取り立てて面白味の無いこの地区の小さな書店には、今も尚、気忙しく働く私がいる。
日々訪れる個性的な客らにももう慣れた。
午前中にエロ本を決まって2冊買う中年男性が、たまに健全な本を購入すると思わず体調を案じてしまう。
しばらく行った先には養護施設もあるのだろう、レジに来ては「あのね!フクダ君の歯茎、今日も腫れてるんだって!」と毎度律儀に「フクダ君」の歯茎事情をおしえてくれる男の子も、今では大切なお得意様だ。
それにつけても今日は参った。
その婆「フミコ」はいつも芸術に関する本を注文して帰る。
齢75、6だろうか、腰は30度ばかり曲がっているが、こじゃれた帽子をさらりと被り、皺の重なった目元も知的だ。
古くなったパソコンでの発注は時間を要するのが常だが、あからさまに苛ついた様子を見せるのも、そんなフミコの特徴だ。
今日はフミコが珍しくベタな作家の小説を頼んできた。
取り寄せの手続きをし、私は「××フミコ様」と書いて控えを渡した。
「入荷しましたらご連絡致しますので。」
時間がかかったにも関わらず、ちくとも苛立たずにフミコは、渡した控えに目を落としながら一言「よろしく」と呟いて帰っていった。
ところがである!
商品整理を終えたKさんが戻るなり言った。
「今日△△ミサオさん来たんですね。すれ違いました。」
ホワッツ!?ミサオ!?パーーードン!?!?
「えっと、Kさん、さっきのあの帽子の人って、あれ…フミコですよね?」
「違うと思います…。」
な、な~~に~~~~~っ!?
さっきのフミコ、あれ、ミサオだってか!!
そう、店にはフミコによく似た「ミサオ」という名の人物がいて、無論互いに知らぬ者同士なのだろうが、どちらかがもう一方の影武者であってもおかしくはない程なのだ。
だがKさんによると、フミコもミサオも共に似た様な帽子を被り、顔も背丈も限りなく似ているが、フミコはミサオより微妙に腰が曲がり微妙に垂れ目で微妙に声が高いんだそうな。
かーーーっ、紛らわしいっ!!もうどっちがどっちでもいいわ!!
…と逆ギレしても意味がない。
婆の取り違えに私は焦った。
そうか。
どおりで今日のフミコは財布を収めているロバの刺繍が施された巾着-これを私は密かにロバキンと名付けている-を、出さなかった訳だ。
それはあれがミサオだったからなのか!
フミコの名入りの控えを渡してしまったミサオには、その後丁重に詫びの電話を入れた。
ミサオは笑っていた。
私は胸を撫で下ろした。
ひとつはミサオが怒らなかったことに。
そしてひとつは逆にフミコをミサオと間違えなくて本当に良かった、と。
垂れ目のフミコが苛々した時に一瞬で切り替わるつり目が、存外迫力があって恐ろしいのだ。