選挙に向けてはたまたメデイアがかまびすしい。特に大阪のH市長を巡っては新聞が割く紙面の量が半端ではない。
かつての小泉氏のようだ。
結局、この行き詰まりの様相をこじ開けるなにかを求めているのか、もっと深読みしなければならないのか、
と思っているところに、次のようなメ-ルが送られてきました。
(メディアは
橋下徹大阪市長の人気をしきりに報道していますが、知人が映画監督の想田和弘さんのブログの「同世代のノンポリ・モンスター、橋下徹について」というコメントを教えてくれました。興味深い分析なのでご参考に転送します。なお、このブログのツイートに、イタリアの著名な哲学者・作家のウンベルト・エーコの『永遠のファシズム』(岩波書店)にあるイタリア・ファシズム分析が橋下政治に適合するという指摘がありました。同書の要約はこのブログ → http://d.hatena.ne.jp/dokusha/20061122/ にありますが、私は同書をまだ読んでいませんので、この指摘の当否は判断できません。関心のある方は、同書をお読みください。)
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想田和弘
「同世代のノンポリ・モンスター、橋下徹について」
Posted by Kazuhiro SODA at 8/30/2012
参議院廃止、議員定数半減、首相公選制…。自分が日本を独裁するための制度を具体的に提案してきた人間は、たぶん橋下くんが初めてでしょう。それはあまりに突拍子もない、普通はあり得ない野望だし、本人はタレント出身だと軽く見られてるから、日本国民の大半が無防備だという皮肉。
まあ、普通は「そんなバカな。考え過ぎです」という反応なのでしょう。「橋下みたいな劇薬を使いこなせないと」っていう人も多いようです。でも劇薬飲んでるうちに死んでしまいかねないですよ。劇薬なんか使わずに、自然療法でゆっくり治していけばいいじゃないですか。僕の言うことが杞憂ならいいんですが。
でも、日本に一時帰国して約1か月。マスコミの論調を眺めていると、橋下政権を誕生させようというのが規定路線のように見えます。ファシズム政権が誕生する過程というのは、こういうもんなんだなあと、絵巻物のごとく眺めている自分がいます。
橋下の強みは、たぶんみんなから低能に見られていることにあるんですね。タレント出身の政治家に何ができるっていう蔑視が、有権者の中にも、プロの政治家の間にも、どこかある。だから彼が権力を握ることを警戒しない。むしろ橋下を利用してやろうというスケベ心を出す。これが最大の落とし穴です。
橋下は僕より1つ上。1969年生まれ。同世代です。だからよく分かるんですよ、彼のああいう、政治思想の真空状態で育った感じは。政治の歴史の積み重ねなんて興味ゼロ。もともと恐ろしいくらいノンポリ=荒々しい主流の価値観を無自覚に吸収した人間だと思います。同世代が生んだモンスターですね。
で、僕らの世代くらいはノンポリが非常に多いんです。先の戦争は実感として遠い昔の話だし、生まれたときには学生運動も終わってる。安定的経済成長の中、主流の価値観から脱落せずにせっせと立身出世すれば明るい未来が待っているものだと誤解して育った世代です。橋下くんはその典型に思えます。
ノンポリ=政治的でない、と誤解されがちですけど、ノンポリであることは主流の価値観を肯定してるわけですから、極めて政治的なんです。ただそれに無自覚なんですね。原発が乱立しようが公害で海や川が汚れようが、自分は困らないので全然オーケー。それがノンポリであり橋下です。
でも、大人として成熟していく過程で、いろんな体験をしたり人に出会ったりして価値観にも修正を加え自らの政治性にも自覚的になっていく人もいるんです。僕もそうでしたし、今でも現在進行形です。でも、橋下クンにはそういう形跡がみられない。ノンポリのまま政治家になっちゃたんですね。
橋下が無節操に、自分に得があるならどことでも組もうとするのは、ノンポリだからでしょう。そしてノンポリであることが既成の政治にノーを突き付けることだと、本人も有権者も誤解している。でもそれは子供に政権とらせてみようっていうのと同義です。
自らの政治性に無自覚という意味での橋下的ノンポリの困った点は、自分の価値観や政治性を相対化できていない点です。社会の主流の政治的立場を無批判に吸収して育っただけなので、それになじまない人間が世の中にいることが理解できません。だからこそ独善的で不寛容で非論理的になります。
橋下がノンポリなら、なぜ君が代や日の丸を強制するんだという疑問があるかもしれません。でも、彼が右翼思想に基づいて強制しているとは思えません。あれはたぶん「えー、国歌は斉唱するもんでしょ」というノンポリ的な常識論で「なんとなく強制」しているのです。しかも踏み絵としては丁度いいので。
ノンポリ的な常識論の厄介さは、自分が政治的な立場を他人に強制しているという自覚すらない点です。「だって当たり前でしょ」「逆になんで歌わないの?」で済ませてしまうので、議論にもなりません。自らの政治性に無自覚なので、他者に守るべき政治的・思想的立場があることすら想像できません。
橋下くんが「君が代問題は思想良心の自由の問題ではない」と言うのは、たぶん本心なんだと思います。彼にとってはどうでもいい問題なんで、不起立にこだわる気持ちも分からないんだと思います。でも同時に「上司の命令なのに立たないのはおかしい」っていう常識論は振りかざす。ノンポリだから。