街人にサカーダ 本館

挙動不審なタンゴに関するブログ by しうえい

ブエノスのミロンガってどんな印象?

2010年02月17日 | タンゴの勧め
ブエノスのミロンガってどんな印象ですか?


3月1日(月)のブエノス風ミロンガに向けて随分前から想像を膨らませているのだけれども、
私はブエノスに一週間しかいたことがないので、正直あまり憶えていない。

しかも、私の行ったミロンガは、結構外国人が良く集まる観光スポットだということを後で聞いた。


そもそも、私が何故「ブエノス風ミロンガ」なるものを企画しているかというと、

1.「日本のミロンガ」は、「ブエノスのミロンガ」のどういうところが日本流にアレンジされてきたのか?
2.「日本のミロンガ」は、「ブエノスのミロンガ」に比べて、何が良くて、何が悪いのか?
3.「日本のミロンガ」に、「ブエノスのミロンガ」から、今後何かを取り入れられるのか?


という所をクリアにしたい思惑がある。

もちろん「ブエノスのミロンガ」と一重に言えるものではなく、おそらく歴史と共に多様化しているものだと思われるし、私はそもそもブエノス絶対主義ではないので、今どこかブエノスでやっている「ブエノスのミロンガ」の習慣やシステムをそのまま日本に取り入れても面白くないだろうと思っている。

ただ「ブエノスのミロンガ」と「日本のミロンガ」が違うということを意識しながら、少しずつ『違い』を吟味し、「ブエノスのミロンガ」のエッセンスを再翻訳する取っ掛かりとしたい。


また既に「ブエノスのミロンガ」を導入して練習会などを開催されている Kazukoさんのイベントなどもあるし、

これらは、今後「日本のミロンガ」がより個性を持ち、各所で棲み分けをやっていくための重要な試みだと思う。



そこで、皆様にお聞きしたいのですが、ブエノスのミロンガって何が日本と違うのでしょう?


次のような観点で整理してみます。
ブエノスの印象を教えていただけたら幸いです。
憶えていましたら、場所も教えてください。


◇A.どんな雰囲気で踊りますか?

◇B.どんな曲がかかりますか?

◇C.コルティーナはかかりますか?どんな特徴を感じますか?

◇D.座席やテーブルの形などにどんな特徴がありますか?

◇E.カベセオはやりましたか?何故日本で導入されてないと思いますか?

◇F.食事やお酒は出ますか?セルフサービスですか?それとも??

◇G.マナーに違いを感じますか?



そんなところで教えて下さったら嬉しいです。

取り急ぎ、3月1日について決まっていることは以下のことです。

『Rueda de Tango(ルエダ・デ・タンゴ) ブエノス風ミロンガ』

開催日 3月1日(月)
時間  18:45~21:45
料金  1000円(ペアは1000円、初心者500円)
会場  田園調布富士見会館 多目的ホール
     (東急多摩川線・目黒線「多摩川」駅から徒歩約5分)
お問い合わせ  rueda-staff@fantango.jp

→ コルティナ・・あり
→ カベセオ・・・あり
→ モッソ?・・・検討中
→ アグア・コン・ガス?・・・検討中


なお当日は「カベセオを断られてもショックを受けないでください」と張り紙しようかと思います。


Tokyo Milonga のサイトも、お読みください。
今回は、カベセオについて興味深い文章が載っています。

カベセオという名の挑発
http://www.tokyomilonga.com/2010/02/post-386e.html

Tokyo Milonga
http://www.tokyomilonga.com/
コメント (3)
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タンゴが流行るための 4つの仮説

2010年01月30日 | 日記
突然ですが、今日は、
「流行り事」についての4つの仮説を立ててみようと思います。

1.全くの初心者でも何となく楽しめること
2.熟練者にしか分からない特別な世界があること
3.問題のタネが少ないこと
4.テレビやインターネットなど主要なメディアで頻繁に目にすること


「タンゴ増員計画」という変な名前のコミュニティを立ち上げて、ここ5年間、
タンゴだけについては、流行り廃りや始めるきっかけ・止めるきっかけ等等分析してきたつもりでしたが、私なりにこんな4つの仮説を立てて、トピックを上げたり活動したりしています。


去年あたりから、まぁタンゴだけ見ていても気づかない事がたくさんあるなぁ、ということがはっきりしてきました。そして、サンバとか、ズークとか、サルサとか、フォルクローレとか、スィングとか、やっているうちに、目からウロコなこと、ああやっぱりここは共通なんだなということ。色々気づきます。

今日は、その中でも、ああ!やっぱりこれは流行するだろうなぁ、と思ったことに関して、出来るだけ一般的な書き方をしようと思います。

もちろん、この仮説は今から叩いていくべきもので、これが絶対的な条件だ等と訴えるつもりは全くありません。


短い文だけでは語弊が出るので少し意図をご紹介します。


1.全くの初心者でも何となく楽しめること

今のように「既に出来る人」だけが集まって議論しているだけでなく、
時には「始めたばかりの人」の目線・感覚で考えていきたいものです。


去年行ったズークのパーティ。とても衝撃でした。
全くの初心者でも楽しめる、ということは本当に大切なことだと思います。

ズークというのは、サンバとはまた別の、ブラジルのダンスの一つです。
まぁもちろん、ちょっとレッスンやっただけでは、2・3曲でマンネリの渦に巻き込まれる訳ですが、、

他のダンスも見よう見真似で楽しめる!何となく踊って喋ってれば楽しいように人間は出来ています。
どこかで聞いた曲で踊る!ぶっちゃけジャズでもJ-POPでも良いのだと思っています。

このパーティでは、こんな工夫がなされていました。
こういうところをきっかけに、
ラテン文化に興味を持った稀有な人が、それ以降も継続して踊ったり音楽を聴いたりするようになるってことが、
とても大切なことなんだと思います。


タンゴのステップ、とりあえず何となくステップが出来るようになっても・・・本当に楽しいでしょうかね?
ブエノス流のミロンガ、ほとんどの初心者にとっては敷居が高く、長い苦痛の時間かもしれません。

だから憧れのダンサーや演奏家などに自分を奮い立たせられる少数の人や、多少不純な動機が交じっている人、でないと続かない。

じゃあ、ブエノスは?そもそもブエノスで練習会なんて聞いたことないよ?
と仰られるでしょうが、そもそもブエノスとはタンゴ人口も文化も違いますからね。


※ちなみに今回ご紹介したズークのパーティ、明日も一時から両国ラキアであります。


2.熟練者にしか分からない特別な世界があること

もちろん、何でも初心者OKにすれば良いかというと、
本当を目指す人には物足りないかもしれませんから、本物志向はどっかまた別のところでやらないといけません。

最近のタンゴのコンサートなど、コテコテなタンゴよりも一歩噛み砕いた物が多いのは、
やはり一般の人には、少し優しく大衆化された物を与えないと受けないからでしょう。

それはそれで1の仮説を満たしているのですが、

それに対して、それはタンゴじゃない!と叫びたい気持ちと一緒です。


今日の日記を読まれている方は、
もうおそらくダンスなどに嵌り狂っている方が多いと思いますが、
やはり本物を感じられるから、続けているのではないでしょうか?


やはり本物は、それ自身の由来があって素晴らしいものである反面、
少し敷居が高く、それだけで自己完結できるものであるので、
本物の魅力というのは、少なくとも全くの初心者がすんなり受け入れられる物ではないはずです。

ただし、やっているうちに、なぁ~んだ、そんな物かいな、
という本物の素晴らしさを知らずに去ってしまうことも多いので、

出来るだけ客観的に、そして多様な見方を持って、「本物」のエッセンスを人々に伝える努力をすべきかと思います。

これは、今まさにやっている私達の仕事かと思います。


3.問題のタネが少ないこと

あそこに行けば、こんな楽しいことが待っている!
期待と現実がいつも一緒。それが理想です。

ですが、問題は絶えず発生しますね。


この人と、あの人は、一緒にしてはいけない。
よく聞く話ですよね。


そしてセクハラの話も、悩ましいです。
単純に行為だけでその人を否定するのは、本物を否定することでもあるでしょう。
元々タンゴなんて、如何わしいダンスですもんね。

しっかりしたルールやモラルがあって、それがちゃんと定義されていれば、
「体が密着したダンスを踊るくせに多少揉んだからセクハラなどと騒ぐな」などという
オッサン・オバハンは存在しないはずなのです。
(まぁ実際のところ、このパーティは「ここまで揉んでもOKです」などとは書かないでしょうけど。)


やはり、そのコミュニティの内輪だけでつぶしあっていては、流行するはずも無いですからね。


4.テレビやインターネットなど主要なメディアで頻繁に目にすること

インフルエンザなどの疫病とは違って、人間の行動に関する「流行」というのは、テレビやインターネットで誰もが目にする・耳にする・口にする、少なくともこれが無いと流行しません。

一方で、信憑性のある主要なメディアに取り上げられる為には、それ相応の視聴者からの期待のような物が必要です。

残念ながら、ラテン全般、まだまだテレビなんかで目にすることが少ないですね。TVで頻繁に出てくるとすれば、①社交ダンスのラテンダンス②ボサノバ③浅草サンバカーニバル辺りでしょうか。

最近、サンバのコミュニティに少しだけ顔を出していますが、それはもう運営からイベント企画、育成、招聘など全てに渡って組織化されています。そして個々の小さなグループが大きな動きとなっていきます。だから、継続してTVに出れるクオリティを保っていける。
当然、サンバカーニバルのサンバが本当のサンバかというと、それについてはサンバの断片に過ぎないし、それをうまく日本にある形で流行らせているということが重要なんでしょう。

タンゴみたいに少数の人間だけが何でも主導しているようなコミュニティには限界があるんでしょうし、これ以上の人間を巻き込んでいくためには、タンゴという原型を崩して日本的にしていく必要があるのではないでしょうか。
もちろん、前述2で言ったことがありますから、今のブエノス志向のタンゴはそのままの形で継続していけばいいと思います。

例えばタンゴにおいては、Hiroshi & Kyokoが世界チャンピオンになったというニュースはTVや新聞で取り上げられ、センセーショナルでしたね。願わくば、業界の第一人者みたいな人が夜8時のバラエティ番組に定期的に出たりすればいいなぁ。

とりあえず頼みますよ、小松亮太さんや既に有名な方々へ。
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ダンスの演奏 について思うこと ’2009

2009年12月26日 | タンゴの勧め
昨日はクリスマスということで
高場将美さんのギターと峰万理恵さんの「うた」を聞いてきました。

素晴らしい「うた」とご演奏、そして集まられた方々とも様々なお話を聞くなかで
いくつか共感したこと悲観したことなどなどありましたので
今年色々感じたことを含めて備忘録です。


以下のような事を軸にまとめます。

1)そもそも「伴奏」という言葉
2)タンゴダンサーから感じる「伴奏」への欲望
3)踊れないタンゴは、タンゴかどうか?


1)そもそも「伴奏」という言葉

高場先生は『「うた」の伴奏』という言葉を選ばれていましたが、
つまり歌をメインディッシュとした、おかずだったというニュアンスと捉えました。
もちろん、そこにはダンサーなんていないし、いわゆる私達が「うたもの」と呼んで特別視しているような音楽かもしれません。

ただ、やはり聞いてみて強く感じたのは、「伴奏」というのは従属関係ではないのではないか?ということ。
さきほどメインディッシュという言葉を使いながら何なのですが、歌と伴奏で互いに支えあって完結しているものだということです。


2)タンゴダンサーから感じる「伴奏」への欲望

同様に、『「ダンス」の伴奏』という言葉、そういう物なんじゃないかと思います。


ただし、
比較的ダンサーは長年レコード・CDなどの乾き物で踊る機会が多いから、
一般に「伴奏」=「ダンスのためのBGM的?」のような感覚も強いのではないかと、
実際私もそのような感覚を否定しきれていません。

そして「生演奏だなんて踊りにくい」。などと感情も当然そこにある。
それは固定のBGMであった方が踊りに集中できて踊りには都合がいいんです。
それはそれでタンゴの一つの考え方として完結しているような気がしますので、否定はしません。
というより、私も否定できません。

ついでに付け加えるならば、
「Tango Bailable」という言葉、
日本ではダンス向けタンゴ・踊りやすいタンゴ・バイラブレなタンゴ、などと訳しますが、
これもまた妙な言葉ですね。

こういう言葉を使うから、ダンサーは上から目線になったんじゃないでしょうか。

繰り返しになりますが、さきほど1で述べたような「伴奏」の定義に当てはめてみると、
一般にダンサーが求めるタンゴという物と違っていることが分かります。


3)踊れないタンゴは、タンゴかどうか?

ブエノスにいらっしゃる方が言う言葉が絶対だとは思いませんが、

踊れない・踊れるに関わらず、タンゴはタンゴなんだ、という感覚がそこにはあるでしょう。


そして、「タンゴ」とは・・・その解釈として、私の中で揺れているのは、

A-タンゴとは明確な「何か」である
B-タンゴとは結局全てである

という極端な2つ。


そして一方で、「元々のタンゴの発祥はダンス・歌・演奏が三位一体だった」という考え方からすれば、

C-タンゴというからにはタンゴダンスは少なくとも踊れるべきなんじゃないか?

という大前提もあります。


これら一見、支離滅裂に見えるいくつかのタンゴの定義たちも、

私は、さきほどの「伴奏」の定義で、乾き物でない、生の演奏に、
それを完結できる可能性を感じます。


ここで、「タンゴとは・・・」という定義は、先送りさせていただくとして、

少なくとも「ダンスの伴奏」=「踊れる音楽」と言っても問題ないかと思いますが、
つまり、タンゴダンスの伴奏としてのタンゴは少なくとも、踊れるタンゴ、という感覚で良いと個人的に思います。

そして、大切だと思うのが「ダンスの伴奏」=「踊れるタンゴ」≠「踊りやすいタンゴ」ということです。
つまり、ダンスの伴奏をするからと言って「ダンサー様どうぞ踊ってください」という風な卑下した感覚で演奏する必要が全くないはず!

なのに、今現在、ダンサー連中は「ダンサー様どうぞ踊ってください」という音楽を求めている、ということ、

そこに深いギャップがあるんだろうなぁ。


そういう方向性を狙って、2010年はタンゴを追い求めていこうと思いますが、
今オボロゲに考えるアプローチは、次の2つです。

1.ダンサーは、CDなどの乾いた音楽だけじゃなく、生の演奏とのヤリトリを楽しめるのではないか?
2.演奏家は、決してダンスに媚びへつらうことなく、ダンスとのヤリトリを楽しめるのではないか?


難しいだろうけど。
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タンゴと疑心暗鬼

2009年12月23日 | タンゴの勧め
タンゴと他のラテンダンスを比べてみると、
やはり差が顕著なのが、そのタンゴ独特の内向性だろう。

また、タンゴのサロンダンスほど
その瞬間の即興性・その場への適応性が求められる踊りは無いかもしれない。


それだから、踊る男女は、その肉体の物理的近さだけでなく、ある程度の精神状態の集中と一致が無いと踊りにならない。

逆に言えば、
一旦何らかの疑いや不安が芽生えると、
不思議なことに踊れなくなる。

たとえば、
この人は私と踊りたくないのではないか?とか
この人は営業目的なのではないか?とか
この人は前にひどいことを言ったから嫌われているのではないか?
などと一旦疑いはじめると、踊りはその時点で終了する。

その人と踊れなくなるということは、
その人と交流が途絶えることを意味する。


それは、踊っている同士だけでない。
DJも音楽を奏でる人も酒を飲む人も踊りを見ている人も音楽を聞く人も。
全ての共感が無いと、場が完結しない。

そこでも、
一旦何らかの疑いや不安がはびこると、
不思議なことに場が盛り上がらなくなる。

たとえば、
あの人はあちらの人と仲が悪いらしい、とか
あの人はああいう曲をかけると踊らないらしい、とか
あの人はXX先生の生徒としか踊らないらしい、
などと言い出して噂の渦が巻き起こる。

そして、
ある人はそこに出入りしなくなる。


そしてこれは、ある一つの踊る場所に限定された話ではない。
タンゴに関わる人すべて、あるいはタンゴのことを小耳に挟むすべての人、
全ての共感が無いと、タンゴそのものが盛り上がってこない。

そこでも、
一旦何らかの疑いや不安に蝕まれると、
不思議なことにタンゴから足が遠のく。

たとえば、
タンゴの人は夜乱れた生活らしい、とか
タンゴの人は体をむやみに触ってくるらしい、とか
タンゴの人は社交ダンスを小馬鹿にしているらしい、とか

そんな簡単なことで
人が来なくなる。


それだから、
「場を盛り上げる」「踊りを気持ちよくする」そして「タンゴを盛り上げる」ということについて、

単純に値段やパフォーマンスの質やDJの選曲や踊りや音楽のスタイルだけで議論するのは早計で、
(もちろんそれも大事ですが)

そういった、様々な疑いを絶ち、疑心暗鬼を抑えていくのが、
タンゴにかかわる一人一人の役割であると思うし、
とくにタンゴにおいては、やはり一番大切なことなのではないかと思う。

次の時代のタンゴが盛り上がるか、盛り下がるか、

我々の心がけしだいだと思います。
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ギターの新ブログ

2009年10月20日 | 日記
ギターとか演奏の類を、別ブログにつけることにしました。 http://fantango.jp/1900/guitarra/
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