教育史研究と邦楽作曲の生活

一人の教育学者(日本教育史専門)が日々の動向と思索をつづる、個人的 な表現の場

教育学的思考③―「日本」「東洋」批判

2024年04月21日 19時35分00秒 | 教育研究メモ
 広島大学の教育学は、戦後、新制大学として再編後に、「日本東洋教育史」という概念を使って、教育学として教育史の研究を推進してきた。この概念をいかに現在の教育史研究に生かすかについては私もまだ研究を始めたばかりだが、現段階でいかなる方向性をもつべきだと考えているかまとめておく。

 「日本東洋教育史」概念によって思考を進めようとするとき、まず先頭にある「日本」概念が目に入る。「日本東洋教育史」は、まず「日本の教育」を歴史的に研究する日本教育史を重要な要素として含んでいる。「日本の教育」とは何か、どうあるべきか(と考えられてきたか)について、歴史を通して研究する。近代の「日本の教育」を研究する場合、日本という国民国家のナショナルな教育について考えることが重要である。また、日本国内の特定地域における教育に関する歴史や文化を探究することも重要である。日本教育史は、「日本」という国民国家やその一部としての特定の地域に生きる「我々」の教育問題を発見・解決するための参照資料を我々に提供する。さらに、教育の定義として先述したように、教育は人々に様々な感情・記憶を喚起する行為・領域であるから、日本教育史もまた、「日本の教育」を通して喚起されてきた過去の感情・記憶に向き合う必要がある。当たり前の物事は問い直すことすら思い至らない。教育の喚起してきた感情・記憶の歴史性・近代性を明らかにすることで、この感情・記憶は相対化されて当たり前のものではなくなり、我々は改めてこれらを自由に考えることが可能になる。
 現在は、グローバル化の進行により、国民国家が相対化された時代である。このような現在を生きる我々にとって、「日本=国民国家」という考え方にどう向き合うかはとても重要な問いになる。それは結局「日本とは何か」という問いである。日本教育史は、「日本の教育とは何か」という問いに取り組むことで、重要な役割を果たすことができる。例えば、近代批判として近代日本とは何かという問いを立てる場合、かつての「日本=帝国」という問題が重要になってくる。近代日本は大日本帝国となり、第二次大戦後に解体されて日本国になったが、大日本帝国が残したものの中には現在に至るまで未解決の問題もある。日本国になった時点で終結した単純な問題ではなく、戦後引き続き新たな変遷をたどったポスト・コロニアリズムの問題として生き続けている。これは日本だけの問題ではなく、かつて帝国主義をとった各国とその支配下にあった国々の世界的問題である。この問題に取り組むには、日本国内(本土内)の研究だけでは済まない。現在は、「日本」の外側への視点がなければ、日本教育史は十分研究できない時代になっている。
 そう考えると、「日本」を超える範囲をもつ「東洋」概念には可能性を感じる。しかし、「東洋」概念は古くから使われており、その歴史性ゆえに現在そのまま使用するには問題があり、その意味内容を刷新しなければならない。特に「日本」と「東洋」をセットで使用する場合、より深刻な問題が生じる。「日本=特殊な東洋」という考え方がある。これは、「東洋」諸国に対する日本の優越感を表す考え方であり、現在においても大きな問題をかかえている。現在においては、各国・各地域の文化の多様性を尊重し、共生していくことが求められる。「日本=特殊な東洋」という考え方は批判されなければならない。「東洋」批判は、「日本」批判である必要がある。
 また、「東洋」概念が指す諸国・地域とはどこか、という問題もある。伝統的には、中国、朝鮮半島、日本、そしてインドを中心的に指しており、それ以外のアジア諸国の存在を度外視してしまいがちであった。では、「アジア」概念に差し替えれば問題が解決するかというと、そう簡単にはいかないと思う。私が注目したい「東洋」概念の可能性は、ある程度の一体性をもつ文化(東洋文化)の存在を前提とする概念である。では、アジア諸国に「アジア」としてひとくくりにできるほど一体性があるのかというと、文化人類学が発展した現在では、とてもそのような一体性が見いだせるとは思えない。思考・研究にはある程度の枠組が必要だが、「アジア」では広すぎる。「東洋」の可能性を探りたい。
 「東洋」概念は「西洋」概念と対で用いられる。「世界=西洋+東洋」という単純な世界観は現在において通用しない。また、「西洋」批判は欧米で100年前ほどからすでに行われているが、往々にして相対的な「東洋」の優越性を強調する論調がある。「東洋」上げとも言うべき現象は、グローバル化や冷戦後の国際関係の変化の中で捉えると、各国・各地域の文化の多様性を尊重し共生していくうえで支障をきたすおそれがある。「東洋」批判は「西洋」批判とも関連して進めなければなるまい。
 近代日本は「東洋」・「西洋」の両方から影響を受けてきた。「日本」「東洋」「西洋」批判を並行して進めていくには、「日本ー東洋」関係の再構築とともに、「日本ー西洋」関係の再構築が必要である。「日本ー東洋」関係の再構築は、先述の通り、「優越/劣位」の関係を見直すことである。優劣ではなく、多様性を尊重する方向に見直していく必要がある。近代日本史についていえば、大日本帝国の問題は、まさにこの「日本ー東洋」関係の問題と関わっている。また、「日本ー西洋」関係の再構築について、日本から西洋に対する「憧憬または対抗」・「受容または借用」の問題があると思われる。この問題は、教育制度・思想においても重要であって、日本の近代教育の特徴を形作った重要な要因である。

 「西洋」概念もそうだが、「日本」・「東洋」概念は近代の問題ときわめて深くかかわっている。教育学的思考が近代教育批判を重視するならば、教育学としての教育史として、「日本」・「東洋」批判を進める必要がある。この作業は「日本教育史」や「東洋教育史」で専門的に進めてもよいだろうが、「日本東洋教育史」として「日本の教育」を新しい「東洋」概念をもって研究することには、現在においてますます価値があるように思われる。今後の研究を進めていきたい。

主要参考文献
白石崇人・井上快「沼田家文書にみる漢学知と近代教育の展開―日本東洋教育史の一断章」中国四国教育学会編『教育学研究紀要』第68巻、2023年3月、306~317頁。

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教育学的思考②―近代教育批判

2024年04月19日 20時06分00秒 | 教育研究メモ
 現在において「教育学としての教育史」の研究において、重要な思考法・研究法の一つに近代教育(近代学校)批判がある。ここでいう「批判」とは、単なる「非難」や「否定」ではなく、物事の価値や誤り、不十分な点等を検討してよりよい知見を目指す議論のことを指す。

 近代批判は、近代を制度や思想等において徹底しようとする近代主義を批判してその問題を乗り越えようとする思考法である。それは20世紀前半には始まっているが、現代の学問・思想においても重要な思考法になっている。教育学においても、近代教育批判は、特にポストモダンの影響を受けた20世紀末以降、ますます重要な方法になった。近代教育は、現在の学校教育や教師の在り方などのよって立つ原理の一つであり、明治以降150年にわたって試行錯誤のうえ思想化・制度化されてきた。しかし、現在、「学校教育は行き詰まっている」などの言説や、「学校でなくても学べる」、「日本でなくても学べる」、「AIによって代替可能なので教師は不要なのではないか」などの言説によって、近代教育の問題が多方面から指摘され、新しい教育が模索されるようになって久しい。現代の教育学が取り組むべき重要な使命の一つとして、近代教育批判が上がってくる所以である。極論を言えば、教育史は過去の教育を研究すれば成立してしまう。しかし、教育学としての教育史は、近代教育批判に取り組むことが求められる。
 近代教育批判に限らず、近代批判は現在の学問研究一般に重要である。歴史研究を通した近代批判の特徴は、過去そのものを問うことを通して批判を進めるところにある。過去(歴史)の問い方には大きく2つある。第1に、過去と別の過去が本当に連続・進歩しているのか、その連続性を問う。第2に、過去同士が本当に断絶しているのかその断絶性を問う。いずれの問い方についても、その真偽を史料を通して確かめるのが歴史研究である。
 そのとき、近代をどのように捉えるかによって、とるべき研究法は変わってくる。近代は現在に対して過去であり伝統である。ここで、近代を「継承すべきもの」と捉えるか、「克服すべきもの」と捉えるかによって、歴史研究の姿勢が全く違ってくるだけでなく、現在または未来の捉え方までも変わってくる。近代を「継承すべきもの」と捉えるならば、現在・未来は「過去からの進歩・徹底、または過去の延長」と捉えることになる。近代を「克服すべきもの」と捉えるならば、現在は「克服すべき過去の課題を背負うもの」または「過去の課題は現在に至るまでに解決済の、過去から断絶されたもの」と捉えられ、特に未来は「過去から断絶されたもの」と捉えられやすい。どちらが正しい視点・姿勢かという問いに唯一の答えはないが、近代をどうとらえ、どう考えるかで現在・未来の見方・考え方は根本的に変わってくることは確かである。

 近代と現在の関係を考えるとき、「近代=現代」または「近代≒現代」と捉える視点がある。「近代」という日本語は、その後に「現代」という新たな時代がやってくるように私たちに認識させがちであるが、英語ではどちらも「modern」である(しかも「近世」は「early modern」だからさらにややこしい)。この視点をとると、先述の歴史的見方・考え方の一つであった、現在の目で歴史を見て、過去と現在のかかわりを考える見方・考え方をとりやすい。過去と現在の共通点や連続性を探究するには便利である。しかし、現在の見方・考え方だけで歴史を解釈しようとすると、解釈を間違うことがある。この問題は、しばしば「現在主義」と呼ばれる、近代批判・歴史研究一般に共通する大問題である。自分の親や年の離れたきょうだいですら、自分とは考え方が違うなと感じた経験は誰にでもあるだろう。それと同じように、過去の見方・考え方や習慣、文化は、現在のものと似ている印象を受ける場合もあるが、まったく同じものではない。過去に存在したそれらは、少なからず時間を経て変遷している。基本的には、過去と現在とは、少なからず異質なものだと心がけなければならない。近代批判や歴史研究を行うのは現在を生きる我々だから、現在の見方・考え方を考察にまったく持ち込まないことは不可能である。同時代に生きている我々が、異なる他者と対話するですら容易なことではない。過去に生きる他者と対話することも同様である。歴史研究には、自分や自分の所属するコミュニティのもつ現在主義を相対化しながら、異質な過去を捉え、他者として尊重しながら対話しようとする研究法が必要である。この研究法を身に付けるには、特殊な訓練が必要である。
 近代を問うことは、近代史はもちろん、近世史・中世史・古代史でも可能である。近世以前の歴史研究は、その時代を明確に研究することで近代との比較材料を確かにすることができる(もちろん近代批判のためではない近世以前の歴史研究もある)。とはいえ、近代史研究はそのまま近代批判につながる点で、ほかの時代の研究と異なる立場にある。近代史研究は、近代内部(同時代)で、ある過去と別の過去の間に生じた変遷を分析し、歴史の画期等を発見して、近代そのものを考察していく。その作業を通して、近代とは何か、どのような課題が見いだせるかについて考察することができる。近世史はそのまま近代とは異なる他者として研究する場合も、early modernの研究として捉える場合も、近代批判につながげることができる。
 歴史研究は近代を問うために、国家や地域、制度、思想、文化、習慣等を時系列や因果関係などとして関連付けながら、その近代性を考察・解釈していく。比較・関連づけるべき事実は、同時代の別の国や地域・人物等の事実であることもあれば、同じ国や地域・人物等のさらなる過去の事実であることもある。例えば、1900年代と1910年代の思想を関連付けることで、その連続性や近代性を問うことができる。また、単体の事実同士だけでなく、複数の過去や出来事・集団・人物の間に起こった移動や交流、影響、受容、借用、移転等のかかわりを対象にすることもできる。単に20世紀前半の日本とアメリカの教育制度を比較するだけでなく、アメリカのA氏の教育学説が日本の学者B氏の学説に受容され、B氏が政府の審議会でその学説に基づいて発言し、政策に取り入れられたことを明らかにすることで、A氏の影響を特定したり、B氏の学説の独自性を研究したりして、日本における教育の近代化の在り方を明らかにすることができるかもしれない。

 現在の教育学にとって重要な教育学的思考の一つに近代教育批判がある。教育学としての教育史も、近代教育批判に取り組むことが期待される。そのためには、研究者自身が近代をどのように捉えようとしているか自覚し、その視点に適した思考ができる研究法をとらなければならない。また、現在と過去の連続性を捉えるにしても、断絶性を捉えるにしても、現在主義に陥ることなく、過去という異質な他者を尊重しながら、対話していく必要がある。また、過去の同時代の出来事を単に比較したり、関連付けたりするだけでなく、それぞれの関わり方に着目にすることで過去をより精緻に分析することが可能になる。近代教育の特質を正確に考察するには、過去を精緻に分析する教育史研究が必要である。

主要参考文献
E.H.カー(清水幾太郎訳)『歴史とは何か』岩波新書、1962年。
リンダ・S・レヴィスティック、キース・C・バートン(松澤剛・武内流加・吉田新一郎訳)『歴史をする―生徒をいかす教え方・学び方とその評価』新評論、2021年。
Johannes Westberg & Franziska Primus, "Rethinking the history of education: considerations for a new social history of education", Paedagogica Historica, Vol. 59, (2023), 1-18. https://www.tandfonline.com/doi/full/10.1080/00309230.2022.2161321



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口頭発表業績一覧

2024年04月18日 23時55分55秒 | 研究業績情報

 この記事は、口頭発表の一覧です。発表後、何らかの形で活字化しているものが多いです。




1.白石崇人「明治初期における教育会の結成に関する研究 ―東京教育学会の活動実態を中心に」中国四国教育学会第54回大会、高知大学、2002年。
2.白石崇人「東京教育会の活動実態」全国地方教育史学会第26回大会、金沢大学サテライトプラザ、2003年6月1日。
3.白石崇人「大日本教育会主催の全国教育者大集会に関する研究」教育史学会第47回大会、同志社大学今出川キャンパス、2003年9月21日。
4.白石崇人「『大日本教育会雑誌』における外国教育制度情報 ―情報の使用形態に注目して」中国四国教育学会第55回大会、広島大学、2003年11月9日。
5.白石崇人「大日本教育会機関誌における外国教育情報に関する研究」国際研究集会、中国浙江省杭州市、2004年4月3日。
6.白石崇人「大日本教育会の地方会員に関する研究 ―全国と地方との関係」全国地方教育史学会第27回大会、熊本大学、2004年5月23日。
7.白石崇人「大日本教育会および帝国教育会における組織的研究活動の展開」教育史学会第48回大会、法政大学、2004年10月10日。
8.白石崇人「19世紀末の大日本教育会・帝国教育会機関誌にみる西洋・東洋教育情報」アジア教育史学会2004年度第二回例会、広島大学、2004年11月6日。
9.白石崇人「明治三十年代の帝国教育会における組織的研究活動の展開」中国四国教育学会第56回大会、鳴門教育大学、2004年11月28日。
10.白石崇人「大日本教育会および帝国教育会の地方会員の履歴に関する研究」全国地方教育史学会第28回大会、福島大学、2005年5月22日。
11.白石崇人「大日本教育会および帝国教育会に対する文部省諮問」教育史学会第49回大会、東北大学、2005年10月8日。
12.白石崇人「大日本教育会および帝国教育会における研究活動の主題」中国四国教育学会第57回大会、安田女子大学、2005年11月26日。
13.白石崇人「明治期における教育会の情報交換」全国地方教育史学会第29回大会、広島大学、2006年5月21日。
14.白石崇人「明治期大日本教育会・帝国教育会像の再構築」教育史学会第50回大会、大東文化大学、2006年9月16日。
15.白石崇人「明治期帝国教育会における道徳教育研究活動」中国四国教育学会第58回大会、岡山大学、2006年11月。
16.白石崇人「結成時における大日本教育会の根本的目的」教育史フォーラム・京都 第20回研究会、京都大学、2007年9月2日。
17.白石崇人「明治30年代・帝国教育会学制調査部の「国民学校」案」中国四国教育学会第59回大会、広島大学、2007年11月23日。
18.白石崇人「全国教育者大集会の開催背景 ―帝国議会開設前の大日本教育会における「東京」と「関西」の問題」教育情報回路研究会第7回全体研究会、東北大学、2008年5月17日。
19.白石崇人「明治10年代後半の大日本教育会における教師像」中国四国教育学会第60回大会、愛媛大学、2008年11月30日。
20.白石崇人「1940年代末結成の日本教育協会―日本連合教育会改称までを視野に入れて」1940年体制下における教育団体の変容と再編過程に関する総合的研究第1回研究会、東北大学、2009年7月18日。
21.白石崇人「大日本教育会単級教授法研究組合報告の内容―高等師範学校編『単級学校ノ理論及実験』との比較から」日本教育学会第68回大会、東京大学、2009年8月28日。 ※訂正:題目「…組合報告の報告の内容」→「…組合報告の内容」
22.白石崇人「明治後期の教育者論―教員改良のためのErzieher概念の受容と展開」中国四国教育学会第61回大会、島根大学、2009年11月21日。
23.白石崇人「明治30年代初頭の鳥取県倉吉における教員の問題意識―地方教育雑誌『東伯之教育』を用いて」全国地方教育史学会第33回大会、九州大学、2010年5月23日。
24.白石崇人「明治30年代初頭の鳥取県倉吉における教員集団の組織化過程-師範卒教員と検定教員との衝突・分離・合流」日本教育学会第69回大会、広島大学、2010年8月22日。 ※訂正: PDF320頁 下から3行目「79,298」→「79,299」
25.白石崇人「明治20年代初頭の大日本教育会における教師論―教員の地位向上と専門性」中国四国教育学会第62回大会、香川大学、2010年11月20日。
26.白石崇人「明治20年代前半の大日本教育会における教師論―「教育者」としての共同意識の形成と教職意義の拡大・深化」中国四国教育学会第63回大会、広島大学、2011年11月19日。
27.白石崇人「明治13年東京教育会の教師論―普通教育の擁護・推進者を求めて」教育史学会第56回大会、お茶の水女子大学、2012年9月22日。
28.白石崇人「明治30年代帝国教育会の中等教員養成事業―中等教員講習所に焦点をあてて」(コロキウム報告)、教育史学会第56回大会、お茶の水女子大学、2012年9月23日。
29.白石崇人「明治20年代半ばの大日本教育会による夏季講習会の開催」中国四国教育学会第64回大会、山口大学、2012年11月10日。
30.白石崇人「「教育情報回路」概念の検討」教育情報回路研究会、東北大学、2012年11月25日。
31.白石崇人「帝国教育会結成直後の教員講習事業―指導的小学校教員の学習意欲・団結心・自律性への働きかけ」教育史学会第57回大会、福岡大学、2013年10月13日。
32.白石崇人「明治期大日本教育会の教員講習事業の拡充―年間を通した学力向上機会の提供」中国四国教育学会第65回大会、高知工科大学、2013年11月3日。
33.白石崇人「1900年代鳥取県教育会における小学校教員批判ー教育研究態度の改良に向けて」全国地方教育史学会第37回大会、早稲田大学、2014年5月18日。
34.白石崇人「明治期大日本教育会・帝国教育会の教員改良―資質向上への指導的教員の動員」教育情報回路研究会、立教大学、2014年7月21日。
35.白石崇人「明治期大日本教育会・帝国教育会における教育勅語解釈―指導的教員・教育行政官の動員構想」教育史学会第58回大会、日本大学、2014年10月5日。
36.白石崇人「明治期帝国教育会における教員講習の展開―中等教員程度の学力向上機会の小学校教員に対する提供」中国四国教育学会第66回大会、広島大学、2014年11月15日。
37.白石崇人「「研究」する教師・保育者の誕生-学び続ける明治期の先生たち-」広島文教女子大学教育学第31回定期総会、広島文教女子大学、2015年5月22日。
38.白石崇人「日本教育会解散後における中央教育会の再編―日本教育協会・日本連合教育会成立まで」(コロキウム報告)、教育史学会第59回大会、宮城教育大学、2015年9月27日。
39.白石崇人「明治30~40年代における「教師が研究すること」の意義」中国四国教育学会第67回大会、岡山大学、2015年11月14日。
40.白石崇人「新鳥取県史編さん事業における教育史研究者」全国地方教育史学会第39回大会、東洋大学、2016年5月22日。
41.白石崇人「明治30年代半ばにおける教師の教育研究の位置づけ―大瀬甚太郎の「科学としての教育学」論と教育学術研究会の活動に注目して」教育史学会第60回大会、横浜国立大学、2016年10月1日。
42.白石崇人「教育学術研究会編『教育辞書』における「研究」概念」中国四国教育学会第68回大会、鳴門教育大学、2016年11月6日。
43.白石崇人「教育史研究者が教員養成改革に向き合うには」中国四国教育学会第68回大会ラウンドテーブル、鳴門教育大学、2016年11月6日。
44.白石崇人「明治期師範学校・小学校における授業批評会―明治20年代以降の東京府・鳥取県の事例」中国四国教育学会第69回大会、広島女学院大学、2017年11月26日。
45.白石崇人「教育史研究・教育の発展に寄与する教職教養の視点」(シンポジウム指定討論)教育史学会第62回大会、一橋大学、2018年9月29日。
46.白石崇人「明治末期の教育研究における教育品展覧会」中国四国教育学会第70回大会、島根大学、2018年11月17日。
47.白石崇人「明治日本における教育研究―教育に関するエビデンス追究の起源を探る」第13回教員養成と教育学に関する研究会、博多市、2019年1月12日。
48.白石崇人「岡山県後月郡教育会による地域教員の組織化と学習奨励―明治・大正初期(1893~1917年)を中心に」教育情報回路研究会、東洋大学、2019年2月24日。
49.白石崇人「1886~1929年鳥取県の小学校教員検定制度について」小学校教員検定科研費研究会、神戸大学、2019年3月17日。
50.白石崇人「1975 年における日本教育会の結成―世話人会・各全国校長会・森戸辰男の動向に注目して―」教育情報回路研究会、オンライン、2020年6月27日。
51.白石崇人「1880~1930年代日本の教育学における科学的基礎づけ問題」中国四国教育学会第72回大会ラウンドテーブル、広島大学(オンライン)、2020年11月22日。
52.白石崇人「明治期鳥取県の小学校教員試験検定制度―有資格教員確保政策・免許状授与数・受験者養成・教育学的知識」小学校教員検定科研費研究会、オンライン、2021年8月30日。
53.白石崇人「沼田良蔵・實文書について―幕末三原の漢学者から明治大正昭和公立学校長への転身」中国四国教育学会第73回大会、山口大学(オンライン)、2021年11月27日。
54.白石崇人「日本教育学史をどう描くか?―1880~1930年代における科学的基礎づけ問題とその後の展望」教育学史研究会、オンライン、2022年3月22日。
55.白石崇人「明治末期の小学校正教員に求められた教育学的知識―鳥取県小学校教員検定試験問題の分析」日本教育学会第81回大会、広島大学・オンライン、2022年8月24日。
56.白石崇人「20世紀初頭日本の中等教員養成における教育学の役割―東京帝国大学の吉田熊次による「大学に於ける教育学研究」論に注目して」日本教育学会第81回大会ラウンドテーブル、広島大学・オンライン、2022年8月24日。
57.白石崇人「日本教育協会結成における信濃教育会の役割―1948・49年度の信濃教育会所蔵資料を中心に」教育史学会第66回大会コロキウム、埼玉大学・オンライン、2022年9月25日。
58.白石崇人「日本教育史研究における「教育学としての教育史」」コンピテンシー重視の時代における教師教育と教育学の在り方に関する日独比較研究成果中間報告会、九州大学博多駅オフィス、2022年11月13日。
59.白石崇人・井上快「沼田家文書にみる漢学知と近代教育の展開―日本東洋教育史の一断章」中国四国教育学会第74回大会、香川大学、2022年12月4日。
60.白石崇人「現代日本における教育史教育の課題―歴史教育・高大接続・教員養成を意識した「教育学としての教育史」の教育の模索」日本教育学会第82回大会、東京都立大学・オンライン、2023年8月24日。
61.白石崇人・井上快・三時眞貴子「沼田家文書にみる知と近代教育―エゴ・ドキュメントによる教育史研究の可能性」中国四国教育学会第75回大会ラウンドテーブル、広島大学、2023年11月26日。
62.白石崇人「沼田實日記にみる20世紀初頭の広島県師範学校・東京高等師範学校生の生活―近代的時間規律の訓練を支えた師範教育制度と師範生の感情・習慣・主義」中国四国教育学会第75回大会ラウンドテーブル、広島大学、2023年11月26日。
63.白石崇人「戦前日本の教員養成に対する教育学の役割(試論)」日独ミニシンポジウム・教育学と教員養成を見直す、オンライン、2024年1月10日。
64.Takato Shiraishi, 'The Position of "History of Education as Educational Studies in Japan"', International Workshop on the Development of Educational Science in Japan and Germany, on-line, 2024/3/21.
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現職の初心として

2024年04月17日 19時51分00秒 | Weblog
 先日から、予約投稿機能で連続して投稿しております。テキスト化を見据えての授業準備の一環ですので、お気づき等あれば、それぞれの記事にコメントしてもらえるとうれしいです(今後の課題にします、と答えるしかない場合もあるやもしれませんがご寛恕ください)。

 さて、ちょっと閑話休題。
 広島大学に着任して一番ありがたいと思ったことは、研究が職場での業績として重視されることです。私大にいたこれまでの15年間でも、研究業績は評価されてきましたが、それとは別次元に入ったな、と思いました。私の働いていた地方私大では、学内・学科内分掌や実習業務、実習指導、広報活動などにどれだけ従事したか、が重視されてきました。広大でももちろんそれらは重視され、評価されますが、それだけでは働き続けることはできず、新しい研究業績を発表し続けなければなりません。研究するのが苦しい人や習慣づいていない人にとっては「地獄」かもしれませんが、研究が習慣づいていてしかもやりたくて仕方ない私のような人間にとっては「天国」だな、と思います。これから様々な状況変化の中でどう感じるかわかりませんが、とりあえず現状ではそのように思っています。このような環境・条件を整えてくださっている先輩方と大学には感謝しかありません。
 また、これは広大大学院の特徴だと思いますが、教育学研究者志望の大学院生を育てるところですので、自分の研究を院生指導や授業に直接間接に生かすことが可能であり、結果が出ればそれをも業績として評価される仕組みがあります。自分の研究の有用性を身近に実感できるので、とてもありがたい仕組みです。もちろん自己満足ではいけないので、履修生やゼミ生と対話(観察)しながら、どんな風に自分の学術研究と教材研究を展開し、その結果を活用していくか考えて続けていきたいです。こういうことが仕事として評価される可能性があると思うと、幸せな立場に立たせてもらえたな、と実感します。
 さらに、教員養成にも直結する現場(科目)も持たせてもらえており、教職課程担当教員の養成にも関わらせてもらえています。つまり、日本教育史研究者としての仕事、教育学者としての仕事、「先生の先生」としての仕事、そして「先生の先生」を育てる仕事という、自分のしたかった仕事をすべてさせてもらえ、それらがすべて職場で評価していただける。本当にありがたい職場に採用していただいたな、と実感しています。

 ここに、学会の仕事や、学外の仕事、校内・組織内分掌が重くなってきたとき、どういう気持ちになるかわかりませんが、すべて私自身がやりたい仕事につながっていくはずなので、なるべく楽観的に考えようと思います。
 私の現役生活はあと最大20年となりました。だんだんと、「終わり」を意識して仕事する必要性を感じるようになっています。とりあえず、初心を忘れないようにするため、書き留めておきます。
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教育学的思考①―どんな教育史の考え方か

2024年04月15日 23時55分55秒 | 教育研究メモ
 次に教育学的考え方、教育学的思考について考察したい。教育学的思考とは、端的に言えば教育学の研究法のことである。教育学の各分野において長年検討が積み重ねられ、年々専門分化と深化が進んでいる。教育学の代表的な分野には、例えば、教育哲学や教育史、教育社会学、教育心理学、教育方法学、教育行政学、比較国際教育学、社会教育学、教育経営学、幼児教育学などがある。ここでは、教育史の方法(教育史を通した思考の方法)に限定して、教育学的思考について詳しく考察する。

 教育学的思考の方法として、教育史の方法がある。教育史といっても多様なものがある。教育学的思考は、主に「教育学としての教育史」についての思考である。教育史には、これまでの研究史の中で、「哲学としての教育史」、「社会学としての教育史」、「人類学・民俗学としての教育史」、「歴史学としての教育史」などが現れてきた。研究者によって様々な姿勢があるが、「哲学としての教育史」は教育には触れても人間の考え方そのものを考えることに主眼があり、教育思想史と呼ばれる試みの中にはその傾向が強く出ているものがある。「社会学としての教育史」は社会のあり方を考えるものであって、教育の歴史社会学と呼ばれる試みの中にはその傾のあるものがある。「歴史学としての教育史」は人間の生き方や物事の変遷(歴史そのもの)を考えるものであって、日本で研究されてきた教育社会史にはその傾向が強い。そのほかに、「人類学・民俗学としての教育史」もある。これらに対して、「教育学としての教育史」とは、教育学の方法の一つとして教育自体を考えようとする。哲学や社会学、歴史学などの方法を取り入れることは大いにあり得るが、「教育学としての教育史」は教育学的視点・思考法を基礎としてあくまで教育のあり方を研究する。教育史を通して人間の生き方について考えていても、教育のあり方についてあいまいな考察しかできない場合は、「哲学・歴史学としての教育史」であっても「教育学としての教育史」としては不十分である。いずれかの教育史がすぐれている、と言いたいのではない。どの教育史にも長所短所がある。それぞれの教育史には、どこに視点をあてて、何を目的に研究するかについて違いがあるので、自分がどんな教育史の立場をとっているのか自覚して研究を進める必要がある。
 いずれの教育史の方法にも共通する基盤として、初等・中等教育を通して育てられる(そして高等教育を通して高度化される)歴史的見方・考え方がある。2018年告示の高等学校学習指導要領の地理歴史編解説によれば、歴史的見方とは、例えば、時系列や諸事象の推移、諸事象の比較、事象相互のつながり、過去と現在とのつながりを捉えようとする視点である。時系列を捉えるには、例えば、次期や年代、過去について、それはいつのことで、どういう経緯で起こったことか考える。諸事象の推移を捉えるには、それらの変化と継続について、何を変えようとして、どう変わったか変わらなかったかについて考える。諸事象を比較して捉えるには、それらの類似点や差異、共通点や相違点は何かについて考え、なぜその共通点や相違点が生じたかなどについて歴史を通して考え、それらの意味や特色を考える。事象相互のつながりを捉えるには、その背景や原因、影響、結果、転換点や画期に注目し、その出来事が起こった最も重要な要因は何かや、分岐点・転換点はいつか、どうしてそのような転換が起きたかについて考える。歴史の時系列や推移、類似点、相違点、影響、結果などについては、なぜそうなったか、どのような背景・理由・経緯でそうなったかについて考える。また、過去と現在とのつながりを捉えるには、現在の問題についての理解や歴史的な見通し、自分自身とのかかわりに注目して、過去と現在の似ているところや関連、その要因を考え、過去の事象が与えたのちの時代への影響や見通し、自分にとっての意味について考える。

 教育学的思考や教育史の方法は、高等教育において専門的に学ぶ。それはまったくゼロから学ぶというよりも、中等教育までに育ててきた歴史的見方・考え方を基盤にして学問を学び、そのことを通して各学問の視点・研究法を学んでいく。その過程は、歴史的見方・考え方を学問によって高度化させていく過程という側面もあろう。

参考文献:
文部科学省『高等学校学習指導要領(平成30年告示)解説 地理歴史編』東洋館出版社、2019年。
白石崇人「日本教育史研究における「教育学としての教育史」」広島文教大学高等教育研究センター編『広島文教大学高等教育研究』第9号、2023年3月、1~14頁。
白石崇人「現代日本における教育史教育の課題―歴史教育・高大接続・教員養成を意識した「教育学としての教育史」の教育の模索」『広島文教大学紀要』第58号、2023年12月、11~25頁。

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教育学的視点②―どの教育のどの部分か

2024年04月13日 19時21分49秒 | 教育研究メモ
 教育学的視点は、どの教育のどの部分を捉えようとするかがまず必要である。教育の目的を捉えようとするのか、過程を捉えようとするのか、条件を捉えようとするのかで、まったく捉え方や対象が変わってくる。目的を意識して捉えてみると、例えば、一方の教育が人間性を教養しようとする教育であり、もう一方の教育は国家・経済発展のための人材育成の教育であることが明らかになってくる。条件を捉えるには、例えば制度・政策に注目するのか、制度の運用について行政の動きに注目するのか、学校の経営に注目するのか、教師の協働や研究研修に注目するのかによって、捉え方も見るべき対象も異なってくる。

 さらに詳しく考えておこう。教育は学校・社会・家庭の中て行われている。学校教育には、例えば幼児教育、初等教育、中等教育、高等教育がある。それぞれ異なる視点が必要である。幼児教育や初等教育の視点で高等教育を捉えようとしてもうまくいかない(思わぬ結果が発見されるかもしれないが)。幼児教育には、遊びや環境構成、社会的保育を捉える視点が必要である。お受験や早期教育の視点が必要なこともあるかもしれない。初等教育や中等教育を捉えるには、義務教育や普通教育の視点、市民教育や国民教育の視点、全人教育や人間教育の視点、進路指導や大学受験の視点などが必要である。高等教育を捉えるには、専門教育の視点だけでは不十分で、教養教育の視点も必要である。
 学校教育を詳しく見るには、教科指導や教科内容、教科外指導を分けて視点をもつことも有効である。教科指導・内容を捉えるには、読書算(3R's)だけでなく、言語認識や社会認識、自然認識、芸術、技術、倫理、道徳、運動、体育、衣食住や家庭生活などの視点や、それらを総合する視点を持たなくてはならない。また、それらの知識や技能を伝達するだけでなく、応用・演習したり、探究したりする方法や過程を捉える視点も必要である。教科外指導については、道徳教育や生活指導、学級経営、キャリア・進路指導、養護、給食、掃除、制服、校訓、校則、部活動、児童会・生徒会など、多様な活動を捉える視点が必要になる。
 社会教育には、図書館や博物館、公民館、スポーツ施設等の社会教育施設を捉える視点が必要だが、NPOや企業、マスメディアの動向を捉える視点も必要である。家庭教育には、子育てやしつけ、家庭的保育、早期教育などを捉える視点が必要である。
 なお、教育は生活・人間形成の一側面であると先述した。教育は、学習や福祉、政治、経済などの人間の生活の別側面との関係の中で、相互に影響し合っている。例えば、教育を学習との関係から捉える視点は、教育学的視点にも必要である。学習には様々なものがあるが、例えば、乳幼児期の発達や児童期・青年期・成人期・老年期それぞれの発達、または生涯発達を捉える視点によって異なった様相を見せる。生涯学習の視点は、教育を捉える際にきわめて重要な視点である。幼児期の学習に応じた教育と老年期の学習に応じた教育を捉えるには、やはり区別された視点が必要である。

 以上のように、教育学的視点をどの教育のどの部分を捉える視点かで整理すると、極めて多様な個別の教育学的視点が見えてくる。すべての視点を身に付けるのは至難の業であり、いくつかの視点を身に付けるだけでも容易なことではない。哲学や社会学などのほかの学問も教育を捉える視点があるが、ほかにも身につけるべき重要な視点があるので、それらの学問を学ぶだけでは教育学ほど細かく教育を捉えることは難しい。教育学的視点を身に付けるには専門的で体系的な計画的な教育・学習が必要な所以であり、ここに教育学教育の専門性がある。

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教育学的視点①―教育の内と外

2024年04月11日 19時51分00秒 | 教育研究メモ
 教育学教育は、学生の教育学的視点と教育学的思考を育成する。ここではまず教育学的視点とは何かについて考えていきたい。
 教育は、教育学的視点だけでなく、哲学的視点、歴史学的視点、社会学的視点、心理学的視点など、様々な視点から捉えることができる。教育学的視点は、教育学の立場から物事をとらえる視点であり、教育を捉える視点の一つである。人は教育学的視点によって、教育の事実を捉え、教育とは何か、どうあるべきかを考えていくことができる。
 ここでは、根本的な教育学的視点について、まず教育の「内」と「外」とを正確に捉える視点について述べる。教育を正確に捉えるには、教育と「教育でないもの」を区別して認識し、教育と「教育でないもの」との相互関係を捉えようとする必要がある。

 教育とは、生きること(life・生命・生活)の一部であり、人間形成の一側面である。人間は、生きるために知識・技能等を身に付け、そのことを通して人間性を高め、生きることの質を高めていく。教育は、人間が生きるために行い、人間を人間らしく形成していく行為の一つである。それは、教育者と被教育者の間でコミュニケーションの一種として行われる。
 また、教育は、一定の感情や記憶を喚起し、そのあり方をめぐって関係者の間で利害が生じ、その利害をめぐって緊張を生じさせる社会的な領域の一つである。我々は、学校で教育を受け、楽しさや苦しさ、葛藤などの様々な感情を感じ、そのことを記憶している。教育は、ただ知識や技能を身に付けるだけでなく、人生に豊かさまたは貧しさを与える感情や記憶を生み出す。
 さらに、人によって望む教育のあり方は異なり、ある一定の教育が行われれば、その教育とは異なる教育を望む人々に不満を生じさせる可能性がある。例えば、子ども一人ひとりの興味関心に応じた教育を行うと、ペーパーテスト重視の進学校への受験準備を求める子どもや保護者は不満に思うことになる。人々は、公教育のあり方に様々な思想や感情をもって関心を向け、そこでの教育課程や方法・内容について支持または反対する。近代社会・学歴社会における教育は、人々の将来の地位や収入・階層を決める重要な要因となるため、そのあり方によって利を得る人々と得られない(得にくい)人々を生じさせる。そのため、教育の利害調整をめぐる政治や世論は、被教育者としての人々の思想や合理的判断だけでなく、その感情や記憶の絡む複雑な現象となる。このように、教育は、教育者ー被教育者の二者関係で語りつくせるものではない。その複雑な現象・過程を有する社会的な領域の一つであるという側面も捉えなければならない。
 行為・社会的領域としての教育は、ほかの行為・領域の一部と隣接し、相互に影響し合っている。例えば、教育と同じく、人間の生に深い関わりをもつ学習や福祉、政治、経済などの行為・領域との間には深い影響関係がある。例えば、学習のあり方が変われば教育のあり方も変わり、教育のあり方が変われば学習のあり方も変わる。政治・経済のあり方が変わったときも同様である。
 教育のあり方を捉える参照軸は多様に考えられるが、学習や福祉、政治、経済などとの接点に生じる重要な軸として、「人間(性)育成」と「人材育成」の軸がある。子どもが人間らしく幸福に生きるための教育と、政治や経済に役立つ人材として育てる教育の間には、重なる部分と重ならない部分がある。いずれの教育も人間の生き方や人間形成という側面では同じだが、例えば人間性育成重視の教育では、際立って経済の役に立たなくても一人の人間として最低限身に付けてほしい当たり前のことを育てようとする。人材育成重視の教育では、当たり前のことができるだけでは不十分で、経済活動において高いパフォーマンスを発揮できるような能力を育てようとする。同じ教育であっても、人間性育成と人材育成では意味が違うし、まったく異なる教育実践が行われることになる。

 このように、教育を捉える視点は、学校教育や、教師と生徒との間の二者関係を捉えるだけでは十分ではない。教育を十分正確に捉えるために、以上のような教育学的視点をもつ必要がある。
 教育学的視点は、生きることや人間形成の一側面として、2つの参照軸(内側の視点)とほかの行為・領域との関係(外側の視点)によって教育を捉えていく。自分が教育を捉えようとするとき、コミュニケーションとして捉えようとしているのか、社会的領域として捉えようとしているのか、どちらも総合的に捉えようとしているのか、などについて考え、自分の重点を自覚することで考察がしやすくなる。また、ある教育の質を考察する際には、人間性育成と人材育成の視点に基づいて、その重点がどこにあるか見極めてみよう。他の立場からの視点は、このような捉え方や参照軸をする必要はないかもしれない。しかし、教育学はこれらのことにこだわる学問である。

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異動してもうすぐ十日

2024年04月09日 23時55分55秒 | Weblog


 心機一転、広大での仕事が始まって、もうすぐ十日が立とうとしております。相変わらず教育学部棟の研究室は見晴らしがとてもよいです。このところ天気が悪くて残念ですが、十分よい眺めです。
 一気に本を詰め込んだ研究室は、まだどこに何があるのか分からない状態で、少しずつ本を整理し直しております。3月からの引っ越しで本の持ちすぎで、ずっと指の付け根や手首が痛くて作業はなかなか進みません。研究室の完成はまだしばらくかかりそうです。
 授業は月曜から始まりました。準備は若干遅れ気味で、小さなトラブルはありますが、今のところ何とか対応しており、授業も手応えがあって、何とかなりそうだという印象です。何かとやることがあって、一つ一つ済ませていっており、油断すると時間が溶けていきます。研究まで早く達したいところです。

 広大に来て、働き方で今までと違うことはいろいろあるのですが、不思議とあまり違和感等はなく、自然に働けています。同僚や先輩方、学生、院生、後輩、元教え子など、何かと心遣いをいただき、支えていただいています。
 広大に来て、今までと違うなと思ったことが一つあります。我々教員に対する研修がとにかく多いな、ということです。しかも、本当に広大の教員として働く上で必要な内容、特に研修をしてもらわないと独学では簡単には分からない内容によって、体系的な研修プログラムが組まれているのです(変なことを言うな?と思われるかもしれませんが、推して知るべし)。リアルタイムやオンデマンドの研修がいろいろ組まれています。必修科目や選択必修もあるという徹底ぶり。それぞれかなりの時間と労力をとられるし、しかも研修を受けないとe-learningのためのLMSも使えないし、自分のテニュアもとれないといった、かなり強気の仕組み。これについて行けない人はいるだろうなと思いますが、ついて行ける人はかなりちゃんとした大学教員になれそうです。この制度をくぐり抜けた先生たちって、本当にすごいですよ。
 私も頑張ってついて行きたいと思います。今日は、朝から夕方までぶっ通しで初任者研修があったので疲れましたが、これから教育者・研究者としてどのように働いていくかたくさん考えることができました。ずっと自分で何とかしなきゃどうにもならないことばかりでしたので、久しぶりにこんなちゃんとした教育を受けられて、新鮮な気持ちです。本当にありがたい気持ちになりました。
 これで、受けなければならない研修はある程度ひと段落したかな。そろそろ研究と教育に軸足を移せるかな。
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著書業績一覧

2024年04月05日 19時43分29秒 | 研究業績情報

 書籍になった著書業績については、以下の通り。



<単著>


1.白石崇人『保育者の専門性とは何か』幼児教育の理論とその応用②、社会評論社、2013年。(全198頁) ※目次詳細→社会評論社HP
2.白石崇人『幼児教育とは何か』幼児教育の理論とその応用①、社会評論社、2013年。(全182頁) ※目次詳細→社会評論社HP
3.白石崇人『鳥取県教育会と教師―学び続ける明治期の教師たち』鳥取県史ブックレット16、鳥取県、2015年。(全112頁) ※目次詳細→鳥取県HP
4.白石崇人『明治期大日本教育会・帝国教育会の教員改良―資質向上への指導的教員の動員』溪水社、2017年。(全658頁) ※目次詳細→溪水社HP

<共著>


1.梶山雅史編『近代日本教育会史研究』、学術出版会、2007年。(白石崇人「大日本教育会および帝国教育会に対する文部省諮問」303~326頁)
2.梶山雅史編『続・近代日本教育会史研究』学術出版会、2010年。(白石崇人「全国教育者大集会の開催背景―一八八〇年代末における教育輿論形成体制をめぐる摩擦」109~132頁)
3.池田隆英・上田敏丈・楠本恭之・中原朋生編『なぜからはじめる保育原理』建帛社、2011年。(白石崇人「日本の保育の制度史(戦後)―なぜ保育所と幼稚園があるのか?」97~104頁)
4.鳥取県立公文書館県史編さん室編『鳥取県史』資料編・近代4(行政1)、鳥取県、2016年。(白石崇人「第三章 明治期の村と教育」「第六章 明治後期から大正期の地域動向 第四節 青年団・その他」「第七章 日露戦争後の教育と地域」担当解説28~36・83~84・85~95頁、選定史料413~470・755~761・767~820頁)
5.梶山雅史編『近・現代日本教育会史研究』不二出版、2018年。(白石崇人「日本教育会解散後における中央教育会の再編―日本教育協会・日本連合教育会成立まで」385~414頁)
6.鳥取県立公文書館県史編さん室編『鳥取県史』資料編・近代7(産業・教育・文化)、鳥取県、2018年。(白石崇人「教育」担当解説32~60頁、選定史料221~558頁)
7.杉田浩崇・熊井将太編『「エビデンスに基づく教育」の閾を探る―教育学における規範と事実をめぐって』春風社、2019年。(白石崇人「第10章 明治日本における教育研究―教育に関するエビデンス追究の起源を探る」、281~314頁)
8.貝塚茂樹・広岡義之編『教育の歴史と思想』ミネルヴァ教職専門シリーズ2、ミネルヴァ書房、2020年。(白石崇人「第八章 国民教育の始動―明治期の教育」115~130頁)
9.尾上雅信・三時眞貴子編『教育史』新・教職課程演習第2巻、協同出版、2022年。(白石崇人「日本近代教育史上の人物について述べなさい」・「大正時代の新教育思潮について、八大教育主張を中心に述べなさい」・「師範教育制度の確立・展開過程について述べなさい」54~55・61~62・132~133頁)
10.中原朋生・池田隆英・楠本恭之編/木下祥一・白石崇人・平松美由紀・光田尚美・山本孝司・龍崎忠『なぜからはじめるカリキュラム論』建帛社、2024年。(白石崇人「第4章 日本における教育課程の理念(戦前)―なぜ社会・国家のために教育するのか?」33~44頁)

<編集>


1.白石崇人編『『東京府教育会雑誌』解説・総目次・関連年表』不二出版、2017年。(白石崇人「『東京府教育会雑誌』解説」7~37頁。※目次・年表も元データを作成)










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研究論文業績一覧(単著)

2024年04月05日 19時31分22秒 | 研究業績情報

 学術雑誌掲載の論文に関する研究業績情報。増え次第、ここに順次追加しています。卒論と修論は普通挙げませんが、参考までに。 PDF公開されている論文には、ウェブリンクをつけておきました。 レフェリー付き論文には、文末に「」を付けています。 




1.白石崇人「沢柳政太郎の教師論 ―教師の専門職性」卒業論文、広島大学教育学部、2002年。
2.白石崇人「大日本教育会における研究活動の展開」修士論文、広島大学大学院教育学研究科、2004年。
3.白石崇人「東京教育学会の研究」中国四国教育学会編『教育学研究紀要』第48巻第1部、2003年、50~55頁。
4.白石崇人「東京教育会の活動実態 ―東京府学務課・府師範学校との関係」全国地方教育史学会『地方教育史研究』25号、2004年、47~68頁。
5.白石崇人「明治二十年前後における大日本教育会の討議会に関する研究」『広島大学大学院教育学研究科紀要』第三部第53号、2004年、103~111頁。
6.白石崇人「明治三十年代前半の帝国教育会における研究活動の展開 ―学制調査部と国字改良部に注目して」中国四国教育学会編『教育学研究紀要(CD-ROM版)』第50巻、2005年3月、42~47頁。
7.白石崇人「大日本教育会および帝国教育会における研究活動の主題 ―学校教育・初等教育・普通教育研究の重視」中国四国教育学会編『教育学研究紀要(CD-ROM版)』第51巻、2006年3月、66~71頁。
8.白石崇人「大日本教育会および帝国教育会における広島県会員の特徴 ―明治16年の結成から大正4年の辻会長期まで」『広島大学大学院教育学研究科紀要』第三部第54号、2005年、87~95頁。
9.白石崇人「明治21年の大日本教育会における「研究」の事業化過程」『広島大学大学院教育学研究科紀要』第三部第55号、2006年、83~92頁。
10.白石崇人「明治32年・帝国教育会学制調査部の「国民学校」案 ―明治30年代における初等教育重視の学制改革案の原型」中国四国教育学会編『教育学研究紀要(CD-ROM版)』第53巻、2008年3月、46~51頁。
11.白石崇人「1880年代における西村貞の理学観の社会的役割 ―大日本学術奨励会構想と大日本教育会改革に注目して」日本科学史学会編『科学史研究』第47巻No.246、岩波書店、2008年6月、65~73頁。
12.白石崇人「明治20年代後半における大日本教育会研究組合の成立」日本教育学会編『教育学研究』第75巻第3号、2008年9月、1~12頁。
13.白石崇人「日清・日露戦間期における帝国教育会の公徳養成問題 ―社会的道徳教育のための教材と教員資質」『広島大学大学院教育学研究科紀要』第三部第57号、2008年12月、11~20頁。
14.白石崇人「明治10年代後半の大日本教育会における教師像 ―不況期において小学校教員に求められた意識と態度」中国四国教育学会編『教育学研究紀要(CD-ROM版)』第54巻、2009年3月、270~275頁。
15.白石崇人「小学校歴史教科書における寺子屋記述」『鳥取短期大学研究紀要』第60号、2009年12月、9~20頁。
16.白石崇人「明治後期の教育者論―教員改良のためのErzieher概念の受容と展開」中国四国教育学会編『教育学研究紀要(CD-ROM版)』第55巻、2010年3月、314~319頁。
17.白石崇人「明治後期の保育者論―東京女子高等師範学校附属幼稚園の理論的系譜を事例として」『鳥取短期大学研究紀要』第61号、2010年6月、1~10頁。
18.白石崇人「明治30年代初頭の鳥取県倉吉における教員の問題意識―『東伯之教育』所収の小学校普及・中学校増設関係記事から」『鳥取短期大学研究紀要』第62号、2010年12月、11~23頁。
19.白石崇人「明治20年代初頭の大日本教育会における教師論―教職の社会的地位および資質向上の目標化」中国四国教育学会編『教育学研究紀要(CD-ROM版)』第56巻、2011年3月、268~273頁。
20.白石崇人「明治30年代初頭の鳥取県倉吉における教員集団の組織化過程―地方小学校教員集団の質的変容に関する一実態」中国四国教育学会編『教育学研究ジャーナル』第9号、2011年、31~40頁。
21.白石崇人「明治20年代前半の大日本教育会における教師論―「教育者」としての共同意識の形成と教職意義の拡大・深化」中国四国教育学会編『教育学研究紀要(CD-ROM版)』第57巻、2012年3月、233~238頁。
22.白石崇人「明治期における道府県教育会雑誌の交換・寄贈―教育会共同体の実態に関する一考察」広島大学教育学部日本東洋教育史研究室編『広島の教育史学』第3号、2012年3月、27~47頁。
23.白石崇人「大日本教育会夏季講習会の開始―明治20年代半ばの教員改良策」中国四国教育学会編『教育学研究紀要(CD-ROM版)』第58巻、2013年3月、53~58頁。
24.白石崇人「1940年代日本における全国教育団体の変容と再編(年表解説)」教育情報回路研究会編『近代日本における教育情報回路と教育統制に関する総合的研究』日本学術振興会科学研究費助成事業(基盤研究(B))中間報告書(Ⅰ)、東北大学大学院教育学研究科内教育情報回路研究会、2013年3月、1~10頁。
25.白石崇人「明治期大日本教育会・帝国教育会の教員改良―資質向上への指導的教員の動員」学位論文(論文博士(教育学))、広島大学、2014年3月、全390頁。
26.白石崇人「明治期大日本教育会の教員講習事業の拡充―年間を通した学力向上機会の提供」中国四国教育学会編『教育学研究紀要(CD-ROM版)』第59巻、2014年3月、533~538頁。
27.白石崇人「明治期鳥取県教育会の結成と幹部」『広島文教女子大学紀要』第49巻、2014年12月、27~40頁。
28.白石崇人「明治期帝国教育会における教員講習の展開―中等教員程度の学力向上機会の小学校教員に対する提供」中国四国教育学会編『教育学研究紀要(CD-ROM版)』第60巻、2015年3月、37~42頁。
29.白石崇人「明治30~40年代における「教師が研究すること」の意義」中国四国教育学会編『教育学研究紀要(CD-ROM版)』第61巻、2016年3月、174~179頁。
30.白石崇人「教員養成における教育史教育」広島文教女子大学高等教育研究センター編『広島文教女子大学高等教育研究』第2号、2016年3月、29~48頁。
31.白石崇人「日本の学校における道徳教育の展開―修身教育、教育活動全体、道徳の時間、特別の教科」『広島文教女子大学紀要』第51巻、2016年12月、47~57頁。
32.白石崇人「教育学術研究会編『教育辞書』における「研究」概念」中国四国教育学会編『教育学研究紀要(CD-ROM版)』第62巻、2017年3月、370~375頁。
33.白石崇人「明治30年代半ばにおける教師の教育研究の位置づけ―大瀬甚太郎の「科学としての教育学」論と教育学術研究会の活動に注目して」教育史学会編『日本の教育史学』第60集、2017年10月、19~31頁。
34.白石崇人「現代日本の教育政策における学校・地域の連携協働構想―平成27年中央教育審議会答申以降に注目して」『広島文教女子大学紀要』第52巻、2017年12月、33~43頁。
35.白石崇人「現代日本の教育政策における教員養成の課題―平成27年中教審教員育成答申以降の諸施策に注目して」『広島文教女子大学教職センター年報』第6号、2018年2月、7~16頁。
36.白石崇人「明治期師範学校・小学校における授業批評会―明治20年代以降の東京府・鳥取県の事例」中国四国教育学会編『教育学研究紀要(CD-ROM版)』第63巻、2018年3月、537~542頁。
37.白石崇人「教育史研究者が教員養成改革に向き合うには(教育学研究と実践志向の教員養成改革との関係性を問う(教育史の立場から))」佐藤仁編『教員養成における「エビデンス」の位置づけをめぐる学際的研究』2016・2017年度中国四国教育学会課題研究成果報告書、2018年3月、30~40頁。
38.白石崇人「「教育情報回路」概念の検討―2012年11月までの研究成果を整理して」教育情報回路研究会編『日本型教育行政システムの構造と史的展開に関する総合的研究』日本学術振興会科学研究費助成事業(基盤研究(B))中間報告書、教育情報回路研究会、2018年3月、21~42頁。
39.白石崇人「教職教養としての教育史」広島文教女子大学高等教育研究センター編『広島文教女子大学高等教育研究』第5号、2019年3月、1~13頁。
40.白石崇人「明治30~40年代の教育研究における教育展覧会」中国四国教育学会編『教育学研究紀要(CD-ROM版)』第64巻、2019年3月、96~101頁。
41.白石崇人「岡山県後月郡教育会による地域教員の組織化と学習奨励―明治・大正初期(1893~1917年)を中心に」教育情報回路研究会編『近現代日本の地方教育行政と「教員育成コミュニティ」の特質に関する総合的研究』2018~2020年度科学研究費補助金(基盤研究(B))中間報告書(Ⅰ)、教育情報回路研究会、2019年4月、(1)~(23)頁。
42.白石崇人「教育史研究・教育の発展に寄与する教職教養の視点」教育史学会編『日本の教育史学』第62集、2019年10月、142~145頁。
43.白石崇人「1975年における日本教育会の結成―全国校長会と教育改革・教職プロフェッション化のための公共空間の要求」広島文教大学編『広島文教大学紀要』第55巻、2020年12月、73~89頁。
44.白石崇人「1880~1930年代日本の教育学における科学的基礎づけ問題―教育事実の実証的研究の問題化と「教育科学」・「日本教育学」の制度化」広島文教大学高等教育研究センター編『広島文教大学高等教育研究』第7号、2021年3月、45~60頁。
45.白石崇人「現代日本社会における教育制度の課題―格差・AI・人口減少社会における主体的・対話的で深い学び、オンライン学習」広島文教大学教育学会編『広島文教教育』第35巻、2021年3月、69~80頁。
46.白石崇人「沼田良蔵・實文書について―幕末三原の漢学者から明治大正昭和公立学校長への転身」広島文教大学編『広島文教大学紀要』第56巻、2021年12月、1~14頁。
47.白石崇人「澤柳政太郎『実際的教育学』の実証主義再考―20世紀初頭の科学史・教育学史・教師の教育研究史における意義」日本教育学会編『教育学研究』第89巻第2号、2022年6月、40~50頁。
48.白石崇人「日本教育史研究における「教育学としての教育史」」広島文教大学高等教育研究センター編『広島文教大学高等教育研究』第9号、2023年3月、1~14頁。
49.白石崇人「なぜ戦後の長野県で教育会が存続したか―1948年信濃教育会運営研究委員「教育会の在り方」を読み直す」『信濃教育』第1644号、信濃教育会、2023年11月、1~17頁。
50.白石崇人「現代日本における教育史教育の課題―歴史教育・高大接続・教員養成を意識した「教育学としての教育史」の教育の模索」『広島文教大学紀要』第58号、2023年12月、11~25頁。
51.Shiraishi, Takato. "The Role of Pedagogy in Secondary Teacher Training in Early Twentieth-Century Japan: Theory of Pedagogical Research in College by Kumaji Yoshida of Tokyo Imperial University", History of Education, (2024) https://doi.org/10.1080/0046760X.2024.2306985
52.白石崇人「沼田實日記にみる20世紀初頭の広島県師範学校・東京高等師範学校生の生活―近代的時間規律の訓練を支えた師範教育制度と師範生の感情・習慣・主義」中国四国教育学会編『教育学研究紀要(CD-ROM版)』第69巻、2024年3月、545~550頁。
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広島大学に異動しました

2024年04月01日 23時55分55秒 | Weblog
 突然ですが、この3月31日をもちまして、白石は広島文教大学を退職しました。幼稚園教員・保育士養成からはじまり、後に小・中・高校教員養成に軸足を移しながら、10年間働きました。在職中は様々な方々にお世話になりました。

 そして、本日4月1日付で、広島大学に異動しました。大学院人間社会科学研究科・教育学部に配属され、教育学系コースの日本東洋教育史研究室を担当します。日本で最も伝統ある教育学研究機関の一つであり、かつ日本有数の教育学者の養成校です。教員や公務員も多く輩出しております。教育を深く考察して問題解決に取り組める幅広い人材を育てられる組織で働くことは長年の夢でした。その夢が母校でかなったのですから、感謝しかありません。
 正直言って、昨今の国立大学教員の状況は楽観視できるものではなく、かなり厳しい現実が待っています。私自身もテニュアトラックの身分ゆえ、これまで以上に研究業績を上げ、テニュア(終身雇用)を得なければなりません。楽をしに異動したわけではないので、私にとって厳しい状況は望むところです。私のできる限りを用いて、広島高師以来の伝統ある広大教育学を盛り立てるお手伝いをしたいと思います。
 私立大学・短大で幼小中高栄の教員養成と保育士養成に携わって、15年間「先生の先生」として頑張ってきました。これからは、これまでの私のような「先生の先生」を育てる立場に立ちます。私にしかできないことはあると思っています。研究・教育にこれまで以上に力を入れ、日本教育史・教育学の学問的発展に寄与し、あわせてその有用性を高め、力のある「先生の先生」を一人でも多く育ててまいります。

 本日は辞令式のあと、研究室づくりで一日が終わりました。講座の助教先生や別の研究室の院生さん、私のかつての教え子までが集まって、すごい勢いで手伝ってくれて、ほぼ荷物を入れ終わりました。手伝ってくれた皆さんには誠心より感謝申し上げます。メールアドレスは取得しましたが、まだうまくいっていません。関係者各位には、連絡が取れなくてご迷惑をおかけしているのではないかと思いますが、もうしばらくお待ちください。
 なお、本日の辞令式では、久しぶりに昔の同僚に式場で出会い、その昇任にも立ち会えました。驚きと嬉しさ。新しい仕事が始まるんだな、と感慨ひとしおです。
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地方中小私立大における教育学の卒論指導

2024年03月30日 12時38分05秒 | 教育研究メモ
 

 3月20日は学位記授与式でした。久しぶりに制限なしの式典が行われました。写真は、ゼミ生からいただいた贈り物です。すてきなものをいただきました。
 今年度は14名の教育学ゼミ生を卒業させました(うち1名は前期中の卒業)。今後は、教員になる人、会社員になる人、大学院で研究を続ける人と、多彩です。いつもながら、卒業論文のテーマも多彩でした。今年度卒業の皆さんの卒論テーマを列記すると、以下の通りです。
「多文化共生に向けた異文化間教育〜外国にルーツを持つ児童との共学」
「外国にルーツを持つ児童生徒への日本語指導・支援 」
「特定分野に特異な才能のある児童への教育や支援」
「「非標準家庭」の子どもにおけるペアレントクラシーの克服」
「自分を肯定できる児童を育てる道徳科授業」
「LGBTQ+の児童生徒への支援」
「インクルーシブ教育システムを目指す学級経営」
「中学校の通常学級におけるLD児への支援」
「小学校教科担任制の導入による効果と課題」
「主体的・対話的で深い学びを実現する「構造的な板書」」
「小学校におけるICT活用の現状と課題」
「地域移行時代における運動部活動の意義と課題」
「学びの共同体における校長の役割」
「スクールカウンセラーとの協働場面において見いだす教師の専門性」

 上記の通り、今年度のゼミ生たちは、児童生徒の多様性(外国ルーツ、ギフテッド、「非標準家庭」の子ども、自己肯定感の低い子ども、LGBTQ+、発達障害)に応じた教育・支援の在り方や、単独の教科指導にとどまらない教師・管理職の仕事の多様性(多文化共生・異文化間教育、メリトクラシー・ペアレントクラシー社会の学校、インクルーシブな学級経営、小学校教科担任制、板書、ICT活用、部活動、学びの共同体、他職種との協働)をとらえようとするテーマで卒論執筆に取り組んでくれました。これらは必ずしも私が誘導したわけではなく、私は学生たちの興味関心を学術的・実践的・政策的な用語に置き換える手伝いをした結果です。10年間、広島文教大で卒論指導をしてきましたが、教科教育学や心理学ではなく、教育学ゼミに入ってきた学生たちの選ぶテーマには似たような傾向があったように思います。
 どこまで一般化できるかはわかりませんが、地方中小私立大(教育系学部学科)における教育学の役割は、このようなテーマで卒論を書けるようにしてやるところにあるのかもしれません。すなわち、教師志望者や教育関係に関心のある学生たちが、幼児児童生徒の多様性を深く理解して、適切な手立てを計画することができるように手助けすることです。また、単独の教科指導や子どもとの二者関係にとどまらない学校教育の実践をとらえ、それらの仕組みや理論を分析して課題を見出していくようにしていきます。学生は自分の興味関心にしたがって単独のテーマに取り組んでいきますが、ゼミ生同士の研究交流を積極的に行うことで、お互いのテーマや研究に触れて視野を広げ、考察を深めていきます。こうして、教育学は、子どもの多様性や学校教育を広く・深く理解し、子どもや教職・職場を深く考察して、課題を見出し、その解決策を資料に基づいて案出する知識・技能を身に付けることに資することができます。
 このような教育学の役割を果たすためには、ゼミ指導にあたる大学教員、とくに教職課程担当教員自身の教育学的教養が重要です。教育学ゼミを担当する教員は、おおよそ研究大学で教育学の下位領域を専門的に修めた研究系教員か、自身の現職経験によって教師の仕事を実際的に教えていく実務家教員であろうと思います。私は前者でしたが、特定の領域の専門家であると同時に、複数の領域にも理解をもった「教育学者」としての仕事が求められてきました。大学教育に関わるようになって16年、長い時間をかけて「教育学者」として自らを鍛えてきました。その際、もちろん自分の修めた専門領域はとても役立ちました。私の場合は日本教育史を専門領域としましたが、その歴史的視点・考え方は学生たちの興味関心に応じる糸口になりました。
 大学院で専門的に修めてきた限られた専門領域はとても大事です。しかし、それのみでは教育学の卒論指導を行う教職課程担当教員という役割は十分に果たせません。教職課程担当教員を育てるには、この広い幅のある教育学的教養をどうとらえ、専門領域をもつ大学院生を対象に、広い教育学的教養を論文指導が可能な域までいかに育てるかというところにあると思います。広い教育学的教養を養うには、教育学の複数の領域の専門家が協働する必要があります。そういう教育をするためには、複数の領域の教育学者を集め、教職課程担当教員を育てる目的のもとに編成された一つの教育課程をもつ組織が必要です。こういった組織・課程をもてる大学はそうそうないので、もしその可能性のある大学があるとしたらそれはとても貴重です。
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現代日本における教育史教育の課題―歴史教育・高大接続・教員養成を意識した「教育学としての教育史」の教育の模索

2024年03月08日 23時55分55秒 | 教育研究メモ
 昨年末に出た本学紀要で拙稿を活字化しましたが、ウェブで公開されてからと思いながら待っておりましたが、年度が終わりそうなので先に紹介します。このペースだと、ウェブ公開は例年の通りで、おそらく5月か6月くらいかなあ? いまは図書館で複写依頼をしてくだされば読めます

白石崇人「現代日本における教育史教育の課題―歴史教育・高大接続・教員養成を意識した「教育学としての教育史」の教育の模索」『広島文教大学』第58号、2023年、11~25頁。

 はじめに
1.「教育学としての教育史」の教育という歴史的課題
(1)教員養成における教育学教育の一環としての教育史教育
(2)教員養成大学・学部の設立による教育学教育・教育史教育の問題化
(3)教員養成の構造変容のなかでの教育史教育の模索
2.歴史教育としての教育史教育の課題
(1)通史教育・問題史教育と問題史的通史教育
(2)どのような歴史的思考を何のために育成するか
(3)近代化・大衆化・グローバル化の歴史をめぐる解釈の複数性と対話
3.高大接続・教員養成・教育学教育としての教育史教育の課題
(1)能動的学修と「歴史的な見方・考え方」を働かせる問いの表現
(2)将来の職業・市民生活につながる教育史教育の内容
(3)「教育学としての教育史」の教育における教育問題の研究
 おわりに

 本稿は、歴史教育・高大接続・教員養成を意識した「教育学としての教育史」の教育を模索するために、現代日本における教育史教育の課題について明らかにすることを目的としました。
 ちなみに、「教育学としての教育史」とは、教育史研究・教育が同時に教育学研究・教育となることを積極的に目指す立場を指しています。教育史には多様な立場(歴史学としての教育史とか、歴史社会学としての教育史とか)があり、その中の一つの立場を指すために最近使ってきた概念です。
 学問の社会的機能には「研究」と「教育」の2つがあります。そのうちの「教育史研究」の課題については日本教育史に限って前稿(拙稿「日本教育史研究における「教育学としての教育史」」広島文教大学高等教育研究センター編『広島文教大学高等教育研究』第9号、2023年3月、1~14頁)でまとめたので、今回は「教育史教育」の課題を明らかにすることにしました。前稿と今回の稿は、もともと学問領域としての教育史の社会的機能(有用性)を明らかにするために1つの研究として合わせて書き始めたのですが、1つの論文に収まらなかったので、2つの論文にしました。いずれも、「歴史学としての教育史」という先行研究の立場(主には辻本雅史氏や沖田行司氏、橋本伸也氏、岩下誠氏らの仕事を想定しています)に対して「教育学としての教育史」を再構築し、ポストモダン以降の「現在の教育学の揺らぎ」に向き合う足場を固めよう、という意識の下に研究を進めてきました。

 本稿では、教育史教育の課題を明らかにするために、明治から現在までの教育史教育独自の歴史と、歴史教育としての教育史教育、高大接続・教員養成・教育学教育を同時に実現させる大学における教育史教育の5つの視点から研究を進めてきました。明らかにできたことは次の4つに整理できます。
 第1に、戦後の教員養成大学・学部の成立が旧制の教育史教育では見られなかった問題(個別問題や学生に応じた大学教育、教育史教育の現場の多様化など)を顕在化させたことを明らかにしました。第2に、1970年代の「問題史的通史」教育が、教育史教育独自の課題意識(通史の位置づけなど)と関わっていた可能性があることを明らかにしました。第3に、1980年代以降の歴史教育論を踏まえると、教育史教育において教育史や歴史学のディシプリンを教えることが必ずしも正当化されないことを明らかにしました(学習者自身が現代社会の諸課題に対して何ができるか、何をするかなどが問題)。第4に、教育史教育において学生の具体的ニーズや教育経験に応じて能動的学修を引き出し、授業者と学生がともに教育問題を研究することが重要であることを明らかにしました。
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歴史研究としての教育史研究

2024年03月01日 19時56分00秒 | 教育研究メモ
 「教育学としての教育史」という立場は、教育史研究に歴史学と縁を切ろうと言っているのではない。まったくその逆であり、歴史学と連絡しつつ教育学として研究を進めようと考えている。教育史研究は歴史研究の一種であり、それゆえに教育学研究の欠かせない一つの方法となりうる。教育学研究と教育史研究と歴史研究は接続してこそ十分な研究が可能になる。

 歴史研究とは何か。過去の真理を明らかにすることか、過去の資料・事実を解釈することか。または、過去に対する共感/非難する実践か、それとも歴史像や概念の再構築を進める実践か。
 歴史研究の意味するところは研究者の立場や目的によって異なるので、歴史研究とはという問いに唯一の答えがあるわけではないが、研究に取り組むにあたって自分の研究が何を目指しているのかは自覚する必要がある。例えば、過去に対する共感を求めての研究であれば、共感できない事実や不都合な事実は見えなくなりがちである。自分の研究の立場を自覚しなければ、研究の課題や可能性・限界は見えてこない。
 歴史研究は何を問題にすべきか。言説や行為の倫理性か、事実の再現性の程度か。問題設定も研究者によって異なるので、この問いにも唯一の答えがあるわけではない。社会史・文化史の研究では、物事や関係者の関係性や集合性、親和性、そのネットワークの在り方、研究対象のおかれた状況や場の文脈を問題にしようとしている。歴史は、多様な文脈を総合的に把握しながら考察しなければならない。各時代独特の感情の在り方や、町・街(ストリート)レベルで起きたこれまでの経緯などを踏まえることも求められる。
 歴史研究において、現在の視点のみで過去を解釈しようとする「現在主義」に陥らないことは重要である。しかし、現在とまったく無関係に過去を研究することは不可能である。研究者は、現在に生きて物事を考えているので、時間を超越した考察はできないし、どんなに努力しても無意識・無自覚に一定の現在的な価値観をもって過去を見てしまう。そうであれば、現在を振り払おうとしてかえって困難に陥るよりも、現在を適切に踏まえて過去に向き合うことが、研究者としてふさわしい態度であろう。
 教育学は様々な方法で教育を研究し、現在の教育を見直し、未来の教育をよりよくすることを目指す傾向が強い。教育学として教育史を研究する場合、単に過去の教育を研究するだけでは教育史研究の有用性は疑われてしまう。教育学としての教育史研究は、「現在主義」の批判を前提として、現在を見る研究者自身の視点・考え方・問題意識等を自覚して、過去の同時代の視点・考え方・問題意識等を尊重しながら過去に向き合う姿勢を身につけなければならない。
 我々が教育について議論する場合、自覚的または無自覚的に教育史に触れざるを得ない。教育史とは、過去の教育から現在の教育に至るまでの過程であり、「教育」という概念によって捉えられる文化的な現象の流れである。教育史研究は、過去を検証することによって、現在までの歴史的経緯や現在に影響する基本的な構造を探究する役割を果たす。教育学は教育史研究によって教育を歴史的・構造的に検証・探究することができる。教育史研究は歴史研究として必要なだけでなく、教育学研究としても必要である。
 また、我々は、しばしば過去の教育の取り組みを顕彰・追憶しようとする。しかし、いま、我々の生きる時代は、近世以前の教育や近代の国民教育の取り組みを丸ごと肯定できるような単純な時代ではない。ジェンダーや身分、階層、障害、民族などの多様な立場に配慮しようとするとき、教育史(特に近代学校教育史)の理解・利用は批判的に検証される必要がある。
 我々が、教育の過去を検証して適切に賞賛/反省し、現在に至る歴史的経緯と課題を発見して、未来の教育をよりよくしていくために、教育史研究は必要である。過去の教育を味わい、過去から現在までの教育を反省し、未来の教育を創っていくのは、市民一人一人である。研究者にとってだけでなく、よき市民として生きるためにも、教育史研究は必要である。

参考文献:Johannes Westberg & Franziska Primus, "Rethinking the history of education: considerations for a new social history of education", Paedagogica Historica, Vol. 59, (2023), 1-18. https://www.tandfonline.com/doi/full/10.1080/00309230.2022.2161321


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日本教育史の専門用語の英訳と「教育学」という日本語

2024年02月27日 19時06分00秒 | 教育研究メモ
 先日英語論文の拙稿が公表されましたが、英語論文を書いていた時の苦労話を一つ。
 当前といえば当前なのですが、日本教育史の専門用語の英訳には大変苦労しました。まず過去の文部省や諸機関のつくった史料の英文などから引っ張ってきて訳してみましたが、先方の編集の先生から、「ここでその語は使うべきじゃない、その意味では理解できない」というコメントをいただくことがありました。そうなると、現代において意味の通じる英訳を目指すのですが、歴史的な意味まで正確に捉えて訳すのはとても難しい。歴史的な用語、しかも日本教育史の用語を英訳する際に参考にできる資料が少ないなか、国立教育研究所のつくった『日本近代教育史に関する専門用語の英訳語標準化についての調査研究』(1992)という報告書はとても役立つのですが、それでも英語で教育史研究をしている研究者から指摘を受ける場合がありました。英文校正の際も、担当者が変われば違った訳になってしまうこともあって、本当に苦労しました(私の文章が悪いせいもあるでしょうね)。
 どの語を使うかは常に問題で、最後まで迷いました。まず、研究対象であった東京帝国大学の文科大学の訳に困りました。のちに文学部になるので、まず文学部の英語表記を考えたのですが、今の文学部の英称はFaculty of Lettersですけれども、史料にはFaculty of Literatureと書かれているんですよね。(拙稿では後者で書いていますのでご注意ください) 中等教員養成史研究では必須の用語となってきた「教員検定」の語も、英訳に苦労しました。日本語では「検定」一つで済むことが多いですが、無試験検定やら検定試験やらがありますので、言葉を選ばないといけない場面が多々ありました(それこそ「検定ってなんだ?」という悩みと葛藤の連続でした)。
 今回の執筆中、何より一番困ったのが、「教育学研究」の英訳です。吉田熊次のいう「教育学」は、今回取り上げた部分では、多くの文脈で教授学的な意味合いをもっていたので、大事な場面でPedagogyをよく使いました。しかし、文脈によっては社会的教育学や教育哲学、教育科学的な意味で使っていることもあって、語の選択にとても困りました。そういうときは educational studies and research 等を使ったのですが、吉田は一貫して「教育学」を使っているわけです。しかも、ただの「教育の研究」としての意味ではなく、「教育学の研究」として特別な意味を込めて議論していて、「ここの訳って本当にeducational studiesでいいのか?」と常に困っていました。副題に pedagogical research なんて語を使っていますが、これも悩んだ末の結果です。(既存の体系的知識の講義ではなく)学生自身が教授法を科学的に研究することを通して中等教員養成を進めるという吉田の主張を織り込むと、studiesというよりはresearchかな、という判断になったわけです。
 語の選択はもっと議論すべきだろうと思います。今進んでいる研究のグローバル化の状況を考えると、日本教育史の研究ももっと外国語でも発信していかなければなりません。AI翻訳がこれからもっともっと進化していくはずですが、専門用語は専門の学者がちゃんと訳さないと、そもそもAIも学習できません。拙稿がたたき台として多少なりとも役立てば幸いですが…。

 苦労ばかりでなく、教育学者として貴重な気づきも得ました。最大の気づきは、「教育学」という日本語の特徴についてです。
 上でも書きましたが、今回つくづく実感したのは、日本語の「教育学」が単一の語として英訳しにくいということでした。「教育学」という日本語がもつ意味内容を重視すると、簡単に英訳できないのです。イギリスの教育学史を読んでなるほどと思ったのですが、イギリスの教育学は伝統的に哲学・歴史学・心理学・社会学による教育の共同研究の傾向が強いようです。日本の教育学にもそういうところはありますが、かといって、複数の学問領域の寄せ集めだとは割り切れない部分も確実に存在します。「教育学」という日本語は、英訳する上でとてもやっかいな語であるゆえに、とても興味深い言葉なのです。これは、一つの学問としての教育学のアイデンティティにも関わる問題だと思います。そういうことに気づけたのは、私が20世紀初頭日本の教育学史を丁寧に研究してきたからだと思います。そうでなければ、些末な問題と割り切って、悩むこともなかったでしょう。
 日本教育学史の研究って、先人たちが「教育学」という日本語にこめた想いを読み解いていく研究なのかもしれませんね。教育学史って、そういう大事な分野だと思いました。



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