ソーシャルワークの TOMORROW LAND ・・・白澤政和のブログ

ソーシャルワーカーや社会福祉士の今後を、期待をもって綴っていきます。夢のあるソーシャルワークの未来を考えましょう。

教科書づくり雑感(4)

2009年09月10日 | 社会福祉士
 今回のカリキュラム変更に伴う新たな教科書づくりの渦に巻き込まれ、私自身も大変な状況にある。既に、5章分ぐらいは執筆させていただいたが、ほぼ完成間近で最終チェックが残っている原稿が3章分ほどあり、出版社に大変迷惑をかけている。そして、毎日のように編集者から催促されるが、一方で研究にも関わらなければならいし、少々精神的に不安定になっている。

 昨日も編集者と会って、「直ぐに仕上げる」ことを約束してきた。この編集者も私のブログを楽しみに見てくれているが、彼からすれば、日曜日以外毎日書いているブログを中止してでも、早く原稿を仕上げろと思っていることであろう。昨日、そのようなことは言われなかったが、待ってもらえるのも限界にきている。そこで、ブログを数日か一週間か分からないが、3章分が完成するまで中止し、教科書づくりの原稿に時間と気持ちを集中させたいと思っている。これで、編集者も少しはほっとするであろう。

 ただ、この夏も遊びぼうけていたわけではなく、プロダクティブに仕事をしてきたことの、言い訳だけはしておきたい。この夏に仕上げた仕事を少し思い出してみると、ミネルヴァ書房からは、岡村理論とソーシャルワークやケアマネジメントに関する論文を2報、全社協からは、居宅サービス計画ガイドラインの全面改定での編集・執筆、施設のケアプランを含めたケアマネジメントの編集・執筆、中央法規では、社会福祉士の演習・実習関係の教科書づくりの編集・執筆、ケアマネジャーの専門研修Ⅱの教科書の監修・執筆等々である。忘れていたが、夏休み前には、ミネルヴァ書房からは、「ストレングスモデルのケアマネジメント」も出している。

 いつブログに戻ってくるか不安であるが、最大でも一週間内で戻ってきたいという決意である。

教科書づくり雑感(3)

2009年09月09日 | 社会福祉士
 今回の社会福祉士制度改革の目玉は、実践能力のある人材の養成であり、その際に座学部分の能力は国会試験で振り分けられるが、それらの知識を基礎にして最終的に実践能力の高い人材になるためには、「演習」や「実習」が重要な鍵になることから、この部分の強化を図っていくことに主眼が置かれてきた。

 社会福祉士養成校を組織している(社)日本社会福祉士養成校協会では、2006年度と2007年度の2年間、福祉医療機構から助成金を得て、「社会福祉士養成にかかる社会福祉援助技術関連科目の教育内容及ぶ教員研究プログラムの構築に関する事業」の研究を会員校の多くの先生方のご協力をいただき、行ってきた。その成果報告書は「社会福祉士養成にかかる社会福祉援助技術関連科目の教育内容及ぶ教員研究プログラムの構築に関する事業報告書」として、社養協のホームページに掲載されている。この助成金により、演習や実習の枠組や、それらの教員研修のあり方について大枠を整理することができた。

 これを受けて、(社)日本社会福祉養成校協会では、一つは、実習担当教員と演習担当教員向けの教科書を作成した。これは、「相談援助演習教員テキスト」と「相談援助実習指導・現場実習教員テキスト」であり、これを使って教員研修を行っている。これら2つの教科書は、(社)日本社会福祉士会が実習担当者向けに作成した教科書である「社会福祉士実習指導者テキスト」との整合性を図りながら作っている。

 もう一方、これら実習担当者や演習担当者が学生を指導する際に必要となる、学生向けの教科書を作成することにした。これは、既に演習用の教科書は「社会福祉士相談援助演習」というタイトルで販売されているが、実習用の教科書は、「社会福祉士相談援助実習」というタイトルで11月予定を近々刊行される予定である。

 これらの教科書の執筆については、会員校の先生方に大変お世話になった。岡村重夫先生が生きておられたら、どのように言われたか想像もつかないが、これらの教材を準備していくことで、実践能力のある人材を社会に輩出していくことに貢献できるものと確信している。同時に、ご執筆いただいた先生方には、研究成果のフィードバックとして、研究成果の一般化な波及化に貢献いただけたと思っている。また、ご執筆いただけた先生方は、自らの研究成果をお持ちの方であり、同時に他の研究者の研究成果も取り込んでくれる方を人選できたと思っている。

 社会福祉士に関連する皆さんには、是非一度、これら4冊の教科書を手にとってご覧頂きたい。そして、ご意見や評価を頂きたいと思っている。それらをもとに、次の改訂でより良い教科書にしていきたいと思っている。



教科書づくり雑感(2)

2009年09月08日 | 社会福祉士
 (社)日本社会福祉士養成校協会の会長になってからは、教科書づくりに対する意識が変わってきた。以前は、教科書づくりを依頼されると、岡村重夫の言葉が頭にこびり付いており、義理人情という気持ちでお引き受けすることが多かった。しかしながら、最近は、居直っており、教科書は優秀な社会福祉士や介護福祉士を養成する最たる教材であり、ここに力点が置くことも必要であると思っている。

 そのため、理想の姿は、一方で、一人ひとりの研究者は自らの関心ある研究を行い、他方は、その研究成果と他の研究者の研究成果を加えて、教科書づくりに関わっていくことが求められるのではないかといえる。この前者を疎かにするなというのが、岡村重夫先生の忠告であると、拡大解釈をしている。

 社会的に認められた研究成果を普及させていくことで、研究が実践につながっていくことになる。このことは、研究と実践を常にフィードバックしていくとする社会福祉の目的を果たす一つの手段にもなることができる。

 ところが、この教科書づくりに伴い、盗作や剽窃の類が増えたことは確かである。ある剽窃事件があった時に、岡村重夫先生は、「社会福祉は教科書づくりばっかりやっているから、こういう問題が起こるんだ」と憤慨していたことを想い出す。確かに、自ら行ってきた研究をもとめる論文や著書ではこうしたことは起こりにくいが、教科書づくりでは、起こり易いことを肝に銘じて、監修・編集、さらには執筆を行う必要があると思っている。そのため、死ぬ時とは言わないが、せめて研究の完成が間近な研究者に執筆してもらうことが大切であると思う。逆に、教科書ばかり書いている人に、教科書の執筆を依頼してはならないということになろう。

 もう一つ、社養協の会長として、最近思うことがある。現在、社会福祉士や介護福祉士では、基準となるシラバスや国が決めた出題基準がある。これにより、国家試験での出題の範囲が決まってくる。今年度の試験は、新しい出題基準で行われることになっている。このシラバスや出題基準は定期的に見直しをしていく必要があるが、その時に、教科書の中味等の変化がベースになる出題基準さらにはシラバスの変更議論が行われることが、本来の姿ではないかと思っている。

教科書づくり雑感(1)

2009年09月07日 | 社会福祉士
 私は岡村重夫先生が大阪市立大学社会福祉学講座の伝統にして創り上げてきたことを、間違いなく一つ崩してしまったことがある。それは、「教科書は研究者が死ぬ前に書くものである」ということであり、「巷で横行している教科書づくりにタッチするな」という掟である。

 そのため、岡村重夫先生の研究業績を見られれば分かるが、教科書の類の業績は一切ない。先生を継がれた柴田善守先生は、教科書らしいものはないとは言えないが、最近の教科書の特徴である、一章づつ、酷い場合はさらに一節づつ分担執筆するのではなく、単著として書かれた物である。

 こうした教科書づくりが急激に活発化したのは、社会福祉士と介護福祉士の国家資格が導入されてから以降である。この時点で、私は岡村重夫先生が作られた伝統や掟を破ったことになる。そのため、国家資格が出来た20年前にも、教科書を書くことを依頼された時には、相当躊躇した。

 最近は、岡村重夫先生の忠告も忘れがちであるが、社会福祉士や介護福祉士という国家資格がつくられ、その人材に最低限教育しなければならない水準が付せられている以上、誰かがその仕事を担っていかなければならないと思っている。その故、こうした教科書等の業績は、研究業績というよりは教育業績に近いと考えている。

 そのため、監修・編集に携わる場合にも、執筆する場合でも、私個人としては、一般化しつつある新たな知見をできる限り広げていくことに努力している。また、少しでも岡村先生の掟を守るため、編集等に携わる場合には、若手の研究者には依頼せず、その領域で一定の研究枠組をもって、深く研究している人を人選するように努力している。

民主党への海外の評価(Newsweek日本版9/2号)

2009年09月05日 | 社会福祉士


 民主党への海外の評価をみたいと「NEWSWEEK」の9月2日号を読んでみた。民主党がマニフェストでとなえる「生活第1」を実現するためには、確かに成長戦略が必要である。これについて、民主党に対して世界はどのように見ているのかを知りたかった。

 「沈みゆく成長戦略なきニッポン」(ラーナ・フォルーハー ビジネス担当)では、中国が日本をこの10年足らずに経済成長で追い抜いていくことから、日本は日米関係での弟分的な位置づけから、中国との関係を核にして、アジアに力点を置いた政策を推進していく必要があるという。ここに軸足をおけば、日本は世界の大国としてのイメージが回復する可能性もあるという。

 これは、現在民主党がとろうとしている外交政策に近く、こうした戦略で、外需が伸びて、一方で、内向きと言われる福祉や介護をもとにした内需を高めていってくれることを期待したい。

 「やっと訪れたチェンジ」(リチャード・サミュエルズ マサチューセッツ工科大学教授)では、経済の停滞、終身雇用制の崩壊、社会的不平等や自殺者数をとってみても、普通の国であれば、少なくとも選挙による「革命」が起きていたはずであるという。彼はそれを皮肉っぽく、くたびれた政治家とその子供たちの群れががっちりと権力をつかんできた、と分析している。

 民主党は今後衰退するアメリカとの台頭する中国とも付かず離れずの位置を維持することであるが、それには微妙なテクニックが必要であるという。民主党について、「成功するかもしれないし、失敗するかもしれない。だが大事なのは、民主党は何か新しいものを代表しているということだ。日本の政治もようやく世界に追いついた。ついに変化が訪れたのだ」が結論である。

 このようにニュースウィークは、概ね民主党の政策について、アメリカ人でさえも好感をもってみているということである。ここから成長戦略を描き、その効果として、セフティ・ネットを構築していって欲しいと願っている。


富山市「福祉の人づくり推進会議」の実績

2009年09月04日 | 社会福祉士
 富山市は、3カ年計画で、社会福祉士を定着させることを「福祉の人づくり推進会議」ということで進めてきた。委員長をお引き受けし、今年度は最終年に当たり、まとめの年になった。今年度の1回目の委員会が先日行われたが、この2年間でそれなりの成果が得られており、もう1年地元の人々にがんばっていただき、一層の成果を得たいと思っている。

 この推進会議が始まった時には、富山県では社会福祉士を養成する大学や専門学校もなかったため、社会福祉士の人数が少なく、定着を図ることが目的であった。そのため、多くの事業を進めてきた。

 第1は、社会福祉士の実習を富山市の施設・機関で実施してもらうために、県外の実習生には宿泊費補助として1000円が富山市からだされた。また、富山市社会福祉士ネットワークを立ち上げ、「実習プログラム」を作っていただいた。同時に、今後の実習システムの変更に合わせて、施設・機関の社会福祉士の実習担当者研修会への参加をサポートしていただいた。

このような結果、実習参加者は、平成19年度が21名であったのが、20年度には80名となり、今年は108名まで増加した。さらに、日本社会福祉士会が考案している実習プログラムに基づいて、1週目の職場実習、2週目の職種実習、3~4週目のソーシャルワーク実習に合わせて、富山型実習と銘打って実習を地域包括支援センターを中心にして実施されている。これには、平成19年度には5名だったが、昨年度は11名であったが、今年度は21名にまで伸びている。

 第2には、昨年度から福祉施設でのインターンシップを実施しており、今年度も6名が参加してもらっている。

 こうした事業を推進したことで、富山市で社会福祉士の実習可能な施設・機関の内で、社会福祉士を配置している施設数は、一昨年の108ヶ所、昨年の129ヶ所、今年の154ヶ所と増加してきた。現在、富山市内の社会福祉士実習可能な施設・機関のうちの44%には社会福祉士が所属しているまでになった。

 さらに、この間に、富山市は「社会福祉士」に限定した専門職採用を始めた。また、この間に、国立大学法人富山大学でも社会福祉士養成校になり、今年度開講した富山国際大学のこども育成学部でも社会福祉士の事件資格が得られるようになった。こうしたことも影響し、今年から始めた7月20日の海の日の「ソーシャルワーカーデー」を、富山では独自に開催していただいた。

 このように、2年半で一定の成果が得られたと思うが、今年度は「福祉の人づくり推進会議」は最終年度であり、現在まで築き上げた実績を維持・発展させ、次年度以降恒常的に展開できるシステムを確立してほしいと願っている。また、このような事業を他の市町村でも進めてもらいたいと思っている。

要介護認定について(東洋経済9/5号より)

2009年09月03日 | ケアや介護


 東洋経済の特大号で、「老後を誰が看るのか?」の特集を組んでおり、介護の大問題という副題になっている。ここで、最近私が気にしている要介護認定のあり方について、どのように整理されているかを紹介しておく。

 まず、要介護認定であるが、「二転三転した認定基準」というタイトルとなっている。実際、今年の3月のテキストで移動での「重度の寝たきりで移動の機会がまったくない場合」、食事摂取での「中心静脈栄養のみで、経口での食事はまったく摂っていない場合」、整髪が「頭髪が無く、「整髪」をまったく行っていない。入浴後に頭をふきう介助は全介助にて行われている場合」は、自立(介助なし)となっていたが、今回の検証の結果、すべて全介助という180度転換している。

 このなかでは、「過ちては改むるにはばかることなかれ」という格言を引き出しており、一方で、素直に戻した態度を評価すると同時に、要介護認定のいい加減さがしみしみと伝わってくる。

 いのため、要介護認定制度を廃止すればとの意見をブログに書いたことがあるが、この東洋経済では、2人が別の頁で言っている。一人は、要介護認定の中味作りに極めて深く関わっていた小山秀夫さん(静岡県立大学)と、太田秀樹医師(医療法人アスムス理事長)である。

 私も同感であるが、サービス担当者会議を義務化しているわけであり、そこで決定すれば事足りるのではないかと思っている。財源的に気になるなら、保険者がこの会議に参加すればよいのではないかと思っている。

 太田さんは「もっぱら障害の程度で判断する今の仕組みは時代遅れだ」と言っている。これは、障害の概念がICIDHからICFに変わり、要介護者本人の状態だけでなく、家族・地域や住環境での要因によっても生活障害のレベルは変わることが潮流となっている時代にあって、時代に合わないと考える。

 小山さんは、「私はもはや、要介護認定そのものをやめてもいいのではないかと考えている」と言っている。多くの国で行われている、ケアマネジャーを中心として専門職チームでやればということである。

 現実には、財源的なチェックを現状では、要介護認定制度とケアマネジャーが主宰するサービス担当者会議の二重に実施されており、後者の保険者も参加したサービス担当者会議でチェックすれば、事足りるのではないかということである。

 民主党政権になり、今後、介護保険制度について有意義な議論が展開していくことを期待したい。そのためには、ケアマネジャーの専門性である、ニーズの把握する力を身につけけさせるための継続教育やキャリアパス、待遇の改善を含めた社会的地位の確保が不可欠である。



鳩山さん くらしの注文です

2009年09月02日 | ケアや介護
9月1日の朝日新聞の29面の「生活」欄で、「鳩山さん くらしの注文です」というタイトルで、私のインタビュー記事が載っている。以下に、再掲しておく。

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情熱ある介護、夢や希望必要

                        白澤政和・大阪市立大学大学院教授(社会福祉学)


 介護職の人手不足が待ったなしの危機的な状況のなかで、民主党が公約した月4万円の賃金アップ」は、人材を確保するには魅力的な額だ。介護労働者の平均月給は21万6千円で、全産業の約7割。情熱をもって介護するには、知識や技術だけでなく、社会的に評価されているという誇りも必要だ。

 ただ、賃金銀アップのための介護報酬引き上げに必要な財源の裏付けが明らかではない。介護保険の財源は、公費と保険料がそれぞれ50%。在宅サービスでは公費のうち25%が国庫負担で、都道府県と市町村が12・5%ずつ負担している。

 「暮らしのための政治」を掲げ、保険料の引き上げなど国民の負担増を避けるのであれば、財源は国庫負担の増加でまかなわざるを得ない。負担割合を変えるのかも含めて財源の根拠を示し、また介護報酬を上げたぶんをきちんと賃金に反映することが喫緊の課題だ。

 でも、給料を上げるだけでは明日への希望や夢は描けない。認知症の人の気持ちに寄り添うケアなど介護の専門性を高める研修を充実させ、例えばヘルパーから管理職へと、キャリア形成の体系づくりも不可欠だ。

 昨年86歳で他界した妻の母親は、ヘルパーがいない時に転んで歩くのが不自由になった。でも、ヘルパーの時間介護は難しく、妻が三重県から大阪までほぼ毎日通った。私の90歳の父と84歳の母は今は元気だが、在宅で支えきれるか不安だ。持続可能な介護保険制度を実現し、質の高いサービスがだれでも受けられ、安心して老いを迎えられる制度作りに切り込んではしい。


民主党に対する「介護保険」に対する期待と不安

2009年09月01日 | ケアや介護
 民主党が圧倒的勝利を収め、政治は今新しい時代を迎えようとしている。財源が危機状況にある介護保険制度を、新政権がいかに再生してくれるか期待も大きいが、同時に不安も大きい。まずは、介護保険についてマニフェストを忠実に遂行してくれることを願うものである。

 民主党マニフェストで近々起こる問題は、介護従事者の待遇改善についてである。既に、来月から、追加緊急経済対策として、介護職員処遇改善給付金制度が始まることになっている。これは、施設や在宅の介護職に限定し、2年6ヶ月の間、常勤換算で賃金を月額1万5千円アップするものである。これについては、各都道府県で、着々と準備が進んでいる。

 ところが、民主党のマニフェストは、介護報酬を加算することで、介護労働者の賃金の月額4万円アップをうたっている。これは、今年の3月に民主党、共産党、社民党、国民新党の野党連合で提出し廃案になった「介護労働者の人材確保に関する特別措置法」をもとにしている。この法案では、介護労働者の待遇改善のために、全ての介護保険事業者を対象に介護報酬を10%加算するものであった。介護労働者の待遇改善に結びつけるために、介護事業者には、介護職員の賃金の引上げ等の努力義務を課し、その実効性を担保するために、毎年、現行の公表制度に加え、待遇改善の状況の市町村への報告を義務づけている。ここで言う介護労働者は、福祉サービスや保健医療サービスの業務に従事する者であり、当然ケアマネジャーや訪問看護師も含まれることになる。なお、この特別措置法は、介護を担う優れた人材の確保に支障がなくなった時点で廃止になるとしている。

 ここでの問題は、どのように「介護労働者の人材確保に関する特別措置法」を介護労働者の待遇改善に実効性あるものに修正し、いつの時点で法案を通し、実行するかである。これは、介護保険で民主党が最初に取り組まなければならない緊急のテーマである。

 もうひとつのポイントであるが、今後の介護保険制度の方向を考えると、大きな問題がある。現在の介護保険の財源面での危機的状況を以下に打破すべきであるかである。そして、来年度は5年に1度の介護保険法見直しの年に当たり、法改正で、危機状況を脱出できるかどうかにかかっている。そこでは、前回改正の介護予防の効果を検証し、効果・効率の側面から、大なたをふるってほしいと願っている。

 その中で最も根本的な財源問題については、国庫負担割合の見直しを検討すべき好機である。残念ながら、民主党のマニフェストには、国庫負担の見直しについての記述はないが、今後民主党と連立していくとされている政党では、国家負担割合の変更を明記しており、民主党も国庫負担割合の議論は避けて通れない。公的財源の明確な担保のもとで、マニフェスト工程表に再度国庫負担割合のアップを組み入れてくれることを期待している。その意味では、「介護労働者の人材確保に関する特別措置法」がどこまで継続していくかで、国庫負担比率を恒久的に引き上げられることにもつながることになる。

 以上のような課題を解決していくことに加えて、介護労働者の継続教育を介したキャリアパスを確立ことで、民主党マニフェストで言及している、「介護の必要な高齢者に良質な介護サービスを提供する」介護保険制度に成ることを願っている。

献本でのおもしろい話

2009年08月31日 | 社会福祉士
 我々研究者の世界では、自分が新しく書いた著書を多くの知っている方々に送ることが習わしである。これを献本というが、本を読んでいただいて、意見や評価を頂くためのものである。

 そのため、『福祉のアゴラ』や『ストレングスモデルのケアマネジメント』も多くの皆さんに献本させていただいた。特に、『福祉のアゴラ』は出版社との約束で、印税をお金でなく著書ですべて頂くことになっていたため、本当に多くの皆さんにお送りさせていただいた。

 そこで、唖然とすることが起こった。献本は、本屋に並ぶ前に送ることになるが、一方、販売が始まる直前からアマゾンでは予約を取ることになっている。私は、ブログに貼り付けるため、アマゾンでの『福祉のアゴラ』を開くと、なんと中古品が1冊販売に出されていた。

 これは、未だ一般に販売される前での中古品であるから、私が献本した中の誰かが、読んでか、読まずか分からないが、アマゾンに、献本が自宅に届くか届かない時期に、中古品として出したということになる。当たり前のことであるが、そこには、汚れの程度が「新品同様」と書かれていた。

 これはショックを超えて、素早い動きをした被献本者に拍手を送りたくなった。ただ、それほど魅力がない本なのかと少し悲しくなった。

 随分以前に、岡村重夫先生が亡くなられ、私が『福祉新聞』に追悼文を書かせて頂いた時に、朝日新聞であれば天声人語の欄に相当する「三念帖」というコーナーがあるが、ここに書かれていた内容が今も忘れられない。これは、当然この福祉新聞の記者が書かれたものであろう。

 大学を卒業し、就職のため東京に出てくる時に、ボストンバックの中に、今まで何度も読んだ一冊の本を入れてきた。それが、岡村重夫の『社会福祉学原論』であったという。この本があれば、私が困った時に、助けてくれるであろうと思ったというような内容であったことを覚えている。

 ちょうど、岡村先生が亡くなられた時であり、素晴らしい文章を書いていただいたと感激した。そして、私もいつか、学生の方々が就職のため家を出て行く時に是非持っていきたいと思ってもらえるような一冊の本を、いつかは書きたいと思った。これはまだまだ実現するものではないが、まずは献本して直ぐに中古に出されることのないよう、魅力にある著書を書いていきたい。


白澤がブログで吠えている

2009年08月29日 | 社会福祉士
 こんな言葉を、現場の人から伺った。最近は確かに、余り気兼ねや遠慮もなく、思いのままを綴っていることは確かであるが、吠えるまでは至ってないと思っている。そのため、少々ショックであったが、現在のブログに対する姿勢は今後も一貫して続けていくつもりである。

 これは、ブログを毎日書くことは辛いけれども、それが欲求不満の解消になることができればこしたことはない。ただ、これが過ぎると、ブログ炎上ということになるので、少しは自重することも必要であろう。

 最近のこうした気兼ねなく書くようになった要因は、義理の母親の死で、介護保険制度の問題点が身近に見え、主たる介護を担った妻から、社会や高齢者に役立つことを意識して、研究したり、論文を書くことが大切ではないかと言われたことが、ボディーブローのように効いている。

 同時に、気兼ねなく書くのは、年のせいかもわからない。若い頃は、他の人がどう言っているかが気になり、文献検索をベースにしなければ原稿が書けなかった。最近は、「我は行く」という心境で原稿を書いている。そのため、他の人の考えと調整していないため、突飛な原稿になるかもしれない。

 吠えているブログのためか、アクセス数は急増している。平日は人数で、平均が700名弱で、アカウントで、1500程度である。私の学科の1年の学生は35名程度であるから、毎日学生の20倍が見てくれていることになる。そのために、アクセス数に背中を押され、ブログを休みたくても、休めない状態になっている。以前は、多くのストック原稿をもっていたため、余裕があったが、今はそれも皆無で、その日暮らしの原稿となっている。早くストックを作りたいと思っている。

 もうひとつ、私はアフィリエイトに入会しており、私のブログからアマゾンで図書等を買っていただければ、マージンが入ってくることになっている。会費が月250円であり、これを始めて1年少し経つが、やっと5000円頂戴した。少し黒字ではあるが、商売というわけにはいかない。ただ、私のブログから、『福祉のアゴラ』や『ストレングスモデルのケアマネジメント』が相当売れたことは嬉しかった。お買い上げ頂いた方に感謝申し上げます。


地域包括ケアとは

2009年08月28日 | ケアや介護
 厚生労働省は、「地域包括ケア研究会報告書~今後の検討のための論点整理~」(平成20年度老人保健健康増進等事業として実施された「在宅医療と介護の連携、認知症高齢者ケア等地域ケアの在り方等研究事業」:実施主体:三菱UFJリサーチ&コンサルティング株式会社)を、5月22日に公表している。そこでは、地域包括ケアの定義についての提案がなされている。

 地域包括ケアとは「ニーズに応じた住宅が提供されることを基本とした上で、生活上の安全・安心・健康を確保するために、医療や介護のみならず、福祉サービスを含めた様々な生活支援サービスが日常生活の場(生活圏域)で適切に提供できるような地域の体制」との試案を提示している。さらに、誰か駆けつけるのか知らないが、「おおむね30分以内に駆けつけられる圏域」として、この生活圏域を、中学校区を基本にしてはどうかと問いかけている。

 この報告を読んでの感想であるが、2点気になることがある。

 第1点は、地域包括ケアの現状についてである。研究会の地域包括ケアの定義に何ら違和感はない。私は、個々の利用者を、空間的・時間的に生活の連続性を支えていくことの重要性をブログでも主張しており、そのことが地域包括ケアであるということで異論はない。

 ただ、こうした利用者の生活の連続性を制度的に崩しておきながら、その検証や検討を論議し報告されることなく、提案されていることが残念である。すなわち、ここで示した2つの図は、時間軸での連続性が、4年前の法改正で崩れたことを示している。現状でのこの窓口が2つ分かれ、要支援者と要介護者での連続した支援が難しくなり、ワンストップサービスやケアの連続性が崩れたことに対する問題提起もなくして、地域包括ケアは推進できるのであろうかということである。




 もう1つ気になることは、中学校区とは昔聞き慣れた言葉で再現してきたことである。これは、平成2年に在宅介護支援センターができた時に、当時中学校区が1万ヶ所あり、1中学校区に1ヶ所の在宅介護支援センターを作ることが、ゴールドプランに記載され、全国に普及していった。最終的には、8千近くまで伸びたが、これが4年前に地域包括支援センターに移行した。

 その時は、高齢者が移動可能な人口2~3万を生活圏域とし、都市部や農村部では人口規模は異なるということであった。そこで、また中学校区を生活圏域にという議論である。このことは、地域包括支援センターの生活圏域設定に問題であったのか、あるいは現状の多くの地域包括支援センターが多くの人口規模を抱えて実施していることへの反省からのものであるのか。これについても、現状の地域包括支援センターの実態とその成果を検討することでの議論でありたいと思う。同時に、個々の市町村においては、生活圏域設定があまり変わるようでは、個々の住民も行政も困惑することになる。

ストレングスモデルは:理念か方法か

2009年08月27日 | 社会福祉士
 先日行われた「C.ラップ先生来日記念学術フォーラム」というテーマでストレングスモデルについてのシンポジウムに関しては、既に一度書いたが、もう1つ考えたことがある。それは、ストレングスモデルは理念か方法かということである。

 具体的には、以下の2つが考えられる。ストレングスモデルは、ソーシャルワーカーやケアマネジャーがもっていなけれればならない理念とし、それが具体的な支援に反映させていくことでよいのか。あるいは、ストレングスを活用する意義を明らかにし、具体的なアセスメント過程でストレングスをいかに発見し、それをケアプランにどのように反映させていく方法として成熟させていくのか。

 ここからは私の考え方である。前者の理念については、既に古くからストレングスを捉えることで利用者の生活が支えられ、これこそが生活モデルでの重要な概念であるとされてきた。そのため、確かに、ソーシャルワーカーやケアマネジャーが理念を大切にすることによって、あるいは創意工夫することで、ストレングスを活用した支援になっている事例が多く存在すると思っている。

 このような理念に従って実施している事例を分析する中で、どのようなアセスメントやケアプラン作成をしていけばよいかを導き出していく作業が必要であると思っている。この結果、ストレングスモデルのソーシャルワークやケアマネジメントの方法が提案させ、それを実践との間でフィードバックさせながら、ストレングスモデルの方法を確立していくべきであると考えている。

 なぜ、このようなことを言うかと言えば、当日のシンポジウムで、日本精神保健福祉士会から報告された岩上洋一さんは、利用者のストレングスを活かした支援の事例を多く報告されたが、彼は、これらの事例をストレングスモデルのケアマネジメントとは言わず、ストレングスモデルらしい仕事と強調されていたのは、その辺にあったのかもしれない。

 もう少し、方法としてのストレングスモデルを究めたと思っている。

「ソーシャルワーカーの専門職としての価値とは」再考(下)

2009年08月26日 | 社会福祉士
 最近気になることは、利用者の強さ(ストレングス)、強靭性・塑性力(レジティマシー)、社会的回復力(リカバリー)が1つの方法としてだけでなく価値観になりつつあるが、それはソーシャルワーク領域だけでなく、医学や看護の領域でもそれを吸収していく状況にある。

 このような考え方は、ソーシャルワークが独自性を有している「利用者の生活支援」と密接な関係をもって、導き出されるものであるが、既に専売特許でないことを自覚しておく必要がある。これは、例えば、精神医学の領域で、統合失調症の患者さんの中で、病気から社会的回復していく人と、そうでない人がいることから、患者さんのもっている回復力を明らかにし、そうした力を支援していこうとする考え方である。私の考えは、利用者の強さ、強靭性・蘇生力、社会的回復力といった価値観を多くの専門職が共有できることは、嬉しい限りであると思っている。なぜなら、価値観を共有することができ、多くの専門職がより連携して仕事ができるからである。但し、この価値を梃子にして、ソーシャルワークはどのよいに方法や目的を高め、同時にそこからソーシャルワークの独自性を見つけ出していくかが問われていると考えている。

 このことをさらに推し進めれば、ソーシャルワークはどのような独自性があるのであろうか。それは、単に利用者だけの強さ、強靭性・蘇生力、社会的回復力だけでなく、地域社会のそれにも着目し、地域社会の有している強さ、強靭性・蘇生力、社会的回復力を引き出していく支援方法を確立することも一つであろう。一方、現実の実践の中で、どのように強さ、強靭性・蘇生力、社会的回復力を活用し、方法や目的での独自性を確保したり、自らの実践を強化し、効果や、ひいては効率を高めていくことに貢献していくことであると思っている。

 追加になるが、先日ミネルヴァ書房から刊行した『ストレングスモデルのケアマネジメント』は、後者のソーシャルワークやケアマネジメントが、現実の実践の中で、どのようにストレングスを活用し、方法や目的での独自性を確保したり、自らの実践を強化し、効果や、ひいては効率を高めていくかを狙いにしたと考えている。是非お読み頂き、ご意見を頂戴したい。

「ソーシャルワーカーの専門職としての価値とは」再考(上)

2009年08月25日 | 社会福祉士
 ブログでは、ツールメニューがあり、どの日の項目が読まれたかが毎日データで読むことができることになっている。その結果分かることは、決してその日に書いた新しい内容がトップで読まれているとは限らないことである。

 私は、このことだけは毎日チェックしている。それは、私のブログにアクセスしてくれた人々のニーズが分かるからである。最近の動向は、介護職員処遇改善給付金関係の項目が、常にベスト10に入ることが多かった。

 古くに書いたものでは、2008年6月23日の「ソーシャルワーカーの専門職としての価値とは」が、良く読まれている。それは、ソーシャルワークの価値は大切であるが、それのみにしがみ付いていると、専門職としての独自性が出しないのではないかと問題提起した項目である。逆に、ソーシャルワークの目的や方法といったことでの独自性や固有性を示す活動ができない限り、専門職連携の中で、生きていけないという危機意識を書きたかった。

 この思いは、今も変わっていないし、この危機をどう克服するかで、私自身も苦悩しているということである。

 社会福祉士(ソーシャルワーカー)、介護支援専門員、介護福祉士、医師、看護師はいずれも対人援助(支援)職といわれ、根本的には同じとは言わないが、極めて類似の価値観をもっている。その基礎には、人間に対する尊厳といった価値をもっている。その結果、例えば、介護保険法第一条で利用者に対する尊厳の保持を謳っており、当然のこととして、上記のすべての専門職は、この尊厳の保持を基本的な価値として業務を遂行していくことになろう。

 尊厳の保持から引き出される一つの価値としての、利用者の自己決定の原則を例にとると、医師は利用者の生命を守る立場から、以前はパターナリズムが強かったが、先進的にインフォームド・コンセントの考え方を導入し、自己決定を基本的な考え方にしてきている。確かに、宗教的な考え方から手術や輸血を拒否する人に対して、生命を守るという医師の使命のもとで、医師が価値のコンフリクトや揺らぎが生じることも確かである。一方、ターミナルケアの領域では、患者さんの自己決定が当然の時代を迎えつつあるが、このようなことは、多くの専門職が類似の価値観を共有できることとして、歓迎されるべきことである。

 こうした医師の価値やそこでのコンフリクトは、ソーシャルワークも同様にもっているものであり、専門職を価値の違いで独自性を強調できないと考えている。ソーシャルワークは独自の方法(技術)でもって、独自の目的を達成していくことを強調すべきであると考えている。