わたしの好きな詩人

毎月原則として第4土曜日に歌人、俳人の「私の好きな詩人」を1作掲載します。

私の好きな詩人 第226回―安西冬衛― 安西冬衛「春」を読む 叶 裕

2020-03-21 19:10:09 | 詩客

  てふてふが一匹韃靼海峡を渡って行った 

安西冬衛「春」(軍艦茉莉より)

 全世界で数十万人が罹患し、数千人の死者を出している新型コロナ肺炎は現在も猛威を振るい、収束の目処は立っていない。ぼくらは今後長らくこの春の事を覚えているだろう。そんな暗い春に安西冬衛の詩を拾ってみた。

 だれしも一度は目にし、諳んじた事があるだろう安西冬衛の傑作「春」。厳しくも美しい一行詩のひとつだ。ここにあるのは惜別だろうか、諦観だろうか、動く事ままならず置いて行かれる者の持つ野火のような嫉妬だろうか。強烈な孤独が胸を抉る傑作である。

 韃靼海峡とは大陸沿海州とサハリン(樺太)を隔てる最狭7kmほどの海峡を指す。諸外国はここを「タタール(Tatar)海峡」と呼び、中国読みで「韃靼海峡」という。北の春だ。その貌は春といえど嶮しくあるだろう。安西はこの地ではなく父の赴任先大連でこの詩を書いたという。彼は大連で関節炎のため右足を切断するという難を蒙った。大連の冬もまた厳しく、その鬱とした心を一匹の蝶々に託す安西の詩情は酷烈なほどに美しい。

 優れた文芸作品は大作の映画に匹敵するほど饒舌だ。短歌や俳句を書いているとその世界に没頭するあまり詩へ目が向かなくなりがちだ。優れた詩もまた目を肥やしてくれる事を忘れてはならない。

里俳句会、塵風、屍派 叶裕

 


私の好きな詩人 第225回―三好達治― 江田 浩司

2020-02-18 11:27:50 | 詩客

 年齢とともに、好きな詩人が変わってゆくことがある。また、年齢に関係なく、好きであることが、いつまでも変わらない 詩人もいる。好きであることの中身(意味)には、多義的な要因があるだろう。例えば、最近の私は三好達治の詩に親近感を持っている。三好の詩が内包する言葉の韻律が心地よく、とても好ましいのだ。もちろん、それだけではない。自然や日常を素材とした抒情的な世界にこころを動かされ、惹きつけられるのである。特に『測量船』の、「春の岬」、「乳母車」、「雪」、「甃のうへ」、「少年」とつづく詩篇は、完璧な詩句の構成のもと、韻律と言葉の美しさが内包されている。これらの詩篇を誰かが口ずさむと、それに唱和して、思わず口ずさみたくなる雰囲気が、詩自身に備わっている。
 短歌を創作し始めてしばらくした頃だろうか。吉本隆明の初期評論「「四季」派の本質――三好達治を中心に――」を読んで、「四季」派について考えさせられた。吉本はこの評論で、「「四季」派の抒情詩の本質が、社会の支配体制と、どんな対応関係にあったのか」、「「四季」派の戦争詩は、かれらのどんな現実認識から生みだされたのか」を分析している。なぜなら、「こういう問題が解けないかぎり、詩は恒久的に、その時々の社会秩序の動向を、無条件に承認したうえで成立する感性的な自慰にしかすぎないからである」というのが吉本の主張である。
 吉本の「「四季」派の本質」は、以下の言葉によって結論づけられる。「「四季」派の詩人たちが、太平洋戦争の実体を、日常生活感性の範囲でしかとらえられなかったのは、詩の方法において、かれらが社会に対する認識と、自然に対する認識とを区別できなかったこととふかくつながっている。権力社会もかれらの自然観のカテゴリーにくりこまれてくる対象であり、権力社会と権力社会との国際的な抗争も、伝統感性を揺り動かす何かにすぎない」。「日本の恒常民の感性的秩序・自然観・現実観を、批判的にえぐり出すことを怠って習得されたいかなる西欧的認識も、西欧的文学方法も、ついにはあぶくにすぎないこと――これが「四季」派の抒情詩が与える最大の教訓の一つであることをわたしたちは承認しなければならない」と。

 本稿は、「私の好きな詩人」について書くエッセイなので、吉本の論にはこれ以上触れないが、当時、四季派の詩を愛読していた私には、かなりショックな論考であった。その後、長く、三好達治の詩を読むことからは遠ざかっていた。三好の詩をあらためて頻繁に繙くようになったのは、二〇一七年の約一年間、八木重吉へのオマージュを捧げた詩歌作品を創作したことが切っ掛けである。重吉の詩集を繙きながら、ときどき三好の詩にも手を伸ばすことがあった。歌集『重吉』(現代短歌社 二〇一九年)を上梓した以後の私の短歌には、三好の詩の影響を受けた作品が何首かある。その中には、私の気がついていないところで、影響を受けている歌もあるだろう。多くが三好の四行詩からの影響である。

 

   

  茶の丘や
  はねつるべ
  馬
  梅の花

第二詩集『南窻集』

この詩には、蕪村の俳画や俳句の影響が見られる。余分なものがそぎ落とされ、四行詩が成立するぎりぎりのところで作られている。格助詞の「」、と間投助詞の「」以外、すべて名詞で構成された詩である。
また、短歌を四行詩に構成した作品もある。

   路傍

  路にそへる
  小窓の中の かはたれに
  けふも動ける
  馬のしり見ゆ

 いつも、散歩で見ていた情景ではないか。それが、ある日、即興的に短歌(四行詩)になったのだろう。
 『南窻集』には、友人の梶井基次郎を哀悼した「友を喪ふ」四篇が収録されている。その中の一篇には、俳句が挿入された詩がある。

   路上

  巻いた楽譜を手にもつて 君は丘から降りてきた 歌ひながら
  村から僕は帰つてきた 洋杖ステッキを振りながら
  ……ある雲は夕焼のして春の畠
  それはそのまま 思ひ出のやうなひと時を 遠くに富士が見えて ゐた

 「巻いた楽譜」は、梶井が高校時代から親しんでいたムソルグスキーではないかという。「ある雲は夕焼のして春の畠」、回想の中に、哀感の滲む俳句が自然に挿入されている。
 三好の第三詩集『閒花集』、第四詩集『山果集』も四行詩集である。これらの詩集には、フランシス・ジャムの影響があるといわれている。が、その韻律は、和歌や俳句のしらべによるものが大きいだろう。『南窻集』には、心に残るしらべの詩が多い。それらの詩は、知識で作ったものではなく、天性の資質によるものである。詩(うた)を読む人の心の中で、脈々と伝えられてきたものが、鮮やかな耀きを放っている。詩の韻律の中からは、そのような囁きが聞こえてくる。

   

  蟻が
  蝶の羽をひいて行く
  ああ
  ヨットのやうだ
    *
   

  蝶よ 白い本
  蝶よ 軽い本
  水平線を縫ひながら
  砂丘の上を舞ひのぼる

 第五詩集『ばい』収録の「大阿蘇」も懐かしい。私立学校で教鞭を執っていた頃、教科書に載っており、年毎に生徒と読んだ一篇である。

   大阿蘇

  雨の中に馬がたつてゐる
  一頭二頭仔馬をまじへた馬の群れが 雨の中にたつてゐる
  雨は蕭々と降つてゐる
  馬は草をたべてゐる
  尻尾も背中も鬣も ぐつしよりと濡れそぼつて
  彼らは草をたべてゐる
  草をたべてゐる
   (以下略)

 雨に濡れる一群の馬を、じっと見つめている、雨の中の三好の眼差しに惹きつけられる。繰り返される「ゐる」の韻律が、言葉そのものの美しさを引き出してゆく。口語自由詩に独特のリズム感を内在させたすぐれた一篇である。
 三好の詩は、どの時代も好きだが、最近好んで読んでいる詩集は、第十二詩集『花筐はながたみ』である。福井県三国時代の書き下ろし詩集で、萩原朔太郎の妹アイに捧げられている。雅文体の四行詩が中心の詩集である。短歌を創作する前に読むと、詩の言葉のリズムが、なぜか短歌の韻律としっくりとしてくる。

   遠き山見ゆ
     ―序にかへて

  遠き山見ゆ
  遠き山見ゆ
  ほのかなる霞のうへに
  はるかにねむる遠き山
  遠き山々
  いま冬の日の
  あたたかきわれも山路を
  くだりつつ見はるかすなり
   (中略)
  いま冬の日の
  あたたかきわれも山路を
  降りつつ見はるかすなり
  はるかなる霞の奥に
  彼方に遠き山は見ゆ
  彼方に遠き山は見ゆ

 「遠き山見ゆ」と「遠き山は見ゆ」のリフレインが、遙か遠き思い出を呼びよせ、言葉にならない詩性が、波のように遠くから打ちよせてくる。詩のリズムの心地よさに誘われながら、いつの間にか詩の世界へと同化してゆく。
 言葉と韻律が創りだす抒情世界にこころを遊ばせ、漢字とひらがなのバランスが秘める文字のリズムに感嘆させられる。

   かへる日もなき

  かへる日もなきいにしへを
  こはつゆくさの花のいろ
  はるかなるものみな青し
  海の青はた空の青
    *
   桃の花さく

  桃の花さく裏庭に
  あはれもふかく雪はふる
  明日をなき日と思はせて
  くらき空より雪はふる
    *
   山なみとほに

  山なみとほに春はきて
  こぶしの花は天上に
  雲はかなたにかへれども
  かへるべしらに越ゆる路

 私は三好の四行詩を読みながら、短歌を作る心もちを整える。三好の詩を読んでいる内に、短歌の韻律が呼び覚まされ、言葉を求めて外の世界へと誘われてゆく。四行詩の魔術師に、いつの間にか魔術をかけられているのである。
最近発表した自作の中から、三首を引用したい。三好の詩集を読んだことが反映している。

すみゆける思惟のあをさをふくみもちいしぶみにちるふゆの薔薇ばらなり
ひさかたの日をくぐりゆくことの葉にみず影うつるかたぶく壁に
ふゆぞらのこゑにであひてうつそみの夢より歌をとげることの葉

「未来」二〇二〇年二月号「ゆめの戸」より


私の好きな詩人 第224回―町田康― 戸田 響子

2019-12-18 16:26:55 | 詩客

 町田康の詩の好きなところを言葉にするのは難しい。突然くるのだ。がつんと。すごい言葉が。
 たとえば、こんな詩のタイトルがある。
「オッソブーコのおハイソ女郎」
 詩の中身は読んでいただければわかるので割愛。とにかくタイトルのオッソブーコ。オッソブーコという言葉との距離感が絶妙で驚く。たぶんわたしは一年に一回オッソブーコというかいわないか、もしかしたら一回もいわないかもしれない。活字で見かけるのはもうちょっと多いように思うが、とにかく語彙のすみっこで埃をかぶっていたものが急に目の前に提示される、というか刺しにくる。びっくりする。それから何回もいいたくなる。オッソブーコ、オッソブーコ。

 次に引用するのは「こぶうどん」という詩の冒頭だ。

  あんな、食券買え言うてんねん、食券。そこ、ほら、機械、見えたあるやろ、あかんねん、いきなり入ってきて「こぶうど
  ん」とか言うても。

『こぶうどん』より

 詩の冒頭から関西弁でまくし立ててくる。わたしはこぶうどんというものを知らなかった。もしかしたら関西ではメジャーなのかもしれないが知らなかった。
 しかし音からかろうじてイメージできる。たぶん昆布が関係している。もしくは瘤状の何か。でもやっぱり昆布ではないかと思う。うどんに瘤状の何かが入っていたらもっとメディアなどで取りざたにされ知らない人はいないような具合になるのではないか。私事ではありますが、変わった料理をとりあつかったテレビプログラムや本などが大好きでよく見ている。うどんに瘤が入っていたら絶対知っている自信がある。
 そういうわけで検索したら「小麦粉を練って長く切った、ある程度の幅と太さを持つ麺またはその料理」とある。それはただのうどんだ。こぶうどんの説明はない。必要がないということかもしくは検索が下手。
 とにかくこの言葉のチョイスがやはり絶妙。きつねうどんとか月見うどんじゃないところがいい。こぶうどんをよく知っている人にはこの感覚はないのだろうか。お気の毒なことである。そしてこぶうどんも何回もいいたくなる。こぶうどん、こぶうどん。やはりいい。
 ちなみにこの詩は衝撃の結末が待っている。関西弁のリズムと不条理が大爆発する。未読の方はぜひ読んで欲しい、というか詩集を全部読んで奇妙な世界に引きずりこまれる感覚を味わっていただきたいと、日々考えている。
 もうひとつ町田康の詩で好きなところがある。古典の教科書に載っていそうな言葉がでてこなさそうなところででてくるところだ。オッソブーコが世界のすみっこから、こぶうどんが異世界から刺しにくるとしたら、それらは時空を超えて刺しにくる。

天香具山で猿が十姉妹をかじっている

『天狗ハム』より

古池や
弾をかわして
水の音、が聞こえている。

『古池や 刹那的だな 水の音、が』より

働き奴の手にポンカン、色わろし

『しかあらへぬ』より

 詩全体が古文のような趣きで統一されているわけではない。電気釜や銃撃戦などの単語と並んでいるのだ。こちらの常識をぶっこわしにくる。なんだかかっこいい。ロック。いや、パンク。


私の好きな詩人 第223回―中澤系― 雨澤 佑太郎

2019-11-22 02:25:48 | 詩客

 一昨年の夏に遠くへ行ってしまった友だちが、「これ、なんか良いよ」というメッセージとともに、Twitterの「中澤系bot」のリンクを僕に送って来た。それが、中澤系の短歌との出会いだった。副腎白質ジストロフィーという難病に侵され、二〇〇九年にこの世を去ったという彼の遺した短歌は、システムに支配された社会で孤立する個々人の諦観やかなしみを、平坦で変化のない日常生活の風景を、独特の語彙で切り取って見せる。

  3番線快速電車が通過します理解できない人は下がって

  とるべきだ ミルクの瓶のふた常にはがし損ねた日々をもろとも

  裏側を向いたまんまのコインでもコインはコイン十分なほど

  生きるなら生きよ個別に閉じかけのドア一人だけ抜け出せる幅

 中澤系の短歌には、作者の感情や表情というものがはっきりと見えてこない。残酷なまでにニュートラルで、匿名的だ。もちろん、匿名的であると言っても、それは作品が凡庸で没個性的であると言う意味では全くない。彼の作品は三十一音の世界において、複雑化されたシステムの中で極端に均質化され、代替可能な部品として際限なく摩耗していく我々――「匿名的な存在」にならざるを得ない人間の姿を、表象することに成功しているのだ。中澤系の短歌は、現代の日本で生活する者なら誰しもが触れる機会があるような一場面を、繊細かつ奥行きのある言葉を用いて鮮やかに置換していく。だが、歌を重ねていった先で彼が目にした地平は、加速していくシステムから逃れることが不可能な「終わらない」現実だった。中澤系は無限に続いていく世界を前にしても臆することなく、その「終わらなさ」を表現していった。

  正統な手続きを経たのちにさえ衰弱死という結末がある

  述べられていないものには意味がない沈黙の向こうにはなにもない

  サンプルのない永遠に永遠に続く模倣のあとにあるもの

  ぼくたちはこわれてしまったぼくたちはこわれてしまったぼくたちはこわ

 「資本主義の終わりより、世界の終わりを想像するほうがたやすい」とジジェクは言った(らしい)。あらゆる「終わり」は既に語られ尽くした。我々は甘美な感傷に浸りながら「終わり」を語るのではなく、この現実を覆う閉塞感の本質である、「終わらなさ」と対峙しなければならない。「最後の日」を夢想する終末論者たちのささやかな期待など意に介すこともなく世界は延命し、そうして今日と同じような明日がやってくる。かつて、中森明夫は80年代末期に「すべては終わった/もう新しいものなどない」と書いた。90年代には阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件が起こり、中澤系にも強い影響を与えた社会学者の宮台真司は「終わりなき日常」を提唱した。中澤系はそうした時代の空疎で不透明な空気を、明晰な理性と敏感過ぎるほどの詩的感覚を通して汲み取り、そしてたったひとりで「なにもない」「永遠に続く」世界と向き合った歌人だった。中澤系の見たもの、見ようとしたもの、見ることができなかったもの。彼の短歌は、ひとつの大きな課題として後世の読者に読み継がれていく。


私の好きな詩人 第222回 ―安川奈緒― 暮田 真名

2019-09-28 03:20:50 | 詩客

 自作を不用意に声に出して読まれるときの索漠とした感覚を知っていることと、安川奈緒の詩に惹かれることは私の中でとても近い場所にある。
 安川奈緒の詩が持つ引力について考えたい。一度紙面に目を落としたが最後、引き摺られるようにして文字を追いかけることしかできなくなる。明らかに、文字列を頭の中で声に出して読む余裕など与えられない。いわんや朗読をや、である。
 安川は佐々木敦との対談(『現代詩手帳』2010年1月)で朗読について「身体性の否定みたいなものが私には強くあって、だから自分の声と自分の書いたものの親しさをそこでどうして回復しなければならないのか、それがわからないんです」と述べ、読者に対しても「視界の中だけで処理してもらいたい」と要求している。
 安川の詩において「身体性の否定」がどのようにして行われているかを確認するために、次の詩行を見よう。

ところで 瞬間移動で来たのかと問われれば 瞬間移動で来たのだと答えよう あこがれの街をくぐりぬけ おまえが嫌いだと言うために 来たのだと おまえに夢中になりすぎて 身体のことを忘れてしまったのだと(「背中を見てみろ バカと書いてある」より)

 「瞬間移動」の速さによって「身体のこと」が忘れられるとき、声もまた置き去りにされる。速さの推進力となるのは息が詰まるほどの他者への希求であり、その中では「おまえが嫌いだと言うために」と「おまえに夢中になりすぎて」が当然のように同居する。

泣くな 泣くようなテレビじゃない 今日は不用意に原爆と口に出してもいい 自分のせいで誰かが自殺すると思ってみてもいい 間違いの手旗信号にうっとり見とれていた敗残兵たち 窓は縛るためにある そして今からとても楽しみ インポテンツ・トルバドゥールの夜(「玄関先の攻防」より)

 「泣くな」という禁止に続いて「~てもいい」とみとめられる事柄は、どちらも不吉で衝撃的である。これらの許可、あるいは「インポテンツ・トルバドゥールの夜」といった見慣れない言葉に読者はおそらく面食らうだろう。「うっとり見とれ」ることもできるだろうが、同じことだ。その間に、身体は言葉に置いていかれている。

 生前唯一出版された詩集である『MELOPHOBIA』を私は持っていない。私が安川を知った三年前にはとうに絶版になっており、電車を乗り継いで定価の十倍の値段が付いた詩集を見に行ったことも思い出深いが、来年全集が出るらしい。今はそれだけを待ち焦がれている。