アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

イランを挑発してガザ攻撃批判逸らすイスラエル

2024年04月18日 | 国家と戦争
   

 イランの報復攻撃(日本時間14日午前)を境に、イスラエルを見る世界の目が一変しました。加害者を批判する目から、被害者に同情する目へ。
 それを演出したのはイスラエル自身とアメリカをはじめとするG7諸国であり、加担したのが西側メディアです。

 G7 はまるで待ち構えていたように、14日早々にオンライン会議を開催。「イスラエルとその国民に対する全面的な連帯と支援を表明し、イスラエルの安全保障に対する我々の関与を再確認する」という声明を発表しました(15日付朝日新聞デジタル、写真中)。

 それを受けて16日、朝日新聞は「イランの攻撃 報復の連鎖 総力で断て」、毎日新聞は「イランの大規模攻撃 報復の連鎖断ち切る時だ」と題する社説を掲載しました。共同通信は「イスラエルがイランに反撃するかどうかが焦点」とする解説を配信しました(16日付京都新聞)。

 上川陽子外相は16日、イラン外相に電話で「強く非難する」とし「自制を強く求め」ました(17日付共同)。

 そもそも今回のイランのイスラエル攻撃の発端は、イスラエルによる在シリアのイラン大使館空爆(1日)という暴挙です。大使館を空爆されれば報復は必至です。イスラエルのイラン大使館攻撃はそれを見越した(それを誘発する)明白な挑発行為です。

 ところがこのイスラエルのイラン大使館空爆について上川外相は、「イスラエルは関与を認めておらず、事実関係を十分に把握することが困難で、確定的な評価は差し控えたい」(17日付朝日新聞デジタル)と述べイスラエルを擁護しました。二重基準(ダブルスタンダード)も甚だしいと言わねばなりません。

 中東調査会の高岡豊・協力研究員(中東地域研究)もこう指摘します。

「在外公館の安全は外交関係の基本なのに問題が軽んじられている。イランがイスラエル領を攻撃するのが悪いのなら、イスラエルがやってきたことはどう評価するのかという問いに答えなくてはならない」「問題化した起点が恣意的だ。日本を含むG7 諸国の対応は他国から二重基準とみられかねない」(17日付朝日新聞デジタル)

 イスラエルとアメリカはじめG7 各国の狙いは明白です。世界の目をガザから逸らせ、イスラエルによるガザ攻撃(ジェノサイド)への批判をかわすことです。

 慶応大大学院の田中浩一郎教授(西アジア地域研究)は、「イスラエルが在シリアのイラン大使館領事部という「飛び地」を攻撃し挑発したことで、イランが直接手を下すしか選択肢がない状況になっていた」とし、「報復の連鎖が起これば、パレスチナ自治区ガザでの戦闘から「国対国」の次元の違う戦争に発展する恐れがある」(16日付京都新聞=共同)とその狙いを指摘します。

 さらに田中氏はこう予測します。

「イスラエルが反撃しない可能性は低いが、米国からの圧力で自制に応じた場合には「対イランで妥協した」引き換えとしてガザの戦闘を激化させかねない」(同)

 それはまさに悪魔のシナリオと言わねばなりません。世界の目がイランに向けられている間にもイスラエルはガザを攻撃し続けており、犠牲者が続出しています(写真右)。

 「焦点」は「イスラエルがイランに反撃するかどうか」などではありません。イスラエルのガザ、ヨルダン川西岸のパレスチナ自治区に対す攻撃・ジェノサイドを直ちにやめさせることです。それ以外に焦点はありません。

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日米比首脳会談で原発輸出を合意した岸田政権

2024年04月17日 | 原発・放射能と政治・社会
   

 米バイデン政権の意向で行われた初の日米比首脳会談(日本時間12日)で、メディアが注目していない重要な問題があります。日本がフィリピンへ原発を輸出することで合意したことです。

 日米比首脳会談の共同声明には、「フィリピンのインフラ整備で協力する」とあり、その中に「フィリピンの民生用原子力の能力構築を支援する」があります(12日付京都新聞夕刊=共同)。

 これだけでは何のことかよく分かりません。実は首脳同士の会談と並行して、斎藤健経産相、レモンド米商務長官、パスクアル・フィリピン貿易産業相の会談が同日ワシントンで行われました。そこでは次のことが合意されました。

「会談では、中国が影響力を強めるクリーンエネルギーでも協力が確認された。目玉は日米両国の大手企業が注力する次世代型原発の小型モジュール炉(SMR)。フィリピンへの導入に向けた調査や人材育成などを進める。
 原発輸出は中ロが先行し、核不拡散の側面で懸念が大きい。フィリピンにとっても、電力の安定供給は必須だが、対立する中国への電力依存は避けたい考えだ。日米にはSMR導入が、中ロの影響力の低下につながる」(12日付朝日新聞デジタル)

 日米両国の原発企業が力を入れる次世代型原発の小型モジュール炉(SMR)をフィリピンに輸出する。それは中ロに対する政治的対抗でもある、という合意です。

 日本(自民党政権)は東京電力福島原発「事故」に何の反省もなく、原発再稼働をすすめていますが、自国で原発を続けるだけでなく、アメリカと一緒になってフィリピンにも輸出するというわけです。

 岸田首相は米議会での演説(日本時間12日)で、「広島出身の私は、自身のキャリアを「核兵器のない世界」の実現という目標に捧げてきた」と述べましたが、それがいかに厚顔無恥なウソであるかはこの一事をとっても明らかです。

 さらに留意する必要があるのは、原発の輸出はフィリピンの人民・民主化運動への敵対でもあるということです。

 フィリピンはかつて、現在のマルコス大統領の父・マルコス大統領の独裁政治の下で、米ウエスチングハウス社製のバターン原発の建設が強行されました(1976年着工)。これに対し、原発に反対する各界各層の市民によって「非核フィリピン連合」が結成され(81年)、「非核バターン運動」が展開されました。

「マルコスの軍事独裁政権に立ち向かった人々にとって、バターン原発はマルコスの悪行と不正を象徴するモンスターだった」(ノーニュークス・アジアフォーラム編著『原発をとめるアジアの人びと』創史社2015年、上記の経過も同書より)のです。

 原発の輸出は、核の拡散だけでなく、現地の市民運動に敵対し、「モンスター」を再来させるものです。日本の市民として絶対に容認することはできません。

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自衛隊の「大東亜戦争」記述と「尊皇攘夷」思想

2024年04月16日 | 自衛隊・日米安保
   

 陸上自衛隊第32普通科連隊(さいたま市)が5日公式SNSに「大東亜戦争最大の激戦地硫黄島」と投稿したことが8日朝の報道で発覚して問題になったことから、自衛隊は同日午後、この記述を削除しました(写真左は削除前、中は削除後)。

「大東亜戦争」の記述はなぜ問題なのか。それを最も的確に報じたのは、(私が見た限り)韓国のハンギョレ新聞でした。

大東亜戦争という用語は、太平洋戦争のA級戦犯である東条英機内閣時代の1941年、公式な表現として閣議決定された。この表現は、日本の主張した「欧米の帝国主義からアジアの植民地を解放し、大東亜共栄圏を築いてアジアの自立を目指す」とする「大東亜共栄圏構想」から来たものだ。敗戦後、日本を占領した連合軍総司令部(GHQ)は、公文書などでもこの用語の使用を禁止した」(9日付ハンギョレ新聞デジタル日本語版)

 「大東亜」という用語が公式文書に登場したのは、東条内閣の閣議決定よりさらに1年前の第2次近衛文麿内閣にさかのぼります。

「1940年7月に成立した第二次近衛内閣は、同盟国ドイツのヨーロッパ戦線での快進撃という新情勢の展開に促され、組閣直後に「基本国策要綱」を閣議決定した。そこでは「大東亜新秩序の建設」が打ち出され、新たな中国支配構想を提唱した」(纐纈厚著『侵略戦争』ちくま新書1999年)

 「大東亜(戦争・共栄圏・新秩序)」が、帝国日本のアジア侵略・植民地支配を象徴する言葉であったことは明白です。

 さらに留意すべきは、「大東亜共栄圏」思想は天皇崇拝と密接な関係にあることです。

「大東亜戦争の目的は、アジア人が共存共栄する「大東亜共栄圏」の建設だとされました。ここに至っても、尊皇攘夷の思想が焼き直されているわけです。現実はもちろん違います。世界大恐慌のあと…東アジアだけでは資源が足りない。とくに石油がありません。そこで「東亜」を「大東亜」に拡大し、東南アジアや南アジアまでを占領し、ブロック経済をつくらなければならないと考えた。これが「大東亜共栄圏」の現実でしょう」(片山杜秀・慶応大教授、島薗進・東京大名誉教授との対談集『近代天皇論』集英社新書2017年)

 「大東亜共栄圏」思想は、幕末から明治維新にかけて天皇制政府を樹立・強化するための思想だった「尊皇攘夷」の焼き直しだという指摘です。
 さらにそれは、現在の自民党政権と無関係ではありません。

 前掲書で片山氏と対談した島薗進氏は、安倍晋三首相(当時)が2016年のG7サミットで各国首脳を伊勢神宮に参拝させた(写真右)ことについてこう指摘しています。

尊皇攘夷で育まれ、日露戦争勝利で膨張した対外優越意識が、伊勢志摩でよみがえってしまったところがありますね。戦前に回帰するように、現在の政権もなんとかして伊勢神宮に国家的な地位を与えようとしているわけです」(前掲、片山氏・島薗氏対談集)

 自衛隊は最近、陸自隊員や海自隊員の参拝、元将官の初の宮司就任など、靖国神社との接近を強めています(3月19日のブログ参照)。そして今度は「大東亜戦争」。
 それらは無関係なようで根は1つです。根底にあるのは「尊皇攘夷」思想―天皇崇拝と対外優越意識・アジア人民蔑視であり、行き着く先は侵略戦争・植民地支配肯定です。

 こうした自衛隊の体質が、「軍拡(安保)3文書」による日米安保条約(軍事同盟)のかつてない深化の中で表面化してきているところに、現在の情勢の危険性が端的に表れています。

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「沖縄にフィリピン軍駐留も」軍事協力で学者が見通し

2024年04月15日 | 沖縄と日米安保
  

 初の日米比3カ国首脳会談が11日(日本時間12日)ワシントンで行われ、共同声明で「自衛隊と米比両軍の海上共同訓練の拡充」が明記されました。日米安保条約(軍事同盟)をフィリピンとの関係にまで広げようとするものですが、フィリピンの専門家は今後の方向として、「沖縄にフィリピン軍を駐留させても良い」と述べました。

 フィリピン・デラサール大のレナート・デカストロ教授(国際政治)(写真右)が朝日新聞のインタビューに答えました。

「(日本とフィリピンの防衛協力の未来についてどう展望しますか?との質問に)どんどん接近するでしょう。米国は戦略的なバランサーですが、この地域に常にいるとは限りませんから、私たちはもっと協力しなければなりません。
 日本とフィリピンは、この地域が中国に支配されることを望まず、共通の利益や海洋関係があります。日本でも、沖縄にフィリピン軍を駐留させるようになれば、日本の利益にもなるでしょう」(12付朝日新聞デジタル)

 軍事同盟関係にない軍の駐留は本来ありえませんが、ただの妄想として見過ごすことはできません。

 日米比3カ国首脳会談の冒頭、岸田首相は「法の支配に基づく自由で開かれた国際秩序の維持、強化に向けて同盟国、同志国との重層な協力が重要だ」と述べました(12日付京都新聞夕刊=共同)。

 フィリピンのマナロ外相は2月、朝日新聞などのインタビューで、「自衛隊とフィリピン軍の相互往来を促進する円滑化協定について早期締結に意欲」(13日付朝日新聞デジタル)を示しました。「日本との安全保障協力をさらに深める構え」(同)です。「相互往来を促進する円滑化協定」なるもので何を目論んでいるのか。

 日本政府も「「いまがフィリピンを引き寄せる好機」(外交筋)と捉える。安全保障や防衛、経済など幅広い分野で協力を一層深める構え」(13日付京都新聞=共同)です。

 そもそも今回の岸田首相の訪米による日米首脳会談について、琉球新報は「沖縄無視の同盟強化だ」と題した社説でこう指摘しました。

「「南西シフト」を軸に自衛隊と米軍の一体化運用を強く打ち出した日米首脳会談や共同声明は基地負担の軽減を求める県民の願いと逆行するものだ。沖縄を無視した同盟強化だと言わざるを得ない」(13日付琉球新報)

 このうえ、日米比首脳会談が「沖縄にフィリピン軍駐留」へ向けた契機になるとすれば、基地負担の一層の強化・戦争最前線地化の危険がさらに強まることになります。「沖縄無視」どころか、“第2の沖縄捨て石”化と言わざるをえません。

 今回、「日米比首脳会談の開催を水面下で主導したのは米国」(13日付朝日新聞デジタル)であり、それは「米国が日比の間に入り提携強化を促す動きは、バイデン政権が進める包括的な対中抑止戦略の一環」(同)です。

 すべての根源は日米安保条約(軍事同盟)です。同条約廃棄への世論を広げなければ、日本は本当に大変な事態になります。その危険の最前線に立たされているのが沖縄(琉球)です。

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日曜日記297・映画「かづゑ的」に今に残る差別を見た

2024年04月14日 | 日記・エッセイ・コラム
  ドキュメント映画「かづゑ的」(熊谷博子監督)が12日京都で封切られた。初日に観た。
 熊谷監督のラジオインタビュー(「ラジオ深夜便」)などである程度の予備知識があったが、宮崎かづゑさん(おそらく現在96歳)の凛とした生きざまが胸を打った。期待にたがわなかった。

 かづゑさんは10歳で瀬戸内海にある国立ハンセン病療養所・長島愛生園に入園し、現在に至る。社会からはもちろん、家族からも、園内でも、差別を受け続けた。熊谷監督は8年間、かづゑさんに密着して(寄り添って)撮影した。

「みんな受けとめて、逃げなかった」

 かづゑさんのこの言葉に、人として、ハンセン病サバイバーとしての自尊と決意が集約されている気がした。
 78歳でパソコンを覚え、84歳で自伝『長い道』を著した。

「できるんよ、やろうと思えば」それがかづゑさんの口ぐせだ。

「この映画は、ハンセン病が背景にあるが、それだけではなく、人が生き抜くためには何が大事なのか、普遍的なことを描いたつもりだ」

 熊谷監督はこう語っている(日本ジャーナリスト会議機関紙「ジャーナリスト」2月25日号)。その意図は間違いなく観る者に伝わるだろう。

 だが、かづゑさんのたくましい生き方に魅了されるほど、その裏にある差別が痛々しい。

 久しぶりに訪れた故郷で墓参りしたかづゑさんは、墓石にしがみつき、「おかあちゃん」と呼び泣き続け、しばらく離れなかった。

 90歳代にしてはかづゑさんの顔はつややかだ。それが第一印象だが、「顔にシワがないのは病気(ハンセン病)のせい」だという。皮膚が引っ張られる。下まぶたが目を覆う。それを絆創膏で防いでいる。

 慰問にきた人たちなどが唱歌「ふるさと」を歌うことが少なくないという。だが「この歌だけはやめてほしい」とかづゑさんは言う。故郷をしのんで良かれと思って歌われる「ふるさと」は、10歳でひとり家を離れなければならなかった(国家の誤った隔離政策のため)かづゑさんにとっては、辛い歌なのだ。

 顔のシワも、「ふるさと」も、言われて初めて気付く。言われなければその苦しみに思いは及ばない。“見えない差別”を教えられた。

 かづゑさんの人生を支えたのは、園で知り合い結婚した2歳年上の孝行さんの存在だ。二人の掛け合いは時にユーモラスで、映画の救いにもなっている。
 それだけに孝行さんに先立たれた(2020年7月)時のかづゑさんの落胆は大きかった。

 孝行さんの骨壺を抱えて「すぐ行くからね」と語り掛けるかづゑさん。園の入所者は故郷の墓ではなく、全員、園内の納骨堂におさめられることになっている。せめて孝行さんの隣で眠りたい。それがかづゑさんの願いだ。だが、それは叶わない。骨壺は死亡した順番に並べられることになっている。

 なぜそういう「きまり」になっているのか、映画では説明はなかった。しかし、どう考えてもおかしい。一律に園内の納骨堂におさめられる(埋葬の自由がない)のも不可解だが、骨壺を並べるとしても死亡順にしなければならない理由がどこにあるのだろう。せめて夫婦で隣同士に並べて欲しいというささやかな希望がどうして叶えられないのだろう。

 がんじがらめの規則に、今に残る差別を見る思いだ。
 かづゑさんを孝行さんの隣で眠らせてあげたい。

 1つ、印象的な場面を付記する。

 かづゑさんは若いころ(確か17歳)、園の交流雑誌の巻頭に文章を寄稿し、貞明皇后(裕仁の母)の短歌を賛美した。軍国主義の真っ只中であり、ハンセン病療養所と天皇制は密接な関係にある(2018年5月22日のブログ参照)。

 そのかづゑさんが「平成」から「令和」の改元で世の中(メディア)が大騒ぎしているとき、「そんなものに興味(関心だったか?)ない」と一蹴した。

 この変化は、時代の違いだけではないと思う。

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