立山のおじさん

北アルプス 立山山麓物語

今年も姿を見せる立山の雪形「カモシカ」さん。

2024年05月16日 | Weblog
立山・室堂平へ行かないと見れないカモシカさんが姿を現す。
 立山黒部貫光KKライブカメラより。(令和6年5月13日現在)

  昭和56年5月に雪形を見付ける。
 当時、幾度か通いながら一人で楽しんだカモシカの雪形。後日、友達に雪形での山の楽しみ方を知らせたものだ。
多くの人々が訪れているのだが雪形については余り知られていない。
立山アルペンルートの宣伝に「雄山山頂中腹のカモシカ」さんも加えれば楽しみも増えると思う。


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懐かしい昭和43年~45年・第3回立山スラローム大会(ルフトハンザ主催)

2024年04月25日 | Weblog
雨の日は、老いたる時間に誘われて写真のネガを整理している。そんな中に見付けたネガに、昭和43年から45年に立山で全日本選抜スラローム大会が開催された時のものがあった。
立山・ライチョウ沢での開催については、国立公園内であり、富山営林署の管理ないであり厳しい中での開催であった。日本で、標高2500mの高地での開催は初めてであり、ルフトハンザ航空さんの肝いりで開催に扱ぎ付けた。

 後ろには、第3回立山ルフトハンザ全日本選抜スラローム大会とある。
 旗の前で記念写真を写す。これが世界のトップ選手の服装と長いスキー。
 
 当時、自衛隊さんも役員として応援に駆けつけているのか判る。
 サインを戴く知人。彼は、このヤッケを持っているだろうか?
カール・シュランツさんやドイツ選手がこの雷鳥沢で滑ってくれた。
あれから54年、写真の整理をしなかったら私の記憶の片隅で「そんなことがあったな・・」で終わっていたと思える。当時、29才頃でありスキーの楽しい時期だった。
 金具は、マーカーで靴は金具付きであるが長い皮ひもで靴を縛っている。
どれを見ても懐かしいものばかりである。計測も時計の大きいものと無線だった気がするが記憶は定かでない。
今回、ネガも、色がさめているが我慢しながら載せて見ました。当時を知る方が御出ででしたら立山の雪山を想い出して戴ければ幸いです。










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雪解けの、うれ往来・水須へ

2024年04月16日 | Weblog
 晴天が続き、山行きで気持ちが落ち着く。ルンルン気分で車を走らせて行くが道の縁には小石がところどころ見掛けるが危ない所はないのでスムーズに進める。途中出会った人に聞くと奇麗に道は行けると聞く。両側の山々やは新緑が芽生え始めている。水須に新しく出来た林道入口に車を停めて林道に入る。

まだ、誰も来ていないので出来たばかりの林道を進む。道には、杉の枯れ枝が落ちているので拾いながら進む。20回位の曲りを進むが林道の両側が伐採されているので見透視も良く、安心して進める。
杉林を間伐されている所に深い穴があった。良く見ると炭焼きをした窯の跡と判る。横には広場があり寝泊まりした小屋の跡と判る。昔の人達はここ迄来て墨を焼き、担いで里迄降ろした苦労が偲ばれる。

東側には、水須山へ続く谷が杉林の中から姿を見せてくれる。

       

 炭焼きの跡から右側へ約10m進むと、林道の終点に着く。手前には、深い薬研堀の様な溝か゛現れる。「もしや・・・」と、思うが半信半疑なり。今まで「ウレ往来・鎌倉街道」とされている「水須から水須山」への道に新しい道跡があるのか・・・。と、一瞬疑う。この付近は標高850m位と思われる。
この付近の尾根筋は、900m位なので約50m登れば尾根筋に着くと思われた。 今回は、時間もない中をごご3.00より、天気に誘われて出たので肝心のGPSを持参しなかったのが悔やまれる。次回の楽しみにしたい。
       


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雪解けの、うれ往来・鎌倉街道偵察へ

2024年04月02日 | Weblog
3月中旬の大雪もヤット溶け出し、我が家の周囲も春の訪れが始まる。
  土が多く目に映る粟巣野スキー場。

里での仕事を済ませ「ウレ往来・鎌倉街道」の小口川にある水須へ向かう。
道は、雪解けも進み順調に車を走らせる。
水須近くの道路には雪も残り車の輪達が付いている。
ここ迄来ると橋の上からは40cmの雪が残っていて行けない。水須迄は約500m位あるので諦めて引き返す。来週は先へ行けるか知れない。。

途中から見る水須山の山並みが続く。雪が多くあるのが見える。
左側より二番目の山の下にある谷が深く行先を阻み、昨年は雨が続き敗退した。
今年は、是非、谷を通過して尾根筋に辿りたいと願うのだが、私には残された体力を上手く配分出来るか気になる。昨年、林道工事が標高850m迄出来たので其処より尾根筋を辿った方が雪もあるので歩き易いのかも知れない。





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立山・弥陀ヶ原ー大日平間にあった「吊り橋」の復元協力の話。

2024年03月22日 | Weblog
 元々あった「吊り橋」(昭和44年迄現存した)を復元する話は、前に聞いていたが、今回、知人から再度詳しい内容計画を聞く機会を戴きました。国立公園の特別地域内であり、環境庁の管轄内の厳しい調査が想定されるという。
 登山者の一人としては、称名峡谷を上から眺められる絶好の吊り橋と言えるので是非、復元できる事を願いたい。今回その資料を戴いたので啓蒙したい。

 GoogleEarthより、大日平ー弥陀ヶ原を流れる称名川峡谷。

昭和44年頃にあった「吊り橋」には多くの登山者が行き来していた様子が記載されている。
 


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時は流れる呉羽山。

2024年02月27日 | Weblog
近くに居ながら、十数年振りに呉羽山の展望台に行く。
曇天だが、立山を仰ぐには最高の展望が効く。ヤッパリ来て良かった。
新幹線が目の前を走っている。よく見る光景に誘われて一枚写す。
AМ10.30ころだった。富山駅や神通川を越えて来る新幹線は初めて見る。

新幹線の全体像を、上から見るのはこの場所と判る。新幹線マニアには最高の場所であり、富山駅出発時刻を表示する看板も観光戦略の一つと思えた。
もう少し、自然を保った景観でこのところを広くすれば良いのではと気に掛かる。

多くの旅人を乗せて走る新幹線を眺める。3月からは福井迄というが、早く大阪迄開通することを願う市民なり。
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早い梅の花満開

2024年02月21日 | Weblog
里の梅は満開となる。6月頃には大きい梅の実がなることを願い花びらを眺める。


雪溶けも終わり、春の装いになれば庭の手入れが始まる。
隠居の身も体を動かす日々となる。


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冨山に春一番が吹く。

2024年02月15日 | Weblog
先日からの晴天と朝から気温が揚がり、風も強く吹く。里の庭の花も咲き出す。春一番と言う。
大きく実を付ける梅も新芽が吹き出す。明日にはハナビラが開くね。
梅のハナビラも一部開き気味となる。
池の横にある椿から、ハナビラが池の湖面に漂う。
畑の周りに植えた越前水仙が満開になる。

越前水仙も例年通リ春の訪れを告げている。

つわぶきの花も満開になり飛散寸前なり。


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恋の立山

2024年02月13日 | Weblog
連休も終わり、今日は気温が17度まで上がるという。風も吹き始めて立山の尾根筋では雪煙が舞っているのが見える。いよいよ、春の足音が聞こえている日となった。
剣岳、大日岳、立山、鍬崎山、手前に弥陀ヶ原が見える。右側には尖山。

此処からは立山連峰全体が目に入る好きな場所である。

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全国高校スキー大会が始まる。

2024年02月09日 | Weblog
地元での大会であり、少しの合間に見に行く。
選手達の元気な姿を拝見する。
あの時を思い出し、ジャンプ台を眺める。「立山シャンツエ」は健在だった。
二〇〇〇年富山国体、南砺国体でも選手達の活躍を支えたジャンプ台に立ち止まって見る。開場には応援の観客の姿があり嬉しい。
多くの競技役員、監督、父兄が見守る中を選手達が滑って来る。斜面にスキー板が着地するパターという音が会場に響く。
 富山の地で、日頃の成果を発揮している子供達の姿を見に、知り合いの方々が子供達の応援に来ている。
「頑張れ・・」と、声援が飛ぶ。


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