「白人男性だったら、エンジニアを希望していた?」
「その必要ないわ。(白人男性だったら)もうなっているもの」
いい映画を観ました。「ドリーム」1961年頃のアメリカのNASAの話で、アメリカの宇宙飛行の発展の裏には、
3人の女性数学者がいたと言う実話です。
黒人×女性というダブルの差別の中で働くその3人は、もう気持ちいいくらい賢く優秀。
時代を切り開いていくのは、いつも「技術と才能」なんだなということが、この映画を観るとよくわかります。
だってその仕事は彼女にしかできないんだもの。ずらっと並んだ白人のおじさんたちの誰よりも必要とされてるんだもの。
けれど最初は「Colored(有色人種用)」のトイレがオフィスになくて、800m先の別棟までいちいち走っていかなければならなかったり、
管理職の仕事をしているのに管理職の地位をもらえなかったり、エンジニアになるためには、黒人の通えない学校で学位を取らなければならない、
と言われたり。それどころか、バスの座席も図書館もコーヒーポットも白人とは別々に分けられるという日常が描かれていきます。
この映画のいいところは、差別する側も特にすごく悪い人や学識の低い人なわけではなく、
昔からそういうものだったし、何も考えず無意識にやっている感じが、リアルに表現されている点です。
何も考えていないし、積極的に意地悪をするわけでもないけれど、
「トイレはどこ?」と聞かれて
「有色人種用のは知らないわ」
と申し訳なさそうに(けれどその分離されていることには一ミリの疑問もなく)いう白人女性とか、
自分たちのコーヒーポットに黒人女性が手を触れた瞬間、
「ぎょっ」としてみんなで見る白人男性たち。あれこそが、差別なんですね。
そして主人公の3人は、それをひとつひとつ自身の勇気と能力と行動力で、覆していくのです。
「誤解しないで。私、偏見は持ってないのよ」
「知ってるわ。そう思い込んでいることは」
かっこいい。
かつてこんなに女性がかっこよく描かれた映画があったでしょうか。
よくできているなあ、と思うのは、ケビンコスナー演じる宇宙特別本部長のように、
彼女たちを理解し、差別を否定する白人や男性たちも、きちんといるところ。
男性が見たらきっと誰もがケビンコスナー側の人間でいたいと思うことでしょう。
だって彼女たちを認めた方が、仕事がうまくいくんだもの。
ずば抜けた能力は、人の心を開くし、物事を変えていく力がある。
私たちがいま生きているこの世界も、彼女たちのその力があったからこそなんだなと、清々しく感動できた作品でした。
ちなみに原題は、Hidden Figuresで、Figuresは、「姿」のような意味もあるし、「数字」という意味もあって、
歴史に隠れて来た黒人女性数学者たちの功績をダブルミーニングで表しているんでしょう。
これを「ドリーム」という邦題にしたことで、いろいろと言われていますが、じゃあどんな邦題がよかったんだと。
自分にもし「邦題を考えろ」というお題が来たら、ものすごく難しいだろうなと思いました。
「隠されたホニャララ」だとどうしても原題を満たす日本語ってない気がするし、
そもそもなんだか地味ですもんね。
当初は「私たちのアポロ計画」とついていたらしくて、この映画で描かれているのはマーキュリー計画なのに、
という批判もあったらしいですが、もういいじゃん別に。だってこの3人の活躍があってアポロ計画に繋がったって、
最後ナレーションでも行ってたじゃん。だいたいマーキュリー計画とか言ってもみんな知ってるの?
…と、作り手側の気持ちがわかってしまうところもあるわけですが、
ふう。映画のタイトルって、難しいですね。