詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

野沢啓「藤井貞和、自在な〈ことば力〉--言語隠喩論のフィールドワーク」

2024-04-21 11:48:36 | 詩(雑誌・同人誌)

野沢啓「藤井貞和、自在な〈ことば力〉--言語隠喩論のフィールドワーク」(「イリプスⅢ」7、2024年04月15日発行)

 野沢啓「藤井貞和、自在な〈ことば力〉--言語隠喩論のフィールドワーク」は、とても「正直」な文章である。藤井の『ピューリファイ!』の数篇の断章を引用し、「まったくわからない」ということについて、書いている。
 なぜ、「正直」というか。
 いままで野沢は「わからない」ことがあると(つまり考えていて自分のことばが動かなくなったとき)、もっぱら西洋の哲学者やら日本の評論家やら、他人のことばを引用していた。自分のことばを組み立て直すのに、自分のことばを点検し、変更するのではなく、それはそのままにしておいて、他人のことばで新たな「言語構造」を作り上げていた。野沢の「根本」はそのままにした「自己拡大」、「野沢のことばの世界の拡大」である。その「拡大」の仕方を評価する人もいるのだが、私はこういう「自己拡大」は「誇大妄想」に似ていると思う。「正直」とは思わない。
 「わからない」ときは、何か自分のなかに「不完全(間違った)」ものがあり、それが「かわる」をつまずかせる。その「つまずきの石」を取り除くこと、解体することが大事。つまり、つまずきの石の周辺を平らかにし、そのまま歩けるようにすることが大事。「つまずきの石」を越えるために、そこに「巨大な橋」をかけてわたるのは、まあ、確かにつまずかないことにはなるが、そんな方法では「巨大な橋」がいろんなところにできてしまい、「巨大な橋」のつくりだす迷路のために、どこの橋をわたれば目的の場所につけるか迷ってしまうだろう。野沢は、いや、迷うことはない、と言うだろうが、野沢の文章を読んだひとは迷う。少なくとも、私は迷う。
 迷った挙げ句に、迷ったと白状するのが嫌いなひとは、ときどき野沢の構築した巨大な橋の群れに「すばらしい」と声をあげるのだが、私には、そのすばらしいは「私は面倒だからもうその橋をわたらない」と言っているように聞こえる。
 「わかる」というのは、基本的に「単純化」して消化することであり、「複雑化」してみせることではないと私は考えている。

 で。
 藤井貞和の詩を「わからない」と言った上で、野沢が「わかろう」としているのは「書かれなかった『清貧譚』試論のために」という作品である。藤井は、この詩のなかで太宰治の娘・島津佑子と旅行したときのことを「小説風」に書いている。島津が藤井に、「あなたのいちばんすきな/太宰治の作品は/なに?」と聞く。

わたしはそくざに『清貧譚』と答えました
太宰の娘の両のひとみから
おおつぶの涙があふれ出ました


 そのあと藤井は、太宰の妻・美知子(島津の母)に会って、この話をする。それを聞いて美知子はいろいろ語る。その部分は、最初は

あのおおつぶの涙は
太宰の流した涙ではなかったか
美知子さんはそうおっしゃいました

 という形だった。藤井は、そのことが気になっていた。そして最終的に、

あのおおつぶの涙は、娘の涙を借りて
太宰の流した涙ではなかったか
美知子さんはそうおっしゃいました

と整える。「娘の涙を借りて」を追加している。このことに対して、野沢は

藤井がどうしてこのフレーズの挿入にここまでこだわったのか、それがどれほどの意味があるのか、それを解明しないではそれこそわたしの言語隠喩論が泣く。

 と書いている。そして、「わからない」を「わかる」にかえるために、野沢は考え始める。その過程で、野沢は『清貧譚』を読み直し、「要約」して紹介もしている。しかし、いつもの「他人のことば」はここには出てこない。つまり、だれそれがこの『清貧譚』についてこういう批評をしている。あるいは、その小説の時代背景について、だれだれがこういう分析をしている、というような「他人のつくった巨大な橋」を持ち込んでいない。ただ野沢が野沢のことばで考えたことが書かれている。だから「正直」があふれ、書かれていることが、私にも「わかる」。
 野沢は、文章の末尾で、こう書いている。

〈娘の涙を借りて〉という挿入句の不在がこの作品に決定的な欠落をもたらすというのは、藤井の観念のなかにしかないのではないか、という素朴な疑問が湧く。〈あのおおつぶの涙〉は島津佑子のものであることはすでにテキストの上でも明らかであるから〈あのおおつぶの涙は/太宰の流した涙ではなかったか〉でも意味論的には同じことになる。そこに〈娘の涙を借りて〉を挿入することは意味の強調にはなっても、特別に意味が変容するとも言えないような気がしてくる。

 おもしろいなあ。「正直」だなあ。「隠喩論」を展開し、その「隠喩の意味は(その隠喩が指し示しているものは)」という問いに対しては「隠喩は意味ではない」というような形で「説明」を拒絶していた(排除していた)野沢が、ここでは「意味」にこだわっている。
 しかも、その「意味」というのが……。
 藤井が「太宰の娘」というときと、太宰の妻が「太宰の娘」というときでは、その「意味」は同じではない。そのことを無視して(気づかずに?)、野沢は「意味」を書いている。
 藤井が詩の最初の部分で「太宰の娘」と言ったとき、藤井は太宰と島津佑子しか想定していない。母のことを思い浮かべたとしても、それは形式的・観念的だ。しかし、妻が「太宰の娘」というとき、それは「私の娘」でもある。肉体の関与の仕方がまったく違う。「私の娘」が涙を流しているとき、「母である私/太宰の妻でもある私」も涙を流している。美知子は、藤井の話を聞きながら、藤井の前では涙を流さなかったかもしれないが、その「肉体の奥」で娘と同じように大粒の涙を流している。そこには妻としての涙も当然含まれている。そのことに藤井は気がついた。妻が、涙をこらえている、と気がついた。対面していれば、誰でも、そのひとが涙をこらえているかどうかは、肉体の感じで「わかる」ものである。そして、その「こらえている涙」があることを何とかしていわなければならないと感じ続けていた。だが、どう書いたらいいのか藤井にはそのときわからなかった。「あなた(藤井)が『清貧譚』がいちばん好きな作品ということを聞いて、私も娘と同じように涙がこみあげてきました。それを私はいま必死にこらえて、こうやって語っています」と書いたのでは「説明」になってしまう。
 「こらえている涙」、見えない涙、言い換えればそこには「隠喩としての涙」がある。それを言うために、「娘の涙を借りて」と書き加えずにはいられないのだ。この追加(挿入)で、こころが震えないとしたら、野沢は「ことば」は読むけれど、その「ことば」とともにある「肉体」をまったく見ていないことになる。そのときの「声」も聞いていないことになる。ことばには「意味」と「論理」もあるが、そこには常に「肉体」がある。その「肉体」は「意味/論理」を揺り動かしている。そして、それは「意味/論理」よりも直接的に「人間の肉体」に迫ってくるものである。
 「隠喩(論)」「隠喩」と言いながら、野沢は、実際の「隠喩」に出会ったとき、その「隠喩」に反応していない。「隠喩」に対応する(反応する)「肉体」を欠いている。「頭でっかち」というのは、野沢のためにあることばだろう。

 「隠喩」というものは、いや、隠喩にかぎらず、表現というものは最初から表現としてあらわれてくるものではない。書いてみなければ、それがはたして隠喩になっているかどうかわからない。言ってみなければ、はたして隠喩になっているのか、あるいは誰かにつたわることばになっているのか、わからない。
 ことばとは、そういものである。だからこそ、なんどでも言いなおすし、書きなおすのである。作りなおすのである。ほんとうの(正直な)ことばが出現してくるまで、ことばをひとは作りなおしつづけている。個人的にもそうであるし、文化的にもそうである。だから「文化」というものもある。「文化」とは「時間」であり、「歴史」でもある。
 で、追加して書いておけば。
 ひとの前で涙を見せない、というのは、「日本的な文化」でもある。太宰の妻が涙をこらえているのも、そういう「文化」がどこかで影響しているだろう。

 

 

 

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Estoy Loco por España(番外篇440)Obra, Calo Carratalá

2024-04-17 22:05:32 | estoy loco por espana

Obra, Calo Carratalá 

  En el momento en que vio estas pinturas de Calo, me siento mareado. Cada uno de paisaje está muy lejos. Y siento que cada uno de ellos es "de tamaño real". Sin embargo, el término "tamaño real" significa "el tamaño real del paisaje visto desde aquí". Las cosas que están lejos parecen más pequeñas. Esa pequeñez es el tamaño mismo que se ve desde aquí.
   Voy a escribirlo con otras palabras. Hay un espacio mucho más grande que rodea el paisaje aquí representado. Me siento abrumado por la enormidad del espacio no representado, y la distancia que estoy mirando parece aún más lejana. Ah, esos están muy lejos. No creo que llegue nunca allí, y suspiro.
   Sin embargo, la mirada de Calo llega hasta allí sin cansarse y, además, lleva la atmósfera lejana, el color y la luz directamente a la mano, aquí. El poder de sus ojos es asombroso.

 Caloの一群の絵を見た瞬間、私は、目眩に襲われた。その一枚一枚が非常に遠い。そして、その一枚一枚が、「実物大」だと感じたからだ。ただし、この実物大というのは、ある場所に立って、そこから「見えたときの風景の実物大」という意味である。遠くにあるものは小さく見える。その小ささが、いま、そこから見える大きさそのもの、という意味である。
  言いなおそう。ここに描かれている風景の周辺には、はるかに巨大な空間がある。その巨大さに圧倒されて、見ている遠くが相対的に小さく見えてしまう。ああ、遠いなあ。あそこまでたどりつけないなあ、と私はため息をつく。
  しかし、Caloの視線は、その遠くまで、疲れることなくたどりつき、しかもその遠い遠い空気、色と光をそのまま手元まで運んでくるのだ。ものすごい目の力だ。

 

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中井久夫訳『現代ギリシャ詩選』読む(98)

2024-04-16 23:00:00 | 中井久夫「ギリシャ詩選」を読む

 「海の洞の中には……」。

きみが誰かも分からず、きみも私を知らずに。

 恋の始まり。
 さて。
 「分かる」と「知る」。ギリシャ語では区別があるか。ギリシャ語が「分かる」「知る」を使い分けていたから、中井はそれにあわせて使い分けたのか。ギリシャ語には使い分けがないが、中井が使い分けたのか。これは大事ではない。大事なのは、中井が使い分けているということである。同じことばであっても訳し分けることはできるし、違うことばであっても同じ語(ことば)にすることもできる。
 だから、これは「中井語」そのものなのである。
 「私」は「私を知っている」。たとえば「きみが誰かも分からない」のが「私のいまの状態であると知っている」。その意識が「私」と「知る」を結びつけ、「きみ」は「私を知らない」ということばを選ばさせるのだ。「私は私が誰であるか知っているが、きみは私が誰であるか知らない」。非常に冷静な眼が働いている。
 ふたりの恋を描いているように見えるが、実は、「私」が恋をした瞬間のことを書いている。そのことを明確にする日本語だ。中井は、なによりも日本語を深いところでつかみとって動かしている。
 「きみが誰かも知らず、きみも私が誰かを分からずに。」と書き換えてみるといい。とても奇妙な印象になる。「意味」は頭では理解できるが、こころは追いついていかない。

 

 


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中井久夫訳『現代ギリシャ詩選』読む(97)

2024-04-14 23:03:55 | 中井久夫「ギリシャ詩選」を読む

 「過酷な瞬間と瞬間との……」。

きみの表情が次の表情にかわるあいだに、

 いちばん短い「瞬間」とは、どういうものだろうか。きみの「どんな表情」が「どんな表情」にかわったのか。この詩では「かわった」ではなく「かわる」と書いてある。このときの「かわる」は日本語では「現在形」ではなく「未来形」である。まだ「かわっていない」、「かわりつつある」のでもない。しかし「かわる」ことがわかっている。「かわる」ことを詩人は何度も見てきている。そして予測している。
 その予測は「過酷」と関係しているのか。その「過酷」がどういうものかわかるのは、私が引用した行の、次の行である。それは読んでもらうしかないのだが、そこに書かれていることは未来形「かわる」と同じように、いわゆる動詞の「原形(活用しない形)」で書かれている。
 ギリシャ語のことはわからないが、この「未来」を「現在形」と同じ形で書く文法は、考えてみると「未来形」よりも「過酷さ」を浮き彫りにする。この「未来形=現在形」とという文法は、そのことが「瞬間」であるよりも「永遠」を感じさせる。言いなおすと、そこには「時間(時制)」がない。活用がない。かわりに、不変の、普遍の、「事実」がある。
 それが「きみ」とともに、ある。「あなた」ではなく「きみ」とともに、ある。この「きみ」という訳語の選択も、とても深い印象を引き起こす。
 四行の、非常に短い詩なのだが。

 


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こころは存在するか(33)

2024-04-14 21:39:30 | こころは存在するか

 和辻哲郎はハイデガーについて言及することが多い。「風土」はハイデガーの「存在と時間」を念頭に置いている。
 ハイデガーは人間存在を時間をもとに考える。空間性を考えない。しかし、和辻は常に空間を考える。その「空間性」を「間柄」という、とても日本的なことばで考え続ける。だからだと思うが、私の知っているコスタリカ人は「風土」を読み、これは日本人論だと言った。
 そこから私は、ハイデガーの「時間論」に引き返し、「風土」が日本人論ならば「存在と時間」は「西洋人論」なのではないか、と思った。「西洋人論」というのは変な言い方になるが、別の言い方をすれば「キリスト教の人間論」(一神論の人間論と言った方がいいかもしれない)になる。コスタリカ人を「西洋人」とは、日本人はたぶん呼ばないが、コスタリカはキリスト教が信じられている国、一神教への信仰が強い国である。だから、私の知人も無意識的に、「一神教」の影響を受けていると思う。
 西洋人(だけではなく、アラブ人もそうだが、いわゆる一神教を信じるひとたち)の意識は、「個人対神」の関係のなかで動く。唯一の神に向き合い、自分を考える。しかし、多くの日本人は「絶対神」というものを考えない。「絶対神」の意識がない。「神」とどこにでもいる。木々も神なら山も神。川も石も神かもしれない。神が無数に存在するから、「神」と向き合うことで「個人」に立ち返るということがない。
 西洋の「神」が「一人」(絶対的)であるのに対し、日本の「神」は無数(多数)に存在している。日本人は「一神教」の信者とは違って「神」と「一対一」にはならない。個人的立場から見れば、いつでも「一対多」である。
 そして、この「一対多」というのは、どうも「社会」(世界)そのものの構造でもあるように感じられる。「私」が存在するとき、いつも周囲に「多数のひと」がいる。そして、この「多数の存在」を考えるとき、そこにはどうしても「多数」を受け入れる「空間」が必要になる。
 「神」と「一対一」で向き合うとき、そこに「空間」があるとしても、それは「直線」である。「面」のひろがりを必要としない。この「直線(あるいは線)」の意識は「時間」の意識にとてもよく「似合う」。「時間」を表現するとき、ひとはしばしば「直線」を描き、その延長線上に「時」を割り振る。「面」を想定し、そこに「時」を配置しない。だから、「空間」の存在を忘れてしまうのだ。
 それは「良心の声」についても言える。「良心の声」は「神」につながる一直線の根源から聞こえてくる。それは「一神教」を生きる「時間の根源」からの「声」でもある。
 しかし、日本人は、「良心の声」に関係しているのは「間柄(世間と個人との関係)」である(と、和辻は考えている、と私は「誤読」している)。


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Estoy Loco por España(番外篇439)Obra, Jesus Coyto Pablo

2024-04-12 22:23:51 | estoy loco por espana

Obra, Jesus Coyto Pablo 

¿Cambiará de azul a amarillo? ¿Cambiará de amarillo a azul?
¿De dónde vienen el azul del cielo y el amarillo de los campos?
Durante el tiempo que tardó el azul en convertirse en un azul brillante, ¿el amarillo estaba cerrado sus capullos como si esperara su amante? ¿Habría soportado el azul la soledad durante el tiempo que tardó el amarillo en abrirse en forma de pétalos?
Cuando el azul y el amarillo se encuentran, el tiempo detenido comienza a moverse y algo explota.
La voy a llamar luz. El azul y el amarillo renacen con la luz.
La primavera nos ha llegado.

 青から黄色に変わるのか。黄色から青が生まれるのか。
 空の青と野の黄色はどこからやってきたのか。
 青が輝く青になるまでの時間、黄色は恋人を待つように蕾を閉ざしていたのか。黄色が花びらの形に開くまでの時間、青は孤独に耐えていたのか。
 青と黄色が出会ったとき、止まっていた時間が動き出し、何かが爆発する。
 光と名づけてみる。光によって青と黄色が新しく生まれ変わる。
 春が来たのだ。

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こころは存在するか(32)

2024-04-12 21:57:50 | こころは存在するか

 和辻哲郎の「倫理学」。こんなことを書いている。(私のノートに残っているメモなので、正確な引用ではない。)

 個人と全体者(社会)とは、それ自身では存在しない。他者と関連において存在する。個人は社会を否定し、個人になる。社会は個人を否定し、社会になる。否定という行為をとおして、個人も社会も、その姿をあらわす。

 ここには二重の否定、相互否定がある。この否定の否定、絶対的否定性から、和辻は「空」ということばを引き出している。あるいは「空」ということばに結びつけて考えている。「色即是空/空即是色」の「空」である。
 「混沌」、あるいは「無」ではなく「空」を思考(ことばの運動)のなかに取り込んでいる。「空」は、私にとっては「無」よりも「理念的」である。
 「無」は定まった姿のあらわし方がない(無)であり、つまり、そこからはどんなものでもあらわれうる(限界/制限がない=無)である。何も制御されていないから「混沌」なのである。
 「空」は「無=混沌」の対極にある。「混沌=無」を洗い清めるのが「空」である。「混沌=無」は「空」をとおることで、「存在」として顕現するのである。
 で。
 私の頭のなかに、こんなことばが突然やってきた。
 色否是空/空否是色(色を否定したら空が顕現する/空を否定したら色が顕現する)
 「即」と「否」は同じく、ひとの「行為」である。ひとが色や空に対して働きかける。肉体が動くとき、色も空も顕現する。色も空もひとが動かない限り、顕現しない。つまり、ひとが動かない限り「世界」は存在しない。
 ひとの動きによって、「世界」は生まれる。

 それに関するメモがひとつ。

人間が時間のなかに存在するのではない。時間が人間のなかから出てくる。
(人間が空間のなかに存在するのではない。空間が人間のなかから出てくる。)

 私が先に書いたことばは、きっとこのことばの影響を受けている。
 もうひとつ、メモ。

内容は過ぎ去らず、常に現在である。

 この「内容は過ぎ去らず」ということばは、「漢字」のことを思い起こさせる。中国語(漢字文化)には「時制」がない。ないといってしまうと、語弊があるが、日本語のように動詞の語尾を見て、過去かどうかがわかるわけではない。動詞の「活用」がない。「動」は「動いた」「動く」「動くだろう」でもある。
 漢字は「表意文字」であり、表意の意は「意味」の意であり、それは「内容」でもある。確かに意味や内容は、過ぎ去ったりせず、いつも「いま(現在)」そこにある。中国語は、いつも「意味/内容」を問題にしているのである。「永遠」を問題にしているともいえるかもしれない。
 そこで思うのだが。
 中国では、いま漢字は「簡略体」がつかわれている。これは、日本人の私がいうのは変なことであるけれど、文化の否定そのものではないだろうか。簡略体によって「表意」の「意」が変わってしまうということはないのか。

 脱線したついでに、さらに脱線しよう。
 日本語の表記、漢字、ひらがな、カタカナの混在は、めんどうくさそうで、意外と便利ではないだろうか。「動いた」「動く」。漢字の「動」からは「意味/内容」がわかる。「いた」「く」という「活用語尾」で「時制」がわかる。英語やその他のヨーロッパのことばでも、語幹から意味、内容がわかり、語尾から時制がわかるが。ただし、アルファベットの国では、ことばのくぎりを「空白」にしないといけない。いわゆる「分かち書き」。でも日本語は漢字があるので、それがアクセントになり、分かち書きをひなくてもすむ。ひらがなだけで書くときは、きっと分かち書きにしないと読みづらいだろう。
 私はときどき外国人に日本語を教えているが、上級者はみんな「漢字が好き」という。漢字のおかげで意味がわかる。文章が読みやすい。漢字で書けばいいところをひらがなで書いてあると意味を把握するまでに苦労する……。外国人といっしょに日本語のテキストを読んでいると、その気持ちがよくわかる。


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中井久夫訳『現代ギリシャ詩選』読む(96)

2024-04-11 22:44:56 | 中井久夫「ギリシャ詩選」を読む

 「もう少し先に行けば見えるよ……」。

ちょっと背伸びしていい?

 行く手を阻むのは丘だろうか。背伸びをすれば、視線が丘の頂点を越えて、その向こうが見える。でも、丘でなくても、何か遠くを見るとき、見えないものを見るとき、思わず爪先立つ。つまり背伸びをすることがある。
 待ちきれないのだ。
 この「肉体感覚」が、私には、とてもうれしい。読んだ瞬間に、私の肉体が動いてしまう。思わず背伸びをしてしまう。背伸びをして、遠くを、いまは見えないものを見たとき、見ようとしたときを思い出してしまう。


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中井久夫訳『現代ギリシャ詩選』読む(95)

2024-04-10 20:50:45 | 中井久夫「ギリシャ詩選」を読む

 「眠り」。魅力的な行が多い。そのなかから、中井独特の「語感」をもった行を選ぶとすれば、

でも きみの影が伸び縮みしつつ他の影の間に消えるのを見ていた、

 「でも」は非常に口語的だ。一方「……つつ」はどちらかといえば文語的(書きことば的)だ。「でも」と書き始めたひとは、たぶん「伸び縮みしながら」と書くと思う。「伸び縮みしつつ」を優先させるひとなら、「でも」ではなく「しかし」と書くのではないか。
 私の印象では、この一行は、なんとなく「ちぐはぐ」である。
 しかし、それがおもしろい。
 この詩のタイトルは「眠り」だが、書かれていることはけっして「眠り」ではない。「半覚醒/半眠」という「はざま」の雰囲気がある。正反対のものが出会って、「半分」のところ(中間点?)で動いている感じ。それが「でも」と「……つつ」の出会いに、なんとなく似ている。
 こういうことは、書いている私がいうのも変なことだけれど、この私の「似ている」と感じる印象は、私の文章を読んでいるひとに伝わるのだろうか。疑問を抱えながら、私は書いているのだが、でも、詩というのはそんなものかもしれないなあ。
 こういう印象を引き出す「訳」は、中井以外ではありえないだろなあ、と思う。「文体」を統一したくなるのがふつうなのに、あえて、文体を乱すことで、「意味」だけではないものを伝える。表現する。
 少し(かなり)乱暴な言い方になるが「意味/内容」ならば「正確」に伝えることはできても(翻訳はできても)、「文体(の持っているニュアンス)」で伝えるのはとてもむずかしい。その「むずかしさ」が刺戟的である。そこには、確かに「他人」がいる、という印象がある。


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杉惠美子「うごく」ほか

2024-04-08 22:56:42 | 現代詩講座

杉惠美子「うごく」ほか(朝日カルチャーセンター福岡、2024年04月01日)

 受講生の作品ほか。

うごく  杉惠美子

白木蓮の落下のあとに
寂しさはない

拡がる一筋の
ぬくもりと その気配は
春をあつめ
私の部屋へと
春を届ける

行間に落ちる
花びらが
潤いと 時の動きを告げ

遅れてやってきた
風は
少しはにかみながら
今を届ける

あらゆるものを忘れて
落ち着いた
時がうごく

 「尺八の音が聞こえてくる。精神性が落ち着いている。白木蓮の落下に春のすがすがしい空気を感じる」「一連目『特に寂しさはない』がいい。三連目の『行間に落ちる』という表現が好き」「落下ということばが具体的で強い響きを持つ。気配や時間が動く。『行間に落ちる』という表現が詩的。最終連、春らしく、ゆっくりした空気がいい」「最終連にこころを動かされた」
 三連目、時の動きと漢字で書かれているのが最終連で時がうごく、とひらがなになっている。(タイトルのひらがな)このことを、どう読むだろうか。
 「感情が変化している。深淵を感じる」「意識/無意識の対比。柔らかさ、しなやかさを感じる」「ひらがなの方が、動いている感じがわかる。漢字だと硬い」「漢字だと観念的な印象になる。行間ということばとはあっているが、最後はひらがながいい」
 「最近の詩は、以前とは違った印象がある」という声も出て、それに対しては杉は「肩の力が抜けたのかなあ」と言っていたが、「爆発力が杉さんの特徴なので、以前のような作品も読みたい」との声も。
 いろんなことばの響き、声の調子を試してみるのもおもしろいと思う。
 私は四連目がとてもおもいしろいと思う。「遅れきてた」のなかに「時」が隠れていて、「今」と重なりながら、最終連に、もう一度「時」があらわれる準備をしている。とても丁寧な「伏線」だと思う。「少しはにかみながら」がどちらかというと観念的な世界に、やわらかな肉体感覚をもたらすのもとてもいいと思う。

めざめ  青柳俊哉

空のうえで涙をながしている
胚芽のようなもの

なみなみと泳ぐ球根の芽のようなもの

無意識への、植物的な覚醒 
白く。うまれたばかりのわたし

淡く すがすがしく涙をながして
空をながれる 

ふかふかのタンポポの帽子を被り 裸足のまま
時が根をおろさない風のようなもの

わたしの中から森や川や海をあふれさせて
岩々の嶺をくぐる 空から空へ

吹きぬけていくまっすぐな雪

 「三連目、『白く。』という表記に注目した。六連目にはばたこうとする大きな意思を感じた」「タイトルについて考えた。最後に雪が出てきて、雪のことを書いているだとわかった。そして、こどもがはじめてる見る雪の印象をおとなのことばで書いているのだとおもった」「みずみずしさ、透明さを感じた。三連目の『白く。』は印象的」
 そうした意見のなかで、こんな発言。
 「最後の雪がないほうが好きだなあ。ないと、雪だとわからないけれど」
 これは、とてもおもしろい。考えてみたい問題である。何かを読むとき、どうしても「わかる」を求めてしまう。しかし、「わからない」というのもとても大事。「わかる」と「わかった」と思って、すばやく通りすぎてしまうことがある。「わからない」につまずき、それが間接的に「通りすぎる」意識を覚醒させてくれる。
 この詩に登場した句点「。」も、素通りしそうになる意識を覚醒させてくる。句読点というのは不思議なもので、そこには書き手の「呼吸」があらわれる。「呼吸」というのは、無意識の場合が多いのだけれど、無意識だからこそ、句読点が「誤植」されると、そこにたいていの筆者は気がつく。漢字やひらがなの「誤植」は見落としてしまうが、句読点の誤植には気がつくと、たしか五木寛之もどこかで書いていた。
 この詩の場合「白く。」が最後の「雪」ということばを結晶させているようで、とてもおもしろいと思う。

「永遠に桜なるものが われらを高きに導く」  堤隆夫

会いたいときに 会えない
人生は いつもそうだった
ふるさとの桜の花よ
そなたは今日も しとどに濡れ 
花嵐に泣いているのか
会いたい人に 会えなくて 
切なくて 苦しくて
今日も こぼれ桜の涙なのか

思いながら 散って行く
この世から 思い出だけで散って行く
わたしと桜 わたしとまだ見ぬあなた
ひとの世は 一期の花筵
泣きながら 微笑みながら 散って行く
心に秘めたひとのことを 
銀河の果てまで探し求め
泣きながら 微笑みながら 散って行く

すべて世はこともなしか? 

桜の花よ そなたは徒花だったのか

純粋ゆえに儚きものたちよ 
寂しくて散るのなら それも人生
人生の目的が 心の平安ならば
そを乱す 自らの死の想念を超え
花霞の桜川の此岸で そなたと共に 無心に舞い続け
共に闘い 桜雨に濡れながら 生き抜く 

後世のより良き人生のため 現世の不条理と闘い続ける
それこそが あらまほしき人生

 「あまりつかわないことばが多い。桜の花について、こんなに深く広くことばを展開していることに驚く。『寂しくて散るなら……』『銀河の果てまで……』が壮大な世界」「久しぶりに雄大な詩を読んだ。桜に仮託した強い意思が感じられる。最終連が強烈」「桜と人生を語る、力強く男性的な詩。『すべて世は……』が印象に残る。「こころの内を表現できるのはすばらしい。気持ちがわかる。生きる意味をこめて書いたのかなあ」
 あまりつかわれないことば。たとえば「そなた」、「そを」。その音に含まれる太く重い響きがほかの漢字のことばと強く響きあっている。全体に「漢文」の響きがあり、ことばが凝縮されているのがとても印象的だ。
 そのなかにあって、「思いながら 散って行く/この世から 思い出だけで散って行く」は「漢文体」というよりは、どちらかといえば「和文体」「ひらがな体」とでも呼びたくなるような文体だが、「思いながら」「思い出だけで」の呼応がとてもやわらかくて深い。「思い出だけで」の「で」という助詞がなんともいえず、不思議な味がする。「で」という助詞はつかいかたによっては、とても安易なものになってしまうのだが、ここでは「で」以外はありえないつかい方だ。

 以下二篇は、受講生がみんなで読むためにもってきた作品。

スズメ  やまもとあつこ

Ⓡ きのう
  公園で スズメがすわっててん

Ⓐ どこらへんで?

Ⓡ あの大きい木の横の椅子のとこで

Ⓔ スズメ 何人いてたん?

Ⓡ ひとり

Ⓒ 誰かと一緒に見たん?

Ⓡ ぼくだけ

Ⓑ なんでスズメはすわってたん?

Ⓡ それはしらんけど…
  そこに じっとおってん

  あっ そうや
  それで 近づいて
  頭 なでてん

Ⓑ えーっ
  逃げへんのん?

Ⓡ うん 逃げへんかった

Ⓒ スズメ 目つむってた?

Ⓡ 目は ぼくを見てた

Ⓛ どうやって 頭 なでたん?
Ⓡ こうやって

Ⓡは右手の人差し指一本でそっとなでてみせた

 こどもの会話を聞き書きしたような作品。いままで見たことがないスタイルに注目があつまった。「聞き書き」であったとしても、どこまでほんとうかわからない。また、こどもの話していることばが、どこまでほんとうなのかもわからない。それが、たぶん、いちばん楽しいところだと思う。
 「あっ そうや/それで 近づいて/頭 なでてん」と、突然雄弁になるところがポイントだと思う。最後の一行だけ「セリフ」ではなく描写なのだが、それが嘘だとしても、気持ちはほんとうなのだ。だから肉体が動く、というのは私の読み方だが。
 気持ちが肉体を動かすのではなく、肉体が気持ちをつくっていく。そこから、ほんとうがうまれてくる、と私は感じている。

井上ひさし「せりふ」集

「うれしい」だけでは心もとないからこそ、
「キンツバを頬張った頬っぺたを
牡丹餅で叩かれたようなうれしさ」という具合に、
比喩の突支棒をかうのだ。
大袈裟であればあるほど、突飛であればあるほど、
比喩という名の突支棒は太くなり、丈夫になり、
そして「うれしい」ということばがたしかなものになる。
                 「国語事件殺人辞典」

人は誰でも口という楽器を持つス。
                 「國語元年」
                 (スは、原文は文字が小さい)

言葉こそ、
人間を他の動物と区別する
ただひとつの
よりどころなのであります。
                 「日本人のへそ」

闇がなければこの世は闇よ。
                 「夢の裂け目」

新しいもの、うつくしいもの、
すばらしいもの、
あらゆるものがゴミになる。
それが世界のありのままのすがた。
ただし、
ただひとつの例外は、時間じゃ。
               「決定版 十一ぴきのネコ」

涙は各自(てんで)に手分けして
泣くのがいいのですよ。
                「頭痛肩こり樋口一葉」

 このなかで、どのことばがいちばん好きか。そう問いかけてみた。「涙は各自(てんで)に手分けして/泣くのがいいのですよ。」が人気があったように記憶しているが、ちょっとメモがなくなって、はっきりしない。「人は誰でも口という楽器を持つス。」はどういう意味だろう、という声もあった。ひとの声は、それぞれ響きが違うし、その響きが巻感情をなまなましくあらわすということかもしれない。「せりふ」なので、やはり役者の声をとおして聞いてみたいと思う。とくに「人は誰でも口という楽器を持つス。」は(たぶん)東北訛りで語られることを想定していると思う。そのときの「楽器」としての声を聞きたいという欲望を刺戟するせりふである。


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こころは存在するか(31)

2024-04-05 11:43:21 | こころは存在するか
 神谷美恵子「生きがいについて」(著作集1、みすず書房)を読んでいて、「人格」ということばにであった。
 
 死刑囚にも、レプラのひとにも、世のなかからはじきだされたひとにも、平等にひらかれているよろこび。それは人間の生命そのもの、人格そのものから湧きでるものではなかったか。
 
 「人格」ということばは、何度も何度も和辻哲郎の本のなかに出てくる。その定義はむずかしいが、私は、ひとが実践をとおして肉体の内部にかかえこむひろがりと感じている。
 「おおきな人格」というのは、実践がそのひとを「おおきく」見せるのだと思う。そして、その「おおきさ」は客観的には測れないが、自然にわかってしまう「おおきさ」であり、「おおきなもの」は大きな引力をもっているから、それに引きつけられてしまう。
 神谷は「人格」を「生命そのもの」とも呼んでいるが、この「読み替え(呼び方)」も、私には和辻に通じるものがあると思う。もちろん、この「思い」は私の「誤読」であり、神谷が和辻から影響を受けているかどうかは知らない。しかし、私は、私の「誤読」を通じて神谷と和辻をむすびつけるとき、妙に安心する。
 ことば、あるいはひとのつながりはとても不思議なものだ。
 私が神谷を読んでみようと思ったのは中井久夫の文章をとおしてである。アウレーリウス「自省録」(神谷訳)を読んだのも、中井が神谷について書いている文章のなかに登場したからである。そして、その神谷の文章のなかに「人柄」という和辻の大事にしていることばが出てきたとき、単に神谷と和辻が結びついただけではなく、中井とも結びついた。直接、中井と和辻を結びつけることばではないが(中井の文章のなかで「人柄」ということばがあったかどうか、いま、思い出すことはできない)、私の肉体のなかで「世界」がぐいと広がるのを感じた。「ことば」は時間も空間も超えて、「世界」を広げてくれる。
 「人間の生命そのもの、人格そのものから湧きでる」を神谷は、こんなふうにも書き換えている。「生きがいの」の発見を「心の世界の変革」ととらえる視点から、こう書いている。
 
以前大切だと思っていたことが大切でなくなり、ひとが大したこととは思わないことが大事になってくる。これは外側から来た教えではなく、また禁欲や精進の結果でもなく、すっかり変わってしまった心の世界に生きるひとから、自然に流れ出てくるものと思われる。
 
 「自然に流れ出てくる」。この「自然に」が「人格」なのである。そして、この「自然」に注目すれば、夏目漱石の「人間の自然」へもつながるだろう。漱石の描いている人間は、最初は何か「窮屈」である。つまり、苦悩している。それが何かのきっかけで「窮屈」を打ち破り「自然」に動き出す。ああ、あれは「人間」ではなく、ひとが「人格」になって動き出しているのだと思い出すのである。
 そのときひとは「道」を歩いているのだ、と考えれば、それはまた和辻につながる。
 「こころは存在しない」と考える私と違って、神谷は「心の世界」ということばをつかっているが、この部分をどう整理しなおすかは、書こうとすればかけるが(書きたいことはたくさんあるが)、長くなるので、書かないでおく。「こころは存在するか」というタイトルで書いているので、補足しておく。
 
 もうひとつ、どうしても引用しておきたいことばが神谷の文章のなかにあった。読んでいて、ふいに涙があふれてきた。神谷の「人柄」を、私は、この文章に感じたのである。
 
 深い苦しみと悲しみを克服して来たひとたちにも、以前と変わらぬ欠点や弱点を持った人間である。
 
 
 
 
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イタリアの青年と「論語」を読みながら

2024-04-04 21:24:51 | 考える日記

 いま、イタリアの青年といっしょに「論語」を読んでいる。中国語ではなく、日本語で。テキストは岩波文庫(金谷治訳注、和辻哲郎が「孔子」を書くときにつかったテキスト)。私は中国の歴史をまったく知らないので彼からいろいろ教えてもらうことが多い。日本語は私の方が彼よりも詳しいので、日本語教師としていっしょに読んでいるのだが、きょう、とてもおもしろいことを体験した。
 イタリアの青年は「論語」を読むくらいなのだから、ふつうの日本語はほとんど問題がない。会話は、博多弁(福岡弁)が得意で、私よりも上手だ。その彼が、つぎの文章でつまずいた。

子曰く、已んぬるかな。吾れ未だ徳を好むこと色を好むが如くする者を見ざるなり。
先生がいわれた、「おしまいだなあ。わたしは美人を好むように徳を好む人を見たことがないよ。」

 イタリアの青年は「現代語訳」の「わたし」は孔子ですね、と念を押す。正しい。しかし、つづきを、「わたし(孔子)は色を好む」と読み、変だなあ、と混乱したのである。「論語」を読み進んで、孔子が好色ではないことを知っている。もう一度「わたしは孔子だよね」と問い返してくる。この「わたし(孔子)」は「わたしは/見たことがない」とつづくのだが、この主語と動詞の距離の遠さが誤読の原因だった。
 多くの外国語の場合、「わたしは見たことがない、美人を好むように徳を好む人を」というような「構文」になる。主語と動詞が密接である。
 外国語文体のような倒置法(の文体)を避けるときに、「美人を好むように徳を好む人を、わたしは見たことがないよ」と現代語訳すれば、誤解はされなくなる。しかし、直前に「おしまいだなあ(已んぬるかな)」という心情の吐露があるので、日本人の感覚では、直後に「わたしは」と言いたくなる。「おしまいだなあ」という気持ちが強いから、「わたしは」とつづいてしまう。これが、日本語の特徴なので、「おしまいだなあ。美人を好むように徳を好む人を、わたしは見たことがないよ。」にすると、なんというか「理屈っぽい」感じになる。「うるさいなあ」という感じになる。(このニュアンスは、なかなか説明しにくい)。「おしまいだなあ。わたしは、美人を好むように徳を好む人を見たことがないよ。」と主語の後に読点「、」を挿入する方法もあるが、これもちょっと「うるさい」。ことばのスピード感がなくなる。
 金谷は「日本語教材(テキスト)」を書いているわけではなく、日本人向けに書いているから、どうしてもこうなるのだが、この「日本語の問題点」を理解できるようになれば、私は彼に何も教えることがなくなるなあ、と後から思った。
 と、書いて、少し脱線するのだが。
 このことを書く気になったのは、実は、ほかに事情がある。私は、私が通っているスペイン語教室の先生だった人の短編を翻訳を試みているのだが、その過程で、これに類似したことにぶつかったのである。
  「わたしは見たことがない、美人を好むように徳を好む人を」のような文体に出会って、はた、と悩んだのである。英語で言えば「that」以下の文が長い。そして、長くなるに連れて、その長い部分が「装飾的」に感じられて、「美人を好むように徳を好む人を、わたしは見たことがないよ」とはしにくいのである。するならば「わたしは美人を好むように徳を好む人を見たことがないよ」にするしかないのだが、今度は、それがまたややこしい。このまま日本語で例を書けば、「その美人というのはクレオパトラか小野小町のような古典的な顔だちなのである」というような具合に長いのである。つまり、あえて書けば、「私は見たことがないよ、クレオパトラか小野小町のような古典的な顔だちの美人を好むように徳を好む人を」が原文のスタイルである。これを「私は、クレオパトラか小野小町のような古典的な顔だちの美人を好むように徳を好む人を、見たことがないよ」にすると、うーん、昔の大江健三郎みたいな入り組んだ文体になってしまう。そういう文体だと思って、なれてしまえば理解できるが、なれるまでに気が滅入るかもしれない。
 で。
 「おしまいだなあ(已んぬるかな)」と書いたら(言ったら)、どうしてもその直後に「わたしは」とつづけたくなるというような「文体論(感情論?)」は、日本語検定試験なんかでは問題になることもないし、文学や哲学の奥深くにまではいりこまないかぎり、まあ、どうでもいいことじゃないかと処理されてしまう問題なのだが、こういう問題があるから、実は文学、哲学はおもしろい。
 ちなみに。原文では、問題の部分は、「已矣乎、吾未見好徳如好色者也」。「やんぬるかな、わたしは見たことがないよ、徳を好む人を、まるで(徳を)美人を好むように(好む人を)」になる。主語(わたし)と動詞(見る/見たことがない)が直接結びつき、それから「徳を好む」という大事なことが語られ、追加して「美人を好むように」がつづく。エッセンスは「私は、見たことがないよ、徳を好む人を」であり、「美人を好むように」は「補足」である。これが「日本語」になると、順序がまるで逆だから、それはやっぱり日本語学習者には、たいへんな「つまずき」の原因になる。

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中井久夫訳『現代ギリシャ詩選』読む(94)

2024-04-03 23:43:44 | 中井久夫「ギリシャ詩選」を読む

 「アルゴナウトの人たち」は、突然はじまる。どんな詩も(文学も、あるいは芸術は)突然はじまるものかもしれないけれど。

して、魂よ、

 「して」は「しかして」「しこうして」が縮まったものなのかもしれないが、それが「しかして」「しこうして」、あるいは「そうして」であったとしても、やはり突然感間がある。「しかして」が接続詞なのに、その前に何もない。何かが切断されたまま、接続詞が動いて、次のことばがあふれてくる。そうなのだ。それは、接続詞には違いないのだが、前に何が書かれてあったかよりも、これから書くことの方が大事なのだ。実際、この詩では、引用し、何かを書きたいという行が次々に登場するのだが、それについて書くよりも、やはり書くべくことは「して」なのである。
 「しかして」よりもさらに短く、「して」のみ。
 ここには、漢文体が口語になって動くような強烈さがある。緊迫感がある。動きにゆるみがなく、スピード感がある。めんどうくさいことは蹴散らして、本気で言いたいことをいうという気迫がある。「して」は気迫に満ちたことばだ。
 たったひとことで、充実した緊密感を鮮やかに描き出す中井の訳は、ほんとうにおもしろい。
 私は、こころも、精神も、魂も存在しないと考える人間であり、特に魂ということばは好きではなく、うさん臭いと感じるのだが、「して」につづくことばは、こころや精神ではなく、魂でなくてはならないという感じがする。とても強く響きあっている。

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中井久夫訳『現代ギリシャ詩選』読む(93)

2024-03-31 21:58:25 | 中井久夫「ギリシャ詩選」を読む

 ここからはヨルゴス・セフェリスの作品。最初は「愛の歌」。

風のバラが無知なぼくらをさらったのだね。

 この一行の「意味」はわかったようで、わからない。風、バラ、無知、ぼくらということば交錯する。「さらう」という動詞が、その交錯をさらに攪拌する。万華鏡をのぞいたときのように、何か、とてもあざやかなものを見たという印象がある。しかし、それを論理的に説明することはできない
 この一瞬の混乱、そしてその混乱を美しいと思うとき、そこに詩が存在する。
 中井のように論理的な人間が、この混乱を混乱のまま一行にしているところに、中井の訳詩のおもしろさがある。「論理的に説明してもらえますか?」と質問してはいけないのである。


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自民党のキックバック問題

2024-03-31 21:41:26 | 読売新聞を読む

 自民党の裏金、パーティー券収入のキックバック問題。いまでは、だれもキックバック問題とは言わないようなのだが。2024年03月31日の読売新聞(西部版・14版)を見ながら(読みながらではない)、私は不思議な「フラッシュバック」に襲われた。
 見出しに「安倍派元幹部 離党勧告へ」。どうやら、安倍派の大物(?)を処分することで、問題にカタかつけようとしているのだが、ふと私の頭の中に蘇ってきたのが、田中首相の逮捕である。表向きは、やっぱり金銭問題。ロッキードから金をもらっていた。それを適正に処理しなかった。それからロッキード問題はさらに拡大もしたのだが。
 でも、田中が失脚したのは、ほんとうは金が原因ではない。アメリカがベトナムへの自衛隊派遣を要請したのに対し、田中は憲法をタテに拒否した。それを怒ったアメリカが田中を追い落とし、アメリカの政策をそのまま受け入れる首相に代えようとしたのである。田中が「汚れた金」を手にしていたことは、たぶん、だれもが知っている。田中が汚れた金でさらに金もうけをしていたことも、だれもが知っている。ほかの政治家も、数億の金をなんとも思っていないだろう。だれもが少なかれ汚れた金を手にしている。
 私が奇妙に思うのは、キックバックの問題が、だんだん安倍派崩しに動いて行っていることである。「政治資金規正法改正」という問題も動いてはいるが、それよりも自民党内の勢力争いの「地殻変動」のようなものが起きており、それが田中角栄事件を思わせるのである。すでに二階は次の総選挙に出ないと表明し、二階は「自民党処分」の対象外になったようだが、そういう追い落としの動きも、田中角栄、金丸信追い落としの動きに似ている。
 で。
 思うのは、アメリカがやはり裏で動いているのではないか。安倍よりももっと言うことに従うだれかを見つけた。もちろん、岸田のことである。しかし、その岸田が思うようにアメリカ政策を実行できない。岸田を邪魔するやつを追い落とせば、きっとうまくいく。そう考えて、動いているのではないか。
 いまのままでは岸田の支持率は下がりっぱなし。なんとか岸田を首相にしておくために、安倍派をたたきこわしてしまえ。安倍派の幹部に対する国民の批判も強い。ちょうど、田中が庶民宰相ではないとわかったときに、国民が田中を指示しなくなったように、安倍派の議員が金に汚い、権力を悪用しているという評判が高まれば、それを捨ててしまっても国民のだれも文句を言わない。いまが、安倍派をぶっつぶし、岸田政権を支えるチャンスだと「仕組んで」いるのではないか。
 「私は知らない」という安倍派幹部の主張をそのまま受け入れていたはずの岸田の姿勢の劇的な変化を見ると、アメリカが「お前を支えてやるから、さっさと安倍派をつぶしてしまえ」と言われているのではないかと、私は思う。

 春闘の賃上げや、物価の上昇もみんな同じだ。アメリカの都合である。日本の給料があがらなければ、アメリカの製品が日本で売れない。アメリカの製品を買わせるためには日本人の給料を上げる必要がある。ロシアのウクライナ侵攻も同じ。ロシアのガスやほかの製品がヨーロッパ市場を占めてしまったら、アメリカの製品がヨーロッパで売れなくなる。ロシアの製品を買わせないようにするためには、ロシアを戦争犯罪人に仕立ててしまえ、ということである。そのためにウクライナのひとが犠牲になろうが、ヨーロッパで物価が上昇しヨーロッパのひとが苦しもうが関係ない。アメリカの製品が売れて、アメリカがもうかればそれでいい。
 ロシアのウクライナ侵攻以後、円安はどんどん進んでいる。円安が進めば(ドル高が進めば)、アメリカ製品は日本では売れない。アメリカ製品を売るためには、日本人の給料が上がらないことにはむりなのだ。なんでもかんでも、アメリカの都合なのである。春闘の「満額回答」も経営者側の判断というよりも、アメリカから「社員の給料を上げないなら、お前の所からは何も買わないぞ」と脅された結果かもしれない。
 私は「妄想派」の人間だから、どんな可能性でも考えてしまうのだ。
 アメリカの強欲主義は「グローバリズム」の名を借りて、世界を支配している。一部では賃金の上昇を大歓迎しているようだが、そんなものは商品の値上げ(物価上昇)で消えてしまう。物価が上昇し、喜んでいるのは、アメリカの産業だけである。金もうけをするには、コストダウンをはかる方法と、値段を上げる方法がある。アメリカの商法は、もちろん値段を上げ、利潤を増やすというとても簡単な方法である。彼らは金を持っている。金が足りなくなったら、何度でも値段を上げて金を稼げばいいだけである。
 これが、いま起きていることではないのか。

 

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