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自民党の政治活動費の見直し案

2024-04-24 04:13:55 | Peace Cafe


 自民党はパー券キックバックの裏金を、いくらかでも説明したのか。自民党として何一つ、分るような説明をしていないではないか。岸田氏は盛んに説明責任を果たさなければならないと口にしていたが、当人も総理大臣としての責任に関して説明がない。

 この問題の一番の責任者である森氏に、総理大臣として電話で聴取したというが、一人で電話して、メモ書きの記録もない。森氏は何も知らないという事なので不問です。このやり方は、全く公平ではない。そしてトカゲのしっぽ切りのように、憶測で、処罰だけが動いている。どこにも責任者は存在しない。全員が知らない、忘れただけというだけで、人間として許されるのか。

 政治責任のある与党が、こんなデタラメで終わらせようとしている。国民をこれほどなめた話はない。確実に誰かが、このパー券キックバックの裏金を作り、金の配り方を考えたのだ。そして、自民党議員の誰もが知っていて、税金のごまかしを続けてきたのだ。

 自民党は政治資金規正法改正を提案したが、裏金を国民に表ざたにすることはどこにも示されていない。これでは何も改正しないと同じだ。現金の企業献金の禁止。政策活動費の廃止。お金の出入りを誰にも分かるように、政治資金はすべてクレジット払いにして、そのクレジットカードの公開を義務とする。

 そもそも政治資金を秘書任せで、気がつかなかったとすれば、そんな無能な国会議員は不要だ。政治家は人の代表なのだから、普通の人以上正義がなければだめだ。政治倫理がなければならない。利権を動かすような利権屋が政治家になるのは間違っている。その利権屋を利用する、パー券購入者が一番悪い。

 企業・団体献金や調査研究広報滞在費、使途を公開する義務のない政策活動費の見直しについて、自民は先送りの方針を固めた。こんな腐った政党が日本では政府与党なのだ。これを国民が仕方がないと受け入れるとすれば、さらに自民党議員は私利私欲に走るに違いない。これが一番心配な点だ。

 本来であれば、次の選挙で自民党は大敗し、与党が変ると言うことが考えられるが、私の中では、たぶんそれはないと諦め気味だ。パー券を買っていた人達がいるのだ。パー券は反社会勢力のメカジメ料のようなものだ。恩恵があるからパー券を買うに違いない。自民党を支持して、メカ締め料を払いたい人がいるのだ。

 自民党の政治家を人間として尊敬できるから、パー券を買う人などまず居ないだろう。それはやくざに払うメカ締め料と変わりがない。見返りを期待しないでパー券を買うはずがない。社会の構造にまで、みかじめ料が浸透してしまっている。良くないと思いながらも、事なかれで、パー券を買うのだろう。

 この腐りきった政治と企業の関係がもう解消できない状況になっている。企業にしてみれば、出した金をもっと上手く扱えというだけだろう。企業だけではない。その関連で恩恵を受けるかも知れない下請けまで、自民党にやって貰わないければ、甘い汁が吸えないと考えて、しがみついて居るように見える。

 だから、今の日本では選挙で不正がただされると言うことが起きない。というか、世界を見渡せば、ロシアではプーチンだって選挙で選ばれているのだ。自分たちの利害のためには、習近平だって選挙で選ばれるのだ。世界中の独裁者や腐った政治家達が、一応選挙で選ばれている。これが民主主義の実態。

 アメリカではトランプが、議会突入の暴動を扇動した犯罪者として訴追されながら、大統領に選ばれるかも知れないのだ。悪いやつでも自分に利益をもたらす人間の方がましだ。という選挙の選択が、普通になっている。民主主義の根幹である選挙制度が、利権によって動かされ、まともに機能しなくなっている。

 日本の与党の選挙は、裏ではお金が動いている事は、確かなようだ。派閥から議員に配られたお金が、政治活動費として、議員の配下となる県会議員などに、配分されている。さらに市会議員町会議員へと、お金が流れるのだろう。その子分連中が今度は地回りのように、地域の票まとめをする構造がある。

 地域ではお願い事をするのに、邪魔されないように議員と付き合うことになる。工事の許可申請など、口利きがあれば早く許可になる。などと言うことがありそうだ。早いだけでなく、本来転用が禁止されている農振農用地の転用まで何故か行われる。石垣島のゴルフ場はそうして許可され、また自衛隊に転売されている。と想像が出来る。

 道路を作る。下水道を作る。すべての公共事業の優先順位も、結局パー券購入に関連してくると、推測される。そういう利権社会が定着してしまったのだろう。だから要領よくやる奴はパー券を買うことに成る。就職のお世話など、議員を通してと言うことがありそうだ。就職を頼んでおいて、パー券を支わないわけにはいかない。

 日ごろメカジメ料を払っておくことが、意味を持つ社会になっているのだろう。だから、裏金を怒っているのは、そういう恩恵のない私のような末端の人間中心になる。大勢である恩恵を受けて仕事をしているような人は、黙って時の過ぎるのを待っている。

 選挙で何も変らない原因のもう一つは小選挙区制である。2大政党であれば、それなりに機能するのだろうが、日本のように、野党が分裂状態であれば、自民党だけに有利な選挙制度と言うことになる。パー券を買うような3分の1の支持率で、過半数の議員数が確保できる。

 自民党は自分有利な間は、間違っても小選挙区制を止めないだろう。こうして日本は民主主義的な選挙よって変わることが無くなった。以前の自民党は内部に、反対勢力を抱えていたから、総理大臣が替わることで、利権構造もご破算になった。

 小選挙区制で、利権構造が温存されるようになった。この強固な利権を利用しようとしている、企業は自民党が維持されることが、変わることの無い利権に繋がることになった。その結果、黙っていても派閥にお金が集まるようになったのだ。それを補完している勢力が、コバンザメ公明党だ。

 そして、企業有利な政策が打ち出され、持ちつ持たれつの関係が出来上がっている。風力発電のようにバレた、賄賂もある。IRのようにバレた、賄賂事件もあるが。パー券で賄賂を行えば誰にもバレない。バレないどころか、堂々と政治活動費として扱える。

 税制も、円安も、株価を支える、政府と日銀の在り方が、日本の景気を支えると言いながら、その結果、三〇年間の停滞になったのだ。この停滞の責任は自民党に間違いなくある。結局パー券を買って貰う代わりに、日本の円安を導いたのだ。

 企業有利は、既存企業保護である。新しいものが産まれにくい結果になっている。企業が利益を上げれば、末端までその恩恵が行き渡るはずだったが、そのウソが、日本を格差社会にしたのだ。日本の格差がこれほど広がったことは、江戸時代ですらなかった。

 義務教育の給食費を払うことが困難な家庭が増加しているのだ。それなら、給食費を無償化するのが、政治の役割である。普通の農家が経営できなくなっているのだ。その責任は政府にある。大規模農家だけに補助金が集中するような、農業政策に問題がある。

 こうしたことの、背景にあるものが、パー券キックバック方式の裏金である。裏金が政治家をだめにしたのだ。裏金を配らないような政治家を支えるような、自民党の下部組織が失われたのだ。金権主義が政治に蔓延したことが、自民党をだめにした。

 
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海上自衛隊の最新ヘリコプターが2機墜落

2024-04-23 04:08:02 | Peace Cafe


 鳥島の東海上で海上自衛隊のヘリコプターが2機墜落した。太平洋の真ん中と言いたくなるような、ずいぶんの沖合で訓練をしている。前回の宮古島での墜落機と同型機らしい。一年が経過して大変な事故が再発してしまった。

 どうも2機は互いに衝突して墜落したらしい。夜の海上で、潜水艦の探知訓練。潜水艦ににミサイルを撃ち込むような訓練をしていたのかもしれない。普通は高度を変えて飛行していて、ぶつかることはないらしいが、訓練中の見張りが不十分だったのかも知れない。

 素人が考えただけでも危険な訓練中の事故だ。日本を守るためにすごい場所で、必死の訓練をしていて、死亡事故に遭われた。申し訳ないような辛い思いだ。前回は10名。今回はまだ行方不明を含めて8名という、大変な数の方の事故だ。

 自衛隊は国土保全隊にした方が良いと考えている者だが、それとは別のこととして、命がけの訓練をしている皆さんに感謝をし、ご冥福をお祈りする。こんな恐ろしいような訓練を続けている。何か私たちの日常感覚とは異なるような感覚の世界が自衛隊にはあるのだろう。

 日本の防衛のために、厳しい海上夜間訓練をしていて、ヘリコプター事故である。先日も沖縄宮古島でヘリコプターの墜落があったばかりだ。あれは中国艦隊の訓練の視察中だったと思われる。海上自衛隊には、夜間の海上訓練をしなければならないほど、切羽詰まった状況判断があるということだろう。

 私は反軍国主義者だが、日本の防衛にはヘリコプターやオスプレーは必要だと考えてきた。所が、どうもこうした垂直離陸飛行機の事故が多い気がして成らない。もっともっと機体の安全性の向上を図るべきだ。厳しい軍事訓練だとしても、さらに安全確実に飛行できるものに、改善して貰わなくては、日本の防衛が危ういと思う。

 直接パイロットから聞いたことがあるのだが、事故と隣り合わせの厳しい訓練を、つまり危険な訓練をしているらしい。戦争を想定しての訓練とは、そういう物だと話していた。ぎりぎりの命がけの訓練をしなければ、戦争場面では役立たないと言うことらしい。

 だから、民間航空機や、民間ヘリコプターの事故と同列に考えることは出来ないとも聞いた。日本のように島が連なる地形では、滑走路のいらない航空機が必要なものだと考えている。離島に住んでいるから余計にそう思う。オスプレーで那覇まで運べば助かる事故もあるのではないか。危険だから反対という声も分らないでは無いが、どうすれば安全性が高まるかは検討課題だ。

 飛行機よりヘリコプターの方が事故が多い気がして成らない。もっと安全性を高めることは出来ないものだろうか。UH60JAはエンジンが2基搭載されているため、片側に不具合があっても安全に飛行できるとされてきた。陸自は前回の宮古島の事故を踏まえ、両エンジン停止を想定した教育訓練の実施など、再発防止策を取りまとめたばかりである。

 肝心の事故原因であるエンジンの出力低下原因は特定できなかった。特定できないと言うことは、再発の可能性がある。そういう危うい状態で、危険な軍事訓練をしていると言うことになる。まずは機体の絶対的な安全性を目指して改良すべきだ。今回の事故はフライトレコーダーによると機体には問題が無かったと言うことらしい。

 今回の鳥島東海上の事故機は海自仕様のほぼ同型機だった。衝突であれば、原因は又別かも知れないが、エンジン不調から、方向性を失い、接触衝突に至ったと言うこともあるかも知れない。夜間の海上であれば、互いの風も強く影響を受けた可能性もある。

 このほか、令和4年1月に航空自衛隊のF15戦闘機1機が小松基地(石川県)を離陸直後に墜落し、乗員2人が死亡。平成30年2月には佐賀県神埼市で陸自のAH64D戦闘ヘリが住宅に墜落し乗員2人が死亡、住宅にいた女児がけがをした。

 多くの人が反対するオスプレーも肯定的に考えてきた。所が、オスプレーにはどうも根幹的な問題が潜んでいるらしい。そのために、あれほど飛行を止めなかった米軍が使用が停止していた。所が何が原因で事故が起きたのかの発表はないまま、改善の指示もないまま、ただほとぼりが冷めればそれでいいというように、使用が再開された。

 原因の公表がないというのに、日本政府は公表されないでもかまわないという態度である。住民の安心に対しては全くの配慮がない。何故落ちたのかが分らない、航空機が安全対策も示されないまま、住宅の上を飛んでいるのである。こんなことが許されて良いはずがない。もう一度書いておくが、垂直離着陸機は必要だと思っている。

 日本をないがしろにしている、米軍の本質である。それは占領軍のままであるから仕方がないようなものだし、先日の岸田氏の米議会での演説では、自衛隊は米国の戦争に同盟軍として、出動すると言うことにしたらしいから、安全性が高まらないことでは、軍事力自体が危ういことになる。

 現在の安全性のレベルで、それに自衛官を訓練で搭乗させるというのは、問題ではないか。むしろ航空機はドローンに変えて行く必要がありそうだ。無人機である。無人機であれば、落ちたとしても人命が損なわれると言うことが無い。ドローン兵器も中国が先進国らしい。こういう所で日本は頑張るべきだ。

 先端技術は戦争から生まれるというのが歴史だ。これからはミサイルではなく、専守防衛のためのドローン兵器だろう。ロボット兵器の開発は必要なことだ。ドローンの航続距離からして、専守防衛の兵器と考えても良いのだろう。人間を運べるようなドローンが出来れば、それも良いかもしれない。

 安全性の高い垂直離着陸機を開発することは、日本には必要なことだと思う。専守防衛のための武力開発は日本の役割でもある。日本はせめてくる能力はないが、日本をせめることはたやすくないという状態は作る必要があるだろう。

 日本は航続距離の長い戦闘機の開発を始めるらしい。とんでもないことだ。そんなことは日本のやるべき仕事ではない。むしろ航続距離の短い、オスプレーのような、あるいはヘリコプターのような、垂直離陸型の航空機を開発する必要があると思われる。
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食料・農業・農村基本法の改正

2024-04-22 04:58:43 | 地域


 食料・農業・農村基本法は、農政の基本理念や政策の方向性を示すものとして1961年に作られた。しかし、それからの63年間、その法律は何の役にも立たないまま、農村は衰退を続けてきた。今では経済が農業中心の村は少ないことだろう。農業者は老齢化し、多くの地方社会が消滅を始めている。

 (1)食料の安定供給の確保、(2)農業の有する多面的機能の発揮、(3)農業の持続的な発展と(4)その基盤としての農村の振興、を理念として掲げ、もって国民生活の安定向上及び国民経済の健全な発展を図ることを目的としている。法律である。

 この農水省の挙げる言葉がいかにも空しく響いてくる。食料安全保障と言うことが、今度の改正では最重要課題となっている。当然のことで、何十年も政府は食糧自給率の向上と言いながら、向上どころか下落を止めることすらできないでいる。

 その守れない理由は、本来守るべき、普通に働く農家が生活が出来ないからだ。農家が世間並みに生活できるのであれば、これほど農業人口が減少をするはずがない。農業人口が維持されるようでなければ、食料の安全保障は出来ない。日本の環境も守れない。

  では、今度の法改正で、農業に向かう若者が増えるだろうか。間違いなく増えない。三菱総合研究所の予測では、これまでの政策を継続した場合、2050年の国内農業経営体は2020年対比80%減少の18万経営体、農業生産額は半減し4.3兆円となる見通しとある。これまでと違うと言えるものになっては居ない。

 日本の農地の地形の条件から、大規模農家による 集積には、限界がきている。その大規模農家の存在により、10〜30ha程度の地域の大きい水田農家の経営継続が厳しくなってきている。生産コストの増加・米価の下落が原因している。農家では生活が出来なくなっているのだ。

 その主たる原因は大規模企業経営の農家は、上手に補助金を貰いながら、経営をしている。普通の農家はその企業農家と競争関係にある。米価は企業農家によって下げられている。一方で機械や燃料コストは、急激に上昇している。この先普通の農家には全く明るい見通しが見えない。

 今度の農業基本法の改正で、何か新しい展開があるのだろうか。そう思いながら、内閣府の出している方向性を何度も読んでみた。どうだろうか。

 以下内閣府が出している、食料・農業・農村基本法の改正の方向性についてを書きだしてみる。

 現在、地域農業のあるべき姿を策定する「人・農地プラン」の延長で、「地域計画化」が法制化され、農地の集積を通じた地域の農業ビジョンづくりが集落ごとに求められている。
 ① 生産基盤の確保に向けた担い手の育成・確保とそれ以外の多様な農業人材 の役割の明確化 ・担い手の育成・確保を引き続き図りつつ、農地の確保に向けて、担い手とともに 地域の農業生産活動を行う、担い手以外の多様な農業人材も位置付け 
② 農業法人の経営基盤の強化を新たに位置付け ・農業者が急速に減少する中で、食料供給に重要な役割を果たす 農業法人の経営基盤の強化も位置付け ああ 
③ 将来の農業生産の目指す方向性の明確化 ・食料の安定供給を図るためにも、 スマート農業の促進や新品種の開発などによる「生産性の向上」、 知的財産の確保・活用などによる「付加価値の向上」、 「環境負荷低減」といった将来の農業生産が目指す方向性を位置付け ・特に、より少ない農業者で食料供給を確保しなければならなくなる中で、 サービス事業体の育成・確保を位置付け 
④ 近年増大する食料・農業のリスクへの対応の明確化 ・防災・減災や既存施設の老朽化への対応も視野に、農業水利施設等の基盤の 整備に加え、保全等も位置付け ・家畜伝染病・病害虫の発生予防・まん延防止の対応についても位置付け 
⑤ 農村振興の政策の方向性の明確化 ・農村との関わりを持つ者(農村関係人口)の増加や農村RMOの活動促進、 多面的機能支払による「地域社会の維持」を位置付け ・農泊の推進や6次産業化など地域資源を活用した産業の振興を位置付け ・鳥獣害対策や農福連携などについて明確

 何度も読んでみたが、何か画期的な方向性は見えない。期待したいのだが、どうも政府はだめらしい。とても次の農業に理解のある人が、この法律改正には関わっていた。だから、特別に期待していた。所が結果は全く違っていた。

 長いこと、検討を重ねてきたにもかかわらず、良い考えが出なかったと言うことになる。企業優先の政府や自民党の大規模、機械農業の考え方に押し切られている。いつもの農業政策の繰返しに過ぎない。これでは、三菱総合研究所の予測のように、農業はさらに衰退するに違いない。

 この基本法の検討過程では存在した、農家への直接の補助金の制度は作られなかった。結局の所、大規模企業農業だけしか、生き残れない現状は温存されたのだ。本来、政府が目指すべき事は、国民すべてが農業をやる国を目指すことだ。希望する国民が食糧自給できる条件を国は提案することだ。

 市民が農業をするとすれば、例えば大豆を作りたい場合、脱粒機の貸し出しが必要である。小麦を作るとすれば、コイン製粉所が必要である。お米を作るとすれば、コイン脱穀所が必要である。小型機械の貸し出しや、水路の整備、農道の整備を公共の力で補助しなければ、市民の農業は広がらない。

 そうした市民の農業を、迷惑だと、あるいは不愉快なものだとしてきたのが、既存農家であり、農協であり、地域社会であった。その結果、農業者の側
からは、打つ手が示せないまま、中山間地や離島の農村が消滅してきたのだ。農地の利用集積のために、そうなるように進めてきた。

 農村は競争の原理では維持できない。共存の理念がなければ、継続が出来ない。ふるさとを守りたいという思いはある。しかし、資本主義の経済競争と同列の企業農業が中心になったときに、ふるさとを維持してきた経営力の弱い農家を守ることが出来ないのだ。

 農村がなくなることで、日本の自給能力は急激に弱まってしまった。いまできることは、市民が自分で始める以外にない。誰の手助けも借りずに、自給を始めることだ。それぐらい世界の危機は迫っている。まず自助だと菅元総理大臣が言っていたでは無いか。

 市民が自ら食料を生産することが、食料の安全保障の一番確かな方法だ。政府には手段がない。と諦めた言うことを表明したようなものだ。戦後の食糧難時代が再来するかも知れない。市民が自分で食料生産をやるほか無い時代が、そこまで来ている。

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208 水彩画 日曜展示

2024-04-21 04:01:59 | 水彩画






462「英太郎さんの田んぼ」
2024.4 中判全紙








463「竹富島が見える」
2024.4 中判全紙








464「竹富島が見える」
2024.4 中判全紙







465「竹富島が見える」
2024.4 中判全紙







466「竹富島が見える」
2024.4 中判全紙


 今週は五枚までだった。中判全紙になると、今は1日で描けない。この間、水源の森作りで、100本の苗木を植える作業をしていた。もう30度を超える炎天下だから、かなり重い作業になった。絵の方もかなり重く描いていた。

 重くと言う意味は今度の相模原に出す絵を描いていた。キャロットタワーのロビーに展示させて貰う絵を描いていたと言うことにもなる。発表をするという意識で絵を描いていたので、少し気分が重かったと言うことになった。絵はどうだろうか。重いだろうか。

 人目を意識して描くと言っても、何かを変えると言うことも出来ないのだろう。ただ竹富島を描いてみようと決めていた。竹富島は初めて描いた。毎日、目にしない日はないのに、竹富島を正面にして居ながら、絵に出てくることはなかった。今回は竹富島を描いている。

 
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もしトランプ後の米中関係

2024-04-20 04:38:31 | Peace Cafe


 アメリカではトランプ氏が世論調査では有利と言われている。その背景にあるものはアメリカの分断から崩壊への予兆なのだろう。社会の分断が進み、極端な意見になる人が増える。白人が少数派になること。押し寄せる移民難民の大波。格差と差別社会。そして中国に世界の覇権を奪われること。

 豊かになりすぎたアメリカ人は、首位転落の不安にさいなまれているのだろう。今も経済は好調なのだ。日本のように停滞の中にいるわけではなく、経済成長を続け、豊かすぎるような人達の国ではあるのだ。競争主義の限界をアメリカは迎えている。

 豊かさを分け合うことが出来ないアメリカ。能力があるから豊かなのだ。能力がないものは貧しいことは仕方がない。こんな独りよがりの考え方が、アメリカという、経済的には豊かであるが、心の貧しい人達の国にしたのだ。日本がアメリカに追随する姿が、実に情けない。

 フランスに来ていたアメリカ人留学生は、夏休みのあいだアメリカに戻り、アルバイトをすれば、フランスで一年暮らせると言っていた。多分今でも似たようなことだろう。だから、世界中から人が集まる。その人達がさらに豊かな国にしている。だからこそ問題も大きくなり、解決が付かなくなる。

 そんなアメリカ人が、トランプを選ぼうというのは、金持ちの不安なのだろう。もしかしたらアメリカが中国に凌駕されて、経済的に苦しくなるかも知れないという不安がある。世界1を続けてきた国の転落の不安である。確かに中国にはアメリカを追い越す潜在能力がある。

 それはインドにもあるのだろう。グローバルサウスといまでは言われる第3世界の国々も発展の潜在能力は高いのだろう。それはアメリカがどれほどの大国であるとしても、歴史を見れば当たり前の事で、栄枯盛衰は歴史の常である。栄えた国は必ず滅びている。

 しかも、アメリカの内部は、どの先進国よりも不安定で混乱したものである。未来予測が付かない要素がいくらでもある。アメリカは形の動き続けている国なのだ。だから、発展余力も高いし、移民労働力を上手く活用して、経済発展が出来たのだ。

 その内部的な混沌とした不安要素が、かなり煮詰まってきたのだ。年間200万人もの移民、難民が押し寄せれば、塀を作りたくなる気持ちも分る。米国には移民が4500万人と人口の14%もいる。 無資格の滞在者も1000万人と3%を超え、働き手や消費者として存在感を示す。

 移民がいなければ、アメリカの労働者は3割に激減する。移民に頼らざる得ないが、アメリカ社会全体としては移民の急激な増加に耐えきれなくなっても居る。こうした内部矛盾がトランプ主義を作り出したのだろう。トランプが大統領にならないとしても、分断社会。階級社会。差別社会。はなく成らない。

 この社会内部の対立、亀裂は、今後のアメリカに変化を作り出すはずだ。さらに階級差が広がり、多分耐えきれなくなった下層階級からの暴動が起こるだろう。以前から病理的な銃乱射事件は頻発している危うい社会だ。資本主義経済の能力主義の限界が見えている。

 アメリカはそうした内部問題から、国民の意識を中国に向けようとしている。この目をそらそうという事から、沖縄の基地化が進んだ。米軍基地負担の軽減どころか、沖縄をアメリカの前線基地化しようという計画が、着実に進んでいる。それが岸田氏の国賓待遇の奴隷化である。

 中国の世界進出が問題だから、アメリカが困っているとしているが、中国の一帯一路政策自体は、何の問題も無いはずだ。アメリカの東アジアの前線基地化の方が異常であろう。その異常を受け入れざる得ないところが、日本がいまだ独立国に成りきれない、と言うことだろう。

 中国の経済成長は確かに世界経済を変えようとしているが、むしろアメリカの成長を中国が支えているという側面も大きい。アメリカも、日本も、経済制裁をしながら、中国の経済成長の恩恵を受けようともしているわけだ。中国が日本のように言いなりにならないと言うところが問題なだけだろう。

 経済に於いてはアメリカと中国の関係が一番大きいのだ。だから、アメリカは中国に経済制裁すると言いながら、その膨大な取引は相変わらず減らないのだ。ロシアを経済制裁するとしても、結局中国との取引があるために、ロシア経済は好調を維持している。

 世界経済はアメリカがどれほど、同盟国と協力して中国を叩くとしても、中国はアメリカを経済規模で必ず追い抜くだろう。そうなれば、中国を中心とした経済圏からの圧力で、自由主義経済圏は危うくなるだろう。それは、国家資本主義の方が、競争力が高いと言うことにある。

 ロシアも同じである。あれほど経済制裁を受けても、経済は好調なのだ。その理由はプーチンの独裁を国民が支持しているからだ。ヒットラーとまさに同じ構造なのだ。習近平も同じだ。国民は経済さえ良く成るのであれば、少々の不自由は我慢しようという選択なのだろう。

 アメリカの言うことを聞かないでも大丈夫な国が出現したのだ。それはアメリカが経済成長をどれだけ続けたとしても、ますます、世界の経済情勢は相対的にアメリカの力が低くなって行く。その状況を受け入れられないアメリカ人の精神構造に何かがあるのだろう。

 日本はそういう世界の競争から、徐々に取り残され始めている。それは日本人の大半が、競争心を失い始めたからだろう。心優しい穏やかな日本人がふえているのだから、悪い事ではない。人を押しのけてまで、自分を押し出さない。その点ではいいわけで、そこに新しい人間の在り方を作り出す必要があるのだろう。

 トランプのように、人を押しのけて自分のゆがみを正義として押し通すような厚かましい人が、出てこないだけ日本は増しである。それぞれが、自分らしい幸せな生き方を捜すことが出来る国になる。それは競争では無く、自己開発である。自分が深まる生き方であろう。

 今行われている。外国人労働者の流入政策は、労働者不足という経済の事情だ。外国人とどう関わるのかが、これからの日本の課題になるはずだ。朝鮮人差別で、日本は問題のある国だ。また、人種差別問題が起きないように、賢明な政策が必要である。
  
 アメリカの分断社会を日本にまで波及させないことだ。日本はアメリカに依存しすぎている。だから、アメリカの顔色を見てしか動けないのだ。日本がどんな国を目指すのか。政治は、本来国の方角を捜すことが役割だろう。農業基本法など、まさに国の方角を示しているものでなければ成らない。これについては改めて書きたい。

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のぼたん農園田んぼの記録

2024-04-19 04:28:40 | 楽観農園

 1番田んぼ 担当:中川、笹村
 「台光」台湾の品種と言われる品種を栽培。120㎝に成るという品種。この田んぼは昨年7月に大規模な土木工事を行い、最初の状態から作り直した田んぼ。田んぼの土壌は新しいものである。一部にはまだ岩盤がある。柔らかく深いところが一部にある。トラックターは使えなかった。

 水牛で土壌を移動し、水牛のクルバシャーで耕した。水牛だけで作った田んぼである。昨年7月末土木工事完了。水牛ですべてが出来たという点でおもしろい田んぼである。一部に、蓬莱米台中65号が植えられている。石垣の気候にあう、とても元気な稲ということが分った。

 8月27日に苗代を作り、播種。9月23日に田植えをした。 種籾は「西表安心米」の那良伊孫一さん が20年間作られていたお米の種籾を分けていただいたもの。1月13日に稲刈りをした。ネットが張れなかったために、鳥に食べられたために収量は少なかった。

 出てきたひこばえの刈り戻しを稲刈り4週後の2月11日に行った。よみがえりの追肥を三回ほど行った。ひこばえにはかなり肥料が必要と感じたので、よみがえりを入れた。刈り遅れのイネ株はそのまま弱って、黄色くなり、ひこばえを出さない。5月26日に稲刈りの予定。夏作よりも、稲の出来が良い。



 2番田んぼ 担当:ぬちぐすい診療所
 「ユガフモチ」を栽培。40センチ間隔植え。一度水牛さくらに田んぼに入られたため、補植がかなりある。その株の出穂が送れていた。補植は遅れたがよくできている。12月6日播種。1月13日田植え。4月14日出穂期。5月25日稲刈りの予定。


 3番田んぼ 担当:中川、笹村
 「ミルキーサマー」を栽培。30×40㎝間隔植え。南側を40㎝空けて、日照を期待した。30センチ間隔の四分の三の株数になる。またひこばえ栽培を探求したいために、株間を広げた。ひこばえは分ゲツ数が増えるため、十分な穂を付けるためには、肥料と空間が必要になる。

 分ゲツ肥を入れてコロガシを四回やった。穂肥は止めて、アカウキクサがよく広がったので、これを穂肥と考えた。中央山側に岩盤があり、生育不良だった。奥に土を寄せたために、耕土が深くなり、30分ゲツを越えた。12月6日は種。1月6日田植え。3月末出穂。4月13日穂揃い。5月18日稲刈り予定。稲の大きさは83㎝。



 4番田んぼ 担当:渡部夫妻
 「ミルキーサマー」を栽培。30×40㎝間隔植え。荒起こし、代掻きを十分に行った。合計7回。そのために水は雨水がほとんどだった。分ゲツ肥、穂肥によみがえりを入れた。後半勢いがなくなったのだが、土壌の窒息状態が影響したか。田んぼ全体が平均的に整って実っている。

 12月6日播種。1月6日田植え。3月末出穂。4月13日穂揃い。5月18日前後稲刈り。稲の大きさは83㎝



 5番田んぼ 担当:圷夫妻
 クロマイ2種。餅米。ミルキーサマー。ハッピーヒル。60㎝角植え。3月半ばから4月後半に断続的に田植え。様々実験的な栽培をしている。不耕起であるが、コロガシを頻繁に入れて水持ちを良くしている。


 6番田んぼ 担当:三線グループ
 「ミルキーサマー」を栽培。40㎝角植え。12月6日播種。1月13日田植え。4月13日出穂。5月25日稲刈り予定。稲の大きさは85㎝。「ミルキーサマー」の中ではこの田んぼの稲が一番良く出来ている。葉は15枚出たと思われる。

 水が不足した田んぼだった。土には時々ひび割れがあった。水が少なかったことが、良い稲になったかも知れない。コロガシは3,5回。その都度よみがえりを入れた。葉色が最後まで濃く、穂も他よりも大きい。120粒はある。

 ミルキーサマーの品種特製を見ると、東北では早生品種であるが、沖縄で作ると晩稲になる。また、筑波では84㎝の大きさになり葉は15枚。沖縄では72㎝と大きくならない。葉も13枚まで。その理由は不明。気候に合わないため収量も低い。

 「ミルキーサマー」はインド型品種「Kasalath」由来のHd1遺伝子を持つ「コシヒカリ」早生同質遺伝子系統「和系243」と「コシヒカリ」の突然変異品種「ミルキークイーン」の交配後代からDNAマーカー選抜で育成された「ミルキークイーン」の出穂性に関する準同質遺伝子品種である 



 7番田んぼ 担当:ゆんたくガーデン
 「ミルキーサマー」を栽培。30㎝角植え。新しい田んぼ。土壌に耕されていない場所があった。12月6日播種。1月13日田植え。4月20日出穂 五月後半稲刈り予定。代掻き石拾いがまだ不十分と言うこともあり、水が足りなかった。

1反の田んぼの稲数 畝取りのための目標 1穂の重量2.2g100粒とした場合。

(植え方)      (稲の本数) (ひと株の収量) (穂の数)  (収量)
30×30㎝    11111本  66g    24.5  10俵
30×40㎝     8333本  72g    32.7  10俵
                   60g    27.7   8俵
                   50g    22.7   7俵
40×40㎝     6250本  96g    43.6  10俵    

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サプリメントは危険食品と考えたい。

2024-04-18 04:36:31 | 暮らし


 日本食品安全協会では、紅麹サプリ問題が起きた後、協会のウェブサイトで緊急に情報発信している。3回目のサプリ問題である。何度もで、申し訳ないが、これは以前からと手も気になっていた問題で、紅麹菌サプリ被害のこの機会に、気付いて貰いたいと思う。

「要約すれば健康食品の範疇であるが、有効成分として入っている物質の本体は医薬品である。医薬品が医薬品名で届けたらダメなのに、医薬品を含む総称名なら機能性表示食品の場合OKという事実に私は違和感がある」
「機能性表示食品には同じように医薬品を含んでいて総称名で届け出が受理されている物が他にもある」とある。

 サプリを今でも飲んでいる人は、一度協会声明を読んで欲しい。一般人の私がどれほど注意喚起したところで、サプリはなくならない。サプリが今も日本人の身体をむしばんでいる。問題はサプリ全体に存在するのであり、紅麹菌にあるのではない。

 サプリメントの国内市場規模は1兆678億円 と出ていた。金儲けのためならば、不要なものをいくらでも生産する。テレビも新聞も盛んにこんなおかしな物の広告で儲けている。健全な大企業が自らの信用を使って、サプリに進出する。背に腹は変えられないのだろうが、今に痛い目に合うだろう。

 1兆678億円という数字があまりにも大きくて実感がないが、膨大な量のサプリが飲まれていると言うことだけは分る。医薬品市場は10兆円超えと言うから、医薬品の中の飲み薬部門と比べて見れば、かなり大きな市場規模と言うことが分る。

 サプリのような危険なものがこれほど広く出回ってしまった、日本人の安全意識と日本社会が恐ろしい。と言ってサプリ先進国はアメリカだそうだ。アメリカ人ならそうかと思うが、それが日本人にまで波及してきた。日本人がアメリカ人貸しているのだろう。一人当たりで考えれば、いまでは日本人の方が飲んでいるのかも知れない。

 どれくらいの人が何らかのサプリを飲んでいるのかという調査では成人80%のの人が飲んでいるというデーターもあった。背景にあるのは健康志向と考えて良いだろう。年寄が増えて、何時までも元気に暮らしたいという思いが、サプリ市場の拡大になったと考えて間違いが無いだろう。

 病気というわけではない。市の健康診断にゆく。保健婦さんからの指導で、いくらか血圧が高いから、食事に気を付けて下さいね。など、言われるのだ。病気というほどではないのだから、お医者さんから薬を貰うのではなく、サプリを飲んでおくぐらいが丁度良いのではないかという、健康意識である。

 誰だって健康診断でこの数値が問題がある、あの数値は気をつけて下さい。など言われれば、何か健康のためにしなければと当然思う。病院で見て貰うほどでない。未病と言われる訳の分らない範疇に入れられる。そんなことを言えば、人間みんな未病だ。だから健康診断には行かない。健康自己診断である。

 全くどこも悪い所のない人間など居るわけがない。だからいつかは死ぬのだ。生きているのはそれまでの過程なのだ。膝が痛い腰が痛いは農家の年寄なら当たり前の事だ。それをだましだましやっている。そこにサプリだ。インターネットで記事を読んでいれば、何度でもサプリの広告を見せられる。

 今、ウクライナとロシアの戦争の状況を読んでいたのに、ついつい1ヶ月分無料だから、飲んでみてください。などと、割り込まれてしまう。良い兆候がなければそれでいいが、何かの加減で、いくらか痛みが和らいだら、これはまずい。今ならこの定期コース送料無料の定期購入ですという電話きっと入る。

 サプリはすべて薬と考えるべきだ。昔なら、身体を直すものは等しく薬。薬なら、効果が無ければ許可にならないが、サプリは効果が無ければ、もう少し続けている内に効果が出る可能性が高いですと言うことになる。百害あって一利なし。

 サプリで直るなら、医薬品と同じではないか。いや、これは自然由来だから心配ありません。無添加のどこにでもある草が原料です。草を発酵させたものだから安全この上ないです。そうとも言えないことが、紅麹菌で分ったでは無いか。他にだって見えないだけで、何らかの被害は必ず出ている。

 発酵では、その過程で未知の成分が出現する可能性があるのだ。もちろんそれは自分で作ったものだって同じような危険度はある。しかし、食べる量が全く違うのだ。食事から取る量なら知れている。普通の食品を身体を損なうほどの量を食べることはない。

 納豆を作って食べている。ヨーグルトを作って食べている。様々な発酵過程で何かおかしな事が起こらないとは、確かに言えない。それは紅麹菌の事件でよく分ったことだ。しかし、納豆を毎朝食べるナットウキナーゼの量など、サプリに含まれる量から言えば、桁が違う。

 それは発酵食品でなくとも、あらゆる食品が同じことだ。ごまが良ければ、ごまを食べれば良いだろう。シジミが良ければ、シジミを食べれば良いはずだ。どこか気になるところがあるならば、サプリではなく薬を選択すべきだ。

 まず病院に行き、薬を貰えば良い。そうでなかった薬局に行って薬を買えば良い。薬の方がたいていの場合、はるかに安い。日本の医療レベルは高いと思う。紅麹菌の健康被害をしてきした医師の方々は、さすがに良く気付いてくれたと思った。

 サプリを止めて、まずお医者さんに見て貰うことだ。サプリなどと言う中途半端なものが、一日500円はする。その分を食料品にかけるべきだ。良いものを少量多種食べる。それが健康の基になる。確かにサプリよりも面倒くさいかも知れないが、それだけの意味がある。


 

 
 
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のぼたん農園水源の森作り

2024-04-17 04:01:49 | 楽観農園
 水源の森予定地

 のぼたん農園の田んぼは、わずかな湧水を利用した天水田である。この湧水は先枝の集落の基になった尊い歴史ある湧水である。かつて水が途絶えたことはないそうだ。ただその湧く水量は水道の蛇口から出る水と同程度である。つまり、1時間に1㎥メートルぐらいの水の量である。

 この1時間1㎥の水が倍になったり、半分になったり、雨量によって変化している。この水の量で、2反の田んぼまで、出来ると考えて始めた。それは経験的に、見てきた2反の田んぼを維持できる水の量だ。一年間365㎥の水があれば、2反の田んぼは出来る。2反の田んぼが湧水で出来るとは夢のようなことだった。

 湧き水であるということは山からの絞り水である。山の木々に降った雨がしずくになり、地中に染み込み地中をだんだんと浸み流れ、湧き水となって岩盤の間から湧き出ているものである。田んぼをやるためにはこれ以上の水は無いと言える、尊い水である。


水源の森予定地 中央のしげみの下辺りに湧水がある。

 のぼたん農園は2畝の田んぼが10枚である。2畝が一家族の田んぼの面積だから、のぼたん農園では10家族のお米が出来ると考えて計画を立てたものである。一家族が水道でやるなら6千円の水代。湧き水ならこれはただになるが、湧き水を維持するためには、森を作らなければならない。


 全体計画では湧き水の上部を水源を守る林にしようと考えてきた。湧き水の上部は以前はパイナップル畑だったらしい。その後、パイナップル畑から、牛の放牧地になった。放牧地と言っても、その当たりはあまり管理されていなかったためかなり荒れた状態に成っていた。

 その後放牧地も止めて、耕作放棄された状態のまま3年が経過した頃、借りることになった。この湧き水を利用して「のぼたん農園」を作り、田んぼをやるためである。自由に構想して思い通りの、自給農園を作りたいと考えたからだ。その構想の中心となるのが大切な湧水である。



 湧水をできる限り豊かなものにするためには、荒れ地を林にする、出来れば森のような状態にしたいと考えてきた。そのためには苗木を探し、植林をしなければと考えてきた。所が、1年前から苗木をネットで見付けて注文しても、送ってくれる所が一つも無かったのだ。注文は出来るのだが、石垣島の住所で、送れませんとの返事がある。

 それで困っていたら、八重山森林組合に苗木があるということをのぼたん農園の仲間の圷さんが教えてくれた。トマリ木工の講習会に出たら、植林の講習を受ける日があり、森林組合の苗木を使ったというのだ。それが売られているかどうかは分らなかったが、早速行ってみることにした。

 森林組合の苗場には、立派な苗が並んでいて、売られていたのだ。ただ、植林のための苗場だから、樹種は限られていて少なかった。「やらぶ」と「センダン」にした。他には「フクギ」があるということだったが、これは成長が遅いので、水源のためには向かないと言うことだった。



 センダンは成長が早いから、特に水源林にするためには良いので前から捜していた。やらぶは石垣には至る所に防風林として植えられて居るので、これものぼたん農園には適合する樹種だろう。欲しかったのは琉球松の苗木だったのだが、これはなかったのでこれからも探す。

 あるものをともかく植えるということにして、50本ずつ購入した。200本ぐらい欲しかったのだが、まず100本にして、植えてから、又買いに来れば良いだろうと言うことになった。1本税込みで550円である。五年育てた1mぐらい高さのある立派な木だから、価格は安い方だと思うが、流通価格は知らないので良くは分らない。



 早速穴を掘り始めたのだが、土が硬くて、植え穴が掘り進められなかった。何しろ掘った穴に雨が降ったら、染み込まずにそのまま水たまりになってしまった。それ程浸透性のない硬い土壌なのだ。シャベルも鍬も歯が立たないほど堅かった。こんな土で大丈夫かと思うほどだ。

 まずススキやアメリカハマグルマのヤブをハンマーモアーでできるだけ片付けた。風が強いところだから、あまり片付けてしまうのも、どうかと思いながら、結局は3日かけて、予定地の草刈りをした。やってみると奥の方はかなりのぼたんが広がっていたのだ。

 のぼたん農園だから、のぼたんは残す必要があるので、結局半分位はそのままに残すことにした。実は奥の方の上部は植えた方が良いところがあったのだが、そこにはハンマーモアーが入れなかったので、この先整備が進んで一段落付いたらば、「琉球松の苗」を手に入れて、植えたいと思っている。これも出来れば50本。



 草刈りをした後は、植え穴掘りをした。100カ所を掘らなければならないと言うことになる。1日目は一人だったが、7個しか空けられなかった。100個は先の長い話だと思ったが、2日目は五人でやって、66個ぐらいまで掘れた。3日目はついに100個に到達した。仲間が居ることのうれしさを感じた。

 樹木は3メートル角植えにした。間をハンマーモアーが通れるぐらいの間隔にした。シャベルが潜るぐらいの深さに掘った。苗木の鉢サイズからしてそんなものかと考えた。穴には、牛糞堆肥よみがえりを入れて、シャベルで再度突いてなじませておいた。

 所々にユンボで掘った。深い穴があるので、トラックターは気をつけないと穴にはまってしまう。この穴は水が地中に染み込んで入るように、以前掘ったものだ。雨が地表を流れるだけなので掘ってみた。それでもすぐその穴は水が溜まって地中には染み込まない。

 100個掘れたので、森林組合に連絡をした。出来れば今週中に届けて貰う。だめそうなら、金曜日に堆肥を下ろして軽トラで取りに行く。届けて貰ったならば、その日に森林組合の方に、植え付けの指導をしていただく。ビデオを撮影してラインに上げて貰う。それをみんなに見て貰い、20日21日に植林作業を行う。

 森になるのは50年後のことだ。間違いなく私が森を見ることはない。植えた苗が育ち、いくらかでも水源林としての役に立つためにも、10年は必要だろう。その時ののぼたん農園をせめてみてみたいものだ。84歳か。その時作業が出来ていればたいしたものだと思うが。

 植林は次の世代のためのものだ。今現在の経済ではない。こういうことが一番置いて行かれる世の中だ。今のぼたん農園には大きなやらぶや、フクギが生えている。これは戦前ここに集落があった時代に、自分の家のまわりに誰かが植えたもののように見える。

 地域を作り上げて行くのはこうした思いなのだろう。この湧水のそばに暮らしていた人の時間に、思いが至る。崎枝には縄文時代から人は居たのだろう。崎枝赤崎貝塚は、屋良部半島東南の岬、赤崎 の低砂丘上に形成されている。

 この貝塚が土 器の出土を伴わない無土器期の遺跡であるこ とが確認された。貝塚からは石斧、すり石、シ ャコガイ製貝斧、スイジガイ製利器などが出土 した。この赤崎の貝塚に暮らした人達も、この湧水を利用したに違いない。水源を神として祭ったかも知れない。

 のぼたん農園でも水神龍を祭っている。大切なことは未来にある。未来にのぼたん農園の暮らしが、モデルになるように水源の森を作る。水神様に個人的な願いをしてはならない。願いはみんなのための願いだけというのが、日本の神様の歴史なのだ。

  

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経済停滞の中、暮らしはどうなるか

2024-04-16 04:01:43 | 暮らし
熱帯睡蓮のティナ

 若い人達はこれからの生活をどうしたら良いのかと、日本の長い停滞期の中で、不安だろうと思う。私が若い頃は、これからどんどん暮らしは良くなると思えたし、実際に多くの家がそうだった。そもそも大学に行くのに、自活できたのだ。フランスに行く資金も自分で貯められたのだ。50年前の日本は今よりも豊かな時代だった。

 ここ30年間徐々に時代は厳しいものになっている。若い頃にはまさか年々暮らしが厳しくなるなど思いもしなかった。それもあって自給生活に入る事ができた。自給の御陰でその厳しくなってゆく、生活の大変さの直撃を受けないで済んだ。自給が出来るようになったのが停滞の30年より前だ。食べるものが自給できれば、後はぎりぎりでも何とかなった。

 いよいよ到来の物価は値上げの春で、さらにものの価格は上がり始めた。値上げしたらものが売れなく成るという不安を企業は捨てたようだ。これからは、遠慮無くあらゆるものの値上がりして行くと見なくては成らない。それでも農産物は安いと思う。おにぎり一個のお米だけの価格は30円ぐらいだ。

 一方収入の方は、大企業や都会の給与所得者はともかく、末端の地方経済や、個人営業者まで収入が増えたわけでは無い。つまり、これからますます格差が広がって行くことは覚悟しておかなければならない。そして、格差が差別社会になって行くおそれがある。

 格差される下層の固定化が起こる。貧困に陥れば、そこから抜け出すことは厳しいことになる。問題となるのはその時の格差を受けた下層の意欲の低下である。この差別を戦って壊さなければならないという、意欲自体が削がれてしまう。すでにその兆候が社会に感じられる。

 怖い時代が近づいている。能力がないから、貧困である事も仕方がにという社会がはっきりとしてくる。すでにそんな空気が広がりつつあるように感ずる。農家になろうという人が少ないのも収入の少ない下層なのだから当然である。収入の良い企業への就職が、上の階層への登竜門になる。

 株価は4万円超えとかで、いかにも日本の経済が良いかのように見えるが、これはあだ花のようなもので、国が盛んに株を買い支えているために、おきた一時的な現象だ。日本政府が株価が下がれば、お金を増刷して株を買うだろうと、見られているから、投資家は株を買う。

 外国人投資家は危ない日本経済を承知で、円安の日本株を買っている。確かに政府は株式投資の御陰で、莫大な財政赤字にも関わらず、しのげているのかもしれない。しかし、不労所得でかろうじて成り立つような、政府がまともなわけが無い。

 日本は世界から、製造業の世界で後れを取り始めたのだ。この現実を認識しておいた方が良い。そして、当分この状況を抜け出ることは無い。日本は観光立国のような、少し製造業を国の本とする国とは違う国になるのかも知れない。日本人が変ったのだから、国柄はそれに従うことだろう。日本人は以前よりも人当たりは良くなった。犯罪も減少した。

 円安である。外国人投資家にしてみれば、日本の株は安いのだ。中国の不動産投資が怪しくなった分、日本の株に投資資金が向かってきたに過ぎない。確かに中国で不動産投資するよりは、まだ日本の企業に投資した方が良いと考えるのは当然かも知れない。

 日本で土地を買えば、安いという感覚は中国人にはあるかも知れない。マンション投資で利益を上げた中国富裕層が日本の株や土地を買うのはリスク分散と言うことだろう。しかし、日本人が株価上昇に惑わされては、まずいことになる。

 株はますます、きわどいものになっている。生活が危ういのに株式投資をするというようなことは、生活の破綻に80%ぐらいは繋がるだろう。生活を確かなものにするには、不労所得を当てにしてはだめだ。先ずは堅実に生活を立てることが、基本だ。

 このさきの日本の危うい状態を考えると、ますます、自給生活の意味が重要になっている。好きなことをして生きて行く、その根底を支える自給生活である。自給生活と言っても、グゥアム島で脱走兵生活をしていた横井さんがしていたような自給生活では無い。

 社会に認知され、むしろ歓迎される自給生活である。地方には消滅して行く集落が相次いでいる。昔は普通に暮らすことが出来た場所が、現代社会では暮らせない場所になっているのだ。人口が五万人で停滞している石垣島でも北部地域は人口が減少し、学校が閉校になっている。

 先日少し書いた、「五島市移住」などの誘致案内を読むと、しっかりと暮らして行く覚悟があれば、素晴らしい場所だと思う。例えば新上五島町では地域おこし協力隊員を5名給与25万円で募集している。この仕事で働きながら、地域で暮らしを立てる方策を見付けることが出来る。

 友人には何人かこの制度で、地方移住をした人がいる。その他の仕事でも、身体を使って働く気持ちがあれば、地方には様々な仕事がある。消滅して行く地域には、若い人を待っている仕事がある。地方には仕事が無いからと言うのは、肉体労働しかないという意味である。

 石垣島は暮らしやすいことは確かだ。年三回お米が取れる場所なのだ。100坪の土地があって、一日1時間自給のために農作業をすれば、食糧自給は出来る。ただし、助け合い、協働する気持ちが必要だ。一人の自給はかなり厳しいものになる。

 自給は一人では大変なことだ。もちろん一人でもできる人は居るだろうが、ひとり出来たならば、今度はみんなの自給にすすで欲しい。みんなの自給は一人の自給の半分の労力で可能になる。一人の自給は一日2時間の労働時間になるが、みんなの時間なら1時間で可能だ。

 いずれにしても食糧自給は農業技術次第だ。科学に基づいた、正しい技術で農業に向わなければならない。変な宗教まがいのエセ科学に惑わされないでやらなければならない。農業技術とは、誰がやっても同じに必ず再現されるものだ。分からない人は是非「あしがら農の会」か「のぼたん農園」に参加して貰えば学ぶことが出来る。

 

 
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アメリカにオベッカする岸田総理大臣

2024-04-15 04:14:34 | Peace Cafe


 岸田総理大臣が米議会上下両院合同会議で演説をする機会を得た。アベ氏に次いで2回目のことだそうだ。いずれの場合も、アメリカが希望している言葉を表明させられる場である。日本を「米国のグローバル・パートナー」と定義した。日本が米国と一緒に自由と民主主義を基調とする国際秩序を守る決意だと、表明した。となっている。 

  その前段で、自分が子供時代アメリカで育って、アメリカの学校に通い、温かくして貰った話をした。この話はアメリカ人には、気に入られた事だろう。本来なら、原爆投下の広島で生まれ、アメリカを恨みに思い育った。アメリカに行って差別を受けた日本人の少年のはずだ。何か私の気分は晴れない話だ。

 日本の代表として話すのだから、日本の譲れないことは明確に伝える必要がある。これではアメリカは日本はすべて言いなりだと思っただけだ。アメリカに大いに日本を前線基地として利用させて貰おうじゃないかと、安心して貰ったと言うだけだ。

 沖縄の米軍基地負担の軽減は、自民党政権の公約である。せめて沖縄の基地は自衛隊基地に置き換えてゆく覚悟がある。今現在その整備を続けている。将来は自国で自国は守る方針である。そのことぐらいはアメリカに言うべきだろう。

 私の場合、フランスへの留学生として、金沢とナンシーの姉妹都市として関係で暖かく迎えて貰った。ナンシーの日仏協会、得にドクターピエルソン氏には感謝をしている。パリの美術学校にも、特にアルベルト・ザバロ先生には感謝しか無い。

 しかし、フランスでは様々な差別を受けた。そのことも忘れたことは無い。そして、今フランスを余り好きな国とは、考えていない。人間にとって差別ほど不愉快なことはない。フランスでは白黒黄色の順位だと言われた事がある。思い出すのも嫌だ。

「国際秩序は今、新たな挑戦に直面している」と懸念を表明。中国の軍事動向を「これまでにない最大の戦略的挑戦」、北朝鮮の核ミサイル開発を「直接的脅威」、ロシアによるウクライナ侵略に関し「今日のウクライナは明日の東アジアかもしれない」と指摘した。

 アメリカには国賓として、インド、オオストラリア、韓国、次いで日本と中国を取り巻く国々が招かれている。韓国と日本は特に米国両院議会での演説をする場を得ている。まさに同盟国としての扱いである。前線基地として、防人の誓いの言葉を聞こうと言うのかも知れない。

 アメリカは中国に対して、対抗意識がきわめて強いと言うことなのだろう。韓国も日本も等しく中国との対立を強めさせられている。対立を強めてゆくだけでは待ち受けているのは、戦争になってしまう。強固な同盟国の連帯も良いが、同時に中国と、国際紛争を交渉する札を捜さなければならない。

 日本の役割は、アメリカと中国の間に入り、平和への道を探ることだ。これが日本の使命だ。アメリカには出来ない日本の役割は、中国の良さをアメリカに伝えることだ。アメリカ人はそのことに気づけないが、日本人は親しい人種として、長い歴史の中で、すべてと言えるほど恩恵を受けたのだ。

 そんなきれい事をよく言うよ。と言うことなのだろうが、もう世界は日本国憲法前文冒頭に、「諸国民と協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し 」と宣言されている精神に、向かう以外に道はないのだ。

 確かに不可能に見える道だろう。困難を極める道だろう。経済的にも様々な苦難が待っているだろう。それでも、戦争へ突き進むよりはよほど良い。アメリカの戦争に巻き込まれることだけは、何としても避けて貰いたい。このまま行く道は、地獄への道だ。

 憲法で示した戦争を再び招かない、決意は全く日本国総理大臣にはない。広島で生まれたことは述べた。広島の原爆被害の悲惨な状況を一言だけでも織り込んで欲しかった。アメリカの議員の皆さんに、是非共一度、広島平和記念資料館に招待したいと申し出て欲しかった。

 そして、日本は同盟国ではあるが、属国では無いという日本独自の方角も示す必要があった。アメリカに追随して、中国に対抗するばかりではないと言うことを示す必要があった。日本人は東アジアの独立国で、中国と友好関係を持つべき国だと言うことを示す必要があった。

 岸田氏の米議会での演説は、どこからどこまでも、アメリカの希望する、対中国の前線基地日本国の姿であった。アメリカはかつて戦争に勝利し占領した日本の姿をそのままに描いている。この現実の認識が日本国総理大臣には無い。

 沖縄に駐留する米軍の治外法権的現状を踏まえて、対等な関係に変えて行く覚悟を示す必要があった。日米地位協定が極めて差別的なものであること。な当職との地位協定と同レベルのものに、変得なければならないことを表明しなければならなかっただろう。

 日本はアメリカと同盟国である。しかし、それは対等な意味での同盟である事を、アメリカの国会議員に認識させる必要があった。この大切な機会を、ただただオベッカで終わらせたのは、以下に日本国が独立していく気概がないと言うことを表明したことになる。

 何故これほどに日本の総理大臣が卑屈で、奴隷根性であるかは、長年の隷属状態で飼い慣らされてしまったのだ。もう、防人の位置づけである事すら抵抗がなくなってしまったのだ。しかし、アメリカはもう世界を始動するような国ではないのだ。

 アメリカはトランプのような異常な人物が、民主的な選挙で選ばれようとしている国なのだ。アメリカは一国主義に成ろうとしている。そのアメリカに従うと言うことは、アメリカに利用される国になるという事だ。日本の保守党には、隷属以外にないようだ。

 中国との関係を日本は大切にすべきだ。アメリカとの距離をすこしづつ広げてゆく事が必要だ。日本が独立国家として、独自に外交が出来る国である事を示さなくてはならない。中国人を敵視していることは、日本の方角を誤ることになる。報道が偏向していて、中国人への誤解がひどいのだ。

 
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207 水彩画 日曜展示

2024-04-14 04:15:43 | 水彩画
207 水彩画 日曜展示







456「のぼたん農園」
2024.4 中判全紙







457「石垣島赤崎」
2024.4 中判全紙









458「岬」
2024.4 12号








459「漁港」
2024.4 12号 和紙







460「島」
2024.4 6号







461「ハイビスカス」
2024.4 3号


 今週は六点になった。最初の二点が時間がかかった。このどちらかを相模原である水彩人展に出そうかと思う。二点出すのだが、一点はもう決めてあるので、この二点のどちらかになると思う。今度小田原に行くときに、持って行って、額装をしておきたいと考えている。

 そのあと、その絵は三軒茶屋にあるキャロットタワーというビルの、ロビーに飾るつもりだ。3ヶ月に一回掛け替えつもりだ。絵を人に見て貰うことが必要かと考えたからだ。名前とバーコードを入れておき、意見を貰えるようにしようかと思っている。

 何しろかなりの数の絵が、誰にも見て貰わないまま、倉庫に積み上げてある。それよりはどこかで人目に触れる機会がある方が良いかと考えた。人に見て貰うことになる前提で絵を描いている方が良いと思うようになった。個展という形は、止めたのでこんな形を考えた。


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好きなことを見付けることが子供の仕事

2024-04-13 04:17:19 | 楽観農園


 父が何度も言ったことは「好きなことを見付けることが子供の仕事だ」と言うことだった。好きなことが見つかれば、どんな努力だって出来るようになる。というのだ。だから好きなことが見つかるまでは、無理に努力をする必要は無い。努力が出来ないのは、まだ好きなことが見つかっていないからだ。こんな風に話した。

 所が、好きなことが結構難しかったのだ。兄は中学生になって写真が好きになった。所が写真など無意味だと言って、決して好きなこととして認めなかった。写真など藝術では無いと決めつけていた。その違いはなんとなくは分ったが、父が言う好きなことは、なかなか難しかったのだ。もちろん遊びが好きでもそれはだめだった。

 子供の頃の好きなことは、まさに遊びだった。日がな一日黄鉄鉱堀をしていれば、満足だった。クワガタムシを捕っていれば、おもしろくて仕方がなかった。どうも父が言う好きなことは、こういうことでは無いらしい。人間が生涯をかけるだけの意味のある、好きなことらしかった。

 父にしてみると、それは学問をすることだった。民俗学研究の生涯を送ることだった。多分父の考えは柳田国男氏の影響下にあった。所が、中国戦線の前線で7年間も無駄にした。そして、戦後東京に戻ってから家族の生活を支えるために、商売に必死だった。柳田先生には民族学を続けられないと伝えにいったそうだ。悲しそうに、ただそうかと言われたと言っていた。

 その悔しい思いが、いつもあって生きていたために、好きな民俗学を出来ない日々が、悔しかったのだろう。子供には学問が好きになって貰いたいと言うことが背景にあった。民俗学ほどおもしろいものはなかったから、誰だって学問が好きなはずだと思っていたのだろう。

 叔父は父に育てられたのだが、育種学の学者になった。兄は和牛の研究者の道に進んだ。大学に残ることは出来ずに、岩手県の役人になって、牛に関わる仕事をした。父の兄は彫刻家であった。父はその家族の面倒も見ていた。そういうことから、絵を描くことが好きと言うことにした気がする。

 ところが、絵を描くことは父は反対した。好きなことが絵である以上仕方がなかった。ただ、芸大に行くことはどうしても認めなかった。ちゃんとした国立大学に行き学問をして、その上でまだ絵が描きたいというのであれば良い。藝術としての絵画はまず人間の成長だ。そのためには先ずは普通の大学生になれというのだ。芸大よりも東大だというのだ。その上でならば、絵を描くことを認めてくれた。

 考えてみると、今の私の絵に対する考えはほとんど父に教えられたことのようだ。それくらい私の考えは、父の影響で、成長したのだろう。だから美術大学で絵を描くつもりは無く、金沢大学では日本の寺子屋教育を研究するつもりだった。生まれた向昌院は寺子屋を開講していた寺だった。

 江戸時代の教育に興味があった。江戸時代社会が安定すると、寺子屋教育が隆盛を極める。本屋は軒並み需要の多い教科書、啓蒙書を製作して販売した。 行商本屋や貸本屋が派生した。江戸時代中期の成年男子の識字率70~80%ある。この時代こんな国は他には無い。識字率が世界一といわれる。その背景に寺子屋があった。 

 寺子屋の研究をしてみたいというのが、大学に行く目的だった。所が学問をする為には2カ国語を学ばなければならない。そもそも英語が嫌いだったぐらいだから、外国語を学ばなければ学者になれないのであれば、学問などやりたくないというのが実際の所だった。

 それで寺子屋に関しては自分なりに学ぶことにして、絵を描く方に流れていった。今思えば、あの当たりが分かれ目だった。父は大学に行くまでは生活の面倒を見た。後は自分でやれと言うことだった。自分でやる以上後のことは自由に生きてくれと言うことだった。

 そして今は、朝起きたら今日一日が楽しくなるような暮らしをしている。こういう状態になれたことは、有難いことだと思う。実際大したことをしているわけでもない。生きてきたほとんどが失敗ばかりである。本来後悔しても良いはずだが、何の後悔もない。

 ダメだったけどそれでいいと思える毎日である。生きると言うことには、成功も失敗も無いと感じている。好きなことをやってきたので、後悔がない。絵を描いていて、絵描きには成れなかったが、それもまた良いと思っている。むしろ農業をしながらの、暮らしで良かったと思える。何も成し遂げたわけでは無いが、これで満足なのだ。

 絵を描くという藝術の世界は、やりがいがある。費やす価値があると思えたのだ。それはやってみて、人生を費やしてしまった今も、そう思える。別段自分の藝術世界が世間に認められたと言うことではないが、そうしたことと関係が無く、藝術の世界の崇高さに触れられたことで満足できる。

 崇高な世界がある事を知り、それに向かっていきている日々という、方角が良い。これがベーゴマが好きだったから、ベーゴマを一生やったとしても、それはさすがにつまらないことになったに違いない。鳥を飼うのも子供の頃から好きで、飼い続けた。世界一の鶏を作る夢だった笹鶏も、残念なことに失敗した。

 それでも、生きる事の楽観である。何とかなるから大丈夫という心境である。先の心配はない。今やることをどこまでやれるかだ。今現在最後の冒険である、「のぼたん農園」の完成に向けて、日々努力している。これがおもしろくて仕方がない。

 毎日あれをやろうかこれをやろうかである。昨日は森林組合で、やらぶと栴檀の苗を100本購入した。早速植えるために、溜め池上部の整備をした。まだ終わっていないが、早く苗がくるまでに苗を植える準備を進めたい。草刈りをして、植え穴を掘り、堆肥を入れておく。

 今苗を植えれば、50年後にはやらぶと、センダンの林が広がっているはずだ。それを思うだけで、わくわくしてくる。これで、のぼたん農園の大枠はできてきたと言うことになる。後は根気よく整備して行くことになる。それを想像するだけで、楽しくて仕方がない。

 色々好きなことをやってきたのだが、その中で、今は次の世の中に役立つことは、自給農の技術を後世に残すことだと思っている。その目的があるから、今やっているのぼたん農園の作業は、すごくやりたい意欲が湧いてくる。身体はだんだん長くは働けなくなっているのだが、コツコツ続けている。

 好きなことが、世の中の役に立ちそうだと言うことが嬉しい。のぼたん農園の作業をすることは、何か有意義なことをやっていて、自分だけのためではないという気持ちになれるのだ。こんなに嬉しいことは無い。と言っても、のぼたん農園の目的が理解されるのは、50年後だろう。

 今年も学校田をやる。ここで稲を作った小学生達が私ぐらいになった頃に、のぼたん農園の意味を分ってくれるかも知れない。ここに在る自給農業の形が、その時代の目標になっているかも知れない。そのくらいの気持ちで日々取り組んでいる。好きなことだから、やりきりたい。

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川勝平太静岡県知事の辞任

2024-04-12 04:35:46 | Peace Cafe


 川勝氏が失言で辞任になった。残念なことだった。右翼報道に狙われていたのだから、用心して欲しかった。川勝氏が早稲田大学の教授だったころに、農文協で企画した座談会でお会いし、話を聞いて頂いたことがある。小さな農家が政府の農政の結果継続できなくなる話をしたが、良く理解してくれた。

 何故政経学部の教授が農業の話のまとめ役なのか分らなかったが、これからは市民が自給農をする時代が来ると言うことを、理解して貰えたと思えた。何を答えてくれたのかは忘れてしまったが、紳士的な立派な方で、反政府の印象は強かった。

 その後静岡県知事になられた。リニアモーターカーの反対で目立っていた。いわゆる報道機関ではまるで工事を止めてしまう、元凶のように書かれることが多かったが、このリニアの中央アルプストンネルは、許されれない、破壊工事だと考えていたので、川勝氏が頑張っているのを応援する気持ちでいた。

 いまや残念なことに報道は大本営発表しか出来ない。批判精神を喪失した。調査報道の能力を失った。だからこのリニアモーターカー工事のとんでもない実態が理解も出来ないのだろう。だから伝えようとしない。この工事は全く現実的では無いような工事なのだ。実際に一日平均1m程度しか進んでいない。

 それは川勝知事とは関係の無い、実現不可能とも言える難工事なのだ。この不可能な工事をごまかすために、川勝氏を取り上げてごまかしてきたのだ。そして、川勝氏を悪者に仕立てるために、失言をことさらに取り上げてきたのだ。足をすくう報道の共同作戦だ。

 多分そういう依頼を受けての報道の忖度報道に違いない。だから川勝氏はどんなに腹が立とうと辞任しては成らない。まさかの辞任報道で、がっかりした。自民党政治家のような、厚顔無恥の粘りは無かった。あの二階氏は「馬鹿野郎」まで発言して、報道はスルーだ。

 森氏など失言のオンパレードだが、パー券キックバック問題では、筆頭の責任者にも関わらず、政倫審にも出ないで済まそうとしている。何故責任者が守られるのかおかしな政党と報道である。犯罪行為として告発すべき責任者が見逃されている。

 川勝知事は学者だから、知性を重んじる人なのだろう。職員に知性在る仕事を期待したい。と言うことだったのだろう。確かにその発言の際に、分りやすい比較として、肉体労働者ではないという意味を持ちだしたのだろう。分りやすい事例が良くは無かった。

 しかし、その通りだと思うのだ。小田原では、農政課の職員が直接道路直しをしたりする肉体労働をする。費用が無いから自分たちで工事をしてしまうと言うのだが、高い給与の市の職員かもしれないが、肉体労働者に較べて運動能力は格段に低い。仕事が農家の半分だ。これも差別発言になるか。

 市の事務職員が肉体労働はやってはならないということだ。多分静岡県でも同じではないか。頭を使って仕事をしろと日ごろから言いたかったのだろう。県の事務職員は頭脳労働者と言うことだろう。それは別段肉体労働者を差別することではないだろう。言い方は良くは無かったのだろうが、趣旨は理解できる。

 百姓の一人として、肉体労働者はとても素晴らしいと思っているから、肉体労働を低くみる考え方自体が間違いだと思う。給与が安い世の中の方が異常だと思う。給与は頭脳でも肉体でも同じだろう。ここに能力差別の問題がある。頭の方が肉体より偉いはずが無い。頭も身体も繋がっている。

 先日、世田谷区の障害福祉課のかたから、障害者差別に対する法律が出来たことの説明を受ける機会があったのだ。石垣市でもそういう説明が進んでいるはずだ。様々な障害者の能力差別がとても気になっている。使える障害者の雇用が優先される。

 この説明を聞いていて、改めて能力差別が根本問題にあると考えた。能力差別に踏み込まずに、障害差別だけを取り上げるために、差別の根源に踏み込んでいない。障害で人間は差別されては成らない。その本質的な意味は人間は能力で差別されてはならないと言うことのはずだ。

 能力を用いて、お金持ちになったのだから、その立場は大切にされてしかるべきだという考え方の世の中である。この考え方が、差別の背景にある。能力がないから、貧乏であるのは仕方がないと言うことになる。障害があるので、能力が阻害されているから、貧乏でも仕方がないとなりかねない。

 日本国憲法第二十五条は、(1)「すべて国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」 この意味はすべての国民は等しく健康で文化的な最低限の生活を営むべきである。と考えて良いのだと思える。能力があるから贅沢な生活をするなど、馬鹿馬鹿しいことだ。

 誰もが普通に平等に暮らして、生きられればそれでいいのだ。何故金持ちと貧乏人が居るのか。それは能力の違いだから仕方がないと、決めつけて良いものだろうか。みんなが普通に暮らして、好きなことをして生きれば良いのではないか。特権階級が居なくなれば、社会はそれが可能になるはずだ。

 みんなが楽しく暮らす。それが社会の目標ではないのか。障害者差別を問題にする根本に能力差別の問題があることを忘れては成らないと思う。川勝知事辞任のことだった。報道は全く低下したのだ。沖縄の報道はさすがにそうではないが。石垣島でも八重山毎日新聞以外の大手の報道は偏向している。

 特にNHKはひどい。何故かは想像できる。誰かを忖度しているのだ。あらゆる機会にのぼたん農園を取材して欲しいとお願いしているが、一度も来たことすら無い。何故か避けている。報道はしないでもかまわないが、実情の取材はして欲しいとメールを出すのだが、見に来ることすら無い。今度銀行の方々がやる稲刈りの取材に来て欲しい、と嫌みのメールを出してみよう。
 


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紅麹菌、薬と毒は紙一重

2024-04-11 04:16:03 | Peace Cafe


 紅麹菌のサプリメント「紅麹コレステヘルプ」 サプリで5人の死亡が疑われている。70代が3人、90代が1人、年齢不明が1人だったと公表した。また、日本腎臓学会の調査で、患者の初診日は2023年12月以降に集中していることも明らかになった。

   紅麹菌の問題では無く、混入していた何かしらの物質が原因しているらしい。しかし、このサプリ問題が、サプリという製品に伴う危険という、問題の本質に一行進まない点が気がかりだ。サプリは危険なものだ、使っていればすべて止めた方が良い。

 サプリを止めて、紅麹菌のように、薬成分を多く含んでいるものは、薬として扱い、薬としての扱いにして、国の検査体制内に置くべきである。薬であれば、他の薬と同時に服用して良いかも、医師や薬剤師の管轄になり、安全性が一段上がることになる。

 紅麹菌をあえて薬とせず、サプリとして販売するのは、商業主義に基ずく発想である。サプリとして自由販売をして、売れ行きが良かったのだ。コレストロールが下がるサプリとして、むしろ薬では無いから安全だという間違ったシグナルになってしまった。

 薬は仕方がないので飲まざる得ない。病気を治すためだから、少々薬害の問題があっても、はっきりと病気を治す物質と確認されているのだから、がまんして飲むほか無い。それでも薬には必ず、問題点が含まれている。物質で身体の問題点を直すと言うことは、身体に影響があると言うことになる。良い影響だけではないことも確かである。

 薬と毒薬は似ている。今回、紅麹菌の健康被害は最初シトリニンが精製されたのではないかと疑われたが、そうとも限らないとも言われている。まだ疑うべき物質は他にもあるらしい。小林製薬の使っている紅麹菌はシトリニンを精製しないと言う、優秀な選抜個体を選抜した他社が見付けた、紅麹菌を買収して使っている、と書かれていた。

 それでは何が原因かと調べを進めたところ、怪しいのは「プベルル酸」という青カビから発生することがある物質が健康被害の訴えがあった製品のロットで確認されたという。昔家で付いたお餅には青カビが生えた。青カビは良くないから削っていた。削って食べていたが、無くなるわけではないそうだ。その程度食べたからと言って問題は無い。

 青カビはペニシリンを作るから悪いものではないとも言われていた。「プベルル酸」はマラリアの薬として使われているという。つまり、薬でもあるし、毒でもある物質。「プベルル酸」が腎臓を痛めるものだと言うことも分っているわけでは無い。

 まだ本当の原因の特定までは行かないが、「プベルル酸」が検出されたロット以前のものから、健康被害は出ていなかったのだから、やはり「プベルル酸」が原因したと考えることが、一番可能性が高いことになる。しかし、その他のものが動じに精製されていた可能性はまだ残っている。マラリアの薬として使われる量なら、健康被害は無かったと言うことではないだろうか。

 フレミング1928年に青カビからのペニシリンの発見をした。シャーレの中で、青カビ周囲のブドウ球菌が死滅していたのに気付いた。フレミングは「鼻汁に含まれている物質(リゾチーム)で細菌が死滅すること」 をシャーレで確認する。

 パンやお餅に出てくる、毒である青カビが、実は薬にもなるものだったのだ。プベルル酸もやはり、毒でもあり薬でもある。適量であれば薬として利用できる。しかし、量を間違えば死に至る。すべての薬がそ言うものだろう。薬ほどではないと思われる危険が実はサプリにはある。

 普通食事からは取り入れることなど絶対に無いほどの量を、一気に身体に入れてしまうのが、薬やサプリである。身体の問題で必要であるなら、利用するのも止むえない場合も無いとは言えないが、それは医師の指示で判断しなければならない。

 素人療法で、おかしなサプリを使うなどやってはいけないことだ。今回の麹菌サプリ問題は、巧みにサプリから批判がそらされている。想像されるのは、報道機関のお客さんであるサプリ業界へ気を遣っている商業主義である。批判をサプリ全体に向ければ、コマーシャルが取りやめられるからだ。

 薬の場合はお医者さんや薬剤師さんがコントロールしているからまだ良いのだ。コマーシャルだって制限をされている。製薬会社も薬剤への異物の混入に対しても、極めて慎重である。しかし、サプリの場合はこの点が怪しい。国の試験や監視が無いのだ。しかし、外国では薬として扱われるような物質が、栄養食品やら、機能性食品として、売り出されている。

 サプリに対する、監視や検査態勢が甘いと言うことも、よりサプリの危険度を増している。サプリを常用していて、元気が出ると言っていた人が、ガンになった事例を友人で2人いる。薬で元気を出すなど良くないよといつも言っていたのだが、聞く耳が無かった。

 もちろんがんの原因がどこにあったのかは分らないが、私にはどうしても疑われるほど、2人ともサプリを何種類も常用していた。サプリに含まれる物質が、肝臓や腎臓に負担をかけている可能性はある。極端な偏食をしているような状態だ。

 今回は高血圧気味とか、あるいはコレステロール値が高いから、紅麹菌サプリを使っていた人達だ。何故、医師に相談して正式な薬を使わなかったのかと思う。高血圧の薬を常用すると、他に問題があるからいやだったというのかも知れない。それで、サプリならと考えたとしたら大間違いだ。

 サプリの方が危険度が高い。薬ならば、医師がその薬の影響を見てくれている。これはまずいと気付いて、薬を変えるような処置が執られる。医師のチェックがあれば、ひどくなる前に気付けるのだ。サプリに関しては医師は変なサプリを飲んでいるなど気付かず、普通医師に遠慮して、サプリのことなど話さないだろう。

 先ずは食事療法である。多様なものをすこしづつ食べる暮らし。高血圧ならよく言われるように塩分控えめである。そして適度な運動である。そして十分な睡眠をとり、たばこは止める。酒は控えめ。緊張の無いゆっくりとした暮らしをする。生活を改善して高血圧が改善されることは、少なくないはずだ。

 サプリの無料攻撃を避けなければならない。ただより高いものはないのだ。無料サンプル期間ぐらいならば、身体を損なうほどのことは無いだろうが、それでついつい洗脳されかねない。それで血圧が下がれば、サプリの御陰だと思い込まされるだろう。

 サプリを飲むくらいだから、他の対策も合せてやっている。食事を注意していたので、直ってきたのかも知れない。それでもついつい、サプリを飲んで改善したと思い込まされる。それで定期購入は割引があるなどと、追い込んでくるので、常用してみようかと言うことになる。

 サプリは薬と同じような危険がある。サプリを飲むくらいなら医師に相談して薬を飲むことだ。もちろん、薬も飲まないで生活改善がまず第一だ。私はそうしてきた。敷かし、緑内障では眼圧の低下の薬を使っている。この薬も目のまわりを腫らす薬害が伴う。

 あまりにかゆくて腫れるので、医師の指示で、今ひとつの目薬を止めている。そして、副腎皮質ホルモンの塗り薬を使っている。こういうのも常用しない方が良いに決まっている。かゆみがたちどころに直るだけに怖い。敷かし、眼圧を下げなければ、視野がさらに狭くなる。痛し痒しだ。

 
 

 
 
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朝のテレビ小説「虎と翼」のシシヤマザキさん

2024-04-10 04:38:04 | 楽観農園


 今度のNHKの連続小説は「虎と翼」この冒頭のタイトルバックがすごい。シシヤマザキさんというアニメーション作家の作品である。歌も流れるのだが、米津玄師さんが作詞作曲で歌う「さよーならまたいつか!」もわるくない。以前のこの人の作ったパプリカは良かった。合せて踊ったものだが、こんどの歌もまたいい。

 シシヤマザキさんは芸大のアニメーション科を卒業した人と言うことだ。芸大にそういう科ができていたと言うことすら知らなかった。34歳だという。この作品は主に水彩画を使いながら、動画としての新しい表現の映像だ。この新鮮さが素晴らしい。ともかく度肝を抜かれた。

 アニメーションが、絵画を越えている時代と言うことを思い知った。途中に出てくる墨絵もいい。目の表現の変化がまた良い。様々な手法で描く目。眼で見るという意味が、目を見ると言うことで、表わされている。目を描いていて、いつの間にか目が見ている世界が広がって行く。

 水彩の多様な表現が使われる。その処理がまたすばらしい。水彩の意味を水彩画以上に旨く表現している。もしかしたら本当の水彩を使わないのかも知れない。水彩のように見える、パソコン上の表現があるのかも知れない。デジタルで水彩画的な表現が出来るのかも知れない。

  まあ水彩で紙に描いて、パソコンに取り込んだ方がやりやすそうだ。しかし、これは昔の水彩画をかく人間の考えかもしれない。方法が違うからあのようなアニメーションが生まれたと考えた方が良いのだろう。と思うが、セル画画が存在するのか。セルでは水彩は描きにくいので、やはり紙か。

 斬新であり、時代の精神が表現されている。次の世界の表現が模索されている。実に軽やかに時代を超えている。芸術表現というものは、こうしてあるときに時代を超えているという事が分る。この飛躍は決定的なもので、次の時代の希望を感じさせるところが嬉しい。次の時代は結構古ぼけている。

 一見デザイン的な表現だ。つまり動画は説明的要素が強くなるものらしい。起承転結の要素が必要になり、物語化する。アニメの中でマチスと横尾忠則が合併している。アールヌーボー的な物もあるかと思えば、モネの印象派的な光まである。それが、映像として総合されて動いて行く。

 ある意味旧来の表現の真似で出来ているのだが、動画と言う形で利用することで創造に見える。装飾的な表現が、動画であるからこそ際立つ。ある意味当然なことなのだ。表現法に特別なことは無い。その組み合わせをアニメーション化出来たことがすごいのだろう。

 ざんねんな所が一点ある。最後に現実映像に戻るところがしらけている。芸術作品には種明かしなどいらないものだ。世間を少し甘く見たのかも知れない。世間は露骨なものしか見ないと考えているかも知れない。やはりテレビのため少しよそ行きだったか。

 テレビに遠慮の気持ちがあるのかも知れない。タイトルバックという制約から必要なものを考えたかも知れない。この辺の常識的なところが、この人がテレビで使われた理由なのかも知れない。説明をしなければ理解できない人を対象にしない方が良い。

 これほどの才能の人であれば、観客を意識する必要など全く無い。最後に種明かしが無くても、それまでの画面で充分に伝わってくる世界観がある。肝心なことは、ここに確かな映像による世界観の、思想の、哲学の、表現があると言うことで良い。

 日本のアニメはレベルが高いと言われてきたが、あくまで描写映像の範囲で、次の時代の映像美までは実現できていないとおもっていた。甘く見ていたことが恥ずかしい。シシヤマザキ氏はジブリアニメの領域では無いのだ。ジブリは最初のアニメション映画と言われた「白蛇伝」を越えては居ない。

 それはアカデミー賞を受賞した宮﨑駿監督の「君たちはどう生きるか」でも映像表現としては物足りない。「君たちはどう生きるのか」で唄うのは米津玄師の「地球儀」米津氏はアニメーションに適合する世界観があるのかも知れない。そういえば、ジブリの「いつも何度でも」はよく歌った。

 どうだろうか、この2作品を比べて見ると、映像としてはシシヤマザキ氏の作品がはるかに優れていることが分る。宮崎駿はまだまだ過去の古くさい映画の世界の描写を引きずっているままで、映像としては芸術的表現までは行けない。時代を切り開いていない。古い説明に満ちている。

 それは映画という入場料を払う観客のレベルを反映しているのではないか。あくまで興行収入を意識している理解の範囲の映像なのだ。所が、シシヤマザキ氏の作品はNHKテレビであることが幸いしたのではないだろうか。却って自由に飛躍出来たのでは無いだろうか。

 シシヤマザキ氏のプロフィールによると、何と毎年陶芸作品の個展をしているという。何でもやるし、できる人のようだ。多才で好奇心の強い人と思われる。若い絵画の作家達が、ひどく技巧的になっている気がしていたのだが、こういう人も居たのだ。

 この人のやっているお絵かき教室というものがある。ズーム教室のようだ。月二回で2000円らしい。現在生徒は85名と出ている。こういう姿勢がおもしろい。新しい時代の思想家なのだろう。久しぶりで作品を見せて貰って元気が出てきた。実に嬉しい。まだまだこれから新しい世界を見せてくれる人に違いない。

 このお絵かき教室の目標は、「視野を広げ、思想を深める」というのだからすごい。絵を描く以前の問題に踏み込んでいる。その通りなのだ。芸術は人間に踏み込まなければならない。あなたのお絵かきがつまらないのは、あなたがつまらないからです。と言うことになる。

 この人の才能は半端ではない。次の時代の人にちがいない。間違いなく、次の芸術を生み出す人と考えて良いだろう。あえて言わせて貰えば、もっとダメでもいいじゃん。だめなままの人間が出てきた方が、さらにおもしろい。人間そんなきれい事では無い。

 私だってズーム教室をしてみたいが、古くさくてだめだ。到底及ばない。私が考えるお絵かき教室だ。「すばらしい人間になる為の絵の描き方。」しかし、その教室は素晴らしくない私ではやはり開催できないだろう。あのアニメーションあっての、シシヤマザキさんである。

 毎朝あのアニメーションがしばらく見ることが出来る。きっと一〇〇回ぐらい見れば、あのアニメーションが見えてくるはずだ。そうかユーチューブの映像でスロー再生にしてみるという手があった。展開が早すぎて、ついて行けないというのが、私の感覚の早さだ。若い人にはきっとあの速度が良いのだろう。

 

 
 
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