全然、書いてなかったね。
めんどくさくて。
しかもfacebookはじめちゃったから、そっちばっかに書いている。
(といっても、そっちもそれほど熱心には書いていない)
さて、先月17日・18日にfacebookに書いたものをまとめて貼り付けちゃいます。
たまにかかないと、背景が味気なくなっちゃうみたいで。
では、どうぞ。
笑いなしです、今回。
本日、上海から戻って参りました。
今回は、上海師範大学哲学学院主催の「東亜儒学国際学術研討会」に参加のために上海に。
ひとりぼっちかと思っていたが、
杭州時代に知り合った浙江大学の先生や
2007年の南京大学で開かれたシンポジウムで出会った青年
(当時は院生だったが、今では立派な先生となっていた)、
翻訳のことで連絡を取り合っていた台湾の先生(日本人)と偶然で会うことができた。
それ以外にも、ベトナムの先生とホテルが同室であったり、
今日帰る前の午前中に調査に行った上海図書館の古籍部で、
シンポに参加していた台湾の先生に偶然会い、
「日本に行ったときはお前に連絡するからな」と携帯番号を聞かれたりと、
いろいろと収穫のあった日々であった。
上海では、身の危険を感じながら、ちょっと街を歩いてみた。
14日には、地下鉄の駅まで歩いている間、何人かの人に道を聞いてみた。
一番不親切だったのは、公安。
それ以外の人は、至って普通に教えてくれた。
ケバブ屋の兄ちゃんは、「あっちじゃないかな。でも、俺地下鉄乗らないから確かじゃないかも。」とまで、丁寧に答えてくれた。
日曜日午後には、少し時間ができたので、中心地(観光地)を偵察。
人民広場につながる福州路(上海古籍書店などの書店街でもある)は、人でごった返していたが、どう見ても日本人の私に気を止めることはなく、スムーズに歩けた。
新天地では、ショップ店員の小姐に、「日本人少ない?」って聞いたら、「いっぱい居るよ。危ないのは領事館付近だけだ。」と答えてくれた。
月曜日の図書館では、荷物預けの場所のおじちゃんに、
「おまえ、日本人だろ。(你是日本的朋友吗?)ここにはよく日本人が来るよ。」と中国語で言い、最後には日本語で「ありがとう」と言っていた。
その後、空港に行く途中のタクシーでは、運転手が「お前日本人か。全く迷惑だよな。国と国、政府と政府との戦いであって、一般人には全く関係ないんだからさ」と、フレンドリーに話しかけてきた。その後、彼とは、全く関係ない中国で男の子を持つことの大変さについて語り合っていた。
もちろん、いくつかのエクスキューズは必要でしょう。
まず、いつになく私は警戒して歩いていましたよ。
長年、中国で暮らしていたけど、今回のような事態・感覚はかつて無かった。
福州路でも、カバンは「南京大学域外漢籍研究所」と書かれていたものをぶら下げ、手には、おみやげに買った「張愛玲」(上海生まれの人気作家。「ラスト・コーション」の映画原作でおなじみ)の小説を手に持って歩いていた(何の役に立つのかは不明であるが)。
もちろん、日本語を話しながらというのはないし、夜は出歩かない。
地下鉄でも、注意深く立っていたし。
しかし、そんな風に出歩けたのも上海だからかもしれない。
日本では上海のデモはすごい、と報道されているけど、上海は広い。
そして、中国のどの都市よりも成熟している。
先の大戦中でも、混乱にありながら、国際都市として上海は反映していた。
そういった歴史が、伝統がある都市でもある。
だから、タクシーの運転手のような発言が出てくるのだろう。
それと、実は今上海は「上海旅行ウイーク」の真っ最中(大阪と香川の花車が出られなくなったと報道されていた、あれです)。
ショップ店員さんがするどくも指摘していたけど、この時に、観光地・中心地でデモができるはずがない。
このような上海ならではの特殊事情があったから、簡単に街歩きができたのかもしれないということは考慮すべきでしょうね。
だって、私は街歩きしていましたから、行かなかったんだけど、学会の旅行ツアーで江南古鎮のひとつ周荘に行った台湾人先生から聞いた話によると、
学会に参加した日本人先生が何人かで日本語で話をしていると、通りがかりの観光していた中国のおばちゃんたちが、
「日本人だ。釣魚島(中国語ではこう言います)は我々の領土だ」と言っていたようなのですから。
ではなぜ、一観光客にすぎないおばちゃんたちがそんなことを言うのか。
それは、国内のメディアによる連日連夜の報道が大きな原因でしょうねえ。
(日本のメディアはなぜかそのことを全く伝えていません。デモの現象だけをおっています。それでは、なんもわからんぞ。)
連日、メディアではトップニュースが、尖閣問題。
必ず、冒頭には、「釣魚島はわが領土」という言葉がつき、映像では、人民解放軍の軍事演習の映像が流されたりする。
日本の国有化には「非法」という言葉が枕詞となっていた。
言葉も刺激的で、「日本は恐るるに足りない」だのなんだの。
さらに、歴史的根拠があるのだと言うことを示すための教育(?)番組も流している。(北京大だの、精華大だのの教授が出ています)
ああ、こんなのを毎日見ていたら、そりゃ、そうなるよね、って感じですね。
ついでに、そういった報道から透けて見えるのが、
「これを機に一気に台湾をコントロールしちゃえ」っていう中国側の思惑。
番組では漁船を中国からも台湾からもいっぱい送り込んで、台湾の漁船がお昼休みで休んでいるときは、我々が守ってやるよ、こういうときは団結すべきなんだよ、なんて都合のいいことを言っていたコメンテーターもいました。
何が守ってやるだ、一般の漁民を利用して、自分は後ろで偉そうなこといいやがって、お前が先頭に立って行け、とむかついたけど。
さて、何故私がこんなにも長々と書いたかというと、新しい段階に来ているなと、改めて強く感じたから。
何がと言うと、我々のように東アジア地域をネタに飯を食っている人間の矜恃というか覚悟というかがより一層必要な時代となっているのだと言うことを。
こういうとき、相手を責めるのは簡単だし、楽ちん。
相手を知ろうと努力し、一人一人を見つめ、その上で発言をしていくのは、大変労力がいることだし、めんどくさい。
それでも猶、それをし続けていくことの矜恃・覚悟ってもんが問われていくのかなと。
その時の敵は正面だけでなく、背後にいる場合もあるんでしょうけど。
「異文化交流してま~す」なんてのんきな時代は終わったのだなあと、つくづく思いました。
とはいいながら、臆病者の私にそんな矜恃・覚悟があるのかい、と自問自答してますけどね。
めんどくさくて。
しかもfacebookはじめちゃったから、そっちばっかに書いている。
(といっても、そっちもそれほど熱心には書いていない)
さて、先月17日・18日にfacebookに書いたものをまとめて貼り付けちゃいます。
たまにかかないと、背景が味気なくなっちゃうみたいで。
では、どうぞ。
笑いなしです、今回。
本日、上海から戻って参りました。
今回は、上海師範大学哲学学院主催の「東亜儒学国際学術研討会」に参加のために上海に。
ひとりぼっちかと思っていたが、
杭州時代に知り合った浙江大学の先生や
2007年の南京大学で開かれたシンポジウムで出会った青年
(当時は院生だったが、今では立派な先生となっていた)、
翻訳のことで連絡を取り合っていた台湾の先生(日本人)と偶然で会うことができた。
それ以外にも、ベトナムの先生とホテルが同室であったり、
今日帰る前の午前中に調査に行った上海図書館の古籍部で、
シンポに参加していた台湾の先生に偶然会い、
「日本に行ったときはお前に連絡するからな」と携帯番号を聞かれたりと、
いろいろと収穫のあった日々であった。
上海では、身の危険を感じながら、ちょっと街を歩いてみた。
14日には、地下鉄の駅まで歩いている間、何人かの人に道を聞いてみた。
一番不親切だったのは、公安。
それ以外の人は、至って普通に教えてくれた。
ケバブ屋の兄ちゃんは、「あっちじゃないかな。でも、俺地下鉄乗らないから確かじゃないかも。」とまで、丁寧に答えてくれた。
日曜日午後には、少し時間ができたので、中心地(観光地)を偵察。
人民広場につながる福州路(上海古籍書店などの書店街でもある)は、人でごった返していたが、どう見ても日本人の私に気を止めることはなく、スムーズに歩けた。
新天地では、ショップ店員の小姐に、「日本人少ない?」って聞いたら、「いっぱい居るよ。危ないのは領事館付近だけだ。」と答えてくれた。
月曜日の図書館では、荷物預けの場所のおじちゃんに、
「おまえ、日本人だろ。(你是日本的朋友吗?)ここにはよく日本人が来るよ。」と中国語で言い、最後には日本語で「ありがとう」と言っていた。
その後、空港に行く途中のタクシーでは、運転手が「お前日本人か。全く迷惑だよな。国と国、政府と政府との戦いであって、一般人には全く関係ないんだからさ」と、フレンドリーに話しかけてきた。その後、彼とは、全く関係ない中国で男の子を持つことの大変さについて語り合っていた。
もちろん、いくつかのエクスキューズは必要でしょう。
まず、いつになく私は警戒して歩いていましたよ。
長年、中国で暮らしていたけど、今回のような事態・感覚はかつて無かった。
福州路でも、カバンは「南京大学域外漢籍研究所」と書かれていたものをぶら下げ、手には、おみやげに買った「張愛玲」(上海生まれの人気作家。「ラスト・コーション」の映画原作でおなじみ)の小説を手に持って歩いていた(何の役に立つのかは不明であるが)。
もちろん、日本語を話しながらというのはないし、夜は出歩かない。
地下鉄でも、注意深く立っていたし。
しかし、そんな風に出歩けたのも上海だからかもしれない。
日本では上海のデモはすごい、と報道されているけど、上海は広い。
そして、中国のどの都市よりも成熟している。
先の大戦中でも、混乱にありながら、国際都市として上海は反映していた。
そういった歴史が、伝統がある都市でもある。
だから、タクシーの運転手のような発言が出てくるのだろう。
それと、実は今上海は「上海旅行ウイーク」の真っ最中(大阪と香川の花車が出られなくなったと報道されていた、あれです)。
ショップ店員さんがするどくも指摘していたけど、この時に、観光地・中心地でデモができるはずがない。
このような上海ならではの特殊事情があったから、簡単に街歩きができたのかもしれないということは考慮すべきでしょうね。
だって、私は街歩きしていましたから、行かなかったんだけど、学会の旅行ツアーで江南古鎮のひとつ周荘に行った台湾人先生から聞いた話によると、
学会に参加した日本人先生が何人かで日本語で話をしていると、通りがかりの観光していた中国のおばちゃんたちが、
「日本人だ。釣魚島(中国語ではこう言います)は我々の領土だ」と言っていたようなのですから。
ではなぜ、一観光客にすぎないおばちゃんたちがそんなことを言うのか。
それは、国内のメディアによる連日連夜の報道が大きな原因でしょうねえ。
(日本のメディアはなぜかそのことを全く伝えていません。デモの現象だけをおっています。それでは、なんもわからんぞ。)
連日、メディアではトップニュースが、尖閣問題。
必ず、冒頭には、「釣魚島はわが領土」という言葉がつき、映像では、人民解放軍の軍事演習の映像が流されたりする。
日本の国有化には「非法」という言葉が枕詞となっていた。
言葉も刺激的で、「日本は恐るるに足りない」だのなんだの。
さらに、歴史的根拠があるのだと言うことを示すための教育(?)番組も流している。(北京大だの、精華大だのの教授が出ています)
ああ、こんなのを毎日見ていたら、そりゃ、そうなるよね、って感じですね。
ついでに、そういった報道から透けて見えるのが、
「これを機に一気に台湾をコントロールしちゃえ」っていう中国側の思惑。
番組では漁船を中国からも台湾からもいっぱい送り込んで、台湾の漁船がお昼休みで休んでいるときは、我々が守ってやるよ、こういうときは団結すべきなんだよ、なんて都合のいいことを言っていたコメンテーターもいました。
何が守ってやるだ、一般の漁民を利用して、自分は後ろで偉そうなこといいやがって、お前が先頭に立って行け、とむかついたけど。
さて、何故私がこんなにも長々と書いたかというと、新しい段階に来ているなと、改めて強く感じたから。
何がと言うと、我々のように東アジア地域をネタに飯を食っている人間の矜恃というか覚悟というかがより一層必要な時代となっているのだと言うことを。
こういうとき、相手を責めるのは簡単だし、楽ちん。
相手を知ろうと努力し、一人一人を見つめ、その上で発言をしていくのは、大変労力がいることだし、めんどくさい。
それでも猶、それをし続けていくことの矜恃・覚悟ってもんが問われていくのかなと。
その時の敵は正面だけでなく、背後にいる場合もあるんでしょうけど。
「異文化交流してま~す」なんてのんきな時代は終わったのだなあと、つくづく思いました。
とはいいながら、臆病者の私にそんな矜恃・覚悟があるのかい、と自問自答してますけどね。