コラム・スノーマン~これじゃ悟りは臨めますまい

忘れたくない、或いは一刻も早く忘れたい日々について

わたくしの辞書には

2018-10-14 | コラム・エッセー


わたくしの辞書には「自信」という言葉は無い。

もとい、無くすこととする。

これ迄随分と自信のあるなしに左右されて生きてきた。
 
自信が無いからやらなかったこと、自信が無いから愛せない自分が常にいた。

しかしながらそんなことはもうどうでも良い。

自信があるとか、ないとか、そんなちっぽけなことで自分を終わらせるものか。

何も考えず、そして何も感じもせず、真っ先に喜んで世界を受け入れること。

恐らく、只それだけなのだ。

今日の幸子

2014-04-29 | コラム・エッセー


幸子はついに絶頂を迎えた。
これ以上何も記すまい。

本屋小話~フミコとミサオの巻

2014-04-21 | コラム・エッセー
取り立てて面白味の無いこの地区の小さな書店には、今も尚、気忙しく働く私がいる。

日々訪れる個性的な客らにももう慣れた。

午前中にエロ本を決まって2冊買う中年男性が、たまに健全な本を購入すると思わず体調を案じてしまう。

しばらく行った先には養護施設もあるのだろう、レジに来ては「あのね!フクダ君の歯茎、今日も腫れてるんだって!」と毎度律儀に「フクダ君」の歯茎事情をおしえてくれる男の子も、今では大切なお得意様だ。

それにつけても今日は参った。

その婆「フミコ」はいつも芸術に関する本を注文して帰る。
齢75、6だろうか、腰は30度ばかり曲がっているが、こじゃれた帽子をさらりと被り、皺の重なった目元も知的だ。
古くなったパソコンでの発注は時間を要するのが常だが、あからさまに苛ついた様子を見せるのも、そんなフミコの特徴だ。

今日はフミコが珍しくベタな作家の小説を頼んできた。
取り寄せの手続きをし、私は「××フミコ様」と書いて控えを渡した。

「入荷しましたらご連絡致しますので。」

時間がかかったにも関わらず、ちくとも苛立たずにフミコは、渡した控えに目を落としながら一言「よろしく」と呟いて帰っていった。

ところがである!

商品整理を終えたKさんが戻るなり言った。
「今日△△ミサオさん来たんですね。すれ違いました。」

ホワッツ!?ミサオ!?パーーードン!?!?

「えっと、Kさん、さっきのあの帽子の人って、あれ…フミコですよね?」
「違うと思います…。」

な、な~~に~~~~~っ!?
さっきのフミコ、あれ、ミサオだってか!!

そう、店にはフミコによく似た「ミサオ」という名の人物がいて、無論互いに知らぬ者同士なのだろうが、どちらかがもう一方の影武者であってもおかしくはない程なのだ。

だがKさんによると、フミコもミサオも共に似た様な帽子を被り、顔も背丈も限りなく似ているが、フミコはミサオより微妙に腰が曲がり微妙に垂れ目で微妙に声が高いんだそうな。

かーーーっ、紛らわしいっ!!もうどっちがどっちでもいいわ!!

…と逆ギレしても意味がない。
婆の取り違えに私は焦った。

そうか。
どおりで今日のフミコは財布を収めているロバの刺繍が施された巾着-これを私は密かにロバキンと名付けている-を、出さなかった訳だ。
それはあれがミサオだったからなのか!

フミコの名入りの控えを渡してしまったミサオには、その後丁重に詫びの電話を入れた。

ミサオは笑っていた。

私は胸を撫で下ろした。

ひとつはミサオが怒らなかったことに。
そしてひとつは逆にフミコをミサオと間違えなくて本当に良かった、と。

垂れ目のフミコが苛々した時に一瞬で切り替わるつり目が、存外迫力があって恐ろしいのだ。

辿り着いた東の先に

2014-04-20 | コラム・エッセー



「固くて太い」が役に立つのは飽くまでナニだけの話であって、私の毛髪におけるそれは、もはや悩み以外の何物でもない。

悲しいかな、年を追う毎に悩みは増している。
白髪を筆頭とし、うねりや跳ね等といった癖もあからさまになってきた。

後ろに束ねた毛先に熱をあててやると、たちまち一回転し、これまさにレジェンド、往年の森光子のでんぐり返しすら彷彿とさせる。

挙句毛先は常に東を指している。

私が正面を見る。
頑として毛先は東を指す。

櫛でといたとて、整髪料をつけたとて、示す先は嗚呼どこまでも東、東、東。

となるとこれはよもや羅針盤なのではなかろうか。

そうだ東の先に何かあるのかもしれぬ。
黄金の小判?宝石の山?

へとへとになって辿り着いた極東で、煌めく豪華な宝箱を開けた時、
うやうやしく収められていたのが白髪染めであったならば、大声で叫びながらその場で迷わず丸刈りにする構えだ。


探しています

2013-05-09 | コラム・エッセー


先日ふいに我が家に来て、とても可愛がっていたのですが、最後の一粒が無くなって以来、スーパー、コンビニ、ドラッグストア、どこを探してみても見つかりません。
念の為、塀の上や土管の中も探しましたがいませんでした。
暑いとベタベタ溶けてきてしまう子なので、心配です。
取り寄せるにも送料が高くかかるため、困っています。探して下さい。お願いします。

名前:『太田胃散のスッキリ飴』ちゃん(♂♀)
特徴:白と青の毛色(蜜柑の模様が可愛らしいです。)体を振るとガサガサ鳴きます。口を開けると30粒くらい入ってます。胃薬のような味です。すっきりします。

見つけて下さった方はご連絡下さい。
090-○○○○-○○○○

お礼に一粒差し上げます。

手塚

モヤモヤすること

2013-05-01 | コラム・エッセー
近所の古本屋の児童書コーナーで発見した2冊の絵本。

同じ出版社から出されたシリーズものだが、見比べれば見比べる程モヤモヤしてきて仕方が無い。

この『宮本武蔵』に対し



『一休さん』がこの通り。



助けて新右衛門さーーーーーーーーーーん!!!

最近感動したこと

2013-04-19 | コラム・エッセー
最近断トツ感動したことといえば、徹子のケーキが凄かったことだ。

『徹子の部屋』にゴン中山が出演。



かつて『ザ・ベストテン』で徹子がマッチに食べさせたという手作りケーキを食べることが夢だとゴンが話したところ、既に前日に作られていた徹子の特製チョコレートケーキがサプライズで登場。



そのケーキがこちら!!



す、す、凄すぎる・・・!
さすが徹子、震えがくるぜ・・・!
ちなみに「ゴン」と書いた時点でチョコソースが足りなくなったらしい。

二人手を重ね合わせ、ケーキ入刀。



無事に切り分けられたケーキの中身は



オー、ファンタスティック!!



ケーキを口にするゴンをただただジッと見つめ、「美味い」の一言を待ち構える徹子。
ゴン、褒めないとお前が食われるぞ・・・!!緊張の一瞬。



必死に賛辞を述べるゴン。
その後はご満悦な表情を見せる徹子があった。

それにしてもサッカーボールを散りばめたこの衣装も凄い・・・!

徹子様、我が道を生きる勇気をありがとうございます!

9:1

2013-04-18 | コラム・エッセー


基本的に片付けや掃除は好きな方で、9:1の割合で部屋は綺麗だと思っているが、散らかす時は強烈に、或いは猛烈に散らかしてしまう。

それはもう今までコツコツと積み重ねた〈9〉の部分も一瞬でチャラにしてしまう程の汚さだ。

原稿も仕上げ、ラジオ用の取材にも行き、放送も終わり、アルバイトからも帰って、すっかり〈1〉と化した部屋で一人呆然と立ち尽くす。

気を取り直さんと茶を淹れ、すすり、まじまじと〈1〉を眺める。

よくもここまで汚くできたものだ。

感心している私の後ろで、誰かがそっと囁く。
この〈1〉こそお前らしいじゃないかと。

違う!違う違う!そうじゃない!と叫んで残りの茶を飲み干し、一念発起、片付けに取り掛かろうとする。

そんな時、私はテンションを上げるために「今から3時間後にケビンコスナーが自宅に来る」ことにする。
そう決める。

別に好きな訳ではない。
とにかく世間一般でナイスガイと称される人物なら誰でも良い。
ショーンコネリーの時もあるし、阿部寛の時もある。
一度だけ東郷平八郎の時もあったが、幾ら色男といえどもやはり死人ではいまいち気分が盛り上がらず、以後存命であることが基本となった。

要は見た目かと言うなかれ。
悪いがたとえガッツ石松に突然訪問されようとも、「ま、お上がり下さい。散らかってますが。」となってしまうのではないか。

まずは居間、ケビンの座るところを確保。
それから取り憑かれたように、手当たり次第片付けてゆく。

床に散乱したあれやこれやを寝室に投げ込もうとして、ハッと気付く。
・・・もしかしてケビンに誘われるかもしれない。
まだ昼なのに?
それが何だ、ケビンは情熱的な男だ。
可能性は充分にある。

だがこんな寝室ではさすがのケビンのケビンもやる気が起きないだろう。
猛スピードで寝室も片付け始める。

片付けだけでなく掃除も進める。

鍋の裏だって念入りに磨いておこう。
ケビンが「これがハリウッドで流行っている遊びだよ。あはは。」などと言って鍋を持ち出し小踊りするかもしれぬ。

かと思いきや「僕を探してご覧よ。」と押入れの中に隠れ出すかもしれない。
押入れの角も掃除機をかけておこう。

そろそろケビンが来る時間だ。
急げ。

居間にかかった洗濯物も畳まねば。
なにせ生活感が溢れすぎている。
恐らくケビンが持ってくるであろうバラの花束も、背景に干したパンツがあってはすぐさま枯れるに違いない。
それが絹ならまだしも、綿であるからどうにも救いがたい。

まもなくケビンが来る時間だ。
急げ。

おっと危ない玄関を忘れていた!
扉を開けたケビンの顔が靴の匂いで歪んだら、もう私は立ち直れない。
靴もちゃっちゃか磨き、棚に仕舞い込む。
仕上げに香など焚いてみる。

嗚呼いよいよケビンが来る。

茶も淹れておこう。
湯呑みだってピカピカだ。



片付いた部屋で一人茶をすする。
もう二杯目だ。

ケビンは来ない。
まだ来ない。
部屋は綺麗になったのに。
こんなにもバラが映えるのに。

思い起こせばショーンも寛も来なかった。
平八郎は来たかも知れぬが気が付くことが出来なかった。


後ろで誰かがそっと囁く。
〈9〉に戻した意味はあったのか、と。


――〈1〉が私の帰りを待ち詫びている。

その先へ

2013-03-08 | コラム・エッセー


マンションが一つだか二つだか買えるほど高価だという宝石を身につけ、ぶくぶくと肥えたあの婆が言う大殺界なるものは、果たして本当に存在するのだろうか。

人によると私は今まさにその期間を過ごしているらしく、くち惜しいことに当たってしまっている気がする。
だがよくよく聞けば、身に起こる困難に耐え抜けばやがて日が差すというのだから、どうせならそこまで信じたい。


昨年師走、いつまで経っても体調が優れないのでこれはちと様子がおかしいと思っていたら、年が明けてから妊娠していることがわかった。

夫は―入籍してからさ程月日は経ってはいないが―私が医者に妊娠しづらい体質だと告げられていることを予てより知っていたので、にわかには信じがたかったようだ。

印の浮かび上がった検査薬を確認し、戸惑いながらも笑みをこぼす夫。
私も嬉しかった。

しかし心の内では、じわじわと不安が押し広がっていくのがわかった。


――――どうあがいでも良いとは言えぬ環境で育ってきた。

だが長い間それをことごとくくだらぬ笑いにしてゆくことで自分を貫いてきた。
面白おかしくすることで、歩いて来た道なんぞいくらでも変えることが出来る。無論葛藤はあったが。

こんなことがあった。

私を見たある人物が「君を見ているとたくさんの愛情を受けて育ってきたのがわかるよ」と言った。
全身が粟立った。
それは軽々しくそんな台詞を口走るやつへの怒りというよりも、私自身が抱いている過去の事実への嫌悪感からだったと認識している。

けれどもいいか、過去は過去。
私もすっかり大人になり、自分の背景もとっくのとうに消化したつもりでいた。

ところが初めて産科に行き腹の中に映る個体をはっきりとエコーで見たその夜、過ぎ去ったはず記憶が突如として次々と蘇り私は号泣した。

ひっくり返したオセロの白い面が、盤上でカタカタ不安な音を立てながら一斉に再び黒へと裏返っていくような気味の悪さ。

こんな私が親になる?

真っ黒な海にぽつんと浮かんでいたあの影は子供ではない、怯える私自身なのではなかろうか。


重い夜が数日続いた。


気持ちに変化が訪れたのはまだ夜が明け切らぬ、ある明け方のことだった。

眠れぬまま私は布団にくるまりあれこれ考えを巡らせていた。

薄暗い中、溜息交じりに寝返りをうったその途端、カーテンの隙間から真っ白な光が差し込んできた。
そのあまりの輝きに目を見張っていると、不意にえも言われぬ感情の波が押し寄せてきたのだ。

それは一切の濁りも見当たらぬ感動、強靭な喜び。

今私の中にある一個の魂は、何かしら学ぶべき事柄があってこの腹を選んだ。
私もそれに学ぶ。
夫と共にそれを支える。
笑い、時には泣く。
ひとつびとつの魂として。
そうかそれだけなのだ。

起き上がってからはひどく軽やかで、ゆったりとした心持ちであった。

体こそ重かったが、期待と希望、それから湧き上がる好奇心がまさった。
私は母になるのだ。

決していい親にはなれないだろうし、なるつもりもない。
だが等身大で向き合おう。
そう考えては腹をさするなどしていた。

鼻歌を歌いながら幾つか子の名前も考えてみたが、私のネーミングセンスの無さに、夫は呆れるばかりであった。



――――我が子が死んでいることがわかったのは、僅か数週間後の検診の時だ。

白い影はうっすらと頭も腿も形を成しはじめていたが、医者がどれだけ念入りに調べようとも心臓の鼓動だけは確認出来ないままだった。

本来であれば、脈打つその部分がトクトクと点滅するように見えるらしい。
だがそんなことを知らされたところで、今の自分にそれを見る術はどこにも無い。

医者はすぐにでも手術するように言い、看護士はいかにも優しい目で諭しながら、ハンカチを貸してくれた。


帰り道時計の針は正午を過ぎたばかりであったが、そんなことはお構いなしにしばらく絶っていた酒をかっくらってやりたい気持ちになった。

けれども母親としての責任がまだ残っているような気がして、止めた。

代わりに店で注文したカフェオレの、泡の表面に白く描かれていた葉っぱの模様が、何故あんなにも空々しく見えたのかは今でもよくわからない。


こんなことはよくある話だ。


自分を不幸だとは微塵も思わない。
母となる資格がなかったとも思わない。
内側に呟いてみたごめんねという言葉も、なんだか違うように感じた。

父親になり損ねた夫を思うと胸が締め付けられたが、事実は事実、誰にも変えることは出来まい。


生まれて来ないことを学ぶ命だって在ると、いつかどこかで聞いた。

必死の想いで受精したのに流産を繰り返し涙する女性もいるし、その度に夫婦で温め合う夜の長さはさぞ痛かろう。
たった一度子を授かりたまたま流産することになった私ごときが、ねちねちと不幸を演じるのは見事なまでに滑稽だ。

おこがましい言い方かもしれないが、これでも「死」に向かい合うのには慣れているつもりだ。

幼い頃から妙に多くの、冷たく横たわる黒ずんだ肉体を見つめる機会があった。
今では自分にとっての死生観ともなった感覚を味わう瞬間もあった。

かつて婚約中であった男性が亡くなり、大きな棺桶の中でこわばる彼の頬の横に、柔らかで白い花をそっと添えたその時に、誰ひとりとして決して逃れることの出来ない生と死の織り成す巨大な美しい輪が、絶望すら押し破ってこちらへと降り注いでくるのを感じたのだ。

そうだ今回だってなんら変わりはあるまい。
各々が輪廻を繰り返す、ただそれだけのことだ。

また気の済むまで涙を流せば、普通の生活が始まるのだろう。

だけれども。

安定期に入る前だったのにも関わらず妊娠したことを告げていた幾人かの方々に結果を伝えると、答えてくれた暖かさが心底有難くて、拭えども拭えども涙が溢れてきた。

人から滲み出ている優しさが、傷んでいる私を包んでくれるのを感じて泣いた。

痛みを抱きながら寄り添って励まし合う人間の素朴さに泣いた。

そうしてそれぞれが、幸せに近づこうとまた一歩足を踏み出したり、或いはふと立ち止まって今ある幸せを噛み締めてゆく。

素晴らしい、人生はやはり素晴らしい。


生まれることのなかった我が子よ。
母として僅かしか側にいられなかったが、強く絆を感じている。

独りよがりな解釈だと誰かに言われようが、一向に構わない。

なぜなら小指の先程の小さな貴方が運んできてくれたものは悲しみよりも遥かに大きく、きっといつまでも私の中で、トクトクと脈打ち、点滅し続けていくだろうから。


いずれ私も死に行き、再び互いの魂がどこか星屑の片隅ででも出会うことがあるのならば、その時はまた混ざり合い、同じ光を放とう。

そうあの明け方にカーテンの隙間から流れ込んできた、真っ白な光と同じ喜びを持って。

私はそれで満足だ。


やがて再び春が来る。

One day

2012-07-30 | コラム・エッセー


――散歩。白い犬との。既に眩しくなっていた朝に。――


昨年越してきたこの町は、住宅街ということもあって近隣の者は皆一様に庭仕事にいそしんでいるようである。

庭先に咲く花々を愛でるのは私の密かな楽しみでもあり、「どこそこの家の赤い花がもうじき咲きそうだ」とか「あの家のあれはどうなったろう」などど呟きながら散々遠回りをしてはそれらを観察するのである。

特に申せば固く閉じていた蕾がようやく気を許したかのごとくふうわりとほどけ始める瞬間が大層好きで、突き当たりの家の柵から零れ落ちていた芍薬が、明け方の雨粒をいまだに肌に乗せながらそっと咲いていた時などは息を飲むほどに美しかった。


――散歩。白い犬との。止まってしまったとある午後に。――


空には夏の終わりに見かけるような鱗雲によく似た雲が切れ切れになって散らばっており、思わずぎくりとする。

いっそそれらを手でかき集め、ひとつの大きな入道雲でも作ってやりたい気分だ。

けれど暑さはじりじりと、確かに真夏を示している。

小高い公園を通り抜けると、滑り台の表面には太陽がそっくりそのまま落ちていた。

心の隅にあった日々の僅かな後ろめたさは逆光で影となり、代わりに押し寄せるは眩暈すら覚える歓喜。


――散歩。白い犬との。流れ込む一日の終わりに。――


隣のアパートの、小さいであろう部屋はほぼ学生らで埋め尽くされており、夜ともなると若いむすめのはしゃぐ声がこちらの風呂の窓から聞こえてくる。

小さくなった石鹸をよくよく泡立て疲れた足先を包み込む。

そうして風呂上りには気に入っている香水などをそっとひと吹きし、しばらくした頃外へ出る。

高く上がった透明な月を見上げると、耳元から漂っているはずのジャスミンの香りがあたかも月から零れ落ちているような錯覚に陥る。

ふいに楽しくなり小走りすると、まだ渇き切っていない髪の先が頬を冷たく打ってきた。


――眠る。睫毛の先に白い犬の寝息。――


今日も何も始まらなかった。

けれど変わらず続く何かが、私を安心させていた。

瞼の裏には、明日も見つめあうあの花。

    

2012-07-22 | コラム・エッセー

まだ実家に住まっていた際、すぐそばに建った新築マンションの最上階、最も日当たりの良いであろう角の部屋は、夕方になるといつも穏やかな橙色の明かりを灯しだし、それは当時私にとって特別な存在であった。


それを何と言えば良いものか。


“豊かさ”や“余裕”であろうか、いや、“安堵”とでも言ってしまえば納まるのか。


今思い起こしてもすんなり納得できる言葉を見つけ出すことが出来ないのだが、いずれにせよ「そこ」は自分がいるこの場所――そう例えば慌しさや焦り、苛立ちなど――からはまるで切り離された別世界であり手の届かぬ憧れそのものだった。


最上階ゆえにカーテンがひかれることは滅多に無く、地上を歩く私に当然その中は見えやしないのだが、ふと思い出したかのように天井に揺らめく影の持ち主は、決して私が持ちあわせない橙色の何かをなんの気なしにまとっているように思えた。


あれから数年経ち私は引越し、以来あの角部屋を見上げることは無くなった。


だが夜に犬と散歩に出歩いて川沿いの家々から零れ落ちる明かりを目にすると、時折そこを思い出す。


あの橙色は今どこに在るのだろうか。


忙しさは変わらない。
不安に波立つ毎日に、相も変わらず確信は訪れない。


だけれども私はそっと胸に手を当て、今度こそここに一番柔らかな橙色が灯っているはずなのだ、と言い聞かせる。


そう今私の中にある角部屋だって、カーテンなんかひいていない。


家へと向かう足取りは、軽やかだ。


この碑何の碑気になる碑

2012-05-31 | 旅行
最近私が気になっているもの、それは「碑」だ。

碑は私達にとって歴史を探るための手段となり、それによってその地を以前にも増して慈しむことが出来る。
また、時折突っ込み甲斐のある決め台詞も彫られていたりと、とかく碑には着目すべき点がたくさんあるのだ。

さて今回は「この碑何の碑気になる碑」と題して、どこの機関にも公認されてはいない自称「石碑ミシュラン判定員」であるこの私が、お勧めの碑をご紹介しよう。

JR新琴似駅から程近い「新琴似神社」の敷地には石碑が7つも存在する。
(※7つ揃っているからといってドラゴンボールの様に願いが叶ったりはしないので要注意。)

そのひとつが、今回目出度く石碑ミシュラン3つ星を獲得した「百年碑」だ。



これは新琴似地区の開基100年を記念し、先人達の偉業を讃えると共に、地域の発展を願い昭和61年に建てられたものである。

判定員が横に手を広げて測るという、正式な碑計測方法によると2メートル以上はあると思われる。

青みを帯びた石が、わずかに斜めになって置かれているのがお判りだろうか。

そこに堂々と刻み込まれた「百年碑」のこの文字!
思い切りの良さ・・・・・・トレビア~~~~ン!

石の表面は滑らかで気持ちが良い。
そして注目すべきは、碑の横に書かれたこの言葉だ。



「この地に育つ若人よ 今日を創りし先人の 自耕自拓の精神を 継いで努力の人となれ」。

見たか、円周率が3でいいと思っている最近の若者よ!!

百年碑というものは、太平や清田など札幌圏内に多数存在し、その存在自体がいまや激戦状態にある。
そんな中ひときわ堂々としたこの面持ち。



3つ星獲得を記念し、私からもう後50年分を贈呈、今日を以ってこの新琴似百年碑を「百五十年碑」とさせて頂く。

お次はミシュラン2つ星の「拓魂碑」。



百年碑・・いや、百五十年碑を西側に見て東側にあたるこの拓魂碑は、同じく開基100年を迎え、地域発展に寄与してきた歴代の農業協同組合長を讃えて建てられたものだ。

こちらも大きく、2メートル以上あった。
石は日高産。あくまで道産へのこだわりを感じる。

このたくましさよ。
これで開拓魂感じないヤツはアウト、ベンチすっこんでろ!!


見れば見るほど面白い「石碑」。
身近なものから、皆様もどうぞご堪能あれ。

ベティー

2012-04-23 | コラム・エッセー

幼い頃、そう私が十になった頃であったと思う。
家の前には父の車に並んで母の小さな赤い車が置かれていた。

今思えばそれはところどころ錆付いた、ただの中古の軽自動車にすぎないのだが、その車が自宅に届けられた日に母が見せた誇らしげな笑顔は、いまだに忘れることが出来ない。

彼女は赤い色が好きでまた良く似合っており、家にいる時でさえも赤の口紅をひいていたので、我が家に招かれた車が赤であったことは、私にとって至極当然のことのように思えた。

母はすぐさまそれに「ベティー」と名を付けた。

小学校が早く終わると、母はよく私をベティーの助手席に乗せては買い物に出掛けた。
信号待ちに母はふいにおかしな顔をしてみせ、私はいつまでも笑い転げた。

夏の暑い日などは車の中、安いシートは焦げつかんばかりに熱くなっていたが、背中全体に感じるその熱と、大して利かないクーラーがまわす生温い風も、難なく私達を笑顔にした。

赤いベティ。
鼻歌交じりに運転する母。

それは間違いなく眩しかった。

だが何年か経ち我が家はベティを手放すこととなり、それきり私が母の運転する車に乗ることは無かった。


最近では月に一度、二人でささやかな食事会を開く。

改札口で待ち合わせた母は驚くほど小さく、日頃の苦労を思わせるが、それでも気丈にひいた口紅の赤い色は、幼なかったあの日私がベティの中で染みるように背中に感じたあの熱と、それから母への鮮やかな憧れを思い起こさせるのだ。



ときめきのイケてないカード

2012-01-22 | 日記
本屋でのアルバイトを始めてから早いもので半年が過ぎたが、実は当初から密かに集めてきたものがある。

それは客の使用済みの図書カードだ。

勿論ただのそれでは無い。
私が言うのは、そう、「“イケてない”使用済みの図書カード」のことである。

世間では数年前から使わぬ私物は徹底的に処分しようという整理術「断捨離」が流行っている。
私も昨年これを決行し、おかげで持ち物はかなり厳選され、今では部屋に余分なものがあるとすぐさま捨てるようになった。

断捨離という警備の目をかいくぐるように集まってきたイケてない使用済み図書カード達だったが、昨年末突然嫌気がさしてこれらをエイヤと全て捨て去ってしまった。

ところがである。

本日勤務中、私はまたもや出会ってしまったのだ。なんともイケてないカードに!

奇遇にも私がレジに入った際、奇遇にもそのカードを客に出され、加えて奇遇にもそれが残高ゼロになった瞬間。

通常であるならば客に「使用済みのカードは当店で処分してもよろしいでしょうか?」と聞くべきところを、私はとっさに「こちらで処分いたしますので」と半ば強引にそれをものにしていたのだった。

そのカードがこれである!



100人乗っても、ダァイジョォ~~~~~ブ



た・・・・たまらんっっっ!!!

近年すっかり小洒落たカードばかりが世に出回る中、イケてないカードにはそう滅多にお目にかかれるものではない。
幼き日に幾度目にしたかわからないあのコマーシャル、イナバ物置の黄金のカードを前掛けのポケットに忍ばせ、勤務の合間にそっとそれを眺めては私は一人悦に入っていた。

そしてつくづく思った。
年末にこれまで必死に集め続けたあのカード達を捨てなければ良かった、と。
どれもこれも見れば思わず噴き出してしまうような味のあるものばかりだったのに・・・!

断捨離といったような無駄な物の無い生活は捨て難い。

が、そういえば、別の片付けコンサルタントは「ときめきを感じるものであれば残しておいても良い」と言っていたではないか。

そうか、これを機にまた改めてときめきのイケてないカード集めをしていこうではないか・・・!
そう心に誓った私であった。

お知らせ

2012-01-19 | 瓦版

外出中、極まれに「ラジオで話している人ではないか」と話かけられることがあるが、先日本屋で棚を整理している際、突然中年女性に肩を叩かれ「あの!“少し旅行している人”ですよね?!」と聞かれ驚いた。

恐らく私が担当しているコーナー名“ちょっと旅してみませんか”のことを言っているのだろう。
だが“少し旅行している人”とは・・・・合っているっちゃあ合っているけども・・・。うーむ・・・・・・。

さて。

「新年明けましておめでとうございます」―――などと言うのもこっ恥ずかしい頃合になってしまった。

新年会という新年会は全て終わり、蜜柑で埋め尽くされていた筈の箱はいつの間にか底を顕わにし、ひたすら1月のか細い陽の光にちらちらと反射する雪に目を細める日々が続いている。

要は既に淡々と日常をこなしているのである。

そこでだ。

更新されるのが滅法遅い、新陳代謝の悪いこのコラムを補わんがため、新しくもう一つのブログを開設した。

そこでは日々のささやかな、例えば愛すべき我が駄犬や衣食住に関する取るに足らぬこと、それから偶然目にした景色など――詰まりは食卓のメインの料理には決してなり得ぬ小鉢の如き事柄を、ただ単に綴っていく構えだ。

至って表向きで露かけらも面白みはないだろうが、このコラムの第二号店としてご来店頂けたならばこれ幸い。
勿論、珍事件や主義主張、或いは研究の話については本店にて変わらずご紹介し続けていくつもりである。

それでは改めて本年もよろしくお願いいたします。

新しいブログ
http://blog.goo.ne.jp/spiralbird2