教育史研究と邦楽作曲の生活

一人の教育学者(日本教育史専門)が日々の動向と思索をつづる、個人的 な表現の場

現代日本における教育史教育の課題―歴史教育・高大接続・教員養成を意識した「教育学としての教育史」の教育の模索

2024年03月08日 23時48分00秒 | 教育研究メモ
 昨年末に出た本学紀要で拙稿を活字化しましたが、ウェブで公開されてからと思いながら待っておりましたが、年度が終わりそうなので先に紹介します。このペースだと、ウェブ公開は例年の通りで、おそらく5月か6月くらいかなあ? いまは図書館で複写依頼をしてくだされば読めます。

白石崇人「現代日本における教育史教育の課題―歴史教育・高大接続・教員養成を意識した「教育学としての教育史」の教育の模索」『広島文教大学』第58号、2023年、11~25頁。

 はじめに
1.「教育学としての教育史」の教育という歴史的課題
(1)教員養成における教育学教育の一環としての教育史教育
(2)教員養成大学・学部の設立による教育学教育・教育史教育の問題化
(3)教員養成の構造変容のなかでの教育史教育の模索
2.歴史教育としての教育史教育の課題
(1)通史教育・問題史教育と問題史的通史教育
(2)どのような歴史的思考を何のために育成するか
(3)近代化・大衆化・グローバル化の歴史をめぐる解釈の複数性と対話
3.高大接続・教員養成・教育学教育としての教育史教育の課題
(1)能動的学修と「歴史的な見方・考え方」を働かせる問いの表現
(2)将来の職業・市民生活につながる教育史教育の内容
(3)「教育学としての教育史」の教育における教育問題の研究
 おわりに

 本稿は、歴史教育・高大接続・教員養成を意識した「教育学としての教育史」の教育を模索するために、現代日本における教育史教育の課題について明らかにすることを目的としました。
 ちなみに、「教育学としての教育史」とは、教育史研究・教育が同時に教育学研究・教育となることを積極的に目指す立場を指しています。教育史には多様な立場(歴史学としての教育史とか、歴史社会学としての教育史とか)があり、その中の一つの立場を指すために最近使ってきた概念です。
 学問の社会的機能には「研究」と「教育」の2つがあります。そのうちの「教育史研究」の課題については日本教育史に限って前稿(拙稿「日本教育史研究における「教育学としての教育史」」広島文教大学高等教育研究センター編『広島文教大学高等教育研究』第9号、2023年3月、1~14頁)でまとめたので、今回は「教育史教育」の課題を明らかにすることにしました。前稿と今回の稿は、もともと学問領域としての教育史の社会的機能(有用性)を明らかにするために1つの研究として合わせて書き始めたのですが、1つの論文に収まらなかったので、2つの論文にしました。いずれも、「歴史学としての教育史」という先行研究の立場(主には辻本雅史氏や沖田行司氏、橋本伸也氏、岩下誠氏らの仕事を想定しています)に対して「教育学としての教育史」を再構築し、ポストモダン以降の「現在の教育学の揺らぎ」に向き合う足場を固めよう、という意識の下に研究を進めてきました。

 本稿では、教育史教育の課題を明らかにするために、明治から現在までの教育史教育独自の歴史と、歴史教育としての教育史教育、高大接続・教員養成・教育学教育を同時に実現させる大学における教育史教育の5つの視点から研究を進めてきました。明らかにできたことは次の4つに整理できます。
 第1に、戦後の教員養成大学・学部の成立が旧制の教育史教育では見られなかった問題(個別問題や学生に応じた大学教育、教育史教育の現場の多様化など)を顕在化させたことを明らかにしました。第2に、1970年代の「問題史的通史」教育が、教育史教育独自の課題意識(通史の位置づけなど)と関わっていた可能性があることを明らかにしました。第3に、1980年代以降の歴史教育論を踏まえると、教育史教育において教育史や歴史学のディシプリンを教えることが必ずしも正当化されないことを明らかにしました(学習者自身が現代社会の諸課題に対して何ができるか、何をするかなどが問題)。第4に、教育史教育において学生の具体的ニーズや教育経験に応じて能動的学修を引き出し、授業者と学生がともに教育問題を研究することが重要であることを明らかにしました。
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歴史研究としての教育史研究

2024年03月01日 19時56分00秒 | 教育研究メモ
 「教育学としての教育史」という立場は、教育史研究に歴史学と縁を切ろうと言っているのではない。まったくその逆であり、歴史学と連絡しつつ教育学として研究を進めようと考えている。教育史研究は歴史研究の一種であり、それゆえに教育学研究の欠かせない一つの方法となりうる。教育学研究と教育史研究と歴史研究は接続してこそ十分な研究が可能になる。

 歴史研究とは何か。過去の真理を明らかにすることか、過去の資料・事実を解釈することか。または、過去に対する共感/非難する実践か、それとも歴史像や概念の再構築を進める実践か。
 歴史研究の意味するところは研究者の立場や目的によって異なるので、歴史研究とはという問いに唯一の答えがあるわけではないが、研究に取り組むにあたって自分の研究が何を目指しているのかは自覚する必要がある。例えば、過去に対する共感を求めての研究であれば、共感できない事実や不都合な事実は見えなくなりがちである。自分の研究の立場を自覚しなければ、研究の課題や可能性・限界は見えてこない。
 歴史研究は何を問題にすべきか。言説や行為の倫理性か、事実の再現性の程度か。問題設定も研究者によって異なるので、この問いにも唯一の答えがあるわけではない。社会史・文化史の研究では、物事や関係者の関係性や集合性、親和性、そのネットワークの在り方、研究対象のおかれた状況や場の文脈を問題にしようとしている。歴史は、多様な文脈を総合的に把握しながら考察しなければならない。各時代独特の感情の在り方や、町・街(ストリート)レベルで起きたこれまでの経緯などを踏まえることも求められる。
 歴史研究において、現在の視点のみで過去を解釈しようとする「現在主義」に陥らないことは重要である。しかし、現在とまったく無関係に過去を研究することは不可能である。研究者は、現在に生きて物事を考えているので、時間を超越した考察はできないし、どんなに努力しても無意識・無自覚に一定の現在的な価値観をもって過去を見てしまう。そうであれば、現在を振り払おうとしてかえって困難に陥るよりも、現在を適切に踏まえて過去に向き合うことが、研究者としてふさわしい態度であろう。
 教育学は様々な方法で教育を研究し、現在の教育を見直し、未来の教育をよりよくすることを目指す傾向が強い。教育学として教育史を研究する場合、単に過去の教育を研究するだけでは教育史研究の有用性は疑われてしまう。教育学としての教育史研究は、「現在主義」の批判を前提として、現在を見る研究者自身の視点・考え方・問題意識等を自覚して、過去の同時代の視点・考え方・問題意識等を尊重しながら過去に向き合う姿勢を身につけなければならない。
 我々が教育について議論する場合、自覚的または無自覚的に教育史に触れざるを得ない。教育史とは、過去の教育から現在の教育に至るまでの過程であり、「教育」という概念によって捉えられる文化的な現象の流れである。教育史研究は、過去を検証することによって、現在までの歴史的経緯や現在に影響する基本的な構造を探究する役割を果たす。教育学は教育史研究によって教育を歴史的・構造的に検証・探究することができる。教育史研究は歴史研究として必要なだけでなく、教育学研究としても必要である。
 また、我々は、しばしば過去の教育の取り組みを顕彰・追憶しようとする。しかし、いま、我々の生きる時代は、近世以前の教育や近代の国民教育の取り組みを丸ごと肯定できるような単純な時代ではない。ジェンダーや身分、階層、障害、民族などの多様な立場に配慮しようとするとき、教育史(特に近代学校教育史)の理解・利用は批判的に検証される必要がある。
 我々が、教育の過去を検証して適切に賞賛/反省し、現在に至る歴史的経緯と課題を発見して、未来の教育をよりよくしていくために、教育史研究は必要である。過去の教育を味わい、過去から現在までの教育を反省し、未来の教育を創っていくのは、市民一人一人である。研究者にとってだけでなく、よき市民として生きるためにも、教育史研究は必要である。

参考文献:Johannes Westberg & Franziska Primus, "Rethinking the history of education: considerations for a new social history of education", Paedagogica Historica, Vol. 59, (2023), 1-18. https://www.tandfonline.com/doi/full/10.1080/00309230.2022.2161321


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日本教育史の専門用語の英訳と「教育学」という日本語

2024年02月27日 19時06分00秒 | 教育研究メモ
 先日英語論文の拙稿が公表されましたが、英語論文を書いていた時の苦労話を一つ。
 当前といえば当前なのですが、日本教育史の専門用語の英訳には大変苦労しました。まず過去の文部省や諸機関のつくった史料の英文などから引っ張ってきて訳してみましたが、先方の編集の先生から、「ここでその語は使うべきじゃない、その意味では理解できない」というコメントをいただくことがありました。そうなると、現代において意味の通じる英訳を目指すのですが、歴史的な意味まで正確に捉えて訳すのはとても難しい。歴史的な用語、しかも日本教育史の用語を英訳する際に参考にできる資料が少ないなか、国立教育研究所のつくった『日本近代教育史に関する専門用語の英訳語標準化についての調査研究』(1992)という報告書はとても役立つのですが、それでも英語で教育史研究をしている研究者から指摘を受ける場合がありました。英文校正の際も、担当者が変われば違った訳になってしまうこともあって、本当に苦労しました(私の文章が悪いせいもあるでしょうね)。
 どの語を使うかは常に問題で、最後まで迷いました。まず、研究対象であった東京帝国大学の文科大学の訳に困りました。のちに文学部になるので、まず文学部の英語表記を考えたのですが、今の文学部の英称はFaculty of Lettersですけれども、史料にはFaculty of Literatureと書かれているんですよね。(拙稿では後者で書いていますのでご注意ください) 中等教員養成史研究では必須の用語となってきた「教員検定」の語も、英訳に苦労しました。日本語では「検定」一つで済むことが多いですが、無試験検定やら検定試験やらがありますので、言葉を選ばないといけない場面が多々ありました(それこそ「検定ってなんだ?」という悩みと葛藤の連続でした)。
 今回の執筆中、何より一番困ったのが、「教育学研究」の英訳です。吉田熊次のいう「教育学」は、今回取り上げた部分では、多くの文脈で教授学的な意味合いをもっていたので、大事な場面でPedagogyをよく使いました。しかし、文脈によっては社会的教育学や教育哲学、教育科学的な意味で使っていることもあって、語の選択にとても困りました。そういうときは educational studies and research 等を使ったのですが、吉田は一貫して「教育学」を使っているわけです。しかも、ただの「教育の研究」としての意味ではなく、「教育学の研究」として特別な意味を込めて議論していて、「ここの訳って本当にeducational studiesでいいのか?」と常に困っていました。副題に pedagogical research なんて語を使っていますが、これも悩んだ末の結果です。(既存の体系的知識の講義ではなく)学生自身が教授法を科学的に研究することを通して中等教員養成を進めるという吉田の主張を織り込むと、studiesというよりはresearchかな、という判断になったわけです。
 語の選択はもっと議論すべきだろうと思います。今進んでいる研究のグローバル化の状況を考えると、日本教育史の研究ももっと外国語でも発信していかなければなりません。AI翻訳がこれからもっともっと進化していくはずですが、専門用語は専門の学者がちゃんと訳さないと、そもそもAIも学習できません。拙稿がたたき台として多少なりとも役立てば幸いですが…。

 苦労ばかりでなく、教育学者として貴重な気づきも得ました。最大の気づきは、「教育学」という日本語の特徴についてです。
 上でも書きましたが、今回つくづく実感したのは、日本語の「教育学」が単一の語として英訳しにくいということでした。「教育学」という日本語がもつ意味内容を重視すると、簡単に英訳できないのです。イギリスの教育学史を読んでなるほどと思ったのですが、イギリスの教育学は伝統的に哲学・歴史学・心理学・社会学による教育の共同研究の傾向が強いようです。日本の教育学にもそういうところはありますが、かといって、複数の学問領域の寄せ集めだとは割り切れない部分も確実に存在します。「教育学」という日本語は、英訳する上でとてもやっかいな語であるゆえに、とても興味深い言葉なのです。これは、一つの学問としての教育学のアイデンティティにも関わる問題だと思います。そういうことに気づけたのは、私が20世紀初頭日本の教育学史を丁寧に研究してきたからだと思います。そうでなければ、些末な問題と割り切って、悩むこともなかったでしょう。
 日本教育学史の研究って、先人たちが「教育学」という日本語にこめた想いを読み解いていく研究なのかもしれませんね。教育学史って、そういう大事な分野だと思いました。



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20世紀初頭日本の中等教員養成における教育学の役割

2024年02月22日 19時19分06秒 | 教育研究メモ
 年始にほのめかしておりました英語論文が公開されましたので、お知らせします。

 2024年2月20日、「The Role of Pedagogy in Secondary Teacher Training in Early Twentieth-Century Japan: Theory of Pedagogical Research in College by Kumaji Yoshida of Tokyo Imperial University」と題しまして、イギリスのthe History of Education Society(教育史学会)の研究誌「History of Education」(Taylor & Francis=Routledge社)に掲載されました。まだ紙の論文としては公刊されていなくて(そのため掲載巻号は不明)、ウェブ論文のみの公開です。他の論文を見ていると、紙冊子での公刊はまもなくすぐの場合もあるし、年単位でウェブのみという場合もある様子。よく特集を組んでいるので、編集の都合なのかな。
 オープンアクセス論文にはできませんでしたので、読んでいただくには、大きな大学などの図書館にいくしかないかな、と思います。ごめんなさい。オープンアクセス権の金額を見たとき、目玉が飛び出るかと思いましたので勘弁していただければ幸甚です。

 おおもとは2022年8月の日本教育学会のラウンドテーブルで発表した内容。これを英語論文用に大幅に改訂して、投稿したのが2022年11月。2023年3月に査読結果が送られてきて「resubmit」を要求されたので、5月に再提出。その後、さらに改訂指示が2回あった後、8月1日に「accept」が出ました。そして、長い沈黙のあと、2024年1月に出版契約、2月に校正を経て、先日ウェブ公開になりました。いったんまとめてから約1年半。体感時間はとても長かったのですが、下手をすると2~3年かかるとも言われていたので、結果的には短かったかもしれませんね。
 提出から公開まで、すべてオンラインで進められました。本当に手続きは合っているのかな…と常に不安でしたが、結果的にとても便利でした。

 論文構成は以下の通りです。

The Role of Pedagogy in Secondary Teacher Training in Early Twentieth-Century Japan: Theory of Pedagogical Research in College by Kumaji Yoshida of Tokyo Imperial University
(20世紀初頭日本の中等教員養成における教育学の役割―東京帝国大学の吉田熊次による「大学における教育学研究」論に注目して)
Introduction
(はじめに)
Reform of Secondary Teacher Training in Early Twentieth-Century Japan
(20世紀初頭日本の中等教員養成改革)
The Secondary Teacher Training Curriculum at Tokyo Imperial University in the Early Twentieth Century
(20世紀初頭における東京帝国大学の中等教員養成課程)
Challenges in Secondary Teacher Training in Colleges
(大学における中等教員養成の課題)
Secondary Teacher Training and Pedagogical Research in College
(中等教員養成と大学における教育学研究)
Challenges in Secondary Education and Methods of Secondary Teacher Training after the First World War
(第一次世界大戦後の中等教育の課題と中等教員養成の方法)
Conclusion
(おわりに)

 https://doi.org/10.1080/0046760X.2024.2306985

 20世紀初頭の日本において、東京帝国大学文科大学・文学部の中等教員養成課程では、教育学関連科目が必修とされました。当時の東京帝国大学(文科大学)における教育学の制度化を主導していた吉田熊次は、教育学の科学的研究は、大学教育の目的だけでなく、時宜にかなった中等教員養成のためにも不可欠であると考えていました(この事実がそもそも新知見かと思います)。本稿では、吉田の理論を通して、20世紀初頭の日本が東京帝国大学において、中等教員養成と教育学をどのように結びつけようとしたかを明らかにしました。特に、1905年の文科大学の中等教員無試験検定の条件改正の運用、そして1920年の文学部教育学科設置時の条件改正の意義について考察する際の留意点を解明できたと思います。単位数だけでいうとわずかな数ですが、そこに込められた意味は、アカデミズムの教員養成観とは異質の意味で解釈しなければならないことがわかりました。
 ほかにもいろいろな新知見がちりばめられています。英文の上に手に入れにくいので、ちゃんと読んでいただくのはお手数をおかけしますが、読んでいただければ幸甚です。


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研究論文業績一覧(単著)

2024年02月22日 19時18分21秒 | 研究業績情報

 学術雑誌掲載の論文に関する研究業績情報。増え次第、ここに順次追加しています。卒論と修論は普通挙げませんが、参考までに。 PDF公開されている論文には、ウェブリンクをつけておきました。 レフェリー付き論文には、文末に「」を付けています。 




1.白石崇人「沢柳政太郎の教師論 ―教師の専門職性」卒業論文、広島大学教育学部、2002年。
2.白石崇人「大日本教育会における研究活動の展開」修士論文、広島大学大学院教育学研究科、2004年。
3.白石崇人「東京教育学会の研究」中国四国教育学会編『教育学研究紀要』第48巻第1部、2003年、50~55頁。
4.白石崇人「東京教育会の活動実態 ―東京府学務課・府師範学校との関係」全国地方教育史学会『地方教育史研究』25号、2004年、47~68頁。
5.白石崇人「明治二十年前後における大日本教育会の討議会に関する研究」『広島大学大学院教育学研究科紀要』第三部第53号、2004年、103~111頁。
6.白石崇人「明治三十年代前半の帝国教育会における研究活動の展開 ―学制調査部と国字改良部に注目して」中国四国教育学会編『教育学研究紀要(CD-ROM版)』第50巻、2005年3月、42~47頁。
7.白石崇人「大日本教育会および帝国教育会における研究活動の主題 ―学校教育・初等教育・普通教育研究の重視」中国四国教育学会編『教育学研究紀要(CD-ROM版)』第51巻、2006年3月、66~71頁。
8.白石崇人「大日本教育会および帝国教育会における広島県会員の特徴 ―明治16年の結成から大正4年の辻会長期まで」『広島大学大学院教育学研究科紀要』第三部第54号、2005年、87~95頁。
9.白石崇人「明治21年の大日本教育会における「研究」の事業化過程」『広島大学大学院教育学研究科紀要』第三部第55号、2006年、83~92頁。
10.白石崇人「明治32年・帝国教育会学制調査部の「国民学校」案 ―明治30年代における初等教育重視の学制改革案の原型」中国四国教育学会編『教育学研究紀要(CD-ROM版)』第53巻、2008年3月、46~51頁。
11.白石崇人「1880年代における西村貞の理学観の社会的役割 ―大日本学術奨励会構想と大日本教育会改革に注目して」日本科学史学会編『科学史研究』第47巻No.246、岩波書店、2008年6月、65~73頁。
12.白石崇人「明治20年代後半における大日本教育会研究組合の成立」日本教育学会編『教育学研究』第75巻第3号、2008年9月、1~12頁。
13.白石崇人「日清・日露戦間期における帝国教育会の公徳養成問題 ―社会的道徳教育のための教材と教員資質」『広島大学大学院教育学研究科紀要』第三部第57号、2008年12月、11~20頁。
14.白石崇人「明治10年代後半の大日本教育会における教師像 ―不況期において小学校教員に求められた意識と態度」中国四国教育学会編『教育学研究紀要(CD-ROM版)』第54巻、2009年3月、270~275頁。
15.白石崇人「小学校歴史教科書における寺子屋記述」『鳥取短期大学研究紀要』第60号、2009年12月、9~20頁。
16.白石崇人「明治後期の教育者論―教員改良のためのErzieher概念の受容と展開」中国四国教育学会編『教育学研究紀要(CD-ROM版)』第55巻、2010年3月、314~319頁。
17.白石崇人「明治後期の保育者論―東京女子高等師範学校附属幼稚園の理論的系譜を事例として」『鳥取短期大学研究紀要』第61号、2010年6月、1~10頁。
18.白石崇人「明治30年代初頭の鳥取県倉吉における教員の問題意識―『東伯之教育』所収の小学校普及・中学校増設関係記事から」『鳥取短期大学研究紀要』第62号、2010年12月、11~23頁。
19.白石崇人「明治20年代初頭の大日本教育会における教師論―教職の社会的地位および資質向上の目標化」中国四国教育学会編『教育学研究紀要(CD-ROM版)』第56巻、2011年3月、268~273頁。
20.白石崇人「明治30年代初頭の鳥取県倉吉における教員集団の組織化過程―地方小学校教員集団の質的変容に関する一実態」中国四国教育学会編『教育学研究ジャーナル』第9号、2011年、31~40頁。
21.白石崇人「明治20年代前半の大日本教育会における教師論―「教育者」としての共同意識の形成と教職意義の拡大・深化」中国四国教育学会編『教育学研究紀要(CD-ROM版)』第57巻、2012年3月、233~238頁。
22.白石崇人「明治期における道府県教育会雑誌の交換・寄贈―教育会共同体の実態に関する一考察」広島大学教育学部日本東洋教育史研究室編『広島の教育史学』第3号、2012年3月、27~47頁。
23.白石崇人「大日本教育会夏季講習会の開始―明治20年代半ばの教員改良策」中国四国教育学会編『教育学研究紀要(CD-ROM版)』第58巻、2013年3月、53~58頁。
24.白石崇人「1940年代日本における全国教育団体の変容と再編(年表解説)」教育情報回路研究会編『近代日本における教育情報回路と教育統制に関する総合的研究』日本学術振興会科学研究費助成事業(基盤研究(B))中間報告書(Ⅰ)、東北大学大学院教育学研究科内教育情報回路研究会、2013年3月、1~10頁。
25.白石崇人「明治期大日本教育会・帝国教育会の教員改良―資質向上への指導的教員の動員」学位論文(論文博士(教育学))、広島大学、2014年3月、全390頁。
26.白石崇人「明治期大日本教育会の教員講習事業の拡充―年間を通した学力向上機会の提供」中国四国教育学会編『教育学研究紀要(CD-ROM版)』第59巻、2014年3月、533~538頁。
27.白石崇人「明治期鳥取県教育会の結成と幹部」『広島文教女子大学紀要』第49巻、2014年12月、27~40頁。
28.白石崇人「明治期帝国教育会における教員講習の展開―中等教員程度の学力向上機会の小学校教員に対する提供」中国四国教育学会編『教育学研究紀要(CD-ROM版)』第60巻、2015年3月、37~42頁。
29.白石崇人「明治30~40年代における「教師が研究すること」の意義」中国四国教育学会編『教育学研究紀要(CD-ROM版)』第61巻、2016年3月、174~179頁。
30.白石崇人「教員養成における教育史教育」広島文教女子大学高等教育研究センター編『広島文教女子大学高等教育研究』第2号、2016年3月、29~48頁。
31.白石崇人「日本の学校における道徳教育の展開―修身教育、教育活動全体、道徳の時間、特別の教科」『広島文教女子大学紀要』第51巻、2016年12月、47~57頁。
32.白石崇人「教育学術研究会編『教育辞書』における「研究」概念」中国四国教育学会編『教育学研究紀要(CD-ROM版)』第62巻、2017年3月、370~375頁。
33.白石崇人「明治30年代半ばにおける教師の教育研究の位置づけ―大瀬甚太郎の「科学としての教育学」論と教育学術研究会の活動に注目して」教育史学会編『日本の教育史学』第60集、2017年10月、19~31頁。
34.白石崇人「現代日本の教育政策における学校・地域の連携協働構想―平成27年中央教育審議会答申以降に注目して」『広島文教女子大学紀要』第52巻、2017年12月、33~43頁。
35.白石崇人「現代日本の教育政策における教員養成の課題―平成27年中教審教員育成答申以降の諸施策に注目して」『広島文教女子大学教職センター年報』第6号、2018年2月、7~16頁。
36.白石崇人「明治期師範学校・小学校における授業批評会―明治20年代以降の東京府・鳥取県の事例」中国四国教育学会編『教育学研究紀要(CD-ROM版)』第63巻、2018年3月、537~542頁。
37.白石崇人「教育史研究者が教員養成改革に向き合うには(教育学研究と実践志向の教員養成改革との関係性を問う(教育史の立場から))」佐藤仁編『教員養成における「エビデンス」の位置づけをめぐる学際的研究』2016・2017年度中国四国教育学会課題研究成果報告書、2018年3月、30~40頁。
38.白石崇人「「教育情報回路」概念の検討―2012年11月までの研究成果を整理して」教育情報回路研究会編『日本型教育行政システムの構造と史的展開に関する総合的研究』日本学術振興会科学研究費助成事業(基盤研究(B))中間報告書、教育情報回路研究会、2018年3月、21~42頁。
39.白石崇人「教職教養としての教育史」広島文教女子大学高等教育研究センター編『広島文教女子大学高等教育研究』第5号、2019年3月、1~13頁。
40.白石崇人「明治30~40年代の教育研究における教育展覧会」中国四国教育学会編『教育学研究紀要(CD-ROM版)』第64巻、2019年3月、96~101頁。
41.白石崇人「岡山県後月郡教育会による地域教員の組織化と学習奨励―明治・大正初期(1893~1917年)を中心に」教育情報回路研究会編『近現代日本の地方教育行政と「教員育成コミュニティ」の特質に関する総合的研究』2018~2020年度科学研究費補助金(基盤研究(B))中間報告書(Ⅰ)、教育情報回路研究会、2019年4月、(1)~(23)頁。
42.白石崇人「教育史研究・教育の発展に寄与する教職教養の視点」教育史学会編『日本の教育史学』第62集、2019年10月、142~145頁。
43.白石崇人「1975年における日本教育会の結成―全国校長会と教育改革・教職プロフェッション化のための公共空間の要求」広島文教大学編『広島文教大学紀要』第55巻、2020年12月、73~89頁。
44.白石崇人「1880~1930年代日本の教育学における科学的基礎づけ問題―教育事実の実証的研究の問題化と「教育科学」・「日本教育学」の制度化」広島文教大学高等教育研究センター編『広島文教大学高等教育研究』第7号、2021年3月、45~60頁。
45.白石崇人「現代日本社会における教育制度の課題―格差・AI・人口減少社会における主体的・対話的で深い学び、オンライン学習」広島文教大学教育学会編『広島文教教育』第35巻、2021年3月、69~80頁。
46.白石崇人「沼田良蔵・實文書について―幕末三原の漢学者から明治大正昭和公立学校長への転身」広島文教大学編『広島文教大学紀要』第56巻、2021年12月、1~14頁。
47.白石崇人「澤柳政太郎『実際的教育学』の実証主義再考―20世紀初頭の科学史・教育学史・教師の教育研究史における意義」日本教育学会編『教育学研究』第89巻第2号、2022年6月、40~50頁。
48.白石崇人「日本教育史研究における「教育学としての教育史」」広島文教大学高等教育研究センター編『広島文教大学高等教育研究』第9号、2023年3月、1~14頁。
49.白石崇人「なぜ戦後の長野県で教育会が存続したか―1948年信濃教育会運営研究委員「教育会の在り方」を読み直す」『信濃教育』第1644号、信濃教育会、2023年11月、1~17頁。
50.白石崇人「現代日本における教育史教育の課題―歴史教育・高大接続・教員養成を意識した「教育学としての教育史」の教育の模索」『広島文教大学紀要』第58号、2023年12月、11~25頁。
51.Shiraishi, Takato. "The Role of Pedagogy in Secondary Teacher Training in Early Twentieth-Century Japan: Theory of Pedagogical Research in College by Kumaji Yoshida of Tokyo Imperial University", History of Education, (2024) https://doi.org/10.1080/0046760X.2024.2306985
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口頭発表業績一覧

2024年01月10日 23時55分55秒 | 研究業績情報

 この記事は、口頭発表の一覧です。発表後、何らかの形で活字化しているものが多いです。




1.白石崇人「明治初期における教育会の結成に関する研究 ―東京教育学会の活動実態を中心に」中国四国教育学会第54回大会、高知大学、2002年。
2.白石崇人「東京教育会の活動実態」全国地方教育史学会第26回大会、金沢大学サテライトプラザ、2003年6月1日。
3.白石崇人「大日本教育会主催の全国教育者大集会に関する研究」教育史学会第47回大会、同志社大学今出川キャンパス、2003年9月21日。
4.白石崇人「『大日本教育会雑誌』における外国教育制度情報 ―情報の使用形態に注目して」中国四国教育学会第55回大会、広島大学、2003年11月9日。
5.白石崇人「大日本教育会機関誌における外国教育情報に関する研究」国際研究集会、中国浙江省杭州市、2004年4月3日。
6.白石崇人「大日本教育会の地方会員に関する研究 ―全国と地方との関係」全国地方教育史学会第27回大会、熊本大学、2004年5月23日。
7.白石崇人「大日本教育会および帝国教育会における組織的研究活動の展開」教育史学会第48回大会、法政大学、2004年10月10日。
8.白石崇人「19世紀末の大日本教育会・帝国教育会機関誌にみる西洋・東洋教育情報」アジア教育史学会2004年度第二回例会、広島大学、2004年11月6日。
9.白石崇人「明治三十年代の帝国教育会における組織的研究活動の展開」中国四国教育学会第56回大会、鳴門教育大学、2004年11月28日。
10.白石崇人「大日本教育会および帝国教育会の地方会員の履歴に関する研究」全国地方教育史学会第28回大会、福島大学、2005年5月22日。
11.白石崇人「大日本教育会および帝国教育会に対する文部省諮問」教育史学会第49回大会、東北大学、2005年10月8日。
12.白石崇人「大日本教育会および帝国教育会における研究活動の主題」中国四国教育学会第57回大会、安田女子大学、2005年11月26日。
13.白石崇人「明治期における教育会の情報交換」全国地方教育史学会第29回大会、広島大学、2006年5月21日。
14.白石崇人「明治期大日本教育会・帝国教育会像の再構築」教育史学会第50回大会、大東文化大学、2006年9月16日。
15.白石崇人「明治期帝国教育会における道徳教育研究活動」中国四国教育学会第58回大会、岡山大学、2006年11月。
16.白石崇人「結成時における大日本教育会の根本的目的」教育史フォーラム・京都 第20回研究会、京都大学、2007年9月2日。
17.白石崇人「明治30年代・帝国教育会学制調査部の「国民学校」案」中国四国教育学会第59回大会、広島大学、2007年11月23日。
18.白石崇人「全国教育者大集会の開催背景 ―帝国議会開設前の大日本教育会における「東京」と「関西」の問題」教育情報回路研究会第7回全体研究会、東北大学、2008年5月17日。
19.白石崇人「明治10年代後半の大日本教育会における教師像」中国四国教育学会第60回大会、愛媛大学、2008年11月30日。
20.白石崇人「1940年代末結成の日本教育協会―日本連合教育会改称までを視野に入れて」1940年体制下における教育団体の変容と再編過程に関する総合的研究第1回研究会、東北大学、2009年7月18日。
21.白石崇人「大日本教育会単級教授法研究組合報告の内容―高等師範学校編『単級学校ノ理論及実験』との比較から」日本教育学会第68回大会、東京大学、2009年8月28日。 ※訂正:題目「…組合報告の報告の内容」→「…組合報告の内容」
22.白石崇人「明治後期の教育者論―教員改良のためのErzieher概念の受容と展開」中国四国教育学会第61回大会、島根大学、2009年11月21日。
23.白石崇人「明治30年代初頭の鳥取県倉吉における教員の問題意識―地方教育雑誌『東伯之教育』を用いて」全国地方教育史学会第33回大会、九州大学、2010年5月23日。
24.白石崇人「明治30年代初頭の鳥取県倉吉における教員集団の組織化過程-師範卒教員と検定教員との衝突・分離・合流」日本教育学会第69回大会、広島大学、2010年8月22日。 ※訂正: PDF320頁 下から3行目「79,298」→「79,299」
25.白石崇人「明治20年代初頭の大日本教育会における教師論―教員の地位向上と専門性」中国四国教育学会第62回大会、香川大学、2010年11月20日。
26.白石崇人「明治20年代前半の大日本教育会における教師論―「教育者」としての共同意識の形成と教職意義の拡大・深化」中国四国教育学会第63回大会、広島大学、2011年11月19日。
27.白石崇人「明治13年東京教育会の教師論―普通教育の擁護・推進者を求めて」教育史学会第56回大会、お茶の水女子大学、2012年9月22日。
28.白石崇人「明治30年代帝国教育会の中等教員養成事業―中等教員講習所に焦点をあてて」(コロキウム報告)、教育史学会第56回大会、お茶の水女子大学、2012年9月23日。
29.白石崇人「明治20年代半ばの大日本教育会による夏季講習会の開催」中国四国教育学会第64回大会、山口大学、2012年11月10日。
30.白石崇人「「教育情報回路」概念の検討」教育情報回路研究会、東北大学、2012年11月25日。
31.白石崇人「帝国教育会結成直後の教員講習事業―指導的小学校教員の学習意欲・団結心・自律性への働きかけ」教育史学会第57回大会、福岡大学、2013年10月13日。
32.白石崇人「明治期大日本教育会の教員講習事業の拡充―年間を通した学力向上機会の提供」中国四国教育学会第65回大会、高知工科大学、2013年11月3日。
33.白石崇人「1900年代鳥取県教育会における小学校教員批判ー教育研究態度の改良に向けて」全国地方教育史学会第37回大会、早稲田大学、2014年5月18日。
34.白石崇人「明治期大日本教育会・帝国教育会の教員改良―資質向上への指導的教員の動員」教育情報回路研究会、立教大学、2014年7月21日。
35.白石崇人「明治期大日本教育会・帝国教育会における教育勅語解釈―指導的教員・教育行政官の動員構想」教育史学会第58回大会、日本大学、2014年10月5日。
36.白石崇人「明治期帝国教育会における教員講習の展開―中等教員程度の学力向上機会の小学校教員に対する提供」中国四国教育学会第66回大会、広島大学、2014年11月15日。
37.白石崇人「「研究」する教師・保育者の誕生-学び続ける明治期の先生たち-」広島文教女子大学教育学第31回定期総会、広島文教女子大学、2015年5月22日。
38.白石崇人「日本教育会解散後における中央教育会の再編―日本教育協会・日本連合教育会成立まで」(コロキウム報告)、教育史学会第59回大会、宮城教育大学、2015年9月27日。
39.白石崇人「明治30~40年代における「教師が研究すること」の意義」中国四国教育学会第67回大会、岡山大学、2015年11月14日。
40.白石崇人「新鳥取県史編さん事業における教育史研究者」全国地方教育史学会第39回大会、東洋大学、2016年5月22日。
41.白石崇人「明治30年代半ばにおける教師の教育研究の位置づけ―大瀬甚太郎の「科学としての教育学」論と教育学術研究会の活動に注目して」教育史学会第60回大会、横浜国立大学、2016年10月1日。
42.白石崇人「教育学術研究会編『教育辞書』における「研究」概念」中国四国教育学会第68回大会、鳴門教育大学、2016年11月6日。
43.白石崇人「教育史研究者が教員養成改革に向き合うには」中国四国教育学会第68回大会ラウンドテーブル、鳴門教育大学、2016年11月6日。
44.白石崇人「明治期師範学校・小学校における授業批評会―明治20年代以降の東京府・鳥取県の事例」中国四国教育学会第69回大会、広島女学院大学、2017年11月26日。
45.白石崇人「教育史研究・教育の発展に寄与する教職教養の視点」(シンポジウム指定討論)教育史学会第62回大会、一橋大学、2018年9月29日。
46.白石崇人「明治末期の教育研究における教育品展覧会」中国四国教育学会第70回大会、島根大学、2018年11月17日。
47.白石崇人「明治日本における教育研究―教育に関するエビデンス追究の起源を探る」第13回教員養成と教育学に関する研究会、博多市、2019年1月12日。
48.白石崇人「岡山県後月郡教育会による地域教員の組織化と学習奨励―明治・大正初期(1893~1917年)を中心に」教育情報回路研究会、東洋大学、2019年2月24日。
49.白石崇人「1886~1929年鳥取県の小学校教員検定制度について」小学校教員検定科研費研究会、神戸大学、2019年3月17日。
50.白石崇人「1975 年における日本教育会の結成―世話人会・各全国校長会・森戸辰男の動向に注目して―」教育情報回路研究会、オンライン、2020年6月27日。
51.白石崇人「1880~1930年代日本の教育学における科学的基礎づけ問題」中国四国教育学会第72回大会ラウンドテーブル、広島大学(オンライン)、2020年11月22日。
52.白石崇人「明治期鳥取県の小学校教員試験検定制度―有資格教員確保政策・免許状授与数・受験者養成・教育学的知識」小学校教員検定科研費研究会、オンライン、2021年8月30日。
53.白石崇人「沼田良蔵・實文書について―幕末三原の漢学者から明治大正昭和公立学校長への転身」中国四国教育学会第73回大会、山口大学(オンライン)、2021年11月27日。
54.白石崇人「日本教育学史をどう描くか?―1880~1930年代における科学的基礎づけ問題とその後の展望」教育学史研究会、オンライン、2022年3月22日。
55.白石崇人「明治末期の小学校正教員に求められた教育学的知識―鳥取県小学校教員検定試験問題の分析」日本教育学会第81回大会、広島大学・オンライン、2022年8月24日。
56.白石崇人「20世紀初頭日本の中等教員養成における教育学の役割―東京帝国大学の吉田熊次による「大学に於ける教育学研究」論に注目して」日本教育学会第81回大会ラウンドテーブル、広島大学・オンライン、2022年8月24日。
57.白石崇人「日本教育協会結成における信濃教育会の役割―1948・49年度の信濃教育会所蔵資料を中心に」教育史学会第66回大会コロキウム、埼玉大学・オンライン、2022年9月25日。
58.白石崇人「日本教育史研究における「教育学としての教育史」」コンピテンシー重視の時代における教師教育と教育学の在り方に関する日独比較研究成果中間報告会、九州大学博多駅オフィス、2022年11月13日。
59.白石崇人・井上快「沼田家文書にみる漢学知と近代教育の展開―日本東洋教育史の一断章」中国四国教育学会第74回大会、香川大学、2022年12月4日。
60.白石崇人「現代日本における教育史教育の課題―歴史教育・高大接続・教員養成を意識した「教育学としての教育史」の教育の模索」日本教育学会第82回大会、東京都立大学・オンライン、2023年8月24日。
61.白石崇人・井上快・三時眞貴子「沼田家文書にみる知と近代教育―エゴ・ドキュメントによる教育史研究の可能性」中国四国教育学会第75回大会ラウンドテーブル、広島大学、2023年11月26日。
62.白石崇人「沼田實日記にみる20世紀初頭の広島県師範学校・東京高等師範学校生の生活―近代的時間規律の訓練を支えた師範教育制度と師範生の感情・習慣・主義」中国四国教育学会第75回大会ラウンドテーブル、広島大学、2023年11月26日。
63.白石崇人「戦前日本の教員養成に対する教育学の役割(試論)」日独ミニシンポジウム・教育学と教員養成を見直す、オンライン、2024年1月10日。
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2023年のまとめ

2023年12月29日 23時55分00秒 | Weblog
 2023年が暮れますが、皆様いかがお過ごしでしょうか。
 今年もいろいろありましたが、終わってみれば面白い成果を残すことができました。大学教員としてのお仕事、すなわち教務委員長やチューター、必修科目主担としての仕事は、振り回されつつしっかりこなしてきました。父親業でも新しい経験ができました。わが子の通う園で、コロナ禍で中止されていた運動会と生活発表会が復活し、成長した子どもの新たな一面を見ることができました。

 研究面での仕事についてもしっかり進めてきました。今年の研究は、おおよそ2種類の成果がありました。
 第1に、「教育学としての教育史」というコンセプトのもとに、これからの教育史の方向性を構想し始めました。学問の社会的機能には「研究」と「教育」の2つがありますが、それぞれ「日本教育史研究における「教育学としての教育史」」(2023年3月)と「現代日本における教育史教育の課題」(2023年12月)の2つの論文でアウトラインを引きました。後者の論文はPDFのウェブ公開までまだ時間がかかると思いますが、図書館を通してのコピーは可能だと思います(内容はそのうちここで紹介します)。
 第2に、教育学と教師の教育研究に関する歴史的研究について、徐々に形になってきました。興味深いのは、その一つ(昨年の日本教育学会で発表した吉田熊次の中等教員養成論の論文)が英語論文として外国の研究誌にacceptを受けたことです。論文自体は実は昨年末から取り掛かっていたのですが、今年の前半の研究時間もほぼこの論文の改稿で「溶けてなくなった」といっても過言ではありません。海外の研究誌はなかなか勝手が違い、いつ活字化するか不明なのですが、まあ結論は出たので、1年以内には活字化するだろうとゆったり構えることにしました。
 また、信濃教育会に文章を寄せられたことも光栄なことでした。20年続けてきた教育会史研究ですが、現在の教育界にアプローチができるなんて考えていなかったので、特別寄稿の話をいただいたときはとてもうれしかったです。

 来年は専門の研究をまとめて単行本にしていきたいな、と思っています。いろいろ研究範囲を広げてきたので、ちょっとずつ畳んでまとまりをつけ、その先に新しい道を切り拓いていきたいです。
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教育学部の初年次教育としての公教育論の研究

2023年12月25日 23時38分00秒 | 教育研究メモ
 広島文教大学教育学部では、教育学科1年生全員に「教育学入門」という探究科目を必修とし、1年間を通して先行研究の整理を中心とした共同研究をさせています。本学科の卒業論文までつらなるカリキュラムのスタート地点となる科目です。本学科の教育上のねらいである様々な教育を「つなぐ」教師、「強味」のある教師を育て、私自身がこれまでねらってきた「研究する教師」を育てるための初年次教育の場としてきました。教育学部創立から実施を始めたので、今年で5年目の実施になります(私が主担当の科目です)。この科目では、学科教員全員からテーマとそのための参考文献リストを提供してもらい、私も複数テーマを出しています。そのなかから、学生は自分の興味のあるテーマを選んで、同じテーマを選んだ2~4人程度で集まって共同研究を進めていきます。
 この科目で私が出しているテーマの一つが、「公教育または公立学校とは何のためのものか」です。各テーマには難易度を設定して学生に知らせていますが、このテーマは一番難しい難易度にしています。本当に難しいのでそうしているのですが、毎回意欲のある学生が取り組んでくれます。今年度後期にこのテーマを選んでくれた学生は特に熱心でした。しかも、科目が終わったあとも自分でこのテーマでもう少し研究したい、と言い出した学生が現れたのは初めてでした。参考文献例として指定している先行研究は下記の4つなのですが、その学生から、4冊の選択意図とさらにおススメの本を教えてくれと言われたため、返信しました。その返信のためにそこそこ時間を使ったので、せっかくですから、その原稿を土台に少し記事にしようと思います。
 もし私の認識が違っていたり、他にもっといい参考文献があるようでしたら、ぜひコメントしてください。私だけでなくこのブログ読者の方々の参考にもなります。

 「公教育または公立学校とは何のためののものか」というテーマについて、私がいま1年生に指定している参考文献は以下の4つです。

 ・藤田英典『義務教育を問いなおす』ちくま新書、2005年。
 ・志水宏吉『学力格差を克服する』ちくま新書、筑摩書房、2020年。
 ・中澤渉『日本の公教育―学力・コスト・民主主義』中公新書、2018年。
 ・苫野一徳『教育の力』講談社現代新書、2014年。

 この4つの主要参考文献は、いわば「共生社会をつくる公教育論」とでもいうべき議論のうち、一般向けに開かれているものの代表的な作品だと思います。

 臨時教育審議会に典型的な構想が見られたように、1980年代以降、新自由主義的な教育改革が形を見せ始めました。英米でも似たような動向が日本より早く見られていたところでした。公教育論はずっと昔からありましたが、1990年代以降の議論を通して一定の方向性を見せ始めます。改革的な教育政策は、一般の教育サービス論などと共鳴して、いわば官民挙げて徹底されていきました。その代わり、これまでにない様々な問題が発生したり、懸念されたりするようになりました。特に、このままいくと1990年代頃から深刻化し始めていた格差社会に拍車をかけるのではないか、という指摘が強くなっていきました。
 教育社会学者の藤田英典さんはこの議論に早くから参加していた人で、2005年の『義務教育を問い直す』はその総まとめともいえる本です。21世紀の初期段階の論点を把握するのにふさわしいと思っているので、まずこの本を選びました。なお、もう少し前あたりから議論をおさえていきたいならば、初期の代表的な論者であった苅谷剛彦さんの本がおすすめですね。(『大衆教育社会のゆくえ』は必読です)

 その後、現在までの議論の中心に位置づくのが、志水宏吉さんだと思います。志水さんも教育社会学者です。志水さんは、特に、共生社会(これは勤務校の大阪大学などの影響もあると思います)をつくっていくために公教育を支えていこうという意図を明瞭に研究されていて、学者だけでなく教育関係者にもその内容をわかりやすく伝えようとされています。格差社会に拍車をかけるのではなく、能力主義社会(メリトクラシー)の良いところを生かしていくために何を問題として、何をすべきかについて積極的に発言されています。『教育格差を克服する』は、志水さんの理論の意図がよくわかる本なので、選びました。そのほかには、志水さんが編集に加わっている岩波講座「教育 変革への展望」の第1巻(教育の再定義)と第2巻(社会のなかの教育)がおすすめです。

 中澤渉さんは、志水さんの次の世代の教育社会学者です。外国の社会学理論を幅広く整理し、藤田・志水両氏が具体的に議論してこなかった「公教育費」という観点から議論していたので、選びました。また、現代日本の事実に即して「公教育」を主題にした一般向けの学術的な本はあまり見ないので、必読書だと思っています。そのほかに現代の公教育論(またはそれに関連するテーマ)を研究するには、耳塚寛明さん、中村高康さん、松岡亮二さんあたりが読みやすい本を出していらっしゃいます。

 最後に、教育哲学者の苫野一徳さんの『教育の力』を挙げました。苫野さんは、私と同世代なのですが、2010年前後に多方面で活躍を始めた人で、上記の人たちと比べるとかなりライト(?)な立ち位置にいる人だと私は捉えています。教育の個別化・協同化・プロジェクト化として、今の教育改革と共鳴する理論を立てています。共生社会をつくる公教育論にも通じる議論をとても読みやすいタッチで展開しているので、教育社会学の議論と異なる立場の意見に触れてほしくてこの本を選びました。苫野さんはたくさん一般向けの本を書かれていますが、『教育の力』を読めばおおよそ彼の教育改革論は理解できます。そのほかには、『「学校」をつくり直す』がおすすめですね。
 教育哲学の議論は学部1年生にはちょっと難しいことが多いので、なかなかおすすめしにくいですが、今の日本教育学会長の小玉重夫さんは現代的問題に関して新書を出されていますね。

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なぜ戦後の長野県で教育会が存続したか

2023年11月28日 19時30分41秒 | 教育研究メモ
 このたび、信濃教育会の機関誌『信濃教育』第1644号(特集:我が教育会の取組 No.4)に拙稿を掲載していただきました。信濃教育会は、1886年創設の伝統ある現役の教育会です。その存在は、広島県内でも知っている人は知っている(管理職経験者など)というぐらい、実は全国でも知られています。科研費の研究グループの分担で、信濃教育会の研究を進めており、その関係で書かせていただきました。
 内容構成は以下の通りです。図書館で複写依頼すれば手に入りますので、興味のある方は依頼していただき、ぜひ読んでいただければ幸甚です。

白石崇人「なぜ戦後の長野県で教育会が存続したか―1948年信濃教育会運営研究委員「教育会の在り方」を読み直す」(『信濃教育』第1644号、信濃教育会、2023年11月、1~17頁)
 はじめに
1.1940年代後半の教育会をめぐる歴史的状況
2.本会運営研究委員「教育会の在り方」の特徴

(1)学校に限らない、教育・文化関係者に広く開かれた教育振興の組織
(2)個性・文化発展のための自由意志と友愛・協力による自治組織
(3)児童福祉のための自由な研究調査と教養深化・拡大
 おわりに

 日本の教育会は、明治期に各地で様々な規模と問題意識をもって誕生した、最も伝統ある教育職能団体です。戦後に教育の民主化を進める中で、多くの教育会は1946~48年にかけて解散しましたが、存続した教育会もありました。その代表の一つが信濃教育会です。これまでの教育会史研究では、1940年代後半を教育会の「終焉」の時代ととらえてきましたが、存続した教育会も結構あるし、「教育会」の名がなくなっても団体の在り方に連続性を見て取れることが明らかになってきたので、今では「終焉」という見方はされなくなってきています。では何なのだろう。この数年間で展開されてきた教育会史の多くの研究は、この問題を考え続けているように思います。
 教育会を中心に1940年代後半を考えるとき、重要なのは、「戦後もなお、なぜ一部の教育会は存続したのか」という問題です。教育会は戦前最大の教育団体でしたので、この問題は、教育団体における戦前戦後の連続性を考える重要な問題です。その中でも特に、現在に至っても存在感を発揮しているゆえに、「信濃教育会がなぜ戦後に存続したのか」という問いは、極めて具体的で興味深い問いになります。この問いに基づく基礎研究として取り組んだのが、このたびの拙稿となります。

 信濃教育会はなぜ戦後も存続したか。その理由解明はこれまで複数の先行研究でも取り組まれてきましたが、実際にはとても複雑で、まだ全容解明には至っていないように思います。しかし、少なくとも言えることは、1948年3月に公開された運営研究委員「教育会の在り方」という文書があったことは存続の重要なカギとなったのは間違いないです。戦後に解散してしまった教育会は、教育・社会の民主化のなかでどのような組織として改組するか、その構想を描き切れませんでした。しかし、信濃教育会(および長野県内の郡市教育会)は、改組の構想(「教育会の在り方」)を描き切り、改組を果たしました(しかも「教育会の在り方」をまとめたのが郡市教育会の代表たちであったということも大事)。その構想が文書「教育会の在り方」であり、これこそ戦後の長野県で教育会が存続した理由の一つです。
 拙稿はこの「教育会の在り方」の内容を分析しました。信濃教育会や各郡市教育会の関係者にはもちろんですが、教育会史や教育団体のこれからに関心のある人にも読んでほしいです。

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私の研究的立場

2023年11月15日 19時37分21秒 | 教育研究メモ
 私の日本教育史研究は、教師と教育学の歴史の研究を中心としてきた。

 教師の歴史の先行研究は、教育労働者としての覚醒過程や教育専門職としての形成過程、所属する社会階級の変遷とその文化の在り方などを明らかにしようとしてきた。それらの研究は、日本社会において教師たちが自律する手立てを探るものであったといえる。私の研究も、20年前当初から、教師の自律を探るための研究であった。
 私の研究の特徴は、教師の教育研究を視点の中心におくところである。教員研修の問題にとどめないのは、教師自身の主体的な取り組みを積極的に捉えたいからである。教員研修概念は、残念ながら、主体性のない受け身の研修とそうでない主体的な研修との差異を捉えにくい。教師教育の問題にとどまらなかったのは、教師自身の主体的な取り組みを十分に捉えきれないと思ったからだと思う。教師教育概念は、教師になるための意図的な教育計画を中心にするから、教師自身の学修(学習)や研究による創造的な思考錯誤・表現を視野に入れにくいのではないかと思った。教員の「生活」概念については、私の関心を包み込んでいるが、射程が広すぎて研究の焦点が定まりにくい。また、教師の現にある(あった)生活を超えた理想的な在り方や取り組み、とくに国家・行政・管理的立場から発されたものを排除・軽視せずに捉えることが難しいと思った。
 私は、教育の在り方を規定するものとして、教師の教育研究を重視する。だから私は、教師の教育研究を教育学の研究対象として捉えてきた。教師の教育研究は今もたくさん行われているが、研究生活を始めたばかりの私には1990年代から2000年代の教育研究の姿を捉えられていなかったので(教師の生活のうち、教育研究は生徒・学生の立場から最も見えにくいものだからかもしれない)、むしろ私は歴史の中にみられるそれらに魅了された。教育会における組織的な教育研究は、授業研究にとどまらず制度研究にも広がり、教師個人にとどまらず教員集団において行われ、政策過程や社会運動、職場改善に関する教育独自の立場形成につながっているように見えた。むろん教育会における教育研究をそのまま理想化するつもりはなかったのだが、私がそこから教育研究の理想を探ろうとしていたことは隠しようがない。こうして私は、教師の自律を探るための教育会史研究を進めてきた。教育研究の歴史的研究なのに教育学会の研究になかなか取り組まなかったのは、研究の中心に教師の教育研究を捉えたかったからだった。
 今までもそうだが、2020年代の今もなお、教師の教育研究の価値は揺らいでいる。国家の教育政策を遂行するために「役立つ研究」と「役立たない研究」が一方的に区別され、後者が無視される中で、教師たちも長時間労働のなかで教育研究に取り組む意義を見失いかけている今、教師の教育研究の歴史的研究は重要さを増している。

 さて、私はここ数年、教育学史の研究も進めてきた。
 戦後日本における教育学史の先行研究は、戦前の教育学説の封建性や翻訳性、教育実践への影響の成否、思想的系譜などを明らかにしようとしてきた。それらの研究の多くは、教育学に対する評価の方向性はそれぞれ異なるとはいえ、教育哲学・教育思想史の立場から教育学説の研究を中心として、教育や人間の近代化に果たした教育学の役割を探るものだったといえる。私の研究も、教育学の社会的役割を捉えようとするものである。
 私の教育学史研究の特徴は、教育学を職業的教育学者の専有物とみず、教師の教育研究との関係において捉えようとするところにあると思う。私は教育学研究と教師の教育研究を区別するが、教育学研究は教師の教育研究の一部を包括するものであり、教師の教育研究は教育学研究に刺激を与えるものだと考えている。教育学研究と教師の教育研究は、同一とも無関係ともみなさず、重なりうるもの、または重なるべきものとみなし、一体化すべきものとみなさず、関係ある他者として刺激し合うべきものと考えている(詳しくは拙著『教師・保育者論』(Kindle)の第2部参照)。それゆえに、私の研究は教育学説史や教育思想史の研究にとどまらず、教育学研究と教師の教育研究との関係史の研究にならざるを得ない。
 教育学研究と教師の教育研究との関係史の研究は、教育学の社会的役割を捉える研究であり、教師の教育研究の価値を探る研究である。また、先述の通り、私は教師の教育研究を教育の在り方を規定するもの(すべきもの)と考えているので、この研究は教育の歴史の動因を探る教育史研究であり、教育の在り方を探る教育学研究である。

 人間や人間社会は多様な側面をもち、それゆえに歴史も多様な側面をもっている。教育はその一側面であり、教育学の研究は人間・人間社会の研究の一部であり、教育史の研究は歴史の研究の一部である。教育史は歴史ゆえに多様な側面をもつが、教育学として研究することで明瞭に捉えることができる側面がある。教育学史は教育学だからこそ捉えるべきだし、教師の教育研究の歴史は教育学だからこそはじめて捉えることが可能である。私が、教育学研究と教師の教育研究との関係史の研究に取り組む際に、教育学者としての立場を維持するのはそのためである。教育学でなければ研究できない教育史がある。
 教育史は、多様な側面を持つゆえに教育学だけで研究すべきではない。また、教育学でなければ研究できない教育史を、現在の教育学が捉えられないという事態はありうる。教育学の視点・考え方を鍛えるには、他の学問分野・領域に学ぶ方法が考えられるが、そのためには学問間で問題意識や方法を理解・共有する必要がある。教育学の視点・考え方を鍛える主体は、あくまで教育学者でなければならない。私が教育史家として教育学者であることにこだわる理由は、そこにある。
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教育学のディシプリンの在りか

2023年10月23日 23時55分55秒 | 教育研究メモ
 かつて、戦後教育学は教育的価値を経済的価値に対比させて位置づけようとしてきた。教育は人間の成長・発達をそのまま価値と認め、その価値を承認する社会的立場を作ろうとしてきた。その立場の向かい側には、「教育自体は価値を有しない」として、経済的価値、または政治的価値によって教育を進める立場があった。
 教育学研究は、経済的・政治的価値に向けての教育の研究も当然含むが、同時に教育的価値に向けての教育の研究を意識しなければならない。経済・政治も人間に必要なものだから、教育が経済・政治に貢献することは意義のあることである。しかし、人間としての成長・発達につながらなければ、その教育は十分な教育とは言えないのではないか。教育の立場から見ると、経済・政治が発展したとしても、人々から人間性を失わせ、人間として成長できない教育では意味がないのではないか。教育は、経済・政治に役立つだけでは不十分で、人間の成長・発達と両立する必要があるのではないか。
 他の学問・科学のディシプリンに回収されない教育学のディシプリンはおそらくこのあたりにある。私は戦後教育学を全面的に肯定するわけではなく、歴史化し、批判的に乗り越えていくべきものだと思うが、このような教育分野固有の価値を明らかにし、一定の社会的立場を実際に形成したその歴史的意義は大きいものだと思う。

 教育学は、教育課程や教育技術・技能を科学的に開発研究していく領域をもつ。これも、単なる経済に役立つ人材の育成や政治的統制をしやすくするための効果的・効率的な教育課程や技術・技能を開発することでは、教育学として十分ではない。教育学は、教育の歴史的な発展や失敗を明らかにする領域ももつ。これについても、学校がどのように設置されたかや、教師や思想家がどのような実践・思想をどのように形成したかについて詳細に事実を明らかにするだけでも、教育学として十分ではない。学校や教師、教育思想を研究しないと教育学ではないのではなくて、たとえ学校や教師、教育思想を研究したとしても、人間の成長・発達をいかに促し、または妨げたかなどの問いにつないでいかなければ教育学にまで届かないだろう。教育学と教育現場の連携がうまくいき、教育理論と教育実践の往還ができたとしても、その教育が人間の成長・発達を促すものでなければ、往還したとて無価値または有害なものかもしれない。
 教育学にとって、人間の成長・発達を価値と見る見方・考え方は、とても大事なものだと思う。

 問題は、経済的価値による教育も、政治的価値による教育も、教育的価値による教育も、現代においては、同じく「教育」と呼んでいることである。これらを「教育」以外の言葉で呼ぶことは、かなり難しいし、それぞれの立場の独善ともみられる可能性があり、教育を探究する際の多様性が失われるおそれもある。そのあたりをどう考え、どうすべきか…

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教育と主体、世界、歴史

2023年09月27日 23時55分55秒 | 教育研究メモ
人間は、世界に対して応答することで主体となる。
世界に応答せずとも人間は人間であり、主体としての人間は世界に応答する。
社会的・心身的な困難をもっていても、人間は主体となり、世界と応答する可能性をもっている。
その可能性を実現させることこそ、教育の使命である。

教育は、教育者と被教育者の二者関係だけでなく、教育者と被教育者とを包む世界との関係によって成立する。
教育は、教育者と教材を介して、人間と世界との応答の機会をつくる。
そして、主体としての人間を導くことを介して、世界を動かし、歴史をつむいでいく。

世界・歴史を動かすのは、個性と文化であり、それらによって営まれる人間の主体的生活である。
教育は、人間を主体に導き、主体としての人間が個性と文化を育ることで、世界をつくり、歴史をつくることにつながる。
教育は主体を形成することで、世界と歴史をつくる間接的な動力となる。

(京都学派の研究を通して考えたことのとりあえずのメモです)
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その他研究業績一覧

2023年09月26日 23時55分55秒 | 研究業績情報
 ここでは、論文と口頭発表以外の研究業績を挙げます。

<公刊>
 【総論・研究ノート・研究紹介等】
1.白石崇人「日本教育学史研究の展望―教育学研究体制史研究の推進」『日本教育史往来』No.163、日本教育史研究会、2006年8月、1~3頁。
2.白石崇人「私の鳥取県教育史研究と北東アジア文化研究」鳥取短期大学北東アジア文化総合研究所編『北東アジア文化通信』No.36、2012年10月、1~3頁。
3.白石崇人「教育職能団体としての教育会における教育研究」(教育情報回路としての教育会史研究会「教育会史研究の課題と展望」の第Ⅱ節)、『日本教育史研究』第34号、日本教育史研究会、2015年、86~88頁。
4.白石崇人「鳥取県教育史の史料編纂状況」(地方の状況)『地教史学通信』、全国地方教育史学会、2020年。

 【書評・図書紹介】
1.白石崇人「論評」(湯川嘉津美「学制期の大学区教育会議に関する研究―第一大学区第一回教育会議日誌の分析を中心に」に対する)日本教育史研究会編『日本教育史研究』第28号、2009年、40~44頁。
2.白石崇人「山田恵吾著『近代日本教員統制の展開―地方学務当局と小学校教員社会の関係史―』」(書評)全国地方教育史学会編『地方教育史研究』第33号、2012年、131~134頁。
3.白石崇人「釜田史著『秋田県小学校教員養成史研究序説ー小学校教員検定試験制度を中心にー』」(書評)全国地方教育史学会編『地方教育史研究』第35号、2014年、21~25頁。
4.白石崇人「徳本達夫氏の図書紹介に応答して」(徳本達夫「白石崇人『幼児教育の理論とその応用①幼児教育とは何か』『同②保育者の専門性とは何か』」(書評))広島文教女子大学教育学会編『広島文教教育』第29巻、2014年、64~65頁。
5.白石崇人「照屋信治著『近代沖縄教育と「沖縄人」意識の行方 沖縄県教育会機関誌『琉球教育』『沖縄教育』の研究」(書評)日本教育学会編『教育学研究』第82巻第1号、2014年、132~134頁。
6.白石崇人「齋藤慶子『「女教員」と「母性」―近代日本における〈職業と家庭の両立〉問題―』」(書評)『日本教育史研究』第34号、日本教育史研究会、2015年、207~213頁。
7.白石崇人「拙著書評に対する応答」(書評:古賀徹「白石崇人『明治期大日本教育会・帝国教育会の教員改良―資質向上への指導的教員の動員』に対する応答)『日本教育史研究』第37号、日本教育史研究会、2018年、120~125頁。
8.白石崇人「梶山雅史編著『近代日本教育会史研究【新装版】」(図書紹介)『地方教育史研究』第41号、全国地方教育史学会、2020年、99~102頁。
9.白石崇人「知本康悟著『村に立つ教育―佐渡の僻村が挑んだ「村を育てる学びの共同体」の創造―』」(書評)『地方教育史研究』第43号、全国地方教育史学会、2022年、61~65頁。
10.白石崇人「船寄俊雄・近現代日本教員史研究会編著『近現代日本教員史研究』」(図書紹介)『日本の教育史学』第66集、教育史学会、2023年、169~170頁。

 【大会記録・助言・実践報告等】
1.白石崇人「指導助言」(さくら幼稚園「保育者の資質向上を目指して」の一部)『平成22年度鳥取県私立幼稚園教育研修大会記録集』、2010年、7頁。
2.白石崇人「分科会Ⅳ(幼児教育コース)報告「生活習慣を楽しく形成するための援助プロセス」」(第30回記念研究発表大会)広島文教女子大学教育学会編『広島文教教育』第29巻、2014年、93~94頁。
3.白石崇人「教職実践演習(幼・小)(幼児教育コース対象)の報告」『広島文教女子大学教職センター年報』第4号、2016年3月、89~92頁。 ほか同様の報告多数
4.白石崇人「教育実習Ⅱ(幼)の報告」『広島文教女子大学教職センター年報』第4号、2016年3月、89~92頁。107~108頁。

<私家版・データ版>
1.白石崇人『大日本教育会・帝国教育会の群像』第1巻、teacup、2008年10月、全145頁。
2.白石崇人『講義用テキスト 道徳教育』私家版、2009年11月、全48頁。
3.白石崇人『幼児教育保育学科用講義テキスト 教育原理』私家版、2010年1月、全70頁。
4.白石崇人『幼児教育保育学科用テキスト 保育内容総論』私家版、2011年9月、全63頁。
5.白石崇人『幼児教育保育学科用テキスト 保育者論』私家版、2012年1月、全103頁。
6.白石崇人『幼児教育保育学科用テキスト 幼児教育の理論と応用』私家版、2012年4月、全235頁。
7.白石崇人「なぜ幼稚園は誕生したのか?―啓蒙思想の影響とフレーベルの幼稚園構想から考える―(講義用追加テキスト)、私家版、2014年6月、全11頁。
8.白石崇人『資料から考える教育原理』広島文教女子大学、2017年、全260頁。
9.白石崇人『資料から考える教職原理』広島文教女子大学、2017年、全77頁。
10.白石崇人『資料から考える道徳教育』広島文教女子大学、2017年、全169頁。
11.白石崇人『教育の理論① 教育の思想と歴史―教育とは何かを求めて』広島文教大学、2020年、全205頁。
12.白石崇人『教育の理論② 教師・保育者論―研究する教育者』広島文教大学、2020年、全123頁。
13.白石崇人『教育の理論③ 教育の制度と経営―社会の中の教育』広島文教大学、2020年、全171頁。
14.白石崇人『教育の理論④ 道徳教育の理論と方法―道徳を考え議論するために』広島文教大学、2020年、全196頁。
15.白石崇人『教育の理論① 教育の思想と歴史―教育とは何かを求めて』kindle版、2022年(全248頁、電子書籍)。
16.白石崇人『教育の理論② 教師・保育者論―研究する教育者』kindle版、2022年(全208頁、電子書籍)。
17.白石崇人『教育の理論③ 教育の制度と経営―社会の中の教育』kindle版、2022年(全293頁、電子書籍)。
18.白石崇人『教育の理論④ 道徳教育の理論と方法―道徳を考え議論するために』kindle版、2022年(全235頁、電子書籍)。

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学校の働き方改革における教育研究時間の労働時間化の目標化

2023年08月28日 23時55分55秒 | 教育研究メモ
 教師は子どもたちの「教育を受ける権利」(憲法第26条の1)を保障するために働く。「教育を受ける権利」を保障するには、子どもたち一人一人の「学習権」を保障することと、子どもが「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を保障することが前提となる(例えば安心・安全でない環境で学習に集中することなどできない)。子どもの学習や生活は子どもの個性や置かれた状況に応じて行われる。子どもの個性や状況に応じた学習機会や生活環境を提供することが教師の仕事である。
 子どもたちの状況は日々変化し、成長と共に個性は変化し、必要な生活環境も変化する。教師たちは、子どもたちの変化や個性に応じた学習機会を提供するために、教材や授業の研究に取り組まなければならない。教師の労働時間はこの教材研究や授業づくりなどの時間を含む。教材研究や授業づくりの時間が教師の労働時間に含まれないという論理は、まったく教師の仕事に適さない論理である。教材研究や授業づくり、児童生徒理解、生徒指導、学級・学校運営などのための教育研究は、教師個人の趣味ではなく、教師の正規の労働として認めなければならない。

 学校の働き方改革は、教師たちの労働条件を見直して、子どもたちの人権(教育を受ける権利・学習権)を十分に保障できる体制を整えることである。現状は、教育研究を正規の労働時間に含められるような状況になり得ていない。現在の学校では、教育研究よりも優先されている業務で労働時間はいっぱいとなり、多くの場合は正規の労働時間に収まりきらず、勤務外労働に至っているからである。
 「教育研究の時間などどこにもない、そのほかの業務ですでに私的な時間を削っているので捻出できない(または命を削って捻出するしかない)」という現状は、誰が不利益をこうむっているのだろうか。教師たちが教育研究に時間を割けないことで不利益をこうむっているのは、第一に子どもたちであり、第二にその保護者たち、第三に我々国民である。教師が教育研究時間を確保できないという問題は、実は、子どもたちそして国民の「教育を受ける権利・学習権」を十分に保障できない、保護者の義務(保護する子に普通教育を受けさせる義務)を十分に果たせないという結果を生んでいる。(なお、命の危機にさらされている教師が不利益をこうむっているのは当たり前なので、算入していない。)
 教師が子どもを見ていない、いつまでも同じような授業をしている、形ばかりの授業で成績が上がらない、などの声がよく保護者や国民から挙がることがあるが、教師個人の責任や努力不足は、努力できる条件を整えてはじめて本格的に問うことができる。教育研究時間やそのための条件を確保しないで児童生徒の理解や指導・授業改善を求めても、教師たちは問題解決に取り組む余裕がないので結局状況は変わりようがない。逆に、真面目な教師を追い込み、仕事の効率を落とさせることになりがちである。
 学校の働き方改革の目標は、仕事の優先度はどうなっているか具体的に整理して業務削減・効率化を進め、教育研究を労働時間内に収めるところまで見通すべきである。当面の目標は、業務削減・効率化の実を挙げることであるが、そこで終わりではなく、教育研究時間の労働時間化まで進めなければ、本当の働き方改革にはならない。

 なお、教育研究(特に教材研究や授業づくり)が教師の重要な労働の一つであるという認識は、学校や教員養成の現場や教育行政では常識である。最大の問題は、教師の労働内容を枠づける権限をもつ国や国会、地方議会であり、主権者である国民の理解の次元にある。教育内容を増やせば教師の労働内容は増えるし、教員数を定めれば教師の労働の総時間数は定まる。教育内容を定めるナショナル・カリキュラム(学習指導要領)は国が定め、教員定数や加配数は議会が決めており、国や議会の政策方針は主権者や利害関係者の世論を見て決められている。政治家や国民は、教育研究なくして子どもたちの人権(教育を受ける権利・学習権)を十分に保障することはできないということをどれだけ理解しているか。教師が授業以外に何をしているか知らない人々が大半の現状では、残念ながらまったく理解されていないとみてよい。教育研究の重要性と働き方改革の長期的な目標について、国民や政治家の理解を図る仕組みが必要である。
 一般の会社員が、次の会議に出す資料を準備する時間は労働時間に入らないと言われたらどう思うか。普通の人は、たまらない、やっていけないと思うだろう。資料準備の時間は、パワーポイントを作る時間だけを労働時間とする、と言われたらどう思うだろうか。それだけで資料を作れるわけがない、調べものをしたり計画を練ったり打合せしたりする時間が必要だ、と思うだろう。そういう時間を労働時間に入れてくれる企業と、入れてくれない企業とでは、人はどちらで働きたいと思うだろうか。また、よい企画を立てるには新しい視点を得たり新しい技能を身に付けられる研修が必要だが、研修機会をしっかり確保してくれる(労働時間に入れてくれる)企業と、そうでない企業とでは、人はどちらで働きたいと思うだろうか。これらの問題と教師の教育研究の問題との間には似ているところがある。異なる所を挙げることは可能だが、一般的な業務との共通点を探って国民の理解を求めていくことも大事だろう。

参考文献
・高橋哲『聖職と労働のあいだ―「教員の働き方改革」への法理論』岩波書店、2022年。
・白石崇人『教師・保育者論』教育の理論②、Kindle、2022年。
・白石崇人『教育の制度と経営』教育の理論③、Kindle、2022年。
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戦後の運動部活動史から学ぶ部活動問題の解決策

2023年07月03日 23時55分55秒 | 教育研究メモ
 学生たちに自分の歴史を教育との関係で叙述してもらうと、多くの学生は中高での部活動を自分史において注目すべき現象として挙げて来る。部活動が現代の日本人の自己形成において欠かせないものになっていることは間違いあるまい。一方で、学校の働き方改革の論点の一つには、中高の部活動問題が必ず挙がって来る。中高教員の長時間労働を解決するために、部活動の問題は避けては通れない。部活動の問題は、その教育的意義の高さ(しかも人々の経験・実感に支えられている強固な価値観)ゆえに極めて難しい問題である。単に廃止することは中高生の教育的環境を貧しくすることにつながってしまうから、逆に新たな問題を生んでしまって問題解決にならない。
 現在、部活動問題の解決策の一つとして地域移行が挙げられる。2022年12月のスポーツ庁・文化庁「学校部活動及び新たな地域クラブ活動の在り方等に関する総合的なガイドラインについて」では、2023~25年度の間に部活動の地域移行を「地域の実情に応じて可能な限り早期の実現を目指す」とある。まずは休日、できるところから平日も地域移行をはかり、できれば地域クラブ活動への移行、できなくても合同部活動や部活動指導員等を実施することが提案されている。
 部活動の地域移行は、具体的な取り組みを実施に移した地域も徐々に出てきているようであるが、実は戦後を通して似たような取り組みや考え方は何度も登場していた(中澤2014)。例えば、1970年代には、運動部活動による教員の労働時間の増加に対して教員手当を出すかどうか、部活動での事故に対する教員の責任をどうするかが問題になり、運動部活動の「社会体育化」が推進された。1960年代の東京オリンピックを背景とした学校における運動部活動の推進のあと、運動部活動の統制的な側面を批判して、自由・自治に基づくスポーツを推進しようとする立場からの後押しもあって、運動部活動の「社会体育化」、すなわち今の言葉で言えば部活動の外部委託・地域移行が一時注目され、実施する地域もあった。しかし、1970年代末に学校での事故に対する保険制度が充実されたことや、地域移行後に生じた指導の過熱や指導者の教育的配慮が問題視されたために、80年代には社会体育化の勢いは急速に失われた。
 このように、1970年代には、オリンピックを背景に運動部活動が活性化し、その反面で、教員の時間外労働が問題になり、かつスポーツ本来の自由な活動や自治的取り組みを大事にするために地域移行が試みられるようになった。この歴史を見ていくと、現代のわれわれにとってもなんだか他人事でないような気がする。また、今と1970年代の状況は異なるが、この実例からわかることは、学校で部活動を続けられる体制(ここでは教員の手当と事故保障)が整えられれば、地域移行の取り組みは吹き飛んでしまう可能性があるということである。

 なぜそこまでして学校に部活動を囲い込もうとする人々が現れるのか。運動部活動は、1940年代末から50年代にかけて、日本社会の民主主義化のために、自由と自治に基づくスポーツを中心とした「新体育」の理念のもとに奨励されるようになった。(なお、民主化は別として、自由・自治に基づくスポーツに注目する議論や実践が戦前においてなかったわけではない) ところが、1960年代にはスポーツ選手の養成、1980年代には校内暴力・非行問題の解決策として、学校・教師の強い影響力のもとに行われる管理主義的な側面が注目されるようになった。1989年には学習指導要領において部活動によるクラブ活動の代替措置が認められたことを背景に、部活動は一層促進された。部活動は、学校教育の民主化や、青少年健全育成・非行防止のための生徒指導として、欠かせない教育活動としてその教育的価値が認められている。しかも、国策(スポーツ選手養成)に具体的に協力することにもなる。特にオリンピックを視野に入れた選手養成ともなれば、国際社会の中で存在感をもつための活動、選手を応援することで国民国家形成を具体的に推進する活動の一環であるともいえる。文化系部活動であっても、国民文化の維持向上の意義はすぐに見出されるし、国際大会などにつながることもあるので、同様の意義を認め得る。そういう視点で見ると、部活動はやはり学校教育の役割にかかわる重要な活動といえる。
 1980年代以降、運動部活動は、その管理主義的側面をたびたび批判され、生徒のケガや学業との両立、顧問の負担、生涯スポーツの実現などの観点からも批判されてきた。1990年代には、学校をスリム化しようとする新自由主義的な論調や、部活動を地域に開いて民主的に再編する参加民主主義的な論調、競技力向上のための一貫した指導体制の構築を求める論調によって、運動部活動批判が強まった。加えて、1998・99年の学習指導要領ではクラブ活動が廃止され、部活動で代替する体制も崩れて、部活動を公務と見なす根拠がなくなった。1970年代以降、民間スポーツ施設数は増加し、2000年代には合同部活動や外部指導員の取り組みもみられ始めた。現在でも繰り返されている部活動の地域移行論や取り組みは、歴史に似たようなものを見つけることはできるようだ。このような歴史の上に、今の我々が議論・解決すべき問題があることを忘れるべきではない。
 歴史の中の議論と現在の部活動問題の異なるところは、やはり学校の働き方改革が問題の中核にあるところである。部活動の教育的意義があるのも、地域移行に利点があるのも、歴史を見ていくとすでに多数の先人が多様に議論してきたことであった。現代においても問題意識や趣旨を共有することも多い。我々が歴史から学ぶべきは、議論の出発点を見極め、失敗の原因をさぐって対策を練ることである。何度も繰り返してきた議論をさらに繰り返す余裕はない。現代の議論は歴史を土台にしてその先を議論すべきであろう。

 では、歴史から学んで、何をすべきか。つたない私見だが一応述べておこう。
 まず、必要なことは、部活動を地域移行すべきか、学校教育に残すべきか、地域で結論を出すべきだ。議論でとどまらず、結論を出す。地方議員や地域住民だけで議論せず、学校も、生徒もともに議論すべきだ。そのために、コミュニティスクール機能の実質化は必須である。また、地域に移行可能な条件を整える必要がある。社会教育の振興を忘れてはならない。社会教育が弱いままでは、地域移行する受け皿が不足し、苦労して見つけた受け皿もトラブル続出となるだろう。その輪にはNPOや企業も入れていくことになる。教育的立場から推進できるように、地域学校協働本部の設置・活性化や地域コーディネーターの育成は欠かせない。
 もし地域移行しないと決まれば、部活動を学校教育に残していくことになる。合同部活動や外部指導員が具体的な手立てになっていくだろうが、何のために部活動を学校教育として行うか見失わないように、その目的の議論を欠かすわけにはいかない。部活動を学校教育に取り入れるならば、成功例(選手育成・非行防止など)以上に、失敗例(人権無視、しごき、学業の破綻、勝利至上主義など)の目立つ、管理主義的な位置づけは避けるべきである。生徒の自由と自治による活動自体に込められた民主教育(現代風にシティズンシップ教育といってもよい)として取り入れるべきだろう。そうなれば、顧問教員の役割は競技力向上にはなく、生徒の自由・自治活動を支え、民主主義的な生活を整えるところにある。競技力向上の指導は、教員ではなく、別途指導員が行うべきである。どうしても教員がやりたいならば、副業として指導員を務めるべきだ。そのためには教員の副業制度を整える必要があり、副業可能な労働環境が必要である。なお、残業手当・時間外手当を与えることで教員が教員のままで指導させるのは止めた方がよい。部活動の特別手当はすでに1970年代に創設されたが、その後の教員たちを本質的に救うことにはつながらなかった。大事なのは、学校教育として部活動を何のためにやるのかを明確にすることと、教員だけが抱えこまないような体制を整えることである。
 以上の私見が「釈迦に説法」となることを祈る。


参考文献
・中澤篤史『運動部活動の戦後と現在―なぜスポーツは学校教育に結び付けられるのか」青弓社、2014年。

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