「旅の坊主」の道中記:常葉大学社会環境学部・小村隆史の防災・危機管理ブログ

日本唯一の防災学部はなくなっても、DIGと防災・危機管理を伝える旅は今日も続いています。

「巣ごもり」から「新しい現実」へ(その1)

2020-05-10 23:28:37 | 新型コロナ&コロナ後
GWが終わり、遅まきながら本学では明日11日から前期講義が始まる。
5月中はオンライン授業のみで6月以降は状況を見て判断するとのことだが、
前期はすべてオンライン授業で、実習モノは開講時期未定の延期、と腹は括っている。
いずれにしても試行錯誤の前期になることは致し方ないところだろう。

春休みに予定していたチェルノブイリ原発訪問などもキャンセル、新学期開始も延期となり、
コロナ禍の「巣ごもり」期間は、結果的には2ヶ月ほどのサバティカル(研究休暇)「のようなもの」となった。
「巣ごもり」の時を終え、「新しい現実」が始まろうとしている今、
研究休暇中に考えたことを文章にまとめるのは、大学人としての責任であろう。

当方は大学人であり防災・危機管理をテーマとしている者。
それゆえ、研究休暇中であろうと「巣ごもり」中であろうと、情報発信をしないなんてことはありえないはずだった。
しかし、この間に発信したものと言えば、消防防災系月刊誌に寄稿した2000文字の原稿が3つあったのみ。
我ながら、本当に情けなかった。

そう、まさに、情けないの一言であった。
世の動き(特に日本国政府の対応)に「おかしい」「妙だ」「変だ」
「いい加減」「デタラメ」「ふざけるな!」等々の感情は湧くものの、
対案をまとめることが出来なかった。
防災については「そもそも論」から語り始めるのを常としている私であるが、
この、COVID-19感染対策については状況に流されていた。
クラウゼヴィッツ曰くの「戦場の霧」というよりは、
未知の事態に茫然自失していた、というのが近いと思っている。

「巣ごもり」も終わりが近づいてきたある日、はたと気づいたことがあった。
私は今まで、我流ではあるが、防災についての幾つかの原理原則を、
格言「のようなもの」として示してきたではないか、と。
「原理原則」「基本理念」「武道の型」「筋」等々、表現は幾つかあろうが、
これらがあれば「筋の通った」ものとなるが、なければ「形(型)無し」になる。
「型」が体に染みついていれば、状況(相手)に合せて融通無碍に体が動く。
しかし、「型」がなければ「出たとこ勝負」「思い付き」「口から出まかせ」と、
まぁ、どこかの国の政府がやっているようなものに堕してしまう訳である……。

ともあれ、防災の原理原則を再確認しつつ、新型コロナ禍とコロナ後にやってくる社会を見据え、
さらに言えば、ありもしないスーパーヒーロー・ヒロインを期待するのではなく、
市民としてどのようにふるまうことが全体最適解につながるのか、
以下、考えてみることとしたい。(つづく)