ゆかえもん、ぼちぼちやっとるがね

趣味のお城のことや日常のいろいろなことを書いていきます。

引っ越しします

2010-04-23 00:12:09 | Weblog
久しぶりの書き込みです。

放置したままで申しわけありません。

このたび ブログを引っ越すことにいたしました。

新しいブログはこちらです。

ゆかえもん ぼちぼちやっとるがね


こちらの続きから書こうかと思いましたが 記憶があいまいになってしまったので

ごく最近の訪城したものから記事にできれば・・と思います。

もしよろしければ ご覧いただけるとうれしいです。

では 今後ともよろしくお願いいたします。

    ゆかえもん

旧小原村の城 市場古城

2009-05-07 23:32:25 | 豊田市(合併後)の城
更新が滞りっぱなしで・・・。

榑俣城の次は 市場古城へ行きました。
ここは以前訪れたことがあるのですが 時間がなくて途中断念しました。
今回は再訪です。

市場古城。豊田市市場町市場前。
鱸(鈴木)親信が足助から移って築いた城といわれる。

国道419号を旧豊田市方面から来ると 旧役場(現在 小原支所)を通り過ぎ
さらに行くと右手に「本城小学校」の看板が出てきます。
その看板のある道を右折します。しばらく行くと右手に神社がみえてきます。
この神社から西の山林が城跡です。


この熊野神社が目印。

市場古城の場所

この城を訪れた方々のH.Pを見ると「藪」の文字が出てきます。
初めて訪れた時 この「藪」を覚悟して登城したのですが 以外と苦になりません
でした。
真冬だったからかもしれません。
が、前回は途中断念です。まだ未踏の部分が 藪藪・・なのかも・・と
覚悟していました。
城は熊野神社から西の方角に広がっています。
神社境内のすぐ西に大きな竪堀があり それを越えて更に西へ進むと 幅の
広い大きな堀切があります。



わかりにくいてすが 神社のすぐ西にある竪堀です。



堀切を超えて 斜面があるのですが前回はここまででした。
今回も神社からスタートし、堀切の斜面もよじ登ります。
いよいよ未踏の地です。
登りきって 下を見ると・・・・・・・
一面の竹林でした。しかも あちこちに倒竹が。
細い竹ではないので なんとか歩けるでしょう、ということで 下りてみることに
しました。
段はあるものの 広い曲輪です。
縄張り図には「フルシロ」と書かれています。



城跡のほぼ中央に位置する曲輪・・・なんだけど 竹ばかりで見通し悪し。



主郭(城跡中央の曲輪)の東にある土塁。竹林と化した曲輪から見上げました。



更に西へ進みます。土塁がありその向こうは斜面です。
その下は 畑となっており 畑から下へ下りることができました。
神社から畑までを城域として 東西300mほどあります。

未整備で荒れてはいるものの 竪堀、大土塁、幅のある堀切と 遺構ははっきり
しています。
「フルシロ」と呼ばれる部分の曲輪の東西に大土塁があり 館城とされています。

思っていたよりも歩けたし 訪れてみて良かったと思いました。

次は 永太郎城へ。


愛知県旧小原村の城 榑俣城

2009-04-25 22:10:51 | 豊田市(合併後)の城
4月16日に 旧小原村の城めぐりに行きました。
事情があり 外出がなかなかできませんでしたが やっと城めぐりに
行けるようになりました。

今回は 巡城組活動で一緒に訪城させていただくメンバーの1人、ひろしさんと
城めぐりをしました。

小原は 比高もそれほど高くなく訪れやすい城ばかりですが 榑俣城(くれまた)
だけは登城口がわからず、しかも比高も高そうなのでどうやって行けばいいのか
わかりませんでした。
しかし!なんと地元の方に案内していただけることに!
ありがたかったですね。

榑俣城。豊田市榑俣町穴畑。築城年不明。城主として古山氏、池野氏の名が伝わる。

県道11号を岐阜方面へ北上します。笹戸温泉を越え、しばらく走ると
左手に橋があり渡ると 県道354号へむかう道となります。
橋を渡って すぐ右折し800mほど東進すると左手に「林道榑俣線」が
あるので そこを左折します。
この道は狭くて すれ違いはできません。途中何カ所かすれ違いができるように
なっていますが 大きな車だと怖く感じるかもしれません。
峠を越えると 旧旭町の上中切の集落に出ます。T字路になっているので
左折します。道は突き当たり、それ以上は進めません。
舗装された道路の終点の左手に斜面があり そこを登ったところから登城スタートです。

榑俣城の場所

橋から城跡のある山を見た時は ずいぶん高いなぁと思いましたが 上中切の
集落からは それほど登りません。



主郭北の「馬場」と呼ばれる曲輪。



主郭。



主郭西下にある 堀切。ここで尾根を遮断している。


やはり 案内していただけなかったら城跡までたどり着けなかったですね。
本当に助かりました。

次は 市場古城へ。

桜と 丸根城

2009-04-07 00:31:48 | 豊田市(合併後)の城
4月3日。満開になった桜を見に 豊田市内の丸根城へ行きました。

去年の同じ時期にも行ったのですが あいにくの雨。
今年は天気も良く 桜もきれいでした♪

丸根城。豊田市野見町7丁目。
詳細不明なお城。住宅地にありながら 2つの曲輪、土塁、空堀と遺構が
きれいに残っています。おすすめ


久しぶりに来てみてびっくり。駐車場完備ですっ!前もそれらしきモノが
ありましたが 私有地みたいな感じになっていたので こうしてきちっと整備
されると安心して利用できます。



空堀です。



桜と空堀と土塁と。


もっと 桜と城を見たいけど 今は事情があり、あまり外出できません。

今年は桜の開花宣言が早く出たので 入学式の頃にはもう散っているのかな?
なんて思っていましたが いやいやなんのなんの。
ちゃーーーんと入学式まで咲いていられるような気象でしたね。

あとは散りゆく桜の花びら・・・。
虫がブンブン飛び始め、山城シーズンもまもなく終了です。
今月中なら行けるかな~と思うのですが なかなか・・・

三重県の城 松阪城 その2♪

2009-03-23 00:22:53 | 三重県の城
本丸を出た後は 隠居丸へ。

隠居丸には本居宣長の旧宅が移築されています。
ここで私たち全員、お手洗いを借りることに


隠居丸



本居宣長旧宅。


さっきから変なにおいがする、と言うちゅんたろう。
「わかった!銀杏のにおいだ。ふんづけちゃったからクサいのかな?」
えっ??そうなの?と驚く私。
そういえば 地面に銀杏がころころと落ちているなぁとは思っていたけど
かまわずふんづけていたゾ・・・。
そうか・・そうなのか。
ちゅんたろうに教わってしまいました

次に 二の丸へ。
ここに東屋みたいなものがあり 屋根の下に猫が4匹!?固まっていました。
ぴったりとくっついている猫の姿がかわいくて 近くへ行こうかな~と
思ったけど逃げたらかわいそうかな、ということで離れた場所から見るだけに
しました。



二の丸。


裏門跡から城を出ることにしました。



裏門跡。ここから南の方角に 江戸末期に旧紀州藩士が松坂城警護のために移り住
んだ「御城番屋敷」があります。



御城番屋敷。今でも住んでいらっしゃいます。


御城番屋敷を通り過ぎて 南東方向へ歩くと 外堀跡があります。



堀跡です。細い水路ですが 少しでも残っているとうれしいですね。


松阪城跡から南東へ500mほどの場所に来迎寺があります。
この寺には 松阪城の城門と伝わる門が移築されています。



来迎寺の門です。


昼食は「一升びん」の焼き肉!と決めていたので 店へ向かって歩き出しました。
子分たちは たくさん歩いたのと、おなかがすいたのとで元気がなく
ブーブー文句を言います。
「もうすぐ おいしいお肉を食べられるからねっ!」
と励ましながら歩きました。

その「一升びん」からそれほど遠くない場所に こんな門を見つけました。



竜泉寺山門。県指定文化財。松ヶ島城の裏門、または松阪城の門を移築したとも
伝わるが 確証はない、とのことです。

竜泉寺の山門の場所

やっと「一升びん」に到着。
ホルモンやカルビなどを注文したところ ちゅんたろうが「おいしい!」と
ばくばく食べました。
今時めずらしい 煙がもくもくタイプの焼き網でしたが とーってもおいしかったです

帰りの電車内では 2人とも爆睡。
久しぶりの電車&ひたすら歩く、で疲れましたが いい運動?になったし
楽しかったです。 

三重県松阪市の城 松阪城

2009-03-12 23:59:21 | 三重県の城
少し前のことですが・・・

2008年11月8日 三重県の松阪城へ行きました。
この日は車ではなく 近鉄電車を利用しての旅です。
子分2人も同行しました。

松阪城。三重県松阪市殿町1539。

松阪城の場所

朝から小雨がふっていた日。
行こうかどうしようか迷っていました。
母が「それほどふっていないし 行ってきたら?」
の一言で決めました。

松阪へは 急行電車を乗り継いで行きました。
特急なら早いし 乗り換えもないのですがそこまで遠くないし のんびりと
いくのも悪くないと思い急行を利用しました。

松阪駅から城跡まで 歩いて10分ぐらいでしょうか?
小雨のおかげで 傘をさしていてもそれほど気になりませんでした。
大手門跡へ着くと子分たちが「おなかすいた~のどかわいた~」と
言うので そばにあった店で肉まんとジュースを買い、子分たちが食べて
いる間 私は外堀跡を見に行きました。



大手門跡。



松阪城の外堀跡。ずいぶん細くなっちゃってると思うけど・・・。

外堀跡の場所
(他にも 外堀跡はあります)

外堀跡は 現在細い水路となって残っています。地図にもその水路があるので
わかります。

子分たちと合流し 表門跡から城跡内へ入りました。



表門跡。



きたい丸跡



本丸跡。



天守台。


松阪城の見学は まだまだ続きます・・・。




 

岐阜県各務原市の城 三井城

2009-03-11 00:09:04 | 岐阜県の城
徳山氏の陣屋跡の次は 三井城へ。

三井城。各務原市三井山町。
室町時代に三井郷の領主であった 三井弥一郎が築いたものといわれる。
戦国時代の始め、尾張の織田信秀が東美濃攻略にあたり 1548年に攻め落とされた。

三井城の場所


城跡は 現在「三井山ふれあいの森」公園となっていて 山頂まで遊歩道があります。
今回は ちゅんたろうが車中で留守番。
まるおは 一緒に行く、と言います。
風邪をひいていて 咳が出ているからお兄ちゃんと待っててって言ったけど
ついていく!と言うから 一緒に登城することにしました。
でも やっぱりいつものまるおと違っていて 途中断念。
と、いっても 頂上まであとわずかだったので 遊歩道で待っていてもらうことに
しました。



下から 第三曲輪、第二曲輪、第一曲輪の表示がありますが 曲輪を遊歩道が
通り抜けているので わかりにくいです。
道をはずれてのぞき込むと 削平地があるので曲輪かな?と思うぐらいです。



帯曲輪。



主郭です。


遺構を見ていたら 下から 「ママ~!ママ~!」と呼ぶ声がするので
走りながらの撮影でした。
なので 後から見ると よくわからない写真があります・・・。

まるおと合流し 下山後は山の裾を流れる川に泳ぐ鯉を見たりしていました。
水深が浅いからわかりにくいですが あまりきれいな川ではなかったです

最後に 子分たちがいちばん楽しみにしていた「かかみがはら航空宇宙科学博物館」
に行き おもいっきり遊んでから帰宅しました。
私、子分たちともに 楽しい1日を過ごすことができました

岐阜県各務原市の陣屋 徳山氏更木陣屋

2009-03-10 00:06:48 | 岐阜県の城
美濃市から各務原市へ移動。

最初に訪れたのは 徳山氏更木陣屋です。

徳山氏更木陣屋。各務原市那加西市場町3丁目。
江戸時代 この陣屋が置かれた付近一帯は 旗本徳山氏の所領だった。初代旗本
となった 徳山五兵衛則秀は関ヶ原の戦いでは東軍に属し 戦功をあげた。
優れた戦国武将であった徳山氏は徳川家康からの信頼も厚く、約五千石の知行地を
得て 明治維新までの約250年間、12代にわたって各務原の地を治めていた。

東海北陸道「岐阜各務原」インターを下りて国道21号を東へ向かいます。
「金属団地前」の信号を北へ曲がり、県道152号へ入ります。(左折します)
そのまましばらく北上し、「長塚町3」の交差点を右折し東方向へ向かいます。
200mほど東進した次の信号を左折し、しばらく北上します。
川にかかる橋を渡り左折、次のT字路を右折し(右カーブになっています)
70mほど進むと 左手に陣屋跡の公園があります。

徳山氏更木陣屋の場所

陣屋公園に到着したものの、子分2人は車からおりるつもりなし。
1人寂しく 陣屋跡見学しました・・・。



公園内部です。陣屋の配置(どの部屋があったか、など)がわかるように表示
がしてあります。



復元された井戸。石組みの井戸です。


公園を出て 北側へ行くと土塁がありました。



北側に50mほど残る土塁。梅の花が満開できれいでした。東側にも少し残っています。


次は ここからそれほど遠くない場所にある 三井城へ向かいました。

岐阜県美濃市 小倉山城と うだつのある町並み

2009-03-04 00:03:14 | 岐阜県の城
2月28日は 岐阜県美濃市と各務原市へ行きました。

最初は 美濃市にある小倉山城を訪ねました。

小倉山城。岐阜県美濃市泉町1571-3。
飛騨高山城主 金森長近は、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで東軍に属し
戦後恩賞として飛騨3万8千石の安堵に加えて、美濃国上有知・関、河内国金田
で2万3千石の加増を受けた。翌6年、(1601年)長近は高山城を養子可重に譲り
自らは新領の美濃国上有知に館の築造を行い 居所とした。これが小倉山城で
ある。

小倉山城の場所


小倉山の山麓にある小倉山城。
遺構は高さが5mの石垣で囲まれている曲輪1、その南下にあり現在駐車場に
なっている曲輪2、曲輪1のすぐ東にあり 建物がある曲輪3があります。


駐車場になっている 曲輪2。その南側には石垣が2段に分けて積まれていますが
もともとは1段でした。明治24年の地震による崩壊後、現在のような形に
なってしまったようです。



石垣に囲まれている曲輪1へ上がる階段。櫓風の建物もあります。



石垣を東の方向から撮ったもの。



階段を上がった所にある 曲輪1。


曲輪2の駐車場から東の方へ行くと 小動物園があります。
鳥類、ニホンザル、鹿がいて 遊具もあり子分連れにはありがたい城跡です。
猿のかわいいしぐさにしばらく見入っていた子分たち。
檻の中だとかわいいのですが 山の中で野生の猿にばったり出会ってしまった時
は・・・怖いですね。

公園の遊具で遊んでいる子分たちに「ちょっと散歩してくる。」と言って
「うだつのある町並み」を見に行きました。
岐阜県美濃市は「うだつのある町並み」があることで有名です。
小倉公園のすぐ近くにあります。



小京都みたいで とてもいい雰囲気でした。こういう町並みをゆっくりと歩くのが
好きなんです。今回は子分たちのことが気になるのでゆっくりとしていられませんでしたが・・・。

小倉公園を出た後は 各務原市へ向かいました。

岐阜県恵那市の城 中世岩村城 2

2009-02-16 00:05:23 | 岐阜県の城
岩村城には9月に訪れていますが この時はまだ草がしっかりとあり
二の丸付近には入り込めませんでした。(ヘビがいたら怖いし)
でも 今は冬!
なので 二の丸の石垣が見えたとたん、フラフラと見に行ってしまいました。



木立の中から見える石垣。この雰囲気がまたいいんだなぁ。



二の丸の西にある井戸。9月には きれいな木枠がなかったです。


次は 八幡曲輪の北東下にある 曲輪と堀切を見に行きました。



堀切と曲輪を上から撮ったもの。わかりづらいかな~。


ここは 尾根を3本の堀切で遮断しているように見えます。最初の堀切が
上の写真で 細長い曲輪→堀切→曲輪→堀切となっていますが 最初の堀切以外
は 浅くなっていてわかりづらくなっています。

次は 二の丸の東下にある 俄坂門跡から中世の大手道といわれる道へ下りていきました。
中世ではこの門が大手門であったといわれています。
俄坂門は実際には裏手の門で 普段は使いませんが落城時の非常口として
用いられたそうです。



崩れてはいるものの 石畳や石でできた階段があります。



途中にある 土塁。


道は右へ左へと折れています。土塁や堀切のようなものもあり 戦国期はここを
通って城へ向かったのだなぁと思わせてくれます。
どんどん下って歩いていきましたが 途中で道がなくなってしまい 引き返す
ことになりました。

上へ戻ってからは 近世の道をたどり 太鼓櫓のある駐車場へ行きました。
中世岩村城の見学はこれで終了です。
登ったり下りたりで 山城を2、3ヶ所見学したような気分でしたが
とても楽しく 大満足でした♪

最後に 移築城門のある妙法寺へ行きました。


岩村城の一の門といわれています。


他のみなさんは 岩村町の城めぐりをされるそうで、私は ここで帰宅することになりました。
もう1城行きたかったけど 時間がなくて残念

1人ではなかなか行くことができない貴重な遺構を見ることができ 本当に良かったです。
ありがとうございました!