青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

花の賑わい、豚の味わい。

2024年05月12日 11時00分00秒 | わたらせ渓谷鉄道

(花の駅、「こうべ」じゃなくて「ごうど」だよ@わたらせ渓谷鉄道・神戸駅)

桜の水沼を後にし、やって来た列車は、後部に増結車を配した2連。日帰りバスツアーの団体客の入れ込みがあった模様で、春の桜と秋の紅葉はやはりわたらせ渓谷鉄道の一番の書き入れ時であることを実感する。到着した神戸駅は、満員の2両編成から吐き出された観光客で大混雑。始発駅の桐生から乗り越してきた客で車掌さんも大わらわ。花の駅である神戸駅、桜は満開であったが、残念ながらハナモモは終わっていた。それにしてもこの人混みよ。「ぐんまワンデーフリーパス」はこの先の沢入(そうり)駅までなので、ここで東武DRCを使った列車レストラン「清流」で食事でもして折り返そうかな・・・なんて思ってたんだけど、とてもそんな状況じゃないのであった。

花見客で賑わう神戸駅。増結車に乗っていたクラツー客は、駅前に待機させた観光バスでどこかへ行ってしまった。趣ある渋焦げ板塀の駅舎、鮮やかなピンクのハナモモの木の下で、地元の方が椎茸や山菜を売っていました。 駅名は小字(みどり市神戸)からですが、国鉄時代は「神戸」との混同を避けて「神土」としてましたね。転換後に地名準拠に改めたのだけど、駅の看板には手直し跡があったりします。それにしても花の時期の神戸駅はすごいね。普段ほっとんど人のいない場所で撮影しているので、ちょっとの人混みにでも辟易してしまう。神戸の駅、一部を残してハナモモがすっかり終わっていたんで、あまり長居してもな・・・ということで上りの列車で大間々方面へ。それでも神戸から大間々までの返しの列車は、単行のディーゼルでは乗り切れないんじゃないか・・・という大混雑であった。

「帰りは空いた列車で車窓をのんびり」なんていう目論見は、高齢者で大混雑する車内で泡と消え、大間々の駅のホームに放り出される。ここから、「トロッコわたらせ号」を返しのスポットで狙いに行きます。行きます・・・なのですが、神戸の「レストラン清流」でなんか食おうと思っていたので、腹が減っている。まだ返しのトロッコが来るまではそれなりに時間もあるので、「よし、店を探そう」ということになった。大間々の街を撮影地方向に歩きながら、「なんかやってる店屋でもあれば入ってササッと食うか」なんて考えつつ街道を歩いてたら、目の前に現れたのがこのお店。みどり市大間々「双葉食堂」さん。壁に掲げられた豚のシルエットの看板には「味自慢」、そもそも店の看板に「味の良い店」という堂々たる書きぶり。そして、なんだか歴史のありそうな紺色の暖簾・・・吸い込まれるように入店したのは言うまでもない。

お店は、小上がりの畳席とテーブル席があり、広めの店内。プロパンガスからガス管直結の焼き台。カツ丼とか中華もあるけど、このロケーションを見てホルモン焼きに行かないって選択肢はねえのよ。ということでひとまずオープニング生ビール(中)を注文しメニューを眺めながら、「お姉さんお姉さん、カシラと、ヒモと、タンにライス付けてちょうだい」と淀みのない注文。ビールを呑みながら待っていると、ややあって運ばれてきた皿盛りのホルモンは、プリプリ艶々していて見るからに鮮度が良さそう。すべての部位が混ぜられて乗って来るのがこの店の流儀だろうか。そして、つけダレに生のおろしニンニクがそのままぶち込まれているのが気取りがなくていい。これはメシと酒が進みそうだ・・・

焼き台の上は網ではなくて陶板のような鉄板のような平板であった。焼け焼け。食え食え。一人焼肉は食べるのと焼くのとに忙しく、五郎さんじゃなくても頭の中はモノローグになりがち。肉を焦がしちゃ勿体ないし、焦がさないように丁寧に面倒を見て、育てて・・・と思うけど、多少焦げ目をつけた方が美味買ったりもするし、さりとてほっとくと焦げすぎてしまうし。肉感があって旨味の強いカシラ、コリコリと歯ごたえが楽しいタン、そしていかにもホルモンらしい味わいのヒモ(シロ)。割と群馬のほうって養豚が盛んで、豚ホルモンの料理(渋川・永井食堂の「モツ煮込み」とかね)が食文化として発展しているけども、ふらりと寄った街場の大衆食堂でも、非常にクオリティの高い味が楽しめる懐の深さがあるね。

こんなお店で豚ホルモンを焼き、ニンニクをガツンと効かせたタレでメシをモリモリ食う喜び。明日への活力である。
ごちそうさまでした。

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春のうららの黒保根に。

2024年05月08日 22時00分00秒 | わたらせ渓谷鉄道

(わたらせの桜満開@黒保根運動公園)

水沼駅に隣接する黒保根運動公園の桜。現在は桐生市に合併していますが、昔はここは勢多郡黒保根村。ここ水沼の駅前に村役場が置かれていました。わたらせ渓谷鉄道線に沿って、駅周辺に続く桜並木が見事です。この日は晴れ予報ということで勇んで出かけて来たんだけど、青空が見られたのはほんの少し。この時期は晴れていてもガスったり、中国の方から黄砂が飛んできたりとなかなかすっきりとした青空を望む事が出来ません。まあ、雨が降らなかっただけマシということか。満開を少し過ぎ、爛熟の桜に風が吹けば、はらはらと風に散る花弁。年配の夫婦がのんびりと歩く後ろ姿。黒保根の、麗の春です。

桜並木の中を、わたらせ渓谷鉄道の看板列車である「トロッコわたらせ号」がやって来た。DE10に、12系客車と京王5000系を肉抜きしてオープンエアにしたトロッコ客車の4両編成。観光列車なので、満開の桜を楽しむようにゆっくりと走って行く。トロッコ客車のお客さ んも、身を乗り出さんとばかりに満開の桜に触れ、わたらせの一杯の春を満喫しているようだ。かつて、産出された銅や精錬で使う硫酸を運んだ「あかがねのみち」は、すっかりと四季折々の花や紅葉を楽しむ関東屈指の観光路線となりました。JRではハイブリッド機関車に追われ、風前の灯火であるDE10が元気に活躍しているのもいいですね。元々、足尾線時代の貨物輸送は蒸気機関車の時代はタンクのC11、無煙化してからはDE10で行われていたそうなので、馴染みの機関車ではあるんですが。

そう言えば、終点の足尾から日足峠を抜けてバスで日光に出れば、下今市でもDE10がSLの補機として頑張っていますし、真岡鉄道でもSL列車のサポート役がDE10だったりするので、北関東は何気にDE10天国ですね。三セクや私鉄にDD51が譲渡された事例はないですけど、セミセンターキャブで軸重が軽く使い勝手の良いこの機関車は、線路規格の劣る国鉄ローカル線にはうってつけなんでしょう。どっちかと言えばヤードの入れ換え機や、ローカル線の小貨物をけん引する役割で製造されたのがDE10という認識なので、本人もこんな形で生きながらえるとは思わなかったろうなあ。

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さくらのわてつ。

2024年05月06日 10時00分00秒 | わたらせ渓谷鉄道

(桜とハナモモ、覇を競い@水沼駅)

満開のシーズンは短かった今年の桜ですが、美濃方面ともう一つ・・・ということでチョイスしたのが、わたらせ渓谷鉄道の桜。天気は一応、花曇りという感じの明るい曇りでした。今年の桜、結局青空で拝むことは出来ませんでしたね。わたらせ渓谷鉄道は、群馬県の桐生市から足尾銅山で有名な栃木県の旧・足尾町(現・日光市)の間藤までを結ぶ第三セクター。奇しくも、今年は樽見鉄道・長良川鉄道・そしてわたらせ渓谷鉄道と、国鉄ローカル線が三セク転換された路線の桜を巡ることになりました。今までは、割と純粋な民間資本の地方民鉄を回ることが多かったんですけど、三セク会社にも、ロケーション的には非常に素晴らしい路線が多く眠っているのも確かではあります。この日は「ぐんまワンデーパス」を使って動いていたんだけど、沿線の桜をロケハンしながら開花状況を見つつ北上したところ、水沼駅の周辺がいい感じの咲き具合。ここで途中下車して、駅周辺の桜を満喫してみることに。跨線橋の上から桐生方を望むアングル。まさに満開の水沼駅に、間藤行きのNDCが桜とハナモモを分け入るように進入して来ました。

水沼駅を囲むように咲く桜は、満開からやや時間を過ぎて「爛熟」と言った感じのまさに見ごろ。桜のトンネルをくぐって、こちらは同じNDCでもひと時代前の「わ89」型がやってきました。日本の三セク、とりあえず非電化だとどこでもこんな顔です。そういう意味では没個性の極みみたいな車両かもしれませんが、国鉄時代に遡れば大体のローカル線が同じような国鉄型気動車で、その当時のマニアもたぶん「どこへ行っても同じ」って言ってたんだろうなあとも。今思えば贅沢な話ですが、いつだってその時代のマニアは文句の矛先をどっかにぶつけるもの。少なくとも最近の三セクのNDCは、各社ごとに凝ったカラーリングやラッピングを施していて、それだけでも「タラコ一色」の煤けたディーゼルカーが走っていた頃に比べれば華やかにはなったかなと思います。わ鉄の「わ89」は、沿線最大の観光地である足尾銅山にちなんだ「あかがね(赤銅)」色。足尾銅山は、愛媛の別子銅山、茨城の日立銅山と並ぶ日本三大銅山の一つで、江戸時代から400年の歴史を誇ります。

そうそう、この水沼駅には「水沼駅温泉センター」ってのがあって、駅付きの温泉として有名でした。わ鉄も入浴券付きの乗車券を販売するなど、沿線の主要な観光スポットの一つだったのですが、昨年、運営会社が倒産しちゃいまして現在は営業休止中。最近になって後継の運営業者が見つかったらしく、再開に向けて準備を始めるということなので、わ鉄的にはほっと胸を撫で下ろしていることでしょう。ちなみに一回入ったことありますが、露天風呂なんかもあって一通りの設備は揃ってますけど、正直、温泉好きとしては塩素臭くてう~ん、という感じではあったんですよね。再開に当たっては、その辺りの湯遣いの部分なんかも改善されることを期待するのですが。

大正年間に足尾鉄道によって敷設されたレールを守り続けるわたらせ渓谷鉄道。足尾鉄道は国策により早期に国有化され国鉄の足尾線になり、銅山から産出される銅やその加工品を運び続けました。足尾銅山が閉山となったのは昭和48年(1973年)のことで、既に閉山から半世紀が経過していることになります。最盛期には「足尾千軒」と言われたヤマの賑わいも遠い日の思い出。沿線には足尾以外にはまとまった町もなく、足尾線は国鉄の「第二次特定地方交通線」として廃止対象になりましたが、地元自治体は鉄道の存続を決断。渡良瀬川に沿う四季折々の美しい自然風景と、産業遺産としての足尾銅山関連の施設をテコに、なんとか観光鉄道としてその命脈を繋いでいます。

明治時代に古河財閥が発見した銅の大鉱脈により、大きく発展した足尾銅山。群馬の富岡製糸場と並んで、明治の殖産興業の象徴とも言える存在です。富岡製糸場は世界遺産認定されてますけど、足尾銅山にも同等の価値があると思うのですが、そういう話にならないのは負の側面(鉱毒公害)もあるからなのかな。私らくらいの年代になると、足尾銅山と言えば、銅山の鉱毒事件と戦った田中正造の物語が印象に強いですよね。足尾銅山とその遺構って、わ鉄に乗りに行く割にはちゃんと見に行ったことないんですよね・・・今度しっかり時間を作って見に行ってみようと思いますが。

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美濃の春、咲くや桜花のそれぞれに。

2024年05月04日 11時00分00秒 | 長良川鉄道

(中濃の町、宵闇の桜@富加駅)

柳屋食堂の「とんちゃん・けいちゃん」でお腹を満たし、やって来たのは富加の駅。前回長良川鉄道を訪問した時、雰囲気ある木造駅舎と桜の木があったのを覚えていたんですよね。日が暮れて、宵闇が辺りを包み始めた頃合いの空の色が好きだ。ちょっと洒落た言い方をするとブルーモーメント、なんていうんだけどね。以前はライトアップをしていたらしい富加の桜、今年は自然光と、暮れて行く空の下で、淡く白い花びらを咲かせていました。長良川鉄道の駅は、この駅のみならず構内踏切が駅の真ん中にあることが多い。上下の列車は、踏切を挟んでシンメに停車するんですけれども、おそらくこれは列車の鼻面を揃えて、通票(スタフ)の交換をしやすくしていた時代の名残りなんでしょうけど。

構内踏切のブザーが鳴って、美濃太田行きの気動車がやって来た。昼間の暖かさから空気が入れ替わって、少し肌寒くなってきた中濃の春の夕暮れ。空の蒼さと空気の冷たさに冴えて咲く桜の花が、ヘッドライトの明るさでほのかに輝きます。元々、国鉄末期の越美南線の時代には、美濃太田から美濃市までの20km近くに渡って交換駅はなく、ここ富加の駅の交換機能も取り外されていたようです。三セク転換による増発と駅の新設により交換需要が発生したため、美濃太田~美濃市駅間の中間であるこの駅に交換設備が復活しました。

富加の桜が少し微妙だったので、お隣の加茂野駅へ。ここも単式のホームに大きな桜が植わっていて、ライトアップこそされていませんでしたが、ホームを照らす街灯が満開の桜を浮かび上がらせていていい感じに幻想的でした。国鉄時代は、元々ここは加茂野口駅という名前で、お隣の富加駅が以前は加茂野駅を名乗っていましたが、加茂野駅が駅の所在地である加茂郡富加町に合わせて富加駅へ、美濃加茂市加茂野町にある加茂野口駅が加茂野駅へ、と実態に合わせて名前を整理した形となっています。美濃市や関市へは、岐阜市から名鉄美濃町線が直接アクセスする形で交通の主軸を成していましたが、長良川鉄道になってからの美濃太田~美濃市間の運転本数は倍増以上の本数を確保。美濃町線が廃線となった後の、中濃地域の公共交通を支えています。

今年の桜は旬の時期が実に短かったですけど、名鉄谷汲線から樽見鉄道、そして長良川鉄道を駆け足で巡った春の美濃桜旅。各地の桜もそれぞれに見事で、谷汲線の桜の廃線跡らしい儚げな趣、そして樽見鉄道の各駅の桜の見事さ、そして長良川鉄道は関下有知の桜並木の迫力と、それぞれに良さがありましたね。また来年の桜の時期に、どんな光景が見られるか楽しみにすることにいたしましょう。

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関下有知、圧巻の桜並木。

2024年04月30日 17時00分00秒 | 長良川鉄道

(圧巻の桜並木@長良川鉄道・関下有知~関市役所前)

樽見鉄道と、名鉄谷汲線の桜を巡りながら撮り歩く桜の旅。谷汲山でお参りを済ませた後は、大きく場面転換をして長良川鉄道に転戦しました。樽見鉄道に負けず劣らず、長良川鉄道の沿線も桜の美しいことでは非常に有名な路線。本当であれば、一日は樽見鉄道+谷汲線、もう一日が長良川鉄道というスケジュールでじっくり回れればよかったのだけど、日帰りの身ではそういう訳にも行かず・・・近場の美濃市以南の桜を見に行くことにしました。やって来たのは線路沿いの桜並木が見事な関下有知駅の桜。長良川鉄道の桜と言えばここかな?というくらいには有名な場所です。花の咲きぶりとしては満開に少し早く、八分から九分くらいの咲きぶり。それでも長いタマを使って圧縮すればより迫力が出ますね。それにしても谷汲から関市って案外距離あるのね。45分くらいで行くのかと思ったら1時間半近くかかっちゃったよ。

満開手前の桜並木の下を、北濃行きのNDCが走り抜けて行く。線路に対して東側に桜が植わっているので、西からの光線が必要な午後向きの撮影地なのは事前にリサーチ済みでありました。桜の撮り方色々ありますけど、バックショットだと列車が通り抜けたあとの風で花散らしになるのが好きだったりします。まあ、これは満開を少し過ぎた桜を狙ってやる撮り方で、まだ満開を迎えてもいない桜ではいくら列車が通り過ぎたとてそんなにはらはらと花弁は散らないのでありますが・・・

お試し撮りの北濃行きを見送った後は、カメラをあまり使わない長い望遠レンズに付け替え。これも最近はあまり使わなくなった三脚もガッツリセットして、久々のガチ撮りモードで本命の「ゆら~り眺めて清流列車2号」を迎える。長良川鉄道ご自慢の観光車両「ながら」を先頭にした2連は、満開の桜を従えたパレードのようでもある。企画によっては長良川の鮎を利用した列車レストランなんかも催行されたりする車両で、朱色に近い丹色は高級な漆塗りの椀を見る思いがする。ここ関下有知の桜のみならず、深戸の一本桜や湯の洞温泉口の桜、そして終点北濃の桜など、長良川鉄道沿線には桜の名所がたくさんあるのだそうだ。一度に回れる路線長ではないだけに、もう一度桜の季節にゆっくり来てみたいなあと思う。

関下有知の桜を堪能した後は、美濃市駅前「柳屋食堂」へ。開店すぐでこれだけの人が並んでいるのだから、地元人気が相当高い店であることが伺い知れます。この店、前回JR東海の「私鉄16社乗り鉄たび☆きっぷ」で長良川鉄道に乗りに来た時、ランチで使おうと思ったら臨時休業で壮絶な肩透かしを食らったんだよなあ。しょうがないからその時は別の店でランチを食べたんだけど、何年越しかのリベンジとなります。

この店の人気メニュー、麺類も他の焼きものもありますけど、ひとまず名物の「けいちゃん定食」を注文し、ついでに「とんちゃん」をプラス。「けいちゃん(鶏ちゃん)」「とんちゃん(豚ちゃん)」というのは、美濃・飛騨地方に伝わる鶏肉や豚のホルモンを辛口の味噌ダレで漬け込んで、タマネギやキャベツなどの野菜と炒め合わせた郷土料理のこと。いわゆるB級グルメの範疇に入る料理であろうか。調理したものを持ってくるのではなくて、味噌ダレを絡め、店員さんが大きなコテで押し付けながら目の前の鉄板で焼いてくれます。周囲のファミリー客、お父さんが中ジョッキをグイグイ空けていてご満悦。クルマなので生ビールが飲めないのが惜しい。その代わりと言っちゃなんだが、酒もともかくメチャメチャ白いメシが進むしかない濃いめの味付けなので、思わずご飯をお代わりしてしまった。とんちゃんとけいちゃんのどっちが美味いかというと、これは好みの問題になるけど「とんちゃん」の方がホルモンの色々な部分が入ってて好き。タン、レバ、カシラあたりがコロコロと入っているのが美味しい。ちなみに美濃市の焼肉屋にミノ焼きがあるかどうか期待してたんだけど、ミノ焼きはなかったなあ。こっちの方で「ミノ焼き」なんて言ったら焼き物が出て来る可能性の方が高いかもしれん(笑)。

旧名鉄美濃駅の保存ラインナップ。前回来てから旧札幌市電の車両の色が変わっていた。谷汲から美濃へ、名鉄600V区間の西端から東端まで移動をしたことになる。そうそう、一時期黒野の駅で展示されていたモ512号は、いつもは美濃駅で保存されているものを期間限定でレンタル展示したものでありましたよね・・・。一番右の563号の行き先が「西鏡島」となっていますけど、これは昭和30年代に廃止された名鉄鏡島(かがしま)線の終着駅のこと。岐阜市内線の徹明町から西へ、長良川の河畔にある鏡島町まで4kmちょっとの支線でした。谷汲駅、黒野駅、そしてここ美濃駅と、形は様々ですけど名鉄600V線区の車両を含めた遺構の保存って凄く充実してますよね。これがJRならまだしも、名鉄という私鉄路線でなされていること。それだけ、美濃の人々に浸透していた路線だったんだろうなと思う。今みたいにLRTが持て囃される時代時代がもう少し早く来ていれば、存続もあったんだろうか。

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