の持ってきたプーリーを見てリンクの喜んだこと!
「リンク、プーリー好きなの?」激しく頷くリンク。
そこで名案を思いついた私はそれを直接あげずに少し砕いて
スプーンにとった離乳食状のカレーに振りかけて構えた。
その時の「そうきたか!」っていうリンクのおちゃめな顔といったら。
悔しそうに、けどとても嬉しそうにきれいに食べきってくれましたとも。

リンクは体もなかなか自由に動かないし、言葉も話せない。
もちろん私の話す言葉はリンクには当然わからないだろう。
けれど、彼女には障害を越えて、感情を表現する素晴らしい力がある。
彼女は私の気持ちがわかるし私は彼女の気持ちがわかる気がした。

最終日、リンクに「今日で私がこれるのは最後なんだ。」と挨拶した。
特大のハグをしてくれるリンク。
ここの子達がしてくれるハグは不思議だ。
マヒしてる上に器具をつけたりしてガチガチのハグなのに
抱かれるととても柔らかい気持ちになる。
そしていつもよりはっきりと確かに「バイバイ」と言ってくれた。
そう、彼女は実は「バイバイ」も言えるのだ。
そういう彼女の様子に気付いてやれなかった最初の一週間が悔やまれて、
けど後半少しでも彼女を知ることができたことが嬉しくて、
なんだか涙が出てきそうになって声が震えた。
そしたらリンクはガチガチの腕で私の背中をさすってくれた。
なんて優しい子なんだろう。
そしてよだれどろどろの口で私の頬に特大のキスをくれた。
愛されるだけじゃない、愛すこともできるこの子達は、
きっとこれからもたくさんのボランティアに愛され、
たくさんのボランティアを愛していってくれるはず。
そう思うと、出かかった涙を抑えて笑顔で去ることができた。
ありがとうLinku。Keep living happily!

動く

2009-11-24 | india
写真はコルカタのハウラー橋↑

今日チェンナイ行きの列車のチケットを買いました。
出発は金曜日ですが明日がボランティアの最終日になります。
あっという間の2週間!!
なのにもう長いことこうしている気がするのが不思議です。
今回はマザーハウスに来ることが第一目的の旅だったのですが、
まだ行ったことのない南をちょっと見てみたくて、
帰りはチェンナイ発のフライトをとったのです。
落ち着いた腰を上げてしばし旅人。

少しですがやっと写真をアップしました。
マザーテレサでは写真撮影禁止なので、
記事とはあまり関係ない写真ばかりですがご勘弁。

Street Children

2009-11-22 | india
写真は通勤路で出会った子ども↑
インド人は大抵大人も子どもも写真好き

今日の午前中はバスを乗り継いで
ストリートチルドレンのお世話に行ってきました。
毎週日曜日にM of Cのいち施設に
近隣のストリートチルドレンを集めて、
体を洗って、お菓子をあげ、一緒に遊んで、
最後にお昼ごはんを配って解散という活動。
20人弱のボランティアで行ってきました。

施設では50人くらいのストリートチルドレンが
押しつ押されつおおわらわで待ちわびていました。
兄弟に抱かれてきた赤ん坊から10歳くらいの子まで。
私たちの姿を見るとわーと歓声をあげて駆け寄ってくる。
そんな子ども達を抑えて並ばせて、
まずは男女分に全身をきれいに洗ってあげる。
インドとはいえ、11月の涼しい屋外で
頭から水をばっしゃとかけられ震える子ども達。
流れ作業で洗い終わったらすぐバスタオルでお出迎え。
その後はまた汚い服にするりと身を収めなおすのだけど、
お年頃のお姉ちゃん達はいっちょ前のレディー気分で
用意されたベビーパウダーやヘアオイルをつけてすまし顔でした。

その後は広場で縄跳びやハンカチ落としにボール遊び。
やっぱり子どもらしい無邪気な顔で精一杯遊ぶ彼ら。
けれど、ふと一息ついたときなんかに
つないだ手をゆるめて「Money?」と見上げられると、
この子達に染み付いた生活習慣を悲しくも思い知らされる。
ご飯やお菓子を配り始めると、
子ども達はどこからともなくビニール袋を取り出してくる。
帰って家族と分けるのだろうか、
それともこれから一週間の糧にするのだろうか、
大事そうに袋の中に食べ物をしまいこんでいた。

マーシーs

2009-11-21 | india
写真は私の最近の通勤路↑

マザーハウスで働くインド人のおばちゃん達のことを
マーシーと呼びます。
豪快なIndian wayで働く肝っ玉母ちゃん達です。
いっつも「アンティ(女性を呼ぶ愛称)!」と私達を呼びつけ、
英語かと思いきや結構ヒンディーやベンガリーで
がわわわーっと指示をしてきます。
ジェスチャーや表情で結構いわれてることがわかるから不思議。
子ども達や患者さん達と関わるのはもちろん、
マーシー達との触れ合いもなかなか面白いのです。

今日はマーシー達はシスターにピクニックに連れていってもらう
ということで朝、いつもより綺麗なサリーを来て
るんるん気分で大集合していました。かわいい。
最初はなんだかおっかなくて無愛想なように見えても、
慣れてくると声かけて一緒にふざけたり踊ったりもしてくれて、
とってもおちゃめなマーシー達。
マーシー流の手荒い子育ても、きっと愛の鞭だと思える。

愛される場所

2009-11-20 | india
午後はシシュババンの中の障害児の施設の方に行っています。
ここの子ども達は精神遅滞やダウン症、脳性マヒ、自閉症と、
大概が複数の重い障害を併せ持っていて、
中でも目立つのがブラインド(盲目)の子ども達です。
初めて彼らの顔を見た時には
目がなくて落ち窪んだ空っぽのまぶたに驚いてしまったけれど、
すぐに目がなくても表情がとても豊かなことを知りました。
私は人と接する時は目を見ていろいろ判断するけれど、
目がなくても人の心ってわかると知って
なんだかとてもうれしくなりました。
特にここの子ども達は健常児も障害児も
たくさんの大人からcareされ愛情を浴びて育っているので、
表情がとても豊かなのだと思います。
手足が絡まってしまって自由に動けない子も、
近寄ると声をあげて喜んでくれて
強張ったがちがちの腕でぎゅっと抱きしめてくれます。
自分よりもずっとずっと弱いはずの子に抱かれて、
自分が受け入れてもらえたようですごく安心した気持ちになります。
なかなか合わない目線が合った時には
少し通じ合えたような気がしてうれしくなります。
泣いていたり、叫んでいたりすると、
あの手この手で何を訴えているのか探ります。
オムツを替えてほしいのか、おなかが空いているのか、
どこか具合が悪いのか、ただかまってほしいのか。
まるで大きな赤ん坊のようで、
この子達にはこの子達独特のかわいさがあります。

でも、ずっと心配なことがあって、
どうしても気持ちが晴れ晴れしていなかった。
それはこの子達の未来のこと。
この子達は健常児とは違って養子にはいけない。
では、この先どうなってしまうのだろう??
まさか捨てられるわけじゃないだろうけれど…。
いてもたってもいられない気持ちになってシスターに聞いてみたら、
ダヤダンという別の施設に移っていくということだった。
ここで引き取られてきた子ども達はみんな捨てられることなどなく、
亡くなるまでマザーハウスの中で愛されて育つのだと。
しかしだいたいの子どもが若いうちに亡くなっていくそうだ。
それはここが医療機関ではなくて、安らげる場所、
愛される場所であるからこそ。
もちろん、このやり方に対してはいろいろな意見がある。
私もボランティアが抗議する場面を何度も見た。
でも私は、ただの1ボランティアとしてではあるけれど、
愛される場所で自然に与えられた生を全うする、その考え方に賛成だ。
ここは子ども達のカーリーガートなんだなと、
そう思ったらなんだかすごくほっとして涙が溢れてきた。
それからは気持ちが晴れ晴れぐんと軽くなって、
もっと子ども達に全力で接することができるようになった。

Titagarh

2009-11-19 | india
通勤路の肉屋↑
この辺りはムスリムも多いので牛も食べます
道端につながれてる顔なじみの牛が
いつもまだいるかがちょっと恐い

木曜日はボランティアの活動休止日です。
バスに乗って一時間ほどの郊外にあるTitaigarhと呼ばれる
M of Cのハンセン氏病センターを見学するイベントに参加してきました。
インドでは路上でもよく手足の欠けた人たちを見かけるのですが、
この施設ではまだ体が十分に動く患者さんたちが、
自分たちで使う布を織ったり、畑で野菜を育てたりしています。
ただ面倒を見てもらう、愛を与えられる、というだけでなく、
自分も何かを与える、必要とされる役割をもつ、というやり方が
私はとても生産的且つ人間の働くという本質を満たしていて
すばらしい仕組みだと思います。
それは先日訪れたプレムダン(老人の施設)でも感じたこと。

糸を紡ぐところから始まり、200以上もの縦糸を配置して、
機織をリズムよく鳴らして横糸を通して織り上げる作業は
何時間見ていても飽きないくらい見事だった。
働く人たちをよくみると足がなかったり指が欠けていたり、
けれどやっぱりほかのM of Cの人たちがそうであるように、
みんな一人一人が笑顔で明るく「ナマステ!」と声をかけてくれる。
働けない患者さんの部屋も、静かだけれどぜんぜん暗くなんてない。
時には指がすべてなくなってしまった丸い手をいびつに合わせて
訪問者の私たち一人一人に「ナマステ」と声をかけてくれる。
なんだか充実した気分になれた訪問でした。

レインボーホーム

2009-11-18 | india
放牧(?)されているヤギ↑
マトンカレーは定番メニュー

先日たまたまレストランで出会った
「マザーテレサの真実」の著者、五十嵐さんのお誘いで、
五十嵐さんが創設した孤児院「レインボーホーム」に行ってきました。
ここではシシュババンのように養子縁組を斡旋するのではなく
20人ほどの子どもたちが数人の職員とともに家族として生活しています。
みんな日本語の挨拶なんかも上手にできるaround teenagersです。
午後の少しの時間だったけれど、
子どもたちは手を引いてアットホームな施設内を案内してくれ、
一緒に歌を歌ったり踊ったり、お祈りの時間をすごしたり、
スナックをいただいたり、好きな映画スターの話をしたり。
シシュババンの子どもたちよりもちょっと大人で英語もわかったから、
短時間でもとても仲良くなれた気がしました。

五十嵐さんは日本でもずっと不登校の子どもやなんかと関わってこられた方で、
偶然だけど運命的なものを感じずにはいられない素敵な出会いでした。
一緒にいらしていた青森の保育園の園長先生とも意気投合して、
インドのコルカタでぐんぐん深まる教育談義を繰り広げました。

笑顔

2009-11-17 | india
Nirmal Hriday(近くの駅の名前から通称カーリーガートと呼ばれる)↑
死を待つ人の家と日本語で言われることが多いが
ヒンディー語のNirmal Hridayの本来の意味はPure Heart

今日は一日シシュババンはお休みして、
マザーハウスの他の施設に行ってきました。
午前中はお年寄りのいる施設。
午後は死を待つ人の家。

予測できないほど希望に溢れたこれからの未来を抱えた
シシュババンの子供たちとは対照的に、
これらの施設にいる人は
想像すらできないほど壮絶なこれまでの過去を抱えている。
中にはどう見てもインドの出身ではない人もいて、
その人がどういう経緯で今ここにいるのか、
考えただけでとてもショッキングだ。

やはりいろいろと複雑な気持ちにもなるけれど、
ここはそういう人たちがあと少しでも幸せに過ごせる場所。
今この時を幸せに生きることが大事なんだ。
中には難しい患者さんもいるけれど、
施設の中の雰囲気は驚くほど明るい。
見ているこちらが痛いほどに傷ついた体で
精一杯のハグやキスをしてくれる。
言葉なんて関係なくおしゃべりしたり、
爪を切ってあげたり、ご飯を食べさせてあげたり、
汗だくで洗濯物のバケツを運んでいる時でさえも、
めちゃくちゃ笑顔の自分に気づいてまた笑ってしまった。
この笑顔、いつでも忘れないようになれるといいな。

Yamna

2009-11-16 | india
Yamnaという女性に会いました。
同じシシュババンでボランティアする彼女は
ベルギーから来たというのだけど見た目はインド人。
ベルギーと聞いて、インドが国際的な養子縁組を認めている国は、
ベルギー、イタリア、ニュージーランドともう一カ国だけだと聞いていたから、
気になってバックグラウンドはインドなの?と聞いてみました。
彼女はにっこり笑って、
I'm from here, Sishu Bavhan.
涙が出るほどうれしかった。
ここで愛情たっぷり育てられた子が
こうして戻ってきて立派な姿を見せてくれる。
シスターたちはどれだけうれしいことだろう。
今、満面の笑みで私の肩腰腕にまとわりついてくるこの子達には
無限の未来が広がっているんだ。