送電鉄塔の見える場所

稜線の向こうに消えてゆく鉄塔の列はどこへ続いているんだろう

大淀幹線鉄塔カタログ

2012-07-29 23:32:44 | 戦前の幹線
白状すると大淀幹線の旅はまだそんなに進んではいない。弓削と八代の間を行ったり来たりしただけだ。
でも、見てきたことだけじゃなく、教えてもらった話や文献で知った事もある。とりあえず少し整理しておいたほうがいいだろう。
まず今回は大淀幹線時代からの鉄塔のいくつかをご紹介しておこう。

      

南側の到達点は今ここ。南熊本人吉線は永らく休止中なのでちょっと鬱蒼としている。それでも下草はちゃんと刈ってあった。
大淀幹線の原型にかなり近いと思われるタイプ。ハイレールとか昇塔防止器とかアークホ-ンなんかは1925年当時はなかった
だろうし塗り替えられてるのは確実だ。茶色の塗装を初めて目にしたときは「もしかして錆びてる!?」とびっくりしたものだ。
(茶色鉄塔は今年の2月だったかに別の場所でも見かけた。鉄塔の色ってけっこうバリエーションあるんだね~ w(゜ο゜)w)
現在は碍子装置は耐張型が多いけどこれが建った当時は懸垂型のほうが多かったようだ。33kVなんかの線路ではピン碍子も
使われていた。どこに送電線を通そうが文句を言う人なんかほとんどいなかった時代、一直線に突き進む電線路には懸垂型が
向いてたんだろう。碍子の数が半分で済む。とっても高価だったらしいですから (;´◇`)

     

ひとつ手前のは耐張型だった。最初からそうだったのか後から改造されてるのかは不明。腕金に細かく補助材が入ってるから
改造されてる可能性が高いかな。古鉄塔には珍しく架空地線用の帽子がある。電線高を上げるために付け足したように思える。
脚元も怪しい。これ本来の結界が埋まってしまってるんじゃ?いくらなんでも地面からいきなり斜材が生えてるのは変すぎ!
前後数kmにわたって山麓の斜面を進んでいくルート。でも段差のある結界はここだけだ。ほかの鉄塔の敷地はぎりぎりの広さ
ではあってもきちんと平坦に整地してある。イマドキの鉄塔とは違うんです。水平材を包むコンクリートは地面にくっついて
しまった部分を保護するための処置だろう。それなりに年季が入ってて昭和中盤な印象。主柱の根元のコンクリ部分だけは
もうちょっと新しそうに見えた。

       
           南熊本人吉線70号           南熊本人吉線47号         南熊本松橋線23-1号

古鉄塔いろいろ。左のはおそらく耐張型のオリジナル。川沿いの平地に建っていて前後の鉄塔はどちらもこれより高い所にある。
懸垂型には厳しい条件だ。とんがり帽子がない。腕金の補助材が84号よりシンプル。そのあたりに原型っぽさが漂う。
中央のは中段の腕金の上側が折れている。離隔距離の基準が変わったときに新基準に合わせて吊材を電線から遠ざける改修が
施されているからだそうだ。懸垂型鉄塔のほとんどはこのパターン。時代の変遷を体現した姿ということでなかなかに興味深い。
右のはどうだろう。腕の形から考えると元からの耐張型。とすると帽子が謎だ。さてこの鉄塔、半年ほど前に撤去されてしまった。
古い線路では鉄塔建て替えの際に径間を延ばして基数を減らすことがある。ここも大筋そのケース。ただ前後の鉄塔の建て替えと
この鉄塔の撤去の間には幾分の時間差があった。両側がとんがり帽子になったのでここにも同じような帽子を載せたんだろうか。
解体が決まっている鉄塔のプチ整形。そんな風に考えるとちょっと切ないね (´・ω・`)

        
                                 弓削分岐線10号

えーと・・・この脚元はいったいどういうこと?ピースサイン、いや、むしろ「犬神家の一族」のワンシーンのような・・・( ̄ロ ̄lll)
2段重ねならそんなに珍しくはない。四角い足に重ねた逆三角形の部分は上から見るとL字型。主柱と斜材を一緒にコンクリートで
固めてある。これまでは「昔はこんな足もあったんだ~」としか思ってなかった。しかし!これで解った!建設当時からの足は1段目
だけだ。2段目から上が付け加えられたのはたぶん鋼材の劣化を食い止めるため。3段目が必要になるなんてこの鉄塔はいったい
どんな過酷な目に遭ってきたんだろう・・・( ̄◇ ̄;)
大正鉄塔としては背の高いほう。次の鉄塔で下を横切っていく線路がある。下の線路は大淀幹線よりも古い。かつての2代目松橋送電幹線だ(関連記事はこちら)。木柱や鉄柱が多かった時代に66kV鉄塔はとても大きく見えただろう。さらにその上を越えていく
110kVの電線路。どれだけ目立ってたか。当時の鉄塔マニアと話してみたいなぁ。現在はお若い方で90歳くらいでしょうか・・・
片回線に避雷碍子が付いている。これは昭和も末期になって登場した技術。大淀幹線鉄塔の改造例としては最新の部類に入る。

          
                           イオンモール宇城バリュー分岐線6号

捻架鉄塔も紹介しておかなきゃ。一般的な捻架だと、片側を上→中/中→下/下→上、反対側では下→中/中→上/上→下とする
電線の配置替えを線路の1/3地点と2/3地点で行う。地面との距離の違いによって引き起こされる電気的な不均衡を均すためだ。
大淀幹線上で知ってるのは2基。ひとつは小川と松橋の境界付近。八代変電所から弓削変電所までの距離の1/3ならその辺か。
どう捻ってあるか判りますか?この画像だと片側しか見えませんね・・・上相と中相だけが入れ替わってて下相はそのまんま。なぜ
そんな中途半端なことになってるんだろう?( ̄~ ̄;)
  
    

もう1基は弓削変電所のすぐそば。変電所の間を3等分してるとは言いがたい。こっちのは3段とも位置は入れ替わってる。うーむ。
調べてみると入ってくる電線と変電所の相配置が揃っていない場合には捻架して合わせてから繋ぐことがあるそうだ。なるほど。
大淀幹線のケースでは別個に造られてそれぞれに運転されていた複数の系統を繋ぎ合わせようとしていた訳だ。そもそも会社が
違うんだから相配置くらいズレてて当然。変電所の間近にこんなのがある理由は解った。でもそうなると捻架鉄塔が1基たりない。
2/3地点のはどうした~?・・・無くなったんだろうな。該当しそうな地域の鉄塔は全部更新されちゃってるし。今では途中にいくつも
変電所ができてるから要らなくなったんだ。しょーがない。
実用品である電線路は時代とともにどんどん変わっていく。自分にとってはそれも魅力だ。ということで、次回も大淀幹線です♪

更新をお待ちくださっている皆様へ

2012-07-04 12:22:57 | 雑記
うわぁ~、7月になってしまったぁ~!!6月はまともな記事のアップができてなくてごめんなさーい。m(_ _;;m 

   

窓の外も頭の中もこんな感じです。3週に1回くらいの更新が理想なんですが、知力と気力が追い付かない・・・(||| ̄▽ ̄;)
5月6月は容量不足の脳ミソにデータを入れ過ぎたとか、実生活が転機を迎えたとか、以前から不調だったキーボードがついに
暴走を始めたとか、そんなようなことでちょびっと疲れておりました。7月は不本意ながら時間だけはたくさん取れる予定なので
仕切り直して追い込んでいこうと思ってます。

        
                熊本県立図書館所蔵「発電所及送電経路図」より(熊本逓信局 1926年)    

それから、お詫びの第2弾。南熊本松橋線シリーズについて。
今となってはどうしようもない根本的なところに大きな問題があることが分かりましたので、大変申し訳ありませんが公開停止と
させていただきます。いろいろ教えてくださった皆様、どうもお世話になりました。ありがとうございました。 m(_ _)m
「寄り道ばかりしてないで本筋を行け」っていう天の声ですかねー。次の記事は本筋に帰って大淀幹線。現在の南熊本松橋線も
含むこの線路のたどった歴史について、また考察してみようと思ってます。上の画像はちょっぴりネタバレ。

           
                                南熊本神水線52号

この鉄塔も登場させようかな~。1970年代に立て替えられたものです。思いっきり「昭和」な雰囲気が漂ってるでしょ♪
                 
ノートPCが病院送りになったんで古いデスクトップを引っ張り出してきたけど、入れてるソフトも単語登録も違うと使いづらい・・・
全部入れ替えなきゃ・・・ついでに画像と史料のファイルの整理も。うわぁぁぁ・・・orz



鉄塔の立場

2012-05-31 23:14:28 | 雑記
先日、調べ物のために県立図書館から九州電力の社史を借りた。社史は1951年の会社創設以来10年ごとに5冊出ている。
それとは別に「九州地方電気事業史」という本があって、全体を見渡したい時にはこれが重宝なんだけど、さすがに主要な事柄に
しか触れてない。調べようとしてたのがローカルな設備のことだったんで、もうちょっと詳しく書かれたものを探してたというわけだ。
5冊といえばかなりの分量。全部読めるはずもなく設備関係のところだけ拾い読み。それでいくつかの「?」が解決しました♪

               
               解決した問題その1。宇土変電所の完成はやはり1941年。造ったのは「九州電気」。 

10年の間隔をおいて編まれた5冊はそれぞれ違う色合いを持っていた。各時代の夢と課題が行間から滲み出ていた。鉄塔マニア
目線の自分にとって印象的だったのは鉄塔の地位の変化。電力不足解消に必死だった50年代、増え続ける需用に追いまくられて
いた60年代、送電線は大威張りだ。70年代には用地の取得に苦労している気配はあるけどまだまだ「鉄塔様」。それが80年代に
入るとあちこちで迷惑施設扱いされ始める。90年代には完全に肩身が狭くなっている。巨大化した鉄塔に威圧や恐怖を感じる人が
増えたこと、地権者や周辺住民の権利意識が強くなったことが主な理由だという。
世間一般ではそんなに邪魔者扱いされてるんだ・・・。「鉄塔をどけて欲しいとはよく言われるんですけどね、わざわざ見に来る人は
珍しいですねぇ。」工事現場でお会いした九電さんの言葉だ。「でも鉄塔はきれいですよねー。」と言ったら驚かれたw

               
          解決した問題その2。南熊本変電所の完成は1972年。玄海原発と大平揚水発電所が建設中だった頃。

美観や電磁波の問題は主観的な部分が大きくてややこしすぎるので横に置いといて。送電線下の土地利用について。
送電線の下には地主であっても好き勝手に建物を造ることはできない。電圧が170kV以下なら線下の建造物の高さを制限する。
170kVを越える電線の下なら問答無用で建築不可。そういう規則がある。実際には「ここは平屋なら建ててもいいんだけど気持ち
悪いからやめとこう」と考える地主さんもいるだろう。そんな土地が何十km何百kmと帯状に続く。関係する土地の所有者は膨大な
数だ。もっとも電力会社が他人の土地利用を一方的に制限できるわけではない。普通は地権者と交渉して鉄塔用地を買い上げ、
線下地には地役権を設定して「電線を通過させていただく見返りにこれこれを補償します」という契約を結ぶ。しかし70年代あたり
までは「鉄塔用地は賃貸で地役権もなし」なんてザラだったらしい。昭和も終わりが近づく頃から土地の取得と地役権取り付けが
進められてきた。旧32号の建ってた家の方がおっしゃってた「20年位前に鉄塔の下を売った」っていうのはこのことだったのかー。

               
        解決した問題その3。今の大井早発電所の出力が完成当時より小さいのは最初の建屋がダムに沈んだから。
                     高い位置に移転して落差が小さくなっている。

こういう交渉、山林の場合は問題も起こりにくいけど開発が絡むような土地だと延々とモメ続けて送電線建設が進まなくなることが
ある。そうなると費やす時間とコストが跳ね上がるので鉄塔用地には将来にわたっても開発されそうにない土地を選ぶ。公園の中
だとか水路の上だとか急傾斜地だとか。これまで何度も感じてきた「なんでこんな場所に?」の疑問。やっと腑に落ちた。そういう事情だったのね・・・( ̄▽ ̄;)

                         
          なんだか無理やりな鉄塔用地の例。線路幅を小さくするためにモノポール鉄塔にしたようだけど・・・

工事現場を見に行くと「どのようなご用件でしょうか?」と身構えられてしまうのが普通だ。「なんか苦情を言いに来た」と思われて
いる。そうではないと判るとみなさん笑顔が出る。うーむ。大正期ならそんなことにまで気を遣う必要はなかっただろうに。今の時代
そうはいかないもんな。技術は発達したけれど世の中はややこしくなりましたね。本当にお疲れさまです m(__)m

             
               もうひとつ、無理やりな鉄塔用地の例。深礎基礎を擁壁で押さえ込んでる?

     参考文献:九州電力株式会社「九州電力10年史」(1961年)
                       「九州電力20年のあゆみ」(1971年)
                       「九州電力三十年史」(1982年)
                       「九州電力四十年史」(1991年)
                       「九州電力50年史」(2001年)

大牟田の6回線鉄塔

2012-04-21 18:26:52 | 気になる鉄塔
南熊本松橋線の記事を作ってて頭が煮詰まってきたので気分転換に違うネタを上げてみます。去年の4月に出会った鉄塔です。

                 
福岡県は大牟田市、三池変電所近くの公園に建っているもの。熊本近辺では見かけない6回線だ。しかも形が思いっきり派手。
遠くからでも目立ってたんで寄ってみた。すぐそばまで行くと予想以上に見どころの多い1基だった。多回線で分岐で交差だよー。
上から110kV(だと思う)港三池新線、66kV三池三井化学横須線、22kV大牟田西鉄渡瀬線。w(゜ο゜)w 22kV!!

             
そこが最大の見どころだったかー!「22kVの送電線」は謎の存在だった。九州電力が公開している設備図でも大分支店のにしか
載ってない。他には断線事故の際にケーブルを使用して仮設したという情報があったくらい。普通は22kVなら配電線だもんねぇ。

       
ずっと気になってたので九電の人とお話しできた時に「こんなの見たんですけど」と切り出してみた。そしたら「碍子3個なら2万です
ね。そんなのがあるんですか・・・」みたいな反応が返ってきた。あ~、九電さんでもそう思うのか。やっぱりレアもの??
送電鉄塔には高圧配電線を共架してはいけないそうだ。以前Kitakumaさんに教えていただいた。これは全部送電線だからそこは
クリア。でもそれだけの理由でこんなことしないよね。鉄塔自体はそんなに古くない。線路の続きを見れば謎が解けるかな~。

            
他にも気になる点がある。上段の港三池新線の碍子連には長幹碍子が使われていること。画像では見たことあったけどな。
上部4回線は電気化学工業の横手をかすめていた線路の続きらしいこと。きっとこれも歴史のある電線路なんだろう。
大牟田はまたいずれ、天気のいい日に時間をかけて回りたい。どうしよう、行きたい所がいっぱいだ・・・( ̄◇ ̄;)

えー、それでは増強工事の記事作成に戻ります。数日中にアップできる・・・はず。です。 p( ̄∀ ̄)/  がんばろう自分。

  蛇足1 「港三池新線」というからには「港三池旧線」もある。
  蛇足2  大分にある22kV送電線はいずれも発電所どうしを結ぶ線路。 


苓北火力線 186-184号

2012-01-22 20:58:34 | 苓北火力線
明けましておめでとうございます。
ペースアップしたいと言いながら相変わらずスロー&成り行きまかせの当ブログを今年もよろしくお願いいたします。m(__)m

            

これが今回ご紹介する鉄塔たち。右端が186号。この記事は年が変わる前に書いておきたかった。理由は・・・この画像の撮影日。
2011年3月11日、例によって仕事帰りの午後6時過ぎ。その日起こっていた事柄についてはまだ何も知らないで鉄塔を見ていた。

186号と185号は国道3号線をはさむ位置取りでどちらも道からよく見える。熊本市周辺にお住まいの方であれば1度は目に入れて
いらっしゃる可能性が高い。ここと、鹿児島本線をはさむ182-181号間が苓北火力線全線中で一番人目の多い場所だろう。鉄塔は
視界に入っていても意識には上らないことが多いものだ。でも、これを読んでしまった人は次に通った時には気づいてあげてね。



186号の敷地はこざっぱりしていた。あたりが梅の香りに包まれていたこともあって小洒落た印象。鉄塔自体もきれい・・・いや、
キレイすぎ!なんか塗料の匂いもするし!てか、番号札もないのっぺらぼうー!188号どころじゃない思いっきし塗りたて!!
触ったら指紋が付くんじゃないかとすら思うほど。さすがにそこまでじゃなかった。触りまくったけど大丈夫でした~(= ̄▽ ̄=)



ミカンの花も終わる頃に再度行ってみた。番号札も回線表示札その他ももうちゃんと付いている。全部ぴかぴかのまっさらだった。

185号は中腹まで団地になってる小山の頂上。家々の間を登っていくと・・・あれ?1周回って元の場所。鉄塔に行く道はないの?
「近くに見えているのにそばに寄れない」という実に歯がゆいパターン。少しでも明るい間にたどり着きたいのにぃー ( ̄△ ̄;) 

           

念のためにもう1周。団地内だから人目も気になる。「さっきから変な人がウロウロしてる」とか思われてるかも。団地の南に広がる
ミカン畑に回ってみた。ああ、こっち側に巡視路があるみたいだ。

  

ようやく脚元まで来たのはいいが・・・また竹やぶ結界!内側はすでにかなり暗い。ここも外周は刈ってあるものの結界内は放置。
やっぱり上が見えません。なんだかな~(´д`) 塗りたて刈りたてのきれいな結界と竹ぼうぼうの不気味な結界。極端だよね。

老番側から見ると184号はゴミ処理場の煙突と並んで山の上に建っている。さすがにここへは処理場への道から行けると踏んだ。
若番側から上がれることを地図で確認。収集車が通るんだからそれなりの道路のはずなのに県道からの入り口がよく分からない。
どう考えても行き過ぎの地点まで来てUターン。「これかな?」と思った道も予定のルートとは違ってた。だけど裏道を走って走って
なんとか行きたかった道へ抜けられた。あぁ~ウロウロしてる間に陽が落ちちゃったよ。しょーがない。場所だけ確認して帰ろうか。

                 

カーブの多い登り坂の脇に携帯の中継塔があった。通り過ぎた先に184号。処理場の門の手前だ。鉄塔への入口もすぐに判った。
でも金網がある。「鉄塔の柵」じゃない。ゴミ処理場の囲いらしいが小道に入る扉が閉まっている。なんてこったーllllll(-_-;)
どっちみち暗くっちゃ何もできない。明るい時に改めて来て周囲をもっとよく調べてみよう。

     

そんなわけで2度目はいろいろ覚悟も決めてやってきた。そしたら。今度は扉が開いてた!案ずるより産むが易し。(←違うだろw)
紅白の184号は夕陽に染まって鮮やかだった。うん、やっぱり間近で見たいよね♪ 結界から見る電線は格別だしね。満ち足りて
185号方向を振り返ると、ここまでたどってきた鉄塔たちの列が重なり合う丘の上にずうっと延びていた。

  

「なんで毎回暗くなりかけてから行くんだ?」って思いますよね。苓北火力線のこのあたりは職場に近くて、帰りがけのちょっとした
寄り道に丁度よかったんです。まとまった時間の取れる休日には大淀幹線がらみの鉄塔を尋ねて回ってました。
最近ツイッターでもちょこちょこ呟いてるように、2012年1月現在、元の大淀幹線の一部で建て替え工事が行われています。次回は
その中間報告です。