泡 盛 日 記

演劇人(役者・演出家)丹下一の日記です。

演劇ワークショップ、12回目。

2024-04-16 22:58:20 | 丹下一の泡盛日記
火曜日は演劇ワークショップのお仕事へ。
今回で12回目。月に一度なので1年が経った。
もちろん3回目です、から12回全部出ました、まで様々。
それでもここ数回のワークを踏まえて、テキストを離して、即興の時間で声に向き合うプログラムに。
メニューは前夜考えて、例によって朝見直して。そして本番は、その通りになるわけがない。
だって、みんな一生懸命で素敵なんだもん。
もちろん「場」への安心感も前提として、ある。
だからこその一生懸命。そして、その「感覚」を、きっと、あなたの脳は忘れない。
終了後、一人が質問しに来た。いい質問だったので、ついつい長い話に。
そのまま四谷に移動。
この建物に来るのも久しぶりだなあ。
なんの仕事で来たのかも忘れてしまった。
大事な先輩が歌う場面に立ち会う。
30年くらい前か。彼女(と9人、合わせて10人)が歌う舞台で、なんと「音響」を担当していたことがある。
かつて渋谷にあったジァン・ジァンという劇場で。
そして大きなホールで、さすがの存在感。
ご飯食べたのに、帰宅して風呂に入ると、なぜ食べたくなるのだろう。。。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

久しぶりの赤坂へ

2024-04-16 09:18:25 | 丹下一の泡盛日記
起きたら連れ合いがパンを全部食べてしまっていた。
(自分は普段朝は米なので彼女が悪いわけではない)。
パンがないならクレープを食べるべし、と焼く。
一切れ残ったスモークサーモンとクリムチーズのクレープ。

月曜日午後は「春琴抄」の主宰者藤田祥子さんが出演する舞台へ。
しかも作者がオオタスセリさんだと言うので楽しみに出かける。
会場は久しぶりの赤坂で、地下鉄の出口を出たら、自分がどこにいるのかわからなくなるくらい周囲の景色が一変していた。
海外のカフェみたいな店も増えていて。
自分としては海外の旅先に立ち食い蕎麦屋があったら、戸惑うなあ。
(緊急事態なら入るかもしれないけど)
自分ちの延長なんて「植民地」でしかない。異文化に触れに行く「海外旅行」じゃないね。
と戸惑いつつ会場を探す。
藤田さんは、もちろん三絃奏者なので俳優ではない。その彼女が俳優にチャレンジ。
さすがオオタさんの台本。かなりできている、つまり難しい。
そして藤田さん、なかなか闘っていた。最後の場面の「妖怪」のような怪しさ。かなりいい感じ。
終演後、お目にかかってねぎらって、連れ合いと居酒屋へ。
いい芝居の後だもの。
ビール2本でへろんへろん。
帰宅してちょい寝してからの、ワイン。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

まず神に向かって演技せよ

2024-04-16 09:18:25 | 丹下一の泡盛日記
土曜日、日曜日はお仕事へ。
「時間論」を読み進めている。
難しい言葉たちなんだけど、ゆっくりと、そして刺激的な話が続く。
そこには多神教と一神教の違いについても書かれていて。
1983年10月に迦樓羅舎を旗揚げしたのだけど、その舞台「桜の森の満開の下」をすぐ12月に再演することになり、豊島区のお寺の本堂で。
以来、なぜかお寺や神社で舞台を持つことが多い。
なので自然とさまざまなお話を伺うようになったのも「ご縁」のようなものか。
能舞台も寺や神社の続きのような空間で。
能舞台での公演で、ある日本舞踊家の稽古場をお借りして稽古。立ち会ってくださった彼女にとても評価していただいた。
その後、当日のゲネプロも見てくださり、強いお叱り、というか励ましをいただいた。
「こないだあれほど素敵だったのに、今の(通し稽古)は何と言うことか。何が違うと言って、あなたは目の前にお客しか見えていない。我々はまず天、神に向かって演技するもの。それに立ち会ってくださるのがお客様」。
結果、自分でも別世界に行けたような時間になった。
終演後、その方もとても喜んでくださった。
この体験は生涯忘れることはないだろうし、あの時の言葉は今も身体に刻みつけている。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

やっぱり本はいい

2024-04-12 23:49:33 | 丹下一の泡盛日記
金曜日は夜だけのお仕事だったので、机に向かい事務仕事をサクサクと。
そして「時間論」を読み返しながらお仕事へ。
「黄衣(チーウォン)が熱くなる」と言うフレーズは、タイの僧院で僧として修行した人類学者の本から学んだ。
そんな季節にいることも、そして、間の不安定さも伴って、やたらと酒を飲むのだけど、やっぱり本はいい。
来週からは「小栗判官照手姫」の稽古再開。
そして、再来週末には下北沢ピカイチでシェイクスピア朗読会。
このシェイクスピア朗読会は自分のベースの一つだ。
しばらく(江戸馨さんによれば)「冬眠」していたこのチームが再始動しているのに混ぜてもらっている。
久しぶりの「お気に召すまま」、森に逃げていき気楽に暮らすという世界は大好き。
稽古日程が小栗と交互に組まれていて、何だか面白いことになりそうだ。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「夢」って職業のことなんだろうか?

2024-04-12 00:38:24 | 丹下一の泡盛日記
前夜から長いこと横になっていて、見た夢は例によって生々しかった。
それにしても「幸せな体感」とか「幸福な気持ち」な夢を見たことがない。
そして、ギリギリでとんがっていて、時には思い切って飛ぶ。
そんな夢を見る時は、大抵が現実の人生で大きな変化が待ち受けている時。
夕方、仲間の役者が出演している舞台を見に出かける。
お目当ての仲間は、キレキレの身体で素敵な存在感だった。
そして、この舞台でも「夢」という言葉が頻繁に出てくる。
「お前の夢は何なんだ?」とか「夢なんてない」とか。
自分は「夢」なんてなかった。
だって「夢(=職業)」って、そこに至る階段も明確に示さないといけない感じがして。
当時は「何がやりたいの?」と言う問いもあったけど、自分は「わからない」と言うのが正直な応えで、いつも誤魔化していた。
だって、それは重い問いだと感じていたからだ。
そんなこと簡単に答えられないし、決められない。
なんで決められるんだろうと疑問に思っていたし、明快に応える人を羨ましく思っていた。
もちろん「こんなことしてみたい」は、たくさんあった。今も無限にある。
例えば、もう一度縁側の向こうの田んぼを見ながら降る雨の音を聴きたい、とか。(もう何年も聴いていない)
それは「お仕事」になることではない。
思い出した。
小学校の文集で「僕の夢は宇宙飛行士になることです」と書いたような気がする。
当時は「宇宙飛行士」に「職業」というイメージがなかったのだ。
阿佐ヶ谷に来たら、この店で飲む、と決めていた。
また来るべし。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「TIME=時間」について

2024-04-11 13:02:18 | 丹下一の泡盛日記
昨夜、帰宅して連れ合いと録画した映像を見ながら「TIME=時間」について考えていた。
邯鄲の「粥が煮えるまでに50年の人生」と同じような、今までの時間は夢だったのか、という体験を台湾の川床劇団の台南公演で実感したことを思い出したのだ。
たった一人のために上演されるこのパフォーマンスは、指定された市内のカフェに入ることろから始まり、無人の市場(この公演が台南市の芸術祭に参加したから実現した企画)や車で移動して招かれた古い木造の小屋などあちらこちらの移動演劇でもあり、移動中の車の中で隣の座席に座った女優(ダンサー)の動きの美しさは脳に焼き付けられた。
その全てが終了し、こちらで降りて、と車から降りると、目の前に最初のカフェがあった。
その時の衝撃的な「気分」「感覚」は忘れられない。
時間が巻き戻ったようだ、と感じたのだ。
今までのことはカフェの前に立った自分が見た「夢」で、これからカフェに入らないといけない、と感じてしまった。
入らなかったけど、そのドアの前まで行って立って、しばらくその感じを味わっていた。
日本で上演できたら素敵なのに、と考えて、ある財団の人から最近面白い劇団はないかと聞かれた時に話したら「観客一人じゃ話になりません」と。
彼にとって大事なのは期待できる観客数であって、内容は興味ないのが残念だった。
そういえば、時間論(分厚いんだよ、この本が)を読みかけだったことも思い出す。

水曜日の午後は、打ち合わせで新宿まで。
来週からは「小栗判官照手姫」の稽古に入る。
様々なことが周辺で勃発しているが、この時間は再生するための「季節」なのに違いない、と考えている。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新国立劇場「TIME」

2024-04-09 21:58:41 | 丹下一の泡盛日記
火曜日、朝ごはんを食べていたら激しい雨に。
雨音を聞きたかったので、なんだか面白かった。
以前はアパートでもサッシの窓なんてものはなくて、雨音を聞きながら酒を飲むのもいいもんだと楽しんでいた。
雨に濡れるのは好きではないけれど、部屋の中で雨音を聞くのはいいもんだ。
と思いつつ連れ合いと雨の中を駅まで歩いて新国立劇場へ。
ダムタイプを初めて知ったのは京都の無門館の遠藤さんから。
元々が美術や音楽の分野からパフォーマンスを通じて演劇につながってきたので、強い興味を持った。
もちろん自分には「演劇」の修行が必要だったのだけど。
この日の舞台は、本当に素敵で、この数十年の何かが花になったかのような時間だった。
会場で偶然にプレイバッカーズのメンバーに会って驚いた。
そして、嬉しかった。
というのも、プレイバックシアターの世界の人と自分の公演以外の劇場で会ったのは、初めてかもしれないからで。
自分の(プレイバッカーズでの)ピアノの音を褒めてくれる人は、多分、今日この会場で流れた音に触れたことはないだろう、と勝手に不貞腐れている。
なので本当に嬉しかった。
そして、舞台のクオリティが素敵に美しくて。
コンセプトは、この世界の住人なら誰でもやったことも、妄想したこともあることだらけなのだけど、それをきっちりと具現化してくれたことが本当に素敵だった。
(口で言うだけなら世界平和は5分でできる)。
なので、もちろん終了後は連れ合いと三丁目でぐいっと(^o^)/
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

春だなあ

2024-04-08 22:39:48 | 丹下一の泡盛日記
昨夜の桜。
隣の建物の庭にはチューリップも。
春だなあ。
今日も桜を眺めながら出かける。
別世界に旅したような気分。
夜は「ドライブ・イン・ウクライナ」を見る。
戦火の最中にこんなドラマを制作できるなんて。
欧州の最貧国の一つであり、汚職まみれの国でも文化のレベルが高いことが素敵だ。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夜桜見物

2024-04-08 16:08:22 | 丹下一の泡盛日記

日曜日はお仕事へ。
朝から身体を使ったのが気持ち良い。
舞台袖でピアノの音を聞きながら、なんだか思いが巡る。
土曜日の稽古で「3月はお彼岸だから」なんてことも話題になったのだけど。
満開の桜を見ると、様々思いが駆け巡ってしまうのだ。
最初の劇団で過ごしたのはわずか3年半なのだけど、もちろん濃くて深い時間の質量は身体に刻み込まれている。
その後、満開の桜を追いかけて2000年まで16年とちょっと。
その後、その両方を合わせた時間よりも長い年月がたっている。
もちろん過去に戻りたいなどとは、全く思わない。
振り返って、あの頃は良かった、とも思わない。
(もちろん幸せな思い出は、とてもたくさん)。
先のことばかり考えているからだろうか。
夜、連れ合いと夜桜を見に出る。
年に一度のこの季節は、やっぱりゾクゾクするなあ。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

プレイバッカーズ振り返り稽古

2024-04-08 16:00:40 | 丹下一の泡盛日記
土曜日はプレイバッカーズの自主公演と彦根での舞台についての振り返り稽古
懐かしの横浜へ。
ここの庭で連れ合いと花見酒を飲んでいたら警官が2人近づいてきて職務質問されたことがある。
まだ夜の7時ごろで、公園の満開の桜の下で柿の種をつまみに酒を飲んでいただけなのに。
ほんと、対峙する相手を間違えているのか、それとも実はそんな相手と手を組んでいるのか、どちらなんだろう。

プレイバックシアターは、即興で演じているので完璧はありえないのだけど、どんな「完璧」を目指すのかについて再確認する時間。
そのベクトルが一番大事。
これはこのチームに参加した最初の頃から感じていることなのだけど、その振り返りの「リチュアル」の守り方がすごくて。
プレイバッカーズが大きく成長してきた要因はここにもある。
以前は一緒にビデオを見て、だったけど、この頃は事前に映像を各自がダウンロードして見ておくべし。
自分は自主公演にミュージシャンで参加しただけなのだけど、もちろん彦根の映像もしっかり確認して稽古場へ。
2本分を午前午後で振り返り、確認していくので終了後はへろへろになる。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする