mindless reaction

直訳で「こころないリアクション」
どっかのアパレル会社の名前で、気に入って、つい。

「夢の内容を表現する」

2005-09-23 10:36:43 | 日記
 蛍光灯を付けっぱなしで、アトリエの床の上で眠っていると、ひどく建築的な建物の中にいる夢を見た。3世帯の集合住宅に、僕と、20代の女性、子連れのシングルマザーが住んでいた。真二つに割れた正八面体の打放しコンクリートを地面に突き刺したような外観。サーリネンのチューリップチェアがそのまま壁と床になったような一階。コンクリートと木枠の取り合わせが印象に残る二階には、茶色のシーツが至るところにかけられていた。正八面体が、いくつものスリットで分けられており、そこにできた隙間に皆座っていた。お互いの姿を確認することができる配置と開口になっており、共同生活らしきものが行われている風でもある。しかしお互いに言葉を交わしている様子もない。
 どうしてあんな奇妙な夢を見たのか考える。登場人物同士の距離感は非常に心地良いものだったが、それが異常なほどリアルな建築の中に現れていたことは何を暗示しているのか。僕の周りのうつろいやすい人間関係を、壁と開口で区切り、規定し、定着化させたいとの願望があるのか。それとも…
 文章で自分の確認作業をしても、予想の範囲内から抜け出せない。そのことに気付き、紙切れに走り描きのスケッチをする。文章を書くのとは違う脳回路からこの夢を出力してみる。記憶を留めておく以上の意味があればいい。

「イリーナとオーリガそしてマーシャ」

2005-09-15 23:23:33 | 日記
■宮沢章夫の演劇WSの舞台を観る。チェーホフ「三人姉妹」。現代演劇と古典芸能、舞踊を織り込んで2時間弱。それぞれ面白く観た。現代演劇は、普段着の女子大生が「なんか」「っていうか」とか言いつつ話が展開して行く”今のナチュラルな演技”のシナリオ語りと、ふりふりの衣装を付けた俳優が演劇的演技で進める芝居の「三人姉妹」が同時進行で進む。普段着の女子大生がいきなりイリーナになったりしてふたつの構成がクロスする。こうした「構図の操作」をみせることが現代演劇なのかな。
■古典芸能は純粋に面白いですよ。ナチュラルさを排除したこぶし回しでずうっと行く。劇的なものがない、というか全編劇的。大したこと言ってなくともあの節回しでしゃべると、なんだか意味ありげにさも一瞬聞こえ、それが何ともばかばかしくて笑った。「醜男の子供を産みましょう」なんてせりふを3回続けて大声で張り上げている姿は、笑わずにどうしろというんだ。
■舞踊は土方巽の本を最近読んでいたこともあり、注目してみていたが、そんなに面白くなかった。踊り子が可愛いのと動きが綺麗なだけだった。初めのダンスは良かった。全く劇的でない仕草(頭をかく、手をぷらぷらさせる)を10人くらいのダンサーがそろいもそろってやる気無くやっている。でも、10人びしっと揃っている。ちょっと笑った。でもそんなコンセプチュアルな動きよりも、やはり綺麗な動き、脳髄を揺すぶるが見たいんです。
■フィナーレで小泉純一郎選挙大勝の様子が映し出されていたが、これ、宮沢章夫の演出だろうな。なぜここで。この場面だけ異様に浮いており、ここは左脳をふりしぼって考えるところなのだろう。
■帰りにretroでお茶。石井と会話して、ちょっとした決意。学校に帰ってその決意を実行に移した。やるよ。学生生活はあと半年だし。しかし今の時点でやらなきゃならんことはたくさんあり、やりたいことは広がりすぎて言うばかりだ。今日も帰ってチャリ。
■夜はめっきり涼しくなった。原付で風を切り走るのは心地よいが、ちょっと寒い。蝉が鳴かなくなったことに気付く。

土方巽

2005-09-15 15:54:37 | 日記
最近知った舞踏家の名前です。
衝撃的。前々から60年代のアンダーグラウンドな空気は好きだったけれども、一歩引いてノスタルジックに眺めていた感がありました。でもこの人の著作を読んで、そんな距離感がぶっ飛んだ。「病める舞姫」というのが代表作としてあるのだが、もうめちゃくちゃだ。
「…切り爪を紙にくるんで笑っているような人が、輪郭もたどれないコールタールの塀の前に出現する人にかかわり過ぎたのか、そのような溜息のつまった箪笥の抽斗が滑って出てくるように、私は走って生きて来てしまったのだ。」ってなんだこれは。

全集と、CD付の解説本を買いました。もうちょっと読んだらまた書きたい。ほんとうにすごいよこれは。なんだこれは。