。。課題いっぱい。。

情報通信文化論課題提出用ブログ

最終課題

2005-07-07 03:16:09 | Weblog
学籍番号70546983
ログイン名t05698rn

メディアの使い分け。

メディアといわれてもぴんと来ないのが現状ですが、情報通信文化論なのできっとパソコンなど情報をやり取りするものだと考えた。

そうなってくるとパソコン、携帯、新聞、ラジオ、テレビなどが浮かんできた。

メディアの使い分けというところに焦点を当てると、それぞれに情報の特徴の違いが出ていることがわかる。

パソコンはかなりマルチにテレビの代わりや新聞、ラジオの代わりを果たしている。しかし情報としてはうわべだけの情報が多いように思った。ニュースなどで公開されているのはメイントピックだけ情報数が少なく、それ以外は信憑性が低くなることからうわべだけの情報とした。

携帯。携帯はもっとも身近であるが端末が小さいため情報を得るのが大変だ。また、一度に見れる文字数も少ないし情報を携帯で探すということは明確な目的(地震があったので情報を見る、地図や路線を検索する等)以外情報を得る機会は少ないと考えた。携帯はたとえれば前菜のようなものですぐさま調べたい必要な情報だけをちょびっと得ることが出来る。

新聞は情報量も多くある程度信用できるものが多い。しかし、自分に関係するトピックを探すのが大変で全て読むのもなかなか難しいまた、印刷されたものであるため情報の新鮮さに欠ける。新聞はブッフェのようなもので自分の好きなものを好きなだけつまむ。というカンジになると思っている。

ラジオ、テレビは番組の都合上、ニュースをはずすことはできないがもっと時間をとることもできないという状況なのでニュースのトピック速報のみで情報量としては少ないと思う。また形に残らない一過性のものなのでテロップニュースとなんら変わりない。

これらの使い訳だが、やはり自分の目的、利便を考えて使いわけていると考えるのが妥当だ。
また情報を調べたいと思ったときに持っているもの、状況も判断の基準となる。
どうしても知りたい情報があっても携帯しかもっていなかったら携帯で調べるだろうし、一度に沢山の情報を知りたいときは新聞(パソコン、テレビ、ラジオ)で見る。今入ったばっかりの情報が見たければラジオ、パソコン、テレビ。私達はごく当然にこのような作業をしている。

ユビキタスとは?

2005-06-23 23:49:51 | Weblog
学籍番号70546983
ログイン名t05698rn

ユビキタスとは目に見えないほど小さなコンピューターが点在し、人間が意識せずに使えることというものが定義らしい。
この学校にいたらユビキタスという単語はいやというほど聞くと思うがまだ実例にあっていない。
もしくはあっていても意識せずにコンピュータが認識、実行しているため

課題

2005-06-22 16:49:24 | Weblog
t05698rn

今家です。
ベットが近くにあります。画像のアップは散らかってるので辞めときます。
ネットの出来る環境が家か学校しかないので家からにしました。

課題2

2005-06-21 15:31:26 | Weblog
教室は必要なくなり、きちんと授業を受けているかだけわかるようなシステムになると思う。
授業も一週間に一回決まった時間までに更新していくようにすれば生徒も教員も休講や欠席が酸くなると思う。

課題ブログPART2

2005-06-09 11:20:11 | Weblog
学籍番号:70444163 ログイン名:t04416asさんのブログを読んで。

http://blog.goo.ne.jp/keroyuki_2005/e/644374ae89870f8c688ad44a1b5c4644

t04416asさんの話はコミュニケーションツールというよりも日記としてのブログに焦点を当てて書いている。

中で面白いとおもった点は「今の単調な文字が並ぶブログに、主張したい箇所だけバーンと自分で書いた文字を入れるくらいなら独自性が出て楽しいかもしれないし、読み手もメリハリを感じて楽しく読めると思う。」という点と距離感に対する考えだ。

ブログには絵文字や色、フォントを変える機能の付いているものもある。
その点はどう思うのかが聞きたいと思ったのがひとつ。

ブログの筆者と読者の距離が覗きのようなものだとしている。
日常が覗けるということで楽しく思うことは確かにある。大体の人が匿名なのは自分だと知られたくない(知らせる必要性がない)と思っている。ただ記録のために書いているんだったら覗きで十分な距離なのだろう。とおもった。

ブログについて

2005-06-06 14:09:50 | Weblog
学籍番号  70546983
ログイン名 t05698rn


ブログでのコミュニケーションとは?
ブログは大体の人が日記を書き、公開することで意見集めや仲間集めをしていると思う。

ブログってものを使ったことがないので面白さもなにもわからないですが、ブログの役割が日記だとしたら自分の今日あったことを送ると返事が来る親子の手紙のようなコミュニケーションだと思う。

課題

2005-06-02 11:15:21 | Weblog
学籍番号7054698
ログイン名t05698rn

文字コミュニケーションについて

文字でコミュニケートすることといえば、メールや手紙チャットであると思った。
メールは携帯電話とPCメールを分けて考えようと思う。その理由は用途の違いだ。

☆携帯電話は個人に密着しているので携帯のメールでは個人的な内容が主でどちらかといえば内容のあまりないものが主だと思う。
どちらかと言うとチャットに近い感覚がある。

☆PCでは公的なものを主に取り扱うことが多い。会社同士のやり取りなどもPCで行うことから考える。家庭でも同じような使い方をするのではないか。広告や迷惑メールもPCならばいいと思うことがある。(それについては携帯は画面が小さくて文字数も少ない上個人に密着しているので迷惑度合いが大きいのが原因だと推測した。)

☆手紙は手書きであることも、郵送するときも手がかかるので感動するとよく言う。
実際手紙がくるのを待つのはドキドキしてうれしいものだ。
また手紙は季節に合わせて書くことが多いのでその時々の季節が盛り上がる。
手紙は書くのがめんどくさいので親しい人にしかかかないと思う。
また住所を知ってることも現代では親しさのバロメーターになると思う。

なにが言いたいのか?
文字とは形で残り、表現しだいで用途も変えられるもので、コミュニケーションの中で一番豊かなものだと思う。

遅くなりました。

2005-05-31 15:07:20 | Weblog
絵文字メールは画像を用いたコミュニケーションであると思う。また、動画や画像などをお祝いの時にするのだから画像もコミュニケーションの一部であると思う。

文字だけのメールではつまらなく硬いものになるわけで、絵文字、顔文字など視覚的な要素が含まれることで感情や親しさが付加される。

絵文字や顔文字を画像コミュニケーションというのであれば賛成したい。

しかしテレビ電話では少し考えてしまう。これからそれについて語る。

まず顔を見る必要がある場合から考えてみた。顔を見ることが必要な(見てしまうことも含む)というのは会って話す、大事な商談などがあげられると思う。

では世間話をするのに顔が必要かといえばそうではないと思う。世間話では必要がないと思う。
世間話で必要なのであればチャットは必要でない。
離れた場所だからチャットをするということしかないのか?と考えるとそうではないように思う。なぜならば話をしたくて集まった人だと思うからだ。

よって、特別な理由(好きな人の顔が見たい、感情を読みながら話さなければならないなど)がなければテレビ電話の必要はないと思う。

画像アップ

2005-05-26 14:05:21 | Weblog
できるかな?

電話について

2005-05-17 11:38:30 | Weblog
t05698rn
70546983

私の電話の使いかた。
小さいころ(小学校):小さいころは親に連絡するだけのツールだった。帰りの途中で何度も電話したり電話するということがポイントだったように思う。確かにわからないことをおやに聞いたりもしたが小さなころの電話はあまり意味のないもので友達との長電話も明日会えるにもかかわらず電話していたのは長電話や電話をすることで大人になった気分だったと思う。このころ携帯電話などなく、公衆電話を探し、電話やポケベルで連絡していた。

中学に入ってから:携帯を持つ前では小さいころとなんら変わりのない生活だったと思う。しかし変わったのは親の携帯電話で友達と話し、遊びの約束をしたりと意味が生まれてきたことかと思う。携帯を持つまでは固定電話か親の携帯電話だった。

固定電話、携帯電話とはやはりその人にどれだけつながるかだと思う。うちのおばぁちゃんは外出しないのでおばぁちゃんと話がしたいならおばぁちゃんのうちに電話しなければいけない。うちの母はうちにいることが少ないので携帯に電話しなければいけない。

また固定電話で時間を選ばずに長電話するとほかの家族が使えないので避けるべきだ。でも携帯電話だと料金が高い。携帯電話が普及し、携帯電話の波に流されつつあるが固定電話がなくならないのは有線であることで安定してクオリティの高い通信(電話が通じないと使えないということもない。おそらくでしかないが傍受もしにくいのでは?)と時と場合というマナーと人に合わせることがまだ存在するからだと思う。