道端鈴成

エッセイと書評など

中国の移植犯罪

2013年12月15日 | 時事
  「新唐人テレビ」は、中国共産党から迫害を受けている法輪功(ファールンゴン)系のメディアである。事実に即して余計なレトリックを弄さない冷静で理性的な報道ぶりで、中国共産党系のメディアとは対照的なスタイルである。コントはやや理に勝ちすぎているかなという感じだが、「銀行強盗」など結構面白いのも多い。「運勢占い」は、江沢民をネタにして、独裁者批判の定型のジョークを使っているが、法輪功迫害の首謀者に対するものだけに、もはや冗談もにならない感じだが。
 新唐人テレビの12月14日の記事(「中国の臓器狩りを譴責 欧州議会で決議案通過」)では、12月12日、フランスのストラスブールで開かれた欧州議会本会議で、中国の臓器狩りの停止を求める決議案が通過し、決議案は、欧州連合(EU)の加盟国にも中国共産党のこの行為を公に非難するよう呼びかけていることが報じられている。
 中国における臓器狩りはカナダの人権派弁護士マタスやカナダ政府元高官のキルガーなどが中心になって、ずっと追求してきた、現在進行中の最悪の人権侵害である。北朝鮮での、No2の失脚・処刑の報道に我々は驚いて、米政府は「政権の極度の残忍性示す」と非難したがそのレベルではない。最近になって、マタスやキルガーなどの本の日本語訳(「中国の移植犯罪 国家による臓器狩り」(マタス・トレイ著、自由社)、「中国臓器狩り」(マタス・キルガー著、アスペクト)も出るようになったが、NHKを初めとする日本のメディアではほとんど報じられない。今回の欧州議会の決議も同じ扱いのようだ。
 キルガー氏は、昨年10月には来日し、メディアでは全く報じられなかったが、中津川議員の司会により衆議院会館で報告会を開催した。キルガー氏はその後、韓国に渡り、マタス氏と合流した。しかし、両氏の記者会見は、中国共産党の圧力に屈した韓国政府によってキャンセルされた。

 
 
 
 

五代目カルパーを表にたてて詐欺フェストを繰り返す小沢氏

2012年12月02日 | Dirty Valley Report
「ミコシは軽くてパーがいい」(日本の新聞の見方,11月29日)

初代カルパー:海部俊樹
二代目カルパー:細川護煕
三代目カルパー:羽田孜
四代目カルパー:鳩山由紀夫
五代目カルパー:嘉田由紀子

小沢氏、「未来」でもバラマキ 前回衆院選の民主マニフェストに酷似(ZakZak,11月29日)

民主党政権のこの3年2ヶ月の間

2012年11月17日 |  Loach watching
11月15日 衆議院本会議 齋藤健氏(自民) 特例公債法案賛成討論

民主党政権のこの3年2ヶ月の間、日本の外交はどうなりましたか? 
日米関係はどうなりましたか? 
インド洋での給油・給水活動から撤退し、普天間で迷走し、アメリカ大統領に「トラスト・ミー」と悪ふざけをし、元首相がイランを訪問する。

日中関係はどうなりましたか? 
日韓関係はどうなりましたか? いずれも戦後最悪ではないですか。
日露関係はどうなりましたか? 
日本の領土はどうなってますか? 
経済はどうなりましたか? アンチビジネス対策のオンパレードで、企業が雪崩を打って海外に出て行ってしまってませんか? 
震災復興は進んでますか? 増税までして確保した復興予算はちゃんと使われてますか? 自分で作った予算を自分で仕分けするなんていう茶番を、税金を使ってまで、まさかやらないでしょうね?

不適任な大臣は一体何人出ましたか? 
あきれ果てて離党した仲間は、一体何人いますか?
それも自民党政権の負の遺産ですか?

マニフェストはどうなりましたか? 
ガソリンは下がりましたか? 
年金通帳は配られましたか? 
高速道路は無料になりましたか? 
これも自民党政権の負の遺産ですか?

今マニフェストを準備されているそうですが、そんなものを受け取る有権者はおりません。もはやこれ以上言葉のやり取りは必要ない。

国会審議速報:国会審議書き起こし


あとは悪政を担った議員達を投票によって国政の場から駆逐しなくてはいけない。
今後、同じような詐欺と出鱈目が行われないためにも。

政権に見苦しくしがみつき国民に害を与え続ける外交・人事総崩れの民主党野田内閣

2012年11月04日 |  Loach watching
民主党ジャスコ岡田の媚中と共産中国様の分かりやすいご返答

  日米両政府は5日から日米共同統合演習を行い、沖縄県の周辺海域を島に見立てて離島奪還の模擬訓練を実施する。当初は無人島を使った奪還訓練が予定されていたが、岡田克也副総理がこの方針を撤回させていたことが2日、複数の政府高官の証言で判明した。尖閣諸島の国有化に対する批判を強める中国への配慮があったとされる。野田佳彦首相も岡田氏の判断を追認しただけで、方針を覆した日本政府の対応に米側は不信感を高めている。混乱の舞台裏を検証した。
 「よし、それでいい」
 10月上旬の首相官邸。外務・防衛両省の説明を聞いた岡田氏は、11月中旬に無人島の入砂島(いりすなじま)(沖縄県渡名喜村(となきそん))で日米共同奪還訓練を行うことを了承した。首相も10月9日に説明を受け、異を唱えなかった。防衛省は「ゴーサインが出た」と米国防総省に連絡した。同じ頃、両省内には岡田氏の了承をいぶかる情報が駆け巡った。ある政府高官は「岡田氏は本音では奪還訓練をやらせたくないようだ。まだ安心はできない」と指摘していた。
 10月中旬になり、この高官の危惧は的中する。奪還訓練の正式決定に向け両省が再び説明に出向くと、岡田氏は「決定は駄目だ」と翻したのだ。(産経新聞、11月3日

  沖縄県の尖閣諸島の沖合を航行していた中国の海洋監視船4隻が、正午前から相次いで日本の領海に侵入し、海上保安本部が領海の外に出るよう警告しています。中国当局の船が領海に入るのは3日連続となります。(NHKニュース、11月4日


特技ドタキャンをさっそく披露した田中文部科学省

  田中真紀子文部科学相の突然の方針転換で設立が不認可とされた秋田公立美術大。来年4月の開学を前提に準備を進め、4日にはオープンキャンパスを開催する予定だったが、職員らは構内の垂れ幕を急きょ撤去するなど中止の対応に追われた。穂積志市長は大学設置を引き続き目指す考えだが、開学までの準備が長引けば税金で賄う費用も膨らむ。市や大学、高校など関係者からは「あまりにも突然だ」と怒りと困惑の声が上がった。(毎日新聞、11月3日

  真紀子氏は、自民小泉内閣の外相時代(01~02年)にも、数々のお騒がせで話題になった。来日した米国務副長官との会談を「官僚たちとのバトルが激しすぎて疲労の極限だった」とドタキャン。米中枢同時テロ後、国家機密でもある米首脳の避難先を会見で漏らす失態も。指輪紛失事件では、秘書官を「あなたが盗んだんじゃないの」と叱責(しっせき)するなど、感情的な行動で周囲を慌てさせた。官僚の封鎖的体質を「伏魔殿」と非難、一部世論の支持を得たが、結局、9カ月で更迭された。 (日刊スポーツ、11月3日

橋下氏への幻滅

2012年03月11日 | 時事

経済を縮める相続税100%の恐ろしい社会を目指す大阪維新の会代表、橋下徹(日本経済をボロボロにする人々、3月11日)

大阪維新「船中八策」の「馬脚」(雪齋の随想録、2月15日)

シロアリ退治や、変態サヨクとの戦い、財政再建への努力は応援してきたのだが、有権者に付託された仕事が始まったばかりで、打ち上げた目指す国の方向性に国家社会主義的な色彩が露骨に見えてきて幻滅だ。もうすこし、自由社会の基本や経済をわかった人だと思っていたのだが、そしてその意味での反サヨクだと思ったのだが。有能・果断で機を見るに敏であっても、そういうバックボーンはないのだろう。

民主党政権3分間レビュー

2012年02月13日 | 時事
あれは何だったのでしょうか?
                           (衆議院予算委員会、2012年2月1日)

普天間混迷のつけを国内防衛産業の切り捨てで払う民主政権

2011年12月24日 | 時事
F35決定「疑問だらけ」 選定開始時の防衛相 石破氏(東京新聞、12月24日)

 航空自衛隊の次期戦闘機(FX)にF35(米ロッキード・マーチン社)が決定したことについて、野党・自民党の石破茂元防衛相は本紙のインタビューに「極めて異様な選定というほかない。予算委員会で追及の目玉にする」と政府を批判した。
 石破氏は、防衛省で二〇〇七年にFX選定が始まった当時の防衛相。「(今回候補になった欧州機の)ユーロファイターを『当て馬』にせず、真剣に選定するよう指示したが、今回ははじめから米国製ありきだった。背景に普天間飛行場問題の迷走があり、米国に配慮したのだろう」と述べ、公正な選定ではなかったと指摘した。
 F35の特徴について「(レーダーに映りにくい)ステルス機といってもF35は対地攻撃が専門で、日本に必要な防空戦闘機ではない。国内生産が制限されるF35の選定により、戦闘機の製造基盤も維持できない。しかも開発の遅れから納期遅れは確実。なぜF35なのか疑問だらけだ」。
 そして「国会で選定した理由をきちんと説明できないなら、閣議決定をやり直すべきだ。自民党が政権党になった場合は当然、選定結果を見直すことになる」と強調した。
 防衛省はおよそ十年後、約二百機保有するF15戦闘機の後継機選びを迎える。石破氏は「そのころF35が完成していれば、候補として検討できるかもしれない。だが、より問題なのは防衛省が『日本の防空』をどう考えているのか、さっぱり分からないこと。老朽化したRF4E偵察機の後継選びをせず、空白のままにしているのはその証拠だ」と防衛政策を批判した。



次期戦闘機にF35、日本の防衛産業を脅かす決定(フィナンシャルタイムズ、12月21日)

日本は次期主力戦闘機(FX)にF35「ライトニングII」を選定することで、製造主体のロッキード・マーチンが残忍にも「比類なき殺傷力」を持つと自慢する武器プラットフォームを選んだ。だが、敵の侵入者が自国領空内に入り込むのを許さないとしても、日本のF35購入が最初に生む犠牲者は、日本が自前の戦闘機を作る能力だったという結果になりかねない。F35の選定(批判的な向きは、入手可能な範囲で最新鋭の戦闘機を欲しがる航空自衛隊関係者の願望が主な選定理由だったと言う)は、非効率で孤立した国内防衛産業に大きな打撃を与えそうだ。

重要機能の技術共有を渋る米国、日本企業の参画は限定的
 日本では、9月に三菱重工業が生産する最後のF2戦闘機が納入された後、ほぼ半世紀ぶりに戦闘機生産が途絶えている。防衛省は、三菱重工はF35の機体生産に携わると話しているが、レーダーに探知されにくいステルス性能や兵器ネットワーク機能の技術共有を渋る米国の姿勢は、間違いなく日本側の関与の度合いを限定するはずだ。軍事ジャーナリストの清谷信一氏は、日本の軍事・航空宇宙産業に欠かせない多くの中小企業にとって、これが最後のとどめになりかねないと言い、F35の選定は「我が国の防衛産業の崩壊の引き金を引く」恐れがあると主張する。FXは1970年代からあるF4「ファントム」戦闘機2隊分を代替する後継機で、遅れに遅れた機種選定を巡る議論は確かに、日本の防衛産業の苦境を浮き彫りにした。予算の圧迫と、防衛費を国内総生産(GDP)の1%前後に抑えるという非公式な規則のために、成長の余地はほとんどなくなっている。アナリストらは、部品生産や特殊技術にかかわる中小企業の間では、破産したり、防衛部門から撤退したりする企業が増えていると指摘する。大手防衛企業と異なり、中小企業は軍事関連収入と民間部門向けの売り上げのバランスを取れないというのが主な理由だ。

苦境に陥る国内防衛産業
 だが、三菱重工や、防衛省が日本向けF35のエンジン生産に参画すると話している大手重工メーカー、IHIなどの大手企業にとっても、厳しい状況が続いている。昔ながらの防衛予算の設定は、最大規模の武器売却の契約でさえ、予算が数年間にまたがって小分けされる傾向があることを意味している。例えば、F35の最初の納入は2016年まで予定されていないが、政府は2012年度予算に4機分の購入費用を盛り込む計画だ。こうした制度のために、調達プログラムは変更が生じやすく、防衛企業は研究開発関連などの初期投資の費用を織り込むのが難しくなっている。一方で、官僚と政治家の馴れ合いが崩れたため、防衛企業はもはや政府に頼ることができない。2カ月前には東芝が、F15戦闘機の改修に関連した数十億円規模の契約の取り消しを巡って防衛省を提訴した。また、昨年は富士重工業も、戦闘ヘリコプター、アパッチの発注中止という政府決定を巡って、裁判に訴えている。

多国間プログラムに参加できない平和主義の縛り
 日本の防衛企業の問題を悪化させているのが、今や業界の標準となりつつある多国間の共同開発・生産への参加を概ね禁じる戦後平和主義の原則という遺産だ。ほぼすべての兵器システムの輸出が禁止されており、三菱重工のような企業は、F35の開発につながったような多国間プログラムで全面的な役割を担うことができないのだ。こうした事情に、自立した防衛産業を維持しようとする日本の過去の決意が重なった結果が、小さな生産規模と、とてつもなく高い価格だ。例えば、日本のF2戦闘機は1機あたり約120億円すると言われている。これは、F2がベースにした米国製F16戦闘機の2倍以上の値段だ。次第に逼迫する日本の財政状況を考えると、将来の防空手段については輸入兵器に依存するという判断も不合理ではないだろう。だが、政府はそんな方針転換は考えてもいない。防衛省はむしろ意気込んで、ステルス戦闘機の国内開発を計画している。初期の実証機は2014年までに空を飛ぶ予定だ。そうした夢がどれほど実現可能になるかは、日本がF35の技術を相当得ることにかかっているかもしれない。F35の技術なしでは、日本はただ新型戦闘機のコストを跳ね上がらせるだけで、結局、後継機を開発できないという事態になりかねない。国内メディアは既に、ユーロファイター「タイフーン」とボーイングのFA18「スーパーホーネット」という幅広く利用されている競合機種より、まだあまり試されていないF35を優遇したように見える調達プロセスに疑問を投げかけている。タイフーンとスーパーホーネットは、戦闘機製造に日本企業をかなり関与させることを約束していた。少なくとも、そうした批判は将来の調達に対する監視強化につながるはずだ。だが、国内防衛産業の一部にとっては、既に手遅れかもしれない。                         

朝日新聞の偽造した「慰安婦問題」

2011年12月18日 | 時事
朝日新聞の偽造した「慰安婦問題」(池田信夫、12月18日)


0.朝鮮を含めた民間の人身売買による売春、軍での売春で得た軍票が無価値になったことへの怒り

1.朝日新聞の植村隆記者による「朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した」という誤報

2.河野洋平官房長官による公式の謝罪

3.日本のメディアと政府が軍による強制連行と性奴隷を認めたとの世界での受け取り

4.世界での受け取りを背景にした事大主義国家による事実と法を無視した日本非難

一番大切なのは事実に基づく問題解決だ。事実を軽視して人道的対応などしても、偽りの上に築いた宥和など有害である。弱者のウソであれウソを黙認してはいけない。4.はまともに相手にしても無意味なので、3を覆す必要がある、3を覆すには事実を明確にしたうえで、1.の朝日新聞の謝罪が必要だ。しかし、1.が起因となった3.にブーツストラップ的に居直った朝日新聞が謝罪するのは、池田氏の4月1日の記事の上でだけだろうし、慰安婦問題は、ゴルディアスの結び目と化していて、もはや手のほどこしようがない感じがする。

情報戦とレトリック(2)慰安婦問題におけるロゴスとエートス、パトス

慰安婦騒動

言葉の虫かご:慰安婦、売春婦、性奴隷

野田氏と民主政権は結局、このウソを基金だの何だので、増殖させるだけだろう。

シドニーオリンピックの柔道の誤審問題に関して、現在、民主党議員の田村亮子氏は歴史は勝者によって書かれるとか言って、審判への批判は行わなかった。利口な世渡りだろうが、吐き気を感じた。大新聞でも、偉い政治家でも、戦勝国でも、戦勝国側についた第三国でも、戦勝国側についた第三国の弱者でも、ウソはウソだ。



Google Chrome: Hatsune Miku (初音ミク)

2011年12月16日 | 言葉・芸術・デザイン
以前、初音ミクについてぎこちない記事を書いた。

"Google Chrome: Hatsune Miku (初音ミク)"は1分1秒でヴォーカロイドの本質を的確に伝えている。

福島第一原子力発電所事故から何を学ぶか

2011年11月14日 | 時事
東日本大地震(福島第一原子力発電所事故)から8ヶ月がすぎた。4月の初めまでは巨大なカタストロフの可能性をリアルに感じていた。現場の必死の努力によって巨大なカタストロフは回避できたが、3月の爆発による放射能汚染は大きな傷として残ってしまった。我々は、福島第一原子力発電所事故から何を学び、教訓とすべきだろうか?もう原発はこりごりだという反応は心情的には理解できるが、敗戦で戦争放棄というのと似た反応のように思える。反原発デモなど、九条の会系のサヨク老人が元気づいていて、なんだか気持ち悪い。かと言って、なしくずしの原発再開は論外だ。ストレステストといっても、原子力安全委員会だの不安院だののお墨付きは何の安心にもならない。福島第一原子力発電所事故の具体的な検証を行い、それを今後の対策にどう活かすか検討し、これを社会が共有していくことが必要である。

大前氏のグループが10月28日付けで発表した報告はそうした作業をしていると思う。下のサイトから、資料・映像へアクセスすることができる。

福島第一原子力発電所事故から何を学ぶか:資料・映像へのリンク

以下に結論部分の要約を示す。素人の眼から見て、立地選定の問題もある気がするが、全体としては的確な結論のように思える。今後、こうした検証と対策の検討を幅広く行い、それぞれの専門での掘り下げを併せて行い、失敗の総括をし、失敗から学ぶことの失敗は決して繰り返さないようにしなくてはならない。


教訓
最大の教訓は、津波等に対する「想定が甘かった」事ではなく、「どんな事が起きても苛酷事故は起こさない」という「設計思想・指針」が無かった事である――その意味で、福島第一原発の4基の重大事故は、天災ではなく人災である
1.設計思想に誤りがあった(格納容器神話、確率論)
2.設計指針が間違っていた(全交流電源の長期喪失、常用と非常用の識別)
3.炉心溶融から引き起こされる大量の水素及び核分裂生成物の発生・飛散は想定外(水素検知と水素爆発の防止装置)
4.当初の設計にはなかった“偶然”が大事故を防いだケースが複数ある(第一6号機の空冷非常用発電機など)

提言
再発防止のために。そして、原発再稼動の是非を論理的に議論するために
1.監督・監視の責任の明確化(人災であるにも拘わらず未だに誰も責任をとっていない)
2.いくら想定を高くしても、それ以上の事は起こり得る。「いかなる状況に陥っても電源と冷却源(最終ヒートシンク)を確保する」設計思想への転換。それをクリアできない原子炉は再稼働しない
3.同じ仕組みの多重化」ではなく、「原理の異なる多重化」が必須
4.「常用、非常用、超過酷事故用」の3系統の独立した設計・運用システムを構築する
5.事故モード(Accident Management)になった時には、リアルタイムで地元と情報共有し、共同で意思決定できる仕組みの構築
6.事業者・行政も含め、超過酷事故を想定した共用オフサイト装置・施設や自衛隊の出動などを検討する
7.全世界の原子炉の多くも同じ設計思想になっているので、本報告書の内容を共有する

重要な知見
A:電源喪失
外部交流電源は、地震によって大きく破損している(オンサイトの電源確保が鍵となる)。そして、その後の長期にわたる全電源喪失(直流、交流)が致命傷となった
・非常用発電装置が水没
・海側に設置した非常用冷却ポンプとモーターが損傷
・直流電源(バッテリー)が水没
・外部電源取り込み用の電源盤が水没
・これらはいずれも想定を超える巨大津波がもたらした損壊である。しかし、大事故に至った理由は津波に対する想定が甘かったからではない
- より小さな津波でも、海岸に並んだ非常用冷却水取り入れ装置は破壊される
- 水没しない空冷非常用電源が健全であった事などが生死を分けている

B.設計思想
どの様な事象が発生しても、電源と冷却源(及び手段)を確保する設計思想であれば、緊急停止した炉心を「冷やす」手段は講じられ、過酷事故を防げたはずである
・「長期間にわたる全交流電源喪失は考慮する必要はない」という原子力安全委員会の指針に代表される設計思想は、この重要な点を軽視していたと言わざるを得ない。今回の巨大事故につながった直接原因である

C.事故当時の国民へのメッセージは適切であったのか?
・福島第一1号機のメルトダウンは、3月11日当時すでに分かっていたはずであるが、その後一ヶ月が経過しても「メルトダウンは起こっていない」とする発表との乖離は大きい
・国民や国際社会に対する情報開示は適切であったのか、疑問が残る

D.正当・公平に評価されるべき点
・大地震においても、全ての原子炉は正常に緊急停止(スクラム)している。大規模な配管破断も起きていない
・また3月11日当時、最悪の極限的な危険の下で現場対応に当った福島第一の運転チームがマニュアル以上の奮闘をした点も同様

乗数効果を知らなかった菅氏を上回る野田首相のISD条項に関する無知ぶり

2011年11月13日 | 時事
TPPに関する11月11日の参議院予算委員会での議論を聴いて驚いた。乗数効果を知らずに奇妙な発言を繰り返した菅氏の無知ぶりは酷かったが、野田首相の無知はさらに問題で、害はより大きい。菅氏の居直りと逆ギレの醜悪さがなく、低姿勢な態度をとりつつ、しかしまともな説明もなく、重大な決定をしれっとしてしまうだけに、かえってしまつに悪い。ISD条項の問題点をまともに知らず、普通の大学生でも言えそうな一般論しか言えず、まともな応答ができない。もうすこしは勉強しているだろうと思っていたが、想像以上の不勉強と無知だ。そして、それを補うスタッフも政権内にいないのだろう。出鱈目な政権だとは思っていたが、想像外の無知ぶりに愕然とした。こんな無能なトップと政権にまともな判断や交渉は無理だ。

日本にとって自由貿易は大切で、農協に縛られた補助金付けの農業は変えなくてはならない。狂牛病や遺伝子組み換え食品などに関するリスク管理感覚も合理性を欠いていると考えている。ヒステリックなTPP反対には与したくはない。政策決定はトレードオフのなかでの総合判断で、やむをえない決断も必要だ。しかし、真に重要な問題にまともな考慮が払われておらず、政策担当者にその前提となる知識もないありさまを見ると、こんな無知で無能な人間の政治決断とやらに国を託したくはない。

民主党政権は、自主外交には独立国としての力の確保と狡知が必要な事を分からず、鳩山氏の夢想と普天間のデタラメで米国との関係をこじらせ、菅内閣における尖閣へのちぐはぐな対応で中国につけいられ、ルーピー、空き缶が招いた厳しい国際環境のなかで、この泥鰌は米国追従の穴へと逃げ込もうとしているらしい。(鳩山内閣時代からの貿易交渉に関する民主党内閣の失敗の積み重ねが、現在の苦境を生み出した経緯については11月11日の林芳正氏による参議院予算委員会での質疑応答で明らかにされている。)しかし、そういう甘い相手ではない。経済力はあるのでリップサービス程度はするだろうが、無知で無能な政権は徹底的に利用されるだけだ。そして、その被害者は国民である。

小泉氏は郵政問題では、芝居がかっていたとは言え、アジェンダを明確に提示し、ちゃんと国民に信を問うている。民主党政権も自民党政権のときにさんざん言っていた政権のたらい回し批判や直近の国民の意思の重視を、あれこれ言い逃れや誤魔化しをせずに、自らに当てはめるべきだ。そして出来るだけ早く国民の信を問うて欲しい。


佐藤ゆかり質疑(全) この後 どじょう頭は"ドヤ顔"でTPP参加表明(11月11日参議院予算委員会)

《佐藤ゆかり議員》
貿易協定におけるISD条項について説明、
国内法がISD条項によって曲げられる可能性について首相に質問
《野田首相》
国内法で対応できるよう交渉をしていく
(一時中断)
国内法よりも、条約のほうが上位にあり、それに対応しなければいけない現実の中で、どう対応するか考える
《野次》
何を言ってるんだ!
どうやって対応できるんだよ!
条約が上だから対応できないんだよ、国内法では!

《野田首相》
ISDS(ISD条項)は、あまりよく寡聞にして詳しく知らなかった
条約と国内法との上位関係だったら、条約が上
だからこそ、条約を結ぶために(国内法を)殺したり、壊したりはしない
《佐藤ゆかり議員》
既に日本は中身の条約・交渉は手遅れ
(中略)
憲法に記載してあることを首相が即座に答えられなかったことは非常に驚愕
この件を理解せず、TPPへの参加を表明するのは国民軽視

naverまとめ 問題となった内容(要約)

天使はなぜ堕落するのか:人間における悪の起源について

2011年11月04日 | 書評・作品評
「天使はなぜ堕落するのか:中世哲学の興亡」という奇妙なタイトルの本を読んでみた。煩瑣で無用な議論の代名詞とされる中世哲学だが結構面白い。タイトルに関連する心理学的な論点についてごくアバウトにコメントを記す。

中世神学では、世界に存在する行為主体は天使、人間、動物、サタンに四分類されたらしい。天使は純精神的存在、動物は純肉体的存在、人間は精神と肉体の混合である。精神性の根源である神は自分の僕として、純粋な精神的存在としての天使を作ったが、意に反するところがあったので、自分の似姿として人間をつくり、人間に利用させるために動物を作ったということになる。サタンは天使が堕落した存在と考えられた。(最初からサタンがいたのでは、一神教としては都合が悪い。かといって直接サタンを作ってもやはり善の神の名に傷がつくので、意に反してということにしたかったらしい。しかし、そうすると全能の神があやしくなる。どのみち、唯一全能善の神というのは無理筋なので、まあこの辺でという感じ。)問題はなぜ天使が堕落したかだが、二説あるらしい。一説は、天使としての精神的存在に肉体的欲望が混入したため堕落したという肉体的欲望汚染説である。もう一説は、精神的存在としての天使が自らの限界の認識の欠陥により傲慢の罪を犯したという自己認識欠陥傲慢説である。著者の八木氏が指摘するように、中世哲学的に考えれば、純粋な精神的存在に派生的な存在である動物的肉体性が影響するという肉体的欲望汚染説は説得力に欠ける。一方、精神的存在に内在する自己認識の欠陥と傲慢という考えは思弁的により面白いし、キリスト教神学でサタンの最大の罪が神に対抗しようとした傲慢にあるとされているように、説得力もある。

以上の話しはなんとなくゲームの設定みたいだし、まともな進化論の常識(動物から人間、人間が想像した神、天使、サタン)からするとまさしく逆さまのファンタジーの世界だが、人間における悪の起源に関する象徴的な議論としては、なかなか深いところをついているのかもしれない。

「しあわせ仮説――古代の知恵と現代科学の知恵」の4章で、道徳感情研究の専門家であるジョナサン・ハイトは人間における悪の原因の問題についてとりあげ、この人類2000年来の問題を社会心理学者のBaumeisterの"Evil: Inside Human Violence and Cruelty"がついに解いたと言っている。仲間内の評価なので割り引かなければならないが、Happiness Hypotheisの次作のThe Righteous MindはBaumeisterのEvilの結論にそったものなので、重要な貢献として高く評価していることは確かだ。BaumeisterはEvilで家庭内暴力からホロコーストにまでいたる侵犯者の心理を調査した.。Baumeisterが見いだしたのは通常侵犯者は自らを悪いとは思っていないという事実だった。侵犯者は彼らの血なまぐさい行為を防衛的、あるいはやむをえない反応としてとらえていた。侵犯者による自らの行動の理由付けは彼らの極端な独善性をうかびあがらせた。Baumeisterの研究によると貪欲やサディズムは個人的犯罪や歴史的な残虐行為において、比較的少ない役割しか果たしていない。

多くのケースで独善が侵犯行為の主要な原因であるとの主張は常識に反するが、十分な証拠に裏付けられている。貪欲やサディズムは侵犯行為の補助的な要因、少ないケースでの主要な要因という位置づけになるだろう。Baumeisterの言う独善は、常に自分が正当で対立する相手は不当であるとの倫理的独善と常に自分の見方が客観的でこれと対立する相手の見方は偏って歪んでいるという認識論的独善(素朴リアリズム)の両者を含んでいる。これが集団間の対立に拡張されると、我々対彼らにおける集団的独善になる。Baumeisterの言う独善は、過去多くの虐殺や残虐行為を生んできた不寛容複合(倫理的独善・認識論的独善・集団的独善)のコアを形成すると言えるだろう。貪欲やサディズムも重要な役割を果たすが、虐殺や残虐行為の素地を形成するのはより幅広く分布する独善をコアとする不寛容複合であり、種となるのが貪欲やサディズムだろう。サディズムを楽しむ人もいるが数パーセント程度である(『戦争における「人殺し」の心理学』参照)。貪欲は程度問題だが、集団的独善の助けなしに侵犯行為に至るのはやはり少数である。しかし、善良な人でも、侵犯行為とは無関係だとしても、なんらかの独善は避けがたい。

天使の堕落に話しをもどすと、貪欲やサディズムが肉体的欲望汚染説、独善が自己認識欠陥傲慢説に相当する。中世哲学における思弁的理論と現代心理学における実証的研究の結果が対応している点が面白い。

しかし、人間の独善と思い上がりはどこからくるのだろうか?中世哲学では自己認識の欠陥を言っている。これは基本的な論点である。原理的に言って、自分が知らない事については、何を知らないのかどの程度なのか具体的に知ることは不可能である。この無知についての無知、メタ無知は、無知の領域がゼロである全知の神以外は逃れ得ない。従って、純粋な精神的存在である天使もメタ無知からは逃れられない。自分が知っている領域や観点を過大に評価し思い上がる可能性がつねにある。人間もこれを避けることはできない。できるのは、失敗や無知を認め、謙虚さを学ぶことだけである。そして、もはやそれが神でないにしても、より大きな存在を意識した畏敬や謙虚さについて我々が中世の哲学から学ぶことは色々ありそうだ。

梅棹忠夫の遺産と宿題

2011年10月17日 | 思想・社会
もう半年前の事になるが民族学博物館のウメサオタダオ展へ行ってきた。二階建ての円形の特設展示場に梅棹の研究者としての生涯を回覧する感じの展示だったが、写真や本だけでなくカードやスケッチなども配置して、なんとなく仕事場の雰囲気を感じさせているのが良かった。常設展にもひさしぶりにいってみたが、オセアニアや中南米、アフリカなどの展示が、より最近の実際の生活を反映させたものが入るなど変わっていた。また言語はマルチメディア展示がずいぶん充実していて、それぞれ見ていたら何時間もかかりそうだった。館内の表示がアラビア語から始まっていて、漢字が簡体字と繁体字の両方があるのも、良い感じだった。ウメサオタダオ展ではインド系やヨーロッパ系の研究者とおぼしき人がなにやら熱心に話しをしていたり、常設展では学生達がスケッチしたりコーナーで勉強していたりしていて、民族学博物館が開かれた知の交流の拠点となっていることを示していると思った。

梅棹の残した仕事は多岐にわたるが、今後の課題ということを考えると、東洋・西洋の対比の固定観念の打破、日本語の文字表記と文明の問題の指摘、社会科学における野外科学的アプローチの導入の三つが特に重要だと思う。博情館としての民俗学博物館の設立や知的生産の技術などは、川喜多二郎によるKJ法と同じく、京都大学学派における社会科学への野外科学的アプローチの導入がもたらしたものだ。(四書五経)蛮書取り締まりを起源とし新意匠の輸入思想の宣伝を任とする社会科学者や奇怪な日本語を駆使する正当化の徒である法学者などのなかですてきな解毒剤だが、日本の社会科学では、いまだに思想宣伝と正当化が幅をきかせているようだ。モデル構築や仮説検証は経済学など一部の分野では行われているが、より広い範囲に適用できる野外科学的なセンスにもとづく帰納的アプローチの普及がもっと必要だ。梅棹が指摘した日本語表記とコンピュータの問題は、かな漢字変換で解決されたように思われているが、膨大な名字の異字体、名前の漢字と読みの出鱈目な対応など、文字フェチシズムと合理性の無視により、合理的な日本語情報処理が阻害されている。名前と日本語表記日本語表記と思考に関しては以前の記事ですこし書いたが、判子フェチシズムも含めて、日本の事務部門の効率の低さの原因のひとつは、文字や判子に対するフェチシズムと合理性の無視にあると思う。梅棹は文明の生態史観で西洋と東洋という固定観念をくずした。西洋からの他者に対する無知なラベルにすぎないのに、いまだにアジアはなどとひとくくりにされることが多い。20世紀の日本が生んだ希有の人類学者梅棹の残した遺産は、後に続く我々に課された宿題でもある。

燃えよカンフー(Kung Fu)

2011年10月15日 | 書評・作品評
燃えよカンフーは、大学生時代にテレビで見て、10年ほど前には深夜放送で見た。夏休みに、友人と昔見たテレビの話しをして懐かしくなってDVDを探した。日本語版はシーズン1と2が出ていたが合計で3万円近くするので、英語版をAmazonで購入した。シーズン1,2,3、郵送料を含めて5千円ですんだ。

これにかぎらず、日本のソフトは高すぎるのが多い。値段を抑えて違法コピーをきっちり取り締まった方が良いと思う。「ジャパナメリカ 日本発ポップカルチャー革命」 という本で、日本のアニメメーカーのサイトの貧弱さが指摘されていた。著者のケルツ氏は日本のアニメの多様性、質の高さ、素直な感性(見落とされがちだが、この指摘は重要だと思う)に愛着を持っていて、アニメ会社などの上層部の無能に怒っている。内部の人間関係と法律的な事務能力で上層部を占めるようになった人々だ。最近、ある市役所が行った、ITの利用に関するヒアリングで妙な経験をした。打ち合わせをメールでして全てが済んだあとで、書類を渡したいと言われた。受け取って驚いた、すでにメールで添付され、日付もすぎた依頼文書を印刷し、役所の判子をおしたものだった。問題がITの利用に関するヒアリングなので、ブラックジョークのような気がした。しかしこういうことは、内部の人間関係と法律的な事務能力で上層部を占めるようになった人々には重要なのだろう。流通などの自由な競争のある分野は良いが、役所や規制に守られた放送業界、メディアなどの業界はダメだ。ITを使える人はいても、それを活用できない無能な上層部の硬直性が、日本の組織の活力を削いでいると思う。

燃えよカンフーに話しをもどすと、英語は易しく(言い争いのシーンなどは早口で聴き取りにくいが、全体はゆっくりしている)字幕(英語・スペイン語・フランス語)もあるので、懐かしくたっぷり楽しめた。アメリカ人の父と中国人に母の間に生まれ、父母を失い、少林寺で仏教とカンフーの修行をしたケインが主人公である。ケインは、師匠を守るために皇帝の甥を殺害してしまい、清朝から賞金付きのおたずねものとなり、中国を逃れアメリカの西部に渡る。アメリカではまだ会ったことのない兄を捜し求めて、時に賞金稼ぎに追われながら、旅をするという話しである。西部でケインが遭遇する出来事と、少林寺での師匠との仏教的な対話の回想シーンを交互にまじえながら話しが進む。

ドラマでは、開拓時代の荒々しい西部で暴力や差別、貪欲などの種々の困難な状況に直面するケインがあくまで仏教徒としての忍辱、慈悲、自戒、禅定に従って行動していくさまが描かれる。もちろん、ケインはカンフーの達人で、荒くれや悪党を素手でやっつけて、人々を救い、また旅にでるという約束事の娯楽作品ではある。しかし、格闘場面はほんのわずかで、シーズン1,2では格闘もぎこちない。水戸黄門的な安心感と爽快感はあるが、ドラマの焦点は、荒々しい西部での暴力や差別、貪欲などと仏教的精神性の対峙にあり、スピリチュアル西部劇、あるいは、仏教的西部劇といった珍しい作品になっている。シーズン1,2では、ネーティブ・アメリカンが出て来る回ジョディ・フォスターが子役として出る回、等々、ケインと非仏教徒の登場人物の精神が共鳴した素晴らしい回が沢山ある。シーズン3は、格闘場面はだいぶうまくなっているが、東洋的神秘性やメロドラマ的趣向が前面に出てきて、シーズン1,2のシンプルな良さはなくなっている。シーズン1,2では、オープニングとエイディングでケインが西部を1人歩く姿がテーマ曲とともに流される。この映像と音楽は作品のエンブレムのように思える(シーズン3のエンディングは、少林寺の焼きごてのあまりぞっとしないシーンに替わっているが)。これを見ていると、原始仏典にある「犀の角のようにただ一人歩め」という言葉が浮かんでくる。下に一部を抜粋する。

四方の何処にでもおもむき、害心あることなく、何でも得たもので満足し、
もろもろの苦難に耐えて、恐れることなく、犀の角のようにただ一人歩め。

実に欲望は色とりどりで甘美であり、心に楽しく、種々のかたちで心をかく乱する。
欲望の対象にはこの憂いのあることを見て、犀の角のようにただ一人歩め。

             (「ブッダの言葉:スッパニータ」中村元 岩波文庫)

Loach watching終了のお知らせ

2011年10月15日 |  Loach watching
無事第一の低姿勢どじょう宰相は、ルーピーや空き缶、汚沢、そしてその仲間達ほどの人外魔境ではないようだが、背骨がないようだ。どじょう(loach)ではなく、ナメクジ、あるいは、バラマキによる世代格差と公務員優遇をそのままに、民間からの増税だけをはかるヒルというところだろうか。ということで、自称どじょうであっても、実態はナメクジかヒルなのでLoach watchingは終了する。新しい名称をどうするかは、今後の展開を見て決めることにしたい。

いずれにせよ、人外魔境がうごめくなかのナメクジorヒルについて言えるのは、マニフェスト詐欺でとった政権に見苦しくしがみつくのはやめて、民意を問うてほしいということだけだ。そして、大多数の有権者が詐欺マニフェストとマスコミのあおりにのせられ、結果として国の外交、経済、財政に大きなダメージを与えた事を反省し、時代遅れのサヨク思想に汚染された無能で言い訳と誤魔化しだけの面々を、とっとと退場させる良識を示すことを望みたい。