tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

コロナも落ちつき、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

第7回茶論(サロン)雪月花、4月29日(月・祝)、依水園で開催!(2024 Topic)

2024年04月18日 | お知らせ
舞踊家の山村若女さん(上方舞山村流師範)から、こんなご案内をいただいた。

ご案内 いつもありがとうございます。第7回茶論(サロン)雪月花のご案内です。春爛漫の好季節に奈良の名勝依水園をお借りして、伝統紋様研究家の成願義夫先生をお迎えして、奥深い着物のお話や日本の伝統美についてお伺いいたします。倉橋みどりさんとの日本文化サロン会です。ご都合よろしければ、ぜひご参加くださいませ 山村若女拝

詳しくは、こちらのチラシをご覧いただきたい。依水園は、お庭が素晴らしい。春の花々が咲き、楽しい春の思い出となることだろう。お申し込みは、QRコード、または携帯へ。たくさんのご参加をお待ちしています!

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田中利典師の「鬼の物語」(文化時報 2024.4.9 付)

2024年04月17日 | 田中利典師曰く
今日の「田中利典師曰く」は、修行日記はお休みして、「鬼の物語」(文化時報 2024.4.9 付)という興味深いエッセイを紹介させていただく。なお「文化時報」(本社=京都市)は宗教専門紙で、週2回発行されている。

これまで利典師は、「宇宙飛行士と山伏」「天狗と山伏」など、修験者ならではの視点から宇宙飛行士や天狗を紹介されているが、今回は「鬼」。鬼は、金峯山寺の三大行事の1つ、「節分会・鬼の調伏式」でよく知られている。「福は内、鬼も内」 は、同寺独自のものだ。

冒頭に「鬼」という漢字は、死体を表わす象形文字とお書きで、これは全くその通りだ。白川静氏の『常用字解』には〈象形。鬼の形。人鬼をいう。人は死んで人鬼になると考えられた。大きな頭の形がこの世の人の姿とは異なることを示している。(中略)人鬼に対して、自然神を神といい、合わせて鬼神という〉。では、記事全文を紹介する。

寄稿 鬼の物語
金峯山寺長臈 種智院大学客員教授 田中利典
日本にはもの凄い数の妖怪がいます。その中、節分の時期に注目をあびるのが「鬼」。各地の神社や密教系のお寺で行われる節分行事には様々な鬼が活躍します。

「鬼」という言葉はもともと中国から入ってきました。漢字の「鬼」は死体を表す象形文字で、現在でも人が亡くなることを「鬼籍に入る」と言うように、人は死んだら鬼になると考えられていました。中国では、鬼とは死者の魂そのものであり、姿形のないものなのです。

しかしそれが日本に伝わると、仏教などの概念と結びつくことで、鬼は恐ろしくて怖いものと捉えられ、鬼は単なる怪物の一つではなく、人の怨霊、伝説上の神、妖怪、宗教上の存在など様々な形で想像され、その定義は登場する場面によって異っていきます。

恐怖の対象として
まず「妖怪としての鬼」。妖怪として登場する鬼には決まった姿はなく、超科学的な力、おどろおどろしい気配を秘めた、得体の知れぬ恐ろしい化け物として描かれます。昔話や民間伝承に登場する鬼の多くも妖怪であり、人を取って喰うなど人間に害をなし恐怖を与える存在として信じられてきました。未知のものへの漠然とした恐怖が生み出した存在なのです。

次に「悪霊としての鬼」。恐ろしい姿をした怪物としてイメージされる鬼ですが、霊的な存在として現れる場合もあります。霊としての鬼の正体は、おおむね人間自身。人間が怨念や嫉妬などによって悪霊となり、鬼の姿へと変わったものとされます。この鬼は悪霊であるため、妖怪の鬼と同様に、人に災いをもたらす恐怖の対象として扱われます。

更に「仏教の中の鬼」。これは鬼の一般的なイメージである、角や牙のある恐ろしい姿の原型で、仏教に説かれる鬼の姿から来ています。仏教ではこの世の迷いの世界を六道と呼び、六つの世界が存在して、前世の行いによって来世で生きる世界が決まるとされます。その中の「餓鬼道」と呼ばれる世界に生きる者たちが、鬼の一つである「餓鬼」。悪い子どもを「ワルガキ」というように「ガキ」の由来にもなっています。

また、仏教に登場するもう一つの鬼が、有名な「地獄にいる鬼」。「地獄道」は六道の中で最も辛く苦しい世界で、前世で人殺しのような悪事をなした者が落ちる場所。地獄の鬼の仕事は、牢獄のような地獄の中で亡者を拷問し、苦しみを味あわせて罪を償わせるという、いわば「獄卒」の役目。一般的な鬼のイメージは地獄の鬼に由来しています。

「神としての鬼」。「鬼」という漢字は「カミ」などとも読まれ、「カミ」は「神」に通じます。古代の人々は、あらゆるものに神や精霊が宿ると考えており、目に見えないものや人の理解を超えた存在があることを、自然に受け入れていました。節分行事で神としての鬼を迎え、福を授かる神事を行っている神社もあります。

日本の歳時記の中に
ところで、いわば鬼は河童や天狗とおなじ妖怪仲間で、架空の存在です。もし現実に実在していたらパンダのように動物園にいるはずです。いないから架空なのです。

私はこの鬼や天狗が持つ物語がとても大切だと思っています。冒頭に書いた通り、日本ほど個性豊かな妖怪が跋扈する国は世界中にありません。じつは鬼も河童も天狗も、そこに展開される物語に、日本の文化や宗教、風土が象徴されているのです。

節分など歳時記の中に鬼が出てきて、私たちの日常の生活と直接交わる、そんな行事や物語を持つことは本当に素晴らしいことだと思うのです。

現代社会もいろんな鬼が跋扈しています。ぜひ、みなさんも節分には悪しき鬼を追い払う、そういう豊かな行事や文化を大切にしてほしいものです。
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金剛・葛城山から流れる水越川の水を守る 葛木水分神社(御所市関屋)

2024年04月16日 | やまとの神さま(毎日新聞)
奈良まほろばソムリエの会は毎週木曜日、毎日新聞奈良版に「やまとの神さま」を連載している。新年度の第1回(2024.4.4付)は、〈古代の貴重な水源守る神/葛木水分(みくまり)神社(御所市)〉、執筆されたのは、当地ご出身の岡田充弘(あつひろ)さんだった。
※トップ写真は葛木水分神社の本殿=御所市

これについて岡田さんはご自身のFacebookに〈 幼なごころに、水が分水嶺を越えて(越してくる)川、水越(ミコシ)の由来に心を高ぶらせたものだった〉と述懐されている。水越峠をめぐる水争いの話は、こちら(PDF)に詳しく出ている。では、以下に全文を紹介する。

〈古代の貴重な水源守る神/葛木水分神社(御所市)
金剛山と葛城山を南北に仰ぐ水越(みずこし)峠の東側に葛木水分(かつらぎみくまり)神社(御所市関屋)は鎮座します。近くには、金剛山の越口(こせぐち)と葛城山の万治(まんじ)ヶ滝を水源とする水越川が流れています。

水越の地は古くから「ミコシ」と呼ばれ、水越峠を越えて引水された金剛山の水が水越川を形づくり、この水系が古代のヤマト政権にとって重要だったからこそ、そのほとりに葛木水分神社が建てられたようです。

祭神は天水分神(あめのみくまりのかみ)、国水分神(くにのみくまりのかみ)の2柱で、金剛、葛城の山の水を守る神として崇敬されています。平安時代の神社一覧「延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)」で、大和に四つ記された水分神社の中で、最も水配(みくまり)の地らしい所にあると言えます。

境内は木立が奥深く、水分神にふさわしい神域の風情があります。本殿は江戸時代の建立で、一間社春日造(いっけんしゃかすがづく)り(正面の柱間が一つの切り妻屋根で、棟と直角な面に入口がある様式)。今では薄れたものの柱や壁に極彩色が施され、銅板ぶき屋根のがっしりした建物です。

例祭のある12月20日は、江戸・元禄年間の河内側との水争いが京都所司代(しょしだい)の裁許により大和側の勝訴となった日にちなむと伝わります。こうした歴史に彩られた水越川の清らかな水は、有名な吐田米(はんだまい)を育むことでも知られています。
(奈良まほろばソムリエの会会員 岡田充弘)

(祭 神)天水分神(あめのみくまりのかみ)、国水分神(くにのみくまりのかみ)
(住 所)御所市関屋大原248
(交 通)近鉄御所駅から徒歩約90分。または同駅からタクシーに乗り、同神社へ
(拝 観)境内自由
(駐車場)なし
(電 話)なし


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田中利典師の「蔵王供正行/第28日 神と仏と権現さま」

2024年04月15日 | 田中利典師曰く
今日の「田中利典師曰く」は、〈蔵王供正行28日目 「神と仏と権現さま」〉(師のブログ 2015.5.28 付)である。「権現さま」とは、神と仏が習合した存在であるがこの日、利典師は、蔵王権現さまのことを〈荒ぶる神と和魂のバランスに出会うとき、やはり日本的な神さまなんじゃないかなと思ってしまう〉とお書きである。
※トップ写真は、吉野山の桜(2024.4.5 撮影)

神道では神の霊魂には、荒魂(あらたま、あらみたま=荒々しい要素)と和魂(にぎたま、にぎみたま=優しく平和的な要素)という2つの側面があるとする。また和魂はさらに幸魂(さきたま、さきみたま=幸せを与える要素)と奇魂(くしたま、くしみたま=奇跡によって幸せを与える要素)という側面があるとする。

これらを総合して考えてみると、蔵王権現さまは日本的な「神さま」ではないか、と思えてくるということで、これは納得できるお話である。では、以下に全文を紹介する。

「神と仏と権現さま」
蔵王供正行28日目(5月28日)。晴れ。今日の一日。
5時に起床。
5時40分、第53座目蔵王権現供養法修法 於脳天堂
7時、本堂法楽・法華懺法         於本堂 
9時、第54座目蔵王権現供養法修法    於脳天堂
10時20分、本堂法楽・例時作法     於本堂
12時半、水行              於風呂場
13時、法楽護摩供修法          於脳天堂
14時、本堂法楽・法華経読誦       於本堂
16時、氏神さまと稲荷山へ散歩参拝。
参拝者はまたもうやの、ゼロ。          

****************

「神と仏と権現さま」
日本は神の国だと思う。その神を崇める国に、6世紀頃、仏教が伝来する。そこで少しだけ神と仏の相克があったが、そのあと、約1300年間は仲むつまじく、両者の関係はあった。そう明治の神仏分離の時代までは…。

まあ、そのことはいいとして、仲むつまじい神と仏の間は、お互いがお互いを助け合い、補填し合って、日本の文化が創造されてきたように思う。

ところで、私はいま、毎日、権現さまを拝んでいる。権現さまは神でもあり、仏でもある。神仏習合が生んだ日本独自の尊格であるが、毎日毎日拝んでいて、やはり権現さまは神さまなのかも知れないと、思ったりしている。

もちろん、権現さまを供養する方法は密教の十八行道法立ての儀軌なので、仏教式の拝み方なのではあるが、毎日毎日拝んでいる内に、神さまっぽい感じがしてならない。外来の仏たちとは、なんだか異なる尊神のように思うのである。

いや、その形相や教義的裏付けは、仏の世界のものなのだが、その奥に由来する荒ぶる神と和魂のバランスに出会うとき、やはり日本的な神さまなんじゃないかなと思ってしまうのである。

もちろん神でも仏でもいい。お力さえ、いただけるのであれば、私達はそんなことには一向に構う民族ではないのだから…。
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生誕1250年記念特別展「空海」、奈良国立博物館で6月9日(日)まで!(2024 Topic)

2024年04月14日 | お知らせ
4月13日(土)から、奈良国立博物館で、「生誕1250年記念特別展 空海」が始まった。同館の井上洋一館長によれば、これは「かつてない空海展」。幸い、12日(金)に開催された内覧会にご招待いただき、くまなく展示を見学させていただいた。昨日(4/13)の奈良新聞〈密教の全貌を解明 空海生誕1250年記念展〉には、



奈良市登大路町の奈良国立博物館で、生誕1250年記念特別展「空海KUKAI-密教のルーツとマンダラ世界」が明日13日開幕する。6月9日まで(前後期入れ替えあり、後期は5月14日から)。



人々を救うために空海(774~835年)が唐から日本にもたらした密教の全貌を解き明かす展覧会。国宝28件、重要文化財59件を含む115件の仏像や仏画を立体的に展示し、空海と真言密教の魅力を紹介する。




第1室に足を踏み入れて、驚いた。これはもう立体曼荼羅の世界だ。京都・安祥寺の4体の国宝仏「五智如来坐像」が安置されていたのだ。大日如来を中心に、4体の仏像が外側を向いている。もうこれで、心をわしづかみされてしまった。





昨日の土曜日(4/13)には行列ができていたので、やはり平日に訪ねるのが良さそうだ。皆さん、ぜひ奈良国立博物館に足をお運びください!

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