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日米関係の変化

2024-05-09 04:25:22 | Peace Cafe


 バイデン米大統領が「日本は外国人嫌いで移民を望んでいない」と発言した。間違ってはいない話だろう。私はアメリカ人は嫌いな方だ。偏見だと言われればそうかも知れないが、アメリカの態度には許しがたい気分がある。大統領がこんなことを言うのだから、日本に対する敬意がない。

 外国人の中には台湾のような好きな人達の国もあるが、「アメリカ人は嫌いだし、支配も臨んではいない。」アメリカ人は日本人は敗戦国でアメリカに何時まででも隷属するものと思っているから、当然支配者は嫌われていると言うことになる。

 日米関係は同盟関係から、利用関係に変ってきた。最近のアメリカは日本をどう利用するか以外考えていない。アメリカは中国が怖いので、日本を利用したい。中国を叩くためにどのように日本を利用すれば良いかだけを考えている。日本が中国ともめて、出来れば代理戦争を始めてくれれば良いと考えているようだ。

 その理由は中国はアメリカを凌駕する可能性が高いからだ。しかもアメリカ型の経済体制を崩壊させる可能性を秘めているからだ。中国やインドは人口が多すぎる。資本主義の競争では一番有利な消費者の多い国だ。しかも、能力も極めて高い国で、歴史も文化もアメリカとは比べものにならないほど長く、深い。

 かつての米ロの対立は軍事対立であった。軍事力での主導権争いであった。所が米中の対立は経済対立で在る。どちらかの経済が良くなると言うことは競争に負けると言うことになる。アメリカは中国の潜在能力に恐怖を抱いているのだ。そこであらゆる形で、対中国への対抗組織を作ろうとしている。

 日本、韓国、台湾、フィリピン、中国に対する前線基地化を目指しているのだろう。アメリカは東アジアの国々を防波堤にしたいと考えている。それに日本政府はしたがっている。アベは特にアメリカの手先として、動き回っていたのだが、岸田氏に対しても強烈な圧力があるのだろう。

 沖縄県の自衛隊基地を、アメリカ軍が共同利用するという、露骨な方針を岸田は受け入れさせられたのだろう。さすがにこれは独立国としてはあってはならないことだ。石垣島では民間の港への米軍の戦艦の入港。民間の飛行場への米軍機の着陸。これを強引に実行を繰り返そうとしている。

 米軍利用を既成事実化して、沖縄県を米軍の自由利用地にすることを目的にした行動である。これに対して日本政府は反論すら出来ない弱腰である。その根底には、中国に対する恐怖感が、日米両政府にあるからだろう。これが資本主義の能力主義の限界なのだ。

 本来人間が生きると言うことに、勝ち負けはない。国が存立すると言うことにも、勝ち負けはない。競争では無く、国にはその国として存在する尊厳がある。日本が停滞が続居ているのには原因もあるのだろうが、日本がどこの国に負けようが、勝とうが、それと国の尊厳は別のことなのだ。

 どんなに小さな弱い国でも、お前の国を守ってやるのだから、お前の国を自由に使わせろなどと言われる筋合いはない。そんな権利がアメリカにあるはずもない。所が、日本政府には日本人としての誇りも吟爾もない。アメリカの奴隷化したような態度である。

 アベ以来、日本は完全にアメリカの良いように動いている。その理由は中国が怖いからである。日本の右翼勢力は中国が恐ろしいのだ。それは、軍事侵攻し、属国化しようとした歴史のしっぺ返しを恐れているのかも知れない。右翼勢力はこぞって、中国の経済破綻を叫び続けている。

 経済で負けそうになっている日本としては、中国に対抗したい気分は分るが、中国の一帯一路政策自体は、世界制覇の覇権主義だなどと恐れる性格のものではない。沖縄に敵基地攻撃ミサイル基地など作る必要が無いだろう。本心ではアメリカと同様に、経済で凌駕され競争に敗れる現実の恐怖なのだろう。

 それくらい中国の潜在能力を日本も、アメリカも恐れているのだ。虐め続けてきたしっぺ返しの恐怖である。競争主義、能力主義の限界である。相手が良くなることで自分もよくなるという、経済を目指した方が良い。日本は中国と経済交流した方が、経済は良くなる。

 経済が良くなることで共に良くなる世界がある。社会主義経済である。共産主義経済である。そこにももちろん限界もあるし、人間が利己主義で愚かであれば、成立しないものでもある。しかし、そこに進まなければ、日本は奴隷国家になるほかなくなる。

 何故、アメリカ軍に、民間飛行場や港湾は軍事利用を禁じたものだから、使わせることは出来ません、と言えないのか。当たり前の事を当たり前に言え無い国になっているのだ。日本という国の法律や憲法を、日本政府がアメリカを忖度して破ると言うことは、独立国家として恥ずかしいことではないか。

 中国に対する恐怖心がこれほど強いとするならば、何故中国との外交関係を持とうとしないのか。アメリカにするなと言われているとは思うが、アメリカは中国と首脳外交をしている。日本政府はアメリカに禁じられたままに、中国との関係を持つことが出来ない。

 自民党政権はアメリカへの忖度が強すぎる。しかし、忖度し、へつらっているから、日本人は外国人嫌いだなどと言われて軽んじられるのだ。しっかりとした日本の意志を示すことで、日本人にも配慮がいるとバイデンには分るのだ。岸田の米議会隷属演説が悪かったのだ。

 日本が中国と首脳外交をする姿勢を持って貰いたい。それは当たり前すぎることで、どこの国にも遠慮不要なことだ。ヨーロッパを習近平は訪問外交をしているが、アメリカにはまだ行かない。いつまで経っても、日本には来ない。

 日本と一番対立している国が中国であればなおさらに、平和外交の道を探ることが、日本の総理大臣の役割であるはずだ。憲法にも国際紛争は平和的に解決するように求められている。中国との首脳外交をすることだけが、日本の平和への路だ。
 
 2024年の名目GDPランキングは、1位がアメリカで27兆9655億ドル、2位が中国で18兆5600億ドル、3位がドイツで4兆7008億ドル、4位が日本で4兆2861億ドル、5位がインドで4兆1053億ドルである。これは最近抜かれた。日本は5位になったらしい。

 日本のGDPが下がることは全くかまわないことだ。むしろ、中堅国に相応しい方向を見付けることだ。低位安定を捜す。アメリカに従い、中国に対抗するなど、とんでもないことだ。先ずは中国の本当のところと、その潜在能力を自覚しなければならない。

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アメ横経営者夫妻殺人事件

2024-05-08 04:19:51 | Peace Cafe


 「那須遺体損壊事件」が連日報道されている。人を燃やした実行犯がほぼ特定された。殺したのも同じ者かはまだ確定されない。何と20の若者が2人が報道されている。この事件は少し今までの犯罪と、変化してきている事が感じられる。いかにも犯罪とは縁のないような若者が、ある日、闇のアルバイトのつもりで、遺体燃やしをやらされてしまう事件だ。

 IT世代の若者が、現実感のない中で生きている。電話で老人を騙し、お金を奪う犯罪が連日起きている。海外などに拠点を置き、遠くから指示をして詐欺を働いている。その末端にいて、犯罪に引き込まれて捕まっているのが、特殊詐欺の「受け子」と「出し子」の若者である。

 SNSやネット掲示板、闇バイトの求人サイトを中心に「書類や荷物を受け取るだけの簡単なアルバイトで高収入が手に入る」などとうたって人を集めるため、未成年の少年なども罪の意識もなく気軽に犯罪に加担してしまい、捕まるのはしっぽだけなのだ。

 出し子とはATMからお金を引き出す役割である。受け子とは実際に尋ねてお金を持ち逃げする役割である。いずれも指示するものとは面識もなく、深い考えも無く、アルバイトのつもりで犯罪を犯してしまう。コンピュターゲームのやり過ぎでと現実の境目を失っているのだろう。

 「那須遺体損壊事件」で検挙されているのは
 ① 25歳の男:最初に自首をした男である。犯行に使用する車を提供し、ガソリンその他の道具を準備していた犯罪者である。大変なことに巻き込まれたことに気づいて、殺人をやっていないと言うことを占めそうとして自首したのだろう。

 ② 28歳の男:①の25歳の男にこの「闇仕事」を依頼した「アニキ」と呼ばれていた人間で、犯罪の指示をしているが、被害者との関係はないようだ。この人物はこうした暗黒社会との繋がりがある人間なのだろうが、殺人依頼人との間には、まだ間に悪い人間が居るだろう。

 ③ 20歳の男2人:①の25歳の男に依頼され「実行犯」となった若者。良く犯罪の意味も理解も出来ないまま、遺体の焼却をしてしまった二人である。殺しもやらされた可能性がある。この2人の20歳が新しいタイプの人間を意味しているような気がする。

 ④38歳の娘婿:28歳の男に犯行を依頼した、殺された両親に怨恨のあると思われる人物。

 この内4人が、いずれも被害者との面識はない。利害関係もない。枝葉として使われた「兵隊」であったと報じられている。彼ら4人同士は本名すら知らない浅い人間関係で、互いにあだ名で呼び合いSNSで連絡を取っていた、人間関係の希薄な若者たちだった。38歳の男にお金で使われたと思われる。

 すでに闇バイトなどを経験していて、依頼を断れないところに居たのかもしれない。路は踏み外していたのかも知れない。しかし殺人に加担することを、深く考えることが出来なかった可能性が高い。出し子から殺人犯への路は近いのかも知れない。

 この構造が現代社会に起きている、ネット世界と現実が混在したような犯罪に思われる。このような犯罪集団を、警察は「匿名・流動型犯罪グループ」と呼んで「匿名・流動」略して「トクリュウ」というらしい。そんな勇ましい名前ではなく、欠落犯と言うぐらいではないか。

 彼らは、本名も顔も分からないSNS上で「闇バイト」を募り、短時間で高額報酬といった断片的な情報で「匿名・流動的」なその場だけの犯行チームを結成させ、特殊詐欺や強盗や殺人まで、あらゆる犯罪を実行させる手口らしい。

 今までは特殊詐欺が中心であった闇バイトが、ついに殺人にまで広がったと言うことである。犯罪意識が希薄な事件である。コンピュターゲームで殺人を繰り返している内に、犯罪が小脳化しているのではないだろうか。ゲームでの反復で、現実との境を失う。

 この未来型の極悪非道な殺人を依頼した人間は、まだ見えてこない。殺されたご夫婦は宝島さんという方で、中国から帰化された方らしい。アメ横飲食街で、沢山の飲食店を経営している人のようだ。以前から近隣の店舗とトラブルが続いていたらしい。

 私もどこか宝島チェーンのお店で飲んだことがあるのかも知れない。 あのチープで猥雑な感じが好きなのだが、殺人が行われるようなトラブルが潜んでいるとなると、少し違う。何か、中国マフィアのようなものが、利権に絡んでいるのだろうか。

 何か上野のアメ横で食事をするのが少し怖くなった。いつも水彩人展の期間はアメ横で何度も食事をしている。この飲食店経営者ご夫妻が殺されなければならないような事情があったのかどうか。殺人を依頼した人間は指示役の人間に、殺人を依頼をしたのだろう。

 何故殺人をするだけではなく、焼却までしたのか。焼却するところまで殺人依頼人が要望をしていたと思われる。それだけ深い恨みのある人物で、しかもお金を持っている人間だと思われる。すでに、逃亡をしてしまっているだろう。殺人の前から、海外に逃げているのかも知れない。

 38歳の依頼者の姿は怨恨殺人者と考えていいのだろうが、問題はこの実行犯の2人である。この2人まで捕まるのは早かった。防犯カメラや、路上監視カメラ、そして携帯電話の履歴。自首した1人から、4人までは手早く捕まることになった。しかし、肝心の所の犯罪をお金で依頼した人間は、見えていない。捕まらない可能性もある。

 当然のことで、4人までは捕まる前提で、殺人を依頼している。実際の依頼者から、捕まった指示役までの間にさらに、複数の人間が介在しているのかも知れない。闇の暴力団のよう真犯罪組織に依頼して、その組織から、指示役が命じられたと考えれば、なかなか殺人依頼者までたどり着くのは難しい。

 こうした犯罪で一番怖いのが以来殺人である。殺人者は第3者だ。しかも誰かへの見せしめと考えて良いのではないか。俺にたてつけば、こういうことになるのだという、メカジメ料の要求なのかも知れない。最近の東京はいよいよ、円安で東アジアの犯罪都市化したのかもしれない。

 中国マフィアの「しのぎ」は密航ビジネスと言われている。日本の労働者不足を埋めるために、 中華系飲食店は、密航者を一時的にかくまうための役割を果たす場所として機能する。これは昔朝鮮半島からの密航者を焼き肉店が受け入れていたことと同じである。

 密航者は就労ビザが取れませんから、同胞が経営している中華系飲食店の厨房などは、受け入れ態勢も整っていますし、何より職質の手も及びませんから、比較的 安全である。密航ビジネスは、密航者から多額のお金を貰い、日本での生活の道筋を着けている。

 中国系マフィアが、密航のしのぎである、東アジア系飲食店を継続するためには、宝島さん夫妻鳥害が対立し、メカジメ料の徴収の障害になった可能性がある。目障りになり、見せしめに殺した可能性がある。そう考えるとなんとなくつじつまが合う。だとすると指示した主犯は捕まらない可能性が高い。

 
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百年後人口は3千万人まで減少する。

2024-05-07 05:22:35 | Peace Cafe


 日本の人口は確実に減り続けて、100年後には江戸時代のように3千万人成る。江戸時代末期には3,400万人程度であったと推定されている。明治7年(1874年)に3,500万人に達し、明治45年(1912年)には、5,000万人を超えた。 これから、日本列島に健全に暮らせる人口になると考えた方が良い。

 日本は人口が増えすぎたのだ。増えすぎたために様々な問題が起きたと言えることが多い。人口が減少してくれれば、日本人が鎖国して生きて行くとしても可能な人口に成るという事になる。人口減少を危機と受け止める人が多いようだが、むしろこれで何とかなると考えるべき事だ。人類の生物的本能が導いた人口減少である。

 人口がいまの39%まで減少すれば、食糧自給率は100%になる。それが日本列島に人間が平穏に暮らすためには丁度良い人口なのだろう。人口減少を良いこととしてとらえ、人口が減少して困ることは何かと考えれば良いことになる。産めよ増やせよ、は戦時体制の標語だ。

 大半の企業は拡大再生産を目指しているから、消費者が減少して、企業の経営が出来なくなると考えるのだろう。確かにそういうことになるだろう。売り上げが今の39%に成るのだ。しかし企業の経営や存続は、日本列島で暮らして行く人間には、根源から言えばどうでも良いことである。

 資本主義を最善なものと考えるから、その限界を恐れているに過ぎない。資本主義は限界を向かえ、度を過ぎた能力主義の時代になった。その結果国家資本主義が優位になったのだ。社会主義経済の時代になれば、人口に相応しい安定した社会が想定されるはずだ。

 次の時代は能力主義を克服した、平等な社会である。人間の欲望がコントロールされる社会だ。帝国主義時代には国家として競争に勝とうと言うことだった。それが国家資本主義の競争に有利さが、おかしな独裁国家を増長させることになっている。

 人口減少に伴う、不安要素を挙げてみる。社会インフラが維持できなくなる。例えば医療が行き届かなくなる。これもその通りだろうが、これからの時代はIT時代だろう。医療システムも直接病院に行かなくても良いようになるだろう。地域に細かく設置される医療ITで、定期的に検診を受ける。

 そして、IT検査で、問題が見つかれば、医療機関からの指示がある。必要であれば、各県1カ所程度ある病院に行くことになる。人口が少ないのだから、その程度で現状より合理的で、十分な医療体制が可能になるのではなかろうか。医療関係者の人口割合は現状と同じとすれば、何とかなるだろう。

 道路や鉄道、トンネルや橋など劣化が進み、十分に直せない時代が来る。多分そうなるはずだ。今現在第2東名の建設や、リニア新幹線の建設が進んでいる。全くそれどころではないのに、建設企業の圧力で止めることが出来なくなっている。もういらないものを作るような時代ではない。

 新たな建設は止める方向だろう。必要最小限の道路や鉄道に絞り、廃止するものは廃止して行かなければならない。

 教育はどうなるだろうか。寺子屋のようなものと、ITで繋いだ、全世界的なものを上手く共存させることではないだろうか。世界中の教育を選択できるのだから、自分に適した教育を選択できることになるだろう。若い時代に教育があるというより、生涯教育が当たり前になるはずだ。

 自学自習をITで手助けして貰う教育。自給農業をやるものが学ぼうとして、その必要な情報は世界中から学ぶことが出来る。私が考えた発酵利用の自然養鶏も世界中に発信されて、より選りすぐれたものになって行くはずだ。知識や情報が、人類共通の資産になり、著作権のような考えはなくなっているはずだ。

 石垣島での自給農業がなかなか難しい。元気で動ける間に、確立するつもりだ。後6年間ぐらいはあるだろうから、米、大豆、小麦、ジャガイモ、玉ねぎ、サツマイモ、里芋、サトウキビ、熱帯果樹、必要な野菜。栽培技術を確立して、一日1時間で自給できるようにする。

 国の安全保障はどうなるのだろうか。ロシアや北朝鮮のように、よその国に対して攻撃的な国は、100年後だってあるに違いない。そんな愚かな国が無くなることを祈ってはいるが、人間の愚かさは限りないものだから、次のプーチンも、金正恩も登場してくるだろう。

 それに対抗するためには自由主義と民主主義制度を尊重する国家での連隊以外にはないだろう。大国も小国もなく、暴虐の独裁国家に対抗する国際組織を作る以外にない。国連の安全保障制度が有名無実になっている以上、新たな組織作りに向かう以外にないのだろう。

 人口が減少した世界は、本来であれば暮らしやすい世界が来ると言うことだ。人口減少に応じた、暮らしの縮小も必要である。資本主義の拡大再生産を目標とする世界から、停滞安定社会に目標を変えることだ。人間が安心して生きると言うことは、むしろ変化のない安定社会のはずだ。

 日本がその縮小安定化する社会の見本になれば良いのだ。江戸時代の体験がある。200年前の体験を基に、新しい科学的な知見を取り入れれば、十分豊かに生きていけるはずだ。変化しないことを良しとする社会である。安定社会の中で、人間らしい好きなことを好きなだけして暮らして行けることが目標になる。

 その先例に成るように、石垣島ののぼたん農園で生きて行こうと思う。のぼたん農園も3年目に入り、おおよその形は見えてきた。これから100坪の土地で、一日1時間働けば、人間は生きて行けるという実践を形にして行くつもりだ。誰もがその暮らしの体験を無料で出来る場所の提供である。

 のぼたん農園のある崎枝には、安く泊めてくれる場所もある。是非1人でも多くの人が、体験に来て貰いたいと考えている。小田原にはあしがら農の会がある。ここではもう35年になる、自給体験の場が続いている。小田原にも体験して貰える場がある。

 やはり実際に体験してみなければ、自給する生活の実際の感じが見えないと思う。それがどれほど素晴らしい冒険であり、命がけの暮らしであるか。そして、充実していて、やりがいがあるものか。それは一人一人が自立していて、互いに助け合う共存の暮らしである。

 元気に動ける時間はあと6年だと思う。それまでに何とか完成した形にまで、到達しなければならない。間に合うのかぎりぎりだと思うが、今の調子で6年進むことが出来れば、おおよその形は完成すると思う。人口減少の時代の一つの生き方が示せると思う。

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祖国のために死ね。こんな言葉を聞くとは。

2024-05-06 04:34:24 | Peace Cafe


 「祖国のために命を捨てるのは高度な道徳的行為だ」 まさか、こんな言葉を聞くとは思わなかった。これが名古屋市長河村氏の記者会見での発言なのだ。軍国の亡霊が時代錯誤に登場したような気がする。こんな言葉をまさか選挙で選ばれた政治家が発言する時代が来るとは思わなかった。

 河村名古屋市長の、発言の角度が古くさいのだ。道徳を国民に要求するなど戦前の言葉だ。こんな言葉を発言する人間が、日本ではまともな選挙で選ばれているのだ。これは全く信じがたいことなのだが、名古屋で起きた事実なのだ。トランプだってこんな、得にもならない馬鹿な発言はしない。

 河村氏が名古屋市長である事は、以前からおかしな事だと思っていた。名古屋市民が良しとして選んだ、名古屋市長の問題だから、あまりとやかく言うのはおかしいとは思っていたが、早急にリコールされるべきだろう。為政者が戦争を美化するなど、あってはならないことだ。


 維新の会との連携も見苦しかったが、今や保守党の一人として発言を始めている。名古屋市民は強く抗議してゆかなければならない事件だ。名古屋市民はリコール運動を始めるべきだ。どうも日本がおかしくなり始めた現れなのだろう。このままでは日本は戦前の世界に戻ることになる。

 祖国のために戦争をして人を殺したり、死ぬ必要はまったく無い。こんなことを発言する時代錯誤の人が登場すると言うことに驚きがある。人を殺したり、コロサレタリすることが、道徳的行為のはずがない。特に権力者がそういう発言をする裏にあるのは、国民を材料あるいは物としてしか見ていないときだ。この人は毒舌漫才師と政治家との違いが分らないのだろう。

 権力から国家のために、人殺しをしろと言われたら、嫌だと言わなければならない。その反抗だけが日本という国のためになる。河村氏の発言は、第2次世界大戦における、日本の加害責任を全く考えていない。日本軍に殺された人はこの発言に耐えがたいものがあるだろう。

 戦争で死んだ人のことを考えるときには、必ず、戦争で日本が殺してしまった人の事を考えなければ成らない。日本で310万人が死んだとすれば、海外では1700万人もの人を殺してしまったのだ。このことを忘れて、死んだ日本人だけを考えることは、視野が狭すぎて、海外から批判されるだろう。

 河村市長の発言は戦争の肯定である。日本は侵略戦争をしたのだ。その反省の基に、平和憲法を制定して、平和国家としてここまで来たのだ。戦争を放棄したからこそ、日本は世界に謝罪し受け入れられたのだ。そうでなければ、世界から排斥されても仕方がないような、侵略戦争をしたのだ。

 河村氏のような暴論が、繰返し亡霊のように出てくる。それが保守党という、キビの悪い政党にあつまったのだろう。河村氏はこうした暴論を支持する層が存在することを意識しての発言をしている。そうした感性だけは鋭い人だ。それが減税党の名前に表れている。

 愛知トリエンナーレ展の従軍慰安婦像の展示拒否の時もそうであったが、河村氏は知性がわずかしか無いような振りをする。浅薄な人間の振りをして、暴論を吐くのが得意なのだ。だから論理的な破綻を気にもしない。要するに毒のある漫才師の振りをしている市長だ。

 論理的に論争をすれば、論破されることが分っているのだ。だから、今回もそうだが、支離滅裂に、訳の分らないことをしゃべりまくって、ごまかしている。しかし、どんな仮面をかぶっても、戦争に誘導する政治家は選択してはならない。民主主義はそうした知性が維持するものだ。

 与那国島の町長の発言も同様である。糸数健一町長は、都内であった憲法改正の発議を求める集会で登壇し、「日本は旧宗主国として台湾に対する責任を放棄してはならない」などと述べた上で、台湾海峡問題を踏まえ新しい憲法には「最低でも自衛隊の明記と緊急事態条項を盛り込む必要がある」と提言した。

 加えて国の交戦権を認めないと規定する憲法9条二項に言及し「できれば『認めない』の部分を『認める』に改める必要があると思う」対中国を念頭に「全国民がいつでも日本国の平和を脅かす国家に対しては一戦を交える覚悟が今、問われているのではないでしょうか」とも述べた。  

 まさか台湾の至近距離にある与那国島の町長が、こんな恐ろしい発言をするとは信じがたいことだ。石垣島の中山市長も同様なのだが、どこかで何かに洗脳されてしまうのではないだろうか。そうした極右勢力が都合良く、操作しているように見えて仕方がない。島で暮らす我々は町長や市長から見捨てられたようなものだ。

 今回の発言はまず論理が矛盾していて、何が言いたいのかが明確には分らないが。「国のために死ねる人間を教育しなければならない。」こういう主張に集約して良いような気がする。明確にして、何としても否定しなければならないような発言である事は、確かでは無いか。

 主たる発言の周辺で、ごまかしのような尾ひれがあれこれ矛盾して発言されてるので、明確に成りにくく、グニャグニャ訳を分らなく言い訳をしている。河村市長は論理的に話さないで、はぐらかしてしまう。しかし、戦没者の慰霊と言いながら、国のために死ねる人間を作らなければならないとしているのは矛盾だ。

 保守党では沖縄を防人の島になれと主張している人が居る。沖縄差別発言である。それを糸数町長、中山市長は卑屈に受け入れている。確かに防人の島になれば、沖縄以外の人は賛成するのかも知れない。名古屋は助かるのかも知れない。アメリカは助かるのかも知れない。沖縄に暮らすものはそれでは困る。責任者である、町長や市長はそのことに気付くべきだ。
  
 何かがいよいよ狂ってきた。アメリカの洗脳部隊が、お金をばらまいているのだろうか。そんなはずはないとは思うが、与那国島、石垣島、名古屋市長とまともな状況とは到底思えない。何かいよいよの時が来ている気がする。平和主義の危機だ。

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210 水彩画 日曜展示

2024-05-05 04:09:46 | 水彩画
210 水彩画 日曜展示








474「舟原のかきつばた」
2024.4 中判全紙








475「舟原カキツバタ」
2024.4 中判全紙









476「ひこば田んぼ」
2024.5 中判全紙








477「ひこばえ田んぼ」
2024.5 中判全紙








478「竹富島」
2024.5 中判全紙







479「ひこばえ田んぼ」
2024.5 中判全紙




 小田原に行き舟原溜池の整備をし、舟原ため池で絵を描いた。絵を描くために溜池の整備をしてきたわけではないが、舟原の溜池を美しい場所にできれば、残されるだろうという考えであった。4つあった溜池の内3つはごみで埋め立てられてしまった。

 自分で美しい場所にしようと20年も努力してきた場所が、やっと絵が描けるような場所になってきた。今回は、ちょうどカキツバタの花が咲いていた。この目の覚めるような景色を描くことで、何かそこにある良い気配を自分の身体に取り込めるような気がした。
 
 3日間通い、2枚の絵を描いた。それは心地よい3日間だった。眼が新しくなったような気がした。次に繋がるような気がしている。このカキツバタの美しさは、日本の美だと思った。花の赤紫が、葉の緑と水面の深い緑との調和の中にある。日本人の美意識はこうしてできたという事が実感された。

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消滅都市

2024-05-04 04:08:58 | 地域


 東京の住宅街を散歩した。街散歩は例え東京でも楽しい。あまりに美しい花飾りがあって写真を撮らしてもらった。石垣にこれがあっても、美しいと感じたかどうか。こうした美しい花飾りが10個ほど並んでいる。思わず写真を撮らせてもらい、ここに載せてしまったが、スミマセン、お許しください。

 消滅可能性都市とはあまりに衝撃的な表現だ。50年前の映画の「日本沈没」を思い出す。沈没予測は正しかったので、今まさに、日本は沈没しかかっている。何故、ここまで言わなきゃ聞いてくれないだ。そんな気持ちが消滅の言葉に現れている。

 どこの地域が消えると言われているのかと思い、資料を見ていると、沖縄には消滅都市はなかったという事で安心した。この消滅は人口推計だけを見ていて、ミサイルが飛んでくると言うようなことは、度外視している。軍事基地がこれ以上増えれば、人口の減少に繋がるに違いない。

 戦争で消滅するという事が考えられていない。ミサイル基地の島になるという事で、人口が極端に減少するという事は考えられていない。どうも推測がおおざっぱ過ぎないだろうか。どういう根拠で消滅が言われるのか。20歳から39歳の女性の数の推定らしい。これなら、20年先まで人が移動しないという前提ならば正しい。

 この消滅都市を細かく見てゆくと、少し消滅の意味がおかしくなる。人口が減少しても、若い女性が多くいると理由は様々だが、大学病院が出来て永続都市になった所も在る。多良間島は人口は1058人から、681人に減少するが、若い女性が女性が60人で変わらず。だから持続可能。この推定はやはりおかしい。

 宮古島と石垣島は25年後人口は微減というところだが、20~39歳の女性の数では宮古島より石垣島の方が、減少が少ない。人口の減少も少ない。その理由の想像が出来ない。何故宮古島の方が女性が減ると想定できるのだろうか。その辺の推定理由が知りたい。

 与那国島の場合、自衛官がかなりの割合で駐屯している。この場合自衛官は何時転勤になるか分らない。また中国との緊張が高まれば、当然家族は離島する。こういう要素を全く考えていない、人口推計と地域消滅というのでは、どんなものだろう。

 今年の出生数を基にして、25年後の20~39歳の女性数を割り出すというのは、余りにおおざっぱ過ぎて、推定の根拠が甘い。石垣島でも、宮古島でも、人口の変化は移住者の存在である。多良間島には高校がないのだから、多良間島から一度は離れる。そうした離島の条件など加味しないと、推定は出来ない。






 100歳になる2050年のことだが、生きているとすればと思い、安心はした。744の全自治体の40%で、2050年までに20代から30代の女性が半減し、「最終的には消滅する可能性がある」とした分析をしたという。確かに沖縄には若い女性の移住者は多いから、消滅しないというのは分かる。

 消えてゆく、過程にある町で暮らしているというのは、楽しいものではないだろう。シャッター商店街では味気ない。石垣島と西表島で100年の歴史ある学校が閉校になる報道があったので心配をしていた。地元で暮らす人々にとって、学校が閉校になる事は、どれほど寂しい思いだろうと思う。きっと未来が失われてゆくような感触だろう。

 一方で沖縄の「自立持続可能性自治体」は17と出ている。どういうことかと思えば、若年女性人口の減少率が20%未満にとどまっている65の自治体を「自立持続可能性自治体」 としている。その中に、多良間村、竹富町 が入っている。石垣島、宮古島、与那国島が入っていないのに、八重山の島々は入っている。これだけ見てもこの推計が大雑把なことが分かる。

 日本で65しかない未来が明るい自治体の中に、八重山諸島の島々が入っているのだ。間違いだとしても、なんと素晴らしいことか。それはけた外れに美しい島だから若い人が集まる。これは善意の間違えか。本当は与那国島も入るはずだったが、自衛隊ミサイル基地が出来て、人口減少に転じてしまった。本当はどの島も人口減少は続いている。

 若い女性が自衛隊の島に移住するわけがない。住民投票で自ら選んだ道なのだから、仕方がないとは言え、残念だった。あの頃自衛隊が来れば人口が増えると、在りもしない妄想に騙されてしまったのだ。結局、与那国町長は軍港も希望している。飛行場も米軍と共用である。

 誰がミサイル基地のそばに移住してくるものか。自衛官だって、家族には来てもらいたくないはずだ。想定ほどは自衛隊の家族が暮らしていないという事も最近聞いた。そうだろう、高校のない島に、家族で暮せないだろう。自衛隊高校でも作るのか。せめて自衛隊診療所は作るべきだ。

 消滅してゆく理由ははっきりしている。暮らしにくいからである。その暮らしにくいは人によって違うとしても、はっきりしているのは若い女性が嫌だという町は、未来が危ういという事のようだ。女性の方が移動するという事なのだろうか。そんな先でもまだ男性が家督を継ぐというような考えがあるのだろうか。

 女性も2050年にはあまり結婚はしないだろうから、どういう暮らしを八重山の島でしているのだろうか。若い女性という意味は子供が生まれる可能性という事なのだろうが、未来の社会を若い女性を子供を産むものとして良いのだろうかと思う。それは正しい予測の立て方ではないのかもしれない。

 そもそも、人口が減少すると、何故良くないのかというところから考えるべきだ。経済は人口が大きい方が大きくなるという、企業の論理である。一次産業でほとんどの人が働いているのであれば、人口が減少しても問題は起きない。人間の幸せな暮らしと、人口は関係しない。

 この消滅都市の発想は自治体が経営破たんして、倒産し消滅するという事なのだ。人口が減れば、税収が減る。税収が減ると今運営されている公共施設や生活インフラが維持できないという意味である。それは当たり前のことだが、早くいらないものを止めるほかない。でかすぎる公会堂など閉鎖するしかない。

 地方自治体は自立経営するくらいの覚悟で運営されるべきだ。小田原ではお堀端に文化会館を作った。文化会館は本来、商売が出来るような地価の高い一等地に作る等、愚の骨頂だ。街の周縁部で十分である。小田原には風光明媚な文化会館敵地がいくらでもある。それこそ行政が一夜城辺りを整備すれば良い。

 周辺部の土地の安い場所に、つまり耕作放棄地や、荒れた山間部に、そうした公共施設を集中させればいいのだ。病院、市役所、県の出先機関、警察、図書館、文化施設、老朽化したものから移転させて、集中させれば、バスの運営が出来る。街の中心地はあくまで、観光対象の商業施設にする。

 市の土地に商業ビルを作って、商売をするくらいの発想をすべきだ。これからの行政は経営感覚を持たなければ、消滅つまり、倒産する時代が近づいている。人口が半分になっても、調和するように縮小しながら、新しい関係を見つけなければならない。人口減少で消滅など、弱気すぎる考えだ。

 
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小田原ジャンパー事件を思い出す

2024-05-03 04:48:51 | 暮らし

 
 小田原市職員が「HOGO NAMENNA 」などとプリントしたジャンパーを2007年から作り10年間、受給者を訪問するときなどに着用していた事件である。4,5人の人がジャンバーを着て出かける様子を見たことがあるので、何か気持ちの準備が必要な時に着ていたような気がした。

 生活保護悪撲滅チームを意味するという意味不明な「SHAT」はSWATを模したものと言われたが、何かノリが高校生のような感じだ。これを考えた人は良く知っているひとだ。とてもいい人なのだ。ただ、あの人なら悪意なく、軽い考えで仲間を盛り上げようと、そういうことをやりそうだとも思う。

 「わたしたちは正義だ。不正受給してわれわれを欺くのであれば、あえていう。そのような人はクズだ」と言う英文も書かれていたという、このアイデアは英文があった方が格好がいいというので、何か英文が必要なので、他の人が加えたのではないかと思う。

 悲しいあの事件から大分立つのだが、時々この事件を思い出す。この事件の背景にある根深い問題を、つまり差別の問題を思い出すからだ。社会もこの事件を記憶していて、時々思い出すように取り上げる人が居る。すると、つられるように、あのときの悲しさが蘇る。

 感じたのは市役所内に、部署に寄っての差別があることだ。それを分かっていたので、課長もよくは分からないが、元気が出るのであればやった方がいいと、部下からの提案を受け入れたのだと思う。考えが足りなかったのだが、悪意がなかったが、見せられる側からしたら、ひどい差事だった。私もそのジャンバーを作った話を聞きながら、気づかなかったのだから、同罪だと思う。その痛みは今でもある。

 小田原で長く養鶏をしていて、障害のある人に働いて貰って居た。生活保護を受けている人と多くの交流があった。そういうこともあって、知り合いの職員がこんなジャンパーを作ったんだと、話してくれたこともあったのだ。何が印字してあるかまで、考えなかった。

 やはり、生活保護世帯の所に行くことは、大変な仕事なのだと思えた。迂闊だったが、出掛けるときに着る服なのか程度の認識だった。やはり刃物を振るわれた事件以来、ケースワーカーとして保護者を訪ねることは、気が重いことになっていたのだ。

 友人が、路上生活者のパトロール活動をしていて、それに協力をしていた。また障害者施設での養鶏の支援をしていたので、今でもその施設とは関係が継続されている。小田原市の生活保護課の課長は、農の会の関係で友人でもあった。

 その課長を役所に夕方訊ねた時に「あんなジャンパー作ったのだけど、早くやめなければならないんだ。」とぽつりと言ったことを後から思い出した。それでも私には、何のことだからわからないかった。私がそのジャンパーは止めた方がいい、と発言するのを期待していたかもしれないとあの時何度も思い出した。

 だから、この事件が世間でセンセーショナルに、小田原の生活援護課の悪評が、あれこれ意地悪く出てきたことに、何かが違っていると感じざる得なかった。また自分が攻められて居る気もした。何かが根本的に違っている。世間というもののゆがみが、この事件に2重3重に覆っていると思わざる得なかった。

 第一に思うことは、「差別」である。私自身、生活保護を受けている友人がいて、彼が援護課職員からいじめられていると再三、主張するので相談に乗っていた。彼自身の主張する内容は、精神障害があるために、働けないで生活保護を受けていると言うことだった。

 彼は一人でアパートを借りて暮らしているが、母親は近隣の市に暮らしていて、戻ってきて欲しいと考えている。彼にはそれが出来ない。その理由も明確ではないが、障害のためだと話していた。そして問題は、生活援護課の担当の職員が家を訪ねてきて、部屋に入り込むのを、止めてくれと言うことだった。

 保護課の職員に話を聞いてみると、障害があるのかどうかの判断が難しい事例だというのだ。確かに日常は普通の問題の無い青年である。働けないような障害があるのであれば、病院で見て貰った方が良いし、病院の医師の指導や判断が貰えるのでは無いかと言うことだった。

 所が当人は病院に行きたくないというのだ。以前病院に行ったのだが、ひどい誤解をされたまま、間違った診断が行われ、薬を投与されたので、二度と行きたくないと言うことだった。たしかに、その精神科のある病院を受診した人から、問題がある病院だと他でも聞いていた。

 友人がやっていた、精神科の病院がほかにあるので、そこに行ったらどうだろうかと言うことも話したのだが、あそこはさらに悪い評判があるとのことだった。私は友人としてその病院長と接していて、むしろとても良い人なので、何故そんなことを言うのか、おかしいことだと思っていた。

 結局その辺りで行き詰まってしまった。生活援護課職員に、アポートの中を見られることが恐怖なのだそうだ。この点では病的におびえている。私が、アパートを訪ねることは可能だから、必要なチェックはさせて貰うので、何とか職員は見ないで保護を継続して貰えないかとお願いした。

 結局それは一時しのぎと言う形で、保護は継続していたし、自立のための努力もしていた。時々合うと元気そうで、仕事の方もかなり良い方向に進んでいた。しかし、またぶり返すように、問題が再燃して仕事に行かなくなり、相談を受けたのだが、私には解決をすることが出来なかった。

 私のところで働いてくれていた人が、問題を起して、結局止めて貰わなければならなくなったときに、友人の課長はその障害者の側に立ち、様々養鶏場の問題点を追求した。私としては私を信じてくれない友人に腹が立ったわけだが。その問題が事実かどうかを、障害者の側に立って確定させた。

 簡単にまとめてしまえば、小田原市の職員がこのジャンバーを作ったのは、市役所に生活保護を受けていた人が、支給を止められて、市役所の窓口に押しかけて3人に対して刃物を振るって、けがをさせた事件があってからのことだった。生活援護課職員が息苦しくなり、その気持ちを発奮させる目的で作られたジャンパーだった。

 その時にジャンパーを作るという発想は、歪んでいたのだが、何かそんな気持ちになりかねない、追い込まれたものがあったのは、私にも感じられていた。実際は小田原市の援護課の職員は、とても熱心で親身になって援護する人が多いいので、評価していたのだ。

 路上生活者の老人が、自殺をし小屋を燃やしたときには、その後遺体を心をこめて、綺麗にして納棺し、その小屋を片付け、葬儀までしたのも、職員であった。あの人たちが、あれほど一生懸命なのに、仕方がないとはいえ、舐めんなシャツで、背景も把握しないまま、ぼろくそに言われるのは援護課の職員に対する差別に思えた。
 
 差別は、保護する側にも、保護される側にも存在する。正義をかかげて小田原ジャンパーを叩く報道も、実は保護している職員を追い詰めていたのだ。もう退職したその人にも傷を残している。その周辺にいた様々にかかわり、応援していた人も居たたまれないことになった事件だった。
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小田原の春の農作業

2024-05-02 04:18:39 | あしがら農の会


 タマネギ畑。表面に撒いたソバカスからそばの芽が出ている。そばは抜かないで、そのままで様子を見ることにした。そばがコーティングされている状態で、そば以外の草は生えていない。この後そばは自然に枯れるだろうと、見ているが、果たしてどうなるだろうか。現在玉ねぎは健全に育っている。


 舟原溜池の麦畑。麦畑は後家の隣と総世寺裏にある。あわせて2反5畝ぐらいある。







 こちらは昨年反収500㎏という新記録を打ち立てた麦畑。家の脇の畑で管理は渡部さんがしている。昨年は採れすぎて倒れたと言うこともあり、大豆を栽培した後に肥料は入れないで、今年は麦を蒔いた。今年も良く出来ている。

 繰返しソバカスを入れてきたので、土が格段に良くなった。大豆との輪作の効果もあるのだろう。功成ればほとんど肥料を入れないでも、収穫まで行ける。種まきだけは一緒にさせて貰った。その後の管理は渡部さんが一人でやってくれている。


 溜池の上の畑の麦は、まだ土壌が十分ではない。しかし大豆との輪作を繰り返している内に、だいぶ良くなってきた。全くの山を開墾した畑だ。今年は普通の麦畑ぐらいにはなった。家の脇の畑に較べると分ゲツが少ない。それでもそれなりに大きな穂がついているから期待はできる。


 ジャガイモ畑。奥に私の畝があるのだが、手前の渡部さんの畝が出来過ぎで盛り上がり、良く見えなくなっている。私のものは男爵で、3キロを植えてある。今回追肥をして、土寄せをした。悪くないと思っている。

 目標は20キロだが、15㎏ぐらいは行けるか、どうだろうか。五倍なら良しとするほか無い。今回は追肥をして、土寄せをした。来月もう一度土寄せするつもりで、軽い土寄せにした。畝の両側はだんだん深い谷になってきた。これがジャガイモには良いと思う。

 渡部さんの畑は高畝方式である。大抵の作物を高畝栽培している。それがまた良く出来るので、農の会で高畝をする人が増えた。基本の肥料はソバカスである。ソバカスを渡部さんはそば向上に毎週引き取りに言ってくれている。田んぼにもそれを撒く。米ぬかの代わりに撒くのだが、米ぬかよりも良いかも知れない。



 溜池のカキツバタ。今回も溜池の草刈りをした。溜池の草刈りは小田原に来たらできるだけすることにしている。早めに刈っておけば、それほど大変ではない。今回上の溜池の畔が壊れていた。次回来た時には直したいと思う。畔から流れ出る水路を作り、中央の排出口は使わないようにしたい。

 この写真では分りにくいが、右側には白いクレソンの花が群生している。五月末にはすべて刈らないとだめだろう。他にも雑草が増えてきているので、片付けたい。その際、株分けもやろうかと思う。そうすれば早く溜め池全体がカキツバタになるだろう。



 

 舟原ため池は放置されて荒れ果てていた。初めて舟原ため池に行ったときにはまだ美しいため池で、水を満々とたたえていた。そしてオシドリの番がいたのだ。あの光景が忘れられず、いつか美しい姿を取り戻したいと考えて、少しづつ整備している。今年はカルガモの親子がいた。

 今年はちょうどカキツバタが咲いているときに、小田原に来ることができた。何時も少しづれていた。上の溜め池の半分くらいまでカキツバタは広がった。もう一息で上の溜池全体が、カキツバタになる。そうなれば、見ごたえが出てくるはずだ。近隣にはないほどのカキツバタ池になる。

 カキツバタは日本古来からの美しさを示している。アヤメやショウブもあるが、やはりカキツバタが本来である。カキツバタは田んぼと繋がっているものだと思っている。だから溜池にカキツバタを植えた。日本に田んぼが出来た時に、カキツバタも溜め池に植えたと思っている。日本人の美意識はそこから培われたのだと思う。

 水源がある。水源の近くには簡素な家がある。そして家の脇には、疎水がある。水が少し下ったあたりに、ため池が作られる。溜池にはカキツバタが植えられる。溜池に一度蓄えられた水は、緩やかに棚田を下ってゆく。そして一面の田んぼが広がり、田んぼの水は川に戻り海まで下ってゆく。

 この姿が、日本の水田の基本形になる。これから中山間地は放棄されて行く事だろう。地域が失われて行く。その時に、自給農業を考える人が居れば、もう一度この形を作れば言い。難しいことではない。シャベルだけでも出来るはずだ。40歳の頃の私なら、出来たことだ。


 これは小田原の家の上にある、自分で作った家。ピンクに咲いているのがシャクナゲ。平塚の県立のフラワーガーデンと言ったとおもうが、植物園で交配して、植木屋さんに配布したものと言うことだ。欠ノ上の小林さんの田んぼに、あったのものだ。

 田んぼにするときに、それを買い取り私の所にマゴノリさんが移植してくれた。実生からのものだと言うが、30年生ぐらいには成るのではないか。随分立派なシャクナゲになった。花はもう終わりだった。小田原に越してからもう20年は経つだろうから、最初に植えた木は随分大きくなった。ビワ、柿、しでコブシ、月桂樹、レモン、あじさい、ミカンのキヨミ、あじさいのおもしろいものは消えた。

 今回の小田原は1週間だった。半分絵を描いて、半分農作業をしたぐらいだろう。それでも、麦畑の草取りも、ジャガイモの追肥土寄せも、タマネギも、お茶摘みまで出来た。摘んだお茶は製茶されて、送って貰えることになっている。そしてため池の作業も何とか出来た。

 こうして小田原を離れて石垣島に来て、5年が経とうとしている。それでも小田原に行けば仲間として受け入れて貰える。今回も数年ぶりに会えた人が何人も居た。今度石垣に来てくれるという人も居た。本当にありがたい、嬉しいことだ。

 溜池の草刈りをして、その後溜池の絵を描いた。自分が作った場所を描く。これは最高の仕事だ。モネが庭を造り描いたという気持ちが良く分る。美しい場所を心を込めて作る。そしてそれを絵にする。のぼたん農園もそうだ。絵を描きながら、もっと良い場所にして行こうと考える。

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衆議院補選で自民党が大敗

2024-05-01 04:51:51 | Peace Cafe

 舟原溜め池に植えたカキツバタがだいぶ広がってきた。このカキツバタの青紫の美しさは素晴らしいものだった。何とか上の池は全面カキツバタにしたい。全面カキツバタになれば、他の草は広がりにくいようだ。他所のカキツバタ池を見るとそんな気がする。今度来た時に、取り組んでみたいと思う。

 衆議院補選の選挙結果が嬉しい、希望の湧いてくる選挙結果だ。日本はまだ死んでいない。何とかここで立ち上がれるのかもしれない。自民党に頼るほかないという日本人の弱気が、ダメだって自民党の汚染は許せないという気持ちが勝り、選挙結果に現れたのだ。

 民意に対して諦め気味だった自分が情けない。これほどの自民党の腐敗は、さすがに、多くの人が許せなかったのだろう。投票率を見ると下がっている。さすがの自民党支持者も、今回は選挙に行けなかった、いくらか良心のある人がいたという事になる。自民党と立憲民主党の票差は大きかった。接戦どころではなかった。

 自民党に投票しなければ、公明党に投票しなければ、日本は立ち直ることが出来る。野党に入れるのが嫌な人は、棄権か、白票か、保守党でも構わない。保守党はアベ亜流だ。どうせ当選はする訳がない。今度の補選は情けないが、諦め気味だった。どうせ島根の保守層は自民党に入れてしまうのだろうと思っていた。

 ああ、申し訳ない。島根の良識を見誤っていた。島根に岸田氏も出掛けたが、逆効果で大差の敗北である。島根でこんなことが起きたという事は、日本の何処でも、同様なことが起こるという事になる。今解散すれば、日本全体が島根になる。国民は心底怒っている。

 さすがの公明党支持者も、今の自民党に投票することは、ためらわれたのではないだろうか。公明党支持者の半分くらいしか、自民党議員に投票しなかったと言われている。公明党が動かない、統一教会の支援がない。自民党の活動力が低下したという事もあるかもしれない。

 すべてはアベ氏の残したものだ。アベ氏はその悪を見せない本物の悪党だったと思う。その悪党が日本の総理大臣で最長政権を維持した。しかも、国葬である。馬鹿げているだろう。悪党だからこそだろう。そして、日本をアベノミクスで衰退に導いた張本人である。

 それは既得権益を守ることが目的だったからだ。そういう日本の利権構造から生まれたのが、アベ政権だったのだ。アベに至る道には紆余曲折があった。敗戦から、アメリカの占領に始まる。この占領軍の下、日本の保守層が米軍の手先になって、防共組織と称する闇組織を展開した。そこで汚い金を蓄財したのだ。それが自民党の政治活動費という、配下を動かす裏金と同じ役割をしたのだ。

 本来なら反米勢力になるはずの国粋主義を称する右翼が、米軍の手先になり、反共利権に蠢いたのだ。そこに統一教会が介在し、反日組織のはずの統一教会が、岸から連綿と続く自民党支配組織と、持ちつ持たれつのひどい関係を作り上げたのだ。

 その化け物岸信介は、その反共を標榜しながら、利権組織化した自民党の中枢を牛耳り続けたアベに至る系譜のもとになる。アベはアメリカの命令に従い、日本の既得権組織の温存だけを目的とした。だから、今回のような、企業献金の裏金が、バラまかれるような自民党下部組織が作られたのだ。

 金が流れなければ、動き出さないような自民党の下部組織ががっちりと存在する。それは様々な利権団体。公共事業に支えられている事業集団。これと結びついて、日本の方向を動かしているのだ。その為に日本は新しい産業が生まれないという結果になった。

 オリンピックであれ、万博であれ、カジノであれ、高速道路であれ、リニア新幹線であれ、様々な形で、次の事業を作り上げてゆく。そのハゲタカどもはコロナパンディミックさえ、利権にしてしまったのだ。だからやるべきことがやれないまま、日本は停滞に入った。

 このブログでは、そのアベの悪行批判を繰り返し書いてきた。菅、岸についての批判はそれほどは書いていないと思う。本当の意味で日本をダメにしたのは、戦後から続く、アベ系統の自民党の中の闇の連隊組織なのだ。その雁首として、アベ木偶の坊は存在したのだ。

 アベの御曹司のおぼちゃんは、まさにその傀儡政権にはうってつけだったのだ。言いなりになるし、当人は善人ずらで通せる。余り頭は切れる方でないから、勝手なことはやらない。時々お腹は痛くなったが、言われたことだけをやり通した。そして日本を停滞に導きながら、企業の利権だけは膨大に拡大させた。

 岸田氏が悪いのではない。アベの悪行の膿がここにきてドビュット吹き出たのだ。アベ氏が暗殺されなければ、こんな形で、そのやり方の汚さが表面化することはなかった。岸田氏は命がけでこの悪行を暴かなければ、成らないと決意したのだ。岸田がだめなのは我が身の可愛い為だろう。

 しかし、こんな簡単に分かりそうな、裏金キックバックが一向に明確にならないのは、実はまだまだ奥深い闇があるからだ。森氏の聴取の実態が、この事件の闇に迫るカギだと思われるが、何故かそこに迫ることが出来なかったのは岸田氏も同じだったのだ。

 そこまでやるのであれば、覚悟があるぞと言う覚悟の内容は、自民党の分裂である。分裂だけでなく、岸田氏の身の安全すら危ういことになる。それくらい、財界や利権集団には、安倍暗殺からアベを取り巻く組織の解体は、歴史的な深刻な問題だったのだ。自民党が戦後世界から抜け出ることは、まだ道半ばだろう。

 統一教会問題はその表面化した氷山の一角に過ぎない。アベが暗殺されなければ、その一角すら明らかにならなかった、自民党と統一教会の関係である。それはパーケンを購入する、利権の構造はアベが暗殺されても、明確にならないできた。ここを崩さない限り、日本の政治は民主主義を取り戻すことはないだろう。

 利権構造を支えているのが、日本の官僚組織なのだ。もちろん政府機関や日銀や最高裁判所などさえも、その頑強な日本支配の鵺集団を忖度している。鵺集団は一体どこの誰なのかと言えば、それはまるで見えてこないが、実体は忖度の集合体のようなものなのかもしれない。

 今回の立憲民主党の勝利を生かさなければならない。立憲民主党が頼りない野党の限界を突破しなければならない。批判政党を抜け出て、未来を作り上げる、新しい日本のビジョンを示さなければならない。その根本にあるものはアメリカの支配からの脱出だ。

 鵺集団は右翼的な様相はしていたが、あくまでアメリカの指示でしか動けないものだった。それが、沖縄の米軍基地負担の軽減が、自衛隊基地の拡大に置き換えられたのだ。同盟軍アメリカ軍は自衛隊基地の自由使用である。辺野古米軍基地で政府も、アメリカも懲りたのだ。

 自衛隊基地として作り、アメリカ軍の自由しようという形に置き換えてゆくつもりなのだ。これが米軍の費用負担の軽減でもあるのだ。アメリカの支配からの脱却。東アジアの連携。立憲民主党はゆっくりと、慎重に、ここへ持って行くことだと、私は考えている。

 
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一人では何もできない性格

2024-04-30 04:03:06 | 自給


 一人では何もできない性格にちがいない。今でも畑仕事をコツコツ一人でやり切るような気力がない。生産者としての農業者には向いていないのだろう。このようにブログを何年も続けるような、ひつこいところはあるが、今は畑仕事は誰かが来ないと始める気になれない。

 みんなでやるとなると、俄然やる気が出てくる。みんなでやるなら、結構頑張れる方だと思う。ダメでもいいジャン。が座右の銘なのだが、どうも「ダメだからいいジャン」だったようだ。一人ではやれない性格なので、みんなの力を借りる。それで、協働で取り組むことが出来たのだと思う。

 人目を気にするとか、人の役に立ちたいとか、そういうものとも違う、一緒なら頑張る気力が湧いて来る。みんなでやる農業を目指ざしてきたのだと思う。一人ではやる気が出ないから、みんなを誘って、楽しいグループ自給をやってきた気がする。一人ではやれない事が良かった。

 今でも小田原で一緒に、ジャガイモを作り、タマネギを作り、小麦を作り、お米を作っている。足手まといにならない内は続けた。石垣島でもみんなで「のぼたん農園」を作っている。一人では始めたはずもない。みんなでやるのが楽しいから、やらないつもりだった石垣島の農業も始めたに違いない。

 なぜみんなでやると、出来るのかと思うが、石垣島の暑いときに農作業をやるのは、危険なほど厳しい。それでも、年寄りが汗をかきかきやり切ろることが出来るのは、一人ではないからに違いない。一人ならまず始められない。先日の水源の森づくりも、大勢が来てくれたから、やり切ることができた。一人では始めることさえできなかっただろう。

 人間という動物は、太古から群れで暮して来たのだ。みんなで力を合わせて、逃げ回りながら、ずる賢く協力をして餌を探し、生き抜いてきた。力を合わせることが出来たから、今まで生き抜くことができたに違いない。そうでなければ、非力な人類はどこかで死に絶えただろう。最近みんなで出来なくなって、生存が危うくなってきた。

 そう考えてみれば、人間は群れでなければ、気力が出ない方が、普通なのかもしれない。世間では一人でやり切ることが普通のような立派な人もいる。「私は一人でも農業ができる」とえばった人がいた。そういうけた外れの人もいるが、普通の人はみんなで力を合わせる道の方が、力を出し尽くせる気がする。一人で出来たら、今度はみんなでね。

 確かに、自給自足に入ったのは一人でやる自給だった。これは切羽詰まった自分の建て直しのようなものだったから、一人でやる以外になかった。回りにいた人も、協力はしてくれたのだが、自分としては、協力者がいるとかいないとかは、自分が自給農業をやり切ることとは関係がなかった。

 人間一人が、自分の体力だけで自給自足に生きることが出来るのかを試すことが目的なのだから、協力者はその人自身の自給の為にやっているのだろう。と思うばかりだった。ともかくわき目を振る余裕もなく、一人の自給を目指した。そして3年、4年、5年が経過したときに、何とか自給が出来ていた。その時の安心は忘れることができない。

 田んぼは2畝に広げた。田んぼで麦も作った。大豆も畔に作った。他に畑が5畝ぐらいあった。そして養鶏業をやった。この形が、今石垣島でやっている「のぼたん農園」原型である。ここで家族4人で暮したのだ。自白すれば、4人分の自給は出来なかったと思う。厳密に言えば、3人分ぐらいだ。

 山の中に行ったら、また鶏を飼う事だけは決めていた。趣味で飼い始めた日本鶏がだんだん養鶏業になり、なんとそれで生計を賄うようになった。まさか養鶏を生業にするなど思いもしなかったことなのだ。これこそ、家族4人だからできたことだと思う。

 実はここからが今日書こうと思った主題だ。絵を描くことも一人ではできないと考えている。ゴッホだってそうだったのだ。絵は究極の一人の芸術のように見える。どうやってみんなで絵を描くのかという事になるが、そういう事を本当に大学の時にはやっていた。絵を描き継ぐという俳諧連画である。

 180㎝角のキャンバスを置いて置き、それを自由に描き継いでゆく。その過程が芸術行為だと考えたものだ。4月1日に死んだ。何かが身に染みてきた。坪田紳二さんが考えたことだ。彼はコンセプチュアル・アート を追求した。日本でもいわゆる概念藝術が流行していた時代があった。新しい動きを彼から教えてもらった。

 坪田さんは理屈っぽい人で、絵を描くのでも絵を描く意味論を常に口にしていた。実際には抽象表現主義的な絵を描いたのだが、かなり達者な絵を描く人だった。どういう絵が見栄えがするかという事を良く分かっていて、そういうものを描こうとすれば幾らでも描けたが、絵はそういうものではないと、何かグルグル考えていた。

 その考えていることを語り続けるのだが、私には正直よくわからなかった。分からないなりに、ずいぶん教えられた。家は金沢にあるにもかかわらず、私の下宿に転がり込んできて、一緒に暮らしていたので、一晩中訳の分からない絵画の概念の話を聞かされていた、ということになる。

 そう難解な本の解釈を、彼から随分聞かされた。九鬼周造「「いき」の構造」などという本を読んでいた。彼は凄い自信家であり、またすごい臆病な、優柔不断なところのある人間でもあったと思う。彼は自分というものを持て余していたのかもしれない。

 大学を出てからも、横浜のBゼミに通うので、東京の私の家にいたこともある。そして京都に行き、いろいろやっていたので、時々京都にゆき、京都の美術関係の人など紹介してくれた。それはたぶん、フランスから帰ってからの事になる訳だ。

 そのうち版画の仕事を始めて、東京の作家の作品を作る仕事を紹介してあげたりした。しかし、なかなか気難しい性格なので、仕事としてやるのは難しい感じだった。そうして少し縁遠くなった。それには理由があるのだが、そのことはここには書けない。

 そして金沢の自分の家の場所で、現代美術の画廊を始めた。それでも時には訪ねた。いよいよ気難しくなっていて、話していることを理解するのが、昔以上に難しくなった。声が小さいから、耳が遠くなってきている私には、半分くらいしか聞き取れないのでなおさらである。
 
 一度共同制作のことの意味を、もっと私なりに話しておくべきだった。あの考え方は面白いと今でも思う。描き継ぐという事はそこまでの制作を理解しなければできない。その上で自分の絵を描く。そこに、ほかの人が描き継ぐ。コンセプチュアル・アート的に考えた場合、どんな意味があったのかと思う。

 あれから、結局のところ、水彩人で絵を描くことは一人ではできないということを、継続している。私絵画を標榜しながら、ある意味の自己矛盾である。結局は一人ではやれないという、弱い性格からみんなでやろうとしているのだろう。ダメでもいいジャン。という事になる。

 一人では何もできない人間にとって、坪田さんとの金沢大学の美術部での出会いは、大きな意味があったことだった。彼から得たものが何であったかは分からないが、いま『私絵画』に出会った一つの要因なのだろう。冥福を祈るという事も坪田さんには似合わない。ジャーまた。というぐらいの別れだろう。


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東京での絵の展示

2024-04-29 04:17:06 | 水彩画


 絵の展示をさせて貰った。東京三軒茶屋のキャロットタワーのオフィース棟ロビーである。これから時々絵を架け替えるつもりだ。なにかこう書いていることも緊張する。こんなことをしていいのかという気持ちの迷いがある。迷ってはいたがやってみることにした。

 石垣島に暮らしていると絵を実際に見てもらう機会は無くなる。絵を見る機会もなくなる。何か絵を展示する方法がないか考えていた。個展をやるという事もあるが、個展をやるのは辛すぎて嫌なのだ。個展の会場にいる自分に耐えがたいものがある。絵を販売している形が嫌なのだ。

 春日部洋先生は個展は、いつも俎板の鯉だと言われていた。だから画家にはその試練が必要なのだ。お前も個展をしなければだめだと言われた。日動の個展のオープニングセレモニーの際、誰一人会場に人が来なかったことがあり、あのときは辛かったと先生は言われた。

 私にもそれに近い辛い個展が何度もある。絵を売らなければ、画廊に申し訳ないし、毎月個展をしていれば、だんだん絵は売れなくなる。絵を商品として描いているわけではないのに、なぜ商品として売らなければならないかが耐えがたかった。日本では絵画はあくまで商品なのだ。

 最近の個展会場で聞く言葉が、「おめでとうございます」何がおめでたいのか。そんな言葉を発する、あなたがおめでたいのだ。個展の意味を誤解しているのだ。個展の開催はどこもおめでたくなどない。個展会場は自分をまな板の上に載せて、さあー腹の中を見てくれと言っているのだ。見に行く人は介錯人だ。

 画家の一期一会の切腹の場だ。それを結婚式か何かと間違っている。まあ結婚も地獄の入り口の場合もあるから、おめでとうございますというのは、ある意味正しい言葉かもしれない。地獄でもがいていて、おめでたいですね。と絵描き地獄ののたうち回りを良しとしているのかもしれない。

 それで、銀座の文春の会場で最後の個展を、生前葬として切腹個展をして、2度としないことにした。何度も切腹は出来ないと思ったわけだ。あれから30年以上たつだろう。当初は画廊の方から個展を開きたいという話はそれなりにあったのだが、やらないできた。もちろん今は音沙汰もない。

 個展を止めて、発表は公募展だけという事で来たのだが、水彩人展は絵の研究会としてやっていたので、自分としては研究の場だと考えてきた。画廊を1日だけ借りて、水彩人の仲間で絵を展示して、互いに絵を語る。「絵を語る会」を開催してきた。この形は私には良いものだった。

 「絵を語る会」はコロナの為に中止になった。コロナは本当にひどいことであった。生き方まで捻じ曲げられた。またやらなければと思ってはいる。思ってはいるが、石垣島に居て、東京で絵を語る会を開催するのはかなり気が重い。できない訳ではないので、やるべきだ。本当にまたやろう。

 それはそれとして、絵を展示するという事を自分に課さなければいけない状態になった。その機会が来た。キャロットタワーのロビーに絵を展示させてもらえることになった。絵を展示して見てもらうだけで、販売はしない。絵は商品ではなく、自分の探求の為に描いているものだからだ。

 展示させてもらう時に、久しぶりにドキドキした。昔々、公募展に絵を搬入したときのような、あるいは個展の初日のような気持だった。どうだろうか、飾ってみっともないことはないだろうか。心配で仕方がなかった。自分の絵がむき出しになるような気がした。

 このドキドキ感が、自分に必要なものだったという気がした。誰もが入ってみることが出来るから、是非東京に近い人は見て頂ければと思う。生の絵はやはり、映像とは違う。肉声と電話では伝わるものが違う。キャロットタワーは世田谷パブリックシアターのあるビルだ。地下鉄半蔵門線の三軒茶屋を降りて、駅に続いているのですぐわかる。

 そして、絵の感想をメールで貰えればと思う。先ずそこまでしてくれる人は居ないとは思うが、一応その気持ちで、絵を展示するという事にしている。切腹まではいかないが、腹の底は見せているつもりだ。実は、バーコードを名前の横に付けた。それが私の、ホームページに繋がっている。

 ホームページから、メールが送れるようにしてあるので、そこから意見は送信できる。販売をするためではない。責任の所在が分かるようにして置いた。新しい形の絵の展示法のつもりだ。どんな人間が描いたものかわかる方がいいかと思ったのだ。絵との一つの出会いだから、連絡先もある方がいいと考えた。

 絵は462「英太郎さんの田んぼ」2024.4中判全紙である。つい先週描いた絵になる。こういう形で、季節ごとぐらいに架け替えてゆきたいと思っている。これが5月からの展示であれば、7月末、10月末、1月末、そして4月末と架け替える気持ちで、それを目標に絵を描こうと思う。

 10年やれば、40点ぐらいにはなる。これは水彩人展の出品作と同じくらいになる。10年の間に少しは自分の絵になっているかどうか。そんなどこか切羽詰まった気持ちで、展示を続けてゆくつもりだ。もちろん展示に意味があるというより、それに向けて描くという自分に意味がある。見てもらうつもりで描く。絵を描くうえではこれが重要なことなのだ。

 そう思って、ブログでウエッブ展示を続けている。ただ描いているというよりも、大切なことなのだが、どこかで生の絵も出さなければという気持ちになった。緊張をすることが必要だ。このやり方はさすがに怖い。絵を描く気持ちを真剣勝負にするところがある。その為ではあるが、さすがに今回壁にかけるまでは怖かった。今も思い出すと落ち着かない。

 ロビーは静かな灰色の空間である。絵の下に小原流の生け花が飾ってある。これが何と毎週生け花が変わるのだそうだ。その生け花の上の空間に架けさせてもらった。空間が変わったと思った。とても華やいだ。色彩というものは凄い。私の絵の力というより、色彩の力がすごい。

 生け花の静かな世界を壊したようではあるが、ある意味互いに生かしたという事も言える。良い場を頂いたと思い、全力で挑んでみようと思う。何をどうしようが、絵は結果次第だ。絵がどこまで人間の奥にまで迫ったものになっているかは、これから展示してゆく絵を見ればわかる。

 絵を見れば、何かが分かる。それが絵の良いところだと思う。一日を生ききるという事は、難しいことだ。出来ているのか、そうでないのか、なかなか確信が持てない。しかし、絵には現れてくる気がする。10年前の絵、20年前の絵、そして1年前の絵。そして今日描いた絵。動いている。

 描いた世界の違いがそこにはある。世界が出来ていないという事もわかるし、世界が見え始めたという事もわかる。絵がだめであるという事は、絵との向かい合い方が、悪いという事になる。只管打画になっていないという事だ。今日をただひたすらに生きる。その実態が絵には現れる。

 絵がダメであれば、自分という人間がだめになってきた表れだと思って気を引き締めてゆく。日々絵を描く精進をして、自分の奥底までやり切りたいと思う。その為なら、少々恥ずかしいこともしても大丈夫だ。そう思って、ロビー展示を始めることにした。

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209 水彩画 日曜展示

2024-04-28 04:41:03 | 水彩画
 209 水彩画 日曜展示







467「夜の海」
2024.4 20号







468「樹木」
2024.4 20号







468「妙高山」
2024.4 中判全紙









469「草原」
2024.4 中判全紙










470「カキツバタ」
2024.4 中判全紙









471「篠窪」
2024.5 中判全紙









472「岬」
2024.4 中判全紙









473「伊豆」
2024,4 中判全紙


 小田原で描いたものだ。雨の日にゆっくり描くことができた。小田原で絵を描くのと、石垣で絵を描くのでは違うものがある。気持ちが違うという事が、絵に現れてくる。場所を変えてみるのも悪くないなと思った。絵が良くなったという事でもないのだが、新鮮な気持ちで描いていた。

 小田原に来て描くと色が変わる。小田原の色は静かで、調和がある。納まりが良い。ただただ美しいと言ってもいい。今回は春のみどりの美しさに圧倒された。舟原ため池に行き絵を描いていたのだが、咲き乱れているカキツバタは驚くほどの見事さだった。

 もっと描いてみたいのだが、今日はお茶摘みでダメだが、明日時間がとれれば、もう一日描いてみたい。あの溜池の景色の中にいるという事は、とてもいいものを受け取っているような気がした。もっと体の中にあの世界を取り入れて帰りたいと思う。


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生成AIの問題とは何か

2024-04-27 04:06:34 | Peace Cafe


 生成AIには問題があるので、世界的なルールを作り、制限を加えなければならない。というようなことが言われている。バイデン米大統領からの指示を受けて助言組織を立ち上げた。米オープンAIのサム・アルトマン最高経営責任者テック企業幹部が、米国土安全保障省がつくる人工知能(AI)の安全利用に関する助言組織に加わることになった。

 安全利用の意味が私にはよく分らない。必ず犯罪にも利用されるに違いない。生成AIは特別に優れた人間の頭脳のようなもので、しかも進化を続けるものだ。優れた人間が人間を滅ぼすものを作ってきたのだ。生成AIだって少しも変わらないだろう。
 多分著作権の問題があるといいたいのが企業の発想だろう。著作権などいらないと考えればいい。例えば将棋のプロが行う一局に著作権が存在するかの裁判があった。存在しないが判決である。AIソフトの対局する将棋など、人間をはるかに超えた名局が無限と言えるほど存在出来る。その一つ一つに著作権など主張しても無駄なことだ。

 将棋の棋譜を誰が公開しても良いという判決だ。当たり前の事だろう。これはあらゆるゲームに言えることだ。ゲームの結果や様子、あるいはその解説、どれも自由に公開してかまわないのは当たり前の事だ。それで将棋のプロが生活できなく成るどころか、将棋はかつて無いほど隆盛である。

 何にでも著作権を持ち出すこと自体がおかしいのだ。こうして将棋はAIより、人間が弱くなり、その結果藤井聡太ブームになり、将棋界は以前よりも隆盛である。その素人が勝手に行う棋譜解説も、奥深い分析の伴う解説がいくらでもある。その解説自体が楽しめるものになっている。

 何故解説が深いかと言えば、AIソフトを用いて分析しているからだ。何故ここで、失着が出たかなど、その先の読みの分析がなければ分らないものだ。この分析を聞きながら、棋譜を見ていると、ただ実戦を見ているのと違う面白さがある。新しいエンターテイメントだと思う。

 いつも思うことだが、憲法裁判所を生成AIで作って貰いたいものだと思う。憲法に従って正しく法律が出来ているか、運用されているかを、AIによって客観的に、論理的に、正確に判断して貰いたい。本来法律解釈のようなものは客観性が重要になるから、AIの得意分野のはずだ。

 憲法が政府の無理矢理の拡大解釈で、ねじ曲げられているのはどう考えて不愉快この上ない。憲法の解釈を、生成AIが行って問題だというのは、あまりに客観的に正しい判断があると、権力者が都合良くごまかしが出来ないと言うことでは無いのだろうか。

 生成AIがもっともらしく間違ったことを主張するので、人間がそれを鵜呑みにしてしまうと言うようなことが言われる。それは人間側の問題で、生成AIの問題とは違うだろう。そんなことが問題とも思えない。別段、生成AIでなくとも、もっともらしい人間が詐欺を働くと言うことがある。

 テレビのコメンテーターが間違ったことをしゃべって、見ている人が騙されることがある。AIを特別視するほどのことでもないだろう。例えば大谷選手が通訳にお金をだまし取られたのではなく、大谷選手が不正賭博をやっていたとコメントした人が多数いた。これはすでに人権侵害だ。公の場で発言した人は犯罪者として告発すべきだ。

 犯罪者がAIを使って、より巧みな犯罪を犯す。これも一義的にはAIとは関係が無い。金儲けする人間が、AIを使って株式投資をする。当たり前の事だろう。自殺する人が、AIを使ってその方法を調べたからと言って、AIの問題ではない。

 大学生が論文をAIを使って、書いてしまうので困る。これも困るのは先生とその大学生で、別段社会にはどうでも良いことだろう。会社で社員が金儲けの方法をAIから教わって、それで良い営業成績を上げれば、それは評価されることになる。

 ネットで生成AIの犯罪事例を見ると以下のものが揚げられていた。
 ①サムスン:社内ソースコードが生成AI経由で外部に流出
 ②香港の多国籍企業:ディープフェイクの同僚に騙され38億円送金
 ③ニューヨークタイムス:記事が学習されたとしてオープンAIを訴訟
 ④米国の作家:著作物を学習されたとしてオープンAIを訴訟
 
 どれも、生成AIを利用した人間の犯罪で、生成AIそのものの犯罪とは言えない。著作が学習されている間はまだいい。その作家は利用した方が面白言うことで、生成AIを利用して、著作物を書くようになるだろう。推理小説など、生成AI作家の方が、素晴らしいものを書く可能性が高い。

 脚本家など、原作をどのように映画化するかなど、明らかにAIの方が旨いに違いない。主演俳優が決まる。見る人の層を想定する。様々な条件を入れて、AIに脚本を書いて貰えば、人間が書くより手際が良いに決まっている。少なくとも、AIを利用して、脚本を作るというようなことは当たり前になる。小説を、セリフで生成する。こういうことだって、AIなら出来るだろう。

 これから世界は生成AIをどのように利用するかである。制限を加えるのは、既得権を守るためだろう。それは後ろ向きな方策に過ぎない。制限をいくらしたところで、既得権を認めない国がそれを打ち破るはずだ。制限をしている国が競争に勝てなくなるだろう。

 先日、朝日新聞の広告で新聞社が蓄積した校正ソフトを売り出したとあった。是非、この校正ソフトで、まず過去の朝日新聞の記事をチェックしてみたらどうだろうか。結果的にフェークニュースだった記事がどれだけあるかが分かるのだろうか。校正は誤字脱字だけではない。

 校正とは文字の使い方などは小さな問題で、記事の真偽こそ校正する必要がある。何故、その時点で間違ってしまったかの検証に使える、校正ソフトが出来るはずだ。それが生成AIの可能性だと思う。生成AIの正しさの追求こそこれからの社会に必要なことになるだろう。

 正しさが一つではないこと。究極的には人間とは何か。と言う思想哲学にも踏み込んで行くことだろう。こういう問題を考える上でも生成AIは、社会を変えて行くはずだ。生成AIを利用して、宗教を装うお告げと言う形で、お布施を稼ぐなど、すでに現われているのかも知れない。

 しかし、藝術としての絵を描くと言うことを考えると、生成AIが出来たからと言って、何の影響も受けないだろう。「私絵画」は自分というものの探究である。自分が何ものであるかを、生涯絵を描くことで、生きて行こうというものだ。これだけはどれほど優秀な生成AIが出来たとしても、役に立つことはない。だから次の時代の絵画芸術は「私絵画」だと主張している。

 結局の所、企業の考え方に問題がある場合や、社会における差別現状など、人間社会の問題点を、生成AIも影響を受け、こうした企業の倫理の欠落の問題や、社会における様々な差別問題を、巧みに助長することになるおそれは高い。すべてはAIと言う機械の問題ではなく、人間の問題である。

 人間がAIを上手く使いこなす以外にない。人間が倫理を失っているが故に、ひどいことが起こるわけだ。AIは人間の問題点を広げて行くだろうと言うことだ。悪いやつが、AIを使って大きな犯罪を犯すと言うことは増えるだろう。それを防ぐには、人間がまともにならなければならないと言うこと一つだ。
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どうでも良い小池知事カイロ大学問題

2024-04-26 04:19:05 | Peace Cafe


 本当にくだらないことが持ち出されている。小池知事がカイロ大学を卒業していようがいまいが、どうでも良いことだろう。小池さんという人はよほど嫌われる人なのだろう。自分が自分がと目立つためなら何でもやるという、鼻持ちならない人間性が、耐えがたいのだろう。

 選挙が近づ繰返し繰返し因縁を付けて足を引っ張ろうという動きが出てくる。小池知事が大学を出ていないでも全く問題が無い。卒業問題よりも、それを取り上げる週刊誌報道のほうが気になる。こんなことで商売になるというのが、小池氏の不思議な人気なのだろう。

 学歴詐称のウソをついたとすれば、たしかにそれは良くないが、それももう40年も前のよく分らない話だ。カイロ大学に在学していたことは確かなのだ。それで十分ではないか。そういう変った履歴を売りにして旨くのし上がったわけだ。

 世間が女の子がカイロ大学。という興味本位を上手く利用したのだ。卒業していないと大学の同級生が証言しているが、その女性は小池さんほど、有名にはならなかった。小池さんはそれだけでは無い、すさまじいタレント根性があったのだろう。

 小池知事が行ったことで、都知事として十分だったかを、評価をすれば良いだけだろう。東京オリンピックは、コロナパンディミックの最中で、選手はよく頑張ってくれて、素晴らしいものだったにもかかわらず、残念ながら若干煮え切らないものになってしまった。

 私は腹が立つのは、外苑の森を切って、マンションにする話だ。都内の樹木はできる限り残すべきだろう。すでに人間らしい暮らしが出来る場でなくなっている。これ以上木を切ってしまえば、見苦しい暮らしにくい都市が、さらにひどい都市になる。むしろ都市に植林をする必要がある。

 西の大都市大阪は、万博もカジノも煮え切らないことになっている。小池都知事も維新の会も、政治的野望のために何でも利用しようと言うだけで、政治の理念がないからだ。もう少し暮らしのことを直視すべきだ。都会は食糧自給を、食の安全保障をどう解決するきなのだろうか。私は不安で東京も大阪も住めない。

 小池知事も政治的な野望ばかりが目立つが、政治で何をやりたいのかがよく見えない。まだ都知事を続けるらしいから、権力欲のようなものがよほどの人なのだろう。維新の会の動きも、都民ファーストの会の動きも、都会の政局がらみばかりだ。話題性が狙いとしかおもえない。だからこそくだらないことで足を引っ張るのではなく。その政策の問題点で論争をすべきだ。

 石垣島という、都会からは遠いい場所で暮らしていると、しらけるばかりである。2019年12月初旬 武漢でコロナは人間に感染をした。石垣島にクルーズ船がきていたことが後から分る。地獄のコロナクルーズ船問題が起きた。あれから、思えば重苦しいコロナの年月だった。

 別段コロナが収束したわけではないので、人混みマスクはまだしている。出来ればこれからもマスクをしていたい。そういえば、福島原発の放射能は日本中にばらまかれ、そのままである。一部には集めた土壌もあるが、いまだ積んであるだけで消えたわけではない。

 コロナも、もう無いことにしよう。放射能も忘れていよう。忘れないと経済が回らない。これが日本の現実である。考えれば不安神経症になる。無いことにして、日々安穏に暮らすほかない。忘れなければやっちゃー居られない。これが普通の暮らしなのだろう。

 しかし、政治というものはそれではだめだ。先を見通して、何が日本人の幸福なのかを提起して行く必要がある。果たして都民ファーストはどうだろうか。維新の会はどうだろうか。都民ファーストの賢い支出とは、パー券キックバック方式をどう見るのか。

 「東京を、将来にわたって、経済・福祉・環境などあらゆる分野で持続可能な社会となりえるよう、新しい東京へと再構築すること 」を党の綱領で示している。具体策として「都民ファースト」「情報公開」「賢い支出(ワイズスペンディング)」とする。 としている。

 情報公開と言えば、政治資金の情報公開など、徹底してやるとしているずだが、都民ファースト出身でいま、維新の会の音喜多 駿氏は自民党に政治資金の情報公開を要求をしたのだろうか。賢い支出となると、裏金の使い方伝授のような気がしてしまう。都民ファーストと言われても、正直意味不明だ。住民ファーストならまだ意味が分る。

 要するに時代の先端のつもりで考えた看板が、実はかなり古くさくなっている。流行り物はすぐ古くなる。そう小池知事も流行り物の一種だったのだろう。流行り物に飛びつくとすぐに新鮮味が消えて行く。東京オリンピックのお金の使い道は、賢い支出とは到底思えない訳だ。

 あの豊洲市場の汚染度問題は何だったのか。汚染しているならば、今だって除去したわけではない。そのまま市場になったのだ。あれも選挙対策の一つのように見える。何でもかんでも、無理矢理桝添氏をやり玉に挙げたわけだ。桝添氏のみみちさには驚いたが、中国服の公金購入は何とも言えなかった。

 横浜市長はカジノで失敗した。横浜にカジノはいらないという市民が多数派だったわけだ。まだ横浜には健全な市民意識があるとみて良いのだろう。しかし、大阪の方は万博からカジノへと動き出している。水原一平容疑者を見てみるべきだ。賭博は人間を滅ぼす。カジノを都市の活性化に利用しようという考え自体が間違っている。

 その間違いの先陣を切っているのが、大阪維新の会である。あぶく銭で町が豊かになり、マカオか大阪かなどと、不夜城の栄華を言われても、恥ずかしいばかりである。健全な、物作りから始まるはずのものが、都市の活性化である。

 不労所得に傾斜すれば、じっくりと物作りを探求する事が馬鹿馬鹿しくなる。賭博は何とか止めさせるべきものだ。競輪競馬も出来れば止めて貰いたい。今更、カジノを作ろうなどと、時代錯誤も甚だしい。貧乏になるかも知れないが、倫理のある国であって貰いたい。

 日本は今その分岐点にあるのだ。株で一儲けすることを、普通の人がやろうとしている。それを国が奨励している。若い人がこんなことに手を染めてしまえば、それこそ水原一平現象に陥る。政府が不労所得を奨励するなど、あってはならないことなのだ。

 所が、政治家が言うのは政治にはお金がかかるばかりだ。だから裏金もなければ政治などできないだろうと言うことになっている。お金でしか人間は動かせないと言っている政治だ。政治が、理想とか、理念とか、哲学とか、そうしたまともな目標を失っている。

 確かに経済は重要なことだ。しかし、それは健全な労働に基づくお金の回り方を考えるべき事だ。先ずは物作りを正面から追求すべき事だ。賢い支出が、カジノ建設では情けないだろう。賢い支出が神宮の森を潰してマンションにするのではないはずだ。

 都会のことは遠くの話のような気がするが、政治は都会で行われている。都会の犠牲に石垣島は成っている。沖縄はアメリカの人身御供にされている。基地軽減どころか、防人の島になろうとしている。甚だ迷惑なことだが、何故か石垣の市長は基地か推進なのだ。
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水彩画の描き方

2024-04-25 04:52:02 | 水彩画


 水彩画は最高の描画素材だと思う。紙に水彩絵の具で着色するという事ほど、自分の内なるものに、生な形で反応できる素材はないだろう。墨絵も表現の自由さでは奥深いものがあるが、色彩がないという点で、私には物足りない。人によっては色彩ない方が良いという人も居るのだろう。

 夢を色彩で見る人と、白黒映画のように、色彩を意識させない画像で見る人が居るのと同じことかと思う。絵を描いている時の頭の中の状態は、夢を見ているのと変らないことだから、人それぞれなのだろう。頭の中の世界がどんな世界かと言えば、私には水彩画で描いたような世界なのだ。

 色彩があるのが自分にとっての世界だ。自分が生きている世界を表現するのに、色彩がないという事は私には想像ができない。墨絵で色彩を表現するというようなことを言う人が居るが、そんな荒唐無稽なことは、想像することすら耐えがたい。墨絵はあくまで色がない世界へ、置き換えたことだ。置き換えることに意味があるのだ。頭の中の世界に色彩の無い人も居るのだろう。

 水彩画の色彩の良さは、反応が早いと言うことである。油彩画であれば、気持ちに添った表現にまで持って行くには、少なくとも数日の時間が必要である。色によって、溶き油によっては2週間ほど時間をおかなければ進められないこともある。

 ゴッホの描く時間は早い方だと思うが、数日はかかっていると思う。中川一政氏の場合、数週間は早くてもかかっているのだろう。梅原龍三郎氏も早い方だと思うが数日が多いだろう。ルネッサンスの画家であれば、1か月以上、数年かかるという人もいたのだと思う。

 翌日に持ち越すとどうもその時間で、感性の持続とずれが生じる。せめて一日で一通りの仕事が終わるぐらいでありたい。もちろん数日おいてまた描き始めることもよくあるし、場合によっては何年もしてから描くこともある。その描き継ぐと言うことは、水彩画の描画法とは又別のことになる。

 描き始めた感性のまま、小脳の反応で絵を描くと言うことには、水彩画以外では難しい。他の方法では、大脳を働かせず、反応になって即応して行くような描き方は出来ないと思う。水彩画の良さは呼吸するような時間感覚で、描けるという所にある。

 日本画であれば、下絵があり、本画がある。小脳と言うより、大脳で描く絵画なのだ。当然のことで日本画は装飾画という意味が強い。デザイン画と言える。水彩画でも日本画のような描き方をする人の方が普通だと思う。しかし、水彩画でなければ難しい描き方が、私絵画なのだ。

 私絵画は造語なので説明が居る。とことん自分のために描く絵画のことだ。自分世界観の探求の為に絵を描く。描くことでっ見ている世界を確認してゆく。その絵を人に見て貰うと言うことが出てくるが。客観的評価は必要としない。あくまで自分の世界観を深めていく為に、絵を描いている。只管打画である。

 私絵画は何にもならない絵画である。何にも成らない物が、実は一番重要なものに変る。用の美と言うが、無用の美である。生きていることをとことん究める為に絵を描くのだろう。その人間が絵に現われてくるまで描きたいと言うことになる。

 何故、そんなことを考えるようになったかと言えば、好きな絵には、その人がそこに居るかのように、見えてくるからだ。中川一政氏の絵を見ていると、中川一政氏の見ようとしている世界がそこにあるのがわかる。良くも絵の上に人間を出現させたと思う。それは絵の上だから出来る事なのだ。

 絵に表れてくる世界は、絵以外では表わすことの出来ない世界なのだ。文学であれば、文学以外では表現不可能な世界がある。他人が作り上げたその世界を堪能することが出来る。学ぶことが出来る。人から学ぶように文学から誰もが、大切なことを学んできたのだろう。

 絵の場合も同じように、世界がそこにあれば、絵の世界を通して他の方法では出来ない哲学や世界観を伝えることが出来るものになる。絵で表現された思想は、一見曖昧で抽象的なようだが、実は他の方法にはない明確な表現方法だと思う。それは見るという事の意味にかかわる。

 見てわかるという事がある。みなければわからないという事もある。聞いただけでは不明だったことが、一目瞭然という事になる。人間の「見る」という事は世界を観る。描くという事を通して、見ている世界を哲学しているともいえる。

 そこには2重の難しさが存在する。絵画の画面に、自分の世界観を表現すると言うことが、誰にとっても未知なことなのだ。自分というものが、分らないものであり、その自分を探求しているのが、今生きていると言うことになる。探求過程の、何も鴨あいまいな自分を、曖昧なまま表わさなければならない難しさがある。

 ひたすら描き進んで、絵にその人間が確かに表現されたとしても、その人間がつまらないものであれば、当然つまらない絵になる。つまらない人間が、立派な世界観を表現するというようなことは、私絵画からすれば、あり得ないことになる。だから、つまらないものをつまらないと表わすのが私絵画に出発点になる。

 この2重の困難さは、生きると言うことの困難さなのだろう。人間の完成を目指して、日々努力することが、中途半端な自分の世界を描くと言うことになる。どこまでも中途半端である事こそが、究極の私絵画の宿命とも言える。背伸びのない、掛け値のない自分にこそ意味がある。

 ただ絵画は極めて難しい表現方法だ。特に装飾品としての位置づけが長い日本では、絵に対する接し方に、そうした美術品という先入観が存在する。絵は美術品ではない。装飾品でもない。絵はその人の世界観を伝えるものなのだ。何もないという意味では音楽に似ている。

 音楽を演奏すると言うことに近い気がしている。音楽の中に自分が入り音になる。音楽は表現である事は確かなことだが、それ以上に音楽に自分が成ってしまい、没頭すると言うことがある。音楽になる喜びである。自分が良しとする音楽になるという事。

  自分という存在が音楽なると言う喜びの感覚。絵を描いていると言うことはかなりそれに近い間隔である。画面の上で演奏をしている。次々画面の上に現れてくる世界が、いくらかづつ自分になってくることを、描くことで確認し続けている。
 
 歌の心が人に伝わるように、私絵画も人に伝わることはいつかあるのかもしれない。水彩画を描いていると、その確かな感触を感じることがある。水彩画は本当に素晴らしい描画素材だ。有難い。

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