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ありがとう!

2008-06-13 21:38:06 | パリ
4月以降とびとびの更新になりましたが、それでもこのブログを多くの方々が覗いてくださっています。本当にありがとうございます。

2005年12月から始めましたので、ほぼ2年半。仏文出身とはいうものの、卒業後25年間、フランスとは全く関係のない仕事をしてきましたので、4年前にフランス語を再開した時点では、ほぼビギナーのレベル。そして、それ以上に深刻だったのは、フランスに関する情報・知識のあきれるくらいの欠如。これはどうしようもない状況でした。そこで、日本でまずフランス語を何とかしようとフランス語学校に通ったり、ラジオ講座などを利用して1年ちょっと、何とか少し思い出したところでフランスへ。

そして、ソルボンヌの文明講座に通いながら、フランス語に集中。何しろ、当初は新聞などろくに読めないレベルでしたし、フランス語を話そうと思っても、口から出てくるのは、長年の海外駐在や研修で使っていた英語と中国語。話せず、読めずという状態でしたが、それでも昔取った杵柄に救われ、何とか1年で最上級まで終了。それから新聞を読み、テレビでニュースを見ることに比重を移して行きました。さらには、宿題に終われる生活にも少しは余裕が出来て、パリの街を歩く時間も増えてきました。そうして更に1年半。この4月からは、パリやイル・ド・フランス地方以外も見てみたいと、フランス国内、そして周辺国へとカバンを提げての旅へ。

ブログ開設当初からお付き合いいただいていた方々には言わずもがなの事ですが、上記のような背景が、このブログにも反映されています。少しは書く日本語の分量も増え、新聞などが取り上げる話題もご紹介できるようになりました。それを毎日。皆さんに少しは興味を抱いていただけるようなブログになっていたでしょうか。

そして、そうです、2年半・・・この数字に特に意味はないのですが、しかしこれをきっかけに、しかも私の誕生月である6月に巡ってきた13日の金曜日をもって、このブログを終了させていただこうと思います。何も今更宣言しなくても、すでにあまりのとびとび更新にすでに終了してしまったも同然なのですが、それでも愛着を持ってアクセスしていただいている方々が毎日400人前後と本当に頭の下がるほど多くいらっしゃいますので、きちんとご挨拶させていただこうと思います。

本当に長い間ご訪問いただき、ありがとうございました。アクセス数、そして何よりも皆さんの温かなコメントにいつも励まされておりました。どれほど感謝をしてもしきれません。これまで続けられたのも、そして続けることにより、少しはフランス社会の表面がなぞれたのも、皆さんのお陰です。

これからは、また別の視点で、日本とフランス、そして海外を見て行きたいと思っています。そして秋以降、なんらかの形で発表できればと、少年のような夢を抱いています。またどこかで皆さんの目に留まることができますように!

本当に、ありがとうございました。さようなら。


(最後まで、いつもながらで恐縮ですが、写真の後姿、私ではありません、悪しからず)



(註)1.はじめて弊ブログへご訪問いただいた方へ・・・2008年4月下旬以降は旅行記になっていますので、それ以前の分を先に読んでいただければと思います。


(註)2.日本からの続編「ふりかえれば、フランス」(blog.goo.ne.jp/higurashi55)、2010年7月からアップ中。よろしかったらご訪問ください。

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永遠の都へ・・・③

2008-05-27 22:30:00 | ヨーロッパ
面積44ヘクタールという小さな小さな独立国、ヴァチカン市国。

サン・ピエトロ寺院前の広場には、朝早くから長~い行列が。

朝早いため、まだ通常の勤務体制になっていないのでしょうか、スイス衛兵たちも気さくに問い合わせに答えています。


カトリックの総本山、サンピエトロ寺院は、聖ペテロの墓の上に4世紀初頭に建てられ、16~17世紀に再建されたとか。ミケランジェロ作の『ピエタ』をはじめ多くの彫像、絵画で飾られていますが、特に印象的だったのは・・・

壁にも柱にも教皇の歩く床にもモザイクで描かれている、オリーヴの小枝をくわえたハト。平和の象徴。いつでも、いつまでも平和であってほしいものです。

サンピエトロ広場から高い壁をぐるっと回ると、ヴァチカン博物館。入り口は、いたって質素ですが、館内には世界の宝とも言うべき美術品の数々が・・・

しかし、最初に出迎えるのは、イタリアの美術品ではなく、古代エジプト。

ミイラや多くの装飾品が展示されています。カエサルとクレオパトラの関係を持ち出すまでもなく、多くの美術品がイタリアに、それもイギリスなどよりもかなり早い時代にもたらされているようです。


中庭からはサン・ピエトロ寺院のドームも見えます。それに・・・

大きな松かさ。やはり、ローマには松が似合うようです。

回廊を進むにつれ、イタリアの誇る美術品の数々が、これでもか、これでもかと次から次に登場してきます。


彫像はもちろん、

天井画や

皇帝の使用した遺物まで。

そして、極めつけは・・・

ミケランジェロの描いたシスティーナ礼拝堂の天井画。そして、出口は・・・

ニューヨーク、グッゲンハイム美術館のモデルになったのではと思えてしまうような、渦巻状の階段。

・・・とても4日では回りきれない、永遠の都・ローマ。パリから飛行機で1時間40分の距離ですが、そこにはパリとは異なる魅力あふれる街が待っていました。パリが人工的で繊細な美を見せているとすれば、おおらかで人間味あふれる美しさで魅せてくれるのがローマ、とも言えるかもしれません。


世界は広い。多くの国があり、多くの街があります。そして、それぞれに個性的。いいところもあれば、嫌なところもある。両方を含めて、その個性。まだまだ、見たいところ、訪れたいところは山ほどあります。人生いたるところに青山あり。そして、世界いたるところに魅力的な街あり、ですね。

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永遠の都へ・・・②

2008-05-26 22:30:00 | ヨーロッパ
ローマの歴史といえば、忘れられないのが、フォロ・ロマーノ。

高い建物や塔、そしてパリのものとは比較にならないほど長い歴史を生きてきた凱旋門がいくつも見えます。

街路樹の一部はオレンジや糸杉。

いかにもアルプスの南ですね。君や知るや南の国・・・もちろん、オリーブの樹もあります。

すぐ脇に続いているパラティーノの丘には見事なローマの松。

その根元には大きな松かさ。日本の松ぼっくりの高さも幅も3倍あるような巨大なもの。歴史が違えば、松ぼっくりの大きさも違うようです。因みに、エクス・アン・プロヴァンスのセザンヌのアトリエで見つけたのは、日本のものとほぼ同じ大きさでした。

パンテオンもローマのほうが先輩格。

ミケランジェロも絶賛したというこの建物、紀元前25年頃にできたものを、2世紀初頭に再建したものとか。今では、ラファエロやイタリア建国の父・ヴィットリオ・エマヌエーレ2世などが眠っています。

パンテオンの前には、オベリスク。

パリでは、コンコルド広場のここしかないという計算され尽くされた位置に先端を黄金に輝かせて建っていますが、ローマでは、いくつものオリベスクが、歴史の風化のまま、そこここの広場に何気なく建っています。パリの美しさは、歴史のなさを人工的な美しさでカバーしているのではないかと思えてくるほどです。そして、広場の周囲。歴史や人間的ぬくもりが感じられるローマの街並み・・・

ローマにも画家が作品を並べている広場があります。

ナヴォーナ広場です。石畳の広場。ここにもオベリスク。主だったオベリスクは古代ローマがすべて持ち帰ってしまったのではないかと思えるほどです。そして、周囲を取り囲む暖色系の建物。生身の人間が住む街・・・そんなほっとさせる雰囲気があります。もちろん、おしゃれなカフェもありますが、陽射しが強いせいか、コーヒーよりはよく冷えた白ワインがよく飲まれていました。

広場と石畳の道。どこの街角を取っても、「ローマ」が息づいています。








街を歩く人々のファッションは、カラフル。大きな文字を配したシャツ、金や銀に輝くシューズ・・・無地で、黒プラス1色という人の多いパリのファッションとは大違いです。パリと違うといえば、所構わず抱き合いキスに夢中になっているカップルを、ローマではほとんど見かけませんでした。同じラテン系といえども、大きな違いがあるようです。

多くの人が行き交うポポロ広場。これまたオベリスクで有名なこの広場のすぐ近くにあるピンチョの丘のテラスからはローマの街が一望に見渡せます。

西を向いているので、特に夕方、沈む太陽をバックにいくつものクーポラが見事な「絵」を見せてくれます。いかにもカトリックの総本山といった印象です。


そして、総本山といえば・・・

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永遠の都へ・・・①

2008-05-25 22:30:00 | ヨーロッパ
パリからわずか1時間40分。TGVならリヨンあたりなのでしょうが、さすがは飛行機、エールフランスのエアバスだとローマに着いてしまいます。アルプスの南、永遠の都、ローマ。パリとはひと味もふた味も異なる、魅惑的な街です。

フィウミチーノ空港からイタリア国鉄の列車でテルミニ駅へ。列車の名前は、レオナルド・エクスプレス。

車中から見た風景は・・・建物の屋上に林立するアンテナ、ベランダや窓の外で風に翻る洗濯物、線路脇にいつ果てるともなく続くコクリコの赤い花、独特のカタチに剪定されているローマの松(レスピーギの交響詩でも有名ですね)、茶・オレンジ・イエローなどの暖色系という大枠の中で個性を発揮している建物(パリよりフリーハンドが大きいようでいて、見事な調和を発揮!)、そして、そこかしこにある古代ローマからの遺跡・・・

そして、街の中は・・・写真中心にご紹介します。

ローマといえば、私にとっては『ローマの休日』。映画の場面から歩きはじめましょう。

オードリー・ヘプバーンがジェラートをなめながら降りてきたスペイン階段。今では飲食禁止になっていますが、多くの観光客が階段に座っておしゃべりを楽しんでいます。

階段を登りきると、いかにも南国といった風景が・・・階段前の広場には観光客用の馬車が。そして、真正面に延びているのは、ローマの繁華街、コンドッティ通り。有名ブランドのブティックが軒を並べています。


スペイン広場から南へ徒歩で10分弱。

トレヴィの泉です。コインを背中越しに投げてローマ再訪を願う人はもう少なくなっているようです。ただ記念にコインを投げているところを写真に撮ろうとする人は結構いるのですが、コインが飛んでいくのが速すぎて写らないようで、手だけ投げた格好で写真に収まっている人が多くいました。


そして、真実の口。

サンタ・マリア・イン・コスメディン教会にありますが、映画どおり手を入れて写真を撮ろうという人で長い列。夕方行ったのですが、西日を浴びていました。写真を撮るなら午前中の方がいいかもしれないですね。


続いては、コロッセオ。映画の中ではグレゴリー・ペックとオードリー・ヘプバーンがべスパの二人乗りで、前を横切ったのではなかったでしょうか。圧倒的な大きさです。

これと比べると、南仏で見た円形競技場も形無し。さすがは本国、ガリアの地に造ったものとは規模が違いすぎます。コロッセオの近くには、古代ローマが支配地を広げていった過程を示す地図が掲示されていますが、そこにもきちんと「ガリア」と表記されている今のフランス。歴史の重さが違い過ぎますね。

映画の中で大立ち回りが演じられたテヴェレ川河畔の船上パーティ。その会場先に見えたのが、サンタンジェロ城です。

本来はローマ皇帝の霊廟だったそうですが、中世には教皇の要塞としても使われたとか。その名残りか、今でも投石器と大きな砲丸が並べられています。

そして、サンタンジェロ城のすぐ前はテヴェレ川。

観光船も走っていますが、水量が少ないせいか、セーヌほどには風情がないのが残念。しかも映画の中で船上パーティが行なわれたと思われる河畔の近くには、今では“NO PARTY”と大きく書かれています・・・

歴史の街・ローマ、見所は、まだまだ尽きません・・・

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巡礼の旅・・・オーヴェル・シュール・オワーズ

2008-05-14 00:10:00 | フランス
パリから北西へ約30kmのところにあるオーヴェル・シュール・オワーズ(Auvers-sur-Oise)の街。鉄道で行くには、ポントワーズで乗り換え、乗り換え時間も含めて1時間10分ほど。それが、今は(10月まで)毎週末と祝日に直通列車が1日1往復運行されています。所要時間わずかに30分。



今日では多くの観光客が利用する直通列車ですが、100年以上前の19世紀後半には、ある芸術家たちがよく利用していたそうです。パリから列車で簡単に行ける土地でありながら、光あふれ、豊かな自然がある農村の暮らし・・・そうした風景に惹かれてこの街を訪れたり住んだりしたのが、印象派を中心とした画家たちでした。コロー、ドーミエ、ドービニー、セザンヌ、ピサロ、ルノワール・・・そうした流れの最後に彗星のごとく加わったのが、ご存知、ゴッホ(Vincent Van Gogh)です。

パリに馴染めず、豊かな光と農村風景を求めて南仏に向かったものの、ゴーギャンとの神経をすり減らす芸術論議に疲れきり、自らの片耳を切り落としたゴッホ。てんかんと診断され、その再発に悩み、自ら精神病院へ。そして、北フランスに戻ることにした際に勧められたのが、画家たちと交流の深いガシェ医師(Docteur Gachet)のいるオーヴェル・シュール・オワーズの街。

ゴッホがこの街に着いたのは、1890年5月20日。落ち着いたのは、ラヴー亭(Auberge Ravoux)、今では「ゴッホの家」(Maison de Van Gogh)と呼ばれています。

この家の3階、つまり屋根裏部屋に住むことになりました。天窓だけの部屋、広さはわずか7㎡。棚、壁、床・・・今でもゴッホが住んでいた当時のままで保存されています。それは、決して、後世有名になったゴッホが住んでいたからではなく、自殺者の部屋だったから。自殺者の部屋は誰にも貸さない事になっていたそうです・・・


(ゴッホの生涯を簡潔に紹介するパネル、日本でのゴッホ人気を裏付けるように日本語表記もあり)

いつかどこかのカフェでぼくの個展が開かれるように・・・そうしたゴッホの直筆が壁にかけられている屋根裏部屋。ゴッホがそこに住んだのは、わずか70日。1890年7月27日に猟銃で自殺を図ったものの死にきれず、自力で部屋まで戻り、当時パリに住んでいた弟のテオに看取られながら7月29日、37歳4ヶ月という人生に幕を下ろしました。経済状況や家族との確執などが原因とも言われています。

オーヴェル・シュール・オワーズでのゴッホの暮らしは、ひたすら絵を描くこと。生活費は、テオが送ってくれる毎月150フランだけ。約三分の二が家賃に消えていく、赤貧の生活。それでも、画架や絵の具などの道具を背負っては毎日、村の中を歩き、気に入った風景の前で絵筆をとっていたようです。70日の間に70点と言われる多くの作品を残しています。1日1作品!


(ゴッホ公園にあるザッキン作のゴッホ像です)

観光客用に、ゴッホやその他の画家が残した作品を画家が描いた場所でパネル展示してくれています。ゴッホの絵だけで32点あるそうですが、観光協会でくれる地図にはセザンヌなどの作品も含めて18ヵ所が表示されています。オワーズ川と小高い丘に挟まれた東西に細長いオーヴェル・シュール・オワーズの街。

(ゴッホも描いたオワーズ川、対岸のように見えるのは実は島)
わずか18ヵ所といっても、徒歩で巡るのは暑い季節には体力勝負になります。


オルセー美術館に所蔵されている『オーヴェルの教会』のモデルとなったノートルダム教会。駅のすぐ東の小道を登ったところにあります。


自らも絵筆を取り、画家たちとも交流の深かったガシェ医師の肖像画(『医師ガシェの肖像』)です。描いたのは、もちろんゴッホ。毎週日曜日、昼食に招かれていたゴッホは、ガシェ医師に身体的にも精神的にも自分に近いものを感じ取っていたとか。

医師は片肘をついているのですが、その場所がガシェ医師宅の庭、写真中央のガラスのケースに入っているテーブルの上です。

ノートルダム教会からさらに北東へ、畑に囲まれた村の墓地に、今ゴッホは眠っています。

隣には、1891年、敬愛する兄の後を追うようにこの世を去った(オランダで病死)テオが眠っています。

周囲には、今でも、ゴッホが愛したような光あふれるのどかな田園風景が・・・ゴッホがやってきた5月下旬にも菜の花はまだ咲いていたでしょうか。

墓地のすぐ近くの農道には、『カラスのいる麦畑』・・・苦悩と孤独感を表現しようとしたそうです。

人口7,000人の村に世界中から年間40万人もの観光客、というよりゴッホ巡礼者がやってくるオーヴェル・シュール・オワーズ。日本からの巡礼者も多いようで、ゴッホの家でその作品を紹介する映像にも日本語がきちんと入っています。また、ゴッホの家を支援するため500ユーロの寄付をすると、ゴッホの部屋の鍵が会員証としてもらえるそうで、現在4,700人、その中にはアメリカでの根強いゴッホ人気を裏付けるかのように、ビル・ゲイツ、ビル・クリントンの名も見られるそうです。


訪れた5月8日は、文字どおり雲ひとつない快晴、最高気温も25度を越える真夏のような一日。パリから30kmとはとても思えない、透き通るような夏の陽射しが、街の小道で、ゴッホの墓を覆うツタの上で、軽やかに踊っていました。

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城と森の一日・・・シャンティイ

2008-05-09 21:46:42 | フランス
5月に入って、パリは快晴続き。最高気温も25度前後まで上がってきています。初夏、フランス人にとっては真夏のような気候です。雲ひとつない快晴の日には、どこかへピクニック・・・と、4日に出かけたのが、シャンティイ。

パリから北へ40kmほど、快速電車で30分弱、RER(近郊鉄道)でも45分で行ける場所にシャンティイの街があります。この街を有名にしているのは、ルネッサンス様式の城。



この城、最寄のシャンティイ・グビィユー駅から2.5kmほど。しかも、歩くしかないというピクニックにはもってこいの立地です。

駅から城へはRoute de l'Aigle(ワシの道)が便利とガイドブックに出ていたりしますが、ご覧の通り、すぐ近くに車道があるとは言うものの森の中の小道。女性が一人で歩くにはちょっと・・・かもしれません。少し遠回りでも、街の中心街のほうを通っていくほうが安全かもしれないですね。

さて、シャンティイ城は、14世紀に建設されたオルジュモンという要塞があった場所に、1560年頃、モンモランシー大元帥のために立てられたといわれる城です。



北東部分に当たるグラン・シャトーはフランス革命時に破壊されてしまいましたが、ルイ・フィリップの息子であるオマール公(1822-1897)の絵画コレクションを収容するために1875年から10年ほどの歳月をかけて再建されました。そして完成の翌年、1886年に、オマール公はシャンティイ城をフランス学士院に寄贈。ただし、展示方法を変えないようにという要望を添えたそうです。



今日ではコンデ博物館と呼ばれるグラン・シャトーにはオマール公が受け継いだり、自ら蒐集した美術品が、オマール公の所有時と同じように展示されています。それらの中には、ラファエロ、ドラクロワ、コロー、プッサン、ワトーなどの傑作も含まれています。


(小さいですが、左側、ラファエロの作品です)

なお、絵画以外に工芸品も展示されていますが、その中に、瀬戸焼の壺、柿右衛門といわれる皿なども混じっています。19世紀、日本の美がフランスで話題になっていた一例のようですね。

プティ・シャトーに入ってすぐのところにあるオマール公の図書室には、11世紀からの古書(113,000冊の印刷本と700冊の手稿本)が所蔵されています。貴族階級の教養の幅の広さを表しているようです。


シャンティイ城には、ルイ14世時代の有名な料理人、ヴァテールの厨房を改装したレストラン、ラ・キャピテヌリーがありますが、団体の利用が多いため、早めの予約が必要なようです。4日も団体の予約で満席。利用できませんでした。

そして、ヴェルサイユなどの庭園を設計したル・ノートル作の庭園では、博物館に名を残すコンデ公がルイ14世を招いての大饗宴を開催したとか。


イギリス庭園や農村の擬似集落(Hameau)、子どもの遊戯ゾーンなども整備されていますが、

やはり、木洩れ日の中を歩く森の散策が楽しいひと時です。

新緑、そよ風、小川・・・

この城の隣にあるのが、競馬場と馬の博物館。オマール公の兄がイギリスの競馬に夢中になり、自らも騎乗。その影響で、城の隣に競馬場を整備。

そして豪邸と見間違う厩舎を建てたようです。


城と庭園の入場料が10ユーロ。そしてオーディオ・ガイド(日本語あり)の利用料が2ユーロ。ただし、オーディオ・ガイドを借りる際には身分証明書(滞在許可証・パスポートなど)を預けなくてはなりません。それほど返さない人が多かったのか、万一に備えてのしっかりした対策なのか。ただ、借りる方からしてみれば、大切な身分証明書を預けて無くならないかの方が心配です。何しろ、人の出入りの多い入り口脇のテーブルに堂々と蓋もせずに置いたままなのですから。


城のすぐ前は広い緑地と有料駐車場。芝の上では、家族連れがサンドウィッチを頬張ったり、サッカーやバレーボールに打ち興じたり。アイスクリームなどを売る店も登場。今年の5月上旬は、1日・8日・12日が祝日。大型連休にしている人も多いようです。有給休暇は多く取得率も高いですが、それでもまとまって休めるのは嬉しいのでしょう、言ってみればフランス版、ゴールデン・ウィーク。太陽を全身に浴びて、寛いだ休日を過ごしていました。

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どこも絵になる・・・ブリュージュ

2008-05-06 00:10:00 | ヨーロッパ
ブリュッセルからIC(Inter City)で約1時間のところにあるブリュージュ(Brugge)。「天井のない美術館」とか言われています・・・


この別称、決してウソではありません。街の中を走る運河、教会の塔、レンガ造りの家々・・・確かに、どこで写真を撮っても絵になる風景ばかりです。


街の中心、マルクト広場です。市庁舎や公文書館などとともに、レンガ造りの建物が並んでいます。カフェの前にはテラスが伸び、多くの観光客で賑わっています。また、荷台でフリットやアイスクリームを売るクルマも登場し、歩きながら、あるいは広場のベンチに座って頬張る観光客も多くいます。


このマルクト広場に建つのが、ブリュージュのシンボルでもある鐘楼。高さ88m、13~15世紀に建てられたと言われています。366段の石段を登れば、フランドル平野が一望の下に・・・体力に自信のある方にお勧めです。


また、街の至るところに、と言ってよいほど多くの教会があり、その造りは歴史の重みを感じさます。

そして、運河。

街の周囲を、そして街に中を小さな運河が走っています。レンガ造りの家々や窓辺の花、そして川面に届きそうな木々の枝の間を観光船が進んでいきます。


運河沿いでは骨董品の市も立っていて、観光客や街の住人で大賑わい。そこには、ワッフル売りも店開きしていて、砂糖だけのワッフル・ナチュールが感動的なほど美味しい!

駅の近くには、「愛の湖公園」というロマンチックな名の公園があります。

白鳥が巣作りをはじめています。白鳥の巣は地上にあるんですね。初めて知りました。


目的もなく、ゆっくりと街を歩くと、突然、目の前に美しい風景が・・・いいな~、きれいだな~と文字どおり絵葉書のような景色に感動しているうちに一日が暮れていく・・・そんな街、ブリュージュ。同じベルギーとはいえ、ブリュッセルの商売、商売とは異なる、絵のような街でした。ただし、駅構内のすすけたような印象だけはブリュッセルと共通で、ちょっと残念でした。


(お詫び)最近、ネットのつながりが悪く、コメントにご返事できないでいます。申し訳ありません。楽しみに読ませていただいていますので、返事なしで恐縮ですが、コメント、今まで通り、よろしくお願いします。

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イメージいろいろ・・・ブリュッセル

2008-05-05 00:10:00 | ヨーロッパ
ブリュッセルといえば、世界一美しいとも言われるグラン・プラス(Grand Place)と小便小僧。


ヴィクトル・ユゴーが「世界で最も美しい広場」といい、ジャン・コクトーが「豊穣なる劇場」と讃えたグラン・プラス。市庁舎や王の家、ギルドハウス(ギルドに加入している商人たちの住まい)などに囲まれています。確かに、石畳の広場を優雅にして歴史を感じさせる建物が取り囲んでいる広場は、世界一かどうかはともかく非常に美しいものがあります。カフェなどの前にはテラスが設けられ、多くの観光客がビールで喉を潤したり、コーヒーを前にお喋りを楽しんだりしています。

その北東から延びる狭い通りには、小さなレストランがびっしり並んでいます。

目指すは、もちろん、20年ぶりのブリュッセルのムール貝。白ワイン蒸しをはじめいくつかの調理方法がありますが、いずれにせよ大きな器に入れて食べきれないくらいのムール貝が出てきます。そして、フリット。あわせて17~23ユーロほどで楽しめます。パリでもチェーン展開している「レオン」(Léon)の本店もここブリュッセルにあります。

また、グラン・プラスの市庁舎脇を南西に300mほど進むと、通りの角に小さな像が。小便小僧です。

正式には“Manneken Pis”と言うそうですが、ジュリアンというニックネームで呼ばれているとか。1619年に誕生したブリュッセルの最長老市民は、世界三大ガッカリのひとつとも言われる場合があるほど小さいのですが、何しろ、小便小僧、人間の実物大ほどに大きいと、却ってグロテスク、これくらいの小ささが愛嬌でいいのかもしれません。

さて、ここブリュッセルの宿泊先ですが、南仏や今回の他の都市同様、ネット上で探して予約を入れておいたのですが、夕方6時頃に到着すると、オーバーブッキングで部屋がない! 同じホテル・チェーンの他のホテルへ移ってほしい、ふたつのホテルから選べる、そこへの移動代(タクシー代)はホテル側が負担する・・・こう言われてしまいました。グラン・プラスのすぐそばという立地条件がよくて決めたホテルなのに、他へ行けとは・・・他のホテルの場所を地図で示してほしいと頼むと、別々の地図をネット上から印刷しようとするので、位置関係が分かるよう1枚の地図で示すよう頼むと、ブリュッセル中心部からはちょっと距離があるので同じ地図に入らない! そんな不便なホテルはとんでもない! 近くの他のホテルを紹介するように頼みました。周りを見渡すと、「私たちも同じ問題を抱えている」というカップルが二組。ホテルでオーバーブッキングに遭うとは! 人気のある中心部のホテルで予約を集め、チェックインの遅い客は郊外の人気のない系列ホテルへ回す・・・そんな商魂なのでしょうか・・・

そして、移ったホテルは、朝食別で1泊138ユーロ(週末割引で99ユーロ、ネット予約ならもっと安かったはずです)。冷蔵庫なし、ティッシュ・ペーパーなし、外の騒音が聞こえる・・・このくらいは時々ありますからいいのですが、驚いたのは、フェイス・タオルがない。大きなバスタオルがフェイス・タオルも兼用なんだそうです。しかも、チェックアウト後に一時荷物を預かってもらうのも、有料!・・・ブリュッセルのホテル、「宿泊客よりホテルの利潤優先」のしっかり経営をしているようです。そういえば、グラン・プラスのカフェには、2階にあるトイレを示す表示板に、“トイレは階上、ただし25サンチーム”という大きな文字が。世界一美しい広場の格のあるカフェとは思えない案内表示でした。「イメージよりもお金!」なのでしょうか。

ガッカリついでに言ってしまえば、ベルギーを走る多くの電車の車両、フランス国鉄そっくりのデザイン。たぶんフランスの同じ製造メーカーに頼んでいるのでしょうが、色使いも青、赤、白(シルバー)のトリコロール。ここまでフランスと一緒とは・・・ご存知でしょうが、ベルギーの国旗は黒、黄色、赤の三色です。


美しい広場と可愛い小便小僧、そして「しっかり経営」・・・イメージがひとつにまとまりにくい多面体都市、ブリュッセルでした。

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日本に帰った気がする・・・ケルン

2008-05-04 00:10:00 | ヨーロッパ
尾張・名古屋は城で持つ、ドイツ・ケルンは・・・大聖堂。

対岸から撮った写真ですが、こうした景色が代表的ですね。現在大聖堂が建っている場所には、その建立以前に、870年に聖別された全長95m、二重の内陣を持つ聖堂が建っていたそうです。より大きな聖堂の建立をという声が上がったきっかけは、東方の三博士の聖遺物。1164年にミラノから聖遺物が送られてきて以来、礼拝に訪れる信者が急増。大司教座聖堂として、巡礼教会として、その立場に相応しい大聖堂をという声に応えて、1248年に新聖堂の建設に着手。その際、古くからあったロマネスク様式ではなく、当時はまだモダンであったゴシック様式を採用することに決めたそうです。

内陣全体は1300年頃に完成したものの、中断をはさんで大聖堂全体が完成したのは1880年。時のドイツ皇帝ヴィルヘルム1世臨席のもと、南側の塔の先端に最後の仕上げの石がはめ込まれたそうです。実に632年の歳月をかけて完成されたことになります。それだけに、美術史的にも重要な作品が多くありますが、特に素晴らしいのはステンドグラス。

バイエルン国王ルードヴィヒ1世が寄進したというバイエルン・ステンドグラスをはじめ美しい作品が並んでいます。


さて、このケルンを訪れるのは、20年ぶり、2回目。とはいえ、街の中をゆっくり歩くのははじめて。

パリの街並みとはずいぶん違いますね。新しいビル、そして店の名前やブランドなどの袖看板や幟。日本の街並みに似ているような気がしませんか。

また、ゲームソフトのプロモーションでしょうか、着ぐるみが何人も歩いていました。

何となく日本に帰ったような気がしていたのですが、こうした街の表情のせいかもしれないですね。街の雰囲気からだけですが、ドイツはヨーロッパの中ではどことなく日本に近いような気がします。また、所構わず抱き合ってキスしているカップルもあまり見かけませんし、すれ違いざまにバッグが相手にちょっと触れたくらいでもいちいち「パルドン」と謝る必要もないようですし・・・街並みと人々、日本に帰ったような気分で歩くことが出来ました。

しかし、もちろん、ここはドイツ。ドイツならではの習慣というか、独特のシステムに驚かされることもあります。例えば、いつもファーストフードで恐縮ですが(なにぶん、ジャンク・フードが好きなものですから)、マクドナルドのトイレが、どうも有料の公共トイレになっているようなんです。


(マクドのライバル、バーガー・キングもケルンでは頑張っているようです)

トイレの入り口には、清掃係が常に待機し、利用者にチップを要求しています。数店で確認してみたのですが、いずれの店でも、アフリカ系のトイレ係が待っていました。チップを渡さず入ろうものなら、大きな声で要求されます。たまたま後ろの席でハンバーガーを食べていた英語を母国語とする白人のカップル。女性がトイレから戻ってきて、チップを要求されて払ってきたことを話すと、マクドでそんな筈はない、だまされたのに違いないと、男性が怒ってトイレ係のところへ行き、女性が払ったチップを取り戻してきました。マクドのトイレが店の客でも有料! 初めての人には信じられないですよね。ただ、見ていると、店の客以外の人もトイレの利用だけでやってきているようです。公共の有料トイレでしょうか!? やはり、世界は広い。さまざまな異なるシステム、やり方があるようです。もちろん、異なるのであって、間違っているわけでもなく、遅れているわけでもないのは、言うまでもないですね。因みにパリ・シャンゼリゼのマクドは無料の公共トイレになっている観がありますが。


ケルン駅です。大きくカーブしてライン川を渡っていくため、絶好の撮影場所になっているようです。ストラスブールからはTGVでカールスルーエへ。ICE(Inter City Express)に乗り換えてケルンへ。そして、ケルンの後は、タリス(Thalys)でベルギーへ。ブリュッセル、ブルージュと旅は続きます。

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行きつ戻りつ・・・ストラスブール

2008-05-03 00:10:00 | フランス
4月24日からは、東と北へ。ストラスブール、ケルン、ブリュッセル、ブリュージュと回ってきました。それぞれに個性的な街。どんな表情をしていたでしょうか・・・

ドイツとフランスの間を振り子のように行きつ戻りつしたアルザス地方。その中心地、ストラスブール。言葉もドイツ語になったり、フランス語になったり。今は言うまでもなくフランス語なのですが、かなりドイツ語の影響があるのでしょうか、店頭で聞く言葉も独特のアルザス語になっているようです。


ストラスブール駅の外観です。街の名前の由来が、ドイツ語で「街道の街」というだけあって、昔から交通の要所。駅舎も伝統を感じさせる石造りなのですが、今ではそれを透明素材で覆って近代的なイメージにしています。さすがは、EU欧州議会のある街。明日をめざす心意気が感じられるようです。駅前はきれいな広場になっていて、芝の上で昼食を食べる若者や旅行者たち。そしてその半円形の広場を囲むように並ぶ多くのホテル。活気と安らぎが同居する街といった印象を与えてくれます。

この街の見所は、木骨造りの家々が並ぶ地区(プチット・フランス)とノートルダム大聖堂、そしてクリスマスの飾りつけ・・・


イル川がお堀のように取り囲む旧市街の西の端が、プチット・フランス(小さいフランス)と呼ばれる一帯で、多くの木骨造りの家々が保存されています。

地上階が階上より狭いのは、昔、地上に接している部分の面積で税や家賃などが決まっていたからとか。しっかり者の街といった伝統がありそうですね。

運河のようなイル川には遊覧船が航行し、

川端のカフェでは多くの観光客が憩いのひと時を・・・絵ハガキそのままのような街並みが続いています。

そして、その一画に一年中、クリスマスのオーナメントを扱っている店があります。

もみの木を使ったクリスマスツリーの発祥の地と言われているように、アルザス地方はクリスマスを盛大に祝うようです。ここストラスブールでも冬になると大きなクリスマス市が立ちます。クリスマスツリー、飾りつけ、クッキー、ホット・ワイン・・・さすがに4月では市はありませんが、オーナメントだけはお気に入りを記念に買うことができます。

プチット・フランスから東へゆっくりと旧市街を歩いていくと、ノートルダム大聖堂が見えてきます。

この大聖堂の特長は、天へ向かって伸びる尖塔が1本だけということ。パリのノートルダム寺院のように、2本の尖塔が並ぶシンメトリーな美しさになっている聖堂が一般的なようですが、この大聖堂では142mの尖塔が1本だけで、その垂直な伸びやかさが意思的な強さを感じさせてくれます。そうした印象はドイツ的な気質につながっているのではないかという気がしてきます・・・

ステンドグラス、そしてキリストや使徒たちの現れる大時計など内部にも見るべきものが多いノートルダム大聖堂。その建設は12世紀頃から始まったそうです。

プチット・フランスから大聖堂へ、そしてトラムの走る道を越えてグーテンベルク広場へ、さらにラファイエットやブティック、銀行などパリと同じような店が建ち並ぶクレベール広場へ。そしてまたイル川沿いにプチット・フランスへ。木骨造りの家々が立ち並ぶ道や石畳の道を行きつ戻りつ、気ままな散歩・・・人口25万人ほどの街とはいえ、旧市街はそれ程広くはなく、ゆっくりと散歩が楽しめます。

広場の名前に名を残す印刷技術のグーテンベルクや宗教改革のカルヴァンをはじめ、ゲーテ、モーツァルトなどが一時的とはいえ滞在したという歴史ある街、ストラスブール。大聖堂やプチット・フランスなどを含むその旧市街は、1988年にユネスコの世界遺産に登録されています。

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