Refine-Debate.blog

自分のディベート歴や今を定期的に綴っております。

日記移転の予感

2006-01-26 21:48:27 | ディベート全般
http://mixi.jp/show_friend.pl?id=2800760
寮の友人にミクシィを勧められました。なかなか使えそうだったので、このブログはこのまま更新を凍結し、新たにこのURLのむこうで日記なりなんなりを更新していきたいと思います。
多分忙しいんだろうけれど、多分、去年以上にはかけると思いますので。
ありがとうございました。

年賀状に思う06年

2006-01-07 20:54:08 | ディベート全般
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060107-00000041-jij-pol

年賀状が遅出し傾向になっているとか。
今日も10通くらい書いて投函。

みんな大学に入って年賀状書かなくなったようです。悲しいねぇ

あと、住所のわからない人には何らかの対応をしよう・・・。


年賀・・・

2006-01-04 10:03:55 | ディベート全般
昨年も似たようなことを書いた気がしますが・・・

今年の年賀状は1月3日現在、同期からは3通です。

3通!?

何かおかしいんじゃないのか?
T津組の皆さん書いてください…雄弁会の皆さん書いてください・・・
高3のクラスの皆さん、1通も着てないので、書いてください・・・


PC強化

2006-01-03 15:39:21 | ディベート全般
外付けHDD300GBと、メモリ512MBを購入。早い早い。これだけ快適だと本当に楽だ。
一昨日から探しているが、年賀状はどこにも売ってない…。
こうなったら50円切手を貼って出すしかないな。
いいかげんにしないと送ってきて下さった方々に失礼だ…

新春

2006-01-02 12:42:52 | ディベート全般
06年が始まり、ようやくまとまった時間もとれたので、勉強と読書を始めたい。
しかしその前に、年賀状を書く。
今から書き始めるのもどうかと思うのだが、メールではやはり残らない。
一人ひとりに直筆のメッセージを書き、なんとか投函したい。

優先順位は、先生方⇒後輩⇒先輩⇒同輩 になる。

さらば、大神奈川の天地よ

2005-09-01 15:39:29 | お知らせ
今日は荷造りをしています。

明日から再び、八王子の寮に戻り、勉学に打ち込みます。
夏休みは満足行く勉強はできなかったので、後期開始までになんとかやり遂げたいです。

ということで、またの更新は冬以降になるかと思います。

勝利の価値とは何か

2005-08-30 23:18:08 | ディベート全般
戦いにおいて「第一位」は、あまたあるチーム、または個人の中でも1つしか与えられない称号である。

さて、どうして勝利(優勝)を目指すのか?
ここをしっかり考えていかねばならない。
ただ勝てば楽しいという、短絡的な理由だけで勝負に臨むのではなく、「何のために僕たちは勝ちたいのか」という、勝利(優勝)が持つその重さ、その価値について、勝負事に臨む人間は考えていくべきだと思う。そうすることで、自分が取り組もうとしている物事に一歩でも二歩でも造詣が深くなっていくに違いない。

その問いはおそらく「何のために私はこれをしているのか」という自己との対話に発展すると思う。そして、納得いく理由を見つけられたとき、自分とそれは切り離せないものになるだろう。

一時の結果に一喜一憂し、本質的なことに目を奪われてはならない。
自分のチームがどんなに弱小であろうと、王者のごとき、可能性への挑戦、熱き「何のため」の精神がある限り、そのチームは伸びてゆくだろう。
逆に、周りからの風評に流され、自分たちが最強であるとたかをくくっているようでは、勝者の責任はまっとうできないだろう。

植物も根から腐っていくという。
組織内部からの魔の動きは、断じて断ち切っていかねばならない。

安楽死試合の判定

2005-08-30 00:29:40 | ディベート全般
先日の日記に紹介した、安楽死の試合の判定について。

まず、デメリットの評価については、発生過程の1「社会圧力」について、相手の反駁によって「P後家族たちの行動は何ら変わるものではなく、自分で勝手に安楽死したほうがいいと考えるようになってしまう」というイメージになった。だが、肯定側の反駁は、発生の段階を切るまでには至っていないと判断し、この発生過程からのデメリットは発生するとした。

発生過程の2「医師からの圧力」は、医者が末期の患者に対して「そうですね、安楽死という方法もありますが…」と、治療法としての安楽死が提示されることで、患者が悶々とするという話だ。ここには肯定側第一反駁が「インフォームドコンセントにより、患者は安楽死も含めたさまざまな治療法があることを提供される。よって、医者が圧力をかけようとしたり、安楽死のみを紹介することはない」という主張を展開。この反駁に対して否定側から効果的な反駁はなかったのではないかとし、発生過程の2はほぼ発生しないという印象を受けた。
ここは、同じグループのジャッジのほぼ全員が共通していたところだった。

次にメリット「苦痛からの解放」の評価だ。ここはジャッジの中でどう取るかが大きく割れるところとなった。
この試合は特にスピーチの早さが並ではなかったので、早くて議論を全て理解できなくても仕方ない部分があったように思う。
僕は、否定側から出された「WHO方式は現状でもがんセンターや大学病院の80%で使用できる」というカードを重く取り、「現状でも苦痛は95%取り除ける」のであれば、現状で安楽死を要望するほどの苦痛に苛まれている人はほとんどいないのではないかと考え、それよりは社会不安を与えるデメリットのほうが危険ではないかと思って投票した。
 接戦だけあって、議論もヒートしていた。お互いが戦略的に議論を組み、どこで自分たちが勝っているのかを主張しやすい議論の構造だったと思う。
それだけに、相手の議論より自分たちの主張のほうが上回っていることを示す場合に「立論のどこで、○○のように述べた」のような、具体的な議論の位置、内容を示して言ってくれると、お互いにより勝利をつかみやすくなったのではないかと思った。

僕と同じグループの方は、メリットもデメリットも発生は小さいとした上で、重要性や第二反駁などを考慮して、肯定側の立論の重要性を重く取り、肯定側に投票した人が多かった。

大事なのは、どんなジャッジにも議論をわかってもらおうと努力する姿勢だなと、ジャッジをして、ジャッジの意見が分かれて、改めて思わされた。
判定の出し方については、ある程度議論全体が見えてくるようになった。
あと目標は、講評が上手にできるようになりたい。
これからも地道に努力していこう。

本当に勉強になりました。
企画してくださった皆さん、ありがとうございました。

ジャッジ講習会

2005-08-27 21:59:33 | ディベート全般
NADE主催のジャッジ講習会に参加してきた。

講師はCoDA理事、JDA理事の久保さんである。
朝9時に集合し、4時までジャッジングの勉強。
有意義な時間となった。

このレクチャーは、午前はジャッジングの基礎理論を学び、午後は過去の安楽死論題のディベート甲子園のビデオを見て、実際にジャッジをしてみる。グループに分かれ、それぞれ票数を確認して、講評・判定のコメントを考え、実際にやってみるというもの。

僕のグループは4人で、僕だけ否定側に投票。マイナーボートになってしまった。

この試合は、肯定側が「苦痛からの解放」否定側が「精神的苦痛の増大」を議論の軸として戦った。

肯定側は、痛みをとる技術があるものの、実際にはその技術が配備されている施設が少なく、痛みは完全にとれないことや、除痛技術には高度な職人芸のごとき手腕が必要であることから実際には使われていないことを主張。
また仮に痛みを取り除いても、意味のない痛みならば少しでも苦痛が残れば耐えられないということを主張。

プランでは、不知の病で治る見込みがなく、他に除痛方法がない場合で、本人と複数の医師が同意している状態で安楽死ができるという。

対する否定側は、安楽死が社会的な圧力になり、家族などから死を望まれているのではないかと錯覚してしまうこと、医者が「安楽死どうですか?」と勧めることで死を迫られるメッセージに聞こえてしまうことから、悲惨な終末期になってしまうと述べた。

否定側は第一反駁で「苦痛を除去する技術はある」と、モルヒネ、神経ブロックで死にたいとわめくほどの苦痛はなくなると主張し、実際にWHO方式疼痛除痛法が全国の病院などで普及していると主張。

肯定側はそれを予想し「その技術が現在正しく使われていない」と述べた。
立論の構成が元々否定側の反駁を予想していたつくりだったからだ。

続いて否定側が「国家が弱者を切り捨ててはならない」と述べると、
肯定側は「安楽死は新しい医療の形であり、プランはその第一歩だ」と述べた。

この試合をどう判定したかは次に書きたいと思う。

ジャッジって勉強になります。

年の差

2005-08-26 00:26:07 | 日常生活から
いつまでも後輩ではいられないことを実感させられる。

高校の部活は5つ上や6つ上の先輩が本当に尊敬できる方々だし、
実際そういう眼で中学・高校時代から頼りにさせていただいてきた。

しかし今、その年の差の後輩が中学生になっている。
もし自分が抱いた先輩へのあこがれを後輩が同じように抱いているとしたら、

自分はもっともっと成長していかねばならない。
ディベートの技術も、そして人間としても。
先輩の一言が後輩には重く響く。だからこそ、自分が常によりよい方向へと自己更新し続けなければ、その重責をまっとうできない気がする。

時間の経過は早い。
日々、鍛錬である。